2023年2月12日日曜日

神性に意識を向ける



私たちは自分とは違う人たちに囲まれながら生活しています。

違う人たちと接することで、自分にはない良いところを学ぶことができますが、時に腹立たしい思いをする時もあります。



死んであの世に行くと、周囲には自分と同じような人間しかいません。

腹立たしさを感じる要素が取り払われ、平穏に過ごすことができる反面、周囲から学ぶことも少なくなります。

地上でしか学べないことがあったので、生まれて来たと考えられます。



ところで、人に騙されたとしたらどうでしょう?

腹立たしくなります。

騙したり、嘘を付くのは、自然法則に反した行いです。

自分の中にある「良心」が反応して、過ちを質したくなる衝動が生まれます。



人と意見が対立したらどうでしょう?

腹立たしさを覚えるかもしれませんが、その時は良心とは別のところが反応していると考えられます。



地上の人間には自我(エゴ)が存在します。

エゴは、自分と違うものを認ようとしないところがあります。

他者との違いに反応して、腹立たしさを覚えたり、排除しようとすることがあります。

差別的な行為が起きるのも、エゴがあるためです。



家庭内のいざこざも、世界で起きている戦争の多くも、元を正せばお互いの違いから起きています。

他者の意見や考え方を認められず、腹立たしさを感じるのであれば、それは自分のエゴが反応しています。

エゴから生まれた感情を表現してしまうと、相手に同様の感情が生じ、因果律の働きにより、一層、腹立たしさを感じる言動が返って来るでしょう。

エゴから生まれる感情の応酬をしているうちに、争いに発展してしまう可能性があります。



過去の自分が、原因を作っていることもあります。

私たちは無意識のうちに、エゴから生まれた感情を表現しています。

それが時を経て、自分に返って来ることがあります。



自分に原因はなく、相手のエゴから生じた言動を受けることもあります。

それにより、感情が高ぶってしまうこともあります。

そんな時は、エゴではなく、自らの中に存在する「神性」で対応するのが良いと考えられます。



神性とは、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛を表現しようとする自分(魂)の中にある神の部分です。

生まれてから身に付けるものではなく、初めから備わっています。

助けたい、悪いことをしたくないと理屈なしに思うのも、私たちの生命(魂)の中に、良心と言う神性が組み込まれているからです。


エゴは、外部の環境に影響され、絶えず揺れ動いています。

神性は、何事にも動じず、何人にも侵されることはありません。

自分の中にある聖域です。



たとえ実感がなくても、そんな聖域があります。

不完全な自分の中にある、完全なる部分である神性を強く意識しましょう。

そうすることで、相対的にエゴから意識が逸れ、心が穏やかになって行くのを感じられるはずです。



他者のエゴを意識すると、自分のエゴが反応します。

他者の神性を意識することによって、自分の神性が意識されて、無用な感情が生じるのを抑えることができます。



神の力は無限です。

エゴから生まれる好ましくない感情を、自分の中にある神性によって鎮めることができます。

感情を抑圧するのとは違います。

神性に心を委ねることにより、エゴから感情が生じなくなります。

憎しみを哀れみに変えることができます。



全ての人に神性があります。

エゴにより埋もれてしまっているだけです。

エゴの働きが強くなり過ぎると、因果律が働いて、苦痛を伴う出来事が起きることがあります。

それにより、魂が目覚め、埋もれていた神性が顔を出すようになるのかもしれません。



親友が去年、悪性度の高いガンになり、命が危ぶまれました。

幸いにして、今は病状が落ち着いていますが、心境に変化がありました。

全く興味のなかったボランティア活動を始めようとしています。

また、保健所から犬を引き取り、飼い始めようとしています。

病気の苦痛により、友人の中にあった神性が顔を出して、そんな気持ちになったと思います。(ヒーリングに参加した下さった同志の方に、本人に代わり改めて御礼申し上げます。)



神性が発揮されると、時に奇跡のようなことが起こります。

2004年に新潟中越地震が起きました。

震源地に近いトンネル内で、親子3人が乗った車が岩盤崩落に巻き込まれました。



レスキュー隊が現場に到着した時「子供がいます」と、お母さんと思われる声を聞いたそうです。

そのため「3名の生存を確認」と長岡市の災害対策本部に連絡したそうです。

懸命な救助作業の末に、生存リミットを超えた4日後に、2歳の男の子だけが救出されました。

タイヤの下と岩盤の間に、男の子は紙おむつの姿でいたそうです。(下図)

お母さんとお姉さんは、崩れ落ちた岩盤の下敷きになり即死状態だったそうです。

出典:STORIES OF SURVIVORS

その後、お母さんの生存情報は誤報とされましたが、こんな緊迫した状況の中で、隊員が聞いた声は空耳だったのでしょうか?

(閉じ込められている時)怖くなかった?との問いかけに、お母さんが歌をうたってくれていたので怖くなかったと答えていたそうです。

2歳の子供が、車内からどうやってタイヤの下の狭い空間に移動したのでしょうか?

我が子を想うお母さんの神性が最大限に発揮され、その想いが霊界を動かして、数々の物理的な現象が起きたと考える方が明らかに自然です。




奇跡と呼ばれる現象は、神の力によって起きています。

しかし、その力は特別なものではありません。

私たちに秘められています。

エゴが完全に取り払われ、神性が存分に発現した時に引き出されると思います。




「あなたが地上に生まれたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。」(シルバーバーチの霊訓より)

エゴではなく、自分の内部にある神性を常に意識して生きて行きたいものです。







2023年2月5日日曜日

真理を確かめる

 

30年に渡って、あるスタディーグループに所属しています。

スタディーグループとは、自分が普段行っている歯科治療を同業者の前で発表し、意見や批判を受けて、仕事の質の向上を計ろうとする集団です。

主宰している先生は、極めて高い技術とフィロソフィーをお持ちであり、今の自分があるのは指導のお陰と言っても過言ではありません。

その先生が良く言われていることに「知っているのとやっているのは違う」があります。


技術を学ぼうと思えば講習会があるので、いくらでも学ぶことができます。

けれども、いざ仕事で活かすには、労力が要り、リスクも伴います。

それでも、実際にやってみなければ、自分のものにはならないと、先生は伝えたいのでしょう



17年前、ヒーリングの力の出現をきっかけにして、霊的真理と出会いました。

直後に、経験したことのない災難のような出来事が起きました。

真っ暗闇の状況で「乗り越えられない困難や障害は起こらない」という真理が光り輝いていました。



は、何を持ってしても変えられません。

半ば盲目的でしたが、真理を信じることで、現実の受け止め方が大きく変わりました。

それに伴い私の心も変わり、苦しみや怖れは和らぎました。

押しつぶされそうになっていた自分を、どうにか持ちこたえさせることができました。




真理ならば、人生のいかなる局面においても、その通りになるはずです。

それを確かめる機会が巡って来ました。

ある日のこと、所属するスタディーグループを代表して、学会の座長を頼まれました。

メインのパートであり、大勢の聴衆がいる中で長時間しゃべらなければいけません。

以前の私であれば、人前に出て話すのが苦手なので、とんでもないと、直ぐに断っていたでしょう。

真理を知り、乗り越えられることしか自分に巡って来ないはずと思い、やってみることにしました。



とは言っても、初めてのことなので、不安が付きまといます。

そこで、こんな真理も信じるようにしました。

「背後にはあなたを絶対に見捨てることの無い霊が付き添っております。魂を鼓舞する力は霊界から送られているのです

自分を見守っている存在がいると思うと、心強くなります。

不安を感じた時のことです。

背後の存在に意識を向けてみると、不思議なことに内部から力のようなものが湧き出して来て、前向きな気持ちになるのを感じました。

背後の存在との一体化が図られ、そこから伝わって来る霊力により、心に変化が生じたと思います。

当日は、できる限りの準備をし、背後の存在を意識しながら臨みました。

見慣れない光景や雰囲気に、怖れや不安を感じることもなく、無事に役目を果たすことができました。

「背後の存在が乗り越えさせてくれた」そう思い、感謝の意念を向けました。

会場の様子

昨日の手術中にも、不測のアクシデントが起こりました。

背後の存在に意識を向けると心が落ち着き、冷静に対処することができました。



生まれる前に決めていた出来事が起きることがあります。

人間には自由意志が与えられているので、起きた出来事を乗り越えようとすることも、逃がれることもできます。

その決定には、誰も干渉できません。



学び、成長するために起きた出来事であれば、乗り越えようと決めた瞬間から、背後の存在から惜しみのない援助の力が送られて来ます。

逃がれようとするならば、援助のしようがありません。

目的を果たすことができないために、苦しみが続いてしまうことになります。



起きた出来事により、押しつぶされそうな時は、以下の2つの真理を思い出して下さい。

「解決できないほどの大きな問題、背負えないほどの重い荷を与えられることはありません。与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があるからです。」

「背後霊に全幅の信頼を置きなさい。」

そう強く信じれば、援助の力が与えられ、何かが変わり始めます。



出来事を乗り越えるとは、自分の中で変化が起きることかもしれません。

苦しみや痛みはその触媒です。

変化を促すものが霊的真理です。



参考ページ:「自分を信じられない時は守護霊を信じる」




2023年1月29日日曜日

魂を目覚めさせるもの


学生時代は、時計のアラームセットして寝ていました。

ところが鳴り出したら無意識に止めてしまい、遅刻をしてしまったことがあります。

年を取ったせいでしょうか、今はアラームが鳴らなくても定時に目が覚めてしまいます。



眠っている人を起こすのには、五感を刺激するものが必要です。

余談ですが、設定した時間になると、アラーム音ではなく、好きな香りが漂い、臭覚を刺激して、心地よく目覚めさせる時計があれば面白いと思います。



「魂が目覚める」

いくら五感を刺激しても、魂が目覚めるわけではありません。

それでは、どうすれば目覚めるのでしょうか。



私たちは、普段、頭を使いながら生活しています。

仕事をするも、家事をする時も、勉強する時も、常に思考を伴っています。



頭脳はコンピュータとは違います。

1つの作業に集中すると、他の作業をするのが困難になります。

掛け算をしながら、聞こえて来る言葉を暗記しなさいと言われても無理です。

どちらかの作業に集中しなければいけません。



音楽を聴きながら、事務的な作業をする時があります。

もし音楽を感じているのが頭脳であれば、そちらが活動しているために、事務的な作業の効率は落ちても良いはずです。

私の場合は、むしろ効率は上がります。



聴覚から伝わる音声の情報を処理しているのは頭脳です。

けれども、実際に感じているのは頭脳ではなく、その奥にある精神(心)です。



人間は魂、精神、肉体の複合体です。

日常生活は、精神を働かせて肉体を動かして営まれています。

精神から出された指令が、頭脳を活動させて、肉体を動かしています。



精神上には、地上の顔となる「自我」が形成されています。

自我には気質や性格が表れていて、その人の霊的な様相が色濃く反映されていると考えられます。

そして、自我は肉体からの影響を強く受けています。



日常生活では、魂が前面に出ることはほとんどありません。

大部分が、自我(精神)により、処理されています。

しかし、自分の学びや成長に関わるような重要な局面になると、前面に出て来ると考えられます。

成長を促す、あるいは妨げないような決断をさせようとします。

内なる魂の声です。



けれども、自我が拮抗する時があります。

自分の安全や利益のために、その声を掻き消そうとしている時があります。



魂は神性を帯びています。

生命(魂)は、元来神性を表現するために創られたはずですが、媒体である自我の制約を大きく受けます。

地上を生きるために自我は必要なものですが、魂の表現を妨げてしまうものでもあります。



捨てられた子猫が、道端でないていたらどうでしょう?

心配になり、何とかしてやりたくなります。

それは、私たちに神性がある証拠です。



一方で「関わってしまうと厄介なことになる」こんな声も心の中で聞こえて来ます。

その声は、自我の働きによるものです。



魂の声と自我の声の間で、時に揺れ動きます。

地上では、魂が直接、肉体を使って表現するのではなく、自我(精神)という媒体を間に挟んでいるために、そのような葛藤が起こります。



人は、困難や障害を乗り越えて行くこと、人や動物や社会のために役に立つことで成長します。

自我は肉体からの影響を強く受けているために、自分(肉体)を守ろうとする傾向があります。

自我の働きが強くなると、保守的あるいは利己的になってしまいます。

そうなると成長は望めなくなります。



日常生活では、頭脳ばかりを使っています。

快適に楽しく生きることばかりを考えています。

そうすると、次第に自我の働きが強くなり、いつしか自我の陰で、魂は眠ってしまいます。



以前の私がそうでした。

仕事で成功すること、楽しく生きることばかりを考えていました。

そこに、今まで経験したことのない出来事が、何の前触れもなく起きました。

窮地に立たされ、次第に精神的に追い詰められて行きました。

万策尽きたところで、それまで意識することのなかった意識が前面に出て来ました。

その意識こそが、本当の自分(魂)と考えられます。



魂は自分の進むべき方向を指し示しました。

それは、自分に嘘偽りがなく、良心の声に忠実になる方向です。

けれども、そちらに進むと苦境に追い込まれ、失うものが大きいことが分かっています。

それでも、指し示された方向に進んで行ったところ、想定された中で最悪の事態が待っていました。



するとどうでしょう。

それまで理解できなかった霊的真理が、苦境に追い込まれるに従って、理解できるようになりました。

もし、良心の声に従わなかったら、真理は受け入れられなかったと思います。



学び成長する方向を、魂は指し示していたのです。

この先に起きること、生まれる前に決めていた人生の計画も、意識に上がってこないだけで、魂は承知しています。



自我には、五感を通して得られた、地上的な知識が蓄えられています。

魂には、経験を通して得られた、霊的な叡智が蓄えられています。

どう生きるべきか、どうすれば成長するかを知っているのは、自我ではなく魂です。

魂の声に従って生きることで、人は成長します。



私たちが成長するように、自然法則は創られています。

自我の働きが強くなり過ぎて、予定された成長が望めなくなると因果律が作動して、魂を目覚めさせる出来事が起こります。

その多くは、病気や事故など不幸や災難と言われるものであり、頭をいくら働かせても解決することができない出来事です。



いくら望んだとしても、魂は覚めるものではありません。

特殊なトレーニングをしたり、呪文を唱えたとしても目覚めません。

魂にまで響く深甚な出来事を経験し、自我が瓦解して、初めて目を覚まします。




2023年1月22日日曜日

新しいドアを開けてみる


最近のニュースを観ていて驚くことがあります。

プロのスポーツ選手の年棒が、数十億円に達していることが稀ではありません。

さらに、会社の経営者に至っては、資産が兆の単位の人も少なくありません。

能力があり、人一倍努力をした結果であり、社会への貢献度も大きいと思います。

ただ、世の中に、今日1日の食べる物もこと欠く人や、栄養が足りず死んでしまう人がいると思うと偏りを感じて、複雑な気持ちになってしまいます。



時代と共に、社会や人は進化しています。

過去に比べて平和で平等な世界になって来ても良いはずです。

けれども、今、戦争が起きています。

物質的な格差は、ますます拡がっています。



その大きな理由は、人間の本質である霊(魂)が物質に覆われて見えなくなっているからです。

多くの人が、目に見えるものが全てだと錯覚しているからです。

地上を悩ます問題の多くは、霊的な知識が欠如しているために起きています。



以前の私もそうでしたが、ほとんどの人が存在するかどうかも判らない霊のことよりも、今を楽しく生きる方に関心があります。

そんな人たちも、関心が向かざるを得ない出来事に遭遇することがあります。

病気になり余命を告げられたとしたらどうでしょう。

死んだらどうなってしまうのだろう?

生きている意味って何だろう?と、真剣に考えるでしょう。



大切な人が亡くなり、目の前からいなくなってしまったらどうでしょう。

本当にいなくなってしまったのか?

もう、2度と会えないのか?と、思いを巡らすことになります。



災難のような出来事が降りかかり、精神的に追い詰められたらどうでしょう。

何で自分がこんな目に遭わなければいけないんだ?

これからどう生きていけば良いんだ。

と、自問するでしょう。



不治の病の人が、ヒーリングを受けて癒されたら、人智を超えた力が存在することを認めざるを得なくなります。

別れの悲嘆に暮れる人が、亡き人からのメッセージを受け取り、それが本人からのものと確信したのならば、魂の存在を認めざるを得なくなります。

答えを探し求めていた時に、霊的な力に触れると、眠っていた魂が一気に目覚める可能性があります。

そして、頭でいくら考えても答えが見つからず、誰にも助けてもらえず、ぎりぎりまで追い詰められて、目覚める人もいます。

目覚めた人が、霊的な真実に出会うと、すんなりと受け入れられるはずです。



けれども、霊的な真実が書いてある教科書はありません。

書店に行くと、霊に関連した本がたくさん置かれています。

いろいろな人が、いろいろなことを言っていますが、その真偽を確かめる手段はありません。

どの本を信じて良いのか分からないのが現状と考えられます。



私は自信を持って「シルバーバーチの霊訓」をお勧めしています。

難解ではなく、平易な言葉で真理が説かれています。

文章の節々から、人や動物への深い愛情が感じられます。

人を見下したり、咎めたりせず、謙虚であり信じるに足る人(霊)格を備えています。

目的は、地上の人類の霊的覚醒と霊的成長のためです。

真偽を客観的に検証することができないのであれば、どんな人が、何のために言っているのかが大切になります。



真理には再現性があります。

書かれている通りに行ってみると、その通りになるはずです。

誰が行っても、同じ結果になるはずです。

出会ってから17年、自らの体験によって真偽を吟味して来ましたが、その通りにならなかったことは、今のところ1度もありません。



私は霊界に導かれて、この本に辿り着きました。

そのことから、手に入れられる本の中で、最も真理に近いと霊界が認識していると思っています。



真理がどこにあるのかが分らず、さまよっている人がほとんどです。

人生で起きた出来事を理解することができず、苦しみや悲しみに打ちひしがれている人が、真理(シルバーバーチの霊訓)と巡り合えたのなら、どんなに救われることでしょうか。

巡り合わせる手段としてインターネットがあります。

約14年前に、私はこのブログを書き始めました。

当初は霊的真理というよりも、霊力と言う目に視えない、驚くべき力が確かに存在していることを、たくさんの人に知ってもらいたかったです。



そのうちに、コメントが送られて来るようになりました。

送って来る人の中には、大切な人との別れなど、人生が大きく変わる出来事を経験されている人も少なくありませんでした。

私なりに、真理を踏まえた上で、返信して来たつもりです。

1万を超えるやり取りの中で、たくさんのインスピレーションを得て、学ぶことができました。

学んだことは、包み隠すことなく、ブログに還元して来たつもりです。

もしコメント欄を閉鎖していたのなら、単なる自己主張の場になっていたでしょう。

未熟な私に学びの機会を与えてくれた、コメントを送って下さった方に、心から感謝しています。

このやり取りが霊界の導きによるものであったのならば、これ以上うれしく光栄なことはありません。



ブログの閲覧数が、1つの区切りとなる数字を迎えようとしています。

一定の役割りを果たせたのではないかと思っています。

そこで、今年は少し違った形で、真理を伝えて行こうと考えています。

霊的な知識がない人、関心があるけれども何を信じて良いのか分からない人に、(コロナ禍ではありますが)直接会って伝えてみようと思います。

シルバーバーチの霊訓とは無縁の人たちです。

私が時々お邪魔させていただく、いくつかの場所をお借りして、少しの時間ですが霊的真理の話をして、希望される方にはヒーリングを行いたいと考えています。

その旨をお知らせするハガキを、数週間前から置かせてもらっています。



このブログを書き始めてしばらくの間は、訪ねて来る人はほとんどいませんでした。

それでも、たった1人でも観てくれる人がいるのなら、その人に向けて書き続けようと思っていました。

今回も、ブログの時と同じかもしれません。

もし1人でも来てくれたのならば、その人に私が知っている範囲の真理、できればその人が必要としている真理をお伝えしようと思います。



初心に戻って、新しいことを始める時期が来ていると感じています。

シルバーバーチが言うように、そっとドアを押してみて、開いたのなら入ってみようと思います。



必要としていない人にとって真理は、晴れの日の雨傘のようなものです。

持っているだけで、何の役にも立っていません。



地上を生きている時に、必ず一度は霊的真理を知るチャンスが与えられると言われています。

それは、魂が目覚めるような出来事を、人生で必ず一度は経験することを意味しています。



今は必要としていなくても、その時が来ます。

その時が来たら、そう言えば、あの時にあんなことを言っていたと、ふと思い出してもらえればと思います。

「シルバーバーチの霊訓」を手に入れて、ページを開いてもらえたのなら、目的が成就されたことになります。



2023年1月15日日曜日

乗り越える方に進む


夢を見てもほとんど忘れてしまいますが、はっきりと覚えているものがあります。

それは、全く勉強しないで試験当日を迎えてしまう夢です。

「まずい!どうしよう」と夢の中で焦り、目が覚めてホッとした覚えがあります。

試験が嫌いだったので、そんな夢を見てしまうのかもしれませんが、それだけではないような気もします。



死んで向こうの世界に行くと、この世の人生を振り返る時が来ます。

やるべきことをしなかったと判った時に、同じような心境になるのかもしれません。

ただ、夢と違って醒めることはありません。

そうならないよう戒める意味もあって、夢を見せられているような気もします。



私たちは、生まれる前におよその人生の計画を立てています。

その計画に従って人生が展開し、予定されていた出来事が起こります。

その出来事を乗り越えることで、大切なことを学び成長して行きます。



因果律は正確無比です。

目的が果たされなければ、その先のどこかで果たすことになります。

生きている時に、その機会が巡って来なければ、次の地上の人生に持ち越されることになります。



ある日突然、人生を大きく変えてしまうような出来事が起きたら「どうして?」と思います。

運命を呪ったり、神を憎んだりする人もいるでしょう。

けれども、それは過去の人生で果たせなかったことを、果たす機会が巡って来たのかもしれません。



生まれる前の記憶が蘇り、自分に起きた出来事の原因(目的)を知ることができれば良いのにと思うことがあります。

果たせなかったことがあった以外にも原因はあります。

大きく成長するために、自らが志願している時もあります。

自然法則に反した行いをして、償いをしている時もあります。



けれども、原因を知ったとしても、素直に受け入れられるとは限りません。

地上の人間にはエゴがあるからです。

「そんなことを望んでいたはずはない」「そんなことをするはずはない」と認めようとしない人もいるでしょう。



また、知ったとしても、現実が変わるわけではありません。

苦しみがなくなるわけでもありません。

出来事を乗り越えようとする動機付けにならないばかりか、自分自身に対して要らぬ感情を抱いてしまう可能性があります。

過去に捉われて、今を生きる妨げになってしまうのであれば、原因(目的)が存在しているとだけ判っていれば良いと思います。



人間には、自由意志が与えられています。

乗り越えようとすることも、逃がれようとすることもできます。

自分の想いや行動には、因果律が働いています。

逃がれようとすると苦しみが生じて、乗り越えようとする時まで、その苦しみは続くのかもしれません。

生まれて来た目的が、人生で起きる出来事を乗り越えて、学び成長することにあるからです。

成長する方向に向かわせようと、苦しみは促していると考えられます。



目の前に立ちはだかっている、困難や障害を乗り越えて行くしかありません。

自分自身で決めていたことだからです。



一般的に、本試験よりも(受けなかった人のためにある)追試験の方が問題は難しいものです。

そうでなければ、多くの人は追試験を受けるでしょう。

人生の試練も同じです。

今、乗り越えようとしなければ、その先のどこかで同じような局面に遭遇します。

その先で起きる出来事の方が、より困難で障害が大きいものになると予想されるのは、逃れたことに対する報いが付加されるためと考えられます。

今、この出来事を正面から対峙した方が良いのです。


人生は山登りのようです。

ルートはそれぞれ違いますが、遥か彼方にある同じ頂に向かって進んでいます。

平らな道を歩いていると、突如として急坂が現われます。

迂回しても同じです。

結局は、別のルートから登ることになります。

そうしなければ、辿り着けません。



私たちには自由意志が与えられています。

それは決めたことに対して、自分が責任を取らなければいけないことを意味します。

人生は決断の連続です。

自分の決断が原因となり、正確に結果を生み出します。

原因と結果の連鎖を繰り返しながら、現在の自分に至っています。




これからの自分の決断が、その先にいる自分を決定します。

死ぬ時に、どういう自分でいたいのかを、思い描いて下さい。

その自分でいられるような決断をして下さい。

やれるだけのことはやったと思いながら、この世を去って行きたいと思っています。





心に響いた唄です「Beautiful World」


2023年1月8日日曜日

なぜ成長しなければならないのか?


16年前にシルバーバーチの霊訓と出会いました。

そこには、全く考えもしなかった、驚きの世界が広がっていました。

中でも、私の心に深く響いたのは「因果律の働き」でした。

「原因があれば結果が生じる。結果には原因がある」

当たり前のように思っていたことが、この宇宙を律している最重要の法則であることを知りました。



この世に生まれたのが結果であるならば、原因(目的)があって生まれて来たはずです。

生まれて来た目的は、この世でしか経験できないことを通して成長するためです。

それでは、なぜ成長しなければならないのでしょうか?

自分なりに考えてみました。



宇宙は138億年前に誕生しました。

想像するのが難しいのですが、何もない1点が爆発(開闢)して、宇宙が始まったと言われています。

宇宙が始まって92億年後に、地球が誕生しました。

地球が誕生して11億年経って、海の中で生命が生まれたと言われています。



何もないところから宇宙が生まれたと言われても、理解に苦しみます。

ゆらぎというエネルギーの一種が存在していたと仮説を立てている人がいますが、こじつけのように感じられます。


DNAの2重らせん構造
生命の誕生については、こんな説が有力です。

原始の地球で、大気中の成分から合成された非生物的な有機物がいくつも集まり、海中で液滴と呼ばれる形態になる。膜はないものの、袋状の構造をもつ液滴がその後、生命を得て細胞になり、分裂が始まった」とされています

何やら難しいことが説かれていますが、偶然が重なって、精緻な細胞が出来上がるとは考えられません。



肝心な部分が欠落しているように思えます

科学で証明されていない「創造(神)的なエネルギー」が存在していて、それが瞬間的に物質的なエネルギーに変換されて、今の宇宙となったと考える方が、無理がないような気がします。

自然法則の働きによって細胞が形作られ、そこに創造(神)的なエネルギーが通った瞬間、生命が誕生したと考える方が、より自然な気がします。



宇宙創造、生命誕生と言う現象が結果であるならば、そこには必ず原因があるはずです。

原因よりも意図と言った方が適切かもしれません。

何らかの意図があって、宇宙は創られ、生命が誕生し、自然法則の働きにより進化を遂げて現在に至ったと考えられます。

もし、意図があるのならば、そこには知性の働きがあるはずです。

「無限のエネルギー」「無限の知性」「宇宙を支配している自然法則の働き」の総称を「神」と呼ぶのかもしれません。



人間も宇宙の一部です。

何かしらの意図を持って創られたはずです。

この世の人間は、肉体、精神、霊(魂)の次元(波動)の異なる3つの要素から構成されています。

魂から生じている想いを、精神で具体化して、肉体により具現化させています。

さまざまな想いが生まれ、それを表現しながら、人生は紡がれて行きます。


迷子になって泣いている子供を見ると放っておけません。

命を賭けて、人や動物を助けようとする人がいます。

誰かの役に立つと、悦びを感じます。

なぜ、そんな想いが生まれるのでしょうか?



それは、私たちの魂に神性があるからです。

神性を表現するために、私たちは存在しているのです。



技術が未熟であれば、楽曲を演奏することはできません。

練習をして技術を向上させます。

同じように、霊的に未熟であれば、神性を表現することはできません。

さまざまな出来事を経験し、霊的に成長することで、より神性が表現されるようになります。



厳しい練習を積んだ人ほど、技術は向上し、良い演奏ができるようになります。

同じように、厳しい出来事、過酷な出来事を経験した人ほど霊的に成長して、神性を表現できるようになります。

苦労や努力は、霊的に報われます。



死んだ後に赴く霊界は、生きる苦しみが取り払われた快適な世界です。

そんな快適な世界では、自発的に成長するのは難しくなります。

霊界で起こり得ない出来事を経験することで自分を成長させ、より神性が表現できるようになるために、この世に生まれて来たと考えられます。



神性を一言で表現するのならば「愛」です。

愛は、魂と魂を引き付ける霊的なエネルギーです。

物質(肉体)の中に閉じ込められ、霊的なものが視えなくなったこの世の人間は、苦痛を伴う出来事を経験することで、最も大切なものを見い出します。

離れ離れになった魂(生命)が、愛に目覚めることで再び1つになって行く、それが神の意図だと考えています。



なぜ成長しなければならないのか?

神の意図に従い、全てが1つになって行くためと、私は考えています。




2023年1月1日日曜日

新しい1年の始まりに思うこと


あけましておめでとうございます。

新しい1年が始まりました。



今年もいろなことが起きるでしょう。

楽しいことだけではありません。

地上に生まれて来たのですから、苦しいことも起きるでしょう。



今までの生活が一変してしまうような出来事が起きると、何で自分がと思ってしまいます。

16年前の私がそうでした。

自分に起きた出来事は、偶然ではなく因果律が働いた結果でした。

原因を作っていることに、全く気付かずにいました。



何の脈絡もなく、ある日突然、出来事が起きることがあります。

原因を探しても、どこにも見つけることができなければ、運が悪かったと諦めるしかありません。

世の中は不公平だと、神を恨んだりする人もいるでしょう。



そのような出来事は、明確な目的があって、自分で決めていたことかもしれません。

目的を果たすために、最善のタイミングで起きているのかもしれません。



シルバーバーチはこう言っています。

「私がこれまで送ってきた、三千年に渡る霊界生活で ”自分は不当に扱われているー不公平だ”と、真剣に言える霊を1人も知りません。」(以下「 」内の文章はシルバーバーチの霊訓より引用)

この世を去った後、目の前にスクリーンのようなものが現われ、そこに地上の全人生が映し出されて、振り返ることになります。

その時に、起きた出来事の原因(目的)がはっきりと判ります。

不当に扱われていると言う人がいないのは、全ての出来事が自然法則の働きによって支配されていて、完全な公平が保たれていることに気付くためと考えられます。



「運命の十字路にさしかかる度毎に、右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然として立ち向うか、それとも回避するかの選択を迫られますが、その判断はあなたの自由意志にまかされています。(中略)そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢をとるか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。」

これまで私も、いくつもの分岐点に立たされました。

勇気を出して向かっていこうとする自分と、回避しようとする自分がいました。

迷った末に、回避する方向に進んでしまったこともあります。



回避する方向に進んでも、差し当たって何も変わることはありません。

無難な選択をしたようにも思えます。



人生を振り返る時が来たら、どう思うでしょう?

あの時に別の選択をしていれば、もっと成長できたと悔しがるでしょう。





自由意志が与えられているのは有難いことです。

霊的真理を知った今は、恐さも感じるようになりました。

選択した結果も、享受しなければいけなくなるからです。





「地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まります。」

これまで、数え切れないほどの選択をして生きて来た結果が、今の自分です。

世の中のせいでも、人のせいでもありません。

これからも、たくさんの決断をして行くでしょう。

そして、死を迎えます。

地上での全ての決断が、霊界で結果となって魂に表れます。



立ち向かう方に進むのは、口で言うほど簡単ではありません。

意志と勇気が必要です。

回避しようとする自分にも、打ち克たなければいけません。



それでも、そちらを選択することに重要な意味があります。

その選択が魂の成長を促します。

待ち受けている世界で、新しい仕事をする資質を身に付けさせています。



回避する方を選択して、成長する機会を逃したことを知った時の後悔は、想像している以上に大きいのかもしれません。

この世に生まれた目的の1つを果たせなかったことになるからです。

自分を許すことができないほど後悔が大きくなってしまうと、それを晴らすためにもう1度生まれて来ることになるでしょう。

そして、同じような出来事を経験することになると思われます。



苦しくても乗り越えなければいけない、誘惑に負けてはいけないと思うのは、過去生でそのような悔しい経験があるからなのかもしれません。

そのことが分かっている、奥底にいる自分(魂)の叫びなのかもしれません。



決めるのは自分です。

結果責任を取るのも自分です。

ならば、惑わされずに、内在する魂の威力を信じて、立ち向かう方に進んで行くべきです。



私たちは経験を通して教訓を学び、自分に足りない資質を手に入れています。

この教訓、この資質を手に入れるために、それに相応しいこの経験をしなければならないと、承知した上で生まれて来ています。

自分で承知していたのであれば、逃げても、避けても、いずれどこかで向き合わなければいけなくなります。




人生は1度きりではありません。

必要あれば、何度でも地上に生まれて来ます。

どんなに苦しくても向き合い続けて、この人生で結着を付けた方が賢明です。







今年1年を祈願する時がきました。

多くの人は「平穏無事に過ごせますように」と祈ります。

その祈りを聴いて、霊界の人はどう思っているのでしょうか?

平穏無事に過ごすよりも、困難や障害を伴う出来事が起きた方が、その人にとってご利益があると思っているのかもしれません。

乗り越えることで魂は成長し、生まれて来た目的を果たせることを知っているからです。

もしそうであるならば「私に与えられる困難を乗り越えさせて下さい」と祈る方が正しいのかもしれません。

見守っている人たちは、その祈りが叶えられるよう、惜しみのない援助をしてくれるはずです。








2022年12月25日日曜日

霊的真理とこの1年

 

早いもので、今年ももうすぐ終わろうとしています。

コロナの流行が続く中で、ロシア軍のウクライナへの侵攻が起きました。

不穏な空気に包まれ、長く感じられた1年でした。



戦争は言うまでもありませんが、コロナも人災だと思います。

人間の過った行いに対して、何かしらの因果律が働いて、コロナウィルスが発生したのではないかと考えています。

もしそうだとすれば、その過ちを改めない限り、流行は収まらないと思います。


中国の発電所(出典:カベージニュース)
地球温暖化の被害を受けた北極海のシロクマ

人間の過った行動で、地球環境が危機的な状況に陥っています。

私たちは、そのことに気付いているのですが、行動を改めようとしません。

そのために、罪もない動物たちが、多大な被害を被っています。



人間は最強です。

いかなる動物も、人間を制御することは不可能です。

2020年春、コロナウィルスが流行し始めました。

すると、未知のウィルスに恐怖を抱き、街から人は消えました。

道路を走る車は少なくなり、飛行機も飛ばなくなり、工場も稼働を停止しました。

ほとんどの人が家の中でじっとしていました。

この生物とも言えない、極小のウィルスが、人間を制御する力を持っていたのです。



その結果、何が起きたでしょうか?

CO₂の排出量は、産業革命以降、最も減少したそうです。

わずかの間でしたが、世界中の都市の空気が澄み渡り、空が青さを取り戻しました。

緊急事態宣言下の東京
これが本来の姿です。

今までが、異常だったのです。

異常に慣れ切ってしまい、何とも思わなくなってしまっていたのです。




霊的に最も進化しているのは人間です。

その人間が、地球全体のことを考えていません。

自己中心的な行動をして調和を乱し、環境を壊し続けています。




利己的な行いは、自然法則に反しています。

その報いは、因果律の働きによって、人間に返って来ます。




自然法則は、あらゆる事態を想定して創られています。

人間が原因でこのような事態に陥った時、人間の行動を制御するウィルスが大流行するように、自然法則が創られているような気がします。




生きて行くために、本当に必要なものは、それほどありません。

けれども、多くの人が必要のないものまで欲しがります。

ウィルスの流行と言う大惨事を経験して、魂が目覚めた人はきっと多くいるでしょう。

魂が目覚めれば、今までの価値観が一変します。

物質的なものから、霊的なものに意識が向かうようになります。

お金や物に捉われない生き方をするようになります。

自己中心的な考えから、全体のことを考えるようになります。

多くの人の意識を変革するのも、ウィルスの流行という自然現象の中に組み込まれていた目的の1つのような気がします。




流行が始まって、もうすぐ3年です。

コロナにも慣れて、普段通りの生活をするようになってきました。

もし、コロナの流行にそのような隠された意図があるのなら、以前と何も変わらずに行動をしていると、もっと強烈な自然現象が起きるかもしれません。

想像したくもありませんが、感染力が強く、致死率が高く、ワクチンも効かないようなウィルスが、因果律の働きによって出現するのではないかと危惧しています。

あの時と同じように、人間を震え上がらせ、家に籠らせるような流行が起きない限り、地球温暖化を根本的に止められる手段はないような気がします。





出典:読売新聞オンライン
ウクライナで起きている戦争が終わる気配はありません。

1人の人間の自由意志の行使によって、ここまで世界が変わってしまうことに驚きました。

なぜ、こんな取り返しのつかないことをしてしまったのでしょうか。




一線を越えて行動に移してしまった理由は、「強い怖れ」だと思います。

人間が信じられなくなると、他者に怖れを抱きます。

そして、自分を守ろうとします。

過剰に自分を守ろうとするあまり、攻撃につながってしまったように思います。




目に視えるものが全てで、死んだら終わりだと思っているのでしょう。

そんな人は、好きなように生きようとします。

富や権力を得ることに快感を覚えるようになります。

地上でしか意味のないものを必死に守ろうとして、利己的な行動を取ってしまいます。




自分の行いに、自然法則が働いていることなど、知る由もありません。

どれくらいの人を苦しませ、悲しませ、人生を狂わせてしまったのかも知りません。

因果律の働きからは、何人たりとも逃れることはできません。

償いが待っているのを知っていたら、恐しくてできるはずはありません。




人間は肉体を超えた存在です。

霊的な存在であり、霊力によって生かされています。

そして霊的につながっています。

国や人種の違いなど、全く関係ありません。




ヒーリングをするたびに、そのことを実感しています。

霊力とは生命力そのものであり、湧き出し、流れて行くものです。

国も人種も関係なく、人だけでなく動物たちにも、ヒーリングの力は届きます。

それは、私たちは霊的な存在であり、目に視えないつながりがあるからです。




霊的な無知により起きるのは、戦争だけではありません。

貧困や飢餓もそうです。

全ての人間は地球を生きている同胞であり、物的に持てる者が持たざる者に分け与える責務があるのを忘れているからです。




世の中で起きている事件もそうです。

自らの命を絶ってしまう人も、後を絶ちません。

この世の人生で終わりではない、乗り越えられない出来事は決して起きない、そして自らの行いに自然法則が働いていることを知っていれば、踏み留まることができたのかもしれません。




世の中をより良くするため、いらぬ苦痛を生まないために、霊的真理を伝えることは、想像している以上に重要だと感じています。

霊界は真理の普及を何より望んでいます。

何故なら、地球の隅々まで真理が行き渡り、実践したのならば、世の中を悩ませている全ての問題は立ちどころに解決するからです。




伝えようとする意志を持ち、それを行動に移さなければ、地上では何も始まりません。

僅かではありますが、このブログを通して伝えられたことに感謝しています。

来年は、霊界に祈りながら、新しい扉を開けてみようと思います。








2022年12月18日日曜日

大切な人を亡くした先輩との会話


私には恩人がいます。

その人は、4学年上の大学の先輩で、同じスタディーグループ(歯科医師の勉強会)に入っています。

私は16年前に行政処分を受けて、3ヶ月間仕事ができなくなりました。

代わりに診療してもらえる先生を探しましたが、なかなか見つかりません。

困っていた時に、その先輩に相談したところ、免許を持っていて主婦をされている奥様を通わせると言ってくれました。

東京から新幹線で1時間以上をかけて来てもらいましたが、窮地にいる私たちを気遣って、無償で診療をして下さいました。

それにより、患者さんは他院へ散逸せずに済み、医院を存続させることができました。

今、仕事ができているのは、先輩ご夫婦のお陰と言っても過言ではありません。



それから、しばらく経ってからです。

奥様が血液のがんになり、入院して治療を受けていると聞きました。

聞いた瞬間、あの時の恩を返すために、ヒーリングをして差し上げようと思いました。

けれども、先輩はアメリカの大学院を卒業し、EBM(科学的根拠のある治療)に特別こだわっている人でした。

証明することのできない、この力の存在をどう受け止めるか心配でしたが、勇気を出して申し出たところ、了承してもらいました。



早速、ヒーリングを行ったところ、痛みが和らいで良く眠ることができたと、奥様からうれしい返答がありました。

しばらく続けて行っていましたが、心労のためでしょう、今度は先輩が脳内出血で倒れてしまい、手術を受けることになりました。

心配した奥様は、ご自分の代わりに先輩をヒーリングして欲しいと連絡がありました。

自分のことより、周りを優先する人でした。



先輩は無事退院して、仕事に復帰しました。

しかし、奥様は病気の進行が止まらず、病状は悪化の一途を辿りました。

一縷の望みをかけて、骨髄移植を受けるためにアメリカに渡りましたが、その先でご家族の願いもむなしく、お亡くなりになりました。

残念で、悔しかったです。

優しく、思いやりがあり、誰からも好かれる人ほど早く逝きやすい、そんな法則のようなものを改めて感じました。



先輩のアメリカ留学を勧めたのは奥様でした。

小さなお子さんもいて大変だったでしょうが、夢を叶える後押しをされていました。

仕事の成功は、奥様がいなければあり得ません。

先輩にとって奥様は、精神的な主柱であると共に、同志であり、親友のような存在だったと思います。

そんな奥様を亡くした先輩の想いは、私には想像も付きません。



大勢のスタッフを抱えた法人の経営者でもある先輩は、休むことなく働かなければいけませんでした。

疲れて家に帰って来ても、優しく迎えてくれる人はいません。

真っ暗な部屋の電気を、溜息をつきながら付ける、先輩の姿が思い浮かびました。

本当におつらかったと思います。



今月の始めに勉強会がありました。

その帰りに先輩と一緒になり、歩きながらこう尋ねました。

「奥様が亡くなって何年経ちますか?」

「もう5年だけど、実は俺、結婚したんだ」

意外な答えにびっくりして、おめでとうございますと言うのを忘れてしまいました。

相手の方も、配偶者との別れがあったそうです。

60歳を越えての再婚に、既に独立しているお子さんたちは強く反対されたようですが、それを押し切ったのは何か理由があるはずです。



先輩は、人があまりしていない経験をしています。

ご両親が拵えた数億円の借金を、ご自分が働いて返済しています。

返済が終わったらアメリカに渡り、日本で初めて専門分野の認定医を取得しました。

そして、東京で最も有名なビルの1つにクリニックを開業しました。

ご自分の力によって、ご自分の人生を切り拓いて来ました。



そして、奥様を亡くされました。

こればっかりは、自分の力でどうすることもできません。

何もする気が起きず、部屋の中でじっと物思いに耽る先輩の姿が思い浮かびます。

変えようがない現実と向き合う中で、何を思っていたのでしょう。



これまでの先輩の生き方を傍で見ていて、こう思うようになったと考えています。

「このままじゃいけない」

現状を変えたいと願った先に、出会いが待っていたと思います。



結婚したと聞いたすぐ後に、奥様のことが思い出されました。

「先輩が脳内出血をした時に、自分ではなく○○(先輩の下の名前)にヒーリングをお願いしますと頼まれました」と話しました。

そして「憎まれっ子、世にはばかるの逆で、奥様みたいな優しい人が早く逝ってしまいます」と言いました。

先輩は「そんなことを言われると涙が出ちゃうじゃないか」と言っていました。



別れを乗り越えたから、結婚することができたと言う人もいるでしょう。

私はそうではないと思います。

乗り越えられない自分をどうにかしたくて、活路を見い出すために、思い切って結婚されたと思いました。

それが先輩らしいのです。



その後、私はこう言っていました。

「奥様は全然許しています」

そのことは、先輩が気にしていたことであり、奥様が伝えたかったことなのかもしれません。

そして「先輩の幸せだけを願っています」と続けました。

1人では何もする気が起きない、先輩らしくない姿を見ていた奥様は、何とかしてやりたいと思っていたのに違いありません。



肉体を失っても、支えてやりたい気持ちは変わりません。

「このままじゃいけない」と思う先輩の気持ちを、奥様はご自分の想いを投げかけることによって、後押しをしていたような気がします。

地上を生きて行くために、必要な人と出会わせ、一緒になるように導いていたのかもしれません。



他の女性と親しくなるのを、傍で見ている奥様が嫉妬をしないのかと思う人もいるでしょう。

幸せを願う純粋な想いに、嫉妬は相容れません。

そんなことに捉わないれ人だからこそ、早く逝くことが許されたと思います。

「○○(先輩の下の名前)を、どうぞよろしくお願いします」と、その女性に想いを送っているような気がします。

先輩らしく生きる姿を見届けたい、その想いだけだと思います。



先輩は、この人生を選択しました。

同じ経験をしても、どのような選択をするのかは人それぞれです。

正しい、間違っているなどありません。

どんな選択をしても、許してくれるでしょう。

許せないような人であれば、早く逝くことも許されないと思います。



信号待ちをしている時、「奥様はいなくなってなんかいません。」と、少し強い口調で言いました。

亡くなって間もない頃に同じことを伝えたのですが、その時と同じように「ありがとう」と返ってきました。

その言葉には「俺もそう思いたいけど、その証拠を見せてもらったわけではないので、お前のように信じることはできないよ」という想いが込められているように感じられました。



魂の存在が信じられなくても、仕方がありません。

けれども、生命の本質は魂です。

魂は不滅です。

これは変えようがない事実なのです。



人は霊的な存在です。

感度の差こそありますが、誰もが霊的な感覚を持っています。

誰かが傍にいるのを、ふと感じる瞬間が、先輩にもあったはずです。

見守られているような感覚もあったはずです。

根拠はないのに、また会えるような気がする時もあったはずです。



想いがある限り、離れ離れになることはありません。

魂と魂で結ばれた人にとって、死は無力です。

魂から生まれる力が愛であり、磁力のようにお互いを引き付けます。

別れていないどころか、奥様にとって先輩は生前よりはるかに身近な存在となっています。



向こうに行くと、地上で学び得たことを活かす生活が始まります。

肉体がなくなり、より一層、誰かのために、何かをしたくなります。

残してきた人が一段落ついたのを見届けると、自分がやりたかったことをするようになります。

今いるのは、想いがことごとく叶えられる世界です。

思う存分、何かをしてあげられることに、奥様は深い悦びを感じているでしょう。



先輩が肉体を失った瞬間、奥様と同じ次元の存在となり、はっきりとその姿が視えるようになります。

そして、満面の笑顔でこんなやり取りをするのかもしれません。

「この日が来るのを、ずっと待ち望んでいた」

「私もよ」

「ところで、何で俺を置いて先に逝ったんだよ。大変な思いをしたんだぞ」

「全部知っているわよ。私がいなくなることが、あなたのために必要だったからなの」

「俺のために必要だった?」

「そう、あなたのためなの。決めていたことなの。悲しんだ分、苦しんだ分、あなたは大きく成長したのよ。神様がいて私たちは同じ方向に導かれているの。」



もしも、そんなやり取りがあったとしたら、そう言えばあの時イクミも同じことを言ってたなと、思い出してくれるのかもしれません。





田坂広志さんと言うビジネススクールの塾長が興味深い話をされています。1時間を超える講演になりますが、お時間が許す方はご覧になって下さい。(字幕は誤字が多いです)

2022年12月11日日曜日

思い通りにならないこの世を生きる


私は歯医者をしていますが、仕事の難しさを感じる時があります。

全力を尽くしても治療が上手く行かないことがあり、思い通りにならないもどかしさを覚えます。

また、患者さんとの意思の疎通が十分に図れていないと、後で問題が生じることがあります。



この世では、思ったことを肉体を働かせて、具現化しています。

けれども、肉体は不完全な媒体であるため、思い通りになるとは限りません。

この世では、思ったことを言葉で伝えています。

伝えてもらわないと人の思いは判らず、伝えないと自分の思いを判ってもらえません。



霊界は思念の世界です。

想い(思念)は肉体を介さずに具現化されます。

この世のように、思い通りにならないことはありません。

想いは相手に直接伝わります。

言葉を交わさなくても、お互いが判り合えています。



そんな快適な世界に別れを告げて、大変なこの世に生まれて来たのは、自分を成長させるために他なりません。



私の仕事の話に戻ります。

治療をする時は、理想とするイメージを頭の中に思い描きます。

手を動かしてイメージの通りに再現しようとしますが、完璧に再現できたと思えたことはありません。

それが私の技術の限界と言えます。



大切なのは、より技術を向上させ、理想に近づけたいと努力することだと考えています。

シルバーバーチの霊訓に、こう書いてあります。

霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。

仕事の技術を向上させることは、より質の高い奉仕につながり、自分を成長させる大切な機会となっているはずです。



仕事で患者さんに人工の歯(冠)を入れています。

私が理想と考えているのは、お口の中で調和が取れていて、自然な歯です。

ところが、患者さんの中には、できるだけ白い歯を希望される人もいます。

どれくらいの白さなのかは、私には判りません。

客観的に知るために、「シェード」とういう器材を用います。

20色あるシェードを歯に当てて、それを患者さんに鏡で見てもらい、希望の白さを選んでもらいます。

この行程を踏むことにより、後で問題になることはありません。

意思の疎通を図るのには労力を伴います。

勇気がいる時もありますが、判り合えるために必要です。

歯の色を決めるためのシェード

私の仕事に限ったことではありません。

例えば、料理もそうではないでしょうか。

美味しい料理を作るのには、腕を磨かなければいけません。

意思の疎通を計り、食べる人の好みを知っておくことも大切です。

生活して行く上で、理想に近づけるために努力が必要なこと、意思の疎通を図らなければならないことは、いくらでもあります。



霊界に行くと、何もしなくても生きて行けます。

けれども、ただ生きているだけでは成長することはできません。

誰かのために、何かをすることで、人は霊的に成長します。

何かをしようとする「意志」が存在しなければ、何も始まらないために、成長することはできません。



霊界と違いこの世では、心の中で思ったことを具現化(表現)するために意志が必要です。

伝えようとするのも、知ろうとするのも、意志が必要です。

精神的、肉体的に労力を要するこの地上的な作業は、意志を培うのに好都合と考えられます。



この世では、自分と違う人と接しながら生きています。

自分の思い通りに人はなりませんし、思い通りにするものでもありません。

自分とは違う他者の生き方や考え方を認めて、協調して生きようとすることで、霊性が発揮されます。



私たちは不完全な存在です。

そのために、過ちを犯したり、失敗をします。

許さなければならない場面に満ち溢れています。

それができなければ、(法則に反した)怒りなどの感情が生まれ、苦しむことになります。

「寛容」という霊性の神髄を、この世で培っています。



人生には計画があります。

その計画に従って、出来事が起きます。

望まない出来事が起きれば、思い通りにならない人生に憤りを感じたり、嘆く人もいるでしょう。



次の世界が、私たちの本来の住処であることを忘れてはいけません。

そこで自分に足りない資質を自覚したのです。

足りない資質は、魂にまで響く体験を通して、身に付けるしか方法はありません。

身に付けた資質は、次の世界で活かされます。



思い通りにならないのがこの世です。

自らの意志を強くし、霊性を高めるために、志願して生まれて来たのです。

何もしなくても生きていられる霊界で、誰かのために何かをすることのできる素養を身に付けるために、この世で相応しい経験をする必要があったのです。






2022年12月4日日曜日

違いを認める


世の中には、自分とそっくりな人が3人いるといると聞いたことがあります。

根拠のない話と思っていましたが、以前、そこにいるはずのない私の姿を見て驚いたと言う人がいました。

もしかしたら、他人のそら似を超えた人が、本当に存在しているのかもしれせん。



死んで霊界に行くと肉体はなくなります。

周りにいるのは、外見ではなく、魂がそっくりな人たち(類魂)です。

同じようなことを想い、互いに判り合えています。

天国と言われる所以がそこにあります。



この世はどうでしょう?

魂がそっくりな人と出会うことは、まずありません。

周りにいるのは、自分と違う人ばかりです。

さまざま相違から、争いが起きることもあります。



どうしてこんな世界に生まれ来たのでしょうか?

判り合えるのが難しいこの世界を生きる中で、学ぶことがあるからだと思います。



霊界では、魂から生じた思念は直ちに具現化されます。

地上で思念は、精神上に作られた地上的な自我(以下自我)で具体化され、肉体によって具現化されます。

無意識下で、その過程を繰り返しながら、人生は営まれています。



自我は、肉体と密接な関係にあります。

自我は、より安全で快適な生き方を志向しています。

そのために、自分と違う人が周りにいると防御的になり、不安や怖れを感じることがあります。



魂の様相は自我(精神)に反映され、性格となって顕れています。

よって、魂が似ていなければ、性格も似ていることはありません。

性格はその人の個性です。

さまざまな魂がいる地上では、多様な個性が生まれることになります。



自分と違う人に出会い、不安や怖れを抱いた時に、自我の働きによって、その人から遠ざかろうとします。

中には、遠ざかるのではなく、安心を得るために、対象となる人を変えようとする人がいます。

言動によって無理に変えようとすれば、軋轢が生じます。



親が子に、こう変わって欲しいといくら頑張っても、なかなか変わるものではありません。

変わったとしても、自我(精神)の一部と考えられます。

魂は、自らの意志、経験によって変わって行きます。



正当性を主張し、間違いを改めるように要求するとどうなるでしょう?

客観的に間違いを証明できるものであれば、もしかしたら改めるかもしれません。

けれども、証明できないようなこともたくさん存在し、その場合は争いになる時があります。



例えばですが、ある事故がきたとします。

当事者の1人は、相手(加害者)を許すことができません。

もう1人は、許すことができます。

許せる人を見て、許せない人は「許すな」と、主張するかもしれません。

許せない人を見て、許せる人は「許してやれ」と、主張するもしれません。

このようなことは、どちらが正しい、間違っていると証明できるようなものではありません。

両者の違いは、魂の違いに根差していると考えられ、自分の思う通りに相手を変えようとしても、無駄な努力に終わります。



                              

相手を変えようとするのは、自我の働きに他なりません。

自我の働きにより出た言動に、相手の自我は反応し、その働きがより強くなります。

自我により防御されて、相手の心(魂)に届くことはありません。

魂から生じた想いを伝えれば、自我は反応せずに、相手の魂に届くかもしれません。

その想いが愛に基づくものであれば、自らの力で、魂は変わって行くかもしれません。



相手を変えるのは困難です。

違いを認められる自分に変わるしかありません。

そうしない限り、不安や怖れや怒りは解消されないでしょう。



自分と違う人たちと接しながら生きるのが地上です。

自我の働きを鎮めて、違いを認め合うことが求められています。

認め合わなければ、傷つけ合うことになり、痛みを経験することになるかもしれません。

痛みを経験することで、認め合うことの大切さを学ぶことになりますが、その前に気付くのに越したことはありません。



同じになろうとする必要はありませんが、同じにさせようとするのも間違っています。

自分しか変えることはできません。

変えるのが難しいと感じたのなら、変われるように祈れば良いのです。

その祈りが、神の心を表現し、魂の成長につながるものであれば、叶えられるはずです。



相手を認められるようになると、相手から認められるようになります。

信じられるようになると、信じてもらえるようになります。

自然法則(因果律)はそのように働いています。



認めること、信じることは、神性の表れです。

認め合い、信じ合うことなしに、人(魂)と人(魂)はつながることはできません。

つながることなしに、愛し合うことできません。

神の意志の通りに、霊的に1つになって行くことは叶いません。



物しか視えないこの世界で、目に視えない大切なものを見つけ出すために、地上に生まれて来たと考えられます。

そのために、さまざまな出来事を経験することになります。

苦しみ、悲しみの極みで、眠っていた魂が目覚めます。

目覚めた魂が、それまで視えなかった大切なものを見つけ出します。



見つけたものは、かけがえのない財産となります。

死んで持っていけるのはそれだけです。

生まれる前より魂が豊かになり、霊界においてより自分を活かせるようになっています。




2022年11月27日日曜日

神性を信じる

霊界と地上の違いは何でしょう?

たくさんありますが、霊界では周りに自分と似通った人たちしかいないのに対して、地上では自分と違う人たちに囲まれている点を私は挙げます。 

もう1つは、霊界では想ったことが直ぐに相手に伝わるのに対して、地上では伝えようとしなければ伝えられない点です。



地上では、自分とは違う生き方や考え方の人たちと接しながら生活をしています。

そんなことから、相手のことを理解できなかったり、自分のことを理解してもらえなかったりします。

また、何かを伝える時には、心の中にあるものを言葉に変換して、身体を使って表現しなければいけません。

言葉という媒体を介しているので、完全に伝えるのは不可能です。

たとえ上手く伝えられたとしても、相手に受け入れてもらえるとは限りません。

わかり合えるのが難しい世界に生きていると言えます。



私も時々失敗をします。

相手はこれを望んでいるだろうと思い行動すると違っていることがあり、意思の疎通が十分に取れていなかったと反省することがあります。

コミュニケーションをしなければわかり合えない世界にいることを忘れてはいけません。



今は、メールなどでコミュニケーションをすることが多くなっています。

文字だけでは、細かな想いや考えまで伝えられません。

便利にはなりましたが、意思の疎通は以前より難しくなっているように感じられます。



意思の疎通が取れなければ、相手を理解することはできません。

相手の意図が理解できないまま、自分に不利益な行動をされたらどうでしょう?

「どうしてこんなことをするのだろう?」と思います。

そんな時、地上的な自我(以下エゴ)が働き出すかもしれません。



エゴは自分を中心に考えます。

自分の思っている通りにならなかったり、考えていた行動を相手がしなかったりすると憤りが生まれる時がありますが、それはエゴの働きによるものです。

その感情をぶつけてしまうと、因果律の働きにより、相手から同じような感情が返って来る可能性があります。

するとエゴの働きがさらに強くなり、より強い感情をぶつけてしまうかもしれません。

些細なことからエゴの働きが徐々に強くなり、争いに発展してしまうことも、決して少なくありません。



そうならないために、どうすれば良いのでしょうか?

相手の意図が理解できなかったとしても、信じる必要があります。

そんな簡単には、人を信じられないと言う人もいるでしょう。

騙されたり、裏切られたりした経験のある人ならばなおさらです。



地上では、魂(本質)が肉体に隠されています。

本性は判らなくなり、嘘や裏表などが存在するようになります。

なので、信じられずに警戒をしてしまうのも、仕方がないような気もします。

それでも、信じようとしなければ、好ましい方向に向かって行くことはありません。




宇宙は神が顕現したものです。

私たち人間も、宇宙の極小の一部です。

神の心(神性)を表現しようとする存在です。

けれども、(表現媒体が)未熟なために、利己的になったり、嘘を付いたり、過ちを犯したりして、神の心とは程遠いことを表現しています。



地上では神性が表現されている人と、そうでない人がいますが、どんな人にも神が宿っているのは確かです。

神が宿っているからこそ、人を助けようとしたり、世の中のために役に立とうと思う気持ちが生まれます。



相手の神性を意識するようにしましょう。

エゴに意識を向けてしまうと、自分のエゴの働きも強くなり、好ましくない感情に支配されることになります。

被害妄想的になり、時に怒りが生じ、それが憎しみへと変わって行くかもしれません

相手の神性を信じることで、霊的な意識が強くなると同時にエゴの働きは弱くなり、良い方向へと向かうはずです。



信じなければ、接点は生まれません。

接点がなければ、互いを知ることができません。

お互い知ることができなければ、認め合うことはできません。

もちろん、許すことなどできません。



今、起きている戦争は、相手のことを許せなくなっています。

ひどいことをしておいて、許すことなど到底できないと言うでしょう。

許せないようなことをする人は、自分に宿っている神に裁かれ、相応の報いを受けることになります。

エゴに意識を向けるのではなく、神が宿っていると強く信じることで、許す方向へと向かって行くはずです。



自分にも神は宿っています。

どんな状況に置かれたとしても、相手を信じることは可能です。

なぜなら、神は信じることを望んでいるからです。

信じることなしに、神の心が表現されることはないからです。



多くの怖れ、不安、怒りが、信じられないことから生まれています。

相手にも神が宿っている、そして自分にも神が宿っていると信じることで、エゴの働きが抑えられ、それらの感情は鎮まって行くはずです。



霊界と違って、地上は完全に判り合えない世界です。

そんな世界に生きているからこそ、信じることが必要になります。

信じることで、物的な障壁が取り除かれて、人と人はつながることができます。

そのつながりを通して愛が行き渡り、神の意図した通りに、私たちは1つになることができます。










2022年11月20日日曜日

苦しみが変化をもたらす


先天性無痛無汗症という病気があります。

名前の通り、痛みを感じず、汗もかかない遺伝性の疾患です。

身体に痛みを感じないのであれば、良いことじゃないかと考える人もいるでしょう。

ところが、そのことが命に関わります。

事故などで大きな傷を負ったとしても、痛みを感じなければ、自分に何が起きているのか判らず、出血死してしまうかもしれません。

私は歯医者をしていますが、痛みを感じなければ虫歯になっても気付かず、放置されてボロボロになってしまう可能性があります。

痛みは誰もが感じたくないものです。

けれども、身体の異常を知らせるために、なくてはならないものです。



痛みを感じるのは肉体だけではありません。

精神(心)も痛みを感じます。

傷つくことを言われれば、心に痛みを感じます。



病気になり苦痛が生じているのは、何か原因があるからです。

同じように、何か自分に原因があって、精神的な苦痛が生じることがあります。



全ての行為に、自然法則(以下法則)が働いています。

法則に反した振る舞いをすると、苦痛を味わうことがあります。

たとえばわがままな言動をした時です。



神の心は愛です。

その心が、法則に反映されています。

わがままな言動は利己的な行為であり、神の心(愛)に反しています。



人の心には、良心と言われる神が宿っています。

わがままな言動をすると、咎められたり、仲間外れにされることがありますが、それは他者の心の中にある神の部分が反応しているからです。

法則の働きによって、苦痛として自分に返って来ると、慎むようになります。

意識する、しないに関わらず、地上にいる私たちは心身に感じる苦痛を通して、法則の働きを学んでいます。



もし、苦痛を感じなければどうでしょう。

怪我や病気が見過ごされてしまうように、法則に反した行いをしても気付くことはありません。

「嘘は泥棒の始まり」と言われますが、知らないうちに大きな過ちへとつながって行く可能性があります。



このように、地上における苦しみや痛みは、神の心(法則)に適った生き方や考え方をするように、現状から変化することを促していると考えられます。

けれども、変化することに抵抗するものがあります。

地上的な自我(エゴ)です。

エゴは肉体と密接に関連しています。

そのために、安全で楽な方向を指向し、変化をすることを好みません。



自分の未熟さを指摘されて、プライドが傷つけられ、憤りが生じることがあります。

それもエゴの働きによるものです。

苦しみや痛みを感じると、無意識に自分を変えようとしますが、エゴが正当化する言い訳を見つけると、変わるのを妨げてしまいます。



世の中には、周りが変わるのを期待したり、強要する人がいます。

そんな人ほど、自分を変えようとしないものです。

自分が変わらずに、周りを変えようとする行為はエゴの働きによるものであり、法則に反しているので上手く行きません。

エゴから出たものは、相手のエゴを呼び覚まします。

苦しみや痛みを伴う結果として、結局は自分に返って来ます。

人だけではなく、国家にも同じことが言えます。

今、起きている戦争も、周りを力により変えようとするエゴが原因で起きているような気がします。

苦痛となって、自らに返って来ることになります。



相手の言葉が神の部分(良心)から発せられたものであれば、自分の神の部分(良心)に響きます。

苦しみや痛みを感じる時もあるかもしれませんが、真摯に受け止めるべきです。

受け止められずに正当化している自分がいたとしたら、それはエゴの働きによるものです。




勢い良く流れる川の中で、立ち止まっているのは大変です。

法則の働きは、川の水の流れのようなものです。

留まっているのを困難にさせ、自然の流れに従うことを促しています。

頑なに従わなければ、(法則に逆らっているので)苦しみや痛みが続いてしまいます。



私たちは、神の力である生命力によって生かされています。

その力は、私たちを変容させる力でもあります。

その触媒として、苦しみや痛みが存在していると考えられます。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「ある段階以上に進化をすると(中略)苦しみを感じず、幸せを感じるようになります。難しいことですが真実です。苦しみを何とも思わない段階まで達すると、どんな環境にも影響されなくなります。」

何度生まれ変われば、そのような境涯に達するのかは判りませんが、苦しみは魂の進化(成長)と密接不可分の関係にあるのは確かです。



霊訓には「乗り越えられない困難は与えられない」と書かれています。

もしかしたら「乗り越える」とは「変わる」ことなのかもしれません。

自分の中で何かが変わった瞬間、苦しみや痛みが和らいでいるのかもしれません。

苦しみや痛みが魂を成長させ、自分を変えるために存在しているのであれば、当然そうなります。



変わるために、勇気や意志が必要な時があります。

それこそが、この世の経験を通して、私たちが高めている資質と考えられます。

私たちが死後に赴く霊界は、思念の世界です。

勇気や意志がなければ、何も始まらない世界です。

高められた資質は、取り巻く環境を良い方向に変えて行くために、如何なく発揮されることになります。



霊界は、地上のような苦しみや痛みや悲しみが取り払われています。

極めて居心地が良いのですが、自力で自分を変えるのには困難な世界です。

自分を大きく変えるために、苦しみや痛みや悲しみを経験することのできる地上に、自らが志願して生まれて来たと考えられます。






2022年11月13日日曜日

人生は続いている


人は死後も生き続けます。

残念ながら、そのことを客観的に証明する手段はありません。

今は、それで良いと思っています。



人は成長するために生きています。

楽しいだけの人生では成長は叶いません。

困難や障害を乗り越える中、他者への奉仕をする中で、人は成長して行きます。



地上の人生には、学び成長するためのシナリオがあります。

シナリオに沿って、さまざまな出来事が起きます。

あまりのつらさに、現実から逃げたくなるような出来事も起こります。



そんな時に、あの世があることが証明されていたらどうでしょう?

現実から逃れて、そちらに行ってしまう人が続出してしまうような気がします。



人の寿命は予め決められています。

その時が来るまで、生き続けなければいけません。

自分の行為には、法則が働いています。

自らの意思で地上の人生を中断してしまう行為は、法則に反しているので許されません。



私たちは、肉体を携えた魂(霊)です。

肉体が有する五感以外に、霊的な感覚も持ち合わせています。

けれども、五感から入る情報が圧倒的に多いために、霊的な感覚から入る情報に気付きにくくなっています。



霊的な感覚が弱くなっている地上の人の多くは、視えている世界が全てだと思っています。

それは事実誤認です。

肉体を失った後に待ち受けている世界が、私たちの本来の住処です。



本来の住処を離れて、この地上に生まれて来たのは偶然ではありません。

明確な目的があってのことです。

しかし、生まれる前のことは、意図があって思い出せないようになっています。



この世が全てと思い、感情に捉われて苦しい思いをしている人がいます。

(出来事が起きて)自分はもう終わったと嘆く人もいるでしょう。

理不尽さに憤りを覚える人もいるでしょう。

運命を呪う人もいるでしょう。

人を妬んでしまう人もいるでしょう。

それらの感情は、適切な知識がないために生じています。

この人生で終わりではありません。

計画された通りに出来事が起きています。



お金や地位や名誉と言った地上的なものに捉われ、大切なものを見失っている人は少なくありません。

捉われたまま、あの世に行く人もいます。

死んだ後に、この世の人生を振り返る時が来ますが、そんな人は、成長に乏しい意味のない人生だったことに気付いて愕然とします。



今度は成長すると誓って、再び地上に生まれて来ることになるでしょう。

成長するためには、大切なものを自分で見い出さなければいけません。

見い出すための出来事が組み込まれた人生のシナリオが立案され、相応しい環境に生まれることになります。



当初は、前生と何も変わっていません。

再び地上的なものを追い求めることになりますが、多くを手に入れ有頂天になっている時に因果律が作動して、予定されていた出来事が起こります。

その出来事は病気かもしれません。

生命を脅かすような病気になれば、これまで必死に追い求めていたものは何の役にも立たず、意味がないことに気付きます。

不安や孤独に襲われている時に、勇気付けられたり、励まされたら、生きる力が湧いて来るでしょう。

心身が弱っている時に、優しく介抱してもらえれば心が安らぎます。

経験を通して、大切なものに気付くことになります。



病気になり、生き方が大きく変わった人がいます。

そんな人は、魂が目覚めて、目に視えない大切なものに気付いたと思います。

病気になって大切なものに気付いたのではなく、大切なものに気付くために病気になったと考えられます。

最悪のタイミングで最悪の出来事が起きたように見えて、霊的には最善のタイミングで最善の出来事が起きています。



物語の1つの章を読んだだけでは、内容を理解することはできません。

前の章から通して読んで、初めて内容を理解することができます。

私たちが認識しているのは、物心がついてから現在までの自分です。

このわずかな期間で全てを判断しようとするのは、1つの章だけを読んで物語全体を理解しようとするのと同じです。




偶然としか思えない出来事は、生まれる前に原因(目的)があったのかもしれません。

原因が判った方が納得しますが、死後の生が証明されないのと同じで、成長にとって有益でないために、知らされないと考えられます。

たとえ知らされたとしても、自尊心が傷つけられるのを嫌い、都合の良いことしか信じないのであれば、受け入れるのは困難です。



霊的に大切なことは、頭で理解するものではありません。

魂にまで響く出来事を経験して、魂が得心するものであり、そこから新たな成長が始まります。

そして、この世の先に待ち受けている世界で活かされることになります。







2022年11月6日日曜日

あの世で成長するために


自分の想いを伝える時はどうしているのでしょうか?

当たり前ですが、言葉にして相手に伝えています。

霊界に行くと、肉体はなくなります。

思念(想い)は言葉と言う媒体を介さずに、直接魂に伝わるようになります。

地上は、精神と肉体を働かせて、自分の想いを言葉に変換しなければいけない、煩わしい世界なのです。




人から発せられる言葉の本質は、言葉そのものではありません。

そこに内在している概念や想いです。




人間も全く同じです。

人間の本質は、目に視える肉体そのものではなく、内在している魂です。



地上に生まれた目的は、魂(自分)を成長させるためです。

困難や障害を乗り越えて行くことで、魂は成長して行きます。



地上の人生には、魂を成長させるためのおよそのシナリオがあります。

それに沿って出来事が起こりますが、その多くは苦しみや悲しみを伴います。


普段、運動をしていない人が10キロを走るとどうなるでしょう?

疲労困憊してしまい、途中であきらめてしまうかもしれません。

それでも、毎日走っていれば、走れるようになると思います。

筋力や心肺機能や持久力が増して、身体が変わって来るからです。



苦しみもそうかもしれません。

苦しみは心で感じています。

苦しみは魂に働きかけ、内面の変化を促しています。

自分の中で何かが変わると、苦しみが和らぐと思います。



変わる力が、感情に転化されてしまう時があります。

病気になり、自分の運命を呪ったりすると、変わることができずに、苦しみが続いてしまうかもしれません。

自分が変わるために、病気になった可能性があります。

言葉にできない何かに気付いて、自分が変わった時に、病気が癒されているかもしれません。

変わった時に、その出来事を乗り越えているのかもしれません。



人はなぜ、苦しみを乗り越えて行かなければならないのでしょうか?

私たちの本来の住処は霊界です。

そこは思念の世界です。

地上のような苦難や障害が取り払われていて、自分のペースでゆっくりと歩んで行けます。



一方、地上ではさまざまな出来事が起きます。

歩くわけには行かなくなり、全力で走らなければならない時もあります。

肉体の鍛錬になるのは、歩くよりも走る方です。

それと同じで、肉体的、精神的に負荷がかかる地上の方が、魂を鍛錬するのに適しています。

苦難や障害はつらいものです。

逃げたくなる気持ちを抑えて、もがき苦しむ中で、少しずつ魂は強くなって行きます。



何かをやろうとする時に意志が必要なのは、地上も霊界も変わりありません。

ただ、地上では、実行するには肉体的、精神的労力を必要とし、危険も伴います。

たとえば、人が溺れていたとします。

助けるためには、肉体を使って行動しなければならず、自分が溺れてしまう怖れもあります。

それに打ち克ち、助けるためには、相応の意志が必要となります。

地上ではさまざまな出来事に遭遇しますが、それに対処して行くことで、少しずつ意志が強くなって行くと考えられます。



霊界では、地上的な苦難や障害が取り払われています。

そこで成長して行くためには、他者に愛を表現しなければいけません。

霊界において意志とは表現そのものです。

どんなに愛を秘めた魂であっても、意志がなければ表現されず、成長は叶いません。

魂を鍛錬して、意志を培うのも、地上に生まれる目的の1つと考えられます。



霊界で行われていることは、ヒーリングをする時に実感できます。

ヒーリングの力を伝えるには、初めに意志のようなものが必要です。

自分の意志によりつながりが生じます。

そのつながりを通して力が伝わります。

相手のことを想う気持ち(意志)が強いほど、流れる力も強くなるように感じられます。



奉仕することで霊性が高められます。

苦難や障害を乗り越えることで意志が強くなります。

地上でさまざま経験をして霊界に戻ると、より高く、強い愛を表現できるようになっています。



つらかった経験ほど、自分を大きく成長させていたことに気付きます。

全てが報われていることを知り、背後に感じる途轍もなく大きな存在に、思わず感謝するでしょう。


Arp248  出典NASA