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2023年8月6日日曜日

霊的真理を信じる


「早く勉強しなさい」

子供の頃、親から良く言われた言葉です。

そそくさと自分の部屋に戻って宿題をした覚えがあります。



人から言われて、言葉や行動など外面的なものを変えるのは可能です。

けれども、性格など内面的なものを変えるのは難しいです。



自分を変えるのは自分です。

何かに気付いたり、何かを受け入れたり、何かを悟ることで、自分が変わると思います。



そのきっかけとなるのが、人生で起きる出来事であり、人との出会いです。

魂が影響を受けて、自分が変わる時があります。



魂を成長させるため、言い方を変えると望ましい方向に自分を変えるために、私たちは生まれて来ています。

私は導かれるように霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

その直後に、今までに経験したことのない出来事が起きて、精神的に追い詰められました。

そして、1つの真理にすがりつくことになります。

次第にシルバーバーチという存在を信じるようになり、他の真理も信じられるようになりました。



目に視えるものよりも、目に視えないものに関心が行くようになりました。

お金や名声はどうでも良くなり、生命や愛が大切に思えるようになりました。

外面ではなく、内面を視るようになりました。

死ぬことが怖くなくなりました。



けれども、真理を信じることで責任が生まれました。

シルバーバーチの霊訓には、このように書かれています。

「盗むことは悪いことですが、霊的知識を手にした人がもし盗みを働いたら、それは千倍も悪質な罪となります。恨むことは悪いことですが、霊的知識を知った人がもし恨んだら、それは千倍も悪質な罪となります。知識は全てに厳しさを要求します。」



良心の声に従わないで行動すると、ひどく後悔するようになりました。

悪いと知っていて、行動に移すことはもうできません。

自分の思念にも、注意を払うようになりました。



すがりついたのは「乗り越えられない困難は起きない」という真理でした。

この真理に救われましたが、同時に逃げてはいけない、諦めてはいけないと、それまでにも増して思うようになりました。



真理を知ったことで、生きるのが楽になったわけではありません。

忠実に生きようとすれば、自分を律したり、正直にならなければいけません。

知らずにいれば、もっと楽だったろうと思う時もあります。

大変さは増しましたが、成長を促す方向に変わったと信じています。



真理と出会い変わる人がいる一方、出会わなくても変わる人もいます。

例えば、命に関わる深刻な病気になったとします。

死を前にして、お金や地位は無力です。

それまで追い求めていたものに大した価値はなく、「生命」「愛」「自由」の大切さに気付く人もいるでしょう。

真理を知らなくても、病気などの出来事により魂が目覚めて、内面が大きく変わる人は少なくありません。



この世界の隅々まで、自然法則(神の心)が働いています。

私たちには未熟な部分があります。

未熟な部分が地上で表現されると、自然法則(因果律)が働いて、苦しみや痛みを伴う事象が起きます。

未熟な部分に気付いて、自分を変えて行くことになります。



このように、自然法則の働きによって、私たちは少しずつ変わりながら、成長して行きます。

霊的真理から自然法則の働きを学び、それに適うように生きることで、より大きな成長が期待できます。




木星とガリレオ衛星 群馬天文台のHPより

昔、物理的な自然法則が発見された時、多くの人は信じようとしませんでした。

「地球は動いている」今では周知の事実を唱えたことで、ガリレオは裁判にかけられました。

人は、自分が見ていないもの、理解を超えたものを信じようせず、否定する傾向にあります。



19世紀、英国人のクルックスは、当時話題となっていた心霊現象を自らの手で検証しました。

数々の心霊現象を目の当たりにして、それまでの自分の考えを180度変えて、霊の存在を信じるようになりました。

タリウムや陰極線を発見した偉大な科学者であったクルックスでしたが、騙された、気が狂ったと周囲からさんざん言われました。

それでも、終生自分の主張を撤回しなかったのは、ガリレオと同じ理由です。

真実は変えようがないからです。


「愛」は目に視えません。

器機でも計れません。

科学的に証明されていないにも関わらず、存在を疑う人はほとんどいません。

それは、愛された経験、愛する経験をしたことで、存在を実感しているからです。



霊的真理の根幹を為している「因果律」もそうです。

因果律は、科学的に証明されているわけではないにも関わらず、否定する人はいません。

それは、結果には原因があること、原因があれば結果が生じることを、経験的に知っているからです。



霊的な事象は、経験則から検証されるべきものです。

自分と故人しか知り得ないメッセージを伝えられる経験をして、「魂」や「死後の世界」の存在が信じられるようになる人もいます。



死を経験すれば、否が応でも認めることになりますが、それでは遅すぎます。

この世が全てだと思ってしまうと、無用な感情に支配されたり、過った生き方をしてしまい、生まれて来た目的を果たせなくなる可能性があるからです。



生きる目的が分からなくなる地上において、ナビゲーションの役目を果たすのが霊的真理です。

信じることで、道を間違えたり、ルール違反をして、人生を遠回りをしないで済みます。




2022年6月5日日曜日

真実を知ると苦しみから解放される


ここに来てコロナの感染者が減って来たようです。

このまま収束して行くことを願っています。

今から2年前、私たちは戦々恐々としていました。

このウィルスに対する知識が全くなかったからです。



私の家には、はなと言う名の犬がいます。

雷が鳴り出すと、さあ大変です。

落ち着きがなくなり、尻尾が下がってしまい、怖くて仕方がないようです。

雷は自然現象であり、家の中にいれば安全であることを、私たちは知っています。

けれども、はなはそんなことなど知りません。

正しい知識があれば、不安や恐れはなくなり、安心が得られます。



大切な人が死んでしまい、もう会えないと苦しんでいる人がいます。

私たちの本質は霊です。

死とは、窮屈で不自由な肉体からの解放であり、生命は変わりなく存続しています。

死ぬ時まで、親愛の想いがあれば、同じ次元で再会することもできます。

正しい知識があれば、無用に苦しむことはなくなります。



何で自分だけがこんなにつらい思いをしなければならないのかと、苦しい思いをしている人がいます。

そんな人は、起きている結果だけを見て、全てを判断しています。

結果には必ず原因があります。

もし、目の前にモニターがあって、過去の自分をつぶさに観察することができたのならば、憤りは収まるでしょう。

原因をはっきりと知ることができるからです。



他者によって、つらい思いをすることがあります。

時に、憎んだり、恨んだりしてしまうこともあるでしょう。

そうすると、さらに自分が苦しくなってしまいます。

全ての行いは、自然法則によって計られます。

良いことも悪いことも、因果律の働きによって、必ず自分に返って行きます。

(償いがあるのを)知らない人を哀れむことができれば、苦しみは和らぐでしょう。



未知のことに遭遇すると、不安や心配が生じてしまいます。

そんな時、人は知識を得て解消しようとします。

過去の私がそうでした。

大きな不安や怖れに襲われましたが、それを取り除いてくれたのは、「乗り越えられないことは起きない」という真理でした。

偶然は存在しません。

全ての出来事は、自然法則の働きによって起きていることを知りました。

私たちを成長させるために、自然法則は働いています。

良きに計られていることを知って安堵しました。



人は知らないことによって苦しい思いをしていることが多いようです。

苦しみから解放されるためには、真実を知るしかありません。

真実を知った時に、苦しみを乗り越えられ、人は成長していると考えられます。

苦しみは、人を成長させる触媒の役割を果たしていると思います。



何も知ることができないまま、苦しみが続く時があります。

そんな時は、過去の過ちを償っているのかもしれません。

償っている時には、成長は許されません。

知ることができないのは、そのせいかもしれません。

償いは必ず終わります。

その時、苦しみから解放する、教訓を知ることになります。



私たちには成長したい欲求があります。

それは、神(完全)に近づきたいからです。

自然法則の働きにより、私たちは少しずつ神(完全)に近づいています。



神は完全なる叡智です。

全てを知り尽くしています。

神(完全)に近づくためには、より多くの叡智を学ばなければいけません。



地上では、いたるところに、苦しみや悲しみが存在します。

戦争、貧困、差別、貪欲などの悩ましい問題は、叡智を学んでいないために起こります。

無知の結果として生じる苦しみと痛みを経験して学ぶのではなく、初めから叡智を受け入れた方がはるかに賢明です。

そのためには、提示されている叡智を信じなければなりません。

より多くの人が信じ、実践すれば、地上の問題は解消して行きます。



私たちは、限られたことしか知りません。

そのために、不安や心配が生じ、苦しみを伴う出来事が起きます。



私たちは神の一部であり、神の心を持っています。

知識がないのを補うために、自分に顕現している神の心に従えば良いはずです。



全体のことを想う、それが神の心です。

神の心が顕現するように努めれば、多くの苦しみから解放されるはずです。



神は宇宙全体であり、宇宙全体が神です。

全体に奉仕をすることは、神に奉仕することであり、神とのつながりが強まります。

神とのつながりが強くなるほど、霊力(生命力)が魂に流れ込みます。

その力は愛を帯びているので、不安や怖れはなくなるはずです。



人は、自分のために生きているのではありません。

全体のために生きています。

身体の細胞は極小です。

しかし、その1つ1つが明確な役割りを持って、全体のために寄与しています。

人も同じです。

それぞれの役割りがあって、全体のために存在しています。



身体の細胞は独立していますが、同じ血液が流れていて、切り離すことはできません。

それぞれの生命は独立していますが、同じ生命力が流れていて、霊的につながっています。

全生命は一体です。

地上に生まれると、身体しか視えなくなるので、そのことが判らなくなってしまいます。



自分だけに意識を向けていると苦しみが生じます。

全体に意識を向けると、自分を意識することから生じている苦しみから解放されます。



宇宙全体のことなど考えられるはずもありません。

地球全体のことを考えれば良いのです。

全生命は一蓮托生です。

自分だけ、自国だけ、人間だけが良くなることは許されません。

自分のことだけを考えて行動すると、自然法則の働きにより、苦しみを伴う事象が生じるようになっています。

全体のために行動すれば、悦ばしい事象が生じるようになっています。

最も簡単で大切な真実です。



地上では、苦しみを通して真実を知ります。

真実を知るほど、地上の苦しみから解放され、神の心を表現できるようになって行きます。

全体を想う心が発揮されて、世界は1つになって行きます。



2021年5月9日日曜日

大切なものが視えなくなる世界で生きている


最近、鏡をあまり見なくなったような気がします。

年のせいもあるでしょうが、そこに映っているのは自分の「外側」なので、関心が薄れて来たのかもしれません。



人間は、目に視える「肉体」と、目に視えない「精神」と「魂」から構成されています。

目に視える肉体は物的な世界の存在であり、目に視えない魂は霊的な世界の存在です。

私たちは物的な世界に生きていると同時に、霊的な世界に生きているのです。



目に視えるもの、例えばお金は物的な世界の存在です。

目に視えないもの、例えば愛は霊的な世界の存在です。



お金が大切に思える時は、物的な世界に意識が向いています。

愛が大切に思える時は、霊的な世界に意識が向いています。

地上の人の意識は、物的な世界と霊的な世界を、絶えず行き来しています。



様々な思念(想い)は、魂から発せられています。

死後に赴く霊的な世界では、発せられた思念は、同次元にいる魂に直ちに伝わります。

今いる物的な世界では、思念を言葉など肉体的な表現に置き換えて伝えています。



私たちは、言葉や表情やしぐさから、相手がどんな想いでいるのかを間接的に判断しています。

同時に、わずかですが、そこに含まれている思念(想い)を、直接感じ取っています。



相手の顔が笑っていても、内心は悲しんでいると感じる時があります。

私たちは霊的な存在であり、霊的な感覚が備わっているので、表情や言葉とは違う想いを察知することができます。



怒りや憎しみなどの不穏な空気を放っている人の傍に行くと、落ち着かないような、胸騒ぎがする時があります。

そんな時も、霊的な感覚で空気を感じています。



ドアを開けた瞬間、いつもと違う空気を察知し、部屋を間違ったと慌てて閉めてしまうことがあります。

その空気を醸し出しているのが、人間から発せられているオーラです。



人間よりも動物たちの方が、オーラを察知する能力が高いと考えられます。

攻撃的なオーラを察知すれば、他の動物に襲われる前に逃げられるからです。



行間から、書いた人の想いを察することができるのも、霊的な感覚があるためです。

絵を観て美しいと感じたり、音楽を聴いて感動するのも同じです。



何となく行きたくないと、直感的に感じる時があります。

そんな時は、自分を守り導いている霊的な存在が、霊的な感覚を通して、思念を伝えているのかもしれません。



人間の本質は魂です。

けれども、地上では肉体しか視えません。

魂から生じている思念(想い)も、感じ取りにくくなっています。

それは、五感を頼りに生活をしているので、霊的な感覚が衰えてしまっているからです。



生き方、考え方、性格、価値観が自分と違う人たちと共に生きるのが地上です。

しかも、何を想っているのかも判りません。

判り合えるのが難しい世界に、私たちは生きています。

そのため、認め合えなかったり、人を疑ったり、警戒してしまいます。



どうして、そのような地上が創られて、生れて来たのでしょうか?

信じることの意味、大切さを学ぶためではないかと思っています。



信じ合えなければ、行き違いが起こり、時に諍いに発展してしまいます。

そんな苦しみや痛みや悲しみを伴う経験をしながら、人間の本質が視えないこの世界で、信じることの大切さを学んでいると思います。



神が望んでいるのは、全ての生命(魂)が愛し合うことです。

全てが、信じることから始まります。

信じ合うことで、互いが結びつき、初めて愛し合うことができます。



「生命」「愛」は目に視えません。

それよりも大切なものが、この世界に存在するのでしょうか?

物質しか視えないこの世界で、目に視えない本当に大切なものを見つけ出し、深く学ぶために、私たちはさまざまな経験をしています。



シルバーバーチの霊訓(6)の一節です。

飛行機事故で婚約者を失ったある女優に、シルバーバーチがかけた言葉です。

「あなたは本当に勇気のある方ですね。でも勇気だけではだめです。知識が力になってくれることがあります。是非理解していただきたいのは、大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通して初めて得られるものだということです。

人生というものはこの世だけでなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないということです。

光と影の両面が無ければなりません。光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇が無ければ光もありません。光ばかりでは光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。同じように、困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。

もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去ったあとに待ち受ける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。

あなたがこれまでに辿られた道もけっしてラクな道ではありませんでした。山もあり谷もありました。

そして結婚という最高の幸せを目前にしながら、それが無慈悲にも一気に押し流されてしまいました。

あなたは何事も得心がいくまでは承知しない方です。

生命と愛は果たして死後にも続くものなのか、それとも死を持ってすべてが終わりとなるか、それを一点の疑問の余地もないまで得心しないと気が済まないでしょう。そして今あなたは死がすべての終りでないことを証明するに十分なものを手にされました。(中略)

本当に大事なもの─生命、愛、本当の自分、こうしたものは何時までも存在し続けます。死は生命に対しても愛に対しても、まったく無力なのです。



大切なものは、灯りのようなものです。

明るい陽射しの中で、見つけるのは難しいようです。

真っ暗闇の中で、何も見えなくなった時に、光り輝いています。







2021年4月11日日曜日

真実は内に隠されている


「自分とは一体何だろう?」と、漠然と思う時がありました。

そんな時は、目に視える自分とは違うと、何となく感じていたのかもしれません。



「自分とはいったい何だろう」と思う意識そのものが自分です。

そんな意識は、どこで生まれているのでしょうか?

多くの人は、脳で生まれていると考えています。



ところで、人の性格はどこで生まれているのでしょうか?

世の中には、怒りっぽい人もいれば、泣き虫な人もいます。

脳内伝達物質の働き方によって、性格が決まると考えている人がいます。

アドレナリンが出やすい人が怒りっぽいのでしょうか?

そんな単純なものではありません。



意識がどこで生まれるのか、性格がどのようにして決まるのか、現代科学で解明されていません。

それは当然です。

意識や性格は、脳から生じているものではないからです。



意識は魂から生じています。

魂の様相の一部が、精神に投影されたものが、地上の人の性格となります。



地上の人間は、魂、精神、肉体の3者から成り立っています。

肉体を動かしているのは脳です。

脳に指令を与えているのが、精神です。

精神の上位に魂が存在しています。

精神は魂と肉体(脳)の間にあり、両者の橋渡しをしています。

肉体を動かす元となる思念は魂から生じています。

それが精神により具体化され、肉体で具現化されています。



ほとんどの人は、物質的な次元に生きていると思っています。

肉体は物質的な次元の存在ですが、魂は霊的な次元の存在です。

つまり、私たちは物質的な次元に生きていると同時に、霊的な次元に生きていると言えます。

死によって肉体から魂が分離すると、物質的な次元と関りがなくなり、完全に霊的な存在となります。



鏡に映っている肉体を見て、これが自分だと思っている人は多いです。

けれども、本当の自分とは鏡には映らない、意識的な存在です。

肉体は、自分(魂)を表現するための媒体に過ぎません。



地上の人間は、肉体、精神、魂から成る多元的な存在です。

私たちが発している言葉も、実は多元的です。

言葉は文字として見え、声として聞こえるので、物質的な次元の存在です。

その言葉に、次元の違う想い(思念)が込められています。



私たちが良く口にする「ありがとう」を例に挙げてみます。

「ありがとう」は感謝の意味を表す言葉です。

言葉は、地上だけに存在する、他者に意味を伝える一種の記号です。

肉体によって発せられて、五感を通して相手に伝えられます。



もし、コンピューターにより合成された音声で「ありがとう」と言われたらどうでしょう?

言葉そのものしか伝わって来ません。

人から心を込めてありがとうと言われたらどうでしょう?

言葉以上のものが伝わって来ます。

言葉の中に、想い(思念)が込められているからです。



人が発した「ありがとう」と、コンピューター音声の「ありがとう」の決定的な違いは、想い(思念)を含んでいるかいないかです。

想いは、魂から発せられています。

当たり前ですが、生命でない機械は言葉に想いを込めることは出来ません。

人間が発した言葉には、物質的な記号としての意味の他に、霊的な次元の想い(思念)が含まれています。

記号と思念が組み合わさった、多元的なものです。



発せられた言葉は、耳と言う感覚器官で受け取っています。

受け取った情報は脳で処理され、その意味を理解します。

けれども、言葉に込められた想いは、五感で感じ取ることは出来ません。

魂が感じ取っています。



人間が発した言葉でも、感謝の気持ちが込められた「ありがとう」と、社交辞令の「ありがとう」があります。

その微妙な違いを感じ取れるのは、私たちは霊的な存在であり、霊的な感覚があるからです。



もし、人間が肉体だけの存在だったらどうでしょう?

個と個の間で交わされるのは、機械的な情報の伝達のみです。

感情は無意味であり不要です。

ありがとうと言う、感謝の概念自体も存在しないでしょう。

魂が存在しているからこそ、私たちは喜んだり、悲しんだり、感謝したりするのです。



地上がやっかいなのは、発する言葉と、想いが一致しないところです。

思いもしていないことを口にされたり、口にしたりします。

相手に騙されたり、騙したりすることが可能です。



言葉はお粗末な思念の代用品です。

自分の想いを、完全に相手に伝えることは不可能です。

そのため、発した側と受け取った側の間に、どうしても齟齬が生じてしまいます。

地上にいる人たちが、お互いに分かり合えないのは、生き方や考え方が違う以外に、意思伝達が上手く行かないことも原因になっていると考えられます。



死んで、霊界に行くと肉体はなくなります。

言葉はなくなり、思念だけとなります。

思念が魂から魂へと、直接伝わります。

想いもしていないことを伝えることは不可能になり、意思伝達の齟齬も全くなくなります。



良く霊界は「真実の世界」と言われます。

それは、地上では嘘が存在し得るのですが、霊界では真実がそのまま表現されてしまうからです。

魂が剥き出しになり、想いが露わになるので、裏表や虚構が存在し得ないのです。



人はなぜ歌を歌うのでしょうか?

言葉や音楽という媒体を介して、自分の想いを伝えるためです。

優れた歌手は、たくさんの想いを歌に込められます。

込められた想いは、聴く人の心(魂)に響いて、共鳴させることが出来ます。



絵画はどうでしょう?

画家は、自分の想いを込めながら描きます。

込められた想いを、観る人は作品から感じ取ります。

芸術鑑賞とは、物的表現から作者の思念を読み取る、一種のサイコメトリーな作業です。

偽物はどんなに上手に描かれていても、観て感動しないのは、作者の想いが込められていないからです。



地上の人間も、霊的な存在です。

霊的な感覚は誰にでも備わっています。

しかし、肉体があるために、思念は直接伝わり難くなっています。

そのために、五感で判る言葉に変換して、肉体を介して伝えるしかありません。

別の言い方をすれば、人間はあまりにも言葉に頼ってしまったために、想いを感じ取る霊的な感覚が廃用退化したと考えられます。



目に視えるものが全てと思いがちです。

けれども、起きている現象や人が行っていることも、目に視えない意味や目的が存在しています。

私たちは、物質によって隠されている真実を探る作業を、日常的に行っています。

真実を隠すことの出来ない霊界では、その必要はありません。

地上でのその作業は、お互いが深く判り合えることにつながり、霊界において調和が促進されると考えられます。



今朝、小鳥の鳴き声を聴きながら起きました。

目覚まし時計のアラーム音は時に不愉快な気分にさせられますが、朝の小鳥の鳴き声からは、生きている歓びのようなものが感じられ、元気付けられます。