一昔前ですが、あるオリンピック選手がメダルを取った時に「自分で自分のことを褒めてあげたい」と言っていました。
妥協せずに、精一杯頑張って来たのを1番知っているのは自分なので、そんな言葉が出て来たのだと思います。
褒めるのとは逆に、失敗やミスをした時に、自分を責めてしまうことがあります。
心の中で自分を叱責する言葉を発していることがあり、それによりつらくなってしまうことがあります。
地上を生きている私たちは、「地上の自我」により自己表現をしています。
地上の自我からは、さまざま感情が生まれています。
怒りを伴った「許せない」という思いも、そこから生まれています。
自分を許せなくなり、自分を責めてしまうことがあります。
地上の自我とは別に、霊的な自我が存在しています。
霊的な自我は魂と密接な関係にあります。
魂には神が宿っていて、そこから寛容心が発揮されると、霊的な自我に「許そう」とする想いが生まれます。
「許そう」とする自分と「許せない」自分の間で、せめぎ合いが起きることがあります。
地上の自我の働きが強い人と弱い人がいます。
地上の自我は肉体と密接に関係しているために、意識は「自分」に向かいやすくなります。
地上の自我の弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。
霊的な感受性が高くなり、人の想いを感じやすくなるために、意識は「周り」に向かいやすくなります。
地上の自我の弱い人は、周りに迷惑をかけたり損害を与えたりすると、罪の意識が生まれて、自分を責めてしまう傾向があります。
一方、(地上の自我の働きの)強い人は、同じ状況になったとしても、自分を責めてしまうことは少なくなります。
自分を守ろうとする意識が働いて、自分以外のせいにしたのなら、罪の意識を感じることはありません。
自分を責めることに慣れてしまっている人がいます。
他人を責めるのと同じで、霊的に好ましいことではありません。
その中には、自分のことが嫌いで、自分のことを信じていない人がいます。
裏切られたり、嘘を付かれたら、その人のことが信じられなくなります。
同じように、自分を裏切ったり、自分に嘘を付いていると、自分のことが信じられなくなります。
慣れてしまっている人は、自分の想いに正直になるように努め、良心の声に従うことによって、少しずつ自分が信じられるようになって行くと考えられます。
信じられるようになったら、嫌いでなくなって来るはずです。
ある出来事が起きて、自分を責めてしまう人がいます。
その前に、考慮しなければいけないことがいくつかあります。
人生にはブループリントがあります。
もしかしたら、その出来事が起きるのは、予め決まっていたのかもしれません。
不完全な私たちは、過ちを犯す可能性があります。
それによって苦しみや痛みを味わい、悔い改めることによって償われます。
シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。
「これからもあなたは過ちを犯します。それに対して償いをします。その中で叡智を学ぶべきです。過ちを犯すために地上にきたようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間なら、今この地上にいないはずです。」
悔い改める必要はあります。
けれども、自分を責める必要はありません。
自分が行ったことに対して、神の法則が働いています。
それによって、相応の結果がをもたらされます。
自分自身で裁いて苦しむ必要はなく、全てを神(法則)に委ねれば良いのです。
この地上に生まれて来たのは、学び成長するためです。
自分を責めるのではなく、その出来事から何かを学ぶように努めなければいけません。
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