2017年10月14日土曜日

自分を信じる



この世を生きていて、とてもつらく感じることがあります。

それは、人に信じてもらえないことです。

赤の他人であれば、それほどでもないのですが、親しい人であれば、かなり堪えます。



親しい人に信じてもらえないのは、悲しいことですが、自分にとって一番親しい人は誰でしょう?

それは、自分自身です。

自分自身を信じられないのは、とても悲しいことです。



人生では、いろいろな難しい局面に遭遇します。

自分が信じられるか、そうでないかで、進んで行く方向が大きく変わってしまうことが数多くあります。

自分が信じられなくなってしまうと、不安や心配にかられて、安全、無難な方向に進んでしまうことが多いです。

そちらの方向に進んで行くのは、一見すると賢明な選択に思えて、実は成長する機会を1つ失っているのかもしれません。



自分が信じられる、信じられないと言うのは、どのようなことなのでしょう?

自分には大きく分けて、2つの自分がいます。

1つの自分は、本当の自分、真の自分であり、事象を感識し、意志決定をしています。

幼い時には、本当の自分が前面に出て生きています。

しかし、大人になるのに従い、もう1つの自分、この世で生きるための自分(以下この世の自分)を作り上げて行きます。

どうして、もう1つの自分を作り上げて行くのかと言えば、本当の自分を表現するために、この世では必要だからです。

また、あらゆる侵襲から、本当の自分に危害が加わらないようにするためです。

本当の自分を守るための、バリアと言って良いのかもしれません。

失敗するのを怖れ、恥をかくのを怖れ、時に見栄を張ったり、嘘を付いてしまうのも、この世の自分です。

目先の利益に捉われ、大切なものが見えなくなってしまうのも、この世の自分がいるためです。



この世の自分は、精神上に作り上げられています。

ところで、精神はどこから生まれるのでしょうか?

精神は脳から生まれるという科学的根拠は、どこにもありません。

唯物的な科学では、実体をつかめていないのが現実です。

脳は、この世の事象を知覚し、本当の自分に伝達するためにあります。

そして本当の自分から生じた思念を具現化するために、肉体の司令塔の役割をしています。

もちろん、文字を介して事務的な計算や会話を行っているのも、脳の働きによるものです。



1つの生命の中に、2つの次元を異にした自分がいると言って良いのかもしれません。

自分の思念を、周囲の状況に合わせて、効率良く表現するために、この世の自分を作り上げて行きますが、この世を上手く生きよう、過剰に自分を守ろうとすると、強固に作り上げてしまい、本当の自分が埋没してしまいます。

そして、この世の自分が、本当の自分だと錯覚してしまうようになります。



なぜ、そうなってしまってはいけないのでしょうか?

本当の自分が埋没してしまうと、予定されていた成長が得られなくなるからです。

成長するために存在する、人生のシナリオを知っているのは、本当の自分だからです。

意識に上りませんが、本当の自分は、するべきこと、なすべきことが判っていて、自分を信じることで、予め決めていた方向に進んで行くことが出来ます。

本当の自分が主導権を握っていれば、直感に従って、予定されていた自分の人生を歩むことが出来ますが、この世の自分が主導権を握ると頭脳で考えてしまうために、シナリオから外れてしまう可能性があります。



この世の自分は、本当の自分を表現するためにあるのですが、一人歩きを始めてしまうと、逆に表現の妨げになってしまいます。

両者の間に不一致が起こり、乖離してくると、生命体に不調和が生じてきます。

霊から精神、精神からと肉体へ行き渡る生命力の循環に障害が生じて、心身に病気として現れるかもしれません。



自信が持てないのは、この世で作り上げた自分が不安や否定的な考えを創作して、成長しようとする(本当の自分の)思念に対抗している状態です。

本当の自分の思念に、素直に従って行動すれば、(生命)力が供給されて、目的が成就されて行くはずです。

しかし、不安や心配や怖れがあると、十分な(生命)力が受け取れなくなってしまいます。

自分を強く信じて「必ず上手く行く」と言い聞かせることで、否定的な考えは退けられ、十分な生命力を受け取ることができ、前向きな気持ちとなり進んで行けます。



自分を信じるとは、本当の自分を信じることです。

自分が信じられないのは、この世の自分が身を守るために、適当な理由を付けて、本当の自分の思念を阻もうとしているからです。

この世の自分から生じている考えを識別し、時には耳を貸さないようにすることも必要です。

思念は具現化する力です。

その気になりさえすれば、地上を変化させる力となって、目的を成就できるはずです。



本当の自分とは魂です。

私たちの本質です。

肉体は、魂を表現する媒体に過ぎません。

生命力の始源は、神と言われる存在です。

魂は神によって創造された、神の一部であるため、私たちは神と結ばれています。

神から、いくらでも生命力を受け取ることが出来るはずです。



神は自分の一部である魂に生命力を与え、自らの心を表現しようとしています。

別の言い方をすれば、魂には神の心を表現しようとする、根源的な欲求が潜在しています。

魂には、ふさわしい表現媒体が与えられますが、地上の人間は魂が未発達なため、表現が大幅に制限された肉体が与えらています。

神の心と、かけ離れたものにならないように、きわめて鈍重な肉体が与えられ、表現を制限していると言えるのかもしれません。

さらに、魂の表現に制限を与えているのが、この世の自分です。

肉体とこの世の自分によって、魂(本当の自分)の表現が制限されていますが、成長して行くのに従い、神の心がより表現できるようになると、媒体と自我の束縛から、徐々に解放されて行きます。

それが人の進化であり、より進化して行けば、自我は必要なくなり、純粋な魂の表現により生きて行くようになると考えられますが、ずっと先のようです。



この世では、魂を表現するために自我を作り上げているのですが、その自我が大きくなってしまい表現が妨げられていることがあります。

また、現実的な生活に追われて霊的な意識が低下してしまうと、自我のみが意識されるようになってしまいます。

魂に目覚めるとは、この世の自我から本当の自分に意識の焦点が移行した瞬間を指すと思います。



自我が大きくなり過ぎて、そして霊的な意識が低下すると、さまざまな問題が生じます。

自我はその性質上、自己防衛的になりやすく、他者との調和や融和を妨げてしまいやすいです。

また、霊的な意識が低下すると、唯物的になりやすく、利己的な考えに陥りやすいです。

戦争は、過った自由意思の行使により起こりますが、それは霊性の低下と言うよりも、自我の暴走によるものが多いのかもしれません。

貧困は、霊的な意識の欠如により、自分の欲望だけを満足させようとする利己的な考えが、世の中を支配している結果だと考えられます。



自分には、2つの自分が存在します。

この世だけに存在する自分と、永遠に存在する本当の自分です。

自分を信じることにより、本当の自分が発現するのを促します。

本当の自分は、高次の世界から見守っている存在から、援助の力を受け取っています。

そして神とつながっているため、物事を成就して行く力を受け取ることが出来ます。

外からと内からの力の恩恵にあずかれるかどうかは、自分を信じられるかどうかにかかっています。