2026年3月29日日曜日

地上の痛み


私は毎日のように、歯の痛みを訴えて来る患者さんを診ています。

眠れなかったのであれば痛みは相当なものでしょうし、眉間にしわを寄せているようならかなり痛いのだろうと想像が付きます。


恥ずかしながら、自分も虫歯になったことがあるので、その痛みを知っています。

また、虫歯の治療される時の、不安や怖さも分っています。



虫歯になった経験がなければ、患者さんが訴えている痛みを想像できませんし、治療される時の怖さも分かりません。

好ましいことではありませんが、私が仕事をする上でその経験は役立っています。

痛みを感じることで、患者さんは異常があるのを自覚し、歯科医院を訪れます。



先天性無痛無汗症という病気があります。

この病気の人は、怪我をしても痛みを感じません。

ガンなどの病気になっても、痛みを感じにくくなります。

痛みを感じないのは良いことのように思えますが、そんなことはありません。

大きな怪我をしても気付かなかったり、病気の発見が遅れて命を落としてしまう可能性があります。

痛みは誰でも嫌ですが、身体を守り、健康を維持するために必要なものと言えます。


今、世界各地で戦争が起きています。

人は傷つき、大切な人を失い、家や街が破壊されています。

肉体的、精神的に傷つき、たくさんの人が苦痛を感じています。



今、戦争を起こしているのは、人の痛みを感じられなくなっている人たちのように思えます。

そんな人たちは、家族を失って泣き叫ぶ人たちを見ても、大義のためにやむを得ないと考えています。



罪もない人たちに、苦痛を与える大義など存在しません。

何も知らずに、霊的な大罪を犯しているのです。



人は物的に独立して存在していますが、霊的につながっています。

つながっているとは、関係性があり、互いに必要としていることを意味します。



例えば、自分ひとりになってしまったら、生きて行けるでしょうか?

極めて困難です。

食べ物を作る人がいるから、食べて行くことができます。

着る物を作る人がいるから、裸で生活しなくて済みます。

人と人はさまざまな形で関わり合っていて、1人1人が何らかの役割りを果たしていることによって、この世界は成り立っています。



その仕組みは人体と似通っています。

人体を構成している、1つ1つの細胞がそれぞれの役割りを果たすことで、正常に機能することができます。



戦争を起こしている人たちは、全体の調和を乱しているガン細胞のように思えてしまいます。

周囲の組織を押しのけて増殖して行く姿は、戦争を起こしている人たちのエゴが増幅して行く姿と重なります。



人間だけでなく、全ての生命は霊的に一体です。

地上に生まれると、五感が絶対的なものとなり、そのことが分からなくなります。



エゴが強くなると、相対的に霊的な意識は弱くなります。

それにより、生命のつながりが感じられなくなります。

人や動物が感じている苦しみや痛みに対して、何も思わなくなってしまいます。



画鋲を踏んでしまえば、痛くて飛び上がります。

足も身体の一部なので、当然です。



遠い場所で起きている戦争で傷ついた人たちを見ると、心に痛みを感じてしまうのは、霊的につながっているからです。

自分の中にある良心(神性)が疼いているからです。



もし痛みを感じなくなってしまったら、それは「足」で起きていることだから、「手」の自分には関係ないと言っているようなものかもしれません。

痛みを感じなくなる病気のように、自らの生存まで脅かされるような事態が、その先に待っているのかもしれません。



戦争を止めさせる力は、私にはありません。

つながりを通して感じる痛みは苦しいものですが、無駄にはなっていないはずです。

痛みを感じるからこそ、何とかしなければと言う想いが生まれます。



想いは具現化する力です。

そんな想いを持った人たちが増えて行き、やがて大きなうねりとなって、現実が良い方向に変わり始めると信じています。





2026年3月22日日曜日

生まれ変わり(再生)について


私が小さい頃、4歳違いの妹はある場所を極端に怖がりました。

それは水の張った浴槽です。

浴槽を見ると泣き叫んで逃げていたので、いつもどうしてだろうと思っていました。(母親と風呂に入る時は何故か大丈夫でした)

幼少期を過ぎると、いつのまにか怖がらなくなっていました。


米国のバージニア大学医学部にイアン・スティーブンソンとういう精神科の教授がいました。

彼は2300例という前世の記憶を持つと言われる子供たちを調査して、1977年「神経・精神病学雑誌 (Journal of Nervous and Mental Disease)」に「生まれ変わり現象」についての論文を発表しました。

事例として記録されたのは、前世の記憶を持つとされる子供が、前世の人物の持ち物や親しかった人を見分けられること、前世の人物に見られた特徴的な行動を示すこと、前世の記憶とされる事象が1人以上の成人によって裏付けられたなど、6つの条件の内、2つ以上を満たしたものでした。

研究によると、前世の記憶は2歳から5歳までの間に現れて、成長するのに伴い消えて行くそうです。

また、前世の死亡時の状況を覚えていて、死因となった特定の乗り物や火や水、銃火器などを見ると怖がる子がいたそうです。



「肉体がなくなっても生命(魂)は生き続ける。」

そのことは、私にとって当たり前の事実となっています。

この人生は、永遠に続く生命の営みの一部分です。

思い出せませんが、この人生の前にも地上の人生があったのです。



妹に起きていたことを、改めて考えてみると、このような推論が成り立ちます。

水を張った浴槽を見て怖がったのは、前世で溺れる経験をしていたのではないか。

魂に刻まれたその記憶が、自我が発達していない幼少期に蘇っていたのではないか。

真偽は分かりませんが、そう考えるとつじつまが合います。



世界のいたるところに、生まれ変わりの話はあります。

チベット仏教の最高指導者であるダライラマの後継者の選定も、生まれ変わりを前提にしています。

生まれ変わりとして認定されるのには、過去世を思い出して事実に基づいた話ができる、先代が使用していた物品を同定できる、先代の周囲にいた人を同定できるなどの要件を満たさなければいけません。

日本では江戸時代の「勝五郎の生まれ変わり」が知られていて、前出のイアン・スティーブンソン氏が研究を始めるきっかけとなりました。



仏教では、天・人・修羅・餓鬼・畜生(動物)・地獄の、いづれかの世界に生まれ変わると言われています。

ヒンズー教では、人間以外にも、動物や昆虫、植物などの生命形態に生まれ変わる可能性があると言われています。

霊的真理では、(地球では)人間は人間以外に生まれ変わらないと言われています。



3者に共通しているのは、因果律(カルマ)によって来世が決まると言うことです。

ただ現世で過ちを犯すと、動物などに生まれ変わると言うのは、一種の罰であり、戒めのように思えます。



人間は人間以外に生まれ変わらないと、私は思っています。

何故なら、カルマは罰としてあるのではなく、公正を保つため、学びや成長のためにあると考えているからです。

犯した過ちを償い、学ぶためには、もう1度人間に生まれて、それに相応しい経験をしなければならないと考えています。



学んでいるのは、自然法則の働きです。

法則は、神の心が顕現したものです。

神の心の核心は愛であり、愛が法則を貫いています。



愛に適った行いをすると、法則の働きにより調和が生まれ、喜びがもたらされます。

愛に反した行いをすると、法則の働きにより調和の乱され、苦痛がもたらされます。

喜びと苦痛により、私たちは愛を学び、それを表現する方向へと導かれています。



戦争は最も愛に反した行いの1つであり、著しく調和を乱します。

それによりもたらされる苦痛を世界全体が共有して、愛と平和の意味について人類全体が学ぶ時代が来ていると思われます。



愛(神性)は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の行いなど様々な表現形態を取ります。(シルバーバーチの霊訓より)

愛を表現することによって、霊的なつながりは強まります。

物的に離れて存在している生命が、霊的に1つになって行くのを目論んで、法則は創られていると思います。



人間は法則の働きによって、霊的に成長して行きます。

成長するのに伴い、より高い次元の愛を表現できるようになります。


成長の一環として、地上に生まれます。

地上でしかできない経験を通して、地上でしか学べないことを学んでいます。

それによって成長が促されて、それまで表現できなかった愛を表現できるようになります。



地上の人生は「学校」に例えられます。

学校では、予定されていた1年のカリキュラムが終わると、春休みに入ります。

その時に、通知表が手渡されて一喜一憂します。



予定されていた地上の人生が終わると寿命が来て、霊界に戻ります。

戻った後に、地上の人生を振り返ることになり、一喜一憂します。



学び損ねたことがあるのに気付いて、それを悔やんで、もう1度学び直そうと思うかもしれません。

さらに、学びを深めたいと思うかもしれません。

あるいは、もっと別のことを学びたいと思うかもしれません。

そんな思いに対して、因果律が働いて、結果として地上に生まれることになります。



生まれ変わりは、リ・スタートです。

学年が上がると、クラスが変わり、新たな環境で学校生活がスタートします。

同じ魂が別のパーソナリティとなり、思いを成就するために最適な環境に生まれ、新たな人生がスタートします。



小学1年生が、いきなり高等な数学を習得することはできません。

まず、足し算と引き算を学ぶことから始めます。

次に掛け算を学び、その次に割り算や分数を学びます。

学年が上がることで、より難しい算数を学ぶようになっています。



何度も生まれ変わるのは、たった1度の人生で、全てを学ぶことなどできないからです。

地上に最初に生まれた時は、易しい人生になるのかもしれません。

次に生まれる時は、より難度の高い人生になるのでしょう。

より難しい人生に挑戦することによって、より価値のある教訓を学ぶことができて、魂はより大きく成長すると考えられます。



学校に行く目的は、人や社会に奉仕するための知識やスキルを身に付けて、自立した生活を営むためと思われます。

地上を生きる目的は、肉体を介した経験から霊的な学びや成長を得て、霊界に戻って全体のためにさらに自分を活かせるようになるためと思われます。



霊界で自律的に成長して行けるほどの愛を表現できるようになった魂は、もう地上で学ぶことは残されていないので、生まれ変わる必要はなくなります。



2026年3月15日日曜日

ありのままの自分

 

「ありのままの自分」という言葉を良く聞きます。

素の自分、本当の自分と言う意味でしょうか?

分っているようで、意外に分っていないような気がしたので、少し考えてみました。


人間の本質は魂(霊)です。

地上の人間は、肉体を携えた魂です。

魂は肉体の上位にあり、支配的な存在ですが、直接肉体を動かしているわけではありません。

魂と肉体の間に、精神(地上的自我)が存在しています。



受胎した瞬間、精神(地上的自我)は生まれます。

魂から生まれた想いは、地上的自我が働くことによって、肉体に命令が出され、外部に表現されます。

地上的自我は魂を表現するための媒体ですが、肉体と密接不可分の関係にあり、強い影響を受けています。

外部の危険を察知して、肉体を守ろうとするのも、この自我の働きによるものです。



地上の人間には、肉体の他に「霊体」があります。

起きている時は肉体を使って活動していますが、眠っている時は魂は肉体を離れ、霊体を使って活動しています。



魂と肉体の間に地上的自我が存在していますが、魂と霊体の間には「霊的自我」が存在しています。

地上の人間には、地上的自我と霊的自我の2つが存在していることになります。



地上的自我は肉体の影響を強く受けていますが、霊的自我は魂の影響を受けています。

地上では霊的自我から生じる想いのまま行動すると、肉体が危険に晒されることがあるため、地上的自我が抑制的に働いています。




以前、車いすの男性が踏切内で立ち往生してしまい、それを見て助けようとした女性が列車にはねられて亡くなるという痛ましい事故がありました。

魂には神が宿っています。

亡くなった女性は、地上的自我で抑えきれないほどの神性が霊的自我を通して発揮されたと思われます。



地上の人生には、生まれる前に立てられた計画(ブループリント)があります。

霊的自我にはその記憶がありますが、地上的自我にはありません。

守護霊の働きかけもあり、無意識の内に計画に沿って生きようとしますが、地上的自我が強くなってしまうと、それが出来なくなります。

例えば、金銭的な欲望に負けてしまい、計画から外れてしまう人もいます。



計画から外れてしまうと、因果律の働きによって、何らかの出来事が起きるかもしれません。

金銭的な欲望に負けてしまった人は、経済的に破綻するなど、地上的自我(精神)が追い詰められる出来事が起きるかもしれません。



また、地上的自我から生じている感情によって、計画通りに行かなくなる時があります。

怖れが強くなり過ぎると、計画されていた出来事が起きても尻込みしてしまい、予期した成長が得られなくなることもあります。

運命を呪ったり、不運として嘆いたりしてしまうと、そこから何も学ぶことができなくなります。



魂から生じている想いは、肉体によって外部に表現されることで完結します。

地上的自我の働きが強くなると、感情や考えによって妨げられて、想いは肉体によって表現できなくなります。

想い(思念)はエネルギーです。

表現できずに内に溜まった想いが閾値を超えると、因果律の働きによって、肉体を変化させるエネルギーとなり、病気として現れることもあると考えられます。



失敗、挫折、病気などの出来事からは苦痛が生じます。

苦痛により、眠っていた魂が目覚めます。

地上的自我の働きは弱まり、霊的自我が前面に出て来て、想いを素直に表現できるようになります。



不幸と言われる出来事は、本来の自分を取り戻すため、計画されていた人生を歩むための触媒の役割りを果たしていることになります。



ありのままの自分とは霊的自我のことを指していると思いましたが、そうではなさそうです。

地上的自我も含めて、ありのままの自分と思うようになりました。

頭を働かせて考え、悩みながら、地上を生きなければならないからです。

感情が生まれるのは自然なことだからです。



ありのままの自分とは、そのままの自分です。

ありのままの自分でいようとするのであれば、そのままの自分でいれば良いのだと思います。



大切なのは、地上的自我から生まれている欲求や感情や考えに惑わされずに、霊的自我から生まれている想いやインスピレーションに気付くことかもしれません。

それを表現することで、人は学び成長することができ、地上に生まれた目的が成就されて行きます。    






2026年3月8日日曜日

魂は不滅であり、永遠に生き続ける


「魂とあの世が存在する可能性は何%でしょう?」

こう聞かれたとしたら、迷うことなく100%と答えます。

何を根拠にと言う人がいるでしょうが、私なりの根拠があります。

それを少し書いてみようと思います。



20年前に左手から病気を癒す力が突然出ました。

霊的なことなど興味もなく、そんな力があることなど知らなかった私には驚きでした。



力の正体をどうしても知りたくなり、出会ったのが「シルバーバーチの霊訓」でした。

そこには、その力は「霊界」から届いていると書かれていました。

この世界のものではないと感じていたので、素直に信じることができました。



この本を貪るように読みました。

シルバーバーチは霊界にいる存在(魂)です。

交霊会において、参加者から受けた質問に対して、間髪入れず淀みなく答えていますが、霊媒であるモーリス・バーバネルが考えているとは思えませんでした。

何より、その答えに地上の人への慈愛が感じられます。

無知な私でも、高次の存在からのメッセージだと思いました。



私自身も霊界にいる存在からメッセージを受け取ることになります。

十数年前のある朝、起きる直前に、ある単語が心に浮かびました。

最近出会ったある人に、浮かび上がった単語を伝えなければならないと言う衝動が生まれました。

その単語を伝えてもらいましたが、それは少し前に亡くなった家族しか知らないものだったようです。



数日後、今度は手紙のような文章が伝わって来ました。

しばらくして、その単語を伝えた人が、家族を連れて私のところに訪ねて来ることになりました。

その文章が、亡くなった人からのものと保証するものは何もありません。

間違っていたら人間性を疑われかねませんでしたが、「根拠のない確信」がありました。



霊界にいる人の想いを感じながら、その文章をお伝えしました。

伝え終わると、ご家族は号泣されていました。

どうして泣いているのだろうと、不思議な気持ちになったのを覚えています。

ご家族もそうだったでしょうが、私自身も死んでも人は生きていると、実感することになります。



霊界の計らいを感じた出来事がありました。

16年前、義父が亡くなりました。

仲の良かった義母は憔悴し、心ここにあらずと言った状態となり、子供たちは心配しました。

半年くらい経った頃でしょうか、亡くなった義父の魂に意識を合わせ、「(義母に)何か伝えたいことはありますか?」と問いかけてみました。

返って来た答えは「早くこっちへ来い」でした。

義母まで逝ってしまうような気がしたので、戸惑いました。

けれども、託されたものと考え、伝えました。



それから数か月して、義母が末期のガンであることが分かります。

家族の誰もが少しでも長く一緒にいたいと思っていましたので、遠隔ヒーリングを行うことにしました。

効果があったのかは分かりませんが、医者の予想に反して生き続けてくれました。



ついに向こうに逝く時が来ました。

その日は、奇しくも義父母の結婚記念日でした。

再び結ばれたうれしさでいっぱいだと感じたのは、私だけではないと思います。



余談ですが、付き添っていた妻の話によると、病床の義母は義父が来ていると言っていたそうです。

遠く離れたところに住んでいて、普段は一緒にいられなかった妻の気持ちを察して、早く迎えてやりたい想いを抑えて、もう少しこの世にいるように義父が促していたと考えています。



同時に、友人の奥さんに向けてヒーリングも行っていました。

新居を建築中であり、そこでの暮らしを楽しみにしていた矢先に、ステージ4のガンの宣告を受けました。

脳に転移して予断を許さない状態にもかかわらず、一時退院して完成した新居でしばらくの間、家族と過ごすことができました。

30代の若さで逝く時が訪れますが、その日は友人の誕生日でした。

友人がどう感じたのか分かりませんが、いなくなっても忘れずにいて欲しいというメッセージのように思えました。



もちろん、二人が逝く日を選んでいたわけではありません。

偶然ならば、この記念日に逝く確率は、(単純に計算しても)5万分の1以下です。



家族にとって、言葉を超えたメッセージとなっています。

私にとって、この世の人を想う霊界の人たちの計らいを、強く感じた出来事になりました。



このような偶然とは考えられない出来事を、いくつも経験しました。

魂が存在していなければ説明することのできない出来事を、いくつも経験しました。

それらの積み重ねによって、否定する気持ち、疑う気持ちは全くなくなりました。




人間は疑い深い動物です。

目の前で証拠を見せてもらわないと、信じない人たちはたくさんいます。



そんな人たちに、「愛は存在していますか?」と質問してみたいです。

誰かに愛された経験、誰かを愛した経験がある人ならば、「存在している」と答えるでしょう。



続けて「存在しているのなら、その証拠を見せて下さい」と言ってみたいです。

返答に困り、「それはできない」と答えるでしょう。



そして「証明できない愛の存在は肯定しているのに、証明できない魂の存在をどうして否定できるのですか?」と問いかけてみたいです。

さらに返答に困ってしまうと思います。



愛も魂も、物質的次元の存在ではないので、科学的に証明することはできません。

けれども、存在しているのです。 



        

愛は、魂から放たれている最も波動の高いエネルギーです。

放たれた愛を感じているのも魂です。

魂が存在しなければ、愛は存在せず、感じることもありません。



魂の存在を信じられない人は、証明されていないからではなく、信じるに足るような経験をしていないだけです。

どんな人でも、自分が実際に経験すれば、信じるようになります。



魂や霊界の存在を信じることによって、この世を生きている意味、死の意味について理解できるようになります。

霊界で経験できないことを経験し、大切なことを学び、魂を成長させるために、この世を生きています。

寿命が来て、霊界に移行するための自然現象が死です。



「存在すると信じて、間違っていたらどうするのか?」と言う人もいるでしょう。

もし魂や霊界が存在しなかったとしたら、死んだら無になり、意識はなくなります。

信じていたのを後悔することも、騙されたと憤慨することもないので、心配はありません。



私がこれまでに経験してきたことが夢幻でない限り、精神がおかしくない限り、死んで無になることはないと断言します。

「魂は不滅であり、永遠に生き続ける」

これが真実です。






2026年3月1日日曜日

法則の働き



今から500年前、日本は戦国時代でした。

武力がものを言う時代であり、各地の大名が領土争いを繰り広げていました。

そこに住んでいた者は争いに巻き込まれ、多くの命が失われたことでしょう。

時代が進むにつれて、争いは少なくなって行き、日本は平和な社会となっています。



昔は、女性が政治に参加することは許されませんでした。

家で食事を作ったり、掃除や洗濯をするのが、女性の仕事と思われていました。

今は、女性が首相になる時代となりました。

多くの男性が、当たり前のように家事に参加しています。



世の中も人も、時代と共に変化しています。

500年前に生きていた人が現代に生まれたとしたら、あるいは現代を生きている人が500年前の世界に生まれたとしたらどうでしょう?

周りの人間との間に大きな隔たりを感じて、適応するのが困難でしょう。

その時代に見合った、進化の程度の人が生まれて来ると考えられます。



進化とは、知性が高くなることではありません。

霊性が高くなり、より神の心が表現されるようになることです。

進化した世界とは、個々の生命が持っている特性が全体のために活かされて、高度に調和している状態を指すと思います。


もし、宇宙の彼方から知的な生命が訪ねて来たらどうでしょう。

最も進化していると言われている人間が、ところどころで傷つけ合い、殺し合っています。

飢えている人、苦しんでいる人がいても、見て見ぬふりをしています。

自分が住んでいる星を汚して、他の動植物たちの生存を脅かしています。

そんな姿を見て、何て野蛮で愚かな生命だろうと思うでしょう。

現代人が500年前にタイムスリップした時よりも、強い違和感を感じるかもしれません。

形跡があるのに、人前に姿を現さないのは、進化の程度に大きな差を感じて、友好関係を結ぶ気になれないからなのかもしれません。

無用な争いをせず、協調性に富み、自然と調和して生きている、海の中にいる知的でフレンドリーな生き物の方に、親しみを感じているような気もしています。



争いがない社会になって行くのも、男女の分け隔てがなくなって行くのも、偶然ではありません。

もちろん人間がそうなるように努力をしているのですが、最大の理由は目に見えない自然法則が働いているからだと思います。



自然法則と言っても、さまざまな次元のものがあります。

水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのは、物質的次元の法則の働きによるものです。

助けてもらうとうれしくなり、裏切られると怒りが生じるのは、精神的次元の法則の働きによるものです。

より平和で平等な世界になって行くのは、霊的次元の法則の働きによるものです。

あらゆる現象に、自然法則が伴っています。



法則の根底にあるのは「因果律」です。

原因があれば結果が生じます。

「法律」に背いた行いをしても、見つからなければ咎められることはありません。

「法則」に背いた行いをすれば、相応の結果が必ず生じます。

人や動物を傷つければ、自らの魂を貶める結果が生じて、相応の苦痛を味わって償わなければいけなくなります。



神の心が法則によって顕現しています。

法則は神の公正によって貫かれています。

苦痛は公正を保つために必要であると同時に、自らの過ちに気付いて正すために存在しています。



乗り越えられない出来事は存在しないのは、神の法則の働きによって起きているからです。

苦しめるため、挫けさせるためではなく、学び成長させるために起きているので、ぎりぎりのところまで追い詰められたとしても、乗り越えられるようになっています。



どんな出来事にも原因(目的)があります。

それが分からないと、偶然としか思えません。

不幸や凶事と言われる出来事であれば、理不尽に思えて、運命を呪ってしまうこともあります。



死んで霊界に行くと、霊的な目が見開かれます。

地上にいる時に分からなかった原因(目的)が分かるようになります。



自分に足りない資質を手に入れるために、その出来事を経験する必要があり、そのために起きているのかもしれません。

あるいは、過去の人生に原因があって、今回の人生で結果として現れているのかもしれません。



自分の言動や想いが原因となり、自動的に結果を生み出しています。

生み出された結果に対する、自分の言動や想いが、新たな結果を生み出しています。

原因と結果を繰り返しながら人生が営まれていますが、その一局面として出来事が起きているのかもしれません。



いずれにせよ、偶然や不運ではなかったことを知ります。

地上にいた時に抱いていた、理不尽な思いは消えます。

そして、出来事が起こった時の対応によって、自分が形作られて行くのを知ることになります。



自分が原因を作っていないのに、苦痛を伴う出来事を経験することがあります。

そこに埋め合わせの法則が働いています。

恨まずに、その出来事を乗り越えようとすることで、魂の成長という報いがあり、神の公正が完全に保たれていたことを知るでしょう。



あらゆる存在は、法則の働きによって、神とつながっています。

神の心は愛です。

法則の働きによって、喜びが感じられる方向へと導かれています。

時に、つらく、悲しい出来事が起きますが、その経験により霊的に成長して、その先でより深い喜びが感じられるようになります。

霊的な真実が分からなくなる地上では、その時が必ず来ると強く信じて生きるしかありません。