2017年8月6日日曜日

この世の苦しみの意味



子供の時、学校にはいろんな子がいました。

勉強ができる子、走るのが速い子、野球が上手い子、歌うのが得意な子など、自分より秀でた面を持っている子がたくさんいました。

また、親切な子、正義感が強い子、面倒見の良い子、意地悪な子、嘘をつく子など、さまざまな個性や特徴を持った子にも会いました。

そんな子と、友達になって遊んだり、時にケンカをしたりしました。

わがままや嘘を言ったりすると、仲間はずれにされました。

困っていたら、助けてくれたこともありました。

競い合ったりもしました。

自分と考えが違うの子がいても、学年が上がるに従い、認められるようになりました。

もまれながら、1番大きく成長していたように思います。



この世は学校と良く言われます。

生きていると、自分にはない面を持った人、欠けている面がある人、色んな人に出会います。

出会いたかった人もいれば、できれば出会いたくなかった人もいます。

そんな人たちに囲まれながら、生きて行かなければいけません。

生きて行くための智恵を、少しずつ学んでいると思います。

人生は、さまざまな出来事が起こります。

うれしい出来事もあれば、悲しい出来事もあります。

つらい出来事もあれば、楽しい出来事もあります。

うれしい出来事や楽しい出来事ばかりであれば良いのですが、そうは行きません。

でも、後になって考えてみると、出来れば避けたい出来事の方が、何か大切なものを学んでいるような気がします。

やはりこの世は、子供の時の学校と同じ様に、知識を吸収し、人や社会にもまれ、さまざまな出来事を経験しながら、何かを学ぶためにある学校なのかもしれません。



霊的な知識が増えるのに従い、死んだ後に行くあの世はどんな世界なのか、少しずつ判るようになってきました。

この世の苦痛から解放された世界です。

食べるために働く必要もありません。

苦手な人と会うこともありません。

肉体がないので、もちろん病気にもなりません。

自分の想ったことが、直ちに具現化されます。

何もかもが快適な世界です。



そんな快適な世界から、苦しみや痛みのあるこの世に、人はなぜ生まれてくるのでしょうか?

しかも、強制的ではなく、自発的に生まれて来ると言われています。



この世に生まれてくる目的はただ1つであり、自分(魂)を成長させるためです。

自分に足りない面を補うためです。



この世ではなく、快適なあの世で学びながら成長できればと、つい考えてしまいますが、そんな訳にはいかないようです。

あの世は、この世と違い、同じレベルの人(魂)が集まって暮らしています。

本質が似ているので、想うこと、考えることもほぼ同じです。

そのため、争いも、競争も生まれません。

皆、平和に過ごしています。

人は、降りかかる困難や障害を乗り越えて行くことで、成長します。

何もかもが快適なあの世では、困難や障害が生じ難く、魂を大きく成長させることは難しいようです。



魂を成長させるのは、人の定めのようです。

自分を大きく成長させるために、覚悟をしてこの世に生まれて来るようです。

けれども、自ら進んで困難の中に飛び込んで行ける人は、極めて少ないと思われます。

そこで、魂を成長をさせるためのシナリオが用意されます。

そのシナリオに沿って、困難や障害が生じるようになっています。

この世に生まれて来る限り、困難や障害のない人生はあり得ないと言うことになります。

どんなに苦しくても、自分が大きく成長し、足りない面を補うために、最も適した人生を送っているはずです。



人は生きていくのが苦しくなるような困難や障害に出会うと、思わず逃げ出したくなります。

しかし、その気持ちを抑えて、何とか生きて行くことで、魂は大きく成長しています。

生まれる前の自分は、逃げ出したくなるような困難や障害が、自分が成長するために起きることを承知していました。

それが神の計らいにより、記憶から消されました。

もし記憶していれば、途中で逃げ出してしまう人がいるからです。

不幸になったのではなく、この世に生まれた目的を成就しようとしています。

乗り越えられる困難しか与えられないと、良く言われますがそれは正しく、自分が乗り越えられると判断した困難なので、必ず乗り越えられるはずです。



困難や障害に出会った時に1番大切なこと、それは逃げ出さず、正面から立ち向かうことです。

自分(魂)に正直になることです。

何故、自分に正直に生きないといけないのでしょうか?

後で後悔することになるからです。

どうして後悔するのでしょうか?

死んだ後に、振り返る時が来るからです。

この世に生まれてから死ぬまでの間、どんなことを想い、どんなことを言い、どんな行いをしたのか、全人生がスクリーンのようなものに映し出され、それを見せられるからです。

正直になれず、嘘をついている自分を見て、後悔するからです。



このブログにも書きましたが、10年以上前に、今までに経験したことない出来事が私に起きました。

その出来事から逃避する選択肢もありましたが、自分に正直になり、正面から受け止めました。

その結果、多くのものを失いました。

でも、それで良かったと思っています。

自分に嘘を付いて逃げていたのなら、何も失わず、何も変わらずにいたでしょう。

一瞬の幸福を感じたと思います。

そんな出来事が過去にあったことさえ、忘れてしまうでしょう。

しかし、死んだ後に、この世を振り返る時が訪れます。

それまで忘れていた、嘘を付いている自分を見せられ、極めて強い後悔の念に襲われると思います。

大して価値のないものを、必死に守ろうとしている自分を見て、大いに恥じるでしょう。

プライドを守ろうとして、魂を汚してしまったことに気付き、後悔するでしょう。

この世的なものを失わなかった代わりに、大切なもの(霊的真理)を手に入れる機会を失ったことに気付き、地団駄を踏んで悔しがることになるでしょう。

正直に生きた結果、屈辱的で挫折的な結末を迎えた出来事でしたが、どん底で本当の自分(魂)が目覚めました。

嘘をついたら、それまで追い求めてものは失わなかったかもしれませんが、目に見えない最も大切なものを掴み損ねていたでしょう。

正直に生きていれば、物的なものを失うかもしれませんが、それに見合う、霊的なものを必ず手に入れると思います。



困難や障害は、どんな人にも必ずやって来ます。

大切なことは、苦しくても、逃げ出さないことです。

逃げ出したら、後で逃げ出した自分を見て、後悔します。

後悔が大きいと、もう1度、同じ様な状況になる、困難や障害のある人生を選んで、この世に生まれなければいけないかもしれません。

苦しみは、成長するため、大切なことを学ぶために予定されていたので、逃げてはいけません。



出来れば、苦しみのないあの世(霊界)に、ずっといたいと思う時があります。

そんな願望がある内は、またこの世に生まれなければいけないのかもしれません。

シルバーバーチも言っていますが、進化した霊(魂)は、苦しみを苦しみとして感じないようです。

そして、一定以上進化すると、霊界だけで成長して行くようになるようです。

もしかすると、進化するほど、苦しみを悦びとして感じられるからなのかもしれません。

苦しみを、成長する悦びとして感じるほど進化した魂は、この世に生まれて来る必要は、もうないのかもしれません。