生きていると、不安になる時があります。
一人で生きている不安、経済的な不安、病気の不安、死の不安等々、挙げれば切りがありません。
肉体を持つと、五感で外部を認識するようになります。
目に見える世界が全てになります。
1人1人は完全に独立しているように見えます。
けれども、人と人の間には目には見えない霊的なつながりが存在しています。
語らなくても、相手の気持ちが分かる時があるのは、霊的につながっているからです。
遠く離れた人に、ヒーリングの力が届くのも、霊的につながっているからです。
困った人がいると、助けてやろうとするのも、霊的なつながりを感じるからです。
人間は独立して存在しているのではありません。
それぞれが自分の役割りを果たすことで、周囲(全体)とつながっています。
霊的につながっていることが分かれば、1人だと錯覚して、孤独や不安に襲われることはないでしょう。
経済的な不安を感じている人も少なくありません。
「魂が正常なら、つまり魂と精神と身体が調和して機能している限り、物的生活に必要なものは必ず手に入ります。」
別のところで「条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果をもたらすことができます。」とシルバーバーチは言っています。
背後霊の導きを感じ取り、素直に行動に移すことができれば、必要なものが手に入るようになっていると考えられます。
そして、摂理に従って生きていれば、贅沢はできないけれども、生きて行くことはできると信じています。
病気は、魂と精神と身体の調和が失われると生じると言われています。
エゴ(精神)の働きが強くなり、本来の自分(魂)の想いを表現できなくなると、不調和が生じ、肉体上に病気として現れると考えています。
病気になり苦痛を味わうことで、本来の自分が目覚めて、想いを表現できるようになると、調和が取り戻されると考えられます。
付き合わなければならない病気もありますが、その経験により学ばなければならないこと、償わなければならいことがあるためです。
いづれにしても魂の成長へとつながっています。
死の不安ですが、肉体は消滅しても生命は存続しています。
記憶も個性も失われることはありません。
待っているのは、地上の苦から解放された世界であり、喜ばしいことです。
霊的な知識があれば、この世を生きる不安はかなり解消されるはずです。
けれども、地上を生きている限り、不安はどうしても生まれます。
不安は、肉体を持つと同時に生まれる、地上的な自我から生じます。
あの世に行き肉体がなくなると、その自我はなくなり、不安から解放されます。
そして、霊的な感覚がよみがえり、生命のつながりをはっきりと認識できるようになります。
地上的な自我(エゴ)の働きが強くなると、不安も強くなります。
解決不可能な現実に直面すると、地上的な自我(エゴ)に代わり本来の自分である霊的な自我が前面に出て来ます。
本来の自分を取り戻すと、生き方や考え方が大きく変わります。
安らかな気持ちでいられるようになるのは、霊的な自我からは不安や心配や怖れは生じないからです。
本来の自分を取り戻すためには、強くなったエゴの働きを抑えなければいけません。
座禅や瞑想をするのは、エゴの働きを抑えて、本来の自分を見い出すためです。
霊的次元に意識を向けるのは、本来の自分を取り戻すために有効と思われます。
意識するのが難しければ、守護霊の存在を思い浮かべてみて下さい。
自分よりも自分を知り尽くしているのが守護霊です。
何を求めているのかも承知しています。
守護霊を思い浮かべるのが難しいのであれば、亡くなった最も愛おしい人を思い浮かべて下さい。
思い浮かべた瞬間、傍に寄り添い、こちらからの想いが届くのを待っているでしょう。
親愛の想いが届いたならば、霊界にいる存在も親愛の想いを返してくれるでしょう。
その想いはエゴから生じる感情を抑え込む力となり、本来の自分を取り戻すことができると思います。
霊界の存在とのつながりが途絶えることはありません。
なぜなら、肉体があるかないかだけの違いで、地上に生きる私たちも同じ霊的な存在だからです。
目に見えなくても、つながっていることを忘れてはいけません。
神ともつながっています。
神を一言で表現するならば「全て」です。
私たちは神の心を表現する極小の一部です。
神の心である愛を表現すればするほど、神とのつながりは強くなります。
「全て」に感謝することによっても、つながりは強くなり、内から力が湧き出して来るのを感じられるかもしれません。
地上の人は、神そして霊界の存在とつながっています。
つながりを意識することで、内から湧き出す霊力、外から伝わる霊力により、不安や心配は和らぐはずです。
今朝、つながりを意識してみました。
しばらくして、自然に笑みがこぼれました。
霊界の存在たちの喜びの想いが伝わって来たようです。
霊界の存在が地上の人の想いを共有しているように、地上の人も霊界の存在の想いを共有することができると思います。
「神」や「魂」の存在の有無を論じる不毛な時代は終わりを告げようとしているように感じられます。
信じない人にも、神から届く生命力は流入し、神の法則は働いています。
守護霊は変わりなく守り導いています。
霊的なつながりが途切れることはありません。
死んでから、そのことに気付くのでは遅すぎます。
つながりを信じられる人は、霊的な恩恵をより享受することが出来ます。
意識することにより、本来の自分でいられます。
神の法則に背くことで生じる苦しみや痛みを味わうことなく、生まれて来た目的を成就する方向へと進んで行けます。
どちらを選択するのかは、個々の人に任されています。
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