2024年2月25日日曜日

眠っている時

 

子供の頃は、頻繁に夢を見ていた気がします。

中でも1番印象深かったのは、「大魔神」(昔の映画に出て来た悪者を懲らしめる神の化身)に追いかけられた夢です。

逃げても、逃げても、ドスン、ドスンと言う地響きを立てながら、どこまでも、しつこく追いかけて来ます。

よほど怖かったのでしょう、目覚めた時にパジャマが汗で濡れていました。

夢で良かったと、ホッと胸を撫で下ろした記憶があります。



眠っている時に、私たちの意識(魂)は肉体を離れて、霊界に行っています。

シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

問い「朝、目覚めて、睡眠中の霊界での体験を思い出すことはあるのでしょうか?」

答え「睡眠中、あなたは肉体から抜け出ていますから、当然、脳から解放されています。脳はあなた方を物質界につなぎ止める肉体器官です。睡眠中、あなた方は魂の発達の程度に応じたバイブレーションの世界で体験をします。その時点ではあなた方はそこでの体験を意識しているのですが、肉体に戻って睡眠中の体験を思い出そうとしても思い出すことはできません。それは、霊界での体験の方が地上よりも大きいからです。小さなものは、大きなものを包むことはできません。そのために歪みが生じるのです。」と答えています。

私たちの意識は、夜も眠ることはなく活動を続けています。

しかし、霊界での体験は頭で理解できるものではないので、思い出せないのだと思います。



大魔神の夢ですが、以前、映画を観た時の恐かった記憶が、夢の中で再現されていたのかもしれません。

もしそうだとすれば、フィクションです。



あるいは、霊界で実際に体験していたのかもしれません。

霊界では、思念は具現化します。

自分の思念により、大魔神が作り出されてしまったのかもしれません。

もしそうだとすれば、大魔神と言うフィクションを作り出した、ノンフィクションの夢だったと言えます。



自分の思念で作り出したものではなく、実在している存在が夢に現れる時もあります。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

問い「誰しも夢を見ます。その夢の中で親しい人と会ったことを思い出すことがあります。本当に会っているのですか?それともただの想像ですか?または、会いたいという願望が夢となって現れたのですか?」

答え「実際に会っています。といって想像力を見くびってはいけません。厄介な面もありますが、豊かな創造性も秘めています。純粋で最高の形で発揮された時の想像力は、驚異的な働きをします。未開発の能力を花開かせる、創造的な力になります。全ての夢が霊的体験というわけではありません。潜在意識に蓄積した考えの反映もありますし、夜遅く食べた物の反応もあります。」

問い「その違いは分かりますか?」

答え「分かります。食べた物や潜在意識の場合は、霊的な効用がありません。実際に霊界の愛する人に会った場合は、精神的な温もりや霊的な温もり、充足感を覚えます。その違いは明確に分かります。」

霊的な体験の時には、蝶に口づけされたような気分がすると表現しています。

それでも、頭で拵えたフィクションの夢と、霊界での体験によるノンフィクションの夢の境界ははっきりとしません。




実際に霊界で体験していることだと、もっとはっきりと分かり、覚えていても良さそうなものです。

そうでないのは、何か理由があってのことだと思います。

地上よりはるかに快適で、生きる悦びに満ちた世界が霊界です。

そんな世界があることが、はっきりと分かったらどうでしょう?

眠りに耽ろうとする人も出て来るでしょう。

いっそのこと、霊界に行ってしまうとする人も出て来ると思います。




大変なのを承知した上で、私たちは地上に生まれて来ました。

ホームシックのようになってしまったのでは、何にもなりません。

正式に戻れるのは、寿命が来た時です。

眠っている時にいる霊界のことが、垣間見える程度にしか分からないようになっているのは、自分の意志で早く戻ると言う過ちを犯さないためだと思います。




ところで、私たちが眠る目的は何でしょう?

当然のことですが、肉体を休息させるためです。

肉体が休息をしている時に、意識(魂)は霊界に行き、生命力(霊的エネルギー)を補充していると考えています。

目覚めた時に心が清々しく感じるのは、霊的エネルギーによって、魂が癒されているからと思います。




眠れないと、霊界には行けません。

そこで霊的エネルギーが補充されないと、地上を生きるために必要な精神的エネルギーが不足してしまう可能性があります。

精神的エネルギーは物質的な食事から得られるわけではなく、霊的エネルギーから変換されるものだからです。

精神的エネルギーが不足してしまうと、精神活動が停滞してしまい、日常生活に支障を来してしまいます。

それが、うつと呼ばれる状態かもしれません。




ヒーリングをすると眠くなる人が多いです。

霊的エネルギーが補充されると、心がリラックスするからです。

その逆に、あれこれと考えてしまったり、好ましくない感情が生まれたりする時は、霊的エネルギーが不足しかけているのかもしれません。

過労でうつ状態になり、死を考えてしまうのは、霊的エネルギーが枯渇しかけているためと考えられます。

そんな時は、(仕事を休むなどして)良く眠れるように生活習慣や環境を整えて、霊的エネルギーを補充するように努めなければいけません。




眠れない時は、魂が肉体から抜け出せずにいます。

肉体に縛り付けているものは「思考」です。

脳で思考を止めない限り、魂は肉体から離れることができません。




思考によって、過去の出来事を思い出したり、未来の出来事を想像したりしています。

そして、浮かんで来た出来事に、感情が付加されて行きます。

思い出しては怒ったり、悔やんだり、想像しては心配したり、不安になったりすることもあるでしょう。




そんな自分に気付いたら、意識を現在(今)に引き戻す必要があります。

眠れない時に羊を数える人がいます。

意識を現在に引き戻すのには有効ですが、結局は思考していることになります。




繰り返されている呼吸に、意識を向けるのは有効です。

大きく息を吸ったり、吐いたりすることで、意識は現在に引き戻されます。

腹式呼吸をしている時、横隔膜という筋肉が上下に動いています。

横隔膜は迷走神経の支配を受けています。

迷走神経は副交感神経であり、呼吸を通して意識的に働かすことで、心身の緊張が解けて来るはずです。




現代の人間は考えることが常態化しています。

地上を生きるために、考えることは必要ですが、考えなくても良い時まで、考えるようになってしまっています。

電車の中で、スマホを見ている人が何と多いことでしょうか。

常に頭を使って、何かをしていないと落ち着かないように見えます。




仕事などで思考することを避けられない時はありますが、あまり思考しなくても済む時もあるはずです。

考える癖が付いていたり、頭をフル回転させている状態が続くと、眠る時間になっても脳は休まらずに、その結果、魂は肉体に縛られてしまうかもしれません。

熱いお湯は、直ぐには冷めません。

頭を働かせ続けている自分を意識して、スマホ、パソコン、テレビから離れる時間を作って、頭を休めるように努めることも必要です。




考えなくても良いことまで考えて、そこに感情が付加されることで、いたずらに精神的エネルギーを消耗してしまいます。

不安や心配などの感情は、霊的エネルギーの魂への流入を妨げてしまいます。

霊的エネルギーが足りなくなると、好ましくない感情が生まれて、精神的エネルギーを消費すると共に、霊的エネルギーの流入を妨げて、余計に好ましくない感情が生じるという悪循環に陥ってしまう可能性があります。




眠りは、健やかに生きるために極めて重要です。

適度に運動したり、静かな音楽を聴くことも、眠りに入るために役立つでしょう。

それでも眠れずに、心身が疲れてしまっている人には、霊的エネルギーを補充させるヒーリングが有効です。

必要と感じている人がいましたら、遠慮なくお声掛け下さい。







2024年2月18日日曜日

神について


以前の私は、神の存在を信じていませんでした。

信じていないと言うよりも、関心がありませんでした。

神は宗教上の産物で、弱い人がすがるものであり、自分が生きて行く上で関係がないと思っていました。



たとえ信じていなくても、神との関わり合いが途切れる時はありません。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「大霊(神)とは宇宙の自然法則です。物質界と霊界の全ての生命体の背後にある創造的エネルギーです。」



神は意識的存在であり、心があります。

その心が、全宇宙ならびに自然法則の働きによって顕現しています。

親切にして喜ばれると、うれしくなります。

傷つけることをしてしまうと、心が苦しくなります。

これらの現象は、自然法則の働きにより起こります。



人は苦しみや痛みでなく、うれしさや悦びを感じていたいものです。

私たちは、自然法則の働きによって、他者に喜ばれるよう、傷つけないように、導かれています。

このことから、神の心の一側面が窺えます。



この世界の隅々まで、自然法則は働いています。

水が0℃で氷になるのも、物が地面に落ちるのも、自然法則の働きによるものです。

これらの物理的な法則には再現性があり、客観的に証明されているので、信じていない人はいません。



ところで、その物理的な法則は、偶発的に生まれたのでしょうか?

目の前にあるスマホが、偶発的に生まれたと言う人はいません。

当然のことですが、離れた人と会話をするために、人間によって設計され、人間の手によって作られました。

同じように、何かの目的があって、何者かによって、自然法則は創られたと考える方が(偶発的に生まれたと考えるよりも)はるかに自然です。



「生まれる」「死ぬ」のも自然現象の一環です。

自然現象は、自然法則が働いた結果として起こります。



自然法則は、自分の言ったこと、行ったこと、想ったことにも働いています。

それに対して、寸分の狂いもなく結果が生じます。

ただ、地上では結果が表に出るとは限りません。

腹立たしいことを言われても、怒るのではなく、にこやかな表情で接することは良くあることです。

物質を介しているので、原因に対する結果が、違った形で表現されることもあります。



宇宙は神的(創造的)エネルギーによって創られています。

私たちは、神的エネルギーによって創られた、宇宙の一部です。

身体の1つ1つの細胞に、同じ血液が流れて、生かされているように、宇宙を構成する1つ1つの生命には、同じ神(霊)的エネルギーが流れて、生かされています。

身体の細胞に同じ遺伝子が組み込まれているように、生命には同じ神の心が組み込まれています。



神の心が顕現する瞬間があります。

駅のホームから人が落ちたのを見て、自分の命を顧みずに助けようとする人がいます。

理屈を超えて、それは神の心が発露した結果です。



悪いことをする前に、「やってはいけない」と心の中で囁いているのも、神の心(良心)です。

その声を無視して、故意に人を深く傷つけたとします。

周りに知られなければ、法律で裁かれることはないでしょう。

時間と共に、その記憶も薄れて来ますが、その罪が消えることはありません。



死んでしばらくすると、地上の人生を振り返る時が来ます。

全ての言動は、魂に刻み込まれています。

自分の行いによって、傷つけた相手がどのようになったのかを目の当たりにします。



外部にいる神が人間の行いを見ていて、罰を与えるのではありません。

自分の中にいる神が、自然法則の働きに照らし合わせて、自分を裁きます。

自分によって自分が責めを受けます。

その罪が深いほど、強い後悔や自責の念が生まれ、いたたまれない気持ちになるでしょう。



どうにかして、魂に刻まれた罪を清算したくなります。

苦しみや痛みのある地上の方が、霊界にいるよりも効率的に罪を清算することができます。

償いが組み込まれた人生が計画され、それを了承して地上に生まれて来ます。



どのような償いになるのかは、神の叡智(因果律)によって決められます。

過不足のない苦痛を味わうことになりますが、償いの最後に同じ過ちを犯さないための学びが得られると考えています。


願い事があると、神に祈ることがあります。

受験シーズンの今は、神社仏閣で合格祈願をする人も少なくないでしょう。

病気が治るように祈る人もいます。

いかなる祈りも、自然法則の働きには干渉できません。

神を信じて祈るよりも、自分を信じて勉強した方が合格する確率は高まります。

原因が存在している限り、病気は治りません。

祈って願いが叶うのであれば、神の創った法則(因果律)が根底から崩れてしまいます。

非情に感じる時もありますが、自然法則の働きによって、厳格に結果が生じているだけです。



宇宙は無限です。

神の意識も無限です。

自分の意識を、神の意識にまで高めようとするのが、生命(魂)の持つ宿命です。

それには無限の時が必要であり、私たちは永遠に生き続けることになります。



私たちは、神の心を宿した存在です。

神の存在が分からなくなる地上では、神の心はわずかしか表現されていません。

それゆえに、貧困や戦争や差別など、さまざまな問題が生じます。

一人ひとりが自分の中にいる神の存在を意識し、より顕現するように努めれば、それらの問題は一気に解決されます。



現実社会を真剣に生きようとするほど、神は遠くに感じられるのかもしれません。

五感を働かせて、頭脳をフルに回転させるようになるからです。



次の世界に行くと肉体は失われます。

五感や頭脳は消滅し、地上で隠れていた霊的な感覚によって、物事を認識するようになります。

自然法則の働きや神の存在が、リアリティを持って感じられるようになります。



物質的な地上に生まれてしまうと、神の存在を信じるのが難しくなります。

それでも、自然法則が働いていることは信じて下さい。

自分の行く末が決まるからです。



良心(神)の声に耳を澄ませて、忠実に生きるようにして下さい。

そうすれば後悔することはありません。



人や動物や社会に喜ばれるような生き方をして下さい。

神の心を表現していることになり、後に悦びとなります。



2024年2月11日日曜日

変わることで苦しみから解放される


月面に立つアームストロング船長(NASA)

1969年7月、アポロ11号のアームストロング船長が、人類で初めて月面に立ちました。

テレビのニュースでその様子を見ていましたが、この世の光景とは思えませんでした。

その後もアポロ計画は続きますが、月に向けて航行中の13号は、地球から32万キロ離れた宇宙空間で酸素タンクの爆発という致命的なトラブルに見舞われました。

乗組員を生きて地球に返すために、NASAは叡智を結集して解決策を探ります。

その場でロケットを減速し、方向転換させ、地球に引き返させるのは不可能です。

5万キロ先にある月の裏側をぐるっと回って、遠心力を利用して地球に戻って来る計画が立てられました。

計画は実行に移され、全員無事に帰還することができました。

その出来事は「最も成功した失敗」と言われています。



超高速で進んでいるロケットを停止させるのには、大きなエネルギーを必要とします。

ロケットに「慣性の法則」が働いているからです。



人生にも、同じような法則が働いている気がしてなりません。

ひたすら前(未来)へ向かって進んでいるので、過去に留まろうとすると大きなエネルギーが必要になると思います。


勢い良く流れる河の中にいると、水の抵抗を強く受けて、その場に留まっているのは難しいです。

流れに身を任せると、抵抗はなくなります。

水の流れに抗うのには、やはり大きなエネルギーが必要です。




人間は、絶え間なく変わって行く存在です。

ある時点を境にして、肉体は衰えて行きます。

それは老化現象であり、自然法則の働きによるものです。



魂も肉体と同じです。

地上でさまざまな出来事を経験しながら、真の自分である魂は変わって行きます。

生き続け、変わり続ける宿命にあります。




変わらないでいようとするのは、水の流れの中に留まっているのと同じです。

自然法則の働きに反しているので、抵抗を感じます。

それを苦しみとして感じます。

苦しいから変われないのではなく、変わらないから苦しいのかもしれません。




強烈な出来事を経験することによって、自分が変わる瞬間があります。

その出来事は、魂を変えるために、計画的に起きていたのかもしれません。



変えるために起きていたのにもかかわらず、変わらないこともあります。

例えば、こんな経験はないでしょうか?

他者から忠告を受けて、プライドを傷つけられ、怒ってしまった。

失敗をして、他のせいにしてしまった。

高いノルマが与えられ、不平不満を言ってしまった。

それらは地上的な自我(以下エゴ)の働きによるものです。

せっかく忠告してもらっても、怒ってしまえば、変わらないでしょう。

何かのせいにしてしまえば、失敗から学ぶことはできず、変わらないでしょう。

不平不満を言いながらでは、ノルマを達成したとしても、変わらないでしょう。

このように、エゴの働きによって、自分を変えるための力が奪われてしまうことがあります。




いつの日かあの世に行きます。

そこが本来の住処です。

地上に生まれて来るのは、いろいろな出来事を経験することで学び成長し、あの世での人生を豊かで悦びに満ちたものにするためです。



あの世で、この世を振り返る時が来ます。

自分を変えることができたのに、エゴの働きによって、その機会を逸してしまったことに気付きます。

予定されていた出来事だったのに、変えることができなかったのならば、後悔は免れないでしょう。

地上に生まれた目的の1つを、果たせなかったことになるからです。



必要があれば、何度でも地上に生まれて来ます。

今生で変えることができなかったのならば、来生で変えることになるでしょう。

結局は、どこかで変えなければならないのです。



帰還したアポロ13号
アポロ13号で事故が起きた時、船長であるジェームス・ラベルは「私は必ず帰れる」と信じていたそうです。

エゴに支配されて、悲嘆したり、絶望したり、運命を呪っていたのなら、地球に帰って来れなかったでしょう。



人生も同じかもしれません。

起きた出来事に、どう向き合うのかが問われています。



エゴの囁きに負けてはいけません。

勇気を出して、自分を信じて、前に進んで行きましょう。



自分が変われば、苦しみから解放されるはずです。

宇宙を支配している自然法則(神)は、地上にいる私たちを苦しみと痛みを通して、成長進化させる方向へと導いているからです。


2024年2月4日日曜日

この世で自分が正される


通知票をもらって開く時に緊張するのは、今も昔も変わりありません。

開くと、学科の成績とは別に「生活ようす」というのがあります。

そこには、学校でどんな生活をしていたのかが評価されています。

項目として「基本的な生活習慣」「けんこう・体力の向上」「自主・自律」「責任感」「創意工夫」「思いやり・協力」「生命尊重・自然愛護」「勤労・奉仕」「公正・公平」「公共心・道徳」があります。

霊的真理を知った今、学科の成績よりも、むしろそちらの評価の方が大切であり、その人の実態を表しているのではないかと思うようになりました。

もっと目を向けて伸ばしてやれば、健全に成長して行くような気がします。



私たちの生きる目的は、自分を成長させるためです。

それは、死んで霊界に行っても変わりません。

勉強ができて、社会で成功し、富と名誉を手に入れたとしても、霊界に行くと評価の対象とはなりません。

魂の成長とは、全く関係のないことだからです。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、仕事を立派に仕上げることを通して得られます。 言いかえれば、内部の神性が日常生活において発現されてはじめて成長するのです。」

「思いやりの心」「寛容の精神」「同情心」「愛」「無私の行為」が、日常でどれくらい表現されているかで、その人の霊的な価値が決まると考えられます。



霊界に行くと、魂(自分)が露わになります。

自分に欠けている、あるいは足りない資質に、気付くことになります。

それが成長の足かせになっているのであれば、手に入れようとするでしょう。



霊界は、苦痛が取り除かれています。

極めて快適な世界なのですが、霊的な資質を手に入れるのには、苦痛がある方が適しています。

そのために地上に生まれることを志願します。

足りない資質を手に入れるために必要な出来事を経験する人生が立案され、それを了承し、適した環境に生まれます。



例えば、思いやりに欠けて、利己的な人がいたとします。

そのままでは、霊的な成長は望めません。

親として選ばれるのは、飛び切り利他的な人かもしれません。

間近で親の姿を見て、徐々に感化され、見習うようになり、利己性が薄れて行くこともあるでしょう。

それとは逆に、利己的な親を選ぶこともあるかもしれません。

自分の性分を親から見せられて、そうなりたくないと思うようになり、改めて行くこともあるでしょう。



学校に上がるようになると、たくさんの子供たちと一緒に過ごすことになります。

そこで、わがまま(利己的)な振る舞いをしていると、因果律の働きにより、周りにいる子供たちから咎められたり、仲間外れにされたりします。

地上では、自分に欠けている部分、神の心に反する部分が表現されると、周りにいる人たちの良心(神の心)が反発して、苦痛を感じる行動を取られることがあります。

苦痛は感じたくないので、わがままな言動を改めるようになります。



大人になるのに従い自我(エゴ)が発達して行きます。

改めるように周囲から促されても、自我(エゴ)が適当な言い訳をして、改めようとしない人もいるでしょう。

無限の叡智である神は、全てを織り込み済みです。

その先で、言い訳が通用しなくなる出来事を経験することになるかもしれません。

因果律の働きにより、最適なタイミングで、逃げ場がなくなり、徹底的に追い詰められる出来事が起きるかもしれません。

万事休すと思われた時に、救いの手が差し伸べられたとしたらどうでしょう。

周囲に感謝せずにはいられなくなります。

それを境に、周りに目が向くようになり、思いやる心が芽生えるかもしれません。


なぜ自分は、この国のこの家族の元に生まれたのかと、ふと考える時があります。

自分に足りなかったものの1つは「勇気」だったのかもしれません。

勇気は愛と同じように、成長するために欠かせない資質と考えられます。

今は引退した父と兄と同じ職場で働いています。

父も兄も、新しいことに挑戦する気概に溢れていて、誰もやったことのないことを臆することなく始めます。

私にはない資質を持っていると感じています。

同業で、同じ職場であれば、慎重(臆病?)な私にも、同じことが求められます。

勇気を出して挑戦することに意味があり、成功しても失敗しても、何かしら得るものがあることを学んでいると思います。

そして、宗教とは無縁な家庭環境であったからこそ、霊的真理をすんなりと受け入れられたと思います。



カルマを解消するために、生まれて来る人も少なくないようです。

例えば、怒りや憎しみの感情から、人を傷つけてしまった人がいたとします。

罪が大きければ、次の人生で償うことになるでしょう。

然るべき時期に、苦痛を伴う出来事を経験することになります。



これは1例ですが、考え方や生き方の異なる人が、傍に現れるかもしれません。

その人と接する度に、苦痛を感じるようになります。

憤りを覚え、それを相手にぶつけたい衝動に駆られますが、どうしてもそれができません。

予め決められていたのであれば、逃げることもできません。

苦痛を享受することが償いとなり、過去生で足りなかった「寛容の精神」が身に付けられて行きます。

カルマの解消は、償いであると同時に自分を正すものだと思います。



自分の意志だけで、自分を変えるのには限界があります。

地上でさまざまな出来事を経験することによって、自分を変える方がはるかに確実です。

誰もが避けたい苦しみや痛みの経験を通して、半ば強制的に変わって行きます。

起きた出来事を嘆いたり、運命を呪ったり、人を憎んだりすると、望ましい方向に自分が変わるための力が削がれてしまいます。



霊界に行ってしばらくすると、この世の人生を総括する時が来ます。

その時の心境は、学校で通知票を開く時の心境と似ているのかもしれません。

神の法則に照らし合せて、成績を付けるのは自分自身です。



苦しくて仕方がなかったあの出来事は、自分を成長させるために必要だったことに気付きます。

あの時の痛みにより、本当の自分が目覚めて、大切なことを学び始めていたことを知ります。



現実から逃げ出さずに、乗り越えようとしている自分の姿を見て、思わず安堵します。

そうすることで、生まれて来た目的を果たしていたからです。

生れる前の自分よりも、強く、優しくなっていることに気付いて、深い悦びを感じるはずです。