ラベル 神性 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 神性 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年5月31日日曜日

エゴと神性


記憶には上って来ませんが、生まれる前、私たちは霊界にいました。

周りにいたのは、霊的に似通った人たちばかりです。

同じことを感じ、お互いの想いが分り合えていました。




地上に生まれると、環境が激変します。

周りにいるのは、性格、考え方、価値観が違う人たちばかりです。

他にも、国、言葉、文化、宗教、肌の色など、さまざまな違いが存在しています。

何を想っているのかも、全く分かりません。

それが当たり前のように思えますが、特殊な世界に生きているのです。




地上では、違いを感じさせられる出来事が頻繁に起きます。

少し前ですが、散歩に行った時のことです。

連れて行った飼い犬が、ある家の前の路上でフンをしました。

汚さないように気を付けて処理をしましたが、家の人が出て来て、自分の家の前でフンをさせるなと怒られてしまいました。

動物の生理現象なので、そこまで言わなくても良いのではと、一瞬思いました。




動物が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。

その人にとって見苦しいものであり、気分を害されたのかもしれません。

些細な出来事ですが、感じ方や受け止め方が人によって違うことを改めて意識しました。




話は大きく変わります。

第二次世界大戦末期のことです。

連合国からポツダム宣言を突き付けられた時、当時の首相は(ポツダム宣言を)「黙殺」すると発言したそうです。

「ノーコメント」に近い意味合いで言ったのですが、アメリカ側に「軽蔑して拒絶する」と受け取られ(訳され)て、広島、長崎の原爆投下へとつながったと言われています。

想いや考えが正確に伝わらない地上では、このような事態が起きることは珍しくありません。




内面も外面も違う人たちと共に暮らし、他者の想いも分からず、正確に伝えられない地上では、軋轢や誤解が生じやすくなります。

軋轢や誤解から、怒りや怖れなどの感情が生まれて、争いになることもあります。



それらの感情や行動は、地上の自我(以下自我)の働きによるものです。

自我は肉体との結びつきが強く、自分を守るためにそのような感情が生まれ、行動していると思われます。




そんな世界を、平和に心穏やかに暮らして行くためには、どうすれば良いのでしょうか?

周りの人と自分が違うのが当たり前であることを、まず自覚する必要があります。

そして、他の人の違いを認めなければいけません。

他の人から見れば、自分自身も違っているのです。




肉体があるがゆえに、地上では過ちを犯します。

物質を介して表現しているので、行き違いが生まれます。

そのために、苦痛を感じたり、不利益を被る出来事が起きます。

自分に非がないのなら、相手を許せなくなっても、おかしくはありません。




許せなくなるのは、自我(エゴ)の働きによるものです。

怒りや憎しみの感情に捉われているうちは、自らを成長させることができなくなり、この世に生まれた目的を果たせなくなります。




許そうとしている自分もいます。

内なる神の働きかけを、常に受けているからです。

内なる神が、対象への憐れみ、寛容の精神となって顕現し、怒りや憎しみの感情から解放された時、許しが成立します。

自我(エゴ)から生まれるいかなる感情も、内なる神から生まれる愛には敵わないのです。





霊界では、初めからお互いを認め合っています。

許すような対象も存在せず、許すような出来事も起こりません。

想いが分かるので、信じる必要もありません。

想ったことは、リスクや労苦を伴わずに具現化するので、地上のように勇気を出して挑戦することもありません。




認めること、許すこと、信じること、勇気を出すことは、地上でしかできない経験です。

より多くの神性を発揮する機会が、地上では与えられています。




「明日は潜在する神性を開発し、人生を物質的、精神的、霊的に存分に楽しみ、周りに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。

困難や障害を伴う出来事が起きたとしたら、あるいは怒りや怖れを感じる出来事が起きたとしたら、それは神性を発揮する絶好の機会が訪れたと思えば良いのです。

どんな出来事であっても乗り越えて行けるのは、私たちには神が宿っていて、無限の力が秘められているからです。





エゴと神性はコインの両面のようなものかもしれません。

地上では、どちらかが必ず表になります。




エゴに打ち克ち、神性を発揮することは、生まれて来た大きな目的の1つです。

霊的な進化が促され、より高く強い愛が表現できるようになります。



2026年4月26日日曜日

神性を発揮するために


私たちの本来の住処は霊界です。

霊界のことを知れば知るほど、素晴らしい世界だと思うようになりました。

死は喜びであると言われますが、そんな世界に戻れるのだとしたら、その通りです。



霊界では肉体がありません。

食べるために働く必要はなく、病気をしたり事故に遭うことはなく、老いることもありません。

生きるのに苦労することも、心配することもありません。



霊界は思念(想い)の世界です。

想ったことは、言葉を介さずに、電光石火に相手に伝わります。

思念は直ちに具現化します。

想いを伝えたり、形にするのに、苦労することもありません。



霊界で周りにいるのは、魂の似通った人ばかりです。

お互いに分かり合えているので、対人関係で苦労することもありません。



そんな快適で安全な霊界を離れて、何故、苦労の多い地上に生まれて来たのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。」

居心地の良い霊界にいるよりも、困難や障害があり、危険を伴う地上を生きる方が、多くを学び、自分を大きく成長させることができると思われます。

学び成長することを期待して、自らの意志で地上に生まれて来ています。


私たちは、神によって創られた神の一部です。

生命そのものである魂には、神性が内在しています。

神性は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって発揮されています。

人間の進化成長とは、より多くの神性が発揮されるようになることです。




地上は神性が発揮される機会に溢れています。

例えば、車で走っている時に道を譲るのも、ささやかですが神性が発揮されたことになります。

動物を可愛がるのもそうです。

困っている人を助けるのもそうです。

悩みを抱えている人の相談に乗るのもそうです。

悲しんでいる人を慰めるのもそうです。

誰かのために何かをしようとする時、そこに神性が発揮されています。




自分とは違う人を認めようとするのもそうです。

他者の過ちを許そうとするのもそうです。

神性が発揮されると、周囲との間に調和がもたらされ、いさかいを避けることができます。

無心になって仕事をしている時も、神性が発揮されていると考えています。




神性が発揮されるのを妨げているのは、自分自身です。

肉体がある地上だけに存在する自我によって、私たちは自己表現しています。

その自我には、自分の身を守ろうとしたり、快適に生きようとする働きが備わっています。

そのため、助けを求めている人がいても、無視してしまう時があります。

自我の働きが強くなると、神性が発揮されにくくなります。




シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「運命全体としての枠組みはできております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するのかは、あなたの努力次第だということです。」

計画の一環として、大きな壁のように感じられる出来事が立ちはだかったり、リスクを冒して挑戦しなければいけない時があります。




「自分には無理だ」という自我の声がした時には、こう宣言するようにシルバーバーチは勧めています。

「私には神性が宿っており、どのような状況も私を揺るがすことはできない。私の魂にはあらゆる困難に打ち勝つ無限の力があるのだ」

自我に打ち勝って、神性を発揮して乗り越えて行くことは、地上に生まれた大きな目的の1つです。




地上の人生は、生きているだけで知らずに負荷がかかっています。

登り坂をずっと歩いているようなものかもしれません。

坂が急になり、疲れ果てて、これ以上登れないという時もあるでしょう。

そんな時に、神性が発揮されると、一歩を踏み出す力が内から湧き出して来ます。



霊界では、何もしなくても生きて行けます。

けれども、それでは生きる悦びは感じられません。

全体のために、何らかの役割りを果たすことで人は悦びを感じ、成長することができます。




自分に望まれている、あるいは自分が望んでいる役割りが、霊界で待ち受けているのかもしれません。

その役割りを果たすために、どうしても身に付けなければならない、霊的な資質があったのかもしれません。

その資質を身に付けるのに相応しい経験をするために、地上に生まれて来たのかもしれません。




その経験は、困難や障害、挑戦を伴うことがほとんどです。

自分を強く信じましょう。

自分を信じれば、自分の中にいる神を信じることにつながります。

それによって神性が発揮されて、内から湧き出す力によって、必ず克服することができます。













2026年3月15日日曜日

ありのままの自分

 

「ありのままの自分」という言葉を良く聞きます。

素の自分、本当の自分と言う意味でしょうか?

分っているようで、意外に分っていないような気がしたので、少し考えてみました。


人間の本質は魂(霊)です。

地上の人間は、肉体を携えた魂です。

魂は肉体の上位にあり、支配的な存在ですが、直接肉体を動かしているわけではありません。

魂と肉体の間に、精神(地上的自我)が存在しています。



受胎した瞬間、精神(地上的自我)は生まれます。

魂から生まれた想いは、地上的自我が働くことによって、肉体に命令が出され、外部に表現されます。

地上的自我は魂を表現するための媒体ですが、肉体と密接不可分の関係にあり、強い影響を受けています。

外部の危険を察知して、肉体を守ろうとするのも、この自我の働きによるものです。



地上の人間には、肉体の他に「霊体」があります。

起きている時は肉体を使って活動していますが、眠っている時は魂は肉体を離れ、霊体を使って活動しています。



魂と肉体の間に地上的自我が存在していますが、魂と霊体の間には「霊的自我」が存在しています。

地上の人間には、地上的自我と霊的自我の2つが存在していることになります。



地上的自我は肉体の影響を強く受けていますが、霊的自我は魂の影響を受けています。

地上では霊的自我から生じる想いのまま行動すると、肉体が危険に晒されることがあるため、地上的自我が抑制的に働いています。




以前、車いすの男性が踏切内で立ち往生してしまい、それを見て助けようとした女性が列車にはねられて亡くなるという痛ましい事故がありました。

魂には神が宿っています。

亡くなった女性は、地上的自我で抑えきれないほどの神性が霊的自我を通して発揮されたと思われます。



地上の人生には、生まれる前に立てられた計画(ブループリント)があります。

霊的自我にはその記憶がありますが、地上的自我にはありません。

守護霊の働きかけもあり、無意識の内に計画に沿って生きようとしますが、地上的自我が強くなってしまうと、それが出来なくなります。

例えば、金銭的な欲望に負けてしまい、計画から外れてしまう人もいます。



計画から外れてしまうと、因果律の働きによって、何らかの出来事が起きるかもしれません。

金銭的な欲望に負けてしまった人は、経済的に破綻するなど、地上的自我(精神)が追い詰められる出来事が起きるかもしれません。



また、地上的自我から生じている感情によって、計画通りに行かなくなる時があります。

怖れが強くなり過ぎると、計画されていた出来事が起きても尻込みしてしまい、予期した成長が得られなくなることもあります。

運命を呪ったり、不運として嘆いたりしてしまうと、そこから何も学ぶことができなくなります。



魂から生じている想いは、肉体によって外部に表現されることで完結します。

地上的自我の働きが強くなると、感情や考えによって妨げられて、想いは肉体によって表現できなくなります。

想い(思念)はエネルギーです。

表現できずに内に溜まった想いが閾値を超えると、因果律の働きによって、肉体を変化させるエネルギーとなり、病気として現れることもあると考えられます。



失敗、挫折、病気などの出来事からは苦痛が生じます。

苦痛により、眠っていた魂が目覚めます。

地上的自我の働きは弱まり、霊的自我が前面に出て来て、想いを素直に表現できるようになります。



不幸と言われる出来事は、本来の自分を取り戻すため、計画されていた人生を歩むための触媒の役割りを果たしていることになります。



ありのままの自分とは霊的自我のことを指していると思いましたが、そうではなさそうです。

地上的自我も含めて、ありのままの自分と思うようになりました。

頭を働かせて考え、悩みながら、地上を生きなければならないからです。

感情が生まれるのは自然なことだからです。



ありのままの自分とは、そのままの自分です。

ありのままの自分でいようとするのであれば、そのままの自分でいれば良いのだと思います。



大切なのは、地上的自我から生まれている欲求や感情や考えに惑わされずに、霊的自我から生まれている想いやインスピレーションに気付くことかもしれません。

それを表現することで、人は学び成長することができ、地上に生まれた目的が成就されて行きます。    






2026年2月15日日曜日

何のために生きているのか?


若い時、「何のために生きているのだろう?」と自分に問いかけていました。

けれども、いくら考えても答えは見つかりません。

周りの人たちはそんなことなど気にせずに生きているように見え、いつしか考えなくなりました。



20数年経って、「シルバーバーチの霊訓」と出会い、その中に答えを見つけました。

それは「成長するため」でした。



成長するとは、どのようなことでしょうか?

一般的には、自分の可能性を拡げたり、人間として成熟することを指します。

霊的には、より神性(神の心)が発揮されるようになることだと思います。



神の心とは、全体を慈しむ心だと考えています。

全てを愛する心と言っても良いのかもしれません。



私たちは神により創られた、神の一部です。

私たちの中に、神の心が良心となって顕現しています。



地上では肉体があり、(地上的な)自我によって自己表現しています。

地上を生きて行くために自我は必要なものですが、その働きによって良心(神性)が発揮されるのが妨げられます。



車を運転している時、横道から合流しようとする車がいたとします。

自分の良心は道を譲ろうとしますが、そのまま進んでしまおうとする考えが自我に生まれると、その行動は妨げられます。

駅のホームで、線路に落ちて動けなくなった人がいたとします。

そこに電車が迫って来ています。

良心は助けようとしますが、自我は身の安全を第一に考えて、その場に留まろうとします。

過去に助けようとして命を落としてしまった人がいますが、もう地上を生きる必要がないほどの神性が発揮された結果のようにも思えます。



霊界では肉体がありません。

そのため生きて行くために働く必要がありません。

地上では組織のために働いて、その対価としてお金をもらったり、家族のために家事をして働くことで、生活を営むことができます。



働いている中で、誰かに喜ばれたり、感謝されると、うれしさを感じます。

私も仕事をしていて、「何でもおいしく食べられるようになった」とか、「人前で笑えるようになった」と患者さんに喜んでもらえると、とてもうれしくなります。

そのうれしさが、仕事をするモチベーションとなります。


人は何故ペットを飼うのでしょうか?

かわいい、一緒にいると楽しい、癒されるなどの理由があります。

それ以外に、動物たちのために何かをしてやることに、人は喜びを感じるからだと思います。

与えた餌をおいしそうに食べているのを見たり、うれしそうに散歩をしている姿を見ると喜びを感じます。



人は誰かのために何かをすることで、喜びが感じられるようになっています。

けれども、地上では自我や肉体があるために、その喜びが感じにくくなります。

身体の具合が悪い時に、何かをしてやろうという気持ちになれませんし、無理にすれば苦痛となってしまいます。

また、物を買ったり、おいしい物を食べるなど、すぐ手に入る(地上的な)喜びがあり、それを求めがちになります。


子供の時に、わがままを言ったり身勝手な行動をしていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

社会に出て同じことをしていたら、組織に不利益をもたらす者として、クビになってしまうかもしれません。



そうなるのは偶然ではなく、神の創った法則の働きによるものです。

いつでも、どこでも、誰にでも同じ結果が生じます。

法則の働きによって生じる喜びと苦痛により、私たちは神性を発揮する方向へと導かれています。


霊界では、何もしなくても生きて行けます。

好きなことだけしていても許されます。

地上を生きている私たちにとって、まさに天国と言えます。



けれども、それだけでは成長することはできません。

人は、誰かのために何かをすると、法則の働きによって成長します。

自由に生きられる霊界で成長して行くために、生きるために誰かのために何かをしなければいけない地上に生まれて、奉仕をするための意志を培っていると考えられます。



それでは、何にために成長するのでしょうか?

私たちは霊的につながっています。

これは、霊界に行けば当たり前のように感じられることです。

地上では肉体(物質)が存在し、五感により外部を感識しているために、つながりは感じられなくなり、それぞれが独立して存在しているように見えます。

そのために、地上ならではの障壁や問題が生まれます。

それらを克服して行くために、神性が発揮されなければいけません。



自我に打ち克ち、より神性を発揮できるようになるのが、地上に生まれた目的と考えられます。

神性が発揮される度に、進化成長して行きます。

お互いを隔てているものが取り払われて、霊的に1つになって行きます。

そんな計画の元に、私たちは生きていると考えています。











2025年8月3日日曜日

私たちは霊的に一体



人がクマに襲われる事象が多く起きています。

温暖化の影響でしょう、木の実などの食料が山で採れなくなったために、人里に降りて来るようになったと考えられます。

人とクマが出くわした時、人が怖くなるように、クマも怖いのです。

人を襲って来るのは、多くの場合、自分の身を守ろうとしているからと思われます。




今、起きている戦争も同じような気がします。

地上は自分と違う人たちと暮らす世界です。

違う人たちのことが理解できないと、不安に思ったり、警戒したりします。

自分を守ろうとする気持ちが高じると、対象を攻撃してしまうことがあります。

お互いが理解できないことから生じる「怖れ」が争いの原因になっていることが多いと考えられます。




肉体を持つことにより、(地上の)自我が生まれ、そこから怖れが生じます。

外部から自分(肉体)を守るために、怖れを感じることは必要です。

もし感じなければ、高い所から落ちて死んでしまうかもしれません。

ただ、過度な怖れを抱いてしまうと、過度な行動を取ってしまう可能性があります。




過度な怖れを抱かないようにするのには、どうすれば良いのでしょうか?

地上の人間には、外面上さまざまな違いがあります。

けれども、本質は同じ魂です。




魂とは生命そのものです。

神性を帯びた意識です。

困っている人を見ると、何とかしてやりたいと思うのも、私たちに神性があるからです。

嘘を付きたくないと思うのもそうです。

全ての人は神が内在している善なる存在であることを理解すれば、過度な怖れを抱かなくなり、尊ぶようになるはずです。



戦争は、遠い場所で起きている、自分には関係のない出来事のように思えます。

それは違います。

地上で起きていることは、自分にも深く関わっています。




少し話が逸れますが、長い間、盲腸は役割りがない組織と思われていました。

最近になり、腸内の免疫力を高める役割りを果たしていることが分かりました。

全ての細胞(組織)は、全身のために、何らかの役割りを果たしています。

用のない細胞(組織)は存在しません。




それと同じで、全ての人は全体を構成する1部として、何らかの役割りを果たしています。

自分には役割りはないと思っている人がいたとしても、それは分かっていないだけであり、知らずに役割りを果たしているのです。




1つ1つの細胞には、同じ血液が流れていて、全身とつながっています。

1人1人の魂にも、同じ霊(生命)力が流れていて、全体とつながっています。

人と人の間には、目に見えないつながりが存在しています。




戦争により飢えてやせ細ってしまった子供たちを見ると心が痛みます。

それは、霊的なつながりを通して、子供たちの苦しみや痛みを魂で感じているからです。




自分に関係ないと思うのは、自分の身体の一部が傷ついているのに関係ないと思うのと同じです。

霊的な感覚が鈍麻しているせいかもしれません。




肉体はばらばらに存在しています。

けれども、霊的には一体です。

霊界にいる時には、当たり前のように感じられていた霊的な一体感は、地上に生まれてしまうと、自我の働きが強くなるため、分からなくなってしまいます。




それでも、一体感を取り戻す時があります。

危機的な状況に直面すると、意識が一変します。

東日本大震災の時、悲惨な光景を目の当たりにして、霊的な意識が目覚めた人も少なくないはずです。

そんな人は、人とのつながりを意識するようになり、一体感を感じていたと思われます。

もし、お互いの違いを乗り超えて、この一体感を共有できるようになったならば、地上から戦争はなくなるでしょう。




戦争で非道な行いをしている人たちがいます。

そんな人たちを憎むのではなく、哀れみましょう。

神は法則となって顕現しています。

1つ1つの行いに対して、厳格に法則は働いて、苦痛を伴う結果をもたらします。

地上を生きている時に結果が出なくても、霊界に行って内在している神(良心)と向かい合い裁かれることになるからです。




互いの違いを認め合い、許し合うという、神性が発揮されると、争いは回避されます。

遠い先になりますが、神の法則(因果律)の働きによって、いずれ戦争のない世界になります。




今、できることは限られています。

平和な世界になることを祈りましょう。

1人の祈りの力は小さくても、多くの人が祈れば、大きな力となります。

祈る心は、内に平和をもたらし、それが外の平和へとつながって行きます。




「全ての人は霊的に一体」

この事実が少しずつ広まるのに従い、争いのない平和な世界になって行きます。









2025年6月29日日曜日

戦争は人類の進化成長を遅らす


世界の各地で戦争が起きています。

以前は、遠い国で起きている、自分には関係のない出来事のように感じられました.。

霊的真理を知った今、他人ごとのように思えません。



住んでいる国は違っていても、魂の成長という同じ目的を持って、この地上に生まれて来ています。

それぞれの人に、目的を果たすために計画された人生があります。



戦争は身体や建物を破壊します。

それだけではなく、計画された人生も破壊してしまいます。



戦争で亡くなった人たちは、地上の人生が中断されます。

次の世界に移っていることに気付かなかったり、ショックを受けて順応できない人たちが多くいます。

中には、戦闘を続けている人もいるようです。



そんな人たちのために、霊界の人たちが寄り添って介抱します。

注がれる愛によって、魂は癒されて行きます。

神の公正は完璧です。

地上で得られる予定だった学びや成長が、「埋め合わせの原理」により、霊界においても得られるようです。

不利益を被らないように配慮されていますが、計画された人生を全うするのに越したことはありません。



大切な人を失った人は嘆き悲しみます。

あまりに理不尽な現実に、憎しみや恨みを抱く人も少なくありません。

中には、復讐するために、テロ組織に入る人もいるでしょう。

テロ組織を壊滅するために行っていることが、テロ組織を生み出しているのが現状です。



銃の引き金を引いた人も、苦しんでいます。

たとえ命令であったとしても、罪もない人たちに向けて引き金を引いてしまったとしたら、真ともな人間なら良心の呵責に苛まれてしまうでしょう。


たった1発の銃弾が、撃たれた人、その家族、そして撃った人の人生を狂わせます。

これまでに、どれくらいの数のミサイルが落とされ、銃弾が撃たれたのでしょうか。

膨大な数の人生を大きく狂わせてしまうのが戦争です。



生きるか死ぬかの状況下で興奮状態となり、理性が失われ獣性がむき出しになる人がいます。

欲望を満たすために、武器を片手に非道な行いをして、無用なカルマを作ってしまう人も少なくありません。

カルマを作ったら、その償いが済むまで、成長は許されません。

成長するために生まれて来たのに、償いをするためにまた地上に生まれなければならないほど、大きなカルマを作ってしまうのも戦争です。



戦争の本質は怒りと恐怖と悲しみです。

そんな感情に捉われてしまったら、自分本来の表現ができなくなります。

他者を愛することもできなくなります。

戦争は、人が進化成長して行く機会をことごとく奪って行きます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書いてあります。

「これより先もまだまだ地上から戦火が消えることはないでしょう。人類全体が巨大な霊的家族であるという、この単純な真理が未だに理解されてないからです。」



個々の人間は、身体の細胞のようなものです。

小さな存在であっても、全体のために何らかの役割りを果たしています。



全ての細胞には同じ血液が流れ、つながっています。

従って、どこかの細胞に異変が起きたら、他の細胞にも影響を与えます。



個々の人間も、つながっています。

出典:Anadolu via Getty Images

戦争で悲惨な状況に置かれている人たちを見て、感じているであろう苦しみや痛みや怒りや怖れや悲しみに同情するのは、神性でつながっているからです。

世界のどこかで起きている戦争は、少なからず全体に影響を与えています。

多くの人の進化成長する機会を奪ってしまう戦争は、人類全体の進化成長を遅らせていることになります。

私たちは霊的に一体だということを忘れてはいけません。



自我(エゴ)と神性とのせめぎ合いの中で生きています。

エゴが勝れば不調和が起こり、神性が勝れば調和が訪れます。

エゴから生じる欲求や感情に打ち克って、神性を発揮させることは、この世に生まれて来た大きな目的の1つです。



エゴの働きが強くなり、本来の自分を見失った人たちは、因果律の働きにより、苦しみや痛みを伴う出来事を経験することになります。

それにより、魂が目覚めて、本来の自分を取り戻します。

その時から、内在している神性を発揮できるようになります。



戦争をなくす特効薬はありません。

さまざまな出来事を経験することによって、魂は学び成長し、より神性を発揮できるようになります。

全ての争いは、神性が発揮されることで回避されます。



人は何度も地上に生まれて来ます。

これから生まれて来る人たちは、過去生でさまざまな出来事を経験して、より神性が発揮できる人たちと思われます。

そんな人たちが多くなるのに従い、戦争は姿を消して行き、調和のとれた平和な世界へと変わって行きます。