2013年9月7日土曜日

病気にならないために



もし身体の具合が悪くなってしまったら、多くの人は医者にかかります。

医者は(西洋)医学を学んでいますので、問診とともに各種検査を行い病気を診断し、外科処置や投薬などの治療を施します。

血液、レントゲン検査等により異常(所見)を発見し、診断の根拠としますがあくまでも肉体を対象とした物質次元での診断です。



そして、治療も肉体を正常に近い状態に戻すことが目標となります。

骨折などの外傷は物質次元での原因が主ですので、対応も整復や縫合など肉体次元の処置を行えば良いのですが、霊的次元に原因が存在する場合は霊的次元での対応が必要となってきます。

しかし、現代医学では霊の存在は認めておりませんので、霊的次元に原因が存在するなどとは全く考えていません。

誰が見てもわかる証拠(客観性)がないため、非科学的なものとして扱われ、霊を論じること自体がはばかれるというのが現状です。



しかし、科学は生命とは何かという大命題にいつまでたっても答えを見出せずにいます。

その理由は「生命は霊」という根源的な事実を頑なに認めないためです。

霊の存在を認めた時に、はじめて生命の本質が理解され、病気の根本的な原因や自然治癒力について迫ることができると思うのですが、それにはしばらく時間がかかりそうです。



私がヒーリングを行なう患者の霊的次元での原因を探る時、文献や論文があるわけではありませんので、信頼のおける霊的治療家の書籍を参考にしながら、霊訓真理に照らし合わせるようにしています。

何よりも頼りにしているものがあり、それはインスピレーションです。

ヒーリングをしている時や、患者に意識の焦点を合わせていると伝わってくることが多く、ふいに浮かんでくるイメージであったり言葉であったりします。

ただ目に映るものではなく、耳で聞いているわけでもありません。

ヒーリングの治癒力も私が作り出したものではなく、受け取っていますので、それと同じ(霊媒)現象が起きているのだと思います。

インスピレーションは頭脳より瞬間的に生まれる発想ではなく、霊界に存在する知的存在から伝えられるものと認識しています。

それは芸術家に降りてくるインスピレーションと同じ原理だと思われます。

ただし、インスピレーションにより得た情報が正しいことを証明するのは不可能であるため、患者には助言として伝えています。

1例ですが、顔面神経麻痺(Bell麻痺)の方をヒーリングをして現在経過を見ています。

麻痺のはっきりとした原因は解明されておらず、ストレスが誘因となりうることは分かっています。

後日、患者に意識を合わせるとインスピレーションが伝わってきました。

その概要ですが「自分の感情を押し殺して作り笑いをしてしまう心と表情の大きな隔たりに起因している」ということでした。

「自分の気持ちに正直になりなさい」ということなのでしょうか。

どう受け取ってもらえるかが分かりませんでしたが、病状がこれ以上悪化して欲しくなかったのでお伝えしました。

以前は潜在意識による私の推測かもしれないと疑っていましたが、それを否定する決定的な出来事があってから考え方を変えざるを得ませんでした。

そのことについては別の機会に書きたいと思います。



シルバーバーチも言っていますが、霊が王様(上位)であり、精神と肉体は従者(下位)です。

いくら肉体をいたわり大事にしても、より高次の霊に意識が向かなければ、知らず知らず摂理に背いた想いを抱いたり、行為をしてしまうことになります。

その状態が長く続いてしまうと、時として肉体や精神に病気という形で顕現してしまいます。

そうなると償いのために相応の苦痛を経験しなければなりません。

病気になってからではなく、その前に大事なこと(摂理)に気付いた方がはるかに賢明です。

それを学ぶのに霊的真理を超えるものはありませんし、シルバーバーチの霊訓は最適な書であると思います。



何度でも声を大にして「摂理に背いた憎しみ、妬み、恨みの想いを捨て去り、摂理に適った慈愛の想いを持ち続けましょう。

欲を張らず穏やかな日々を送りましょうと、言いたくなります。

長寿で元気な方に「長生きの秘訣は」と質問すると、「くよくよしない」とか「明るく楽しく生きる」中には「腹八分目」と答えが返ってきますが、すべて摂理に適っており、確かな証人だと思います。

心身ともに健やかに生きるために、これ以上大切なことはありません。

2013年9月1日日曜日

病気を治すために

病気とは何かを考えてみました。

岩波出版社の生物学辞典では、病気とは「個体の秩序が何らかの原因(病因)によって偏倚した状態をいう」と定義しています。

「原因には内因と外因があり、内因は年齢、性、人種などの素因や体質のほか、遺伝・内分泌線機能障害・免疫などをさし、外因には栄養の欠乏、物理的・科学的作用、ウイルス類、細菌類などの感染をあげることができる」と記載されています。

何やら難しいことが書かれていますが、「病気」という文字を眺めた方が良さそうに思えます。



気が病む、肉体を超えた何ものかが病むということで、それは精神であり魂(霊)であると考えられます。

つまり精神、魂が病んだ結果として、肉体に病態として顕れ、認識されるということです。

そうであれば多くの病気の根本的な治療は、精神や魂を対象としたものでなければならないと思います。

ストレスで胃潰瘍になる方がいますが、H2ブロッカー(胃酸を中和する薬)を飲んでも対処療法に過ぎず、精神的ストレスを改善しなければいけません。

精神的ストレスを生み出すものは様々ですが、その多くは人間関係であったり、過度の労働であったりします。

かと言ってそれらを避けて日常生活を送ることはなかなか許されません。

いやだとか避けたいと思った瞬間、ストレスとなって肉体や精神に悪影響を与え始めます。数年前に私も大きな困難に遭遇しましたが、幸運にも「シルバーバーチの霊訓」と出会うことができたため、つらい経験でしたが精神的、肉体的にも健全さを失うことはありませんでした。

もし出会ってなかったら、深い絶望感から心身は衰弱し、病気になっていたかもしれません。



この世に生まれてきたのは、魂の向上のためであることは言うまでもありません。

魂の向上は、困難や苦痛を伴う経験を通しても、得られます。

従って、この世を生きているうちに、望む、望まないにかかわらず、困難や苦痛を伴う経験に、出会うことになります。

つらいライフイベントや深刻な災難が起きても、(霊的)知識があれば与えられた試練として受け止め、ストレスから病気になってしまうことはないでしょう。

霊的知識のあるなしは、物理的な内的、外的因子よりも、はるかに現代の病気の発症に関係していると思います。



そして病気には、この世に生まれる前の罪(カルマ)によるものと、生まれてからの罪(カルマ)によるものがあります。

いずれも相応の償いの期間が必要であり、苦しみや痛みを経験しなければいけません。

生まれてからつくってしまったカルマで病気になってしまった、例えば摂理に背いた憎しみや、怒り、妬みなどの感情を持ち続けたために、ガンになったり、あるいは、心身の限界を超えて働き過ぎると、うつ病になったりします。

そして、病状がさらに悪化して、死という転帰をとったとします。

死は魂が肉体から解放されることであり、決して不幸なことではありません。

しかし、学ぶことがあってこの世に生まれてきたのであり、それを病気により道半ばで切り上げてしまうことは、神や霊界が望むことでは決してないはずです。

そんなことから、私は神により病気を治す機会が、すべての人に平等に与えてられていると、考えています。



せっかくの機会を無視し、摂理に背き続けると、シルバーバーチが言うようにカルマ的負債が大きくなりすぎて、肉体を犠牲にする(死ぬ)しかなくなります。

病気を治すために最も優先すべきことは、摂理に背いた心を抱くことや、行動を改めることです。

摂理に適った心、慈愛の心、赦す心、感謝の心を持ち続け、過度な労働は避けて、無欲で穏やかに日々生活することにより、病気の原因であるカルマは少しづつ小さくなり、それに伴い病気も良くなってくるはずです。


摂理に適った心に変わるためには、相応の苦しみや痛みを経験しなければなりませんが、人や動物に親切にやさしくすることを心がけ、社会貢献やボランティア活動をするにより、その期間はきっと短くなると思います。


病気を根本から治すのは(自然)治癒力であり、薬ではありません。

治癒力は受け取るものであり、より多く受け取るためには他者を愛するしかありません。

「施すものほど授かる」は、永遠不滅の真理です。