2019年1月6日日曜日

死によって変わらないもの


年の瀬が押し迫る12月29日に、遠方に住む叔父の所へ行って来ました。

叔父は、11月29日に60年間連れ添った叔母を亡くしました。

叔父夫婦には子供がいなかったからでしょうか、遊びに行くといつも歓待してくれて、小学校の夏休みの期間中、ずっと滞在させてもらった経験もあり、親戚の中でも特に親近感を持っていました。

仕事の関係で葬式に出られなかったので、年内にどうしても会っておきたかったのです。



叔母は数年前から身体を自由に動かせない状況にあり、今年88歳になる叔父が介護をしていました。

去年のことですが、体調不良を訴えた叔母を病院に連れて行くと、全身にガンが出来ているのが判り、余命宣告をされたそうです。

そして、入院してわずか3ヶ月後に亡くなりました。

傍に付いていたのにもかかわらず、病気になっていたのが判らず、手遅れにさせてしまったことを悔いていました。



会ってお悔やみを言うのではなく、霊的な真実を伝えようと思っていました。

しかし、叔父は唯物的と言うか現実主義者です。

何の根拠も示せないことを、そうですかと言って受け入れるとは思えませんでした。

悲しんでいる者を侮辱しているのかと、怒られるかもしれません。

それでも、叔母が望んでいると思ったので

「叔母さんは視えなくなったけど、(魂となって生きていて)ここにいるんだよ。」

「愛情で結ばれていれば、離れることはないんだよ。」

と伝えました。



すると叔父は、「〇〇ちゃん(私のこと)の気持ちは良く判った。慰めてくれてありがとう。」と少しうれしそうな表情を浮かべて言いました。

私は「これは慰めなんかじゃない。事実を言っているんだよ。人と人とを結びつけているものは、死んでなくなるような薄っぺらいものではないんだよ。」

そして「もうしばらくすれば、また会えるよ。」と伝えました。

私がこんなことを言う人間ではなかったので、戸惑っていたと思います。

どこかの宗教に入ったのかと思ったかもしれません。



死によって肉体は消滅しても、生命の本質である魂は変わりなく存続しているのは、宗教の教えではなく、厳然たる自然現象であり、最も重要な知識の1つです。

私の中では当たり前になっていることですが、叔父は面と向かって言われたのは初めてかもしれず、どの様に受け取るのか予測が付きませんでした。



叔父の口から出てきた言葉は、とても意外なものでした。

隣にある台所を見つめながら、こう言いました。

「あそこにおるんよ。」

「心の中でしゃべっておるんよ。」



以前の私でしたら、最愛の人を亡くした悲しみのあまりに精神に異常を来したと心配したでしょうが、今は違います。

叔父は、霊感が強いわけでも、霊が視えるわけでもありませんが、叔母がいることを、ごく自然に感じているようでした。

その言葉を聞いて、うれしくなった私は、

叔母さんの想いが、叔父さん(の魂)に伝わって来ているのだから、絶対に気のせいにしないでよ。これは叔母さんのためだよ。」と言いました。

自分に起きている現象を、どう解釈したら良いのか判らないようでしたので、続けてこんなことを伝えました。

「叔父さんと叔母さんは、(話をしなくても)お互いに何を考えているのか判っている時があったでしょう。叔母さんの肉体はなくなったけど、今もその時と同じ状態が続いているんだよ。」



人は、自分の想いを言葉にして伝えています。

黙っていては、何を想っているのか判りません。

しかし、以心伝心と言う言葉がありますが、言葉を超えて想いが伝わって来る瞬間があると思います。

赤ちゃんは言葉がしゃべれません。

お母さんは、何を要求しているのか、どんな気持ちでいるのか、読み取ろうとしています。

赤ちゃんは、お母さんの瞳を見つめながら、想いを伝えようとしています。

お母さんに想いが伝わった瞬間、自然に行動に移していると考えられます。

涙を流している人を見ていると、もらい泣きをしてしまう時があります。

それは、その人の悲しみの想いが、自分の魂に伝わって来たからと思います。

こんな現象が起きるのは、人には言葉を介さなくても、想いを伝え合う能力が備わっているからと思います。

しかし、この世に生まれると五感に頼るようになってしまうため、残念ながらその能力は退化してしまうようです。



誰からでも、想いが伝わって来るわけではありません。

お互いに関心があり、両者の間で同調が成立して、初めて想いが伝わって来ると考えられます。

同調とは、魂の波長が同じになった時に起きると考えられます。

魂の波長が同じとは、お互いが同じ想いになることです。

音叉の原理と全く同じで同じ想いになった時に同調が成立し、お互いの魂が共鳴し合い、想いが増幅します。

魂が同調している時に、お互いの想いが伝わりやすくなると考えられます。

スポーツの世界でも、チームメートと同じ想いになっていると同調が成立し、相手の意思が五感を超えて伝わり、阿吽の呼吸で素晴らしいプレーが生まれる時があると思います。



魂の同調に必要なもの、それはお互いを信じることであり、愛することです。



昔から、叔父が叔母に何かをしてもらい時に、「お-い!」としか言わないにもかかわらず、かなりの確度で要求に応えている様子を見て来ました。

何を望んでいるのか叔母には判っているようで、経験則を超えた何かがあると感じていました。

叔父と叔母は、60年を超える長い年月を共に暮らす中で、信頼関係を築き、愛情を育んで来たと思います。

ごく自然に同調が成立していて、言葉を介さなくても、想いが伝わっていたと考えています。



叔母は病気になりました。

鎮痛薬の副作用で、意識が混濁することが多くなって行ったようです。

意思の疎通が難しくなって行く中で、叔母が何を望んでいるのか、どんな想いなのかを、叔父は読み取ろうとしていたと考えられます。

叔母がずっとして来たことを、今度は叔父がしていたようです。



叔母が今いる世界は、思念(想い)の世界です。

その世界では言葉は必要なくなり、直接的な思念のやり取りで意思疎通をしています。

地上にいる時から、言葉を超えて想いが判り合えていたのならば、次の世界に移行しても、全く問題なく意思疎通が出来るようになると考えられます。



もし、同調が成立しなければ、次の世界においてコミュニケーションは出来ません。

戸籍上は夫婦であっても、両者の間に信頼と愛情がなければ、同調が成立しないために、コミュニケーションは取れなくなるでしょう。

たとえ婚姻関係がなくても、信頼と愛情によって霊的に結ばれていれば、コミュニケーションは取れるでしょう。

この世とは比べ物にならないほど、信頼と愛情が優先される世界だと考えられます。

叔母を看取る日々は、次の世界で再び共に過ごす時のための準備のように思えました。

心の中でしゃべっているのが事実であれば、叔母のいる世界に今行ったとしても、直ぐにコミュニケーションが出来るはずです。



お線香を上げて、霊的な事実を伝え、その日の内に帰る予定でしたが、引き留められて一泊することになりました。

泊まった部屋には、叔母の祭壇があり、優しい笑顔の遺影が置かれていました。

横になり遺影を見ながら、叔父に何か伝えることはないですか?と問いかけてみました。

何も返って来ませんでしたので、伝えることがないのか、あるいは伝える時期がまだ来ていないのかと思いながら、眠ってしまいました。

朝起きると、今度は自分に伝えることがありますか?と問いかけてみました。

しばらくすると、心の中に言葉が浮かんで来たので、書き留めました。

それは、昨日の叔父の問いかけに対する回答のようでした。

叔母は自分の想いを知られるのが恥ずかしいかもしれませんが、何かの役に立つのであれば許してくれると思いましたので書いてみます。

「おじさんは何を言いたいのか判っているはず。

私が必要な人で、それに応えてやるのが生きがいだった。

私は私の人生と言う生き方は出来ない。

私がして来たことを判ってもらう必要があった。

お互いに感謝し合うために。

どこにも行っていない。

ここにいるのよ。

一緒になった時に一人でいるわけが判るはず。

これでいいのよ。」


朝、顔を合わせた時に、叔父に伝えました。

いきなりで驚いたでしょうが、叔母が心の中で伝えていたことと符合するのであれば、きっと受け入れてくれると思います。




死とは、この世の表現媒体である肉体と魂の完全な分離です。

果てしなく続く生命の営みの中の1つの区切りであり通過点です


生前の関係は死によって、いささかも変わることはありません。

愛されていた人は、今も変わらずに愛されています。


魂を引き付け合う力が愛です。

従って、愛し合う者同士が、死によって離れ離れになることは、決してありません。





参考ページ:「亡くなった愛する人とつながる