2026年6月28日日曜日

自分を責めてしまう人へ

 

一昔前ですが、あるオリンピック選手がメダルを取った時に「自分で自分のことを褒めてあげたい」と言っていました。

妥協せずに、精一杯頑張って来たのを1番知っているのは自分なので、そんな言葉が出て来たのだと思います。



褒めるのとは逆に、失敗やミスをした時に、自分を責めてしまうことがあります。

心の中で自分を叱責する言葉を発していることがあり、それによりつらくなってしまうことがあります。



地上を生きている私たちは、「地上の自我」により自己表現をしています。

地上の自我からは、さまざま感情が生まれています。

怒りを伴った「許せない」という思いも、そこから生まれています。

自分を許せなくなり、自分を責めてしまうことがあります。



地上の自我とは別に、霊的な自我が存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

魂には神が宿っていて、そこから寛容心が発揮されると、霊的な自我に「許そう」とする想いが生まれます。

「許そう」とする自分と「許せない」自分の間で、せめぎ合いが起きることがあります。



地上の自我の働きが強い人と弱い人がいます。

地上の自我は肉体と密接に関係しているために、意識は「自分」に向かいやすくなります。

地上の自我の弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

霊的な感受性が高くなり、人の想いを感じやすくなるために、意識は「周り」に向かいやすくなります。



地上の自我の弱い人は、周りに迷惑をかけたり損害を与えたりすると、罪の意識が生まれて、自分を責めてしまう傾向があります。

一方、(地上の自我の働きの)強い人は、同じ状況になったとしても、自分を責めてしまうことは少なくなります。

自分を守ろうとする意識が働いて、自分以外のせいにしたのなら、罪の意識を感じることはありません。



自分を責めることに慣れてしまっている人がいます。

他人を責めるのと同じで、霊的に好ましいことではありません。

その中には、自分のことが嫌いで、自分のことを信じていない人がいます。



裏切られたり、嘘を付かれたら、その人のことが信じられなくなります。

同じように、自分を裏切ったり、自分に嘘を付いていると、自分のことが信じられなくなります。

慣れてしまっている人は、自分の想いに正直になるように努め、良心の声に従うことによって、少しずつ自分が信じられるようになって行くと考えられます。

信じられるようになったら、嫌いでなくなって来るはずです。



ある出来事が起きて、自分を責めてしまう人がいます。

その前に、考慮しなければいけないことがいくつかあります。



人生にはブループリントがあります。

もしかしたら、その出来事が起きるのは、予め決まっていたのかもしれません。



不完全な私たちは、過ちを犯す可能性があります。

それによって苦しみや痛みを味わい、悔い改めることによって償われます。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「これからもあなたは過ちを犯します。それに対して償いをします。その中で叡智を学ぶべきです。過ちを犯すために地上にきたようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間なら、今この地上にいないはずです



悔い改める必要はあります。

けれども、自分を責める必要はありません。

自分が行ったことに対して、神の法則が働いています。

それによって、相応の結果がをもたらされます。

自分自身で裁いて苦しむ必要はなく、全てを神(法則)に委ねれば良いのです。



この地上に生まれて来たのは、学び成長するためです。

自分を責めるのではなく、その出来事から何かを学ぶように努めなければいけません。



2026年6月21日日曜日

神の創ったこの世界を信じる

 

この車を見て、ある日突然ここに現れたと思う人はいないでしょう。

人間が設計して、人間の手によって作られ、人間が運転してこの場所に置かれたと、誰もが思います。



生命は偶発的に誕生したと言う人がいます。

細胞1つをとってみても、車よりもはるかに精緻で複雑であり、その考えには無理があります。

何者かが設計して、何者かにより創られたと考えた方が、はるかに自然です。

その何者かを、「神」と呼ぶことにします。



車は迅速に移動するための手段として作られました。

人間も何か目的があって、創られたと考えるのが妥当です。



目的もなく存在しているものは、何1つありません。

人体を観察すれば、全ての組織が全身のために存在していることが良く分かります。

たとえ目的が分からなかったとしても、個々は全体のために何らかの役割りを果たすために存在しています。


宇宙は神の心が具現化したものです。

神の心は無限の愛です。



そうであるならば、この世界はもっと愛に溢れていても良さそうです。

実際には、戦争、差別、貧困、人や動物を虐げる行いなど、神の心とかけ離れたことが頻繁に起きています。



宇宙には、無限の界層(世界)があります。

界層は、その場に放たれている波長によって決まります。

波長の高い(短い)世界ほど、神の心が忠実に表現されていると考えられます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「地上は宇宙の惑星の中で、最も進化の程度の低い部類に属します」

ショックを受けた一文ですが、神の心があまり表現されていない鈍重な世界に、私たちは生きています。



私たちは神によって創られた、宇宙(神)の一部です。

生命の本質である魂に神が宿っています。



けれども、私たちには肉体があります。

地上だけに存在する自我(以下地上の自我)が、肉体を使って自己表現をしています。

地上の自我は肉体と密接な関係にあるために、意識はどうしても自分(肉体)に向いてしまいます。

自分が空腹なのに、人に食べ物を分け与えるのは難しいのはそのためです。



私たちには、肉体とは別に霊体があります。

霊体を使って自己表現するために、霊的な自我も存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

そのために、魂に宿る神の心を表現しようとします。



日常生活では地上の自我を前面に出して活動しています。

ところが、火事で助けを求めている人がいるのを見たら、その奥にある魂が目覚めて、神の心を表現しようとします。

それにより、霊的な自我には「助けてあげたい」という衝動が生まれます。

けれども、地上の自我は「自分まで死んでしまう」と考えます。

さまざまな危険を伴う地上を安全に生きるために、霊的な自我の想いに対して、地上の自我は抑制的に働いていると考えられます。



地上には、さまざまな人がいます。

生まれる前にいた世界が違うのであれば、生まれて来る人間が違って来るのは当然です。

より多くの神の心を表現している人もいれば、ほとんど表現できていない人もいます。

その人の霊性の高低と、地上の自我の強弱によって決まると考えられます。



私たちは、神の心を表現するために存在している、神の媒体です。

そして、神の創った自然法則の働きによって、神の心をより表現できるように、成長進化して行く存在です。



神は存在しないのではありません。

地上では、神を感じられなくなるだけです。



霊界にいる時は、霊的な感覚が前面に出ているので、自分と神(宇宙)との間に一体感があります。

ところが、地上に生まれ肉体を持つと、五感が前面に出るために、霊的な感覚は後退してしまうために、神との一体感はなくなります。



神を感じられなくなる地上では、信じる必要があります。

かつての私も、神の存在など信じていませんでした。

信じていなくても、何の不都合も感じませんでした。



思い出してみると、恐くなった時や大きな不安に駆られた時に、何か絶対的な存在に無意識に頼ろうとしていました。

窮地に追い込まれた時、「神様助けて下さい」と、心の中で叫んだこともあります。

頭では神を信じていなくても、魂は神の存在をはっきりと認識しているためだと思っています。



神の存在が感じられなくなる地上では、霊界にいた時にあった安心感や一体感に代わって、不安感や孤独感が生まれます。

神の存在を信じる必要があるのですが、神の存在を明示して、信じるように促す役目を担っている宗教が、肝心の真理がドグマに塗り固められてしまっています。

現代を生きる私たちに、受け入れられないものが多々あります。

これからは、宗教に頼るのではなく、自分自身で神を見出す時代になって行くと考えられます。



今、私たちが生きているこの世界も、神によって創られました。

さまざまな人が生きていますが、それぞれがこの世界の中で役割りを果たしています。

さまざまな出来事も、全て神の法則の働きの枠内で起きていて、最終的に霊的な成長につながっています。



霊界にいては出会えない人に出会い、経験できないことを経験することによって、改めて神を見出すことは、この世界に生まれて来た1つの目的と考えられます。

自らの意志でこの世界を信じることは、神を信じることにつながり、一体感が取り戻されて、安心して生きて行けるようになるはずです。








2026年6月14日日曜日

今を生きるために


私の家には2匹の犬がいます。

犬たちを見ていて、自分もこうありたいなと思うことがあります。

それは「今を全力で生きる」ことです。



犬はどうして、今を全力で生きられるのでしょうか?

その理由の1つとして、過去や未来に捉われていないことが挙げられます。



人間は過去を思い出しては、悔やんだり、怒ったりします。

未来を想像しては、心配したり、不安を抱いたりします。

人間だから仕方がないと言えばそれまでですが、今の自分が未来の自分を作って行くと思うと、何とかしたいものです。



なぜ、過去に捉われてしまうのか?

過去の記憶は消そうにも消せません。

その記憶の多くは、特定の感情と紐付けされています。



私は幼少期に大きな犬に手を噛まれた経験があります。

そのために、しばらくの間、怖くて犬の傍に行けなくなりました。

過去の出来事によって生じた、怖れ、怒り、悲しみなどの感情が、今の自分に大きな影響を及ぼしていることは少なくありません。

けれども、それらの感情を自分の意志で消すことはできません。



十数年前ですが、山の中を放浪していたラブラドール犬のJ君を保護しました。

J君は立派な体格をしていて、ブリーダーの元で繁殖犬として飼われていて、身勝手な理由で山の中に捨てられたと推察されます。

ひどい仕打ちを受けて来たのでしょう、体には大きな傷があり、人間に対して強い不信感と怒りや怖れを抱いていて、威嚇しながら逃げ回っていました。

妻が1ヶ月くらい通って餌を与えて馴らして、どうにか捕まえることができました。



自宅の居間の片隅にJ君の居場所を作りました。

J君は、そこから飼い犬が私たちと遊んだり、甘えたりする様子をじっと眺めていました。

飼い犬のしろ

保護したJ君

「人間は怖くないんだ」と思ってくれたのでしょうか、徐々に距離が小さくなり、触れることができるようになり、散歩にも連れて行けるようになりました。

その先に、素晴らしい出会いが待っていました。

これ以上ないと思われる若いご夫婦が現れて、家族に入れてもらいました。(ご主人はJリーグチームのキャプテンでした)

怖れや怒りに支配されていたJ君ですが、奥様の深い愛情と、ご主人の強いリーダーシップによって、下の写真のように安心して今を生きられるようになりました。

劇的に変わったJ君(奥様のブログから引用)


人間も同じです。

心の中にそのような感情が占めていたら、今を安心して生きることはできません。

それらの感情を打ち消すことのできるのは、「愛」と考えています。



愛は魂から生まれています。

魂には神が宿っています。

けれども、魂や神は霊的なものであり、存在を証明することはできません。


動物を見て、「かわいい」とか「守ってやりたい」という気持ちが自然に生まれます。

それは、私たちに神が宿っているからです。

そこから愛が生まれているからです。




愛を証明することはできませんが、ほとんどの人は実感したことがあります。

愛は五感を超えたものであり、実感しているのは魂です。

目に見えない愛の存在を信じられるのであれば、目に見えない魂、そして愛の源泉である神の存在も信じられるはずです。




神は全宇宙です。

神の創った法則によって、全宇宙は進化成長を続けています。




全てが神です。

私たちは神の創った神の一部です。




神と自分は別個の存在ではありません。

神と自分の間に隔てるものは何も存在しません。



ところが、多くの宗教が神と人間は別個のものと説いています。

その理由は、神との間に入って、取り次ぎたかったからと考えられます。

真実が広まって行くことで、宗教を通して神とつながる時代は終わりを告げると考えられます。




神を信じることによって、霊的なつながりが強くなります。

神のエネルギー(愛)は無尽蔵です。

つながりを通して、内からエネルギー(愛)が湧き出します。




神が全宇宙であるならば、この世界を心から信じることができれば、負の感情は打ち消されて、今を生きられるようになると考えられます。




霊界に行くと、肉体も(地上の)自我もなくなります。

過去や未来と結びついている感情からも解放されます。

怒りや悲しみが生じるような出来事が起きることはなく、未来を憂いたり、心配したりすることもなくなり、永遠の今を生きるようになります。



地上に生きている限り、感情をなくすことはできません。

なくす必要もありません。

感情があるからこそ、人生が豊かになり、さまざまなことを学ぶこともできます。

けれども、今を生きられなくなるような感情に支配され続けてしまうと、本来の自分を表現できなくなり、地上で予定されていた成長が得られなくなる可能性があります。





「自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

自分を信じることは、自分に宿る神を信じることにつながります。

自分を強く信じられるようになれば、神とのつながりが深まり、内から湧き出すエネルギー(愛)によって、負の感情から解放されて、今を生きられるようになると考えられます。

地上では、その強い意志が求められているのかもしれません。



神とのつながりを深めるのは、一朝一夕には行きません。

若い時に、混み合った電車の中で、初めてお年寄りに席を譲った時、心がほんの少し温かくなるのを感じました。

その時は気恥ずかしさからと思っていましたが、今は神の心に適った表現をしたことにより、つながりが深まり、エネルギーを受け取ったためと考えています。



日常生活において、親切にしたり、思いやりをもって接したり、優しくしたり、励ましたり、慰めたり、労わったり、協力したり、助けたり、認めたり、許したり、感謝する、そんなささやかな行いによって、少しずつ神とのつながりが深まって行きます。

そのような機会に溢れているのが地上です。

今を有意義に生きていることになります。






2026年6月7日日曜日

愛は魂を引き付け合う力


なぜ、物が落ちるのか?

昔の人は、物には下に落ちる性質があると考えていました。

万有引力の法則の発見によって、物に地面に引き付けられる力が働いていて、落ちることが分かっています。



生まれるのも、死ぬのも同じかもしれません。

人は偶然生まれて、老いれば死ぬと、漠然と考えられていました。

生まれるのも、死ぬのも、自然法則(以下法則)が働いた結果であることが、霊的真理によって明らかにされています。



生命の本質は、肉体ではなく魂です。

生まれる前も、死んだ後も、魂に意識は存在しています。

地上に生まれて来たのは、この人生を経験しようとする意志があって、その意志に法則が働いた結果と考えられます。



意志があるところに、何かしらの目的が存在しています。

例えば、イエス・キリストは堕落した宗教から民衆を救い出すという目的(使命)があって、生まれて来たと考えられます。

それぞれの人に目的がありますが、自覚している人はわずかです。



全ての人に共通する目的は、霊的な成長です。

それなくして、生まれて来ることはありません。


緑の葉が、黄色から紅くなり、そして枯葉となって枝から落ちるのは自然現象です。

水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのも自然現象です。

全ての自然現象は、その現象を支配している自然法則の働きによって起きています。



死も自然現象です。

自然法則の働きによって、肉体から魂の完全な分離が行われます。



枯葉が枝から落ちるのは、目的を果たしたからです。

地面に落ちて、その後、土に還ります。



この世の目的を果たした人には寿命が訪れます。

死によって、肉体は土に、魂は霊界に還ります。



年を取って死ぬのならともかく、生まれて直ぐに亡くなった子供も、目的を果たしたと言えるのか?

そんな疑問を持つ人もいると思います。



自然法則の働きは完全です。

偶然が入り込む余地も、手違いも全くありません。

生まれて直ぐに亡くなった子供は、両親や家族の学びや成長を促すことを目的として、生まれて来たのかもしれません。



「無になった」「もう会えない」と思い、身悶えるような苦しみを感じている人がいます。

苦しみは、真実を受け入れるための触媒であり、法則の働きによって生じています。

「生命は永遠である」という真実を受け入れた時、事実誤認による苦しみから解放されます。




悲しみにより魂が目覚めるのも、法則の働きによるものです。

目覚めた人の中には「この世界に愛より大切なものは存在しない」ことを悟る人もいるでしょう。

このように、一緒にいたら学ぶことができなかったことを学んでいると考えられます。



「愛する者同士は離れることはない」これも法則です。

物と物の間に引力が働いているように、魂と魂の間には愛という引き付け合う力が働いています。



地上にいる人と霊界にいる人が愛し合うことは可能です。

愛し合うために必要なのは、霊界にいる人の存在と想いを、心から信じることです。

信じることで障壁が取り払われ、両者の間にリンクができます。

リンクを通して、霊界の人は地上の人の魂に想い(愛)を伝えることができます。



何もしていないのに、急に心が明るくなったり、温かくなるのを感じたのであれば、それは霊界からの想いが届いたせいかもしれません。

ある考えが急に頭に浮かんだのであれば、霊界からの想いがインスピレーションとなって伝わって来たのかもしれません。

何かをしようとする衝動が生まれたのであれば、そうするように促されていたのかもしれません。



霊界にいる人は肉体がありません。

地上にいた時のように、愛を表現することはできません。

想いを伝えて、地上の人を励ましたり、勇気付けたり、導いたりすることで、表現しています。



地上の人の想いは、ダイレクトに霊界の人に伝わっています。

信じることさえできれば、愛する想いを伝えることができます。

信じることさえできれば、愛せない苦しみから解放されます。



次元を超えて愛し合うとは、五感で感じられなくても霊界の人の想いを信じること、五感で伝えられなくても想いで地上の人を導くことです。

同次元で愛し合うよりもはるかに困難な選択を、お互いの成長のためにしたと考えられます。




生きている目的は、霊的な成長にあります。

霊的な成長を促すために、法則は働いています。



霊的な成長とは、神の心を体現できるようになることです。

神の創った法則によって、神の心を体現できるように導かれています。



神の心は、全てを愛する心です。

愛することによって、全体が強く結ばれて、最終的に1つになります。





2026年5月31日日曜日

エゴと神性


記憶には上って来ませんが、生まれる前、私たちは霊界にいました。

周りにいたのは、霊的に似通った人たちばかりです。

同じことを感じ、お互いの想いが分り合えていました。




地上に生まれると、環境が激変します。

周りにいるのは、性格、考え方、価値観が違う人たちばかりです。

他にも、国、言葉、文化、宗教、肌の色など、さまざまな違いが存在しています。

何を想っているのかも、全く分かりません。

それが当たり前のように思えますが、特殊な世界に生きているのです。




地上では、違いを感じさせられる出来事が頻繁に起きます。

少し前ですが、散歩に行った時のことです。

連れて行った飼い犬が、ある家の前の路上でフンをしました。

汚さないように気を付けて処理をしましたが、家の人が出て来て、自分の家の前でフンをさせるなと怒られてしまいました。

動物の生理現象なので、そこまで言わなくても良いのではと、一瞬思いました。




動物が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。

その人にとって見苦しいものであり、気分を害されたのかもしれません。

些細な出来事ですが、感じ方や受け止め方が人によって違うことを改めて意識しました。




話は大きく変わります。

第二次世界大戦末期のことです。

連合国からポツダム宣言を突き付けられた時、当時の首相は(ポツダム宣言を)「黙殺」すると発言したそうです。

「ノーコメント」に近い意味合いで言ったのですが、アメリカ側に「軽蔑して拒絶する」と受け取られ(訳され)て、広島、長崎の原爆投下へとつながったと言われています。

想いや考えが正確に伝わらない地上では、このような事態が起きることは珍しくありません。




内面も外面も違う人たちと共に暮らし、他者の想いも分からず、正確に伝えられない地上では、軋轢や誤解が生じやすくなります。

軋轢や誤解から、怒りや怖れなどの感情が生まれて、争いになることもあります。



それらの感情や行動は、地上の自我(以下自我)の働きによるものです。

自我は肉体との結びつきが強く、自分を守るためにそのような感情が生まれ、行動していると思われます。




そんな世界を、平和に心穏やかに暮らして行くためには、どうすれば良いのでしょうか?

周りの人と自分が違うのが当たり前であることを、まず自覚する必要があります。

そして、他の人の違いを認めなければいけません。

他の人から見れば、自分自身も違っているのです。




肉体があるがゆえに、地上では過ちを犯します。

物質を介して表現しているので、行き違いが生まれます。

そのために、苦痛を感じたり、不利益を被る出来事が起きます。

自分に非がないのなら、相手を許せなくなっても、おかしくはありません。




許せなくなるのは、自我(エゴ)の働きによるものです。

怒りや憎しみの感情に捉われているうちは、自らを成長させることができなくなり、この世に生まれた目的を果たせなくなります。




許そうとしている自分もいます。

内なる神の働きかけを、常に受けているからです。

内なる神が、対象への憐れみ、寛容の精神となって顕現し、怒りや憎しみの感情から解放された時、許しが成立します。

自我(エゴ)から生まれるいかなる感情も、内なる神から生まれる愛には敵わないのです。





霊界では、初めからお互いを認め合っています。

許すような対象も存在せず、許すような出来事も起こりません。

想いが分かるので、信じる必要もありません。

想ったことは、リスクや労苦を伴わずに具現化するので、地上のように勇気を出して挑戦することもありません。




認めること、許すこと、信じること、勇気を出すことは、地上でしかできない経験です。

より多くの神性を発揮する機会が、地上では与えられています。




「明日は潜在する神性を開発し、人生を物質的、精神的、霊的に存分に楽しみ、周りに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。

困難や障害を伴う出来事が起きたとしたら、あるいは怒りや怖れを感じる出来事が起きたとしたら、それは神性を発揮する絶好の機会が訪れたと思えば良いのです。

どんな出来事であっても乗り越えて行けるのは、私たちには神が宿っていて、無限の力が秘められているからです。





エゴと神性はコインの両面のようなものかもしれません。

地上では、どちらかが必ず表になります。




エゴに打ち克ち、神性を発揮することは、生まれて来た大きな目的の1つです。

霊的な進化が促され、より高く強い愛が表現できるようになります。



2026年5月24日日曜日

神からのエネルギー


人間は食べ物を食べなければ生きて行けません。

当たり前だろうと言われそうですが、それは肉体に限った話です。



人間は、「肉体」と「精神」そして「魂(霊)」から構成されています。

脳は肉体の一部ですが、そこに精神は存在していません。

目に見えない精神は、目に見える肉体とは違う次元に存在し、次元の違うエネルギーによって活動しています。



生きる力の源は、魂から生じている「生命エネルギー」にあります。

生命エネルギーは次元変換されて、精神が活動するエネルギーとなっています。



生命エネルギーの供給源は、「神」と呼ばれる存在です。

神とは、全宇宙を創ったエネルギーであり、全宇宙を活動させているエネルギーです。



私たちは、神のエネルギーによって創られた、宇宙を構成している極小の一部です。

そして、神の創った法則の働きによって、宇宙の秩序は保たれ、進化を続けています。



身体と宇宙の仕組みは同じです。

1つ1つの細胞は、全身の一部として、全身とつながっています。

全身から細胞が切り離されると死滅するのは、全身を流れている血液を介して、酸素や栄養など生きるために必要な要素が供給されているからです。



1つ1つの生命は、全体(神)の一部として、全体とつながっています。

全体(神)から供給されている生命エネルギーによって、私たちは生かされています。

細胞を身体から切り離すように、生命(魂)を全体から切り離すことはできません。

霊的なつながりは断たれることはなく、生命エネルギーによって、魂は永遠に生き続けます。



残念ながら、生命エネルギーの存在を証明することはできません。

証明できなくても、生命エネルギーの働きを実感することはできます。

怪我をして傷口がパックリと開いてしまったとします。

医者に行き縫合してもらっても、それだけでは傷口は治りません。

そこに自然治癒力という生命エネルギーが働くことによって、切り離された組織がピッタリと付いて治って行きます。

ウィルスに感染したとします。

ウィルスの増殖を抑制し、病気が治って行くのは、免疫機能の働きによるものです。

その機能を発揮させているのが生命エネルギーです。



ヒーリングをしている時、生命エネルギーの流れを実感しています。

ピリピリとした感覚が指先に伝わって行くのが感じられますが、エネルギーを多く必要としている人はその流れが強くなり、ビリビリとしたものになります。

エネルギーを受ける人も、温みを感じたり、患部がピリピリとすることがあります。



歯科治療で来院された患者さんが乳がんであることを聞き、承諾を得て遠隔ヒーリングを行いました。

しばらくして、患者さんが驚いた表情である資料を持って来られました。

その資料は、免疫療法のクリニックで血液検査をしてもらった結果でした。(下のグラフ)

NK(ナチュラルキラー)細胞はがんを攻撃する免疫細胞です。

その数に変化はありませんでしたが、NK活性(赤丸)が特異的に上昇しているのが認められます。(何かあったのですか?と医師に不思議がられたそうです。)

ヒーリングによって、NK細胞が活性化されたと推察されます。

それにより、がんが縮小したり、消滅したりします。

生命エネルギーの働きが、客観的に示された一例と考えられます。




仕事をしていると、歯ぐきが腫れて、痛みを訴えて来る人がいます。

そんな人に「最近ストレスを感じていませんか?」と質問すると、多くの人が「はい」と答えます。



ストレスが免疫力を低下させるのは周知の事実です。

ストレスによって、生命エネルギーが精神的次元の活動に消耗されると、その下流にある肉体的次元に行き渡るエネルギーが不足します。

そのために免疫力が低下して、歯周病菌が増殖し、炎症症状が出ると考えられます。





供給される生命エネルギーは、精神状態(感情)によって左右されます。

喜びを感じている時や自信に満ちている時は、魂の窓が開かれ、供給される生命エネルギーは多くなります。

逆に、怖れや不安を感じている時や自信を失っている時は、少なくなります。

強い恐怖を感じると、頭が真っ白になり、体が動かなくなるのは、魂の窓が閉ざされて、生命エネルギーの供給が急激に少なくなるためと考えられます。



地上では肉体があります。

そのために、怖れや不安などの感情が生まれます。

それ自体はやむを得ないことですが、自由闊達な自己表現が妨げられてしまいます。



自分を信じることで、内在する神とのつながりは深まります。

神とのつながりが深まれば、より多くの生命エネルギーが流れ込むようになり、負の感情から解放されます。



それができない時には、こう自分に言い聞かせて下さい。

「自分は神によって創られた神の一部である。自分には限りない神の力が秘められているので絶対に克服できる。」

心からこう宣言できたのなら、内から生命エネルギーが湧き出して、負の感情に打ち克つことができます。



それもできない時には、霊界で守り導いている存在に、「勇気をお与え下さい」と想いを向けて下さい。

霊界から励ましの想いというエネルギーを受け取ることで、心が奮い立って、前に進んで行くことができるかもしれません。



想い(願い)は、何でも叶うものではありません。

誰かのために何かをしようとする想い、試練を乗り越えて成長する方向へ進もうとする想いは、神の心に合致しているので、因果律の働きによって、具現化するためのエネルギーが与えられると考えられます。








2026年5月17日日曜日

良心の声に従う


私たちの中にある心は1つです。

その心は、2つの自我(意識)が統合されたものと考えています。



地上の人は、魂(霊)、精神(自我)、肉体から構成されています。

正確に言うと、肉体の他に霊体も存在しています。

魂(霊)から生じた想いが、精神の働きにより、肉体を使って表現されています。

それが繰り返されることで、地上の人生は紡がれて行きます。



霊界にいる時は、魂から生じた想いは、魂と霊体との間に存在する精神の働きにより、霊体を使って表現されています。

その精神のことを、「霊的な自我」と呼ぶことにします。



魂が肉体と結合した瞬間、新たな精神が生まれます。

その精神のことを「地上的な自我」と呼ぶことにします。



地上の人は「魂」「霊的な自我」「霊体」「地上的な自我」「肉体」によって構成されていると考えられます。

「精神」と呼ばれているのは、霊的な自我と地上的な自我の総称と考えられます。

         

日常生活のほとんどが、この自我の働きによって、営まれています。

自分を守ろうとするのは、地上的な自我の重要な働きの1つです。

成長に伴って地上的な自我が発達して行きますが、子供は大人に比べてその働きが弱いため、自分を守ろうとする意識が低いと考えられます。

生まれたばかりの赤ちゃんは、極めて弱いために、無防備な状態と言えます。


世の中には、地上的な自我の働きが強い人がいます。

そんな人は、「自分」という意識が強いために、自分を誇示しようとしたり、自分を中心に物事を考える傾向があります。

「私が」とか「俺が」という言葉を頻繁に使う人や、他者の意見に耳を傾けない人は、地上的な自我の働きが強いと考えられます。



反対に、地上的な自我の働きの弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

そのため、「自分」ではなく「周囲」に意識が向きやすくなります。

周囲のことが気になったり、周囲からの影響を受けやすくなります。

(バリアのような役目を果たしている自我の働きが強くないために)思念に対する感受性が強くなり、心が傷つきやすいと考えられます。



霊的な自我は、魂から生じる想いを表現するための媒体です。

地上的な自我は、霊的な自我の想いを表現するための媒体です。

霊的な自我は、地上的な自我より、魂に近い媒体です。

魂から生じた想いを忠実に表現しようとしますが、地上的な自我の働きによって、表現が歪められたり、妨げられたりしてしまうことがあります。



私たちは神の心を表現するために創られた、神の一部です。

地上では、神の心は「良心」となって顕現しています。



神の心に反した行動をしようとする時に、止めようとする気持ちが生まれるのは、良心が存在しているからです。

神の心に従って行動をしようとする時に、それを妨げるような考えが生まれるのは、地上的な自我の働きによるものです。

良心と地上的な自我から生まれた考えとの間で、しばしば葛藤が生まれます。

自我から生まれた考えが、自分にとって都合が良く、利己性が見られたのなら、そちらに従ってしまうと、好ましくない結果が生まれます。



例えば、真夜中に車を運転していて、道路にいた人を撥ねてしまったとします。

「助けなければいけない」という良心の声に従い、救急車を呼ぼうとします。

けれども、「警察に捕まると会社をクビになる」とか「誰も見ていない」など、良心に反する行動を正当化する理由を、地上的な自我が考えてしまうことがあります。

助けるか、逃げるかで、葛藤が起きる人もいるでしょう。

自我に負けて逃げてしまうと、社会的な罪は大きくなり、長い間刑務所に入ることになるかもしれません。

捕まらなかったとしても、霊的な罪は魂に印記されて、その先で償わなければいけません。



話は変わります。

1890年、トルコの軍艦が日本を訪ねて帰国の途中、和歌山県串本沖で台風に遭い遭難しました。

地元の人たちは、自らの良心に従って、暴風雨の中で懸命に救助活動を行いました。

救助した人たちを手厚く看護して、回復後に帰国させたそうです。

この出来事はトルコで広く知れ渡り、日本人に対して強い親近感を覚えたと言われています。

日本とトルコの関係が良好なのは、この勇気ある行動が、今も「友好」という報いをもたらし続けているせいかもしれません。



これは極端な例かもしれませんが、良心に従うか、自我の考えに従うか、決断に迫られることは日常的に起きています。

良心が指し示す方向は、労苦や困難が待ち受けていることが、とても多いです。



良心に従って行動しようとする時、神の心と同調しています。

ラジオを同調させると電波が伝わって来るように、神の心と同調すると神から力が伝わって来ます。



勇気を出して進んで行こうとする人には、内から湧き出る力と、霊界からの惜しみない援助の力が与えられ、その行動が全うされるようになっています。

そして、霊的な成長という実りがもたらされます。

進んで行って、後悔することは決してありません。





2026年5月10日日曜日

地上に生まれて来た目的


留学して学位を取った、仲の良い大学の先輩がいます。

アメリカで学位を取るのは難しく、言葉の壁を克服しなければならないのはもちろんのこと、膨大な数の論文を読みながら知識とスキルを身に付けなければならず、審査も日本に比べて厳しいです。

その後、日本に戻りましたが、異国の地で学んだ経験は、今の仕事に十分に活かされています。



ふと、こんなことを考えました。

私たちは、地上という異次元の場所に留学しているようなものかもしれない。

目的は同じで、元いた場所では学べないことを学ぶためです。

けれども、その期間は数年ではなく一生です。

1度肉体に宿ったら、死ぬまで戻れないので、並々ならぬ決意で、地上に生まれて来たと思います。



本来の住処は霊界です。

そこでは肉体はありません。

食べて行くために働く必要はなく、病気や障がいも老化もありません。



周りにいるのは、自分と似通った人たちばかりです。

嫌いな人と会うことはなく、煩わしい人間関係もありません。



霊界では、肉体という障壁が取り払われています。

それにより、周りとの間に、霊的な一体感が感じられるようになります。

地上で自分に向いていた意識は、周りに向かうようになります



ミクロからマクロの世界まで、同じ神の摂理(自然法則)が働いています。

それぞれの細胞が、それぞれの役割りを果たすことによって調和が生まれ、全身が正常に機能することができます。

それぞれの生命が、それぞれの役割りを果たすことによって調和が生まれ、全体が健やかに生きて行くことができます。



もう1つ、大切な摂理があります。

与えられた役割りを果たし、誰かのために役に立つことで、人は悦びを感じるようになっています。



霊界では(低い界層を除いて)、お互いがお互いのために役に立つ悦びを感じながら生きていると思われます。

けれども、しばらくすると現状に満足できなくなります。

自分をもっと高めたいという欲求があるからです。

さらに次元の高い役割りを果たし、全体のために役に立ちたいと想うようになります。



いくら役に立ちたくても、自分にその資質がなければ、想いが叶えられることはありません。

役に立つために必要な資質が自分に足りないことを自覚した魂は、その資質を身に付けるために、地上に生まれようとします。

その意志に、因果律が働くことによって、最適な環境に生まれます。



いざ地上に生まれると、霊界では当たり前のように感じられていたことが、感じられなくなります。

五感が絶対的なものとなるので、それぞれの人は独立して存在しているように見えます。

それに伴い、一体感が感じられなくなります。

霊的な感覚は、五感に埋もれてしまいます。

そのために、実体として感じられた愛は、存在すら分からなくなります。



地上に生まれた瞬間、肉体と魂との間に自我が生まれます。

自分を守ろうとしたり、自分を優先しようとするのは、自我の働きによるものです。

助けを求めていたり、困っている人がいても、見て見ぬふりをしてしまうのも、自我があるためです。



普段、私たちは自我を前面に出して生きています。

ところが、いくら考えても解決できない、深刻な出来事に直面すると状況は一変します。

追い詰められた自我に代わって、その奥に隠れていた魂(霊的な自我)が前面に出て来ます。



前面に出た来た魂は、それまで意識することが少なかった、生命や愛など霊的なものを強く意識するようになります。

そして、霊的な真実を見つける人もいるでしょう。

見つけた人は、内部に変容が起こります。

霊的なつながりが深まり、克服する力が与えられる人もいるでしょう。



そんな出来事は、生まれる前に立てられた計画に従って起きているのかもしれません。

目覚めた魂が、霊的な真実を見つけることも、予定されていたのかもしれません。

もしそうであれば、見つけた真実を大切にし、守りながら生きることによって、必要だった霊的な資質が身に付けられているのかもしれません。



例えば、「勇気」という資質が足りなかった人がいたとします。

その人は重い病気を抱えて生まれて、人生のある時期に手術を受けなければいけなくなるかもしれません。

成功する確率が低い手術であれば、臨むのに相当な勇気が必要になります。

もし、無事に手術が終わり、生きながらえることができたのなら、勇気を出すことの意味を学び、それからの人生に活かして行くでしょう。

地上で培った勇気は、役に立つための強い意志に転化されて、霊界で活かされることになります。



「信じる」という資質を手に入れたかった人がいたとします。

その人は、全く動かすことのできない肉体に宿って、ベッドの上で過ごすことになるかもしれません。

周りの人からの援助がなければ、数日も生きられないことを、魂は知っています。

死の不安や怖れに押しつぶされずに生きるためには、人を信じるしかありません。

一生涯に渡って信じ続ければ、それは自分の資質となるでしょう。

信じられるようになった魂は、周りの魂との結びつきも強くなります。

地上で受け続けた援助によって、周りの人に愛を表現したくなるでしょう。



神の叡智は完全です。

さまざまな人の目的(原因)が絡み合い、全てが完璧に計算された上で、それぞれの魂の成長にとって、最善の結果が生まれるように、人生の計画が立てられていると考えられます。



何故、霊界ではなく地上の経験により、資質を身に付けなければならないのでしょうか?

安全で快適でリスクを冒す必要のない霊界よりも、肉体があり不完全な地上の方が、「勇気」を出さなければならない局面に恵まれています。

お互いが分り合えている霊界より、肉体があり相手の想いが分らなくなる地上の方が、「信じる」ことが求められます。



ロウソクの光は、明るい陽ざしの中では、その存在は分かりません。

暗闇の中で、はっきりと分ります。

霊的な暗闇が広がる地上だからこそ、霊的に大切なものが光り輝き出し、目覚めた魂が見つけることができます。






2026年5月3日日曜日

自分で決めて来た人生を歩みながら学んでいる


人生には計画(ブループリント)がある。

そう思ったのは、約20年前に起きた3つの出来事からです。

6月のある朝、ヒーリングの力が手から出ているのに気付きました。

そして、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

しばらくして、今までに経験したことのない苦難が起こりました。

人生を変える大きな出来事が、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きたので、鈍感だった私も偶然ではないと思いました。



望んでもいなかったヒーリングの力がこの時に発現することは、生まれる前に決まっていたと思います。

力が出た直後に霊的真理に出会えたのは、霊界の導きによるものです。

降りかかった苦難は、霊的真理を受け入れるために必要でした。

3つの出来事が密接に関わりながら起きていて、どれ1つが欠けたとしても、今の自分はなかったと思います。



「計画された人生を歩んでいる」

この真理を確信を持って伝えるために、自らがこのような経験をする必要があったと考えています。


人間には、成長したいという根源的な欲求があります。

もしなければ、苦労の多い地上に生まれる必要はなく、居心地の良い霊界でずっと過ごしているでしょう。

地上しかできない経験を通して、自分に足りない霊的な資質を手に入れて、魂を成長させるために生まれて来たと考えられます。

もし(霊的な資質の1つである)寛容さが足りないと自覚した人がいれば、それを手に入れるために、自分とは違う人と暮らさなければいけない環境に生まれ、許すことを強いられる出来事が起きる人生になるかもしれません。



人生の計画が立てられた時に、その環境に生まれて、その出来事が起きることを、自分の意志で決めていたはずです。

思念(意志)は具現化します。

その意志に因果律が働いた結果として、出来事が具現化すると考えられます。



もし、人生が偶然に支配されていたらどうでしょう?

自分の成長にとって必要な出来事が起きるのは、運任せになります。

何回地上に生まれたとしても、経験できるとは限りません。

既に経験した出来事が、重複して起きるかもしれません。



無限の愛、無限の叡智によって、人生の計画が立てられます。

そこに成長に必要な出来事が、組み込まれると考えられます。

最善のタイミングで、最善の出来事が起きることで、効率良く、短い期間で、霊的な学びが得られ、足りなかった資質を手に入れることができると考えています。

ただ、地上に生まれると、そんな計画があったことなど忘れてしまいます。

最悪のタイミングで、最悪の出来事が起きたと思うかもしれません。



人間には自由意志が与えられています。

計画に従って起きた出来事を、どのように捉えて、どのような行動をするのかは、本人に任されています。

運命や人生を嘆き続けてしまったのなら、そこから大切なことを学び取り、成長することはできません。

感情に支配された、何も残らない人生となってしまいます。



霊界に行くと、人生を振り返る時が訪れます。

あの出来事には、こんな意味が隠されていたのかと知って、驚く人もいるでしょう。

生まれる前に決めていたのと、違う生き方をしてしまい、予定されていた学びや成長ができなかったことを知ったのなら、後悔することになります。



どう捉えるのかは自由です。

ですが、自由には責任を伴うことを忘れてはいけません。

後悔が大きければ、もう一度地上に生まれて、同じような出来事を経験して、学び直すことになるかもしれません。



偶然はありません。

自分にとってどんな意味があるのかを、自分自身に問い質してみる必要があります。

おぼろげながら、その意味が見えて来る時もあるでしょう。



全く分からないのであれば、過去生に原因があるのかもしれません。

出来事の意味が分からずに、苦しんだり痛みを感じる日々がその人にとって必要であり、計画されていることがあります。

そうであれば、苦しみや痛みを享受し終わったのなら、その出来事から解放されるはずです。



学んでいない(知らない)ことから生れる苦しみがあります。

もし私が霊的真理に出会わず、因果律の働きを学んでいなかったのなら、20年前に出来事が起きた時も、何で自分だけがと不満や怒りが生まれ、苦しんでいたでしょう。

つらい日々に耐えられたのも、乗り越えられない苦難は決して起きないことを学んでいたからです。



大切な人を失って、もう2度と会えないと思うと苦しみが生じます。

魂(生命)は不滅であり、また会えるという事実を知ることで、その苦しみは和らぐでしょう。



傷つけられたり、貶められたりして、その人が何の罪にも問われなければ、理不尽さや怒りから苦しみが生じます。

霊的な罪が問われ、同等の苦しみや痛みによる償いをすることで、完全な公正が保たれていることを知れば、苦しみは和らぐでしょう。



シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「ある段階以上に進化すると、憎しみを抱かなくなります。苦しみを感じず、幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが真実です。」

多くを学んでいる魂ほど、憎しみに代わって哀れみを抱くようになります。

神性が発揮されることで流れ込む愛によって、苦しみではなく幸せが感じられるようになると考えられます。




どんな出来事が起きたとしても、苦しみとして感じられなくなった人は、地上に生まれて学ぶ必要がなくなり、霊界で成長して行くことになると思われます。






2026年4月26日日曜日

神性を発揮するために


私たちの本来の住処は霊界です。

霊界のことを知れば知るほど、素晴らしい世界だと思うようになりました。

死は喜びであると言われますが、そんな世界に戻れるのだとしたら、その通りです。



霊界では肉体がありません。

食べるために働く必要はなく、病気をしたり事故に遭うことはなく、老いることもありません。

生きるのに苦労することも、心配することもありません。



霊界は思念(想い)の世界です。

想ったことは、言葉を介さずに、電光石火に相手に伝わります。

思念は直ちに具現化します。

想いを伝えたり、形にするのに、苦労することもありません。



霊界で周りにいるのは、魂の似通った人ばかりです。

お互いに分かり合えているので、対人関係で苦労することもありません。



そんな快適で安全な霊界を離れて、何故、苦労の多い地上に生まれて来たのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。」

居心地の良い霊界にいるよりも、困難や障害があり、危険を伴う地上を生きる方が、多くを学び、自分を大きく成長させることができると思われます。

学び成長することを期待して、自らの意志で地上に生まれて来ています。


私たちは、神によって創られた神の一部です。

生命そのものである魂には、神性が内在しています。

神性は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって発揮されています。

人間の進化成長とは、より多くの神性が発揮されるようになることです。




地上は神性が発揮される機会に溢れています。

例えば、車で走っている時に道を譲るのも、ささやかですが神性が発揮されたことになります。

動物を可愛がるのもそうです。

困っている人を助けるのもそうです。

悩みを抱えている人の相談に乗るのもそうです。

悲しんでいる人を慰めるのもそうです。

誰かのために何かをしようとする時、そこに神性が発揮されています。




自分とは違う人を認めようとするのもそうです。

他者の過ちを許そうとするのもそうです。

神性が発揮されると、周囲との間に調和がもたらされ、いさかいを避けることができます。

無心になって仕事をしている時も、神性が発揮されていると考えています。




神性が発揮されるのを妨げているのは、自分自身です。

肉体がある地上だけに存在する自我によって、私たちは自己表現しています。

その自我には、自分の身を守ろうとしたり、快適に生きようとする働きが備わっています。

そのため、助けを求めている人がいても、無視してしまう時があります。

自我の働きが強くなると、神性が発揮されにくくなります。




シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「運命全体としての枠組みはできております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するのかは、あなたの努力次第だということです。」

計画の一環として、大きな壁のように感じられる出来事が立ちはだかったり、リスクを冒して挑戦しなければいけない時があります。




「自分には無理だ」という自我の声がした時には、こう宣言するようにシルバーバーチは勧めています。

「私には神性が宿っており、どのような状況も私を揺るがすことはできない。私の魂にはあらゆる困難に打ち勝つ無限の力があるのだ」

自我に打ち勝って、神性を発揮して乗り越えて行くことは、地上に生まれた大きな目的の1つです。




地上の人生は、生きているだけで知らずに負荷がかかっています。

登り坂をずっと歩いているようなものかもしれません。

坂が急になり、疲れ果てて、これ以上登れないという時もあるでしょう。

そんな時に、神性が発揮されると、一歩を踏み出す力が内から湧き出して来ます。



霊界では、何もしなくても生きて行けます。

けれども、それでは生きる悦びは感じられません。

全体のために、何らかの役割りを果たすことで人は悦びを感じ、成長することができます。




自分に望まれている、あるいは自分が望んでいる役割りが、霊界で待ち受けているのかもしれません。

その役割りを果たすために、どうしても身に付けなければならない、霊的な資質があったのかもしれません。

その資質を身に付けるのに相応しい経験をするために、地上に生まれて来たのかもしれません。




その経験は、困難や障害、挑戦を伴うことがほとんどです。

自分を強く信じましょう。

自分を信じれば、自分の中にいる神を信じることにつながります。

それによって神性が発揮されて、内から湧き出す力によって、必ず克服することができます。













2026年4月19日日曜日

霊的に結ばれた人との別れの目的


お口の中に問題や悩みを抱えた患者さんを毎日のように診ています。

ある日、奥歯が痛いと訴える患者さんがいました。

虫歯がないか確認しましたが見当たらず、レントゲンを撮って調べてみても、原因は見つかりません。

痛みの原因はストレスでした。

日中にストレスを感じて、寝ている時に歯ぎしりをして、解消していたようです。

歯ぎしりをすることで、歯に強い力が加わったために、痛みが出ていたのです。

目に見えない原因を見つけるのは、つくづく難しいと思いました。



人生で起きる出来事も、いくら考えても原因が見つけられない時があります。

原因が見つけられなければ、偶然として片付けるしかありません。



シルバーバーチの霊訓には、こうあります。

「一つとして偶然がないのです。偶発事故がないのです。全てが不変絶対の法則によって統制されているのです。」



これまでの人生の中に原因が見つけられなければ、それ以前に原因があるのかもしれません。

過去生に原因があって、その結果として出来事が起きているのかもしれません。

あるいは、その出来事を通して大切なことを学ぶ「目的」が存在しているのかもしれません。



大切な人を亡くされた人から、このブログにコメントをいただくことがあります。

その悲しみ深さから、結びつきの強さを思い知らされることがあります。



結びつきには、さまざまな次元のものがあります。

ご近所や職場の人たちとは、地上的な結びつきです。

友達同士は、精神的な結びつきです。

コメントをいただいた方の多くは、霊的に結ばれていると思いました。



導かれるようにして出会い、出会った瞬間、探していたものを見つけたような感覚があったのなら、出会うことが予定されていた可能性があります。

一緒に過ごす時間は、とても幸せだったはずです。

そして、早く亡くなることも予定されていたと考えられます。

霊的に結ばれている人との別れによって、身を引きちぎられるような感覚になる人もいるでしょう。



霊的に結ばれている人が、親子になる時もあります。

そうすれば地上で確実に出会えるからです。

親子以上の親近感を感じながら、幸せな時間を過ごしますが、その先に別れが待っているなど、知る由もありません。



血肉のつながりも付加されるので、いなくなると言葉にならないほどの喪失感、絶望感を覚えると察せられます。

最も大切な存在がいなくなってしまった理由を探しますが、どこにも見つけられません。



霊的に結ばれている人がいなくなれば、悲しみや苦しみが生まれるのは避けられません。

その悲しみや苦しみはどこから来るのでしょうか?



私たちの本来の住処は霊界です。

霊界では肉体がないので、意識は自分から周囲へと向います。

そこは、お互いがお互いのために生きる世界です。

霊的に結ばれた人同士が、愛を表現し合う世界です。



霊的に結ばれた人が、同時に地上に生まれたとしても、その関係は全く変わりません。

霊界にいた時と同じように、愛を表現し合いながら生きるようになります。

それ以上に、幸せを感じることはありません。



どちらか一方がいなくなると、お互いのために生きることができなくなります。

生きる目的を失ってしまったように感じるのは、そのためです。



行き場を失った愛が、悲しみとなります。

愛することのできない現実が、苦しみとなります。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「悲しみは魂に悟りを開かせる体験の中でもとくに深甚なる意味をもつものです。 それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚めさせるものです。」

別れの悲しみは、自我の奥で眠っている魂を目覚めさせるために、最も有効な手段と思われます。



目覚めた魂が、霊的な真実を見つけます。

「お互いがお互いのために生きること以上に大切なものはこの世界に存在しない」



愛について学びを深めることこそが、地上の別れの目的です。

先に逝った人は、そのことを知っています。

何も知らずに悲しんでいる地上の人に伝えたいのです。



次元を超えて信じ合うこと、愛し合うことは、霊的に結ばれた人にしかできないことです。

それができるからこそ、別れることになったのです。





2026年4月12日日曜日

戦争が起きる1つの理由



上の写真は、アルテミス計画で月に向かう宇宙船の窓から見た地球です。

漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球は、美しいオーラを放つ、1つの生命体のように感じられます。



月面に立ったある宇宙飛行士は「宇宙から地球を見た時、圧倒的な一体感を感じた。すべてがつながっているという体験だった。」と語っています。

地上と隔絶された環境に置かれて、霊的な意識が高まり、そのように感じる宇宙飛行士は少なくありません。



地上にいる私たちは、目に見えるものが全てだと思ってしまいます。

肉体があるために、個別に存在しているように見えてしまい、一体感は失われます。

意識は自分に向かい、自分を中心に考えるようになります。



最近になって、○○第一主義、○○ファーストという言葉を聞く機会が多くなってきました。

自分たちのことを最優先するのは、当たり前のように思えるかもしれませんが、他者はどうなっても良いという考えにつながります。

聞こえが良くても、自己中心的であり、利己主義者の言うことのように思えます。



宇宙は自然法則によって支配されています。

その法則を、神の心が貫いています。

神の心とは、「全体を想う無限の意識」と考えています。

一字で表現するのなら「」です。



利己的な行いは、法則(愛)に反しています。

因果律の働きによって、その行いを正すような結果が生じます。

周囲との間にトラブルが起きたり、無視されるなどして、苦痛を感じて、行いを改めることになります。



国家が利己的な行動をしていたらどうでしょうか?

周囲と国との間に、不調和が生まれます。

不調和が高じると、争いに発展します。

自国だけでなく、周りの国も巻き込んで、大きな争いに発展して行く可能性があります。



神が良心となって、私たちの中に顕現しています。

法則に適った(善い)こと、法則に反した(悪い)ことは、誰かに教えてもらわなくても分かっています。

法則に反したことをしようとする時、良心は声なき声で働きかけて、止めさせようとしています。



利己的な考えに支配され、良心の声が聞こえなくなってしまった人たちによって、戦争が引き起こされています。

そんな人たちを選んだ人や、容認している人も、似たような傾向があるのかもしれません。



霊界で立てられた計画が、地上で実行に移されています。

お互いの違いを、認め合うこと、信じ合うことで乗り越えて、慈しみ合うことで、人類は1つになって行く計画が立てられていると考えています。



戦争は街を破壊し、人を傷つけるだけではありません。

長い年月をかけて築き上げて来た、信じ合う心を壊してしまいます。

人と人、国と国とのつながりを分断します。

生まれるのは、怒りや憎しみ、悲しみや嘆き、そして恐怖です。



霊界で立てられた個々の人生の計画、人類の進化の計画を狂わすものが戦争です。

神の計画の実現を、最も遅らせるものの1つです。



シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「何千何万という人間が、何の備えもなく霊界に送り込まれている現実があります。その一人一人が休みなく私たち霊界の者に何らかの要求をしてきます。大変な数の人間が霊的無知のまま、あるいは誤った信仰を持ったままやってまいります。」

亡くなった人たちは、霊界の人たちの援助を受けて、新しい世界に順応して行きます。

戦争によって、平常時とは比べものにならないほどたくさんの人たちが、何の備えもないまま霊界に送り込まれて来ます。



そんな人たちの多くは、死んだことさえ分かっていないために、対応するのが難しいようです。

霊界の人たちは、それぞれに与えられた役割りを果たしていますが、それを中断して対応に当たっていると思われます。

地上で起きていることは、霊界にも大きな影響を与えているのです。



戦争によって、地上は不穏な空気に包まれます。

恐怖、不安、疑念、悲しみなどが生じると、霊界の人たちの地上の人たちへの接触が妨げられます。

霊界の人たちからのインスピレーションや援助を受けにくくなります。

それによって、事態がますます悪化して行く可能性があります。



国や人種や宗教は人間が精神上に作り出した概念です。

お互いを隔てるものは、どこにも存在しません。



私たちの本質は霊(魂)です。

霊的につながっていて、1つです。



この意識の欠如から戦争は起こります。

戦争を始めた人たちを宇宙船に乗せて、地上から離れた場所から地球を見せれば、(意識が変わり)少しは分かってもらえるのかもしれません。

それは無理なので、少なくても知っている者が、そのことを意識しながら生きて、伝えて行かなければと思っています。



2026年4月5日日曜日

霊界に行った子供たち


イラン南部にある小学校がアメリカ軍に誤爆され、170人以上の子供たちが犠牲になりました。

あってはならないことであり、亡くなった子供たちのご両親、ご家族の心中を想像すると胸が痛くなります。

ご存じのように、イランはイスラム教国家です。

イスラム教(シーア派)では、戦争で亡くなった子供たちはどうなると説かれているのかが気になり、調べてみました。

子供たちは無条件で天国に迎えられると言われています。

殉教者として見なされ、神に近い特別な存在として、天国で安らぎの中にいると言われています。

家族が来るのを天国で待っていて、時に導く存在になると言われています。



霊的真理に近いものがあると感じました。

生きていて、待っていてくれると信じることができれば、せめてもの救いになります。




誤爆で亡くなった子供たちは、どうしているのでしょうか?

直後は、その場に留まっていたと考えられます。

目の前に動かなくなった自分がいて、置かれている状況を全く理解できずに、混乱していたと思います。

無理やり肉体から引き離されたので、ショック状態に陥っていたと考えられます。



心配はありません。

霊界は助け合いの世界です。

ショックで茫然自失となっている子供たちの周りには、霊界の医師をはじめとして看護する人たちが集まって来ます。

その人たちから受ける献身的なケアと、降り注いでいる癒しのエネルギーによって、本来の自分を取り戻して行きます。

先に逝った肉親や知り合いがいれば、傍に寄り添って、これまでのいきさつを伝えるでしょう。



しばらくすると、ほとんどの子供が家に帰ります。

そこには嘆き悲しんでいるお父さん、お母さんの姿が見えます。

「自分はここにいるよ」と、いくら訴えても、全く気付いてもらえません。

体を叩いて教えようとしても、手が素通りしてしまいます。

家族とは違う世界にいることを、改めて実感することになります。



一人ぼっちになることは、決してありません。

子供が大好きで、愛情に溢れた人たちが付いて、不安や寂しさを和らげてくれるでしょう。

クラスメートや友達の姿も見つけるでしょう。


戦争などで、不意に霊界に行ってしまうことがあります。

亡くなった子供たちは、これから地上でさまざまな経験をする予定だったのに、それが叶わなかったので、 予期していた学びや成長ができなかったのではと考えてしまいます。



もしそうであれば、もう1度地上に戻ってやり直したいと訴える子供たちがたくさんいてもおかしくはありません。

けれども、そんな話はあまり聞きません。



神の公正は完璧です。

何の落ち度もなく、霊界に行った子供たちには、シルバーバーチの霊訓にある「埋め合わせの法則」が働いていると考えられます。



地上は肉体を介した経験によって、学び成長する場です。

私たちは何度も地上に生まれ、霊的資質を身に付けながら、向上進化して行きます。

一方、地上に1度も生まれずに、向上進化した(天使的な)存在がいると言われています。

地上での経験を必要としない、学びの方法があることになります。



子供たちに不満が生まれないのは、地上と同じ学びが、霊界でもできるためと考えています。

戦争で亡くなった子供たちに、このような埋め合わせの原理が働くことによって、公正が保たれていると考えています。


いきなり暗い海に落とされたとしたらどうでしょう。

絶望的な状況に、もう終わりだ、生きては行けないと思う人もいます。



戦争で子供を失った家族の中にも、そんな絶望を感じている人もいるでしょう。

生きて行けないと思う中で、生きなければならないほど、つらく苦しいものはありません。



愛は魂を引き付け合う力です。

生きている次元が違って、その姿が見えなくなっても、愛する者同士が離れてしまうことは、絶対にありません。



思念の世界にいる子供たちには、悲しみの本質が愛であることが分かっています。

とめどもなく流れる涙を見て、いかに愛されているのかを知ります。

地上を生きていては分からなかった愛の側面を、霊界から学ぶことになります。

そんな想いに応えて、つらい思いをしている家族に、励ましや労りの想いを送っているでしょう。



以前、このブログにコメントを送ってもらった、お子さんを亡くされたお母さんのことを思い出しました。

霊界にいるお子さんは、悲しみに堪えながら必死に生きているお母さんの姿を見ながら、たくさんのことを学んでいると伝えて来ました。



霊界にいる子供たちは、地上にいる人の傍にいて、その人が経験している出来事や想いを共有しているようです。

共有することによって、地上にいる時と同等の学びが得られ、それによって成長することができると考えています。



神の摂理は完全です。

愛で結ばれた者同士は、想いを共有し、共に成長して行くことができて、それによって埋め合わせが行われていると思います。

地上にいる人の経験が、子供の学びにつながることによって、早く霊界に行ったとしてもハンディは生じないと考えています。



この人生は、ずっと続いている物語の1章です。

何度も地上に生まれ変わり、物語を綴って行く中で、先の章で経験する予定だった出来事を、この人生で経験することになったのかもしれません。

この経験を通して得られた貴重な学びは、子供たちの魂にも刻まれていて、活かされているはずです。