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2026年6月14日日曜日

今を生きるために


私の家には2匹の犬がいます。

犬たちを見ていて、自分もこうありたいなと思うことがあります。

それは「今を全力で生きる」ことです。



犬はどうして、今を全力で生きられるのでしょうか?

その理由の1つとして、過去や未来に捉われていないことが挙げられます。



人間は過去を思い出しては、悔やんだり、怒ったりします。

未来を想像しては、心配したり、不安を抱いたりします。

人間だから仕方がないと言えばそれまでですが、今の自分が未来の自分を作って行くと思うと、何とかしたいものです。



なぜ、過去に捉われてしまうのか?

過去の記憶は消そうにも消せません。

その記憶の多くは、特定の感情と紐付けされています。



私は幼少期に大きな犬に手を噛まれた経験があります。

そのために、しばらくの間、怖くて犬の傍に行けなくなりました。

過去の出来事によって生じた、怖れ、怒り、悲しみなどの感情が、今の自分に大きな影響を及ぼしていることは少なくありません。

けれども、それらの感情を自分の意志で消すことはできません。



十数年前ですが、山の中を放浪していたラブラドール犬のJ君を保護しました。

J君は立派な体格をしていて、ブリーダーの元で繁殖犬として飼われていて、身勝手な理由で山の中に捨てられたと推察されます。

ひどい仕打ちを受けて来たのでしょう、体には大きな傷があり、人間に対して強い不信感と怒りや怖れを抱いていて、威嚇しながら逃げ回っていました。

妻が1ヶ月くらい通って餌を与えて馴らして、どうにか捕まえることができました。



自宅の居間の片隅にJ君の居場所を作りました。

J君は、そこから飼い犬が私たちと遊んだり、甘えたりする様子をじっと眺めていました。

飼い犬のしろ

保護したJ君

「人間は怖くないんだ」と思ってくれたのでしょうか、徐々に距離が小さくなり、触れることができるようになり、散歩にも連れて行けるようになりました。

その先に、素晴らしい出会いが待っていました。

これ以上ないと思われる若いご夫婦が現れて、家族に入れてもらいました。(ご主人はJリーグチームのキャプテンでした)

怖れや怒りに支配されていたJ君ですが、奥様の深い愛情と、ご主人の強いリーダーシップによって、下の写真のように安心して今を生きられるようになりました。

劇的に変わったJ君(奥様のブログから引用)


人間も同じです。

心の中にそのような感情が占めていたら、今を安心して生きることはできません。

それらの感情を打ち消すことのできるのは、「愛」と考えています。



愛は魂から生まれています。

魂には神が宿っています。

けれども、魂や神は霊的なものであり、存在を証明することはできません。


動物を見て、「かわいい」とか「守ってやりたい」という気持ちが自然に生まれます。

それは、私たちに神が宿っているからです。

そこから愛が生まれているからです。




愛を証明することはできませんが、ほとんどの人は実感したことがあります。

愛は五感を超えたものであり、実感しているのは魂です。

目に見えない愛の存在を信じられるのであれば、目に見えない魂、そして愛の源泉である神の存在も信じられるはずです。




神は全宇宙です。

神の創った法則によって、全宇宙は進化成長を続けています。




全てが神です。

私たちは神の創った神の一部です。




神と自分は別個の存在ではありません。

神と自分の間に隔てるものは何も存在しません。



ところが、多くの宗教が神と人間は別個のものと説いています。

その理由は、神との間に入って、取り次ぎたかったからと考えられます。

真実が広まって行くことで、宗教を通して神とつながる時代は終わりを告げると考えられます。




神を信じることによって、霊的なつながりが強くなります。

神のエネルギー(愛)は無尽蔵です。

つながりを通して、内からエネルギー(愛)が湧き出します。




神が全宇宙であるならば、この世界を心から信じることができれば、負の感情は打ち消されて、今を生きられるようになると考えられます。




霊界に行くと、肉体も(地上の)自我もなくなります。

過去や未来と結びついている感情からも解放されます。

怒りや悲しみが生じるような出来事が起きることはなく、未来を憂いたり、心配したりすることもなくなり、永遠の今を生きるようになります。



地上に生きている限り、感情をなくすことはできません。

なくす必要もありません。

感情があるからこそ、人生が豊かになり、さまざまなことを学ぶこともできます。

けれども、今を生きられなくなるような感情に支配され続けてしまうと、本来の自分を表現できなくなり、地上で予定されていた成長が得られなくなる可能性があります。





「自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

自分を信じることは、自分に宿る神を信じることにつながります。

自分を強く信じられるようになれば、神とのつながりが深まり、内から湧き出すエネルギー(愛)によって、負の感情から解放されて、今を生きられるようになると考えられます。

地上では、その強い意志が求められているのかもしれません。



神とのつながりを深めるのは、一朝一夕には行きません。

若い時に、混み合った電車の中で、初めてお年寄りに席を譲った時、心がほんの少し温かくなるのを感じました。

その時は気恥ずかしさからと思っていましたが、今は神の心に適った表現をしたことにより、つながりが深まり、エネルギーを受け取ったためと考えています。



日常生活において、親切にしたり、思いやりをもって接したり、優しくしたり、励ましたり、慰めたり、労わったり、協力したり、助けたり、認めたり、許したり、感謝する、そんなささやかな行いによって、少しずつ神とのつながりが深まって行きます。

そのような機会に溢れているのが地上です。

今を有意義に生きていることになります。






2025年1月19日日曜日

今を生きるために意志を持つ


去年の12月26日に、愛犬の金太郎が亡くなりました。

金太郎は兄弟犬のはなと我が家で生まれ、母犬のしろと共に暮らしていました。

3匹は近寄ったり、匂い嗅いだりしてお互いの存在を常に確認していましたが、日々衰弱して行く金太郎の様子を、はなとしろは少し離れたところから見ていてました。



金太郎の魂が肉体から離れる時が来ました。

全く動かなくなった金太郎を見て、犬たちが死を認識していたのかは分かりません。

それでも、はなの瞳からは別れの悲しみのようなものを感じました。



人間は動物より精神(自我)が発達しています。

精神が発達するのに伴い、感情も豊かになって行きます。

人間と共に暮らし、愛情を受けた動物たちは自我が芽生え、さまざまな感情を表現するようになります。

嫉妬という感情も生まれ、人間に近づいています。

また、人間の感情を識別していると思う時があります。

悲しんでいたり、落ち込んでいたりすると、寄り添って顔をなめて慰めようとします。



金太郎を散歩に連れて行く時に使っていたリードを見ると、元気な時の姿が思い出されて、(元気でいるのは分かっていても)悲しくなってしまいます。

はなとしろは、何事もなかったかのように元気にしています。



人間は過去を思い出します。

思い出しては、感傷に浸ったり、後悔したり、時に怒りや憎しみが生まれる時もあります。

もちろん動物にも過去の記憶はあるでしょうが、生きて行く上で必要のないことは思い出さないと考えられます。



人間は未来を予測します。

予測しては、不安になったり、心配したり、恐れを抱いたりします。

動物も未来を予測するでしょうが、生きて行く上で必要のないことは予測しないと考えられます。



動物たちが元気なのは、今を生きているからです。

それに比べて人間は、過去や未来に捉われて、必要のない感情が生じることによって、生きる力が奪われていると思います。



感情は精神(自我)から生まれています。

精神の上位には、意識の源泉である魂が存在しています。

魂からは、意志(意念)が生まれています。

意志があるところに、感情は生まれません。



1947年、インドがイギリスから独立しました。

その立役者となったのがマハトマ・ガンジーです。

ガンジーは強い意志で、非暴力を貫き通しました。

非暴力という意志を持つことにより、敵対する者への怒りや憎しみの感情が生まれるのを防いでいたと考えられます。

ガンジーだけではなく多くの国民も、同じ意志を持つことにより、感情的にならなかったので、目的が成し遂げられたと思います。(怒りを爆発させたら武力で封じ込められていたでしょう)




アルピニストが断崖絶壁を登って行く姿を見る度に、怖ろしくてとても自分には出来ないと思います。

もちろん彼らにも「怖い」と言う感情はあるはずですが、それよりも「登る」という意志の方が上回っているので、挑戦することができると考えられます。

シスパーレに挑む平出さんと中島さん(2024年7月没)



誰もが同じような経験をしています。

仕事や趣味などに没頭すると、それまであった感情を忘れています。

意念は感情に優っているのです。





死んで霊界に行くと肉体がなくなり、地上的な苦しみから解放されます。

何もしなくても生きて行くことができる安楽な世界です。




霊界においても、生きる目的は魂の成長です。

何もしなければ、成長もありません。

自分の意志で何かをして、それにより周りが良くなれば、自分も良くなって(成長して)います。




時間が存在する地上では、過去の記憶や未来の憶測が付きまとい、そこから苦しみを伴う感情が生まれます。

その感情に支配されないためには、意志を持つことが必要です。

地上で意志を培うことは、(時間がなくなり)今を生きている霊界での成長につながります。




胸に手を当てると、自分の意志を感じ取ることができます。

心臓の鼓動は、地上を生きようとしている魂の現れです。




2024年6月9日日曜日

今を生きるために神を信じる


金太郎という名前の犬を飼っています。

肝臓にガンが見つかり、先月手術をしました。

終わった後に金太郎に会いに行くと、もう麻酔から醒めていて、いつもと変りなく元気に見えました。

先生から話を聞いたところ、ガンはかなり大きく出血を伴い、手術は大変だったそうです。

もし、自分が受けたのであれば、1週間位はベッドの上で痛みに耐えながら過ごすことになったでしょう。

回復力には驚くばかりでした。



身体を癒す力は自然治癒力です。

その力の存在がなければ傷口は塞がらず、身体にメスを入れることはできません。

病気を治す主役は自然治癒力であり、医者はその手助けをしていると言えます。



自然治癒力はどこから来るのでしょう?

源泉は神です。

全生命は神の一部としてつながっていて、生きる力(生命力)を受け取っています。

受け取った生命力が、身体を癒す力として働いています。



私の患者さんに、中年のサラリーマンの男性がいました。

ある日、口の中が痛いと来院されましたが、診ると歯ぐきがひどい炎症を起こして、ところどころから膿が出ていました。

急性の炎症を起こした理由は、免疫力が低下して、細菌の勢いが増したためと考えられます。

聞いたところ、仕事で大変なストレスがかかっていたそうです。

ご自身が受け取っている生命力の大部分が、精神活動に費やされてしまい、肉体まで回って来なかったために、免疫力が低下したと考えられます。



「取り越し苦労は大敵です。生命力を枯渇させて、霊性の発現を妨げます。」

シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

取り越し苦労をすると、不安や心配などが生まれ、それが外部からの生命力の流入を妨げます。

流入した生命力は、魂⇒精神⇒肉体へと次元変換されながら伝わっています。

あれこれと頭で考え、不安や心配が強くなると、生命力の多くが精神で費やされてしまい、肉体に十分行き渡らなくなります。

肉体において生命力は免疫力や自然治癒力として機能しています。

つまり、取り越し苦労をしている人は、病気になりやすく、治り難いと考えられます。



ヒーリングの力も生命力の一種です。

免疫力が高まるのは、乳がんの患者さんにヒーリングを行った後に取ったデータ(下図)により証明されています。

ヒーリングをすると不安や怖れが和らぐのは、生命力の本質が愛であることを意味しています。

ヒーリング後に上昇したNK細胞活性(赤丸)


地上の人間は、肉体、精神、魂(霊)の3者の複合体です。

神から伝わった生命力により魂から意志が生まれ、その意志が精神を働かせて、肉体に命令が出され、肉体により表現されて完結します。

新しいこと、難しいことに挑戦する時、何とかしてやり遂げようとする意志が生まれます。

上手く行くように、精神が働いて、肉体を動かします。

ところが、精神は上手く行かなかった時のことも考えます。

あらゆる事態を想定することは必要ですが、その意識が過剰になると怖れや不安が生じてしまい、上手く行くのを妨げてしまいます。

やり遂げようとする力(意志)が、怖れや不安の感情により損なわれてしまいます。

力が出せなかった時は、そのような感情に支配されていることが多いです。



犬の金太郎を見ていると、つくづく思うことがあります。

それは「今を生きている」と言うことです。

過去や未来に捉われたりせずに、目の前で起きていることに真剣です。

回復が早いのは、生命力が精神によって損なわれることなく、治癒力として肉体に注がれているためと思います。



子供も生命力に溢れています。

動物と同じように、今を生きているからだと思います。

大人になるのに従い、自我が発達して、今を生きるのが難しくなって行きます。

過去を思い出しては、怒りや悔いなどの感情に苛まれてしまいます。

将来を考えては、心配や不安などの感情に捉われてしまいます。



百歳を越える人に長生きの秘訣を尋ねると、腹を立てないこと、くよくよしないこと、そんな答えが返って来ることが多いです。

生命力を損なう感情をなるべく持たないことで、肉体に回る生命力が維持されて、病気になりにくくなると考えられます。



それでも、生きているといろいろな出来事が起き、さまざまな感情が生まれてしまいます。

そんな時、シルバーバーチの霊訓のこの言葉を思い出します。

あなた方は一体何を恐れ、また何故か神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身をゆだねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って、神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。心の奥を平静にそして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通じて発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことが出来るのです。愛がすべての根源です。」

霊界にいるシルバーバーチにとって、神の力で生かされている私たちが、何故神の力が信じられないのか理解できないのかもしれません。

そして、こうも言っています。

「神の力は物質的な宗教的建造物ではなく、霊的存在であるあなたがた人間を通して流れます。もしあなたが確固たる不動の冷静さを保てずに怖気づいてしまえば、その力は発揮されません。あなたは神の一部なのです。神とは何か形がない遠い宇宙の果てにもやもや浮いているような存在ではありません。神はあなた方から切り離された何か別の存在ではないのです。あなたの内奥に宿された神性である愛を人生で発揮すればするほど、それだけあなたが神をこの世に顕現させていることになります。霊が進化・成長するとはそのことを言うのです。」

神は全宇宙であり、全法則と考えられます。

私たちは神(宇宙)を構成する一部として、地上を生きています。

全宇宙に無限に満ちている力によって生かされています。



愛と同じく、神も五感で感じられません。

地上においては、信じるしかないのです。

必要としている人は、信じられるようになる出来事を経験するかもしれません。

目に視えない最も大切なものに、経験を通して気付くことは、地上に生まれて来た目的そのものだからです。



神の存在を能動的に信じることによって、つながりが強くなり、そこから流入する力(愛)によって、怖れや不安や心配など無用な感情が払拭されて、今を生きる力が生まれます。





2022年10月16日日曜日

今を生きるために


「人生の秘訣は今を大切に生きることです。明日を思い煩ってはいけません。」

シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。



「今を大切に生きる」解釈はいろいろあるでしょう。

私は、過去や未来に捉われないで生きることだと思っています。



けれども、これがなかなか難しいと感じています。

あの時こうしておけば良かったと、過去を振り返り、悔やむ時があります。

ただ、良く考えてみると、その通りにしていたら、どうなっていたのかは判りません。

誰にも判らないことを、悔やんでみても仕方がありません。



悔やむだけでなく、怒りもそうです。

例えば、ある人から仕打ちを受けて、怒りを感じたとします。

その人の自由意志によるもので、自然法則に反している行為であれば、自分が苦しんだ分、その人も苦しむことになります。

もしかしたら、忘れている、あるいは気付いていないだけで、過去の自分の言動に原因があり、時を経て返って来ているのかもしれません。

どちらにしても、因果律の働きにより、全てが公正に解決されて行きます。

そう考えると、怒っても仕方がないような気がします。



悔いや怒りを感じているのは、過去に起きたことに対してです。

それらの感情に捉われている時、今ではなく過去に生きていることになります。

割り切ることができないのが人間ですが、できれば捉われたくはありません。



この人生で終わりではありません。

死んだ後、この世とは全く違う世界で生きることになります。

そして、目的があって、また地上に生まれて来ます。

果てしなく続く生命の営みの中で、この人生の、この場面で、この決断をして、この経験をすることが、学びや成長あるい償いのために、予め決められていたのかもしれまんせん。



私たちは、この人生の過ぎ去った部分しか認識できません。

従って、全体から起きたことを評価することができません。

一部分で評価してしまうために、さまざまな感情に捉われることになります。



過去に起きたことを変えることはできません。

難しいでしょうが、感情に捉われないためには、自分が変らなければいけません。

捉われていなければ、過去に生きていることにはなりません。



未来に対してもそうです。

心配や不安や怖れは、未来を想像することで生じます。

頭の中で想像したものには、実体などありません。

実体がないものに、感情を抱いても全く意味がありません。



考えたり、思ったりすることができるのは1つです。

悔いや怒りや心配や不安などの感情に捉われてしまうと、今をどう生きれば良いのかを考えられなくなってしまいます。



何もしていないと、過去や未来に意識が向かい、感情に捉われてしまいがちです。

目の前にあることをする、あるいは考えることで、意識は今に向かいます。

難しいことではありません。

散歩をする、深呼吸をする、何でも良いです。

自分の意志で、何かをしていれば、今を生きていることになります。



ただし、過去や未来のことを考えながらするのでは意味がありません。

心の中を空っぽにして、目の前にあることだけに集中をしなければいけません。

何かをしていれば、心に余分な感情が入る隙間がなくなります。



仕事に集中していたり、趣味に没頭していると、感情から解放される時があります。

歌を唄う、本を読む、料理をする、また食べるのもそうです。

重要なのは無心になってすることです。

そうすれば、今を生きていることになります。



羊の数を数えると、眠れると言われるのは、他のことが考えられないようになるからです。

能動的に何かをするしかありません。

自分の意志が存在していないと、感情に捉われてしまいます。



過去や未来のことに心が奪われてしまうのは、限られた地上の人生で無駄な時間を費やしていることになります。

起きたことから生じる感情に捉われているのは苦しいものです。

苦しみは、自分を変えるために、神が与えた触媒と考えられます。

捉われない自分に変わるように促されています。



死んだ後に赴く世界は、地上のような時間はなく、永遠の現在と言われています。

地上で表現していた自我もなくなり、ありのままの自分でしかいられません。

例えば、醜い心を抱くと、それが瞬時に容貌全体に現れて、結果として霊格が下がるのが分かるそうです。

原因が生じれば、結果がすぐに現れるので、地上のような時間の経過がないと考えられます。

すぐに結果が出るので、過去を悔いることも、未来を心配することもないと考えられます。



今を生きるように努めなければならないのは地上だけです。

過去や未来のことから生じる感情に捉われないために、自分の意志で何かをしなければいけないのは、地上での大切な修練と考えられます。



次の世界は思念が全てです。

何もしなくても生きて行ける世界において、最も重要なのは意志(思念)です。

意志がなければ活動はなく、活動がなければ成長はありません。

地上でのさまざまな経験を通して、私たちは意志を強くしていると考えられます。



小学生の息子さんを、交通事故で亡くされたご両親がいました。

道路を渡っている時に、車にはねられてしまいました。

小さかったので「横断禁止」と漢字で書かれた標識の意味が分からなかったそうです。

ご両親は、小さな子供でも分かるような標識に変える運動を始めました。

それが実を結び、全国の道路標識にひらがなで「わたるな」が加えられました。



身が引き裂かれるような悲しみや苦しみを感じていたでしょう。

交通事故で亡くなる子供、自分と同じ様な思いをする家族がいなくなって欲しいと言う強い意志がありました。

その意志により、苦しめられていた感情から少なからず解放されていたと考えられます。



最高の意志とは他者を愛することです。

他者を思いやることで、神からの愛をご両親は受け取り、魂は癒されていたと思います。

過去から解放されるためには、意志を持って今を生きるしかありません。





2017年11月26日日曜日

今を生きる



「今を生きる。」

良く使われるこの言葉は、過去に捉われず、未来を心配しないで、今この一瞬を大切にして生きるという意味と解釈しています。

言葉にするのは簡単ですが、これはなかなか難しいと実感しています。

人は、過去の記憶に縛られやすく、将来に対し不安を抱いてしまいやすい生き物だと思うからです。



過去に捉われてしまうと、何故いけないのでしょうか?

それは、今の自分に、少なからず影響を与えてしまうと考えられるからです。

何かを精一杯しようと思っても、過去に捉われていると、力を出そうとしても出せません。

生きていれば、誰にでも失敗はあります。

しかし、過去の失敗に捉われてしまうと、今、何かに挑もうとしても、二の足を踏んでしまうかもしれません。

もし、過去に裏切られた経験があれば、同じような経験を恐れるあまり、今、出会った人が信じられずに、友好関係を結べなくなってしまうかもしれません。

過去に捉われてしまうと、今が変わってしまい、その先の人生に大きな損失が生じてしまうのは間違いありません。



また、未来のことを心配し過ぎるのも良くありません。

自分の力を、出し切れなくなってしまうからです。

何かをやろうとする時に、どのような結果になるのかは事前には判りません。

上手く行かなかった時のことを想定して備えるのは当然です。

しかし、上手く行かない時のことばかりを考えてしまうと、そこから派生して生じるであろう事態をまた心配してしまい、際限がなくなってしまいます。

失敗するかもしれないと思うのは良いのですが、失敗したらどうしようと思ってしまうと、好ましくない感情に支配されてしまいます。

不安や怖れが生まれれば、今を精一杯生きようする力が、内から湧いて来なくなってしまいます。



全ての人の人生の目的は、自分(魂)を成長させるためです。

人それぞれに、人生で困難や障害が立ちはだかりますが、それは乗り越えて行くことで自分(魂)が成長して行くという自然法則が存在するためです。

この世に生まれた人にとって、困難や障害が立ちはだかるのは避けられません。



人生には、人それぞれに大まかなシナリオがあります。

シナリオは人智を超えたものによって立案され、それに沿ってさまざまな出来事が訪れます。

目の前に立ちはだかった困難や障害は、必ず乗り越えられるようになっています。

それは、乗り越えられる困難や障害だけが自分の前に生じるように、自然法則の働きによって計られているからです。



本当の自分(魂)は、目の前に起きた出来事を乗り越えることによって、自分が成長することを知っています。

人生のどこかで、その出来事が起きて、乗り越えて成長することを誓って、この世に生まれて来たからです。

しかし、地上の人間には、もう1つの自分(自我)が存在しています。

もう1つの自分は、そのことを知りませんので、頭であれこれと考えてしまいます。

「魂なんて存在するはずはない。死んだら終わりで無になる。」

そう考えてしまえば、出来事は運、不運として片付けてしまい、人生は不公平で、不平等なものに思えてしまいます。

そして、もう1つの自分は、自分を守るために、安全で楽な方向に進んで行こうとします。

「やっぱり無理だ」

「失敗したらどうするんだ。恥をかくぞ」等々、躊躇させたり、止めさせようと頭の中で囁いています。

乗り越えようとする本当の自分と、躊躇するもう1つの自分の間で、せめぎ合いが起こり、その状態は、精神的な葛藤として自覚されます。

では、どちらに進んで行けば良いのでしょうか?

本当の自分の想いに従い、乗り越えて行く方向に進んで行くのが正解です。

自分が成長し、生きている意味の1つを成就させることになるからです。



全ての事象は、自然法則の働きにより生じていて、偶然は何1つありません。

自然法則とは、神の摂理です。

私たちは、神の摂理の働きによって、成長する方向、神に近づく方向に導かれていると考えられます。

人生の出来事も、神の摂理の働きにより生じていて、その目的は私たちを成長させるためと考えられます。

人生の(困難や障害を伴う)出来事を乗り越えて行くことで成長して行きますが、もし、乗り越えて行けない出来事が起きたならば、目的から外れたことが起きたことになります。

神の摂理の働きは完全無欠と考えられます。

目的から外れるような出来事は、決して生じないはずです。

従って、今回は絶対に無理と思うような出来事が起きたとしても、神によって乗り越えられることが保障されていると考えられます。



シルバーバーチの霊訓には、取り越し苦労はするなと、何度も書かれています。

取り越し苦労とは、もう1つの自分の想像により生み出される不安や心配や怖れの感情であり、その感情は霊力の流入を妨げてしまい、乗り超えられるはずの出来事が、乗り越えられなくなってしまう可能性があると考えられます。

霊力とは生命力であり、魂を介して思念となります。

不安や心配や怖れは、想像している以上に厄介なもののようです。

乗り越えようとする思念が生じる、大きな妨げとなってしまうからです。

霊界で見守っている存在からの援助の力が届く、大きな障壁となってしまうからです。



困難や障害が立ちはだかった時の1番の障壁は、対象そのものではなく、実は自分自身かもしれません。

立ち向かっていこうとしている本当の自分(魂)にブレーキをかけている、もう1つの自分がいるからです。

人生の出来事が起きると、両者の間でせめぎ合いが必ず起こります。

自分に克つとは、本当の自分(魂)が、もう1つの自分(自我)に打ち克つことを指すと考えられます。



しかし、全力を尽くしても、期待した結果が出ないこともあります。

目に見える結果は、地上的なものです。

形となる結果が出せなくても、目に見えない最善の結果が得られていることがあります。

結果を出すのはもちろん大切ですが、その経験により、いかに成長したか、何を学んだかの方が、霊的にははるかに大切です。

また、期待した結果が出なかったとしても、それは予定されていたことであり、その先でさらに大きく成長するためなのかもしれません。



もう1つの自分は、思考によりさまざまな想像を作り出します。

その想像から不安や心配や怖れが生じてしまうと、その念が(乗り越えさせる)力の流入を妨げてしまいます。

自分(魂)を信じて進んで行けば、最善の結果が待っていますが、道をふさいでいるのは、もう1つの自分です。

もう1つの自分がいるのを意識し、それを沈めて、内側にいる本当の自分が望んでいるものを浮かび上がらせ、それに迷わず従いましょう。



過去の自分が、今の自分を作り上げて来て、今の自分の成長にとって最適な出来事が生じています。

たとえ直ぐにとは行かなくても、必ず乗り越えられるようになっています。

強く信じて進んで行けば、その先に悦びが待っています。

過去に捉われず、未来を心配し過ぎず、今を生きましょう。