2022年12月4日日曜日

違いを認める


世の中には、自分とそっくりな人が3人いるといると聞いたことがあります。

根拠のない話と思っていましたが、以前、そこにいるはずのない私の姿を見て驚いたと言う人がいました。

もしかしたら、他人のそら似を超えた人が、本当に存在しているのかもしれせん。



死んで霊界に行くと肉体はなくなります。

周りにいるのは、外見ではなく、魂がそっくりな人たち(類魂)です。

同じようなことを想い、互いに判り合えています。

天国と言われる所以がそこにあります。



この世はどうでしょう?

魂がそっくりな人と出会うことは、まずありません。

周りにいるのは、自分と違う人ばかりです。

さまざま相違から、争いが起きることもあります。



どうしてこんな世界に生まれ来たのでしょうか?

判り合えるのが難しいこの世界を生きる中で、学ぶことがあるからだと思います。



霊界では、魂から生じた思念は直ちに具現化されます。

地上で思念は、精神上に作られた地上的な自我(以下自我)で具体化され、肉体によって具現化されます。

無意識下で、その過程を繰り返しながら、人生は営まれています。



自我は、肉体と密接な関係にあります。

自我は、より安全で快適な生き方を志向しています。

そのために、自分と違う人が周りにいると防御的になり、不安や怖れを感じることがあります。



魂の様相は自我(精神)に反映され、性格となって顕れています。

よって、魂が似ていなければ、性格も似ていることはありません。

性格はその人の個性です。

さまざまな魂がいる地上では、多様な個性が生まれることになります。



自分と違う人に出会い、不安や怖れを抱いた時に、自我の働きによって、その人から遠ざかろうとします。

中には、遠ざかるのではなく、安心を得るために、対象となる人を変えようとする人がいます。

言動によって無理に変えようとすれば、軋轢が生じます。



親が子に、こう変わって欲しいといくら頑張っても、なかなか変わるものではありません。

変わったとしても、自我(精神)の一部と考えられます。

魂は、自らの意志、経験によって変わって行きます。



正当性を主張し、間違いを改めるように要求するとどうなるでしょう?

客観的に間違いを証明できるものであれば、もしかしたら改めるかもしれません。

けれども、証明できないようなこともたくさん存在し、その場合は争いになる時があります。



例えばですが、ある事故がきたとします。

当事者の1人は、相手(加害者)を許すことができません。

もう1人は、許すことができます。

許せる人を見て、許せない人は「許すな」と、主張するかもしれません。

許せない人を見て、許せる人は「許してやれ」と、主張するもしれません。

このようなことは、どちらが正しい、間違っていると証明できるようなものではありません。

両者の違いは、魂の違いに根差していると考えられ、自分の思う通りに相手を変えようとしても、無駄な努力に終わります。



                              

相手を変えようとするのは、自我の働きに他なりません。

自我の働きにより出た言動に、相手の自我は反応し、その働きがより強くなります。

自我により防御されて、相手の心(魂)に届くことはありません。

魂から生じた想いを伝えれば、自我は反応せずに、相手の魂に届くかもしれません。

その想いが愛に基づくものであれば、自らの力で、魂は変わって行くかもしれません。



相手を変えるのは困難です。

違いを認められる自分に変わるしかありません。

そうしない限り、不安や怖れや怒りは解消されないでしょう。



自分と違う人たちと接しながら生きるのが地上です。

自我の働きを鎮めて、違いを認め合うことが求められています。

認め合わなければ、傷つけ合うことになり、痛みを経験することになるかもしれません。

痛みを経験することで、認め合うことの大切さを学ぶことになりますが、その前に気付くのに越したことはありません。



同じになろうとする必要はありませんが、同じにさせようとするのも間違っています。

自分しか変えることはできません。

変えるのが難しいと感じたのなら、変われるように祈れば良いのです。

その祈りが、神の心を表現し、魂の成長につながるものであれば、叶えられるはずです。



相手を認められるようになると、相手から認められるようになります。

信じられるようになると、信じてもらえるようになります。

自然法則(因果律)はそのように働いています。



認めること、信じることは、神性の表れです。

認め合い、信じ合うことなしに、人(魂)と人(魂)はつながることはできません。

つながることなしに、愛し合うことできません。

神の意志の通りに、霊的に1つになって行くことは叶いません。



物しか視えないこの世界で、目に視えない大切なものを見つけ出すために、地上に生まれて来たと考えられます。

そのために、さまざまな出来事を経験することになります。

苦しみ、悲しみの極みで、眠っていた魂が目覚めます。

目覚めた魂が、それまで視えなかった大切なものを見つけ出します。



見つけたものは、かけがえのない財産となります。

死んで持っていけるのはそれだけです。

生まれる前より魂が豊かになり、霊界においてより自分を活かせるようになっています。