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2026年6月21日日曜日

神の創ったこの世界を信じる

 

この車を見て、ある日突然ここに現れたと思う人はいないでしょう。

人間が設計して、人間の手によって作られ、人間が運転してこの場所に置かれたと、誰もが思います。



生命は偶発的に誕生したと言う人がいます。

細胞1つをとってみても、車よりもはるかに精緻で複雑であり、その考えには無理があります。

何者かが設計して、何者かにより創られたと考えた方が、はるかに自然です。

その何者かを、「神」と呼ぶことにします。



車は迅速に移動するための手段として作られました。

人間も何か目的があって、創られたと考えるのが妥当です。



目的もなく存在しているものは、何1つありません。

人体を観察すれば、全ての組織が全身のために存在していることが良く分かります。

たとえ目的が分からなかったとしても、個々は全体のために何らかの役割りを果たすために存在しています。


宇宙は神の心が具現化したものです。

神の心は無限の愛です。



そうであるならば、この世界はもっと愛に溢れていても良さそうです。

実際には、戦争、差別、貧困、人や動物を虐げる行いなど、神の心とかけ離れたことが頻繁に起きています。



宇宙には、無限の界層(世界)があります。

界層は、その場に放たれている波長によって決まります。

波長の高い(短い)世界ほど、神の心が忠実に表現されていると考えられます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「地上は宇宙の惑星の中で、最も進化の程度の低い部類に属します」

ショックを受けた一文ですが、神の心があまり表現されていない鈍重な世界に、私たちは生きています。



私たちは神によって創られた、宇宙(神)の一部です。

生命の本質である魂に神が宿っています。



けれども、私たちには肉体があります。

地上だけに存在する自我(以下地上の自我)が、肉体を使って自己表現をしています。

地上の自我は肉体と密接な関係にあるために、意識はどうしても自分(肉体)に向いてしまいます。

自分が空腹なのに、人に食べ物を分け与えるのは難しいのはそのためです。



私たちには、肉体とは別に霊体があります。

霊体を使って自己表現するために、霊的な自我も存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

そのために、魂に宿る神の心を表現しようとします。



日常生活では地上の自我を前面に出して活動しています。

ところが、火事で助けを求めている人がいるのを見たら、その奥にある魂が目覚めて、神の心を表現しようとします。

それにより、霊的な自我には「助けてあげたい」という衝動が生まれます。

けれども、地上の自我は「自分まで死んでしまう」と考えます。

さまざまな危険を伴う地上を安全に生きるために、霊的な自我の想いに対して、地上の自我は抑制的に働いていると考えられます。



地上には、さまざまな人がいます。

生まれる前にいた世界が違うのであれば、生まれて来る人間が違って来るのは当然です。

より多くの神の心を表現している人もいれば、ほとんど表現できていない人もいます。

その人の霊性の高低と、地上の自我の強弱によって決まると考えられます。



私たちは、神の心を表現するために存在している、神の媒体です。

そして、神の創った自然法則の働きによって、神の心をより表現できるように、成長進化して行く存在です。



神は存在しないのではありません。

地上では、神を感じられなくなるだけです。



霊界にいる時は、霊的な感覚が前面に出ているので、自分と神(宇宙)との間に一体感があります。

ところが、地上に生まれ肉体を持つと、五感が前面に出るために、霊的な感覚は後退してしまうために、神との一体感はなくなります。



神を感じられなくなる地上では、信じる必要があります。

かつての私も、神の存在など信じていませんでした。

信じていなくても、何の不都合も感じませんでした。



思い出してみると、恐くなった時や大きな不安に駆られた時に、何か絶対的な存在に無意識に頼ろうとしていました。

窮地に追い込まれた時、「神様助けて下さい」と、心の中で叫んだこともあります。

頭では神を信じていなくても、魂は神の存在をはっきりと認識しているためだと思っています。



神の存在が感じられなくなる地上では、霊界にいた時にあった安心感や一体感に代わって、不安感や孤独感が生まれます。

神の存在を信じる必要があるのですが、神の存在を明示して、信じるように促す役目を担っている宗教が、肝心の真理がドグマに塗り固められてしまっています。

現代を生きる私たちに、受け入れられないものが多々あります。

これからは、宗教に頼るのではなく、自分自身で神を見出す時代になって行くと考えられます。



今、私たちが生きているこの世界も、神によって創られました。

さまざまな人が生きていますが、それぞれがこの世界の中で役割りを果たしています。

さまざまな出来事も、全て神の法則の働きの枠内で起きていて、最終的に霊的な成長につながっています。



霊界にいては出会えない人に出会い、経験できないことを経験することによって、改めて神を見出すことは、この世界に生まれて来た1つの目的と考えられます。

自らの意志でこの世界を信じることは、神を信じることにつながり、一体感が取り戻されて、安心して生きて行けるようになるはずです。








2026年6月14日日曜日

今を生きるために


私の家には2匹の犬がいます。

犬たちを見ていて、自分もこうありたいなと思うことがあります。

それは「今を全力で生きる」ことです。



犬はどうして、今を全力で生きられるのでしょうか?

その理由の1つとして、過去や未来に捉われていないことが挙げられます。



人間は過去を思い出しては、悔やんだり、怒ったりします。

未来を想像しては、心配したり、不安を抱いたりします。

人間だから仕方がないと言えばそれまでですが、今の自分が未来の自分を作って行くと思うと、何とかしたいものです。



なぜ、過去に捉われてしまうのか?

過去の記憶は消そうにも消せません。

その記憶の多くは、特定の感情と紐付けされています。



私は幼少期に大きな犬に手を噛まれた経験があります。

そのために、しばらくの間、怖くて犬の傍に行けなくなりました。

過去の出来事によって生じた、怖れ、怒り、悲しみなどの感情が、今の自分に大きな影響を及ぼしていることは少なくありません。

けれども、それらの感情を自分の意志で消すことはできません。



十数年前ですが、山の中を放浪していたラブラドール犬のJ君を保護しました。

J君は立派な体格をしていて、ブリーダーの元で繁殖犬として飼われていて、身勝手な理由で山の中に捨てられたと推察されます。

ひどい仕打ちを受けて来たのでしょう、体には大きな傷があり、人間に対して強い不信感と怒りや怖れを抱いていて、威嚇しながら逃げ回っていました。

妻が1ヶ月くらい通って餌を与えて馴らして、どうにか捕まえることができました。



自宅の居間の片隅にJ君の居場所を作りました。

J君は、そこから飼い犬が私たちと遊んだり、甘えたりする様子をじっと眺めていました。

飼い犬のしろ

保護したJ君

「人間は怖くないんだ」と思ってくれたのでしょうか、徐々に距離が小さくなり、触れることができるようになり、散歩にも連れて行けるようになりました。

その先に、素晴らしい出会いが待っていました。

これ以上ないと思われる若いご夫婦が現れて、家族に入れてもらいました。(ご主人はJリーグチームのキャプテンでした)

怖れや怒りに支配されていたJ君ですが、奥様の深い愛情と、ご主人の強いリーダーシップによって、下の写真のように安心して今を生きられるようになりました。

劇的に変わったJ君(奥様のブログから引用)


人間も同じです。

心の中にそのような感情が占めていたら、今を安心して生きることはできません。

それらの感情を打ち消すことのできるのは、「愛」と考えています。



愛は魂から生まれています。

魂には神が宿っています。

けれども、魂や神は霊的なものであり、存在を証明することはできません。


動物を見て、「かわいい」とか「守ってやりたい」という気持ちが自然に生まれます。

それは、私たちに神が宿っているからです。

そこから愛が生まれているからです。




愛を証明することはできませんが、ほとんどの人は実感したことがあります。

愛は五感を超えたものであり、実感しているのは魂です。

目に見えない愛の存在を信じられるのであれば、目に見えない魂、そして愛の源泉である神の存在も信じられるはずです。




神は全宇宙です。

神の創った法則によって、全宇宙は進化成長を続けています。




全てが神です。

私たちは神の創った神の一部です。




神と自分は別個の存在ではありません。

神と自分の間に隔てるものは何も存在しません。



ところが、多くの宗教が神と人間は別個のものと説いています。

その理由は、神との間に入って、取り次ぎたかったからと考えられます。

真実が広まって行くことで、宗教を通して神とつながる時代は終わりを告げると考えられます。




神を信じることによって、霊的なつながりが強くなります。

神のエネルギー(愛)は無尽蔵です。

つながりを通して、内からエネルギー(愛)が湧き出します。




神が全宇宙であるならば、この世界を心から信じることができれば、負の感情は打ち消されて、今を生きられるようになると考えられます。




霊界に行くと、肉体も(地上の)自我もなくなります。

過去や未来と結びついている感情からも解放されます。

怒りや悲しみが生じるような出来事が起きることはなく、未来を憂いたり、心配したりすることもなくなり、永遠の今を生きるようになります。



地上に生きている限り、感情をなくすことはできません。

なくす必要もありません。

感情があるからこそ、人生が豊かになり、さまざまなことを学ぶこともできます。

けれども、今を生きられなくなるような感情に支配され続けてしまうと、本来の自分を表現できなくなり、地上で予定されていた成長が得られなくなる可能性があります。





「自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

自分を信じることは、自分に宿る神を信じることにつながります。

自分を強く信じられるようになれば、神とのつながりが深まり、内から湧き出すエネルギー(愛)によって、負の感情から解放されて、今を生きられるようになると考えられます。

地上では、その強い意志が求められているのかもしれません。



神とのつながりを深めるのは、一朝一夕には行きません。

若い時に、混み合った電車の中で、初めてお年寄りに席を譲った時、心がほんの少し温かくなるのを感じました。

その時は気恥ずかしさからと思っていましたが、今は神の心に適った表現をしたことにより、つながりが深まり、エネルギーを受け取ったためと考えています。



日常生活において、親切にしたり、思いやりをもって接したり、優しくしたり、励ましたり、慰めたり、労わったり、協力したり、助けたり、認めたり、許したり、感謝する、そんなささやかな行いによって、少しずつ神とのつながりが深まって行きます。

そのような機会に溢れているのが地上です。

今を有意義に生きていることになります。






2026年5月24日日曜日

神からのエネルギー


人間は食べ物を食べなければ生きて行けません。

当たり前だろうと言われそうですが、それは肉体に限った話です。



人間は、「肉体」と「精神」そして「魂(霊)」から構成されています。

脳は肉体の一部ですが、そこに精神は存在していません。

目に見えない精神は、目に見える肉体とは違う次元に存在し、次元の違うエネルギーによって活動しています。



生きる力の源は、魂から生じている「生命エネルギー」にあります。

生命エネルギーは次元変換されて、精神が活動するエネルギーとなっています。



生命エネルギーの供給源は、「神」と呼ばれる存在です。

神とは、全宇宙を創ったエネルギーであり、全宇宙を活動させているエネルギーです。



私たちは、神のエネルギーによって創られた、宇宙を構成している極小の一部です。

そして、神の創った法則の働きによって、宇宙の秩序は保たれ、進化を続けています。



身体と宇宙の仕組みは同じです。

1つ1つの細胞は、全身の一部として、全身とつながっています。

全身から細胞が切り離されると死滅するのは、全身を流れている血液を介して、酸素や栄養など生きるために必要な要素が供給されているからです。



1つ1つの生命は、全体(神)の一部として、全体とつながっています。

全体(神)から供給されている生命エネルギーによって、私たちは生かされています。

細胞を身体から切り離すように、生命(魂)を全体から切り離すことはできません。

霊的なつながりは断たれることはなく、生命エネルギーによって、魂は永遠に生き続けます。



残念ながら、生命エネルギーの存在を証明することはできません。

証明できなくても、生命エネルギーの働きを実感することはできます。

怪我をして傷口がパックリと開いてしまったとします。

医者に行き縫合してもらっても、それだけでは傷口は治りません。

そこに自然治癒力という生命エネルギーが働くことによって、切り離された組織がピッタリと付いて治って行きます。

ウィルスに感染したとします。

ウィルスの増殖を抑制し、病気が治って行くのは、免疫機能の働きによるものです。

その機能を発揮させているのが生命エネルギーです。



ヒーリングをしている時、生命エネルギーの流れを実感しています。

ピリピリとした感覚が指先に伝わって行くのが感じられますが、エネルギーを多く必要としている人はその流れが強くなり、ビリビリとしたものになります。

エネルギーを受ける人も、温みを感じたり、患部がピリピリとすることがあります。



歯科治療で来院された患者さんが乳がんであることを聞き、承諾を得て遠隔ヒーリングを行いました。

しばらくして、患者さんが驚いた表情である資料を持って来られました。

その資料は、免疫療法のクリニックで血液検査をしてもらった結果でした。(下のグラフ)

NK(ナチュラルキラー)細胞はがんを攻撃する免疫細胞です。

その数に変化はありませんでしたが、NK活性(赤丸)が特異的に上昇しているのが認められます。(何かあったのですか?と医師に不思議がられたそうです。)

ヒーリングによって、NK細胞が活性化されたと推察されます。

それにより、がんが縮小したり、消滅したりします。

生命エネルギーの働きが、客観的に示された一例と考えられます。




仕事をしていると、歯ぐきが腫れて、痛みを訴えて来る人がいます。

そんな人に「最近ストレスを感じていませんか?」と質問すると、多くの人が「はい」と答えます。



ストレスが免疫力を低下させるのは周知の事実です。

ストレスによって、生命エネルギーが精神的次元の活動に消耗されると、その下流にある肉体的次元に行き渡るエネルギーが不足します。

そのために免疫力が低下して、歯周病菌が増殖し、炎症症状が出ると考えられます。





供給される生命エネルギーは、精神状態(感情)によって左右されます。

喜びを感じている時や自信に満ちている時は、魂の窓が開かれ、供給される生命エネルギーは多くなります。

逆に、怖れや不安を感じている時や自信を失っている時は、少なくなります。

強い恐怖を感じると、頭が真っ白になり、体が動かなくなるのは、魂の窓が閉ざされて、生命エネルギーの供給が急激に少なくなるためと考えられます。



地上では肉体があります。

そのために、怖れや不安などの感情が生まれます。

それ自体はやむを得ないことですが、自由闊達な自己表現が妨げられてしまいます。



自分を信じることで、内在する神とのつながりは深まります。

神とのつながりが深まれば、より多くの生命エネルギーが流れ込むようになり、負の感情から解放されます。



それができない時には、こう自分に言い聞かせて下さい。

「自分は神によって創られた神の一部である。自分には限りない神の力が秘められているので絶対に克服できる。」

心からこう宣言できたのなら、内から生命エネルギーが湧き出して、負の感情に打ち克つことができます。



それもできない時には、霊界で守り導いている存在に、「勇気をお与え下さい」と想いを向けて下さい。

霊界から励ましの想いというエネルギーを受け取ることで、心が奮い立って、前に進んで行くことができるかもしれません。



想い(願い)は、何でも叶うものではありません。

誰かのために何かをしようとする想い、試練を乗り越えて成長する方向へ進もうとする想いは、神の心に合致しているので、因果律の働きによって、具現化するためのエネルギーが与えられると考えられます。








2026年3月1日日曜日

法則の働き



今から500年前、日本は戦国時代でした。

武力がものを言う時代であり、各地の大名が領土争いを繰り広げていました。

そこに住んでいた者は争いに巻き込まれ、多くの命が失われたことでしょう。

時代が進むにつれて、争いは少なくなって行き、日本は平和な社会となっています。



昔は、女性が政治に参加することは許されませんでした。

家で食事を作ったり、掃除や洗濯をするのが、女性の仕事と思われていました。

今は、女性が首相になる時代となりました。

多くの男性が、当たり前のように家事に参加しています。



世の中も人も、時代と共に変化しています。

500年前に生きていた人が現代に生まれたとしたら、あるいは現代を生きている人が500年前の世界に生まれたとしたらどうでしょう?

周りの人間との間に大きな隔たりを感じて、適応するのが困難でしょう。

その時代に見合った、進化の程度の人が生まれて来ると考えられます。



進化とは、知性が高くなることではありません。

霊性が高くなり、より神の心が表現されるようになることです。

進化した世界とは、個々の生命が持っている特性が全体のために活かされて、高度に調和している状態を指すと思います。


もし、宇宙の彼方から知的な生命が訪ねて来たらどうでしょう。

最も進化していると言われている人間が、ところどころで傷つけ合い、殺し合っています。

飢えている人、苦しんでいる人がいても、見て見ぬふりをしています。

自分が住んでいる星を汚して、他の動植物たちの生存を脅かしています。

そんな姿を見て、何て野蛮で愚かな生命だろうと思うでしょう。

現代人が500年前にタイムスリップした時よりも、強い違和感を感じるかもしれません。

形跡があるのに、人前に姿を現さないのは、進化の程度に大きな差を感じて、友好関係を結ぶ気になれないからなのかもしれません。

無用な争いをせず、協調性に富み、自然と調和して生きている、海の中にいる知的でフレンドリーな生き物の方に、親しみを感じているような気もしています。



争いがない社会になって行くのも、男女の分け隔てがなくなって行くのも、偶然ではありません。

もちろん人間がそうなるように努力をしているのですが、最大の理由は目に見えない自然法則が働いているからだと思います。



自然法則と言っても、さまざまな次元のものがあります。

水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのは、物質的次元の法則の働きによるものです。

助けてもらうとうれしくなり、裏切られると怒りが生じるのは、精神的次元の法則の働きによるものです。

より平和で平等な世界になって行くのは、霊的次元の法則の働きによるものです。

あらゆる現象に、自然法則が伴っています。



法則の根底にあるのは「因果律」です。

原因があれば結果が生じます。

「法律」に背いた行いをしても、見つからなければ咎められることはありません。

「法則」に背いた行いをすれば、相応の結果が必ず生じます。

人や動物を傷つければ、自らの魂を貶める結果が生じて、相応の苦痛を味わって償わなければいけなくなります。



神の心が法則によって顕現しています。

法則は神の公正によって貫かれています。

苦痛は公正を保つために必要であると同時に、自らの過ちに気付いて正すために存在しています。



乗り越えられない出来事は存在しないのは、神の法則の働きによって起きているからです。

苦しめるため、挫けさせるためではなく、学び成長させるために起きているので、ぎりぎりのところまで追い詰められたとしても、乗り越えられるようになっています。



どんな出来事にも原因(目的)があります。

それが分からないと、偶然としか思えません。

不幸や凶事と言われる出来事であれば、理不尽に思えて、運命を呪ってしまうこともあります。



死んで霊界に行くと、霊的な目が見開かれます。

地上にいる時に分からなかった原因(目的)が分かるようになります。



自分に足りない資質を手に入れるために、その出来事を経験する必要があり、そのために起きているのかもしれません。

あるいは、過去の人生に原因があって、今回の人生で結果として現れているのかもしれません。



自分の言動や想いが原因となり、自動的に結果を生み出しています。

生み出された結果に対する、自分の言動や想いが、新たな結果を生み出しています。

原因と結果を繰り返しながら人生が営まれていますが、その一局面として出来事が起きているのかもしれません。



いずれにせよ、偶然や不運ではなかったことを知ります。

地上にいた時に抱いていた、理不尽な思いは消えます。

そして、出来事が起こった時の対応によって、自分が形作られて行くのを知ることになります。



自分が原因を作っていないのに、苦痛を伴う出来事を経験することがあります。

そこに埋め合わせの法則が働いています。

恨まずに、その出来事を乗り越えようとすることで、魂の成長という報いがあり、神の公正が完全に保たれていたことを知るでしょう。



あらゆる存在は、法則の働きによって、神とつながっています。

神の心は愛です。

法則の働きによって、喜びが感じられる方向へと導かれています。

時に、つらく、悲しい出来事が起きますが、その経験により霊的に成長して、その先でより深い喜びが感じられるようになります。

霊的な真実が分からなくなる地上では、その時が必ず来ると強く信じて生きるしかありません。


2025年11月2日日曜日

法則の働き

地上の人間は、目に見えない霊(魂)と精神、目に見える肉体から構成されています。

それぞれが存在している次元は異なります。



全ての次元に、自然法則が働いています。

法則には普遍性と再現性があり、いつどこでも同じような現象が起こります。

水は0℃になると凍り、100℃になると沸騰します。

これは物質的次元の法則の働きによるものです。

別れには悲しみが、裏切られると怒りの感情が生まれます。

これは精神的次元の法則の働きによるものです。

地上に生まれるのも、去るのも、霊的次元の法則が働いた結果です。



全ての法則の根幹を為しているのが「因果律」です。

原因があれば必ず結果が生じ、結果があれば必ず原因があります。

あらゆる事象は、因果律の働きによって起きているので、偶然はありません。



病気にも原因があります。

お酒の飲み過ぎで肝臓病になる人がいます。

これは物質的次元のアルコールが原因です。

過労で胃潰瘍になる人がいます。

これは精神的次元のストレスが原因です。



霊的次元に原因があって、物質的次元(肉体)に病気となって現われることがあります。

例えば、遺伝性疾患です。

受精した瞬間に遺伝子の変異が起きるのであれば、原因は受精以前にあることになります。

生まれる前に原因が存在しているので、霊的次元の病気と言えます。

ガンや膠原病などの病気も、物質的、精神的、霊的次元の原因が絡み合って生じていると考えられます。

物質的、精神的次元の原因は取り除くことが可能ですが、霊的次元の原因を医学的に取り除くことは不可能です。



病気以外の出来事も、生まれる前に原因があって起きることがあります。

過去の人生において、何かしらの過ちを犯して、それが原因となって(苦痛を伴う)出来事が起きることがあります。

自分を成長させるために、出来事を経験する人生を選んでいる時もあるでしょう。



起きた出来事を偶然や運と思ってしまうと、何で自分がこんな経験をしなければいけないんだと、理不尽さが募り、憤りを感じることもあります。

シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「一つとして偶然がないのです。偶発事故がないのです。全てが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自分に目覚めた時、何もかも分るようになります。」

「私がこれまで送ってきた霊界生活で、“自分は神の法則によって不当に扱われている、不公平だ”と真剣に言える人を一人も知りません。」

地上で分からなかった原因や目的が、霊界に戻ると分るようになり、誰もが納得します。



人生には、およその計画があります。

無限の叡智によって、人生の計画は立案されています。

その計画を了承して、私たちは生まれて来ています。



計画されていた出来事が、目的を果たすために最善のタイミングで起こります。

それは地上にいる人にとって、最悪のタイミングに思えるかもしれません。

何の前触れもなく、亡くなる人がいます。

どこを探しても理由が見つからなければ、その時に亡くなることが予定されていた可能性があります。

そうであれば、地上にいる時間が短かったとしても、生まれて来た目的を果たしたと考えられます。



無限の叡智によって、法則は創られました。

法則の働きによって、宇宙は経綸され、秩序が保たれています。



無限の叡智は、無限の愛でもあります。

それを「神」と呼ぶことにします。

この宇宙は、神の心が具現化したものです。

宇宙の一部である私たちには、神の心が内在されています。



人生の計画の隅々にまで、神の愛が行き渡っています。

法則の中に、神の愛が顕現しています。

人生で起こる出来事は、神の愛のなせる業であるために、最終的には良きに計らわれます。



災害や事故により、苦しみや痛みを味わっている人がいます。

そんな出来事を経験した人にも、法則は働いています。

学びや成長という霊的な埋め合わがもたらされています。



冬の寒さに耐えた者は、春の暖かさにささやかな悦びを感じます。

この人生が終わると、新たな人生が始まります。

地上でしか起こり得ない出来事を経験した者は、新たな人生が始まると生きる悦びを感じます。

生きる悦びを感じるために、出来事を経験していると言った方が正しいでしょう。



さまざまな出来事を経験することで、魂は豊かになります。

苦難を乗り越えることで、魂は成長します。

それが神の法則であり、神の愛です。






2025年10月12日日曜日

全ての存在は霊的につながっている


地上は物質の世界、霊界は思念の世界と言われます。

もう少し具体的に言うのなら、地上は思念が物質(肉体)を介して表現される世界であり、霊界は思念がそのまま表現される世界です。



例えば、地上では心の中にある想いや概念を、文字や言葉などに置き換えて、五感を介して相手に伝えます。

一方、霊界では思念は、直接相手の魂に伝わります。



思念(想い)は波動です。

地上の人にも波動を受信する霊的な感覚が備わっていますが、五感から入る情報量に圧倒され、伝わって来ている思念に気付くのは困難です。

それでも、伝わって来た想いを感じ取り、共感する時があります。



地上と霊界の違いは、肉体の有無です。

地上では肉体があるために、活動するには食物を摂らなければいけません。

食物を摂るためには、お金が必要になります。

お金を得るためには、働かなければいけません。



働くとは、人や社会のために精神や肉体を使って奉仕することです。

地上は生きて行くために、何かしらの奉仕をしなければいけない仕組みになっています。



肉体がない霊界は、食べて行くために働く必要はありません。

束縛するものは何もなく、好きなことを自由にすることができます。

毎日が休日のようなものであり、地上にいる私たちには羨ましく思えます。


  

         

地上も霊界も、生きる目的は同じです。

自分(魂)を成長させるためです。



困難や障害を乗り越えて行くこと、愛を表現することで人は成長して行きます。

けれども、肉体のない霊界では、地上のような困難や障害は存在しません。

争いや病気もなく、生きて行く上での不安や心配もありません。



好きなことが自由にできても、魂を成長させることができなければ、生きている目的を果たしているとは言えません。

いくら楽しくても、それだけでは虚しさを感じます。



そこで、霊界では起こり得ない出来事を経験するために、地上に生まれることを志願します。

自分を成長させるための人生が計画され、それを承知して母体に宿ります。

成長させるのに相応しい出来事が、最適のタイミングで起こります。

その出来事は往々にして苦しみや痛みを伴うものなので、そのことをすっかり忘れている私たちには、不幸な出来事としか思えません。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「困難こそ魂の肥やしです。むろん困難の最中にある時はそれをありがたいと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかしあとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。」

そして、こうも書かれています。

「あなた方にとって悲劇に思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸運と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることがあるのです。」

魂の成長という観点から判断している霊界では、起きた出来事の捉え方が地上とは真逆になります。



愛を表現することによっても成長して行きますが、何も難しく考える必要はありません。

人に親切にしたり、動物に優しくしたり、困っている人を助けたりするのは、愛を表現していることになります。

励ましたり、慰めたり、寄り添うことも、愛を表現していることになります。

許すこともそうです。

他者の幸せを願うこともそうです。

誰かが喜び、笑顔になれば、それで愛を表現していることになります。



霊界では、愛は実在として認識されています。

地上では五感により認識されないので、言葉や行動に置き換えて表現することになります。

表現の中に込められた想いを察することになります。

霊的な感受性が高ければ、(霊界と同じように)想いを直接感じ取れるでしょう。


地上的なものを手に入れた時の喜びは束の間です。

けれども、愛を表現した時、表現された時に得られる霊的な悦びには永続性があります。



霊的な悦びを得た地上での経験は、好きなことだけをして生きて行ける霊界において、全体のために何かをしようとする原動力になります。

霊界で自律的に成長して行くために必要な経験を地上でしています。



霊界では「愛」をどのように捉えているのでしょうか。

シルバーバーチは、このように表現しています。

「愛あればこそ全宇宙が存在するのです。宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。」


NASA公開画像より

霊界に行くと、想いは直ちに具現化されます。

それと同じです。

神の心(想い)が具現化されたものが宇宙です。



神の心は無限の愛です。

無限の愛が、宇宙に表現されています。

宇宙の一部である私たちにも、神の心が表現されていて、無限の愛を内在しています。



魂の成長とは、より高い愛を、より強く表現するようになることだと考えています。

別の言い方をすれば、神に近づくことです。

それによって、全体に調和が生まれ、霊的に1つになって行きます。



より強い愛を表現するためには、より強い意志が必要になります。

自分を表現するために肉体的、精神的な労力が必要とされ、困難や障害が存在する地上を生きることで、表現するための意志が培われていると考えられます。

今生の労苦は、霊界で活かされます。



愛は最も強い(波長の短い)波動です。

神を内在している私たちは高い波動を放っていますが、幾層にも重なった媒体によって、最終的に放たれる波動(表現)は低いものになっています。

幾層にも重なった媒体が、自然法則に働きによって、1つ1つ脱ぎ捨てられて行きます。

肉体の死もその一環です。

媒体がより精妙になるのに伴って、より高い愛が表現されるようになります。



霊界に行くと、地上とは比べものにならないほどの一体感が感じられるようになります。

全ての存在が霊的につながっていることが、はっきりと分かるようになるからです。






2025年9月7日日曜日

霊的なつながりを意識する


 生きていると、不安になる時があります。

一人で生きている不安、経済的な不安、病気の不安、死の不安等々、挙げれば切りがありません。



肉体を持つと、五感で外部を認識するようになります。

目に見える世界が全てになります。

1人1人は完全に独立しているように見えます。



けれども、人と人の間には目には見えない霊的なつながりが存在しています。

語らなくても、相手の気持ちが分かる時があるのは、霊的につながっているからです。

遠く離れた人に、ヒーリングの力が届くのも、霊的につながっているからです。

困った人がいると、助けてやろうとするのも、霊的なつながりを感じるからです。



人間は独立して存在しているのではありません。

それぞれが自分の役割りを果たすことで、周囲(全体)とつながっています。

霊的につながっていることが分かれば、1人だと錯覚して、孤独や不安に襲われることはないでしょう。




経済的な不安を感じている人も少なくありません。

「魂が正常なら、つまり魂と精神と身体が調和して機能している限り、物的生活に必要なものは必ず手に入ります。」

別のところで「条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果をもたらすことができます。」とシルバーバーチは言っています。

背後霊の導きを感じ取り、素直に行動に移すことができれば、必要なものが手に入るようになっていると考えられます。

そして、摂理に従って生きていれば、贅沢はできないけれども、生きて行くことはできると信じています。



病気は、魂と精神と身体の調和が失われると生じると言われています。

エゴ(精神)の働きが強くなり、本来の自分(魂)の想いを表現できなくなると、不調和が生じ、肉体上に病気として現れると考えています。

病気になり苦痛を味わうことで、本来の自分が目覚めて、想いを表現できるようになると、調和が取り戻されると考えられます。

付き合わなければならない病気もありますが、その経験により学ばなければならないこと、償わなければならいことがあるためです。

いづれにしても魂の成長へとつながっています。



死の不安ですが、肉体は消滅しても生命は存続しています。

記憶も個性も失われることはありません。

待っているのは、地上の苦から解放された世界であり、喜ばしいことです。



霊的な知識があれば、この世を生きる不安はかなり解消されるはずです。

けれども、地上を生きている限り、不安はどうしても生まれます。



不安は、肉体を持つと同時に生まれる、地上的な自我から生じます。

あの世に行き肉体がなくなると、その自我はなくなり、不安から解放されます。

そして、霊的な感覚がよみがえり、生命のつながりをはっきりと認識できるようになります。



地上的な自我(エゴ)の働きが強くなると、不安も強くなります。

解決不可能な現実に直面すると、地上的な自我(エゴ)に代わり本来の自分である霊的な自我が前面に出て来ます。

本来の自分を取り戻すと、生き方や考え方が大きく変わります。

安らかな気持ちでいられるようになるのは、霊的な自我からは不安や心配や怖れは生じないからです。



本来の自分を取り戻すためには、強くなったエゴの働きを抑えなければいけません。

座禅や瞑想をするのは、エゴの働きを抑えて、本来の自分を見い出すためです。



霊的次元に意識を向けるのは、本来の自分を取り戻すために有効と思われます。

意識するのが難しければ、守護霊の存在を思い浮かべてみて下さい。

自分よりも自分を知り尽くしているのが守護霊です。

何を求めているのかも承知しています。

守護霊を思い浮かべるのが難しいのであれば、亡くなった最も愛おしい人を思い浮かべて下さい。



思い浮かべた瞬間、傍に寄り添い、こちらからの想いが届くのを待っているでしょう。

親愛の想いが届いたならば、霊界にいる存在も親愛の想いを返してくれるでしょう。

その想いはエゴから生じる感情を抑え込む力となり、本来の自分を取り戻すことができると思います。



霊界の存在とのつながりが途絶えることはありません。

なぜなら、肉体があるかないかだけの違いで、地上に生きる私たちも同じ霊的な存在だからです。

目に見えなくても、つながっていることを忘れてはいけません。



神ともつながっています。

神を一言で表現するならば「全て」です。

私たちは神の心を表現する極小の一部です。

神の心である愛を表現すればするほど、神とのつながりは強くなります。

「全て」に感謝することによっても、つながりは強くなり、内から力が湧き出して来るのを感じられるかもしれません。



地上の人は、神そして霊界の存在とつながっています。

つながりを意識することで、内から湧き出す霊力、外から伝わる霊力により、不安や心配は和らぐはずです。



今朝、つながりを意識してみました。

しばらくして、自然に笑みがこぼれました。

霊界の存在たちの喜びの想いが伝わって来たようです。

霊界の存在が地上の人の想いを共有しているように、地上の人も霊界の存在の想いを共有することができると思います。



「神」や「魂」の存在の有無を論じる不毛な時代は終わりを告げようとしているように感じられます。

信じない人にも、神から届く生命力は流入し、神の法則は働いています。

守護霊は変わりなく守り導いています。

霊的なつながりが途切れることはありません。

死んでから、そのことに気付くのでは遅すぎます。



つながりを信じられる人は、霊的な恩恵をより享受することが出来ます。

意識することにより、本来の自分でいられます。

神の法則に背くことで生じる苦しみや痛みを味わうことなく、生まれて来た目的を成就する方向へと進んで行けます。



どちらを選択するのかは、個々の人に任されています。




2025年7月13日日曜日

意志によって力を引き出す


私も風邪を引くことがあります。

そして、そのパターンは決まっています。

仕事が一段落し、まとまった休みに入った直後に熱が出るのです。

おかげで外出できなかったり、行った先で(発病して)大変な思いをしたりします。



お子さんが風邪を引いて熱を出している最中に、お母さんが熱を出してしまうことは少ないように思います。

熱が引いて安心した頃に、熱が出ることも多いのではないでしょうか。



気が張っているせいと思いましたが、もう少し深い理由がありそうです。

仕事をしている時は、何かをしよとうする意志表示の連続です。

意志表示することで、肉体は動いて、仕事をこなして行きます。



人間は魂(霊)、精神、肉体の3者から成り立っています。

それぞれが存在する次元は違い、活動するためのエネルギーも違います。

魂は、神的エネルギーが供給されて活動しています。

精神は、魂に供給されたエネルギーが次元変換されたエネルギーで活動しています。

肉体は食物から取り入れたエネルギーと、次元変換されたエネルギーの両方によって活動しています。



何かをしようとする意志が生まれている時、人間(魂)は神的エネルギーが供給されています。

神的エネルギーとは生命エネルギーです。

生命エネルギーが不足すると、精神的活動は抑制されて、うつ症状として表れることもあります。



生命エネルギーは肉体次元において、病気を治癒させる力や免疫力として働いてます。

つまり仕事をしている時には、何かをしようとする意志が連続して生まれているので、生命エネルギーが絶え間なく供給され、それに伴い免疫力が高まり、風邪を引きにくいと考えられます。

病気の子供の看病をしているお母さんは、何とかしようとする意志が「愛」を帯びているので、さらに多くの生命エネルギーが供給されていると考えられます。

元気でいられるのはそのためと考えられます。



人間は想像をはるかに超えた大きな力を発揮することがあります。

2023年、アメリカのテネシー州で、老農夫がトラクターの下敷きになりました。

それを見た孫娘のシャーロット・ヒューストンさんは1トン以上のトラクターを一人で持ち上げ祖父を救出したそうです。

彼女は後に「なぜできたのか分からないと」言っていたそうです。



2011年、アメリカのユタ州に住むアンジェロ・カヴァロさんという女性が、ジャッキで持ち上げた車の下で作業中に、ジャッキが外れて下敷きになり意識を失った息子を見つけて、近所の人が引き出すまでの間、1.5トンを超える車を持ち上げていたそうです。

彼女もまた「どうやって持ち上げたか覚えていない」と言っていたそうです。



これらの現象は「ヒステリック・ストレンス」(日本で言う火事場の馬鹿力)と呼ばれ、大量のアドレナリンが放出されて、脳のリミッターが外れた時に起きると言われています。

いくつかの霊的な条件を満たした時に、このような現象が起きると考えられます。

危機的な状況に直面して、自我が吹き飛び、魂が目覚めていたと考えられます。

人を助けようとする愛を帯びた強い意志により、多くの霊的なエネルギーが引き出されて、それが肉体次元にまで及んで、想像を超えた物理的な力が発揮されたと思われます。


2009年5月、マンハッタンの小児病院を、ニューヨーク・ヤンキースのある選手が慰問に訪れていました。

長い下積みを経験してメジャーに昇格したばかりのブレッド・ガードナーという選手でした。

残念ながら子供たちは誰も知らなかったので、彼はチームメートであるスター選手の話をして、その場を盛り上げたそうです。



そんな彼の誠実さに惹かれた一人の少女がいました。

彼女の名はアリッサ・エスポジートで、生まれつき重い心臓病を患っていました。

様々な治療を試しても上手く行かず、心臓移植を受けるしか方法はありませんでした

一刻を争う状況の中、ドナーが見つからないまま、長い時間が経過していました。



アリッサはガードナー選手にブレスレッドをプレゼントをしました。

その時「このブレスレッドは幸運のお守りよ。今夜きっとあなたにホームランを打たせてくれるわ。もしホームランを打ったら私にも良いことが起こるような気がするの」と言ったそうです。

少女からの思いがけないプレゼントでしたが、彼は受け取るのをためらいました。

何故なら、彼はホームランバッターではなく俊足を活かす機動力タイプの選手で、しかもレギュラー争いにも敗れて試合にもほとんど出場できず、いつマイナーに落とされてもおかしくない状況だったからです。

”打てるはずもないホームランを約束して期待を持たせるわけにはいけない”と思いましたが、心優しい彼は、精一杯の笑顔で受け取りました。

しかし、現実は甘くはありません。

当日の試合も、スタメンには入っていませんでした。

試合が始まり、アリッサは病室で観戦していましたが、その時、待ち続けたドナーが現れたという知らせが飛び込んできました。

彼女に起こった幸運に呼応したかのように、スタジアムでも小さな異変が起きていました。

スタメンの選手が審判の判定に抗議して退場処分となり、代わりにガードナー選手が急遽出場することになったのです。



アリッサの緊急手術が始まり、全身麻酔の薬が打たれているその時、ロビーでは歓声が上がりました。

ガードナー選手に打順が回って来たのです。

二人の約束を知っている人たちは、固唾を飲んでバッターボックスに立つ彼を見守りました。

その時の実際の映像が残っています。(下の動画)


           

神が奇跡を起こしたのではありません。

約束を果たそうとするガードナー選手の愛を帯びた強い意志(想い)により、神的なエネルギーが引き出されて、奇跡のようなパフォーマンスが発揮されたと思います。

彼の純粋な想いに対して、霊界からの働きかけもあったと考えられます。



アリッサの手術は無事に終わりました。

病室に帰り、試合のビデオを観た彼女は、「私のために走ってくれている」と叫び、回復するよう前に進むように後押しされていると感じたそうです。

彼の意志は、しっかりと彼女に伝わっていたのです。



出会うべくして出会い、それを機に人生が大きく変わる時があります。

その後の彼女ですが、順調に回復して大学に入学したそうです。

一方のガードナー選手ですが、ヤンキースのスター選手の1人となりました。



生きる力は、生命の根源である魂から湧き出しています。

その力によって、私たちは生かされています。

何かをしようとする意志が生まれた時、生きる力は引き出されます。

その意志が愛を帯びている時、神の意志(心)と一致しているために、力はさらに引き出されます。

結果として、想像を超える大きな力が肉体次元で発揮され、具現化する時があります。

奇跡のように見える現象は、法則の働きに則って起きています。



実現させるという強い意志を持てば、実現できます。

乗り越えようとする強い意志を持てば、乗り越えられます。



魂は、無尽蔵の神的なエネルギー源とつながっているからです。

自分の意志によって、その力をいくらでも引き出すことができるからです。

     


2025年6月15日日曜日

自分の中にいる神


昔は、神など信じていませんでした。

神は宗教の産物であり、弱い人間が頼るものと思っていたからです。



40代半ばに霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会い、神の存在を信じるようになりました。

ただ、そこにあった神は宗教が説いていたものとは違っていました。



神は自分と離れたところに存在しているのではありません。

全てのものに存在しています。

私自身も神です。



けれども、自分が神であるという実感は全くありません。

他の人を見ても神とは思えません。

そのため、その真理を受け入れるまでに、少し時間がかかりました。


自分の中に自分とは違う「何か」がいるのは、子供の時から感じていました。

その「何か」は、やってはいけないことをしようとする時に、声なき声で引き留めていました。



それこそが、自分の中にいる神です。

神が良心となって顕現しています。



人の行いの中にも、神を見る時があります。

第2次世界大戦中、リトアニアの日本領事であった杉浦千畝は、ナチスドイツの手から逃れて来たユダヤ人にビザを発給して、国外に脱出させました。

この行為は国の方針に背いたものでしたが(後に失職)、リトアニアの地を去る最後の一瞬まで続けられたと言われています。

国外に脱出できた六千人以上にのぼるユダヤ人たちは、彼の行いの中に「神」を見たと思います。



大きな行いだけではありません。

転んだ人の手を取って起こそうとする人の中にも、神を見ることができます。

出来事を許そうとしている人の中にも見ることができます。

神は遍く存在しているのです。



神を見るのは、人の行いの中だけではありません。

ファシリティドッグというのをご存じでしょうか?

入院している病気の子供たちのためにいる病院専属の犬です。

彼らは、子供たちが嫌いな注射をする時や手術室に向かう時に寄り添って、立ち向かう勇気を与えています。

つらい思いをしている子供たちを癒そうとしている犬の姿にも、神を見ることができます。

人間が訓練したので、そのような振る舞いができるようになっただけと考える人もいるでしょう。

それ以上のものが存在していなければ、子供たちに勇気や元気や笑顔は生まれません。



訓練したわけでもないのに、溺れかけている猫を救っている犬の姿を見ても、それ以上のものが存在していることが分かります。

種に関係なく、生命(魂)に神が存在しているからこそ、このような行いができるのだと思います。

それ以外に合理的な説明はできません。



神が存在しているのですが、地上では自我によって、その発現が妨げられています。

「自分の身が危ない」「自分が不利益を被る」と自我(エゴ)が出てしまえば、神が発現することはありません。

何かをきっかけにして、自我の束縛から解放された時、初めて発現します。



無限大の宇宙の中で、地球という限られた空間の中で生きている全ての生命は運命共同体です。

全体のために、何らかの役割りを果たすため、能力を発揮するために、地上に生まれて来ています。

前述のファシリティドッグも、医者や看護師にできない、自分に与えられた能力を発揮しています。

しかしながら、多くの人はその役割りや能力に気付いていません。


生命とは神そのものです。

そのことが分かったのなら、傷つけたり苦しめたりすることはできないはずです。

他者の中に神の存在を認めたのならば、戦争や差別はなくなるはずです。

最も尊いもの、聖なるものを、蔑んだり、憎んだり、壊そうとすることは、誰にもできないからです。



神の意図を実現させるために、この世界は存在しています。

私たちの中に神がいること、神性でつながっていることに、多くの人が気付くことによって、神が意図した愛と喜びに満ちた世界へと変わって行きます。






2025年5月18日日曜日

許すという意志を持つ


今生きている世界と、死んでから赴く霊界では、大きく違うところがあります。

霊界では、周りにいるのは自分と同類の人ばかりです。

一方、地上では、周りにいるのは自分と違う人ばかりです。

そのために、相性が良くない人や、苦手な人がいたりして、人間関係で苦労します。



自分と違う人、例えば肌の色が違う人、言葉の違う人と会うと、どこか隔たりを感じます。

隔たりを感じて避けてしまうと、お互いを理解できなくなります。

理解できていないために、誤解が生まれて、いさかいに発展してしまう時があります。

争いの多くが、お互いの違いを認めなかったり、理解し合えないために起きていると思われます。



争いにより被害を被ると、怒りや憎しみが生まれます。

相手のことが許せなくなると、やり返すことになります。

それが繰り返され、争いは発展して行きます。



怒りや憎しみは、地上的自我から生まれます。

地上的自我は、肉体で自己表現するための(精神の)媒体です。

死んで霊界に行くと、肉体はなくなり霊体で自己表現するようになります・

それに伴って、霊的自我が媒体となります。

地上的自我はなくなるので、怒りや憎しみの感情は生まれなくなります。

普段、私たちはこの地上的自我を前面に出して生活しています。



許せなくなるのは、地上的自我の働きによるものです。

許せなくなると、怒りや憎しみの感情が生じて、心が苦しくなります。

苦しさから解放されるためには、許せば良いのですが、いくら許そうと思って許せるものではありません。



許すのは、地上的自我ではなく、霊的自我の働きによるものです。

霊的自我には神性があります。

神性は、寛容心、親切心、共感力、忍耐力、誠実さ、利他性、公平さ、責任感、思慮深さ、柔軟性、勇気などによって表現されています。



許すためには、神性が発揮されなければいけません。

頭でいくら許そうと思っても許せないのはそのためです。

許そうとする霊的自我と、許すまいとする地上的自我の間で葛藤が生じることがあります。



2つの自我の間で葛藤が起きることは日常的にあります。

道で倒れている人を助けようとするのは、霊的自我の神性が発揮されたからです。

的自我は、自分には関係ない、関わりたくないと考え、その場を去ろうとします

助けるのか、助けないのか、迷う時があります。



神性は、魂が進化するほど発揮されます。

さまざまな経験をしながら、年月をかけて、魂は少しずつ進化して行きます。

従って、一朝一夕に許せるようにはなりません。



それでは、どうやっても許すことはできないのでしょうか?

人間には意志があります。

意志は具現化する力を秘めています。



許さないと言う意志がある限り、当然のことながら許すことは決してありません。

その逆に、許すという意志を持てば、たとえ直ぐにではなくても、許す方向へと向かって行くはずです。



怒りや憎しみの感情は、地上的自我から生じています。

許そうとする意志は、霊的自我から生じています。

地上的自我(精神)の上位に霊的自我があります。

怒りや憎しみはの感情は、霊的自我から生じている許そうとする意志には勝てないので、消えて行くはずです。


自分にある神性を信じましょう。

神性が発揮されて、許せないことは何もありません。



許そうとする意志の本質は、自己犠牲を伴う愛です。

愛によって、内に溜まっている怒りや憎しみの感情は手放されます。

手放された時、対象は許されます。



負の感情に支配されそうになった時、認める、許す、哀れむという意志を持ちましょう。

その意志は、神性を帯びたものなので、感情は鎮まって来るはずです。



シルバーバーチの霊訓から引用します。

「あなたが地上に生まれたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。それは永遠に終わりません。なぜなら神性は無限だからです。神性は自発的に表現を求めます。
それが、あらゆる種類の美徳と善行、つまり、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって表現されます。その量が多ければ多いほど、それを発現している魂は偉大です。」



自我に打ち克って、神性を発現させることが、地上に生まれた大きな目的のようです。

小さなことから、大きなことまで、その機会はいくらでも巡って来ます。

その1つ1つが、魂を進化成長させることにつながっています。


2025年5月11日日曜日

赤ちゃんの死について思うこと


死にかけた人が、すでに亡くなっている人と会ったという話を、度々聞きます。

科学者の中には、臨死状態で脳への酸素供給が低下して、幻覚が起きて「死んだ人に会う」というビジョンが現れることがあると言っています。

それは死後の世界や魂の存在を否定するための根拠のないこじつけです。

「死んだ人に会う」という同じビジョンが現れるのは、実際に会っているからです。


会った時に、「まだ早い」と言われて、意識が戻った人は少なくありません。

「まだ早い」は、寿命が来ていない、地上で果たすべきことが残っているという意味が込められています。

機が熟していないことを、霊界にいる人たちはオーラから読み取っていると思われます。



働き盛りのご主人を亡くされた奥様がいました。

突然死でしたが、その数か月前から「もう時間がない」と、奥様にしきりに言っていたそうです。

記憶にはありませんが、魂は寿命を知っていると考えられます。



寿命は決まっています。

それでは、生まれて直ぐに亡くなった赤ちゃんも寿命だったのかと言う人もいるでしょう。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。(少し長文です)

「障害児とか早世する子の問題は、やむを得ぬこととはいえ、この種の質問はみな、物的側面を見ることから生じるものです。地上の人間にとっては、霊的な観点から見ることは不可能でしょう。いわば短期的な視点から見ておられ、長期的な視点から見ることができません。皆さんの焦点は常に日常生活の期間だけに置かれていて、それで不完全なものとなるのです。再生とカルマと奉仕的精神、それに霊性の進化と成熟度が絡んでおります。とても複雑なのです。生命の霊的本質とその無限の可能性がすべての基本にあるのです。こうした深刻な問題にその場限りの安直な返答ですり抜けることは、私には許されないことです。これには物的法則と精神的法則と霊的法則が絡んでおります。法則は法則通りに結果をもたらすものです。因果律に罪があるように、埋め合わせもあります。神の秤は寸分の不公正もありません。見た目は何か大きな手違いがあったかに思えるかもしれませんが、霊的な観点から見た場合、地上人類の現在の進化の階梯では理解の及ばない事情があることを理解して下さい。」

何やら難しく感じられる文章ですが、地上にいる私たちには理解できない理由があって、生まれて直ぐに亡くなったと言うことになります。


人生という物語は、地上と霊界の間を行き来しながら、途切れることなく続いています。

その1つの章として、今、地上を生きています。

死とは次の章に進むための自然現象であり、自然法則の働きに則って起こります。



自然法則には、物的法則、精神的法則、霊的法則があります。

物的法則とは、目に見える世界を支配している法則です。

その1例として、万有引力の法則が挙げられます。

風邪を引いたら熱が出るのもそうです。

精神的法則とは、心の世界を支配している法則です。

感情は、この法則の働きにより生じます。

悲しくなると涙が流れます。

この現象は、精神的法則と物的(肉体的)法則が、同時に働いて起きていると思われます。

霊的法則とは、魂(生命)とその成長を支配している法則です。

地上に生まれて来たのは、霊的法則の働きによるものと考えられます。

いつ、どのような亡くなり方をするのかは、物的(肉体的)法則、精神的法則、霊的法則の働きが絡まって決まると考えられます。



全ての法則を創ったのは神です。

神の心は、言葉では言い尽くすことのできない愛です。

その愛が、法則の中に顕現しています。

地上に生まれるのも、そして去るのも、神の愛の為せる業と言うことになります。



早すぎる死に対して、前生のカルマのせいではないかと言う人がいます。

幾ばくかの霊的な知識があれば、そうは思えないはずです。

死によって地上から解放され、苦しみや悩みのない霊界へ戻ることが、どうして償いになるのでしょうか。

地上に留まり、相応の苦しみや痛みを味わって償われるべきものです。



その死は、「奉仕的精神(愛)」に基づいているのかもしれません。

愛する人の死ほど、残された人に衝撃を与えるものはありません。

その衝撃が魂を目覚めさせ、生まれて来た目的を果たし始める人もいます。

亡くなった人の分まで、精一杯生きようとする人もいるでしょう。

最も大切なものに気付く人もいるでしょう。



生まれて直ぐに亡くなる赤ちゃんとは、霊的に親密なつながりがあると考えられます。

私たちは、自分を成長させるために生きています。

その赤ちゃんは、自分を成長させるためではなく、親密なつながりがある人を大きく成長させるため、大切なことを学んでもらうために、生まれて来たのかもしれません。

平たく言うと、強く優しい人になってもらうことを望んでいるのかもしれません。

成長させたいという意志に、霊的法則が働いた結果として、自らが直ぐに亡くなるという計画が立てられた可能性があります。

その計画を許容するほど利他的な魂であれば、地上を長く生きる必要もないのかもしれません。



地上にいると法則の働きが分かりません。

そのため、不運で不幸な出来事にしか思えません。

理不尽さが募るばかりです。



人は死んで霊界に行きます。

それまで分からなかった法則の働きが分かるようになります。

不運でも不幸でもなく、確固たる目的(原因)があり、それに法則が働いて起きていたことを知ります。



その出来事が起きたことで、自分が大きく変わって行ったことを知ります。

耐え忍びながら、必死に生きることで、地上に生まれた目的を果たしていたことを知ります。

全てに合点が行った時、背後に控える無限の存在に究極の愛を感じて、深く感謝するでしょう。






2025年4月20日日曜日

神の心を表現するために成長し続ける


2つのうち、1つが真実の時があります。

たとえば、あの世が「ある」のか、それとも「ない」のかです。

どちらも客観的に証明できるものではありませんが、私はある方を信じています。



証明できないものとして「性善説」と「性悪説」があります。

性善説は人間は本来、善い心を持って生まれてくるという考え方です。

一方、性悪説は人間は悪い心(欲望や利己心)を持って生まれてくるので、教育や法律で律する必要があるという考え方です。

どちらもそれなりに正しいように思えますが、ある根拠があって私は性善説を信じています。


じゃれ合っている子猫を見ると愛らしさを感じます。

なぜでしょう?



同じ生きるものとして、霊的なつながりを感じるからです。

そして、私たちにある「神」の部分が、愛らしさを感じているからです。



子供の頃、寂しそうにないている子猫を、家に連れて帰った人もいるでしょう。

大人になると、そんな子猫がいても素通りしてしまいます。

なぜでしょう?



地上の人間は、「魂」「精神」「肉体」から成り立っています。

魂は意識であり、肉体は地上における(魂の)表現媒体です。

精神(自我)は魂と肉体の間に介在し、肉体(五感)を通して得られる情報を魂に伝え、魂から生じる意念を肉体で表現するための指令を出しています。

自我は、その人のパーソナリティと言えます。



幼い時は、自我が発達していません。

そのため、子猫を「かわいそう」と思うと、自我に捉われることなく、行動に移してしまいます。

大人になるのに従い、自我が発達して行き、いろいろなことを考えるようになります。

「連れて帰ると大変だ」と考えると、素通りしてしまいます。

自我の発達により、思うがままに行動しなくなることを、「大人になる」と表現しているのかもしれません。



自我がなければ思うがままに行動できそうですが、それでは地上を安全に生きるのは難しくなります。

火事で家の中に取り残された人を見ると助けようとして、死んでしまうかもしれません。

肉体を守るために恐れを生じさせるのも、自我の重要な働きの1つです。



私たちには自由意志が与えられています。

そのために、過ちを犯してしまうことがあります。

過ちを犯す前に、何者かが押し留めようとします。

魂に宿っている神が「良心」となって顕現して、「やってはいけない」という衝動を起こさせています。



そんな良心の声に、自我が逆らおうとする時があります。

「ばれなければ良いだろう」「みんなもやっていることだから」など、適当な理由を考えて正当化します。

自我の欲求に負けて、良心の声を無視した時、人は過ちを犯します。




悪人と呼ばれる人たちにも、もちろん神は宿っています。

自我が強くなり過ぎて、良心の声を無視するのが常態化して、過ちを繰り返してしまう人たちのことを指していると思います。



生まれながらにして万人に良心が備わっていることが「性善説」が正しいと思う根拠です。

「性悪説」とは、自我が持っている特性を意味していると思います。



眠っている時には、魂(意識)は肉体を離れて霊界に行っています。

霊界では、霊体によって自己表現しています。

魂と霊体との間には、地上とは別の自我が存在しています。

その自我をシルバーバーチが言う「インディビジュアリティ」と考えています。(類魂とはさらに大きなインディビジュアリティ(集合意識)を形成しています。)

インディビジュアリティから生じた意念を霊体によって表現するようになります。



正確には、地上の人間は、「魂(神)」「インディビジュアリティ(霊的な自我)」「霊体」「パーソナリティ(地上的な自我)」「肉体」から成り立っていると言えます。

パーソナリティはインディビジュアリティの一部であり、インディビジュアリティから生じた意念を地上で表現するためにあります。

けれども、パーソナリティは肉体や環境からの影響を強く受けるので、インディビジュアリティから生じた意念を表現するとは限りません。

寂しそうにないている子猫の前を素通りする時もそうです。

本当はこうしたいのだけれども、いろいろなことを考えてしまい、違う行動を取ってしまうのはそのためです。

「魂が目覚める」と、自我の束縛から解き放たれ、インディビジュアリティから生じている意念に、より気付けるようになります。



シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「魂は無限なる霊である神から発せられる神性の一部です。霊はその魂の媒体、魂の伝達手段です。」


難しく感じられますが、私たちは神の一部であり、その表現媒体でもあると言うことです。


霊的成長とは、魂の媒体であるインディビジュアリティがより神性を発揮できるようになり、それに伴い霊体が精妙化して行く過程を指していると考えています。


インディビジュアリティが成長して霊体の精妙化が進むと、形態を取らなくなり思念のみになりますが、その思念に個性的な光輝が伴っているので、誰なのかが分かるようです。





私たちは、神の心を表現するために、永遠に成長し続ける存在であり、その一環として、今地上を生きています。




2025年3月30日日曜日

内在する愛によって許すことができる



死んだ後にも、生きる世界(霊界)があります。

あるのは確かですが、残念ながら客観的に証明することはできません。


眠っている間は、魂は肉体を離れて、霊界に行っています。

爽やかで、新鮮な気持ちで目が覚める時があります。

そんな時は、霊界でリフレッシュされ、余韻を残しながら肉体に戻って来たのではないかと考えています。



小さい時は悩みや心配などなく、日が暮れるまで無中になって友達と遊んでいました。

霊界も同じで、生きて行く上での悩みや心配はなくなり、友達よりもさらに親しい人たちと、やりたいことを思う存分することができるようになります。



霊界のことを知るほど、早く行きたくなります。

地上に戻ることなく、できるなら霊界で成長したいと思うのは、私だけでしょうか。



若い時、社会で成功することはとても大切であり、自分の価値の多くはそれで決まると考えていました。

少しでも高い地位、たくさんのお金を求めて、努力している人は少なくありません。

けれども、霊界に持って行けるのは自分(魂)だけです。



霊界に行ってしばらくすると、地上の人生を振り返る時が来ます。

想ったこと、言ったこと、行ったことの全てが、オーラに刻み込まれています。

自分の言動が、周りにどのような結果をもたらしたのかを知ることになります。



因果律の働きは、正確無比です。

人や動物に喜びを与えれば、相応の喜びとなり自分に返って来ます。

苦しみを与えれば、相応の苦しみとなって自分に返って来ます。

与えた喜びは自らの成長を促し、与えた苦しみは成長を妨げます。



成長したいと言う根源的な欲求が私たちにあります。

成長を妨げる原因(カルマ)を取り除かない限り、欲求を満たすことはできません。

原因(カルマ)を取り除くために、生まれて来た人も少なくないようです。



霊界で経験できないことを、地上では経験できます。

経験を通して大切なことを学び、自分に足りない霊的な資質を手に入れるために、生まれて来ている人も多くいます。



思念が直接伝わる霊界と違い、地上では自分の想いや概念を言葉に変えて、五感を通して伝えなければいけません。

けれども、自分の想いや概念を正確に言葉に変えられるわけではありません。

住んでいる場所によって、言語も違います。

言語が違えば、自分の想いを正確に伝えるのは、さらに難しくなります。



心が似通っている人たちだけと接している霊界と違い、地上では心が似通っていない人たちとも接して生きなければなりません。

たとえ自分の想いを正確に伝えられたとしても、考え方や価値観が違う人と、同じ想いを共有できるとは限りません。

お互いを理解し合うのが困難な世界に生きていると言えます。



肉体を持つことにより、意識は自分に向かいます。

自分が大切になるほど、他者の想いはどうでも良くなります。



これら地上ならではの要因によって、いさかいが起きやすくなります。

高じると戦争になります。

肉体を持たない霊界では、戦争は起こり得ないのです。



考え方や価値観が違う人間と共に生きているのが地上です。

そのことを、まず認識しなければいけません。

自分の考えの方が正しい、あるいは優っていると主張し合うのではなく、相違があるのは当然として受け止め、相手の考えを認めなければいけません。



肉体を介して自己表現しなければならないのが地上です。

思った通りに表現できるとは限りません。

表現できたとしても、意図した通りに相手に伝わらない時もあります。



不完全な人間が、完全に近づくために生まれて来るのが地上です。

不完全であるがゆえに、時に過ちを犯してしまいます。

自分は完全だと言う人がいますが、それ自体が不完全さを証明しています。



お互いが不完全な存在であることが認められたのなら、相手の過ちを許すことができるはずです。

侵害しようとする相手から自分の身を守ることは許されますが、相手の過ちを許せずに、感情に任せて報復したのなら、自然法則の働きに背いたことになり、好ましくない結果が返って来ます。

難しいことですが、感情を抑えて、因果律の働き(神)に委ねなければいけません。



地上は、認め合い、許し合うことの大切さを学ぶ場です。

寛容さが求められています。

それらが欠けていると、因果律の働きによって苦痛を伴う事象が起きて、経験的に学ぶことになります。



自然法則を貫いているのは愛です。

寛容であるためには、自己犠牲が求められ、大きな意味の愛を表現しなければなりません。

自然法則に叶っているので、好ましい結果が生まれます。



認められない、許せないのは、地上の表現媒体である自我(エゴ)の働きによるものです。

魂には神が宿っています。

エゴから生じた怒りや憎しみの感情は、内在している神の愛によって、完全に鎮めることができます。



自分にも神が内在していると強く信じましょう。

何が起きたとしても、そこから愛を引き出すことができたのならば、許すことができるはずです。



地上にいる私たちは、魂に内在する愛とエゴから生まれる感情の間で、日々揺れ動いています。

エゴに打ち克って、内在している愛を表現することで、霊性は発達して行きます。

それこそが、地上に生まれて来た目的です。



地上で身に付けた寛容の精神は、魂の財産として持って行けます。

博愛の精神となって、霊界で花開くと思います。




 

2025年3月2日日曜日

神の愛


何のために生きているのだろう?

子供の頃、漠然と考えていました。

やがて大人になり、慌ただしく生活する中で、そんな疑問もどこかへ行ってしまいました。

40代になり、人生を変えるような出来事が立て続けに起こり、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会います。

その中に答えが書いてありました。



この世を生きる目的は、自分を成長させるためです。

生まれる前にいた世界では経験できないことを経験して、大切なことを学ぶためです。



学ぶべき最も大切なものは「愛」です。

愛は五感に触れません。

五感に触れない愛を、地上での経験を通して魂が感じ取り、その意味を深く学んでいます。



なぜ、そこまでして愛を学ばなければならないのか?

「愛があればこそ全宇宙が存在する」

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれていましたが、当初はその意味が判りませんでした。

今も学びの途中ですが、こんなことを考えています。


NASA公開画像

宇宙はバイブレーションでできています。

物質も生命も、固有のバイブレーションを放っています。

人間から放たれている思念もバイブレーションです。

その中で最も振動数の高い(波長の短い)ものが「愛」と考えられます。



「神は無限の愛」と言われます。

ただ、地上の人間が考える愛とは、全く次元の異なるものと考えられます。

限りなく高いバイブレーション(愛)を放つ無限のエネルギーと考えていますが、どんなに言葉を尽くしても神を表現することはできません。



神からバイブレーション(エネルギー)を受け取っているのが魂と考えています。

魂は神とつながった神の一部です。



魂が受け取ったバイブレーションは、自我により思念というバイブレーションに変換されて、地上ではそれが肉体で表現されて完結していると考えられます。

神からのバイブレーションは、媒体である自我を経由するごとに、低いものへと変わって行くと考えられます。



地上は最も低い物質的バイブレーションの世界です。

それに相応して、低いバイブレーションの思念も放たれています。

怒りや憎しみは、魂が受け取ったバイブレーションが、地上の自我の働きにより変化したものと言えます。

シルバーバーチは「憎しみの中にも神が宿っている」と言っていますが、元は神のバイブレーションだからと考えています。


物質と物質を引き付ける物理的な力が「引力」です。

魂と魂を引き付ける霊的な力が「愛」です。

肉体に閉じ込められた魂が、愛を表現することによってつながって行きます。

ばらばらに存在している人間(生命)が、愛によって霊的に1つになって行く計画が立てられていると考えています。



怒りや憎しみや恨みや嫉妬などの愛に反する想いは真逆の作用を示し、反発し合います。

お互いを遠ざける力と言えます。



世界の多くの場所で、苦しみ痛みや悲しみや怖れが生じています。

最たるものが戦争であり、愛に反する行いによってもたらされる悲惨な結果を目の当りにしています。

被害を受けた弱者が泣き寝入りをし、飢えて死んで行く人もいます。

傍観している私も、神から見れば、愛に反する行いをしているのかもしれません。



あらゆる行いに対して、神の法則が働いています。

愛を表現すれば喜びが生まれ、愛に反する想いを表現すれば苦しみや痛みが生まれるのも、法則の働きによるものです。

苦痛を与えたら、その償いとして苦痛が与えられるのもそうです。

法則の働きを知らずに、大きな罪を犯している人たちを見ていると哀れになります。


私たちは神からのバイブレーション(エネルギー)を受け取りながら生きていますが、未熟な自我でも自由意志が与えられているので、愛に反する行いをしてしまいます。

人は誰でも苦痛を感じたくはありません。

喜びと苦痛を与える法則を通して、愛を学び、表現する方向へと導かれています。



「愛は摂理の成就なり」

イエス・キリストはこう語っています。

摂理(法則)の中に、神の心が顕現しています。

神の心を表現させるものが「愛」と言えます。



宇宙は神のエネルギーで創られています。

宇宙を経綸している法則に、神の心が顕現しています。

神が愛であるならば「愛があればこそ全宇宙が存在する」という言葉の通りです。



大げさな表現ではなく、愛が全てであり、全てが愛です。

五感が前面に出ている地上では、そのことが極めて分かりにくくなっています。

次の世界に移行して、五感が取り払われて霊的な感覚が前面に出ると、自然に感じられるようになるでしょう。



怖れや不安を感じながら生きる必要はありません。

神の愛の中で生きているからです。

神のバイブレーション(愛)が感じられなくなる地上において、そのことを強く信じることができれば、喜びを感じながら生きて行けるはずです。