2019年6月9日日曜日

苦しみの本質



今年の4月に東京で痛ましい事故が起こりました。

87歳の老人が運転する車が、青信号で渡っていた幼い子供と母親をはねて死亡させてしまいました。

家族を失った男性は記者会見で、現実を受け入れられないと言っていました。

事故に遭う1時間前まで、いつものように電話で会話をしていたそうなので当然です。

そんな様子を見ていて、一刻も早く霊的真理に巡り合って欲しいと思いました。

姿は視えなくなったけれども、生きていて傍にいることを知って欲しいです。



私自身も、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に巡り合って、救われました。

果律の働きによって、大きな苦痛を伴う出来事が生じましたが、真理を受け容れるために必要でした。

真理は、この世で起こるあらゆる事象に深い理解をもたらし、問題解決のための示唆を与えてくれます。

あれから10数年、繰り返し読んでいますが、未だに矛盾点は見つからず、経験則から真実性を確信するばかりです。

それでも、本当なのか?と思うことありました。

それは「理解が行き届かないから苦しい思いをする、十分な理解が行けば苦しまなくなる」と書いてあったことです。

あまりにも理不尽な事故で最愛の家族を失った先のご主人のような人でも、十分な理解が行けば苦しまなくなるのでしょうか?

悲しみ、怒り、後悔の念に襲われて、生きていること自体が地獄のような苦しみの人でも、解放される時が来るのでしょうか?



もし、この世で終わりと考えるならば、存在がなくなってしまうことになります。

死は永遠の別れであり、2度と会うことは出来ません。

現実は、死んだ後にも世界があり、肉体とは全く異なる媒体で自己表現をして生きています。

視えなくなりましたが、親愛の情で結ばれた人との間に、別れは存在しません。

無になってしまったと事実誤認をしている人は、余分な苦しみを抱えて生きなければなりません。



たとえ、あの世があると信じていても、亡くなった人は一人ぼっちで、寂しくしていると思うと、いたたまれない気持ちになってしまいます。

実際には、この世を去った直後に、先に亡くなった親族、生前親しかった人たち、小さい子供は情愛に溢れた人たちが出迎えてくれて、寂しい思いをすることはありません。

その後は、元いた住処に戻り、霊的に親しい間柄の人たちとの生活が始まります。

自分のことを哀れに思い、嘆いている地上の人たちを見て、大きな勘違いをしていると伝えたくなるほど快適な世界にいます。



突然の事故や事件でこの世を早く去れば、さぞ悔しい思いをしているのではないかと思ってしまいます。

現実は、埋め合わせの原理(神の法則)が働いていて、地上の人が考えているような悔しい思いをしていることはありません。



罪を犯しておいて、裁きも受けずに、反省も償いもしない人がいます。

そんな人が、何事もなかったかのように生きていると、やり切れない思いに苛まれてしまいますが、死んだ後に自分の行いと、それに伴う結果を見せられ、罪の意識に苛まれることになります。

そこから逃れるためには、この世にもう1度生まれて、相応の苦痛を味わう人生を歩み、償うしかありません。



何で自分だけが、こんなつらい経験をしなければならないと思えば、持って行き場のない憤りが生じてしまいます。

人生はこの世だけではありません。

何度もこの世に生まれて、多種多様な経験をしながら、人は学び成長しています。

今、平穏な人生を送っている人たちも、過去(生)においてつらい経験をしていたのかもしれません。

あるいは、これから先に待ち受けているのかもしれません。

過去に過ちを犯して、その罪を償うために出来事が生じている人もいるでしょう。

この世は、極めて不公平に思えることが、たくさんあります。

しかし、過去の人生、未来の人生を視ることが出来たのなら、自然法則の働きにより、完全な公平が保たれているのがはっきりと判り、憤りは消えてしまうと考えられます。



現実は、何一つ変えることは出来ません。

しかし、霊的真理を知ることによって、苦しみは和らぐと思います。



人生は楽しい、それとも苦しいものなのでしょうか?

もちろん、楽しいこともありますが、苦しいことも避けられません。

何故なら、この世は次に待ち受けている本番の世界で、より良く生きるために修練するためにあるからです。

修練は苦しいものです。

もし、楽しかったとしたら、自分の資質を高めたり、新たに獲得することは出来ません。

スポーツの世界でも、苦しい練習に耐えている時に運動能力や技術が向上し、本番で良い結果を出すことが出来ます。

人生も同じであり、苦しい日々に耐え抜いた人が、身に付けた資質を本番の世界で十分に発揮することが出来ます。

「苦労は買ってでもしなさい」と昔から良く言われますが、それは成長として報われるからです。

苦労の多い人生を送った人は、地上的に見れば不幸な人になりますが、霊的に見れば成長する機会が多く与えられた、幸せな人と言えるのかもしれません。


苦しみと悦びは、表裏一体です。

苦しみに耐えて生き抜いて来た人が、あの世で成長した悦びを味わいます。



苦しみとは何でしょう?

現状に適応出来ていないことから生じると考えられます。

空気の薄い高所に行くと、息苦しくなりますが、それは肉体が環境に適応出来ていないからです。

けれども、しばらく滞在すると、酸素を運ぶ赤血球が増えることによって適応し、息苦しさは解消されて行きます。

環境が変わらなくても、肉体には変化を起こす力が秘められていて、苦しさから脱することが出来ます。



精神的な苦しさも同じです。

苦しいのは、置かれた状況に自分(魂)が適応出来ていないためです。

しかし、自分の内部には変化を起こす力が秘められていて、適応して行くことにより、苦しさから脱することが出来ます。

苦しみは、精神や魂を変えて行く力になると言えます。



苦しみは感じるものであり、主観的です。

同じ状況に置かれても、人によって苦しみの程度に差があります。

ある人はさほど苦しくないことでも、ある人とっては大きな苦しみとして感じることがあります。

それは、過去において、それ以上の経験をしているのか、していないかの差と考えられます。



苦しみを感じなくなるには、自分が変わるしかありません。

それを成長と言うのかもしれませんが、変わりたくても、どうしても変われないのであれば、過去の過ちを償っている可能性があります。

しかし、償いが終わると同時に、変われない苦しみから解放されます。



人は苦しさを感じると、つい置かれている状況を変えようとしてしまいます。

逃げてしまえば、苦しみはなくなるかもしれませんが、自分が変わる(成長する)機会を逸していることになります。

また、苦しみを怒りや憎しみに転化してしまえば、結局は苦しみとなって自分に返って来ます。



苦しみは成長を促し、成長することで手に入れる真理(叡智)があります。

真理を手に入れるとは、頭で知識を獲得するのではなく、言葉を超えた法則を魂が得心することです。

簡単に言えば、悟ることです。


苦しみは自分が変わるために存在し、変わる必要がなくなれば解放されます。

地上に生まれた1つの目的は、真理(叡智)を手に入れながら、さまざまな苦しみから解放されて行くことです。


苦しみは神のものであり、神の心を表現する方向に私たちを導いています。

自分(魂)が変わり、神の心を表現するようになれば、苦しみはなくなります。

地上における真理を全て手にした人は、何が起きても苦しまなくなるはずです。

何が起きても苦しまなくなった人は、地上に存在する理由がなくなり、霊界で向上進化して行くと考えられます。

そして、真理は無限であるため、次元を超えて永遠に生き続けることになります。





愛する家族を失ったご主人の苦しみは、まだまだ続きます。

もしかしたら、苦しみが終わらないうちに、ご家族と再会することになるかもしれません。

再会した瞬間、苦しみはなくなります。

今までの苦しみは何だったのだろうと振り返る時、これほど自分を成長させるものはなかったことに気付くでしょう。

最も過酷な苦しみを経験したので、多くの人が苦しみと感じることも、感じないようになっているでしょう。

再会した悦び、大きく成長した悦び、双方の悦び感じながら、完全な公正が保たれていたことを知り、神に深く感謝すると思います。

地上では不幸な人と呼ばれていましたが、霊界では極限に近い苦しみに耐えて生き抜いた人生の勝者として祝福を受けて、さらに幸せな境涯へと上がって行けるのかもしれません。



自分が変わらなければ、苦しみが続いてしまいます。

変わろうと思って変われるものではありませんが、少なくても人や社会のせいにしたり、怒りや憎しみや嘆きに変えてしまえば、自分を変える力として働くことはありません。

自暴自棄になってもいけません。

真正面から享受して、自分にとってどんな意味を持つのか、静かに思いを巡らせましょう。


ゲッセマネの園




2019年5月26日日曜日

真理を伝えるために



私が1番リラックスできるのは、音楽を聴いている時です。

最近はエフゲニー・キーシンと言うピアニストの演奏を聴いています。

10歳でデビューし、12歳でモスクワ交響楽団と共演するほどの才能の持ち主であり、20世紀を代表する指揮者であるカラヤンが彼の演奏を聴いて涙を流したそうです。

デビューしてから30数年の年月が流れていますが、演奏は力強さを増しながらも、少年の時の繊細さは失われていないように感じます。

キーシンは6歳で音楽学校入学し、アンナ・パヴロフナ=カントルという祖母と孫ほどの年の差がある女性に師事しましたが、ピアニストとして絶大な評価を得た後も、師弟関係が解消されることはありませんでした。

少年の時と同じように、彼女の忠告や助言に真剣に耳を傾け、練習に励む姿をビデオで観て感じるものがありました。

周囲から神童と言われても驕ることなく、最高の演奏を目指して、ひたむきに努力を重ねて来たようです。

謙虚さ、純粋さを失わないことが、聴く人の心に響く演奏につながっていると思いました。



話は変わりますが、私は13年前に、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)に出会いました。

人生の底とも言える状況で、真理は救いとなり、明日を生きる力をもらいました。

真理は眩い光のように輝いて、それまでの価値観は一変し、世界がそれまでと違って見えました。



真理を知った者は、今度は暗闇の中にいる人、苦痛に喘いでいる人、必要としている人に伝えなければなりません。

私は真理に救われて、その価値を認識し、真実であることを確信したので、自然に伝えたくなったように思います。

しかし、伝えた人全てに、真理を受け容れてもらうのは無理です。

に準備が整っていない人、必要としていない人に、いくら伝えても受け容れてもらうことは来ません。

苦痛や悲しみの経験を経て、魂に受け容れる時期が出来た人が導かれて来るようです。

導いているのは、霊界の人たちです。

霊界の人たちは、魂に受け容れる時期が来た人と、伝えようとしている人の間に接点を見つけて、結びつけていると思います。

霊界(背後霊)からの思念を受け取った人は、何かに突き動かされるように行動し、伝えようとしている人を見つけて、訪ねて来ます。

訪ねて来る時は、理由も判らず来ることが多いようです。

ふと思い付いて行動しているようで、実は霊界の働きかけによるものであり、計画された通りに実行されていると思います。



霊界からは、地上の人の魂そして想いが視えています。

真理を伝えたいと言う、地上の人の想いを視ていると思います。

また、どれ位理解しているのか、(受け容れて)どれくらい成長したのかも視ていると思います

救われて、成長して、その恩恵に与った人が、真剣に伝えられるからです。



霊的な成長は、遭遇する困難や障害を乗り越えて行くこと、そして人や動物や社会のために奉仕をすることで得られます。

真理の理解が深まるほど、成長する機会が訪れ、内と外から力が与えられ、目的を成就して行くと考えられます。

けれども、そんな日々ばかりではありません。

何事もなく過ぎて行く日も多いです。

大切なことは、摂理に適った行いを、心がけていることだと思います。

人に優しくしたり、親切にしたり、喜ばれることをすることは、とても大切だと思います。

事や家事を精一杯するのも奉仕であり、霊的な成長につながっていると思います。

ボランティアも人や社会のためになっているので、立派な奉仕です。

車に路を譲るのも、お年寄りに席を譲るのも、困っている人に声をかけるのも、ちょっとした奉仕です。

腹が立っても許すのも、自己犠牲を伴うので、形を変えた奉仕なのかもしれません。

たとえ小さな奉仕であっても、それを積み重ねて行くことで、長い年月をかけて、大きな成長につながると思います。

そして、公明正大に生きるのも大切です。


霊界は真理の普及を強く望んでいます。

伝えるためには、地上の媒体(伝道者)が必要です。

地上の媒体の霊的な意識が低くなっていると、霊界の意図(導き)が判らずに、大切な機会を逸してしまいます。

自我が大きいと、真理が媒体により脚色されてしまいます。

ヒーリングの力やメッセージを伝える時に、媒体によって影響を受けますが、真理を伝える時も全く同じだと思います。

霊的真理は、神の法則であり、神の心です。

そのため、神の摂理(心)に合わて生きようとする霊的な意識の高い人、(地上的)自我の少ない人を選んで導いていると思います。




ピアニストが、ただ譜面通りに演奏しても、聴く人の心には響きません。

作曲家の意図を汲み取り、インスピレーション(霊力)を感受して、概念や想いが演奏で表現されると、聴く人の魂に響くと思います。

真理を伝えるのも同じかもしれません。

ただ言葉を伝えるのではなく、神の意図を汲み取り、霊力を感受しながら伝えることで、魂に届くと思います。

神の意図とは、法則の働き(叡智)を知り、痛みではなく悦びの中で生きて、手を取り合って成長することだと思います。



たとえ知識が豊富であったとしても、人の苦しみや痛みが判らない人の元へ導くとは思えません

それでは霊界と同調出来ないからです。

その人と同じ経験をしなければ、同じ想いを共有するのは難しいかもしれません。

しかし、真理を受け容れたのであれば、苦しみや痛みを感じることは出来るはずです。

感じることが出来れば、自然に慈しみの想いが生まれます。

慈しみの想いによって霊界と同調し、言葉に霊力が宿り、魂に届くと思います。




シルバーバーチはこんなことを言っています。

真理の啓示を受けた者ー永いあいだ取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めたはずの人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れられていくものです。まだまだ浄化が必要です。」

耳の痛い話であり、自分の生活に追われると、大切なことが後回しになってしまいます。

真理の輝きが失われてしまわないようにするには、人や社会のために役立つことを優先し、神の心が顕現するように、日頃から心がけなければならないと思います。

知っていることで自己満足してしまい、一番肝心な他者への奉仕を忘れがちになってしまう自分がいることを自覚していたいと思います。

知っていることで人よりも優れていると思うのは傲慢であり、神や霊界が最も嫌うことかもしれません。


続けてシルバーバーチは、まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか。今一度その時の真摯なビジョンにすべてを捧げる決意を新たにする必要はないか。
時の流れとともに煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として、己の全生活を捧げたいという熱誠にもう一度燃えて頂きたいのです。」と言っています。

霊界は伝えようとする媒体の熱意が頼りであり、その想いが時と共に薄れて行くのを憂いていると思います。

神や霊界が求めているのは、謙虚さや純粋さを失わないことであり、他者への慈しみの想いを持つことだと思います。