2023年5月28日日曜日

子供たちにも霊的真理を


学校に通っている時に1番緊張したのは、通知表を渡される瞬間でした。

5段階評価でしたが、この数字を見て自分よりも親が一喜一憂していました。

親が喜ぶため、あるいは叱られるのが嫌なので、頑張って勉強をしているお子さんは、今も多いのではないでしょうか。



ところで、通知表の「科目」の評価の右側には、「生活のようす」と言う評価があります。

「子どもと一緒に成長する毎日」より

その項目には「思いやり」「自主性」「責任感」「公平性」などがあります。

学科の評価ばかりに目が行き、当時は全く気にしていませんでした。

今は、こちらの評価の方が大切ではないかと思っています。



どんなに難しい数式が解けても、漢字をたくさん知っていても、それが活かせるのはせいぜい100年くらいです。

死んであの世に行けば意味がなくなってしまいます。

けれども、「思いやり」などの資質は失われることはありません。

あの世では、頭の良し悪しではなく、通知表の右側に書いてあるような資質が問われると考えられます。



小学生の時のことです。

借りた鋏を返すのに、持つを方を前にして手渡したクラスメートのことを、みんなの前で先生が褒めていました。

そうしていなかった私は、ハッとしました。

クラスメートは、褒められたことを忘れないでしょう。

テストの成績が良かった時よりも、こんな思いやりのある行動ができた時に、もっと褒めてあげれば、子供たちの霊的な意識は高まって行くのではないでしょうか。




霊的真理をもっと早く知っていれば、子供が小さい時に教えられたのにと残念に思う時があります。

もし、私がこれから子供を育てるとしたら、少なくても次の2つのことは教えておきたいと思います。

1つは、良心の声に従うこと。

自我が発達していない子供たちの方が、良心の声は良く聞こえているはずです。

最初に心の中でする良心の声に素直に従えば、その後しばらくは大変になるかもしれないけれど、最後には必ず良い方向に向かうと伝えるでしょう。



もう1つは、目に視えない守護霊が付いていることを教えます。

友達とケンカ別れをしても、家族がいなくなってしまっても、守護霊がいなくなることはありません。

いざという時に力になってくれるので、強く信じるように伝えます。



あと1つ、教えておきたいことがありました。

それは、生まれて来た目的です。

何で生まれて来たのか、何で生きているのかは、子供にとって興味があることですが、先生に質問しても答えてくれません。

小さな子供であれば「この世にいる人は、良いところもあれば、悪いところもあるんだよ。自分の良いところをもっと伸ばして、悪いところを直して行くために生まれて来たんだよ。」と伝えようかと思います。

併せて「目に視えない自然のきまりがあるんだ。そのきまりを破ると痛い思いをして、守るとうれしい思いをするんだ。いろんなことを経験して、痛い思いやうれしい思いをしながらきまりを学び、自分を良い方向に変えて行くんだ。」と伝えたいです。

良心の声に素直に従い、守護霊と共に生きていることを自覚していれば、横道にそれることなく、正しい人生を歩むことができると教えてやりたいです。



人はより良く生きたいものです。

より良く生きるためには、自分だけではなく、周りも良くしなけければいけません。

そんなことを知っているのか、周りのことを真剣に考えるようになった子供たちが増えているような気がします。


「何かおかしいぞ」「いけないんじゃない」世界で起きている出来事を見て、良心がそう訴えている子供たちは少なくありません。

差別ってどうしてあるの?

戦争は何でなくならないの?

飢えている人が何でいるの?

地球で人間は1番偉いの?

動物たちは人間よりも劣っているの?

自我の働きが強くなってしまった大人よりも、魂で生きている子供たちの方が、そんな素朴な疑問を持っていると思います。



疑問を持っている子供たちに質問されたら、こう答えてみたいです。

「人体を考えてごらん。

脳、筋肉、皮膚などの、いろいろな組織があるよね。

それぞれの組織には、それぞれの役割りがあるよね。

脳は、筋肉より優れているわけではないんだ。

筋肉がなければ脳がどんなに命令をしても、体を動かすことはできないからね。

身体の中のそれぞれの組織が、それぞれの役割を果たすことで、生きているんだ。

互いがお互いのために必要なんだ。

大切さは同じで、どれ1つ欠けても健全に生きていけないんだ。


地球の生命も、実は同じなんだよ。

人も動物も植物も、それぞれが何らかの役割を持っていて、この地球に生きているんだ。

役割がないように見えるものもあるけど、それは分かっていないだけなんだ。

人体のそれぞれの組織には、同じ血液が流れて生きているように、地球のどの生命にも同じ生命(霊)力が流れて生きているんだ。

頭のてっぺんの組織と足先の組織は遠く離れているけど同じ体の一部であるように、自分も他の人も他の生き物も地球の一部には変わりないんだ。

全体の一部としてつながっているんだ。


周りのことを考えずに、自分さえ良ければと思って生きているのは、体の中で周りを押しのけてどんどん大きくなる「がん細胞」みたいなものだよ。

それでは、全体が悪くなってしまうんだ。

偉いはずもないのに、1番偉いと思って生きている人間は、地球を悪くしているがん細胞なのかもしれないね。



がん細胞になりたくはないよね。

そう思ったら、地球全体のことを考え、みんなと一緒に生きていることを忘れてはいけないよ。



いじめをしている人がいるけど、それは自分をいじめていることになるんだ。

人を助けている人がいるけど、それは自分を助けていることになるんだ。

自分は全体の一部なのだから、当然だよね。



何か才能があれば、それは全体のために活かすためにあるんだ。

全体が良くなることで、自分も良くなれるんだ。

何度も言うけど、みんな全体の一部だから、自分だけが良くなることはできないんだ。

みんな一緒に良くなるしかないんだ。

自分だけ良くなろうとする人が増えると、世の中がおかしくなってしまうんだ。



自分のことだけを考えて、わがままばかりを言っているとどうなる?

仲間外れになり、嫌な思いをするよね。

それは、自然のきまりが働いているからなんだ。

いけないことだと教えているんだ。

全体のことを考えれば、自然のきまりを守っていることになるから、もっと仲良くなって、みんなが幸せになれるんだ。」



もし学校で話す機会が与えられたのなら、子供たちの前でこんな話をすると思いますが、宗教のようなものを持ち込むなと反発を受けてしまうかもしれません。

それでも、子供たちの未来を幸せにする、何よりも大切な知識であることに違いはありません。



最後になりますが、シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「子供には、宗教とは人のために自分を役に立てることであること、ややこしい教義に捉われることなく、まじめで無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽くすことであること、それが神に対して真に忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばいけません。」

道徳の授業で教えられていることの根拠が、霊的真理の中にあります。



子育てをしている人は、無垢な心に真理の種を蒔く機会が与えられた人です。

その好機を逃さないで下さい。





2023年5月21日日曜日

霊界が望んでいること


世界の人口は78.7億人(2023年5月現在)です。

私が生まれた昭和36年は30.5億人で、100年前になると18億人しかいませんでした。

それだけ地球に生まれなければならない魂が増えたということになります。



見た目の上で、人は独立して存在していますが、共存関係にあります。

私は歯を治す仕事をしていますが、米を作ることはできません。

車を造ることもできなければ、電車を運転することもできません。

自分ができないことを、他の人がしてくれることによって、今の生活が成り立っています。

1人では生きられません。



共存関係は、人に限ったことではありません。

あらゆる生物は何らかの役割を持っていて、目に視えないつながりがあります。

植物が生きていなければ、動物は生きて行けません。

ミツバチと植物も共存関係にあります。

生物は運命共同体です。

地球は1つの生命体と言っても良いのではないでしょうか。



人間は、そのことが理解できずに、地球環境を破壊し、争いを重ねています。

最も進化している一方で、最も利己的です。

もし、宇宙から知的生命体が地球を訪れたとしたらどうでしょう?

傍若無人な人間とは、友好関係を結ぶ気にはなれないと思います。

もしかしたら、地球を害さず、平和に生きているイルカたちと仲良くするのかもしれません。



慈しみ合い、霊的に1つになって行くことを目的として、生命は創造されたと考えています。

意図した方向に導くために、自然法則は創られています。

地上に生まれて来たのは、目に視えない自然法則の働きを、実体験を通して学ぶためです。



法則の働きを学び、表現をすることで、私たちは少しずつ成長進化して行きます。

ところが、地上の人には自我(エゴ)があります。

エゴの働きによって、法則の働きに反した行いをすることがあります。



エゴは肉体と密に結びついているために、物質的で利己的な性質を帯びています。

エゴにより利己性が発揮されると、周囲との調和が失われ、不穏な空気に包まれます。

今、起きていることもそうです。

それを止めようとしないで、盲目的に賛同している周囲の人たちも、償いは免れないと考えられます。



「死ねば終わり」と思えばどうでしょう?

贅沢な暮らしをして、楽しく生きた人ほど幸せに思えてしまいます。

お金に執着する人も多くなります。

そのために富める者がますます富み、その余波で貧しい者がますます貧しくなり、循環不全に陥り、神の恵みが満遍なく行き渡らなくなっています。



これもそれも、霊的な知識がないことから起きています。

「法則」とは、万有引力ののような物理的なものばかりではありません。

霊的な法則が存在しています。

霊的な法則の働きを知らずに罪を犯し、無用な遠回り(償い)をしてしている人がたくさんいます。



この世界を悩ましている多くの問題は、霊的な法則のエッセンスとも言える霊的真理が広がり、実践する人が増えれば、根本から解決して行きます。

人を傷つけ、苦しませることは法則に反していて、因果律の働きによって、自らに苦痛となって返って来ることを知っていれば、戦争をする気は起きません。

持たざる者に分け与えるのが責務であることを知っていれば、世の中から貧困はなくなります。

最新鋭のジェット戦闘機1機を買う費用で、餓死の危機に瀕している数十万人を救えると言われています。

もし、武器弾薬を買うために遣われている全てのお金を、貧しい人たちに回すことができたのなら、物質的にも霊的にも豊かで、平和な世界が立ちどころに実現するでしょう。

AFP BB Newsより


持てる者が、持たざる者に分け与える責務があるのは、お金や食料などの物質的なものばかりではありません。

霊的真理こそ、早急に分け与えなけばいけないものです。



分け与えることができるのは、知っている人だけです。

知っていることを、伝える努力が足りていないと、いつも感じています。



必要としている人は、導かれて真理に辿り着くと言われています。

私自身も、ヒーリングの力が突然出現して、力の正体を知りたくて探していたところ、背後霊の導きによって、無事に真理に辿り着くことができました。

霊界の人たちは、必要としている人も、知っている人も判っています。

道筋を立てて導くことで、両者を結び付けようとしています。



昔は大変でした。

真理に辿り着かせるために、何回も人と会せたりしなければいけませんでした。

気まぐれで鈍感な、地上の人を導くのは、困難を極めたと思います。



今は、電気通信機器が発達しています。

部屋にいながらにして、真理に出会うことができます。

ネットで探すように仕向けて、真理と出会った瞬間に、特別なものを感じさせるインスピレーションを送っている背後霊もいるでしょう。

確実に辿り着かせるために、電子機器を物理的に操作する時もあると思います。

地上の人が、読んで真実と確信すれば、霊界による導きは完了です。



真理を必要としている人は、ますます多くなって来ます。

それにもかかわらず、真理の在りかを提示している場所は十分ではありません。

「シルバーバーチの霊訓」を、もう書店で見つけることはできません。

残念ながら、それに代わり得る書籍は今のところ見当たりません。

これでは霊界は導きたくても、導くことができません。



まだ知らない人が真理に出会うための仕掛けを、地上の人が積極的に作っておく必要があると思います。

仕掛けの数が多ければ多いほど、導きやすくなり、出会う確率も高くなります。



真理を実践して自分を高めることは大切です。

それ以上に真理を広める方が大切なことに気付いて、努力をされている人がいます。

まだ知らない人に向けて、真理を発信しているのを見かけるようになり、私も頑張らなければいけないと感じました。



喪に服している人たちに生命の真実を、苦しみを味わっている人に苦しみの意味などを、直接会って伝える機会はこれからもあるでしょう。

電子媒体により伝える機会は、ますます増えて行きます。

時期が来ていないと受け入れられないのが真理ですが、時期が来たら、たやすく辿り着ける環境を整えておく必要があります。

種が蒔かれていなければ、雨が降っても芽は出ません。



何かできないかと思いました。

ネット上で運営されている、amazonのkindle出版というのがあります。

立ち寄ってみたところ、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に関連した内容の書籍が出版されていました。

真理を知らない人でも、読んでみようと思うような、興味をそそられるタイトルと内容でした。

刺激を受けたので、私も電子書籍を出してみることにしました。



本のタイトルは「亡くなった愛する人とつながる ~魂は不滅~」です。

ここに掲載した内容を、いくつか集めたものですが、ブログとは異なる形態で伝えられます。

60過ぎのアナログ人間の私でも、どうにか自力で出版することができました。

あとは、真理を知らない人に、見つけてもらえるように祈るだけです。



霊界の人たちは、これまでの実績とは関係なく、今、伝えたいと思っている人たちに関心があると思います。

真理をどれほど理解しているかではなく、どれくらい伝えようとしているのかを見ていると思います。

伝えたい人たちの元に導いて、真理普及のためのインスピレーションや力を与えて、惜しみのない援助をしているはずです。



「真理と出会い救われた」

感謝の気持ちと共に、他の人も同じ恩恵に与って欲しいと言う思いから全てが始まります。








2023年5月14日日曜日

魂の存在を信じる


大昔の人は、地球を中心にして天(宇宙)が動いていると信じていました。

400年程前に、ガリレオは天体望遠鏡で木星の衛星の動きを観察して、天ではなく地球が動いていることに気付きました。

そのことを周りに伝えましたが、神を冒涜するものとして非難され、裁判にかけられました。




なぜ、そうなってしまったのか?

ガリレオの言っていたことが、正しかったのは言うまでもありません。

しかし、それを証明する手立てがなかったからです。




魂の存在もそうです。

万人の前で、証明できるものではありません。

しかし、証明されないからと言って、否定されるべきものではないのは、これまでの歴史を顧みれば明らかです。




魂が存在するのか? しないのか?

頭ごなしに存在を否定している人に、いくら説明したとしても無駄です。

否定する論拠を、無理やりこじつけようとします。

死ねば決着が付くはずですが、否定している人は死んでも意識があることが理解できずに、まだ地上を生きていると錯覚してしまいます。

魂となって生きているのに、相変わらず魂の存在を否定するでしょう。




死んで無になってしまうのであれば、この世は泡沫の夢のようです。

何の苦労もなく、面白おかしく生きていれば良いはずです。

けれども、面白おかしく生きているだけでは、どこか虚しさを覚えます。




生命とは魂(霊)です。

地上の人は、肉体を纏った魂です。

魂は、永遠の時をかけて成長して行くように定められています。




面白おかしく生きているだけでは成長しないことを魂は知っています。

虚しさを覚えるのは、生き方を変えるように促されているのかもしれません。




生きるのが苦しくて仕方がない時があります。

逃げ出したくても、どうしても逃げ出せないのは、生まれる前に自分が決めていたことだからかもしれません。




悔いのないよう生きたいと、誰もが思います。

この世の人生を振り返る時が来るのを魂は知っていて、その時に後悔したくないからなのかもしれません。





ところで、感情はどこで生まれるのでしょうか?

物質的な脳からは生まれません。

人間には物質を超えた精神が存在し、そこから感情は生まれています。

精神上に自我が形成され、地上で自己表現をしています。

自我(パーソナリティー)は、魂(インディビジュアリティー)の一部が投影されたものと考えられます。

自我と魂は別次元に存在していますが、呼応しながら働いています。





もし、人間に魂が存在しなかったらどうでしょう?

自我の働きだけになり、安全で楽な方向へと進んで行くでしょう。

敢えて困難な方向に進んで行く時があるのは、成長しようとしている魂の存在があるからです。




自分だけを大切にすれば良いはずなのに、他者も大切にしようという気持ちがあります。

それも魂が存在しているからです。

自分を犠牲にして、他者を助けてやりたいと思うのは、魂の中に神が存在しているからです。




親しい人が、亡くなる少し前のことです。

病院のベッドの上で「お役に立てなくなってしまった」と嘆いていました。

それを聞いた私は、この世に執着がなくなって来ても、役に立ちたい欲求はなくならないと思いました。

役に立つとは、他者に愛を表現することであり、人は成長します。

役に立ちたい欲求は、成長したい魂の欲求と表裏一体であり、時を超えて存在し続けると思いました。




役に立つと、喜びを感じるのはどうしてでしょうか?

怒りや憎しみを抱くと、心が重く苦しくなるのはどうしてでしょうか?

どちらも自然法則の働きによるものです。

怒りや憎しみを抱いている時は、愛を表現することはできず、成長はできません、

喜びを感じたい、苦しみは感じたくないという、人間のごく当たり前の欲求によって、魂は成長する方向へと導かれています。





前にも書きましたが、十数年前に、山の中にある道路を車で走っていたら、道端を体格の良いラブラドール犬が歩いていました。

繁殖犬として役に立たなくなり、ブリーダーに捨てられ放浪していると思ったので、捕まえて飼い主を探すことにしました。(その後も迷子犬の届け出はありませんでした)

お腹を空かしていたのですが、餌をやろうとして近寄ると威嚇します。

人間不信に陥っていましたが、少しづつ慣らして、どうにか捕獲に成功しました。

ジョン君と名付けて家で保護しましたが、柵の中から飼い犬が私たち人間と仲良くしている姿を不思議そうに眺めていました。

その後、家族として受け入れてくれる人を募集したところ、あるご夫婦が名乗り出ました。

飛び切り愛情深い人たちで、人間不信になっていたジョン君を、温かく迎え入れてくれました。


写真はそれから数年後の姿です。

怒り、怖れ、不安などの感情から解放され、安心し切っています。

それまでの分を取り戻すかのように、愛情を求めて来たそうです。

愛はあらゆる感情に優越し、それを取り払う力があり、望ましい方向に変えて行くものと、その時に思いました。




愛の存在を信じられる人であれば、魂の存在も信じられるはずです。

何故なら、愛は魂から生まれている神的な力だからです。

魂が存在しなければ、愛は存在しません。




2023年5月7日日曜日

内在する神が顕現する時


若い時に、何のために生きているのだろうと、漠然と考えていました。

答えは見つからないまま、日々に忙殺されて、いつの間にか考えなくなっていました。



20数年の時を経て、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会い、その答えが見つかりました。

生きる目的は、この世でさまざまな出来事を経験して、自分を成長させるためです。



自分を成長させるとは、ごく簡単に言うと、強く優しくなることだと思っています。

強さと、優しさの行き着く先にいるのが神と言われる存在です。

けれども、神は私たちから独立している存在ではありません。

宇宙全体が神です。

宇宙全体とそれを統括している法則の総称が神です。

私たちは、神を構成している極小の一部です。



自分が神の一部だと言われても、その実感がないので、にわかには信じられません。

自分と神とは、かけ離れた存在のように思えてしまいます。


考えてみて下さい。

溺れている人が目の前にいれば、理屈なしに助けてやりたくなります。

それは、私たちの中に神がいるからです。

私たちの中にいる神が顕現すると、他者のために何かをしてやりたい衝動が生まれます。

嘘をつきたくない、人を傷つけたくないと思うのも、「良心」と言う神がいるからです。



助けたいと思うのに、助けることのできない自分もいます。

その自分は、この世で自己表現するために存在している「(地上的な)自我」です。

ネガティブな意味を込めて「エゴ」と呼ぶこともあります。



自我は、この世を安全かつ快適に生きることを志向しています。

自分に危害が及ぶことを避けようとするので、「自分も溺れてしまう」と考えて、神が顕現するのを妨げようとします。

自分の中にいる「神」と「自我」のせめぎ合いが、地上ではしばしば起こります。



自我は肉体と密接に結びついています。

そのために、どうしても自分に意識が向いてしまいます。

自我にとって1番大切なのは自分なのです。

溺れている人がいても助けられないのは、自分を大切にしようとする自我の働きがあるからです。



一方、自分の中にいる神は、全体の一部であること、霊的に一体であることを認識しています。

全体に意識が向いています。

神が顕現すると、意識が全体(周囲)に向くために、自分への執着は少なくなります。



ポーランドにコルベと言う名の神父がいました。

彼は第二次世界大戦中にドイツ兵に捕らわれ、アウシュビッツ捕虜収容所に送られました。

ある時、同じ棟に収容されていた捕虜の1人が脱走しました。

捕虜が脱走すると、連帯責任を取らされ、同じ棟にいる捕虜の中から10名が無作為に選ばれ、処刑される決まりになっていました。

処刑方法は、座ることもできないような狭い懲罰房に押し込めて、食事を与えずに餓死させるという残忍極まりないものでした。

選ばれた10人の中に、神父は入っていませんでした。

ところが、選ばれた男性の1人が「ああ、妻や子に会いたい」と言っているのを耳にした神父は、その人の代わりに懲罰房に入ることを申し出たのです。

懲罰房に入った神父は、一緒にいた最後の捕虜が死ぬ時まで祈り続けたそうです。

宣教師として長崎に来ていたコルベ神父(1930年代)

閉じ込められ、餓死して死ぬのは、誰でも恐いに決まっています。

それでも自らが進んで懲罰房に入ったのは、神父の中にいる神の部分が、自我から生じる恐れに打ち克っていたからです。

恐れや苦しみから免れることができたのは、死ぬ時まで同胞のために祈り続けていたからと考えられます。

「全き愛は恐れを締め出す」というイエス・キリストが言った真理を体現していました。



そんな特殊な状況でなくても、せめぎ合いは起こります。

道端でうずくまっている人がいたとします。

自分の中にいる神は「声をかけよう」と心の中で叫んでいます。

一方、自我は「急いでいるから」「誰かが声をかけるだろう」と適当な理由を考えて、その場を通り過ぎようとします。

そのどちらかが克った方の行動を取ることになります。



真っ先にするのは神(良心)の声です。

その後で、その声に自我の声が上書きをします。

双方で上書きが繰り返されると、心の葛藤として感じられます。



シルバーバーチはこう言っています。

「良心(神)が命じていることは、たとえその方向へ進むと苦難に遭遇することが判っていても、迷わずに従いなさい。最後にきっといいようになります。難しく考える必要はないのです。これ以上簡単な話はありません。」



何でもそうです。

良心の声は、より困難な方向を指し示していることが少なくありません。

面倒で、大変で、遠回りをするようで、聞かなかったことにしたい時もあります。

それでも、思い切ってその声に従えば、自分を成長させる方向に進んで行くことになります。

後悔することは、絶対にありません。



自我の声の方が、無難で得策のように思えます。

けれども、そちらを選ぶと成長する機会を1つ失ってしまうことになります。

良心の呵責となって、苦しみが返って来る時もあるでしょう。



ところで、優しさはどこから生まれるのでしょうか?

優しさは愛の表現形態の1つであり、魂に内在する神から生まれています。

いくら愛があっても、強さがなければ行動には移せません。

強さと優しさを兼ね備えてこそ、初めて愛を表現することができ、成長して行くことができます。



私たちは、永遠の時をかけて進化成長して行く存在です。

困難や障害や危険や苦痛が存在するこの世に生まれて来たのは、自分をより強くするためです。

自我の誘惑に負けずに、優しさを表現することで、自分をより高めることができます。



自分が死んでしまうかもしれないのに、他者のために行動できるような人は、十分な強さや優しさを兼ね備えている人ではないでしょうか。


村田奈津恵さん(人民日報インターネット版より)

写真の女性は、2013年に横浜線の電車に轢かれて亡くなった村田奈津恵(享年40歳)さんです。

踏切待ちをしている車内から、踏切内で高齢の男性が倒れているのを見て「助けなきゃ」と言って、家族の制止を振り切って車を降りて向かったそうです。

幸いにも男性は助かりましたが、ご本人は逃げ遅れてしまいました。




いくら人を助けても、自分が死んでしまったら何にもならないと言う人はいるでしょう。

ご家族の悲しみや悔しさは想像も付きません。




死の後も、人生は続いています。

神の声に従って行動した人が、不幸になることは決してありません。

相応の霊的な報いを得ています。




シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

あなた方にとって大切なことはただ一つ  地上にいる間にどれだけ内在する大霊(神)を顕現させたか、それだけなのです。」   

彼女の取った行動は、地上に生まれて来た意味そのものなので、悔いはないはずです。

もし自我の声に負けていたら、生涯、良心の呵責に苦しみ続けたかもしれません。




残して来たご両親のことは、何より心配だったでしょう。

けれども、後にご両親が周囲に語っていた「奈津恵は私たちの誇りです」と言う言葉に救われていたはずです。

今は、助け合う悦びに満ち溢れた境涯にいるのに違いありません。



神が顕現して、この世を飛び級で卒業して行く人たちがいます。

そこまでの強さと優しさが備わっていないのであれば、長い年月をかけて少しずつ学び成長し、この世を卒業して行くしかありません。




先月ご紹介した石田様と書籍のことが、朝日新聞DIGITALで取り上げられています。

リンク先:卒業目前で急逝した18歳 後悔ばかりの母、再び向き合うまでの軌跡(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース