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2026年5月17日日曜日

良心の声に従う


私たちの中にある心は1つです。

その心は、2つの自我(意識)が統合されたものと考えています。



地上の人は、魂(霊)、精神(自我)、肉体から構成されています。

正確に言うと、肉体の他に霊体も存在しています。

魂(霊)から生じた想いが、精神の働きにより、肉体を使って表現されています。

それが繰り返されることで、地上の人生は紡がれて行きます。



霊界にいる時は、魂から生じた想いは、魂と霊体との間に存在する精神の働きにより、霊体を使って表現されています。

その精神のことを、「霊的な自我」と呼ぶことにします。



魂が肉体と結合した瞬間、新たな精神が生まれます。

その精神のことを「地上的な自我」と呼ぶことにします。



地上の人は「魂」「霊的な自我」「霊体」「地上的な自我」「肉体」によって構成されていると考えられます。

「精神」と呼ばれているのは、霊的な自我と地上的な自我の総称と考えられます。

         

日常生活のほとんどが、この自我の働きによって、営まれています。

自分を守ろうとするのは、地上的な自我の重要な働きの1つです。

成長に伴って地上的な自我が発達して行きますが、子供は大人に比べてその働きが弱いため、自分を守ろうとする意識が低いと考えられます。

生まれたばかりの赤ちゃんは、極めて弱いために、無防備な状態と言えます。


世の中には、地上的な自我の働きが強い人がいます。

そんな人は、「自分」という意識が強いために、自分を誇示しようとしたり、自分を中心に物事を考える傾向があります。

「私が」とか「俺が」という言葉を頻繁に使う人や、他者の意見に耳を傾けない人は、地上的な自我の働きが強いと考えられます。



反対に、地上的な自我の働きの弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

そのため、「自分」ではなく「周囲」に意識が向きやすくなります。

周囲のことが気になったり、周囲からの影響を受けやすくなります。

(バリアのような役目を果たしている自我の働きが強くないために)思念に対する感受性が強くなり、心が傷つきやすいと考えられます。



霊的な自我は、魂から生じる想いを表現するための媒体です。

地上的な自我は、霊的な自我の想いを表現するための媒体です。

霊的な自我は、地上的な自我より、魂に近い媒体です。

魂から生じた想いを忠実に表現しようとしますが、地上的な自我の働きによって、表現が歪められたり、妨げられたりしてしまうことがあります。



私たちは神の心を表現するために創られた、神の一部です。

地上では、神の心は「良心」となって顕現しています。



神の心に反した行動をしようとする時に、止めようとする気持ちが生まれるのは、良心が存在しているからです。

神の心に従って行動をしようとする時に、それを妨げるような考えが生まれるのは、地上的な自我の働きによるものです。

良心と地上的な自我から生まれた考えとの間で、しばしば葛藤が生まれます。

自我から生まれた考えが、自分にとって都合が良く、利己性が見られたのなら、そちらに従ってしまうと、好ましくない結果が生まれます。



例えば、真夜中に車を運転していて、道路にいた人を撥ねてしまったとします。

「助けなければいけない」という良心の声に従い、救急車を呼ぼうとします。

けれども、「警察に捕まると会社をクビになる」とか「誰も見ていない」など、良心に反する行動を正当化する理由を、地上的な自我が考えてしまうことがあります。

助けるか、逃げるかで、葛藤が起きる人もいるでしょう。

自我に負けて逃げてしまうと、社会的な罪は大きくなり、長い間刑務所に入ることになるかもしれません。

捕まらなかったとしても、霊的な罪は魂に印記されて、その先で償わなければいけません。



話は変わります。

1890年、トルコの軍艦が日本を訪ねて帰国の途中、和歌山県串本沖で台風に遭い遭難しました。

地元の人たちは、自らの良心に従って、暴風雨の中で懸命に救助活動を行いました。

救助した人たちを手厚く看護して、回復後に帰国させたそうです。

この出来事はトルコで広く知れ渡り、日本人に対して強い親近感を覚えたと言われています。

日本とトルコの関係が良好なのは、この勇気ある行動が、今も「友好」という報いをもたらし続けているせいかもしれません。



これは極端な例かもしれませんが、良心に従うか、自我の考えに従うか、決断に迫られることは日常的に起きています。

良心が指し示す方向は、労苦や困難が待ち受けていることが、とても多いです。



良心に従って行動しようとする時、神の心と同調しています。

ラジオを同調させると電波が伝わって来るように、神の心と同調すると神から力が伝わって来ます。



勇気を出して進んで行こうとする人には、内から湧き出る力と、霊界からの惜しみない援助の力が与えられ、その行動が全うされるようになっています。

そして、霊的な成長という実りがもたらされます。

進んで行って、後悔することは決してありません。





2026年2月15日日曜日

何のために生きているのか?


若い時、「何のために生きているのだろう?」と自分に問いかけていました。

けれども、いくら考えても答えは見つかりません。

周りの人たちはそんなことなど気にせずに生きているように見え、いつしか考えなくなりました。



20数年経って、「シルバーバーチの霊訓」と出会い、その中に答えを見つけました。

それは「成長するため」でした。



成長するとは、どのようなことでしょうか?

一般的には、自分の可能性を拡げたり、人間として成熟することを指します。

霊的には、より神性(神の心)が発揮されるようになることだと思います。



神の心とは、全体を慈しむ心だと考えています。

全てを愛する心と言っても良いのかもしれません。



私たちは神により創られた、神の一部です。

私たちの中に、神の心が良心となって顕現しています。



地上では肉体があり、(地上的な)自我によって自己表現しています。

地上を生きて行くために自我は必要なものですが、その働きによって良心(神性)が発揮されるのが妨げられます。



車を運転している時、横道から合流しようとする車がいたとします。

自分の良心は道を譲ろうとしますが、そのまま進んでしまおうとする考えが自我に生まれると、その行動は妨げられます。

駅のホームで、線路に落ちて動けなくなった人がいたとします。

そこに電車が迫って来ています。

良心は助けようとしますが、自我は身の安全を第一に考えて、その場に留まろうとします。

過去に助けようとして命を落としてしまった人がいますが、もう地上を生きる必要がないほどの神性が発揮された結果のようにも思えます。



霊界では肉体がありません。

そのため生きて行くために働く必要がありません。

地上では組織のために働いて、その対価としてお金をもらったり、家族のために家事をして働くことで、生活を営むことができます。



働いている中で、誰かに喜ばれたり、感謝されると、うれしさを感じます。

私も仕事をしていて、「何でもおいしく食べられるようになった」とか、「人前で笑えるようになった」と患者さんに喜んでもらえると、とてもうれしくなります。

そのうれしさが、仕事をするモチベーションとなります。


人は何故ペットを飼うのでしょうか?

かわいい、一緒にいると楽しい、癒されるなどの理由があります。

それ以外に、動物たちのために何かをしてやることに、人は喜びを感じるからだと思います。

与えた餌をおいしそうに食べているのを見たり、うれしそうに散歩をしている姿を見ると喜びを感じます。



人は誰かのために何かをすることで、喜びが感じられるようになっています。

けれども、地上では自我や肉体があるために、その喜びが感じにくくなります。

身体の具合が悪い時に、何かをしてやろうという気持ちになれませんし、無理にすれば苦痛となってしまいます。

また、物を買ったり、おいしい物を食べるなど、すぐ手に入る(地上的な)喜びがあり、それを求めがちになります。


子供の時に、わがままを言ったり身勝手な行動をしていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

社会に出て同じことをしていたら、組織に不利益をもたらす者として、クビになってしまうかもしれません。



そうなるのは偶然ではなく、神の創った法則の働きによるものです。

いつでも、どこでも、誰にでも同じ結果が生じます。

法則の働きによって生じる喜びと苦痛により、私たちは神性を発揮する方向へと導かれています。


霊界では、何もしなくても生きて行けます。

好きなことだけしていても許されます。

地上を生きている私たちにとって、まさに天国と言えます。



けれども、それだけでは成長することはできません。

人は、誰かのために何かをすると、法則の働きによって成長します。

自由に生きられる霊界で成長して行くために、生きるために誰かのために何かをしなければいけない地上に生まれて、奉仕をするための意志を培っていると考えられます。



それでは、何にために成長するのでしょうか?

私たちは霊的につながっています。

これは、霊界に行けば当たり前のように感じられることです。

地上では肉体(物質)が存在し、五感により外部を感識しているために、つながりは感じられなくなり、それぞれが独立して存在しているように見えます。

そのために、地上ならではの障壁や問題が生まれます。

それらを克服して行くために、神性が発揮されなければいけません。



自我に打ち克ち、より神性を発揮できるようになるのが、地上に生まれた目的と考えられます。

神性が発揮される度に、進化成長して行きます。

お互いを隔てているものが取り払われて、霊的に1つになって行きます。

そんな計画の元に、私たちは生きていると考えています。











2025年12月14日日曜日

病気になった理由


数年前から、逆流性食道炎を患っています。

命に関わる病気ではありませんが、不快な症状に悩まされています。

胃の入り口の筋肉が緩んでしまうために起こりますが、ストレスも大きく関わっていると言われています。



思い起こすと、私の亡くなった父親も同じ様な症状にずっと悩まされていました。

どうやら、肉体的な素因を引き継いでしまったようです。


人間は、魂(霊)、精神、肉体から成り立っています。

それぞれが存在している次元は異なります。

全ての病気の原因は、そのどこかの次元に存在しています。



逆流性食道炎は、胃の一部の機能に問題があるために起こるので、肉体的次元に原因があります。

ストレスも関わっているので、精神的次元にも原因があると言えます。

遺伝したのであれば、この病気になることが生まれる前に決まっていたので、霊的次元にも原因があると言うことになります。

このように病気の原因は、多次元に渡って存在することが多いです。



病気は医者が治すものと考えている人が多くいます。

肉体的(物質的)次元の病気であれば医者は治すことができますが、霊的次元の病気は治すことはできません。

医者が分るのは、細菌など物質的次元の原因、ストレスなど精神的次元の原因の一部であり、霊的次元に原因が存在することを認めていないからです。



現代医学で原因不明とされているガンや膠原病などは、霊的次元に原因が存在すると考えられます。

原因がなくならなければ、病気は存在し続けます。

病巣を切除したとしても、薬で症状が改善しても、根本から治ったわけではなく、ぶり返したり、再発したりします。



霊的次元の原因(目的)には、どんなものがあるのでしょうか?

本人が生まれる前に病気になることを決めていた場合です。

先天的な病気や障がいなどはそれに当たりますが、多くの目的は病気(障がい)を通して、学び成長するためと考えられます。



成長を阻害している霊的な原因を取り除くために、病気になる場合もあります。

原因として挙げられるのは、過去生における過ち(カルマ)です。

病気の苦痛によって過ちを償うことにより、原因が取り除かれて、再び成長して行くことができます。



エゴの働きが強くなり、成長が妨げられている時にも、病気になることがあります。

例えば、お金や地位など地上的なものを追い求めるのが、生きる目的になっている人がいます。

そんな生き方をしていては、成長することはできません。

けれども、過った生き方をしていると、本人が気付いていなければ、どうすることもできません。



そんな人が、命にかかわる病気になったとしたらどうでしょう?

今まで追い求めていた地上的なものが無力であり、価値がないことに気付くでしょう。

それまで気に留めることもなかった、「生命」や「愛」など霊的なものに意識が向くようになります。



外からは、病気になって人が変わったように見えるかもしれません。

実態は、本来の自分を取り戻して、予定されたシナリオに沿って成長して行くために、因果律の働きにより、病気になったと考えられます。

そんな人の中には、大切なものに気付かせてくれたと、病気に感謝する人もいます。



病気になり、霊的に価値のある生き方に変わった人が多くいます。

以前、このブログにも書きましたが、阪神タイガースに横田慎太郎さんという将来を嘱望された選手がいました。

22歳の若さで脳腫瘍になり、再起をかけて手術をしましたが、目に障がいが遺り野球を続けられなくなりました。

重い病気になり、誰かを励ましたり、苦しんでいる人を助けようとする気持ちが強くなったそうです。

諦めないことの大切さを伝える講演活動を、28歳で亡くなるまで続けました。

病気にならなければ、野球選手として素晴らしい成績を残せたでしょう。

けれども、ご自身が困難や障害に立ち向かって行く姿を見せて、多くの人の魂を鼓舞し、成長を促すことにつながるこの人生の方が、霊的に価値があると考えられます。



病気になったことを嘆いたり、病気を憎んだりする人がいます。

そのような感情を持つと、大切なものに気付くことも、変わることもできません。

病気は結果です。

原因を作ったのは自分です。

何が原因だったのかを、心を鎮めて見つめ直して下さい。

霊的法則に照らし合わせて、過った生き方や考え方をしているのに気付いたのなら、直ぐに改めましょう。

気付くことができなければ、知ることのできない過去に原因があったり、霊的な目的が存在しているのかもしれません。



病気になったのは、万物を支配している法則の働きによるものです。

その法則を創ったのは神です。

神の創った法則の隅々にまで、神の愛が行き渡っています。

従って、苦しめるため、痛めつけるためではありません。



原因はそれぞれ違いますが、目的は同じです。

苦しみや痛みが強い時には、望ましい自分に変わるために、肉体のある地上でしかできないこの経験がどうしても必要だったと、言い聞かせて下さい。



後に、肉体を脱ぎ捨て、魂が露わになった時、浄化された自分の姿を目の当たりにして、悦びを感じるはずです。





2025年7月13日日曜日

意志によって力を引き出す


私も風邪を引くことがあります。

そして、そのパターンは決まっています。

仕事が一段落し、まとまった休みに入った直後に熱が出るのです。

おかげで外出できなかったり、行った先で(発病して)大変な思いをしたりします。



お子さんが風邪を引いて熱を出している最中に、お母さんが熱を出してしまうことは少ないように思います。

熱が引いて安心した頃に、熱が出ることも多いのではないでしょうか。



気が張っているせいと思いましたが、もう少し深い理由がありそうです。

仕事をしている時は、何かをしよとうする意志表示の連続です。

意志表示することで、肉体は動いて、仕事をこなして行きます。



人間は魂(霊)、精神、肉体の3者から成り立っています。

それぞれが存在する次元は違い、活動するためのエネルギーも違います。

魂は、神的エネルギーが供給されて活動しています。

精神は、魂に供給されたエネルギーが次元変換されたエネルギーで活動しています。

肉体は食物から取り入れたエネルギーと、次元変換されたエネルギーの両方によって活動しています。



何かをしようとする意志が生まれている時、人間(魂)は神的エネルギーが供給されています。

神的エネルギーとは生命エネルギーです。

生命エネルギーが不足すると、精神的活動は抑制されて、うつ症状として表れることもあります。



生命エネルギーは肉体次元において、病気を治癒させる力や免疫力として働いてます。

つまり仕事をしている時には、何かをしようとする意志が連続して生まれているので、生命エネルギーが絶え間なく供給され、それに伴い免疫力が高まり、風邪を引きにくいと考えられます。

病気の子供の看病をしているお母さんは、何とかしようとする意志が「愛」を帯びているので、さらに多くの生命エネルギーが供給されていると考えられます。

元気でいられるのはそのためと考えられます。



人間は想像をはるかに超えた大きな力を発揮することがあります。

2023年、アメリカのテネシー州で、老農夫がトラクターの下敷きになりました。

それを見た孫娘のシャーロット・ヒューストンさんは1トン以上のトラクターを一人で持ち上げ祖父を救出したそうです。

彼女は後に「なぜできたのか分からないと」言っていたそうです。



2011年、アメリカのユタ州に住むアンジェロ・カヴァロさんという女性が、ジャッキで持ち上げた車の下で作業中に、ジャッキが外れて下敷きになり意識を失った息子を見つけて、近所の人が引き出すまでの間、1.5トンを超える車を持ち上げていたそうです。

彼女もまた「どうやって持ち上げたか覚えていない」と言っていたそうです。



これらの現象は「ヒステリック・ストレンス」(日本で言う火事場の馬鹿力)と呼ばれ、大量のアドレナリンが放出されて、脳のリミッターが外れた時に起きると言われています。

いくつかの霊的な条件を満たした時に、このような現象が起きると考えられます。

危機的な状況に直面して、自我が吹き飛び、魂が目覚めていたと考えられます。

人を助けようとする愛を帯びた強い意志により、多くの霊的なエネルギーが引き出されて、それが肉体次元にまで及んで、想像を超えた物理的な力が発揮されたと思われます。


2009年5月、マンハッタンの小児病院を、ニューヨーク・ヤンキースのある選手が慰問に訪れていました。

長い下積みを経験してメジャーに昇格したばかりのブレッド・ガードナーという選手でした。

残念ながら子供たちは誰も知らなかったので、彼はチームメートであるスター選手の話をして、その場を盛り上げたそうです。



そんな彼の誠実さに惹かれた一人の少女がいました。

彼女の名はアリッサ・エスポジートで、生まれつき重い心臓病を患っていました。

様々な治療を試しても上手く行かず、心臓移植を受けるしか方法はありませんでした

一刻を争う状況の中、ドナーが見つからないまま、長い時間が経過していました。



アリッサはガードナー選手にブレスレッドをプレゼントをしました。

その時「このブレスレッドは幸運のお守りよ。今夜きっとあなたにホームランを打たせてくれるわ。もしホームランを打ったら私にも良いことが起こるような気がするの」と言ったそうです。

少女からの思いがけないプレゼントでしたが、彼は受け取るのをためらいました。

何故なら、彼はホームランバッターではなく俊足を活かす機動力タイプの選手で、しかもレギュラー争いにも敗れて試合にもほとんど出場できず、いつマイナーに落とされてもおかしくない状況だったからです。

”打てるはずもないホームランを約束して期待を持たせるわけにはいけない”と思いましたが、心優しい彼は、精一杯の笑顔で受け取りました。

しかし、現実は甘くはありません。

当日の試合も、スタメンには入っていませんでした。

試合が始まり、アリッサは病室で観戦していましたが、その時、待ち続けたドナーが現れたという知らせが飛び込んできました。

彼女に起こった幸運に呼応したかのように、スタジアムでも小さな異変が起きていました。

スタメンの選手が審判の判定に抗議して退場処分となり、代わりにガードナー選手が急遽出場することになったのです。



アリッサの緊急手術が始まり、全身麻酔の薬が打たれているその時、ロビーでは歓声が上がりました。

ガードナー選手に打順が回って来たのです。

二人の約束を知っている人たちは、固唾を飲んでバッターボックスに立つ彼を見守りました。

その時の実際の映像が残っています。(下の動画)


           

神が奇跡を起こしたのではありません。

約束を果たそうとするガードナー選手の愛を帯びた強い意志(想い)により、神的なエネルギーが引き出されて、奇跡のようなパフォーマンスが発揮されたと思います。

彼の純粋な想いに対して、霊界からの働きかけもあったと考えられます。



アリッサの手術は無事に終わりました。

病室に帰り、試合のビデオを観た彼女は、「私のために走ってくれている」と叫び、回復するよう前に進むように後押しされていると感じたそうです。

彼の意志は、しっかりと彼女に伝わっていたのです。



出会うべくして出会い、それを機に人生が大きく変わる時があります。

その後の彼女ですが、順調に回復して大学に入学したそうです。

一方のガードナー選手ですが、ヤンキースのスター選手の1人となりました。



生きる力は、生命の根源である魂から湧き出しています。

その力によって、私たちは生かされています。

何かをしようとする意志が生まれた時、生きる力は引き出されます。

その意志が愛を帯びている時、神の意志(心)と一致しているために、力はさらに引き出されます。

結果として、想像を超える大きな力が肉体次元で発揮され、具現化する時があります。

奇跡のように見える現象は、法則の働きに則って起きています。



実現させるという強い意志を持てば、実現できます。

乗り越えようとする強い意志を持てば、乗り越えられます。



魂は、無尽蔵の神的なエネルギー源とつながっているからです。

自分の意志によって、その力をいくらでも引き出すことができるからです。

     


2024年12月8日日曜日

変わるために生まれて来た


社会は目まぐるしく変化しています。

私の仕事においても、新しい手法やマテリアルが次々と開発されています。

新たな技術に取り組むのはリスクを伴い、身に付けるまでに労苦があるので、現状のままで行きたい気持ちがあります。

現状のままでいるのは安全で楽ですが、取り残されてしまう可能性があります。

どちらか迷った時は、後悔のないように進んで行きたいものです。


宇宙は一瞬たりとも休むことなく進化しています。

人間は宇宙の一部です。

私たちは、宇宙全体と共に進化して行く運命にあります。



人間はさまざまな面を携えて生まれて来ます。

自然法則の働き(神の心)に適っている面もあれば、適っていない面もあります。

先日、中学時代の同窓会がありました。

50年近くの歳月を経て、容姿には大分変化がありましたが、性格は思ったほど変わっていないように感じられました。

当時、嫌だなと感じていた同級生のある面がなくなっていることに気付きました。



いくつかの面を挙げてみます。

寛容心、親切心、共感力、忍耐力、誠実さ、利他性、公平さ、責任感、思慮深さ、柔軟性、意志力、勇気、思いつくだけでもこれだけありますが、他にもたくさんあるでしょう。

それぞれの面に対極があり、それらの面が組み合わさって、個性が生まれていると考えています。



持っている面が、自然法則の働きに適っていないとします。

例えば、自分勝手な面を持っていたとします。

「利己的」なその面を表現すると、周囲の人に内在する神(良心)が瞬時に反応します。

子供でしたら「いけない」と感じて、注意をしたり、時に仲間外れにしたりすることもあるでしょう。

社会に出て、自分勝手なことばかりをしていたら、会社をクビになるかもしれません。

結婚していたら、離婚されるかもしれません

周囲から返って来るものは、往々にして苦痛を伴うので、自分勝手な言動を改めるようになります。



不寛容な人は、自分が失敗した時に厳しく咎められるかもしれません。

不誠実な人は、信用を失い、誰からも相手にされなくなるかもしれません。

協調性のない人は、疎外されて、孤独になるかもしれません。

神の心に適っていない面は、自然法則の働きにより、不快で不利益な結果が返って来ることで正されて行きます。



私たちが死んだ後に赴く霊界は快適な世界です。

けれども自分が変わるのは難しいようです。

変わる必要に迫られないからです。

そこで地上に生まれて来ます。

苦しみや痛みを伴う経験することで、必要に迫られて、何かを学びながら変わって行きます。



どうしても変われないのであれば、何か理由があるのかもしれません。

変われないために生じる苦しみを味わうことで、過去の過ちを清算している可能性があります。

清算が終われば、苦しみから解放されます。



初めて地上に生まれた人間は、ダイヤモンドの原石のようなものです。

内部にある神の光は遮られてしまいます。

何度も地上に生まれて、さまざまな経験をすることによって、いくつもの面が磨かれて行きます。

たくさんの面が磨かれることによって、眩しい光(オーラ)を放つようになります。


自然法則の働きの中に、神の心が表現されています。

自然法則の働きによって、神の心が表現できるように変わって行きます。

それが魂の成長と考えています。



私たちは自然法則の働きにより変わって行きますが、自らが進んで変わることもできます。

そのためには、知識と意志と勇気が必要です。

知識がなければ、どう変われば良いのか分かりません。

変わろうとする意志がなければ、変わることはできません。

勇気が欠如していると、変わろうとする意志が削がれ、そのままでいたい気持ちが強くなります。



変わる、変わらない、どちらでも選択できます。

けれども、私たちは全体と共に変わって行く運命にあります。

変わらない方を選択したとしても、運命づけられているのであれば、先送りをしているだけです。



ずっと留まっているのは、全体の流れに逆らっていることになります。

そのために苦しいのかもしれません。

勇気を振り絞って、前に進んで行くことで、苦しみから解放されるかもしれません。

全く予想もしなかった世界が、その先に見えて来るかもしれません。



この人生が全てではありません。

果てしなく人生は続いて行きます。

前に進もうとする勇気、変わろうとする意志は、次の世界で成長しようとする意志になると考えられます。

自らの意志で自律的に成長して行くために、変わることで苦しみから解放される地上に生まれて来たと考えられます。




2024年9月29日日曜日

役割りを果たすために生まれて来た


ちょっとグロテスクに感じる方もいるかもしれませんが、私はこんな光景を毎日眺めながら仕事をしています。



下あごの右側の奥歯(第1大臼歯)のクローズアップ写真です。

矢印に示す通りに、歯には何本もの溝があり、その1つ1つに名前があります。

それでは、この溝は何のためにあるのでしょうか?

溝があることによって、上下の歯は緊密に噛み合わさり、食べた物は効率良く粉砕されるようになっています。




のどの入り口には、口蓋垂(のどちんこ)という組織があります。

ある人が、要らないと思い、手術をして切り取ってしまったそうです。

そうしたらどうでしょう? 食べた物が気管に入りやすくなり、むせるようになってしまったそうです。

何のためにあるのか分からない組織ですが、誤嚥を防ぐという大切な役割りがあったのです。



これらの人体の構造は遺伝子によって決められています。

一人の人間の細胞内にある遺伝子をつなぎ合わせると、太陽系をはるかに超える長さ(740億km)になります。

そんな長大かつ精緻な遺伝子が、偶然が重なって出来上がるはずはありません。

無限なる叡智によって設計され創られたと考える方が、遥かに自然です。

人体に無駄なものがないのはそのためです。



生命が生まれるのも死ぬのも自然現象の一環です。

自然現象は自然法則の働きによって起こります。

地球上には800万種以上の生命がいると言われています。

この世に存在している全ての生命は、無限なる叡智によって創られた自然法則の働きによって生まれて来ています。

生命に無駄なものは存在しません。



少し強引かもしれませんが、地球上の生命を人体に見立てたとします。

人類は人体の一部の組織であり、個々の人間は組織を構成する細胞と言えます。

その他の大部分の細胞は、人類以外の生命によって構成されています。

それぞれの細胞が協調的に働くことによって、生命活動が営まれています。



全ての細胞は同じ血液が流れることによって生かされているように、全ての生命は同じ生命力が流れることによって生かされています。

生命とは霊です。

全身の細胞は、同じ血液が流れてつながっているように、全ての生命は同じ生命力が流れて「霊的」につながっています。



それぞれの細胞に何らかの役割りがあるように、それぞれの生命に何らかの役割りがあります。

必要とされて存在していますが、全体があまりにも大きく、お互いの関係が分からないためにそう思えません。



自然法則の働きの中に、神の心が顕現しています。

神の心の根底にあるのは「愛」であり「調和」です。

全体のために役割りを果たそうとする力が愛です。

愛は魂に内在する神から発せられています。

愛を表現することによって、全体に調和がもたらされます。



悲しいことに、地球で最も進化している人間が調和を乱しています。

同胞(人間)と争い、他の生命を虐げています。

まるで、周囲の組織を押しのけて増殖する利己的なガン細胞のように感じられる時があります。

地球温暖化の影響で餓死しかけているシロクマ


なぜそのようなことが起きるのでしょうか?



全体が見えていないからです。

生命のつながりが分からないからです。




地球は強烈なオーラを放つ1つの生命体のように見えます。

この星に生まれて来たのは偶然ではありません。

自らが成長する最適な場所として選んでいます。



全体のために役割りを果たすことで、個々は進化成長します。

難しいことではなく、良心に従って行動することで、役割りを果たしていると考えています。

それにより調和が促され、霊的に美しい世界となって行きます。



2024年7月28日日曜日

霊界で成長するために


「魂は肉体の奥深くに埋もれているために、それを目覚めさせるにはよほどの体験を必要とします。」

これはシルバーバーチの霊訓の一節です。


今月、アメリカ合衆国の大統領候補であるトランプ氏が銃撃されました。

弾丸は右耳をかすめ、流血していました。

興味深かったのは、銃撃後の最初の演説でした。

それまでの険しい表情は影を潜めて、とても穏やかそうに見えました。

「これは、私に与えられた国を一つにまとめるチャンスだ」だと言って、準備されていた対立候補を批判する内容から、団結や協調を訴えるものに変更されました。

その様子を見て、九死に一生を得た体験によって、トランプ氏の魂が目覚めたのではないかと思いました。

「魂を目覚めさせるためのチャンスは地上の人間の一人ひとりに必ず訪れています。神は完全です。誰一人忘れ去られることも無視されることも見落とされることもありません。誰1人として自然法則の行使範囲からはみ出ることはありません。その法則の働きによって、1つ1つの魂に、目覚めのためのチャンスが用意されているのです。」と、シルバーバーチは言っています。

「神に護られた」と言っていましたが、間一髪で助かったのも、守護霊の働きかけがあったのかもしれません。

そのままでいて欲しかったのですが、その後の演説を聴くと、以前のトランプ氏に戻ってしまったようです。

「目覚めるまでに至らなかったとすれば、それは本人が悪いというべきではなく、せっかくのチャンスが活用されなかったと言わねばなりません。」と、シルバーバーチは続けて言っています。

目覚めかけていた魂は再びエゴに覆い隠されチャンスを逃してしまったように感じられました。



地上の人間は、「肉体」「精神」「魂(霊)」の3者が一体となった存在です。

地上に生まれると、肉体と魂の間に精神(地上的な自我が形成され、活動するようになります。



眠ると魂は霊界に赴きます。

肉体に代わって霊体で自己表現するようになり、霊体と魂の間に存在する精神(霊的な自我)によって活動するようになります。



普段の生活では地上的な自我が優位に働いていますが、いざ深刻な出来事が起きると状況は一変します。

俗に言う「魂が目覚めた」状態となり、それまで陰に隠れていた霊的な自我が前面に出て来ることがあります。

傍から見ている人にとって、別人になったように感じられますが、そうではありません。

眠っている時に自己表現している、本来の自分表に出て来ただけです。



地上的な自我は、肉体と密接に結びついています。

そのために、自己保存的な欲求が強いです。

断崖絶壁の上に立つと怖くなるのは、地上的な自我の働きによるものです。

もし地上的な自我が存在しなければ、高所にいても全く怖さを感じないために、崖から落ちてしまう可能性があります。

お金が少なくなると心配になるのも、地上的な自我の働きによるものです。

地位があれば、生きて行く上で有利になるので、地上的な自我の欲求は満たされます。

地上的な自我は、肉体を守り、快適に生きるためになくてはならないものですが、その働きが強くなり過ぎると、生まれて来た目的を果たせなくなる可能性があります。



地上に生まれて来た目的は、自分(魂)を成長させるためです。

生れる前に立てられた人生計画に従って生きて、魂に内在している神性を発揮することにより成長して行きます。

地上的な自我の働きが強くなると、相対的に霊的な自我の働きは弱くなり、神性は発揮されにくくなります。


朝、目覚めると、霊的な自我から地上的な自我に切り替わり、今日の仕事の内容が頭の中に浮かんで来ることが多いです。

難しい仕事があったりすると、地上的な自我の働きがさらに強くなり、心配が生じる時があります。

シルバーバーチは「取り越し苦労」をしてはいけないと何度も言っています。

そうは言っても、地上は不完全な世界であり、思うように行かない時もあります。

あらゆる事態を考えておくのは必要です。

けれども、それに付随して負の感情を抱いてしまうと、守護霊をはじめとする霊界の存在からの援助を受け取りにくくなるので、気を付けなければいけません。


VV191  NASA公開画像より

自然法則の働きによって、宇宙は経綸されています。

私たち(生命)は、法則の働きに従って、進化成長しています。



困難や障害を乗り越えようとする意志は、自然法則の働きに適っているので、成就させるための力が魂に流れ込みます。

その意志を、霊界にいる存在がキャッチすると、インスピレーションを送って支援します。

自分を信じることで、内在する神とつながりが強くなり、進んで行く力が湧き上がります。

勇気を出して、自分を信じて進んで行けば、2重3重の援助が得られるので、何とかなるのです。



大切なのは、霊界とのつながりを常に意識しつつ、強い意志を持つことです。

生れて来た目的を果たすために、感情に打ち克って、前に進んで行かなければならない時があります。

地上的な自我から生まれる「感情」よりも、霊的な自我から生まれる「意志」が優ります。

進もうとする意志を持つことで、感情に打ち克つことができます。



肉体を使って表現しないと何も始まらないのが地上です。

表現する意志を持つことが、生きて行くために求められます。

死んで霊界に行くと状況は一変します。

思念は直ちに具現化するために、地上のように(肉体で表現するための)意志は必要なくなります。

意志を持たなくても、生きて行くことができます。



私たちを生かしているのは、神的なエネルギーです。

そのエネルギーによって個々の生命は進化成長して行きます。

霊界は何もしなくても生きて行ける世界ですが、何もしなければ進化成長もしません。

進化成長しようとしないのは、神の意志に明らかに反しています。



そのことに気付いた魂は、因果律の働きによって、地上に生まれます。

何かをしなければ生きて行けない地上を生きることで、霊界で成長するために必要な意志を培っていると考えられます。



地上で意志を培うには、魂が目覚めた方が有利です。

どん底に突き落とされたり、危機的な状況に陥る経験により、魂が目覚めて、何をしたかったのか、何をしなければいけないのかに気付いて、自分の意志で生き始める人がいます。



地上では、霊的なものが全く見えなくなります。

経験することでしか、霊的に大切なものは見つけられません。



最も大切なのは、誰かのために何かをすることです。

誰かのために何かをしようとする意志を持つことは、地上に生まれて来た大きな目的の1つであり、その意志が培われることで、霊界で自律的に成長できるようになります。





2024年7月21日日曜日

神的エネルギーによって生かされている


愛の対極は憎しみと言われます。

ただ、愛と憎しみが生まれるところは違うと考えています。



地上の人間は、肉体、精神、霊から成り立っています。

霊は霊的次元、精神は精神的次元、肉体は物質的次元にあるので、私たちは3つの次元にまたがった存在ということになります。



霊の核心である魂は、神の心(意識)の一部です。

表現が適切でないかもしれませんが、魂は愛を帯びた神的エネルギーの噴き出し口と私は考えています。



霊からは、意志(思念)が生じています。

精神(自我)は、その意志(思念)を肉体を使って表現するためにある媒体です。

肉体と密接に結びついているために、自己保存(利己)的な性質を帯びています。



魂から生じた意志は、精神を活動させるエネルギーとなります。

そのエネルギーにより、精神で思考が行われ、肉体に指令が出され、表現されて完結します。


火事で建物の中に取り残され、助けを求めている人がいたとします。

その光景を見た瞬間、魂から噴き出している神的エネルギーによって「助けなければ」と言う意念が生じます。

ところが、肉体を守ろうとしている精神(自我)は「助けに行くと自分まで死んでしまう」と考えます。

助けようとする意念は、精神(自我)の働きによって、怖れへと変わります。



魂から生じている意念が、精神の働きによって感情に変わることは良くあります。

夫婦のどちらかが不貞を働いて、一方が裏切られたと知った時、愛情は一瞬にして怒りや憎しみに変わることがあります。

大切な人が亡くなると、愛情がたちまち悲しみに変わります。

「神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。」とシルバーバーチは言っています。

怒りも悲しみも、神的なエネルギーが形を変えたものと言えます。


ガザに暮らす人たち

多くの人が怒りや憎しみ、そして悲しみや怖れを抱えながら生きています。

地上を生きて行く上で、精神(自我)はなくてはならないものです。

しかしながら、精神(自我)から生まれる負の感情に支配されていると、成長の妨げになります。



肉体、精神、魂の3者の間には、ヒエラルキーが存在します。

肉体より高位に精神があるので、肉体は精神に従います。

精神より高位に魂があるので、精神は魂に従います。



イエス・キリストは「全き愛は恐れを締めだす」と言っています。

愛は魂から生じているエネルギーで、精神から生じている恐れ(感情)のエネルギーよりも強者なので、締め出すことができます。

また「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とも言っています。

怒りや憎しみを抱えて苦しんでいる人は、(非常に難しいのですが)対象を愛することによって、苦しみから解放されると伝えたかったのではないかと考えています。



人間だけではなく、動物も同じです。

以前、山中を放浪していたラブラドール犬を見つけ、捕獲しました。

ジョン君と名付けて、家で保護することにしました。

怒鳴られたり、追い回されていたからでしょうか、しばらくの間、私たちのことが信じられず様子を窺っていました。

幸運にも、飛び切り愛情深いご夫婦の家族として迎え入れてもらえました。

数年後には、怖れは完全に払拭され、今までの孤独な日々を取り戻すかのように甘えるようになっていました。

愛は負の感情を取り除く力を秘めていると、改めて感じました。

安心して甘えるようになったジョン君



愛は自分で作り出すものではありません。

同調することで神とつながり、そのつながりを通して魂に流れ込んで来ると考えられます。

自分以外のために、何かしようと想うことで、同調すると考えられます。

神とのつながりが強くなるほど、ふんだんに愛が流れ込みます。

流れ込んできた愛によって、肉体によって表現したくなる衝動が生まれます。



自分を成長させる方向に進んで行く時もそうです。

勇気を出して挑戦しようと一歩を踏み出した時に、それを成就させるための神の力が流れ込んで来ます。

神の意志は、私たちを進化成長させることにあります。

魂から生じた意念と、神の意志が一致した時、神の力が流れ込んで来ると考えられます。


神とのつながりを強くするためには、まず神の存在を信じなければいけません。

神は全存在であり、全法則と考えられます。

全存在の中に神が存在しています。

もちろん、自分(魂)の中にも神が存在しています。



神を信じるとは、自分を信じることかもしれません。

自分を信じることは、自分の中にいる神を信じることにつながり、困難や障害を乗り越えて行く力を受け取ることができると考えられます。



自分を信じるのは簡単そうで難しいです。

精神(自我)が過去を思い出したり、取り越し苦労をして、信じるのを妨げるからです。



信じる意念は、魂から生まれています。

精神(自我)は魂に従います。

強く自分を信じることで、自我の働きによって作り出された考えや感情は一掃されます。



意念(意志)を持つことで、精神(自我)から生じる思考や感情に振り回されずに済みます。

意念を出している時、例えば仕事を成し遂げようとしている時には、捉われていた感情から解放されています。



人間は神的エネルギーによって生かされています。

そのエネルギーにより、魂で何らかの意念(意志)が生じ、肉体を活動させています。

同じエネルギーによって、世界全体も活動しながら進化して行きます。



同じ場所に留ろうとすると苦しく感じるのは、進化している全体の流れに逆らっているせいかもしれません。

神的エネルギーによって生かされているのであれば、苦しくても進んで行かなければいけません。



私たちは、神の法則に従って、永遠に進化成長して行く存在です。

神的エネルギーに内在する神の意志に、抗うことはできません。






2024年7月14日日曜日

高みに導かれている


人生にはブループリント(計画)があります。

ブループリントに従って人生は展開して行きますが、約20年前にそのことを実感しました。

望んでもいなかったのに、ヒーリングの力が突然出現しました。

ほどなく、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に巡り会いました。

そして、経験したことのない苦難が始まりました。

この人生を変える3つの出来事が、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きました。

いくら鈍感な私でも、偶然ではなく、計画的に起きていると思わざるを得ませんでした。



順番やタイミングは絶妙でした。

ヒーリングの力が出なければ、真理とは無縁だったでしょう。

続けて苦難が起きなければ、真理は私の前を素通りして行ったでしょう。



その頃の私には、1つの夢がありました。

同業の親から独立して、歯科医院を開業しようと思っていました。

土地は既に購入してあり、建物の図面も引いて、さあ始めるぞと思った矢先に、苦難が始まりました。

状況はどんどん悪化し、想定された中で最悪の結末を迎えました。

明日をも知れぬ日々を過ごす中で、救いとなったのがシルバーバーチの霊訓でした。

「乗り越えられない出来事は起きない」この真理にしがみつきました。



夢だった開業は叶いませんでした。

それでも、開業した時に費やされたであろう時間と労力を、ヒーリングやブログを書くことに回すことができたので、全く悔いはありません。

霊的な奉仕は、開業よりもはるかに重要と考えています。

代わりになる歯医者はいくらでもいますが、真理を伝えている人は周りに見当たらないからです。

私の計画に開業はなかったのです。



予定されていた計画があるにしても、その通りに生きているのだろうか? 

ふとそんなことを考えてしまいます。

最善を尽くせなかったことはたくさんあります。

そんな時、シルバーバーチのこの言葉が目に留まりました。

たった一人でいいのです。全てが陰気で暗くわびしく感じられるこの地上で、元気づけてあげることが出来れば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。

救われると同時に、大きな愛を感じました。



もし真理と出会っていなければ、致命的に思える処分を受けて、人生の負け組に転落したと嘆いていたでしょう。

人生に勝ちも負けもありません。

それぞれが予定されていた人生を歩んでいるだけです。

負けに思える出来事は、生まれて来た目的を果たすために起きていることがあります。



以前、ボランティアで行っていた肢体障がい者施設に、身体をほとんど動かせない人がいました。

ベッドの上で1点を見つめたまま、身じろぎもせず過ごしてしている人を見て、何のために生まれて来たのだろうと思いました。



身体の自由が奪われた肉体で一生過ごすことを承知して、その人は生まれて来ています。

もし、生まれる前にそんな人生を提示されたのならどうでしょうか?

ほとんどの人は、自分には耐えられないと、しり込みするでしょう。



経験を積んだアルピニストは、より難度の高い山を目指します。

誰でも登れる山では、心身の鍛錬や登山技術の向上につながらないからです。



それと同じで、向上した魂には、難度の高い人生が提示されます。

生易しい人生では、さらなる向上は望めないからです。



肉体の自由を失ったら何もできません。

自分の存在を忘れられたり無視されたら、数日で死んでしまいます。

他者(の施し)を信じるしかありません。



置かれている状況を受け入れなければいけません。

他者からどのような対応をされても受け入れなければいけません。

寛容な心が要求されます。



1人では生きていけないことを身を持って経験しています。

生かしてくれている人たちに感謝します。



肉体の動きがなくても、魂は活動しています。

信じ続けることが求められ、寛容な心が養われ、感謝の想いを積み重ねていると考えられます。

生きている時間の全てが、そのことにつながっています。



その人は最高難度の人生に挑戦しているのかもしれません。

もしそうならば、哀れみを持つのは失礼であり、その勇気に敬意を払うべきだと思います。





地上での人生経験の乏しい人には、難度の高くない人生が提示されるでしょう。

何不自由のない身体と環境が与えられ、地上的なもの(金銭や地位)に恵まれて、大禍のない人生を送るかもしれません。

往々にして、難度の高い人生は不幸せに、易しい人生は幸せそうに見えます。

それは上辺であり、霊的な真相は全く違います。



計画された通りに行くとは限りません。

進む方向を決める自由が、私たちに残されているからです。

計画などすっかり忘れてしまっている地上の人が、進むべき方向を間違わないように、守護霊が付いて導いています。

迷った時は、インスピレーション(守護霊の導き)を信じましょう。



神は「法則」です。

そして「愛」です。

法則の働きの中に、神の愛が顕現しています。

全ての事象は、法則の働きによって起きています。

生まれて来るのも死ぬのも、法則の働きによるものです。

予定されていた出来事が、法則(因果律)の働きによって、最善のタイミングで起きています。

もし、法則の働きの中に神の愛が顕現しているのであれば、出来事は苦しませるために起きているはずはありません。

高みに導くことで、自らの心(愛)を私たちを通して顕現させるために起きていると考えられます。



「乗り越えられない出来事は起きない」という真理に私は救われました。

挫折させるためでも、人生を壊すためでもなく、望ましい自分に変わるために起きていたと、今は確信しています。

自分が変わることによって、それまでの苦しみから解放された時に、その出来事は乗り越えられたと考えられます。



さまざまな出来事を乗り越えて来た末に、ようやく死に辿り着きます。

それまでの苦しみは嘘のように消え、あるのは生き切ったという達成感です。

地上の人生を振り返る時が来て、出来事の意味(目的)を知ります。

その出来事が魂を目覚めさせ、大切な学びを得て、自分を変えていたことが分かるでしょう。



険しい人生で、苦しくつらい思いをした人ほど、霊的な高みに到達しています。

生れる前の自分は、高みに立てた悦びを感じるために、この人生を選んでいたことを思い出します。

予定されていた学びや成長が得られたのなら、次の世界でより価値のある奉仕ができるようになっています。


平地を歩いているのは楽です。

でも、何か物足りなさを感じます。

しばらく歩いていると、険しい山が見えて来ます。

その頂に立って、見たことのない景色を見てみたい欲求が再び生まれて、そちらに向かって歩み始めます。



つらく苦しい思いをするのが分っているのに、この人生を選んで生まれて来たのは、より自分を成長させたいという強い欲求があったからに他なりません。

成長することは、生きる意味そのものです。

つらく苦しい時ほど、地上を生きる意味を成就しています。

より高みに導かれています。






2024年7月7日日曜日

愛の存在を信じられる人はあの世の存在も信じられる


古今東西を問わず、権力者は老いや死を恐れているようです。

2000年以上前の中国で絶大な権力を誇った秦の始皇帝もその1人です。

徐福という家来に、不老不死の薬を見つけて来るように命じました。

徐福は東方にその薬があると聞き、海を渡り日本に来て、そこで死んだという伝説があります。

和歌山県の新宮市には、徐福の墓があるとされています。

徐福の墓 建立1736年 新宮市HPより

人間が地上を生きる年月は決められています。

どんなことをしても、寿命は延ばせません。

権力者は、幻を追い求めていたことになります。



目の前に不老不死の薬があったとします。

その薬を飲んでも良いと言われたとしても、私は絶対に飲みません。

死は肉体から意識の解放です。

地上生活の卒業です。

その先に大きな自由が待っているのに、何故、自分から放棄する必要があるのでしょうか。

真理を知った私にとって、不老不死の薬は猛毒のように感じられます。



権力者に限らず、死んだらお終いだと信じている人は少なくありません。

そんな人は、きっとこう言うでしょう。

「終わりでないのであれば、その証拠を見せて下さい」



死後の世界は、地上とは次元が異なるために、残念ながらお見せすることはできません。

証拠がないのならば信じるしかありませんが、あの世の存在を説くべき宗教が、人間の作ったドグマに固執して関係のないことばかりを言っています。

これでは信じられなくなるのも無理はありません。



「パスカルの賭け」というのがあります。

物理学者であるパスカルが、神が存在するのか?それともしないのか? どちらを選んだ方が賢明なのかを、科学者らしい観点から述べています。

神が存在するのを選んだ方が賢明と、パスカルは言っています。

そちらを選んでおけば、少なくても賭けに負けることはないからです。



あの世についても、信じていた方が賢明です。

信じていて、実際に存在していれば、その通りだったと思うだけです。

存在しなかったとしても、無になるので、間違っていたと悔しがることもありません。

信じていないで、あの世が存在していた場合は、混乱は避けられないでしょう。



死んだら終わりだと思うと、したいことをしようとする気持ちになります。

問題なのは、どんなことをしても、無になってしまうので構わないだろうと考える人がいることです。

自分の想ったこと、言ったこと、行ったことに対して、自然法則が働いています。

相応の結果が生じて、反していれば苦痛による償いが発生します。

嘘を付いたり、悪いことをするのがいけないのは、道徳的な問題ではありません。

霊的な法則に反しているからです。

あの世がないと信じている人の多くは、そんな法則など存在しないと思っているので、この世で罪を重ねてしまう可能性があります。



誰が何度やっても同じことが起きるのが法則です。

地面に物が落ちるのも水が100°Ⅽで沸騰するのも、(物質的)法則の働きによるものです。

愛されると悦びを感じます。

愛する人との別れは悲しみを感じます。

これも誰が何度経験しても同じです。

感情が生まれるのも、(精神的)法則の働きによるものです。



生れるのも、成長するのも、老いるのも、死ぬのも、自然現象の一環です。

自然現象に偶然はなく、自然法則の働きによって起きています。

法則の働きによって起きているので、完全な公正が保たれています。

証明することのできない法則も、信じるしかありません。



証明することができないけれども、存在しているものは他にもあります。

それは「愛」です。



愛は霊的次元の存在です。

従って、五感に触れません。

霊的次元に存在する愛は、この世では体験を通して感じ取るしかありません。


ある出来事が、第二次世界大戦下のアウシュビッツ強制収容所で起きました。

収容所から脱走者が出たのです。

罰として、同じエリアにいた人たちの中から無作為に10名が選ばれて、連帯責任を取らされることになりました。

その内容は残酷極まるもので、部屋に閉じ込めて飢死させるものでした。

選ばれた1人の男性が思わず「私には家族がいる」と叫びました。

それを聞いていたゴルベという神父が、自分が代わりになると申し出ました。

申し出は聞き入れられ、ゴルベ神父はその男性に代わって部屋に入り、2度と生きて出て来ることはありませんでした。(最期まで讃美歌を唄って励ましていたそうです)

身代わりになってもらった人が、強烈に感じたのは「愛」です。

収容所から解放された後、自分が体験して得たことを世界各地で講演して回ったそうです。



あの世は深遠な愛の世界です。

愛は宇宙を進化させる根源的なエネルギーであり、あの世では実感を伴います。



地上では酸素を含んだ空気により私たちは生かされています。

あの世では愛を帯びた生命エネルギーが充満し、それによって生かされています。



生きる目的は、自分(魂)を成長させることにあります。

苦難を乗り越えて行くこと、愛を表現することで、人は成長して行きます。

多くの苦が取り払われているあの世では、他者に愛を表現することで目的が成就されると考えられます。



地上の空気と同じように、あの世では愛はありふれた存在です。

ありふれているがゆえに、その意味や大切さに気付けない人がたくさんいます。

かと言って、誰かに教えてもらうわけにも行きません。



空気が少なくなると、途端に息苦しくなります。

息苦しくなることで、空気の存在が強烈に意識されるようになります。

生きて行く上で欠かせないものであることを知ります。



愛も同じです。

霊的な感覚が前面に出ているあの世では、何もしなくても愛を意識することができます。

ところが、地上に生まれると肉体(五感)によって遮られて、意識できなくなります。

深甚な体験をすることによって、魂が目覚めて、霊的な感覚が蘇り、再び意識されるようになります。

収容所で身代わりになってもらった人ではありませんが、極限まで追い詰められる体験によって、愛が最も大切であることに気付いて、後の成長へとつながって行く人がいます。



ありふれたものほど大切です。

けれども、長く同じ状態でいると、それが分からなくなってしまいます。

あの世でありふれた存在になっている愛を、五感で感じられなくなる地上において、体験を通して改めて意識し、新たな学びを加えるために生まれて来た人もいます。



魂に刻み込まれた霊的な学びは、あの世に持ち帰ることができ、全て活かされます。

新たな学びが加えられ、深みを増した愛によって、より次元の高い奉仕ができるようになります。



愛を表現することで個々の魂は成長し、それが全体の進化へとつながっています。

全体に調和が生まれて、美しさを増しながら、1つになって行きます。



愛の存在を信じられる人であれば、あの世の存在も信じられるはずです。

愛が生まれているのも、感じているのも、同じ次元に存在している魂です。

肉体から完全に離れた魂が赴く先が、あの世です。

そこが真の住処です。


くぅとしの「認知症の犬しのと介護猫くぅ」より
 




2024年5月26日日曜日

神の心


神の存在は信じていませんでした。

宗教上の産物であり、一生無縁と思っていました。

20年前に霊的真理と出会い、その考えは一変しました。



神は存在しています。

ただ、宗教で言われているような、第3者的な存在ではありません。

霊的真理(シルバーバーチの霊訓)で「神は法則」と知りました。



もし法則がなければどうなるでしょう?

石を空に向かって投げると、ある時は地面に落ちて来て、ある時は大気圏外まで飛んで行ってしまいます。

この世界は偶然に支配され、極めて不可解なものになるでしょう。

宇宙の秩序は、法則の働きによって保たれています。



全宇宙と全法則の総称を神と考えています。

神のエネルギーによって全てが創られ、神の法則の働きによって全ての事象が起きます。

神とは全てです。



神には心があります。

神の心を一言で表現するならば「愛」です。

私たちは神の心を表現する、神の一部として存在しています。

人を傷つけたくない、人を助けてやりたい、誰に教えられたわけでもなくそう思うのは、生まれながらに良心と言う神が宿っているからです。



神の心は、法則の働きの中にも顕現しています。

神の心(愛)に反した行いをすると、法則の働きにより苦痛が生じます。

わがままばかり言っていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

神の心(法則)に適った行いをすると、喜びが生じます。

人を助けて喜ばれると、自分まで喜ばしい気持ちになります。

私たちは、痛みと喜びを通して法則の働きを学びながら、愛を表現する方向へと導かれています。



愛は五感に触れません。

地上ならでは経験を通して、愛を認識することになります。



病気や障がいによって、愛の大切さに気付くことがあります。

ベートーヴェンは音楽家としてこれからと言う時に聴力を失いました。

絶望の中で死も考えましたが、苦しみの末に家族や友人そして自分自身への愛を見い出し、生き続けることができたそうです。(第九の中にその過程が表現されていると思います)



医学で為す術がなくなり、追い詰められた人がいます。

ヒーリングを受けて病気の痛みから解放された人の中には、人智を超えた神の愛に感謝する人もいるでしょう。

苦しみや痛みや悲しみの経験は、愛を認識するために、欠くことのできない触媒になっています。



作家の三浦綾子さんの代表作の1つに「塩狩峠」があります。

主人公の青年を乗せた汽車が、峠の頂上に差し掛かった時に連結部が外れてしまい、客車がゆっくりと下り始めてしまいます。

鉄道員でありクリスチャンでもある主人公が、暴走を防ごうとレールと車輪の間に自分の身体を挟んで、大惨事になるのを防いだという物語です。

これは実話であり、イエスの説く自己犠牲を究極の形で体現したものとして書かれていますが、実際に客車に乗っていて命が助かった人たちは、愛について深く考えさせられたのに違いありません。

死によって、愛の意味を知る人もいます。



神の心(愛)を表現すると、神と同調して、神的なエネルギーが流れ込みます。

人に優しくすると、自分の心がほのかに温かくなるのを感じるのはそのためです。



東日本大震災があった直後のワールドカップで、なでしこジャパンは奇跡的な優勝を果たしました。

ダメージを負った日本のためにと奮闘している時、神の心と同調して、神的なエネルギーが流れ込んで、想像以上の力が発揮されたと考えています。



塩狩峠で殉死した青年ですが、乗客を助けようと言う想いが、神の心と同調して、神的なエネルギーが流れ込んで、死の恐怖から免れていたと考えられます。

イエスの「全き愛は恐れを知らない」と言う真理を実践していました。

これ以上、地上を生きる必要がないほど、霊的に進化していたと考えられます。


死んで霊界に行くと肉体はなくなり、五感は消滅します。

地上で視えている物は視えなくなり、地上で視えない思念が視えるようになります。

愛が光輝となって、魂から放たれているのが分かります。



地上で愛を深く知ることで、より高い愛を表現できるようになっています。

試練を乗り越えて来たことで、より強い愛を表現できるようになっています。

生れる前より光輝を放つようになっていたのなら、地上の経験は活かされたことになります。



愛を表現することが何故必要なのでしょう?

創造的なエネルギーが物的なエネルギーに変換された瞬間、宇宙が誕生したと考えています。

物的なエネルギー(肉体)に、霊的なエネルギー(魂)が宿った瞬間、生命体が誕生したと考えています。



物的な存在が引力により引き付け合うように、霊的な存在は愛により引き付け合います。

ばらばらになった個々の生命が、愛によって引き付け合い、霊的に1つになって行く、それが宇宙を創造した神の意志と考えています。



愛が引き付け合うのに対して、愛に反する想いは反発し合います。

今、世界で起きている争いは、愛に反する想い(怒り、憎しみ、恨み)が表現された結果です。


怒りや憎しみの想いに駆られて争いをしている人たちに、宇宙空間から地球を眺めてもらいたいです。

地球が1つの生命体であり、強烈なオーラを放っているのを感じるでしょう。

人を傷つけるのは、自分を傷つけるのと同じであり、最も愚かな行為であることに気付くでしょう。



個々の生命は、全体のためになくてはならない存在です。

運命共同体であり、霊的につながっています。

全体が見えなくなってしまうと、そのことに気付けなくなります。



苦しみや痛みを伴いながら、愛を表現する方向へと向かっています。

長い、長い年月をかけて、法則の働きによって、世界は1つになって行きます。




2024年4月28日日曜日

法則の働きを知る


30数年前から、同業者(歯科医師)が集まる研修会に所属しています。

入会した当初、主宰されていた恩師の先生から言われた言葉が、今も心に残っています。

それは「知らないものが1番強い」でした。

言われた時は、その意味が良く分かりませんでした。

今は、知識がない人ほど、恐いもの知らずで、間違ったこと(治療)を平気でしてしまうという意味であり、無知な私を戒めていたと思います。



世界を動かしている人たちは、豊富な知識を持っています。

しかし、その多くは経済的、政治的なものであり、偏っている人も少なくありません。



世の中にはさまざまな知識が存在しています。

中でも、霊的真理は最も重要と考えています。

その理由は、全ての人が深く関っている「法則」について書かれているからです。



アルコールを飲み過ぎると肝臓を壊してしまいます。

その行為が生物的な法則に反しているからです。

子供の頃、わがままばかりを言っていると仲間外れにされます。

わがままな言動に対して法則が働いています。

その結果として孤独になり、苦痛を味わうことになります。

生まれるのも、死ぬのも法則の働きによるものです。

起きている現象に、偶然はありません。



自分の言ったこと、行ったこと以外に、人に知られない自分の想いにまで、法則は働いています。

怒りの想いを抱くと血圧や脈拍は上昇し、悲しみの想いを抱くと涙が出るのも、法則の働きによるものです。

怒りなどの抱き続けると病気になることがあります。

それがいけないことだと、法則の働きによって知らされます。



世の中を動かしている人は、全体に貢献するために、その力が与えられています。

けれども、そのことを信じないどころか、力によって支配しようとする人もいます。



力によって支配できるのは形(外面)だけです。

人の内面まで支配することはできません。

それを知らない人は裸の王様のようです。



内面では、自我が働いています。

自我には、地上で自己表現するための自我(以下地上的な自我)と、霊界で自己表現するための自我(以下霊的な自我)が存在していると考えています。

自我からは、喜び、怒り、悲しみ、怖れなどの感情が生じています。

悲しみ、怒り、怖れは地上的な自我から生じていると考えられます。



喜びには、「地上的な自我」から生じているものと、「霊的な自我」から生じているものがあると考えています。

権力や富を得た時の喜びは、地上的な自我から生じています。

霊的な自我から生じている喜びとは、魂の成長にかかわるものです。

困難や障害を乗り越えた時、愛を表現すること、役に立つことに喜びを感じるのは、法則の働きによって、魂が成長する行いに対して、喜びが感じられるようになっているからです。

私たちは、喜びと痛みによって、成長する方向に導かれています。



愛は、魂から生じている霊的な力です。

地上的な自我(精神)から生じている感情とは次元が異なります。

魂は自我(精神)より高い次元にあるので、愛はあらゆる感情を支配する力を秘めています。



例えば、怒りの感情ですが、許すという自己犠牲(愛)によって鎮められます。

悲しみの感情も、愛によって慰められます。

怖れの感情も、愛によって和らぎます。

苦痛を伴うさまざまな感情を癒すものは愛です。



戦争がいつまで経っても終わらないのは、エゴから生まれた怒りや憎しみの感情を表現しているからです。

因果律の働きによって同じ感情が返って来るだけであり、解決に向かうことは決してありません。

エゴから生じた戦争は、次元の高い愛でしか解決できません。

私たちは苦しみや痛みを通して、そのことを学んでいます。


ところで、地上的なものを得ることに大きな喜びを感じていた人が、霊界に行くとどうなるのでしょう?

喜びを感じられる対象が消滅してしまうために、生きる喜びが感じられなくなります。

魂の成長を促す、霊的な喜びを見い出すために、再び地上に生まれて来ることになるでしょう。



エゴに翻弄されて、戦争を始めた人はさらに哀れです。

自分が与えた、苦しみや痛みや悲しみの1つ1つに、責任を負わなければいけません。

気の遠くなるほど膨大な償いをしなければならず、何度地上に生まれなければならないのか想像も付きません。

知らない人が、やはり1番強いのです。



優しさ、思いやり、友情、寛容、協調、博愛の精神を大切にしてきた人が霊界に行くと、同類の人たちに囲まれて、助け合うことに喜びを感じながら生きるようになります。

誰かが喜ぶことをすれば、自分の成長につながり、自らの喜びとなります。

目に視えない世界では、目に視えない愛に関わるものが何よりも大切になります。

愛が最大の力であることを知ります。



愛を帯びた法則が、宇宙の隅々まで行き渡っています。

法則の働きによって、生命はより高い愛を表現するように進化して行きます。

愛を表現することで、全体は調和しながら、霊的に1つになって行きます。


NGC1961:NASA公開画像より


2023年12月10日日曜日

ゴールに向けて走り続ける


今、男子マラソン選手の世界記録が、2時間を切ろうとしています。

1964年の東京オリンピックで、金メダルを取ったエチオピアのアベベの記録が2時間12分台ですから、随分と短縮したものです。


マラソンは42.195㎞走ると、ゴールを迎えます。

地上の人は、予定された年月(寿命)を生きると、死と言うゴールを迎えます。



マラソン選手は、タイムを1秒でも縮めることを目標にして走っています。

全ての人間は、自分を成長させることを目的として生きています。

自分(魂)があからさまになる霊界において、足りない部分、不完全な部分を自覚します。

地上での経験を通して、足りない部分を補うため、不完全な部分を完全に近づけるために生まれて来ます。



マラソンは決められたコースを走ります。

人生のコースも、予め決められています。

自分を成長させるのに適したコースを、私たちは生まれる前に選んでいます。

もし、コースが決められていなかったとしたら、成長とは関係ない出来事ばかりを経験することになり、いつまで経っても必要な学びが得られません。



人生のコース(シナリオ)は、完全なる叡智により立案され、私たちはそれを了承して生まれて来ています。

予定されていた出来事が、因果律の働きによって、人生のどこかで生じます。


人生のコースは予め決められていますが、人間には自由意志が与えられています。

そのために、決められていたコースとは違う方向に進んでしまう時があります。

そのまま進んで行くと、誤った方向に進んでいることに気付かせるような出来事(失敗や頓挫)が起こり、決められていたコースに戻ることもあるでしょう。

気付かないまま一生を終えたのなら、予定された学びや成長が得られずに、もう1度地上に生まれて来ることになります。

そうならないように、1人ひとりに守護霊が付いていて、決められたコースを進んで行くように導いています。



マラソンでは、前半は体力が残っていて比較的に楽に走れます。

けれども、後半になると疲れが出て来ます。

ゴールが近くなると体力は限界に近づき、テープを切った瞬間に倒れ込む選手もいます。



人生も同じかもしれません。

年を取るのに従い、知力体力が衰えて来ます。

精も根も尽き果てた時に、死と言うゴールが待っているような気がします。



マラソン選手はゴールすると、走り切った歓びを感じるでしょう。

しばらくの間休息し、回復したら次の試合に向けて練習を始めます。

少しでも良いタイムを出したいと思う限り、それが繰り返されます。



人は死と言うゴールを迎えると、圧倒的な解放感を感じながら、この世を生き抜いた悦びを感じます。

そして、これが最終的なゴールではないことを自覚します。

霊界でしばらく過ごした後に、再び地上という修練の場に生まれます。

少しでも成長したいと思う限り、それが繰り返されます。



マラソンの大会には、たくさんの選手が参加します。

1人で走るよりも、競い合う中で、タイムは向上します。


地上には、自分と違う人がたくさんいます。

周りに同質の人しかいない霊界よりも、違う人たちに囲まれながら暮らす方が、寛容や自己犠牲の精神が身に付けられ、霊的に成長します。



なぜ、マラソン選手は走り続けるのでしょう?

自分を向上させ、試合で良い結果を出すためです。

それでも、体力の衰えには抗えないので、現役を引退する日がやって来ます。



なぜ、永遠に生き続けるのでしょうか?

生命の本質は魂です。

進化して行くように定められていて、ゴール(完全)に到達するのには、無限の過程を必要とするからです。



マラソン選手は目的があって走っています。

けれども、地上の人は誕生すると同時に、生きる目的が分からなくなってしまいます。

そのため、目的を果たすための出来事が起きたとしても、何で自分がこんなつらい思いをしなければならないんだと、憤りを覚えることさえあります。



宇宙の隅々まで自然法則が働いています。

厳しい練習を積むことでタイムが縮まるように、苦しみを伴う出来事を乗り越える過程において魂は成長します。

マラソン選手の中には、月に1000km以上走る人もいるそうです。

走った距離は裏切らないと言われますが、地上は不確実な世界のため、努力しても必ずしも結果として報われるとは限りません。

自然法則は働きは完璧です。

次の世界に行くと、霊的に報われていたこと、公正が完全に保たれていたことを実感します。



長い距離を走り、肉体に負荷がかかり続けると、選手は苦しみを感じます。

そんな時に、脳内にβ‐エンドルフィンという神経伝達物質が放出されることがあります。

この現象が起きることにより、苦しみは和らぎ、幸福感や高揚感が得られます。

俗に言う、ランナーズハイと呼ばれるものがこれに当たります。

怪我などで、極度の苦痛を感じた時にも、同じ現象が起きると言われています。



20年近く前、それまで味わったことのない屈辱的で挫折的な出来事を、私は経験しました。

解決する手段は見つけられず、精神的に追い詰められて行きました。

先の見えない暗闇の中にいた時に、それまで気にも留めていなかった霊的真理の言葉が光り輝き出しました。

関心は、地上的なものから霊的なものに移りました。

目に視えない「魂」や「愛」や「想い」を、強く意識するようになりました。

苦しみや悲しみは、眠っている魂を目覚めさせ、真理を受け入れるための触媒です。

魂が目覚めることで、出来事を乗り越えようとする力が生まれました。



肉体に負荷がかかり続けると、苦しみを和らげる物質が脳内に放出される現象が起きるように、精神に大きな負荷がかると、魂が目覚めるという現象が起きて、苦しみから解放されることがあります。

そのどちらもが自然現象です。

偶然ではなく、自然法則の働きによって起きています。

法則を創った存在は、苦しみの最中にいる人を、乗り越えさせようとしていると推察されます。

深遠な愛を感じずにはいられません。



出来事は、自然法則の働きによって起きています。

自然法則の働きは、愛に裏打ちされています。

挫折させるためでも、苦しめるためでもなく、成長させるために起きているので、乗り越えることができるのです。



私たちはゴールに向けて走り続けています。

いつの日か歓喜の瞬間がやって来ます。






2023年11月12日日曜日

自然法則の働き

 

「人に親切にしましょう」

子供の頃、親や先生から良く聞かされた言葉です。

「何で親切にするの?」と、子供に聞かれたらどうでしょう?

善いことだからと、答える人もいるでしょう。

自分がしてもらいたいことを、人にしてあげるのよと、答える人もいるかもしれません。



一般的に、法律に触れることは悪いとされています。

人の身体をナイフで傷つければ、法律に触れて罪が問われます。

けれども、人の心を傷つけても、罪を問われないことが多々あります。



この世では、善悪の基準は実にあいまいです。

それでは、真の善悪の基準とは何でしょう?



この宇宙の隅々にまで自然法則が働いています。

自然法則に適っていれば「善い」行いであり、反していれば「悪い」行いと定義できます。

今、子供に聞かれたとしたら、「人に親切にするのは、自然のきまり(自然法則)に適った行いなので、どんどんするべきだよ。人を傷つけるのは反する行いなので、決してしてはいけないよ」と答えるでしょう。

そして「自然のきまりに適った行いには善い報いが、反した行いには悪い報いが必ずあるんだよ。だから、いじめなどしてはいけないんだ」と付け加えるでしょう。



自然法則には、いくつかの種類があります。

万有引力の法則など、物質的な自然法則は検証が可能であり、本から学ぶことができます。

霊的な自然法則は検証が不可能であり、経験を通して学んでいます。



霊的な自然法則の根幹を為しているのは「愛」です。

我がままを言ったり、自分勝手なことをすると、仲間外れにされて痛い思いをします。

それは自然法則の働きによるのものであり、愛に反した行いをしたからです。



親切にして喜ばれると、こちらまで喜ばしい気持ちになります。

それも自然法則の働きによるものであり、愛に適った行いをしたからです。

私たちは、自然法則の働きによって生まれる痛みと喜びを通して、愛を表現する方向に進んでいます。



同じ行為であっても、動機によって自然法則の働き方は違ってきます。

愛に根差した動機であれば、その行いによって人は成長します。

恵まれない人たちのためにと、お小遣いを溜めて寄付した子供たちは成長しています。

周りから評価されたいなど動機が利己的ならば、いくら多額の寄付をしても、子供たちのような成長は得られません。



毎日の仕事や家事はどうでしょう。

多くの人は、生活して行くために、必要に迫られて行っています。

動機が自分の生活のためであっても、結果的に社会や組織や家族に奉仕をしていることになり、長い間、続けていれば相応の成長が得られると考えられます。

何かをしなければ、生活して行けないのが地上です。

半ば強制的に何かをしている中で、私たちは成長しています。

同じ行いでも、生活のためではなく、誰かのために(という動機で)することができたのならば、より大きな成長が得られると考えられます。



一昔前は、利益を追い求めるだけの会社が多かったです。

今は、社会貢献をして利益を得るという意識に変わって来ました。

それは、自然法則の働きにより、社会が進化しているからと考えられます。

私が子供の頃は、障がいがある人は家で過ごしている人が多かったです。

今は、外で活躍する場が増えて来ました。

それも、自然法則の働きにより、世の中が進化しているからと考えています。

女性が社会で活躍し、男性が家事をするようになったのも、時代と共に人や社会が進化しているからと考えています。

自然法則の働きにより人や社会は、より自由で平等で利他的な方向へと向かっています。



今から500年前、日本は戦国時代でした。

県よりも小さい領土が1つの国となっていて、国同士で争っていました。

それが、長い年月をかけて1つにまとまり、日本と言う国家になりました。



世界も同じです。

初めは小さな領土から始まり、争いを繰り返しながら、次第に大きな領土となって行き、現在の国となっています。

小さな枠組みから大きな枠組みへと進んで行くのも、自然法則の働きによるものです。



現在の枠組みで終わりではありません。

さらに進んで、国という枠組みが、少しずつ取り払われて行くと思います。

どれ位、先になるのか想像も付きませんが、最終的に国という概念はなくなり、世界全体が1つの共同体になると考えられます。

その流れを、最も妨げてしまうものが「戦争」なのです。



余談ですが、宇宙には知的生命体が存在する惑星が無数にあると考えられます。

高度に進化した生命がいる惑星では、全体が1つの共同体になっているので、争いは全く起きないと想像しています。

争いがあるかどうかは、その惑星の進化の程度を的確に反映していると思います。



自然法則は人だけでなく、国に対しても働いています。

国のエゴ、あるいは過ちによって生じる苦痛を享受するのは、そこに住んでいる人たちです。

国を構成しているのは、個々の人だからです。

利己的な人が多くなるほど、国も利己的になり、争いが起きやすくなります。

他者を思いやる人が多くなるほど、他国を思いやるようになり、平和な国になります。

平和な世界を望んでいながら、自分のことしか考えないのでは、つじつまが合わないのです。



道端のタンポポは、ただ咲いているのではありません。

太陽の陽を浴びて、大気から二酸化炭素を吸収して、酸素を放出しています。

その量はわずかであっても、酸素を必要としている動物が生きるために、立派に役割りを果たしていることになります。

1人ひとりの人間も同じであり、全体のために何らかの役割りがあるはずです。



自分ひとりでは生きられません。

全体に支えられて生きています。

全体に支えられていると同時に、全体を支えながら生きています。

持ちつ持たれつ、相互扶助の関係です。

この意識は、地上に生まれる前に誰もが持っていましたが、肉体に宿り、五感で世界を感識するようになって、極度に薄れています。


宇宙から地上を見れば、国境線はありません。

陸地や海や空を通して、全てがつながっています。

地球全体が1つです。



個々が集まって、全体を形成しています。

地球全体が運命共同体です。

お互いがお互いのために生きています。

そのことを認識していれば、戦争は絶対に起こりません。



戦争がない世界を望むのならば、その一部である自分が変わるしかありません。

エゴを鎮めて、違いを認めて、寛容であるように努めなければいけません。

平和な世界を望むのならば、自分自身が平和な心でいるように努めなければいけません。

1人ひとりが変わって行けば、世界も変わって行くはずです。