2020年7月26日日曜日

地球規模の因果律の働き ~地球温暖化~



梅雨明けが長引いています。

何十年かに一度と言われるような集中豪雨が、どこかで毎年のように起こり、多くの人が亡くなり、甚大な被害が出ています。
2020年7月熊本豪雨
異常気象と言うよりも、常態化しつつあると感じているのは私だけでしょうか?




近年の気象変動は、地球温暖化が原因と言われています。

地球温暖化は、大気中に含まれる二酸化炭素(以下CO₂)の量が増えることで、太陽から受け取ったエネルギーが大気圏外に放射されにくくなるために起こると考えられています。
一般財団法人 家電製品協会のHPより


地球上で、CO₂をたくさん出しているのは、言うまでもなく人間です。

CO₂は目に視えるものではありませんので、自分が出していると言う認識に欠けてしまいます。




「ゆでガエルの法則」をご存知でしょうか?。

カエルは、いきなり熱いお湯に入れると驚いて逃げ出します。

しかし、常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまいます。


ゆっくりと進む環境の変化に、生物が対応するのは難しいのです。

今まさに、私たち人間はゆでガエルになりつつあります。

少し危ないのかなと思っている程度ですが、実際は危機的な状況にあります。






人間が出したCO₂によって、人間が苦しむのは仕方がありません。(余分なCO₂を出していない生活をしている人間もいますが)

しかし、何の罪もない動物たちが、温暖化の被害を被るのは許されることではありません。







北極クマのこの惨状は、地球温暖化による海氷の減少により、餌となるアザラシの捕獲が十分に出来ないことが原因と考えられます。

人間が出すCO₂が原因で温暖化が進行し、数知れない動物たちが苦しめられ、死に追いやられている現実を直視しなければいけません。




ところが、人間はそんな現実に目を背けて、身勝手な活動を続けています。






人が生きて行くのに必要なのは、水と食料と衣料と居住です。

時代と共に、物的な欲望が肥大化し、生きて行くのに必要のないものまでも欲しがるようになりました。

大きな家に住み、たくさんの物に囲まれ、好きなところに行ける生活が豊かだと思っている人は多くいます。




1人の人が出しているCO₂を、見える化してみます。

呼吸によって出しているCO₂の量は1日約1Kgです。

平均すると1年間で11.4Kgの衣服を買っていますが、これは車で2400㎞を走ったのと同じCO₂を出している計算になります。

部屋で2.0kW(6畳用)のエアコンを16時間稼働させると、1日に16Kg 以上のCO₂を出していることになります。

燃費が10㎞/ℓの車で100km走ると、23KgのCO₂を排出しています。

1人の日本人が1年間に出しているCO₂は、9トン強と言う膨大な量です。




人や動物が出しているCO₂は、植物が光合成をすることによって酸素に還元されます。

動物と植物は完全な共生関係にあり、その関係は何十億年も崩れることはありませんでした。

何年か前から、朝の散歩で通る河の護岸に、見たこともない樹木(下の写真)が生い茂るようになりました。

その樹木は驚くほど速く成長し、数年で見上げるほどの高さになりました。

名前は「マルンガイ(西洋わさびの木)」と言い、主に(亜)熱帯に生育し、他の樹木の20倍ものCO₂を吸収するのが特徴です。

大気を浄化するような樹木が人知れず育っているのを見て、大自然の絶妙な営みを感じました。

ボストン大学の研究では、CO₂の増加に伴い、砂漠化と並行して、33年間で米国の約2倍の面積が地球上で緑化されているそうです。

このような植物が世界中のいたるところで繁茂することによりCO₂を吸収し、大気の濃度を一定に保とうとしているのですが、人間が出しているCO₂の増加には追い付けないようです。




多くの人は、因果律の働き知っています。

物を買ったり、移動をすればCO₂が出されて、温暖化が促進されることを。

それでも、今の生活を変えようとしないのは、自分一人ではどうにもならないと諦めているのか、それとも変えたくないのかのどちらかです。

どちらにせよ、地球全体から見れば、利己的な考えであることに変わりありません。




そんなことを言っている私も、車で通勤し、照明やエアコン、パソコンなどの家電製品を使い、たくさんのCO₂を出しながら生活しています。

現代社会に生きる私たちにとって、他の動物のように呼気からCO₂の排出だけで生活することは不可能です。




出来ることと言えば、物をあまり買わないことです。

しかし、必要なものだけを買っても、CO₂を出しています。

ネット通販の過剰包装には目を疑うものがあります。       
消しゴム1個を注文すると(過剰包装を訴えるサイトより)
電気を極力使わないようにしなければいけません。

しかし、猛暑の中、エアコンを使わずに生活するのは至難の業です。

出来るだけ移動をしないことも大切です。

しかし、人に会ったり、用を足すために、いろいろな場所に行かなければなりませんし、旅行の1つもしなければ、人生が物足りなく感じてしまいます。

今の生活を変えようと思っても、なかなか変えられないのが実情です。




そんな人間の事情におかまいなく、CO₂の排出は増え続け、温暖化は急速に進行しています。

自然法則は厳格です。

法則に反した行いには、報いが返って来ます。

人間の行き過ぎた欲望が、地球温暖化となって返って来ています。




そのことに気付いている人は多くいても、自助努力ではどうすることも出来ない段階になったので、次の因果律が作動してしまったのかもしれません。

勧告から、強制執行に移ってしまった様な気がしています。




新型コロナウイルスの流行が起きました。

その後、世界中の人々の移動は止まりました。

工場の稼働も止まりました。

どこにも出かけられず、家の中にいることを強いられました。

店舗は休業し、生活必需品以外のものは買えなくなりました。

自宅で仕事をするようになりました。





その結果、全世界で今年4月におけるCO₂の排出が最大17%削減されたそうです。

スモッグがなくなったインド・ニューデリー


水路が浄化されたベネチア

緊急事態宣言下の澄み切った空の東京
一瞬ですが、世界中の街が本来の健全な姿を取り戻しました。




環境省が出した「地球温暖化と感染症」という報告書があります。

その中に「温暖化によって媒介動物の分布域が拡大する傾向や、高温化に伴って感染力が増大する傾向などが見られることは、温暖化による影響評価を試みている多くの研究成果が示唆しています。」と書かれています。

新型コロナウィルスの流行は、大量のCO₂を出す人間の過った生き方と因果関係がありそうです。

人間の飽くなき物的欲望が、ウィルスを流行させてしまったのではないでしょうか。




誰もが、ウィルスの感染を怖れています。

地球規模で人間の行動を変容させられるのは、ウィルスだけです。

地球環境を改善する最も有効な手段が、ウィルスの流行だったと思います。




ウィルスの流行が終わった後、人はどうなっているのでしょうか?

大不況が到来すれば、物が売れなくなるでしょう。

生命の危機に晒されて魂が目覚めて、物的なものに喜びを感じなくなる人が現れるような気がします。

余暇を、旅行ではなくボランティアなど奉仕活動に充てる人も出て来ると思います。

内面的な変化から、CO₂を出さないような生き方に変わる人が増えるでしょう。




ウィルスの流行は突発的なものではありません。

自然法則の働きに従って起きています。

全ての事態に備えたプログラムが、自然法則の中に包摂されていて、人間を含めた生物の行動が制御されていると考えられます。

また元に戻ってしまい、さらに温暖化が進んだのなら、もう一段階進んだ因果律が作動するような気がします。

致死率や感染率が高いウィルスが出現して、人間が大胆に間引きされて、徹底的な行動抑制を強いられるかもしれません。

その結果、ようやく温暖化に歯止めがかかるのかもしれません。




頭の中で判っているだけではだめであり、それを行動に移さなければなりません。

行動に移さなければ、自然法則の働きによって、痛みや苦しみを感じながら、変わって行くしかありません。




ウィルスの流行は、人間にとって災い以外の何者でもありません。

しかし、地球全体から見れば浄化の一環です。

今まで温暖化で苦しめられて来た動物たちにとって、この現象は恩恵そのものであり、救いのように感じられるでしょう。








2020年7月19日日曜日

前生と今生と来生はつながっている



時々、こんなことを考える時があります。

この世に、あと何度生まれて来なければならないのだろうか?

多くの人は、少しでも長く生きることを望んでいて、早く亡くなるのを不幸なことだと思っています。

死んだ後に行く世界(霊界)のことを知った今、それはなくなりました。

出来れば、ずっと向こうにいたいとさえ思います。

しかし、地上で学ぶことがあれば、また生まれて来なければいけません。




こう生きて、こんなことを学び、これくらい成長したいと目的を決めて、私たちは生まれ来ています。

具体的に知ることは出来ませんが、行き当たりばったりで生きているのではありません。

例えば、私がこのブログを書いているのも、自分の目的に関わっているのは間違いありません。

何も目的がないのであれば、穏やかで平和な霊界を離れて、喧騒の地上に生まれて来る必要などありません。




前生を知りたがっている人がいますが、知ってどうなるわけでもありません。

ただし、この世の人生は、前生と密接に関わり合っていることは知っておくべきです。

前生において命を救われて、そのことに感銘し、今度は自分が救う立場になりたいと強く望んで、医者になった人もいるでしょう。


前生を知るよりも、今生をどう生きるのかの方がはるかに大切です。

どう生きるかで、来生が決まるからです。

過去は完全に閉じられています。

未来を良くしようと思ったら、摂理に適うように、今を精一杯生きるしかありません。




人の数ほど人生はあります。

それぞれの人生には、自分(魂)を成長させるためのシナリオがあります。

成長を抜きにして、生まれて来た意味を見つけることは出来ません。

生きる目的は、楽しむことではなく、成長することです。


こんな苦しい人生はもういやだと思っている人もいるでしょう。

困難を乗り越えようと、悪戦苦闘する中で、魂は自然法則に従って成長しています。

大きな試練を乗り越えた後、以前のような苦しみを感じなくなっているのは、魂が成長した証拠です。

高く険しい山を登った人は、緩やかな低い山を登っても、さほど苦しさは感じません。

魂が成長するほど苦しみを感じなくなるので、さらなる成長を求めて前生よりも険しい人生を選ぶのは当然です。

どんなに苦しくても乗り越えて行こうとするのは、生まれて来た目的を成就しているからです。

自分自身で決めたことだからです。




困難を避けて、安易な道を選んではけないと言われます。

その真意は、成長の機会を逃したことになるからです。

後でそのことを知って、後悔するからです。

そんな前生での後悔を、今生で晴らすため、今度は苦しさから逃げないと決意して生まれて来た人もいるでしょう。

逃げたり、避けたりするのがどうしても出来ないのは、そのせいかもしれません。




前生、今生、来生と宿る肉体は変わりますが、魂は同じです。

前回の放送を観ていないと、今回のドラマで起きていることの意味が判らない様に、前生が判らなければ、今生で起きた出来事の意味は判りません。

残念ながら、私たちは「結果」しか知ることが出来ないのです。




一部分を見ただけでは、全体がどうなっているのか、誰なのかも判りません。


今生にいる自分は、自分の全てではありません。

真の自分は、もっと大きく、多面的な存在です。

今生に現れているのは、全体の一部分です。




前生と今生では、現れている部分が異なるので、それに伴いパーソナリティー(個性)も違って来ます。

未熟な部分が、パーソナリティーとなって、今生で顕現していると考えています。

未熟な部分が表現されると、因果律の働きにより苦痛が生じる出来事が起きて、改められ、完成されて行くと思います。

未熟な部分がなくなると、地上に生まれる必要はなくなり、魂は次なるステージに進んで行くと考えられます。




人生では、不幸や凶事と言われるようなことが起きます。

他人の過った自由意思の行使によって、起きることもあるでしょう。

また、この世で自分が種を蒔いていることもあるでしょう。

今生において、どうしても原因が見つからない時、前生にあるのかもしれません。

前生のどこかで摂理に反した行いがあり、償いのために起きている可能性があります。

償いではなく、自分にない部分を補ったり、未熟な部分を完成させるために、どうしてもその経験が必要であった可能性もあります。

いずれにしても、偶然はありません。

何かしらの原因(目的)があり、因果律が働いた結果として起きています。




病気もそうかもしれません。

何で自分がこんな病気にならなければいけないんだと、憤りを覚える人もいるでしょう。

もちろん、不摂生をすると病気になります。

今生に原因が見つからなければ、前生での摂理に反した行いを、病気の苦痛によって償っている可能性があります。

もし、前生をつぶさに観察したのならば、どこかに原因が必ず見つけられるはずです。

償いではなく、霊的に価値のある資質を身に付けるために、あえて病気になる人生を選んだ人もいるでしょう。




愛する人との別れほど、悲しい出来事はありません。

悲しみは行き場を失った愛です。

失って初めて判ることがあります。

愛すること以上に大切なものは、この宇宙に存在しません。

私たちは何度も地上に生まれて来ますが、神の心である「慈悲」を身に付けるために、どこかの人生において、この経験をしていると思います。

今生でしている人も、過去生でしている人も、来生でする人もいるでしょう。




今生では、結果しか見えません。

原因(目的)が判らないと、自分の身に起きた不幸と嘆いたり、人生を恨めしく思ってしまいます。

人生は終ったと、諦めてしまう人もいるでしょう。




生まれる前にも、死の後にも人生があり、連綿とつながっています。

私たちは前生で原因を作り、今生でその結果に遭遇し、そして来生で起きる出来事の原因を作りながら生きています。




人生で起きる出来事に、不公平や不公正は一切存在しません。

全て因果律の働きによるものです。

偶然の入り込む余地は全くなく、完全な公平、公正が保たれています。




もし、前生まで遡って視ることが許されるのならば、出来事の原因がはっきりと判るので、誰もが納得するはずです。

けれども、前生は今生とは全く違う肉体に宿り、全く違う環境に生れています。

同じ魂ですが、パーソナリティーも異なります。

違う人間とも言えるので、今の自分が絶対にしない過ちを犯していたこともあるでしょう。

前生の自分がした行いによって、生じた結果を知ったのならば、無用に自分を責めたり、悔いたりしてしまうかもしれません。

霊的な成長にとって、それは有益な情報とはならないので、判らないようになっていると考えています。

もちろん、興味半分で知らされるはずもないので、自尊心をくすぐるような、あるいは傷付いてしまうような情報を信じてはいけません。




ただ、前生が絶対に知らされないわけではありません。

特別な理由もなく、何かに酷く怯えたり、怖れたりする人がいます。

そんな人は、前生での出来事の記憶が、今生で反映されている可能性があります。

その出来事で生じた強烈な想いが、今生にまで影響を及ぼしていることがあります。

成長を妨げていると判断された人には、前生での原因が知らされ、その結果、捉われている想いが消滅することがあります。

魂が目覚め、今生の成長が促される人に限って、知ることが許されると思います。




今まで、どれくらい何を学んだのか、はっきりと判りません。

ただ、霊的真理と出会えたのは幸運なことです。

地上で学ぶべきことの多くが、そこにあると思うからです。

得た知識が、様々な経験を通じて、魂に滲み込んでいるような気がしています。




真理を知らないために、無用な遠回りをしてしまい、再度生まれて来なけければならない人は多いのかもしれません。

そのことを霊界は憂いていると思います。




死後の世界はあると考える人が多くなって来たと感じています。

しかし、神の摂理の働き(霊的真理)を知っている人は、まだ少ないようです。

知る人が増えるほど、明るく、健やかな世界に変わって行くでしょう。

それにより、地上を去った後に行く世界も、その先に赴く世界も同時に底上げされ、全体が進化し、より美しい世界へと変わって行くと思います。


「真珠の耳飾りの少女」 フェルメール














2020年7月12日日曜日

自分を信じられない時は守護霊を信じる



新しいことにチャレンジしたり、困難な状況で結果を出さなければいけない時、上手く行くのだろうか?失敗したらどうしようと、緊張したり、不安になってしまうことがあります。

そんな時、多くの人がしているのは「自分を信じる」ことです。

そうすることによって、願望が叶う可能性が高くなるのを、経験的に知っているからです。




けれども、自分を信じるとはどういうことなのか、判っているようで判っていません。

過去を振り返り、今までこれだけのことをやって来たのだから、今度も絶対に出来るはずと、自分に言い聞かせることだと、私は思っていました。

それは間違っていないのでしょうが、最近になり、違う意味もあるのではないかと思うようになりました。




何かをしようとする時、上手く行くように、神にお願いする人は多いです

以前の私は、神など信じていなかったので、自分一人の力だけでするしかないと思っていました。

十数年前、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)に出会い、多くのことを知りました。




神は実在します。

ただ、神は自然法則としてこの世界に顕現しているので、お目にかかることも、助けてくれることもありません。




神以外にも、自分にとって身近で極めて重要な存在がいます。

それは守護霊です。

しかし、どのような形で自分に関わっているのかは判りませんでした。




守護霊は、霊的次元にいる存在です。

そのため、神と同じ様に、私たちは目で姿を見ることも、耳で声を聴くことも出来ません。

地上の人と霊的につながっていて、思念」を送ることで、関わっていると考えられます。




地上では、思念に実体がありません。

そんなものは存在しないと言われてしまえばそれまでです。

ところが、私たちが死んだ後に行くのは物質が取り払われた世界であり、思念は実体そのものになります。

想像するのが難しいのですが、思念が直ちに具現化します。

死後の世界が天国と呼ばれる1つの理由は、思い描いたことが実現する世界だからかもしれません。




ところが地上は違います。

思念(想ったこと)は、精神と肉体を介してを具現化しなければなりません。

その過程で、精神的、肉体的な労力が必要となります。

具現化させるため、奮闘努力する中で、魂が鍛えられ、成長するようになっています。




守護(背後)霊からの思念の影響力ですが、私は内部から力のようなものが湧き上がり、心が奮い立ったり、晴れやかになったり、楽観的になったりするのを感じます。

また、精神が清明になり、視界がはっきりとするのを感じます。

自分では何もしていないのに、急に心が明るくなったり、気持ちが前向きになるのを感じたら、それは守護霊から愛念が届いたからと考え、感謝しています。




守護霊は一生涯に渡り、地上の人に付いています。

目的はただ1つ、地上の人を霊的に成長させるためです。

守護霊が付いていなかったり、見放したり、途中で代わったりすることはありません。

同じ類魂の上位のものが付いていると考えられますが、その理由は、自分より格段に高い霊が付いたとしても、両者の波長が違うため、地上の人への思念の伝達が難しくなり、上手く導くことが出来ないからです。




守護霊の存在など、全く感じないと言う人がいます。

地上の人は五感を使って生きているので、それは当然かもしれません。

また、霊界の人は地上の人の意思決定を尊重しなければならず、無用に干渉してはいけないために、はっきりと感じられないようになっていると考えられます。

送られて来た思念は、霊的な感覚を通して伝わり、インスピレーションとなります。

それが精神によって変換されて、言葉やイメージとして認識されます。

残念ながら、それを単なる思い付きとして片付けてしまうことも多いでしょう。

そして、自分の思考と判別が付きにくいのも事実です。

両者の違いですが、思考は大脳を介しているので答えに時間がかかるのに対して、インスピレーションは一瞬です。

考えて行動したと思っていても、実はインスピレーションに促されて、無意識の内に行動していることは想像以上に多いと思います。

地上の人がどう思おうと、意図した通り行動してもらえれば、守護霊はそれで良いようです。




自分と守護霊が同じ類魂ならば、霊的に似た者同士のはずです。

生じる思念も、似通っていると考えられます。

地上の人が、どの様な行動を取るのか予測が付くので、先回りをして、望ましい方向に導いていることもあるでしょう。

望ましくない方向に行きそうになった時には、思い止まるような思念を、しきりに送っているでしょう。

何となくこうしなければならない、あるいはしてはいけないと思った時、それは守護霊から届いた思念に促されている可能性があります。

また、あえて思念を送らずに、思うがままにさせて、摂理に反する行動に対する責任を取らせて、学ばさせている時もあると思います。

そして、地上の人の思い込みが強かったり、自意識が過剰となっている時は、守護霊から送られる思念が入り込む余地はなくなってしまうと思います。




人は、困難や障害が立ちはだかると、どうしても避けて通りたくなります。

そんな時、守護霊は成長の好機と捉えています。

あえて、そちらに進んで行くように誘導し、望み通りに一歩を踏み出したら、今度は乗り越えるための思念を送り始めます。

その思念は、前に進んで行こうとする力、やり遂げようとする力となります。

敢えて困難な方向に進んで行こうとするのは、自分の意思だけではなく、霊界の存在からの後押しもあると考えられます。




ところで、「自分を信じる」とは、自分の何を信じるのでしょう。

信じようとしているのは、本当の自分である「魂」と考えられます。

表に現れている「自我」が、奥深くにいる本当の自分である「魂」を信じようとしていると考えています。

自分を信じようとすると、魂が呼び覚まされ霊的な意識が高まり、霊界で見守っている存在とのつながりが強化されると思います。

その結果、援助を受けやすくなり、予期していた以上の力が発揮されることもあります。




守護霊が働きかけやすいのは、地上の人の自我(頭)の働きが弱まっている時です。

先のことを心配したり、あれこれ考えたりすると、自我の働きは強くなってしまいます。

無心になっている時ほど、思念の伝達は上手く行くと考えられ、良いインスピレーションに恵まれると思います。

自我の働きが弱まり、霊的な感性が高くなると、霊的次元の影響を受けやすくなりますが、それが高じるとトランスと言われる状態になる可能性があります。




目には視えませんが、守護霊は確実にいます。

自分をどう信じたら良いのか判らないと思った時、守護霊を信じた方が良いかもしれません。

そうすれば、援助を受けやすくなり、物事が成就されやすくなります。

ただ、恩恵を求める前に、目に見えない存在を心から信じなければいけません。

しっかりと守り導かれていると、全幅の信頼を置いた上で、意念を向けることにより、両者のつながりは強くなります。




親、兄弟よりも親密な関係なのが守護霊です。

この世の人生を、共に分かち合っている存在です。

自分を信じるのと、守護霊を信じるのは、大差はありません。

なぜなら、経験や想いを共有している、霊界にいる自分自身とも言える存在だからです。




地上の人が、苦難を乗り越えようとしている時に、励ましや生きる勇気になる思念を送り続けているのは、成長して行く姿を見るのが守護霊にとって大きな悦びとなるからです。

自らの役目を果たし、引いては自分自身や類魂全体の成長も促されるからです。




地上の人の辿るべき人生は、生まれる前に大体は決まっています。

その記憶は、地上にいる時は意識に上って来ないので、シナリオ通りに生きられるように守護霊は付いています。

生まれて来た目的を遂行するために、適切な思念を送り続けています。

その内容が具体的に判らないとしても、地上の人に大きな影響を及ぼしているのは事実であり、認識しておかなければなりません。




もし、守護霊が付いていなかったらどうなるのでしょうか?

(地上の)自我の暴走に歯止めがかからずに、多くの過ちを犯してしまうかもしれません。

苦難に遭遇した時、直ぐに諦めてしてしまうかもしれません

誘惑に負けて、予定されていた人生から大きく逸れてしまい、繰り返し地上に生まれて来なければならなくなるかもしれません。

きっと、後悔の多い人生になってしまうでしょう。




相談できる人や、信じられる人がいなくても、心配ありません。

地上の誰よりも、心を知り尽くし、想ってくれている守護霊が付いています。



人生の荒波は、1人で乗り越えているのではありません。

常に、守護霊と一緒です。



自分を信じるのが難しいと感じたら、迷わず守護霊を信じて下さい。

守護霊を心から信じれば、自分との距離はなくなり一体となります。

心の中に思い浮かぶものに素直に従えば、魂が望んでいる通りに生きて行けます。




2020年7月5日日曜日

宇宙人が地球に来たとしたら



今から43年前の1977年、無人宇宙探査機のボイジャー1号がアメリカの基地から打ち上げられました。

地球の外側を回っている惑星に次々と接近して、極めて詳細な画像を送って来ましたが、25年経ってようやく太陽圏から抜け出したようです。

ボイジャー1号(想像図)



宇宙は、私たちが想像しているよりも、はるかに広大です。

ボイジャー1号は秒速17㎞、東京から大阪までわずか23秒という物凄いスピードで、地球から遠ざかっています。

それでは、ボイジャー1号が地球から最も近い星(恒星)に到着するのには、どれ位かかるでしょうか?

何と7万5千年以上かかります。

宇宙には、無限の星々が存在しています。

その中には高い知性を持った生命体が住んでいると考えられます。

しかし、地球外の(物的)生命体がSF映画のように、簡単に地球に来れるわけではありません。




仮にですが、知的生命体(以下ET)が地球の傍を通りかかることがあり、宇宙から眺めたとしたら、きっとこう感じるでしょう。

「何て美しい星だろう!」

そして「こんな美しい星には、すばらしい生命がきっと住んでいるはずだ」と思うかもしれません。

好奇心から、地球に立ち寄ってくれるような気がします。




ここからは私が想像した物語です。




ETを乗せた船は大気圏内に進入し、宇宙空間から青色に見えた液体(海)の上に停留しました。

船外に出て海上を見渡しましたが、何も見つけられません。

そして、海の中を探索し始めました。

すると、細長く、黒っぽい生命体が近寄って来ました。

イルカでした。

イルカは、ETにとても興味を示しました。

ETは、お互いのコミュニケーションをテレパシーで行っています。

イルカは仲間同士のコミュニケーションを音波や超音波で行っていますが、それ以上の意思伝達のための感覚を持っているようです。

ETはイルカに思念を送ってみたところ、それが伝わったようであり、反応を示してくれました。

イルカは、ETが自分たちと同じコミュニケーションの仕方をしているのを知り、とても喜びました。




ETはイルカに「あなたと違う生命が、この星にはいるの?」と思念で問いかけました。

すると、クジラや魚などのイメージを送って他にもたくさんいることを伝えて来ました。

今度は、イルカがETに、こんな質問をしました。

「見かけない姿だけど、何しにここに来たの?」

ETは、故郷の惑星の様子と、乗って来た宇宙船のイメージを送りました。

すると、イルカは地球の生き物ではないことを直ぐに理解しました。

今度はイルカが、日常の自分の様子と、仲間のイメージを送って来ました。

ETは、この生命体が海の中を、群れの仲間たちと一緒に自由に泳ぎ回っていることが判りました。

いくつかのコミュニケーションを繰り返し、お互いに危害を加えない存在であることが判りました。

友好的なことを確認して、ETはその場を離れて行きました。




次に、宇宙から茶色や緑に見えていた陸地を探索することにしました。

陸地の上を飛んでいると、今度は黒い大きな物体が近づいて来ました。

それはジェット戦闘機でした。

イルカの時と同じ様に、テレパシーで友好的な思念を送ってみましたが、全く反応がありません。

それどころか、その物体からは攻撃的な思念が放たれているのを感じました。

なぜ、友好関係を望んでいる私たちに、こんな望ましくない思念を放っているのか、全く理解出来ません。

近づいて来た物体を難なくかわし、さらに陸地を探索することにしました。




陸地の上には、いろいろな生命がいました。

それぞれが特徴的で、ユニークな形をしています。

中でも目に留まったのは、上下に細長く、2本の足を使って歩いている生命体です。

それは人間でした。




この生命体の最大の特徴は、物質から物体を作れることです。

テレパシーではなく、思念を言葉に変えて、体の一部から音を発してコミュニケーションしています。

巨大な建造物を作り、機械的な移動手段(車や飛行機など)で陸地を移動しています。

いろいろなものを作る技術があるのが判りましたが、その中には信じられないものもありました。

空中で出会った、あの黒い物体も人間が作ったものでした。

それに壊滅的な被害をもたらす、核爆弾を積むことが出来ることが判りました。

何でこんな恐ろしい兵器を作るのか、ETにはどうしても理解できませんでした。




そこで、情報源にアクセスして、人間について調べてみることにしました。

過去の人間は、離れた場所にいる人と接触することはなく、同じ地域で暮らしていたようです。

その後、物質的に豊かになるために、多くの物を求めて、他の地域に進出して行くようになったようです。

前から住んでいた人間とって、外から来た人間は見知らぬ存在であり、争いになることが度々ありました。

物や土地を手に入れるために、外から来た人間は、力によって屈服させようとしました。

その最も有効な手段として、武器を作り始めたことが判りました。

さらに相手を屈服させたい欲望が高じて、圧倒的な破壊力を持つ核爆弾を作るのに至ったようです。




武器を持った国同士に、真の信頼関係は生まれません。

いつ襲って来るのか判らないからです。

相手が恐ろしいので、より強力な武器を持つようになったようです。

この美しい星には似合わない、不穏で危険な空気が存在していることが判り、ETは失望しました。




何よりも驚いたのが、自分たちが住んでいる星を大切にせず、自らの手で破壊や汚染していることです。
          
             



他の生命体がたくさんいるのに、この生命体は自分たちのことしか考えていないようです。

そのために、他の多くの生命が苦しんでいる姿を、あちらこちらで見ました。




ETは知っていました。

全ての生命は役割があって創られていること、それぞれの役割を果たすことで、全体に調和が生まれることを。

しかし、最も強い人間が、自己中心的に考えてしまっています。

より多くの物を手に入れたい、より良い暮らしをしたい、飽くなき欲望が、この星の調和を著しく乱してしまっていることが判りました。




ETの住む星では、それぞれの生命が、それぞれの役割を十分に果たすために、協調しながら生きています。

全体に調和が生まれ、穏やかで平和です。

お互いが必要な存在であり、尊重し合って生きているので、争いなどありません。





初めは陸上に降りて、高い知性を持った人間と友好関係を結ぼうと考えていました。

しかし、陸上では、多くのところで煙が上がり、争いが起きています。

そこにいるのは、決まってお互いを信じられず、認められず、怖れを抱いている人間です。

そこかしこで、怒りや憎しみや恐怖の想いが放たれているのを感じました。




そんな人間が、外部からの侵入者である自分たちの存在を知ったら警戒し、友好どころではなくなってしまうのは目に見えていました。

また、自分達の利益のために、上手く取り入れられてしまう可能性があると感じました。

知性はあるかもしれないが、生命として最も大切なものが欠けているように感じました。

陸上に降りるのは止めて、遠巻きに空から眺めて観察することにしました。




ETは地球を十分に観察し、去る時が来ました。

そして、こんなことを思いました。

この星には表面が液体(海)と固体(陸地)があり、常に変化をしながら、美しい表情を見せていた。

そこには、多様な生命体が存在していた。

液体の中は、たくさんの生命体がいて、調和が保たれていた。

私たちに、友人のような好意を示してくれた生命体もいた。




固体の上にも、たくさんの生命体がいた。

ただ、液体の中と違い、固体の上には多くの問題があった。

何よりも大きな問題は、一番知性の高い生命体が、自分の住んでいる星を破壊していて、全体の調和を大きく乱しているのに、そのことに気付いていないことだ。

同じ生命体同士で、傷つけあったり、殺し合っている。

同じ星に住む、他の生命体に対して、尊厳を持っていない。

言葉を使ってコミュニケーションをしているので、他の生命体が発している悲しみや苦しみの想いに、全く気付いていないようだ。

だから、平気でこんな酷いことが出来る。

そして、物質的なことに強い欲望を持っている人たちが多くいる。

頭の中で考えていることに、私たちが気付いていないと思っているようだが、言葉で言っていることと、頭の中で考えていることが全く違う人たちがいる。

信じるに足りない存在である。

この生命体は、自分たちが愚かな過ちを犯していることに気付いていない。

知的でこの星で最も優れていると信じ切っている。

私たちが、過ちを教えても、耳を貸さないだろう。

過ちに気付くためには、奥深いところで眠っている、神性が目覚めなければならない。

目覚めさせるためには、神の法則が作動し、人間の力ではどうすることも出来ない、大きな出来事が起きるしかないだろう。

その時まで、待つしかない。




液体の中は、様子が違うようだ。

物質的な欲望を持っている存在がいない。

生命に調和が保たれている。

しかし、陸上のあの生命体が、液体の環境まで破壊し始めているようだ。


この星で、私たちが友好関係を結ぶべき生命を探してみた。

どうやら陸上にはいないようだ。

海の中にいた。

彼らは、地球に調和して生きている。






地球に生きている私たち人間と、遠い宇宙の果てで生きている生命体には、全く同じ自然法則が働いています。

その自然法則によって、宇宙の秩序は保たれています。

全宇宙の全生命は、自然法則に従って進化しています。

生命が進化することで、周囲との間に高い調和が生まれます。




その自然法則を貫いているものは愛です。

元々1つであったものが、物質的にばらばらになり、お互いが愛を表現することで、再び霊的に1つになるように、自然法則は働いています。