2026年7月26日日曜日

霊界に持って行けるもの

 

昔は、「霊」と聞くと、いかがわしいもの、怖いものという認識がありました。

テレビで心霊番組が度々放送されて、観ている人の恐怖心を煽っていたような気がします。

「人間は死んだら霊になるかもしれない?」漠然とそう考えていました。



2025年に世界的規模(35か国、5万人を対象)である意識調査が行われました。

その1項目に「動物は霊を伴った存在か?」という質問がありました。

それに対し、62%が「はい」と答えています。



地上の人間は、肉体を携えた霊(魂)です。

今、この時点で本質は霊です。

霊が肉体から永続的に離れる現象が「死」です。

死に対して忌まわしいイメージを持っている人が、以前よりも少なくなっていると感じるのは、霊(魂)の存在を肯定的に捉える人が増えて来ているせいかもしれません。



もし、魂の存在を肯定することができたのなら、その先に進むことができます。

「死んだらどうなるのか?」

「なぜ生まれて来たのか?」

この問いに、答えを見出すことができるはずです。



死んだら、別次元の世界である霊界に赴きます。

そこが、本来の住処です。

私たちは目的があって地上に生まれ、目的を果たしたら霊界に帰る、霊的な存在です。



霊界と違い地上では肉体があります。

魂が肉体に宿った瞬間、地上で自己表現するための自我が生まれます。

その自我から、さまざまな「感情」が生まれています。


高い場所に行ったら身がすくみます。

「怖い」という感情が生まれることによって、あやまって身体が落ちるのを防いでいます。

満員電車の中で足を踏まれたら、「憤り」の感情が生まれることがあります。

それも自分の身体を守るための、一種の防衛反応です。



理不尽な出来事を経験すると、それを許せなくなる時があります。

怒りを通り越して、憎しみや恨みの感情が生まれることもあります。



第2次世界大戦下のオランダにコリー・テン・ブームという女性がいました。

彼女の家族は敬虔なクリスチャンであり、800人ものユダヤ人をかくまい、救ったと言われています。

しかし、密告され捕らえられ、姉と共に強制収容所に送られました。

そこでひどい拷問を受けて姉は亡くなりましたが、間もなく終戦となりコリーは解放されました。


コリーはその後、ホロコーストの生存者として自身の体験を講演して回りました。

ある日のこと、講演終了後に一人の男性が近寄って来ました。

その男性は、収容所でもとりわけ冷酷だった看守の一人でした。

彼はコリーに、戦争が終わった後にクリスチャンとなり、看守として自分がしたひどい行いを悔い改めたと言いました。

そして「自分のやったことを赦していただけますか?」と言って、手を差し伸べて来たそうです。

クリスチャンとして赦しの大切さを十分に学んでいたはずのコリーですが、姉の命を奪い、自分に対しても冷酷な仕打ちをしたこの男性に手を差し伸べることはできませんでした。



心の中で怒りや復讐心が、煮えたぎっているのを感じたそうです。

そこで「この人を赦せるようにお助け下さい」と祈りました。

そして、もう1度微笑んで、手を挙げようとしましたが、無理でした。

「私は彼を赦すことができません。赦しの力を与えて下さい。」と、さらに祈りました。



すると信じられないことが起きました。

男性の手を握ることができ、その瞬間、肩から腕、そして手まで電流が走り、相手に伝わって行くのが感じられました。

その時、心の中に愛が沸き上がって来て、その感覚に圧倒されたそうです。




高次の存在から力が伝わり、内部にあった怒りや憎しみの感情が解放されて、対象を赦すことができたのかもしません。

あるいは、内在する神が顕現して、そこから力が湧き出して来たのかもしれません。

いずれにしても、彼女の祈りが神の心と同調して、赦しの力が得られたと思われます。

もし、彼女の心に強い「怒り」や「憎しみ」の感情が存在していなければ、このような神の愛を実感する経験はできなかったと思われます。



後に、彼女はこう語っています。

「赦しは意志による決断です。感情がついてこなくても、その意志は働かせることができます。」

どんなに酷い仕打ちを受けたとしても、人は意志の力によって赦すことができるということを、多くの人に知ってもらいたかったのだと思います。



地上では、怒りや憎しみや恨みや嫉妬など、好ましくない感情が生まれます。

それらの感情を持ち続けると、自らの成長を妨げることにつながるので、因果律の働きによって、苦しみを感じるようになっていると考えられます。



対象が赦されるような学びを得ることで、その苦しみから解放されます。

そうであれば、地上で学びを得るために、それらの感情は必要だったと言えます。



家族全員を失ったコリーはこうも語っています。

「いくら思い悩んでも明日の悲しみが消えることはない。今日を生きる強さが消えるだけである」



大切な人を失うと、悲しみの感情が生まれます。

もう2度と会えないと思い、耐え難い苦しみに襲われる人もいます。

「悲しみ」には、眠っている魂を目覚めさせる働きがあります。

「命とは何か」と問い質す中で、「命とは肉体を超えたものである」という学び(真理)を得て、もう会えないという苦しみから解放され、今日を生きる強さが蘇る人もいます。

そして、悲しみという感情あるからこそ、愛について深く学ぶことができるのだと思います。



自転車の乗り方を書いた本をいくら読んだとしても、自転車に乗れるようになるわけではありません。

実際に自転車にまたがり、時に転んで痛い思いをしながら、乗り方を身に付けます。




霊界では、怖れが生まれるような出来事も、怒りや憎しみが生まれるような出来事も起こらず、悲しみが生まれる(地上のような)別れもありません。

そのような出来事を実際に経験することでしか、身に付けられないものがあります。



生まれて来た目的は、自分(魂)を成長させるためです。

地上でしか経験することができない出来事から、さまざまな感情が生み出されることによって霊的な学びが促され、人は成長して行くのだと思います。



霊界に持って行けるのは、地上の経験を通して得た、言葉を超えた学びです。

その学びは、霊界で活かされることになります。

より高い叡智を身に付けた魂は、より次元の高い奉仕ができるようになり、より深い悦びを感じながら生きることができます。




2026年7月19日日曜日

動機を問い質す


霊的真理を学んで、問い質すようになったことがあります。

それは、行動する時の「動機」です。



同じ行いをしていても、動機が全く違うことがあります。

最近になり、犬や猫の愛護活動を行っている人たちが増えて来ました。

多くの人は、動物たちに幸せになってもらいたいという動機で行っていますが、中には違う人もいます。

SNSなどで動物たちの窮状を訴えて、支援をお願いしている人たちの一部には、動機が動物たちのためではなく、自分の生活のためや承認欲求を満たすために行っている人たちがいます。

けれども、心の中は分からないので、動機を見極めるのは極めて困難です。



神の法則は言動だけでなく、動機に対しても働いています。

人を欺いてお金を集めている人は、因果律の働きによって、相応の霊的な報いを受けることになります。

人は欺けても、神(法則)は欺けないのです。



話は変わりますが、現代人は人生の多くの時間を仕事に費やしています。

仕事をする「動機」は何なのでしょうか?



社会のために役に立ちたいという人もいるでしょう。

生活するため、あるいは家族を養うためという人も多いでしょう。

会社のために働きたいという人もいます。



その会社がどのような理念(動機)で運営されているかが問われます。

もし、利益ばかりを追求しているのであれば、働いている人たちはノルマに追われて疲弊して、心身を病んで辞めて行く人もいるでしょう。

一方、(表向きではなく)社会貢献を理念にした会社であれば、働いている人たちに活気があり、成長を続けて行くでしょう。



誰かのために何かをしようとする想い(動機)は、神の法則に適っています。

神の法則に適った想いには、成し遂げるための力が与えられ、それが行動する意欲となります。

役に立とうと行動している時は、疲労があまり感じられないのはそのためと考えられます。



高い収入や地位を得たいという動機で働いている人がいます。

そんな人たちは、心のどこかに虚しさを感じているかもしれません。



地上に生まれて来たのは、自分を成長させるためです。

高い収入や地位を得ようとする動機は、神の法則の働きに適っていません。

そのため、どんなに頑張って働いたとしても、霊的に成長することができません。

虚しさを感じることで、生き方を変えるように、促されているのかもしれません。



誰かのために何かをする。

そのことで、人は喜びを感じ、成長するようになっています。



法則は国にも働いています。

世の中は時代と共に変化しています。

交通手段や通信手段の発達により、他国との交流は昔よりはるかに盛んになっています。

人も物も自由に行き来するようになり、通信はボーダーレスにつながっています。

それにもかかわらず、国という意識を過剰に持ち、壁を作ろうとする人たちがいます。



法則の働きに、神の心が顕現しています。

人と人、国と国が助け合いながら、協調して生きて行くように、法則は働いています。

協調することを忘れ、自らの利益だけを追い求めている現状を見ていると、「蜘蛛の糸」を思い出します。

利己的な想いに対して因果律が働いて、それを正すような苦痛を伴う結果が待っています。



戦争が起きているのは、遠く離れた国です。

それなのに、当事国以外にも深刻な影響を及ぼしています。

世界はつながっているからです。

対岸の火事ではありません。



地上に生まれると、目に見えるものしか認識できなくなります。

肉体しか見えなくなりますが、生命の本質は魂(霊)です。



携帯電話同士が電子的につながっているように、人同士も霊的につながっています。

そのつながりを通して、意識を向けた相手に想いを伝えようとしています。



人は自分の役割りを果たすために、この地上に生まれて来ています。

他者のために役割りを果たすこと、別の言い方をすれば、愛を表現することによって、霊的なつながりが強くなって行きます。

それぞれが役割りを果たすことによって、日常生活を円滑に営むことができているのです。



人だけでなく全ての生命が、何らかの役割りを果たすために存在しています。

そのことを忘れてしまったために、不測の事態が起きた例を挙げます。

1958年、中国政府は穀物を食べてしまうスズメを害鳥と考えて、国策としてが全土で駆除が行われました。

その結果、スズメの数は激減し、代わってイナゴなどの害虫が大量発生しました。

それにより、コメなどの穀物の収穫量が大幅に減ってしまい、多くの餓死者が出ました。(慌てた中国政府は旧ソ連から大量のスズメを輸入したそうです。)

地球は1つの共同体です。

相互扶助による絶妙なバランスの上で、生命の営みは行われています。

自分の都合、人間の都合だけで行動していると、好ましくない結果が返って来ます。



何故、好ましくない結果が返ってくるのでしょうか?

それは神の法則は「愛」を基調としているからです。



動機が法則に適っていれば、喜びが生まれ、調和が生まれ、成長につながると信じて、これからもを問い質して行動しようと思います。





2026年7月12日日曜日

神は法則


記録が残っている中で最も長生きした人は、フランス人のジャンヌ・カルマンさんで122歳と164日でした。

男性では日本人の木村次郎右座衛門さんで116歳と54日でした。



人間は125歳を超えて生きられないと言われています。

それに抗うように、昔から人間は不老不死の薬を追い求めて来ました。



けれども、科学がいくら発達しても、そのような薬は見つかりません。

その理由は、人間の寿命は「法則」の働きによって支配されているからです。



法律や規則は人間が作ったものなので、変えることができます。

けれども、法則は永遠に不変です。



もし万有引力の法則が変わるようなことがあれば、人が宙に浮いてしまうかもしれません。

不変でなければ、世界は大混乱に陥ってしまいます。



法則は偶然、生まれたのではありません。

何者かが、何らかの意図があって、創ったはずです。



法則を創った存在を「神」と呼ぶことにします。

神は同時に、宇宙を創ったと思われます。



神的なエネルギーが、様々な形態となって顕現しているのが、この宇宙です。

宇宙の一部である私たちも、何らかの意図があって創られたはずです。



宇宙の秩序は、法則の働きによって保たれています。

そして、法則の働きによって変化(進化)しています。



物質は、法則の働きによって、より安定したものへと変化しています。

人間の本質である霊(魂)は、より高いものへと進化しています。



宇宙と法則の総体が神であると考えられます。

宇宙と法則を創った神の意図の中に、無限の愛が組み込まれています。



私たちは神の愛の中で生きています。

けれども、愛は五感に触れるものではありません。



目に見えるものしか信じない人にとって、神や愛は絵空事のように聞こえてしまうかもしれません。

そんな人も、神の一部であり、神の心である愛を内在しています。


昔、道端で鳴いている子猫や捨てられた子犬を見て可哀想になり、家に連れて帰った人も多いのではないでしょうか。

子供の頃は自我が発達していないために、内在する神の愛が素直に表現されたからだと思います。



大人になると見て見ぬふりをしてしまうのは、自我が発達して自分を中心に考えるために、素直に表現できなくなるからだと思います。

本来の私たちは無意識に愛を表現しようとする存在ですが、地上では自我があるのでそうは行きません。



起きることに、奇跡や偶然はありません。

全ての事象は、法則の働きによって起きています。



イエス・キリストが湖の上を歩いたのも奇跡ではなく、法則が働いた結果です。

霊的次元の力が法則の働きによって、物質次元の重力に抗らう力に変換されて、そのような現象が起きたと考えられます。



ヒーリングにより、病気が癒されるのもそうです。

肉体上に現れる病気の多くは、精神的次元や霊的次元に原因があります。(ストレスによって胃潰瘍になるのはその典型です。)

霊的次元の力が法則の働きによって、精神的次元に存在している負の感情を解放させる力になることによって、肉体上の病気が消失したり、機能が回復することがあると考えられます。



コンピューターに入力すると、演算処理されて、出力されます。

それと同じで、原因があって、因果律(法則)が働いて、結果として事象が起こります。



日常生活は、原因と結果の連鎖によって営まれています。

悲しくなると涙が出るのも、精神的次元と物質的次元の法則が連動して働いた結果と考えられます。




入力がなければ出力がないように、原因が存在しなければ事象が起きることはありません。

地上に生まれるという事象も、何らかの原因(目的)があって、複数の次元の法則が働いた結果として起きています。



数年前、他国に侵略した国があります。

そんな国に対しても、法則は厳格に働きます。

他国に与えた来た苦しみや痛みが、因果律の働きによって、自国の苦しみや痛みとなって返って来つつあります。

そのような企みが永続的に成功を収めることがないのは、神の心に反した行いは法則の働きによって正される運命にあるからです。

首謀者は、極めてみじめな結末を迎えることになるでしょう。



現在、日本とトルコの関係は良好です。

それは、ある出来事がきっかけとなったと言われています。



1890年、トルコの軍艦が和歌山県串本町沖で台風に遭い沈没しましたが、地元住民は命がけで約70名を救出し、自分たちも貧しい暮らしをしていたにもかかわらず、食料や衣服を惜しみなく提供しました。

その後、救出されたトルコ人は日本政府の軍艦で母国に送り届けられました。

トルコ軍艦遭難慰霊碑(串本町)

1985年、イラン・イラク戦争の最中、イラクは「空港を離陸する航空機を攻撃する」と通告しました。

各国は急いで自国民を救出しましたが、多くの日本人が現地に取り残されてしまいました。

窮状を知ったトルコ政府は、危険を承知の上で旅客機を派遣し日本人を救出しました。



「95年前、日本人が私たちを助けてくれた恩返しだ」と、多くのトルコ人が語っていたそうです。

神の心に適った行いをすれば、後に善い報いを受けることになる1例と言えます。



神を信じている人が、神に愛されるのではありません。

「想った」こと、「言った」こと、「行った」ことに、神の法則は働いています。

信じていなくても、神の心に適った想いを表現すれば、喜びがもたらされます。

信じていても、神の心に反した想いを表現すれば、苦痛がもたらされます。


誰もが、苦痛ではなく喜びを感じることを望んでいます。

地上でしか味わうことのできない苦痛の経験を通して、喜びを感じる方向へと導かれています。

全ての人は、法則の働きによって、平等に愛されているのです。



神の心は、良心となって私たちの中に顕現しています。

何より大切なのは、自我の考えに惑わされずに、良心の声に従って生きることです。

簡単ではありませんが、後の喜びへとつながって行きます。




2026年7月5日日曜日

愛について


仕事をしていると、イラっとしてしまうことがあります。

その多くは、思った通りに自分ができない時や、自分が伝えた通りに周りができない時に生まれます。



思った通りにできないのは、肉体を持つ地上の宿命です。

思っていることが、上手く伝わらないのもそうです。

分かっていても、ついそのことを忘れてしまいます。



霊界に行けば、そんな感情は生まれません。

思ったこと(思念)が、肉体を介さずに忠実に表現され、言葉を介さずに正確に伝わるからです。



地上では、霊(魂)から生まれる思念を、肉体を使って表現しています。

肉体と霊との間に、自我(精神)が存在しています。

自我からは、怖れや不安や怒りなどが生まれますが、それは肉体を守るために必要な感情でもあります。



死んで肉体がなくなると、(地上に近い界層を除いて)それらの感情から解放されます。

霊的な感覚だけになり、地上では分からなかった「エネルギー」の存在を感じるようになります。

世界が「生命エネルギー」で満たされているのが分かります。

生命エネルギーは愛を帯びています。



臨死体験者の多くが、そこにずっと留まっていたい衝動に駆られたと証言しています。

それは、愛というエネルギーに包まれた至福の体験をしたからです。

愛は宇宙全体(神)の意識そのものであることを実感する人もいます。



そこで既に亡くなっている人と会い、「やり残していることがある」「まだ早い」と言われる人がいます。

地上での目的を果たしていないこと、寿命が来ていないことを知っている守護霊が、その人に言わせているのかもしれません。

戻ろうと思った瞬間、魂は肉体に戻ります。



そんな愛に満たされた世界を離れて、地上に生まれて来るのはどうしてでしょう?

人間には、自分をもっと高めたい、成長したいという根源的な欲求があります。

その欲求を満たすために、地上に生まれる必要があったと考えられます。



ところで、空気の存在を意識して、感謝しながら生きている人は、どれくらいいるでしょうか?

ほとんどいません。

あまりにも自然に存在し、あるのが当たり前になっているからです。



霊界において、「愛」も同じです。

常に感じているものなので、空気と同じように意識することは少なくなります。

愛に満たされた霊界では、愛について学ぶのが却って難しいと考えられます。



地上に生まれると、想いが直接伝えられなくなります。

肉体によって、言葉や行動に変換して、伝えなければいけません。

言葉や行動に込められた想いを感じ取ります。

ところが、五感に圧倒されて、想いを感じ取る霊的な感覚は極めて弱くなっています。

想いを伴っていない言動に、騙されてしまうのはそのためです。    



想いが分からなくなる地上では、考え方や価値観や外面の違う人、自分にとって異質な存在として映ります。

そのために、怖れや不安を抱く時があります。

自分を守ろうとする意識が強く働いたり、自分に従わせようとしたりすると、争いになってしまうことがあります。

やられたらやり返す、負の連鎖によって、争いがエスカレートして行くことがあります。



他者の想いが分からない地上では、お互いを信じる必要があります。

そして、認め合い、許し合うことで、争いが避けられて、平和に過ごすことができます。



飢餓に苦しんでいる人たちがいます。

貧しい国の国家予算よりも、はるかに多い財産を持っている人たちがいます。

同じ世界に住んでいて、どうしてこんな差が生まれるのだろうと思います。

自分の利益に関心が行き過ぎると、不利益を被っている人たちのことに無関心になります。

持てる者が持たざる者に、慈悲の心を発揮して分け与えることによって、健全な世界になって行くと考えられます。



地球温暖化により、人間のみならず動物たちも苦しんでいます。

物質的に貪欲になり、利己性が増すことによって、環境は悪化して行きます。

個々が責任を自覚して、地球全体を思いやることが求められています。



多くの地上の問題は、「信じる」こと、「認める」こと、「許す」こと、「分け与える」こと、「思いやる」ことにより、解決することができます。

それらは神性であり、愛の一表現と考えられます。

解決するにはどうすれば良いのか?

起こらないようにするにはどうすれば良いのか?

霊界では起こり得ない、苦痛を伴う出来事を通して、愛について深く学んでいます。



窮地に陥っている時に助けてもらったら、その恩を忘れることはありません。

落ち込んでいる時に励ましてもらったり、悲しんでいる時に慰めてもらったり、疲れている時に労わってもらうと、心が癒されて、うれしくなります。

「助ける」「励ます」「慰める」「労わる」ことも愛の一表現です。

そんな愛を表現する機会に恵まれているのが地上です。



地上にいる私たちは、それぞれが独立して存在しているという幻影の中で生きています。

愛は、お互いを引き付け合い、1つになろうとするエネルギーです。

愛が表現されることによって、霊的につながっていて、1つであることを自覚するようになって行きます。