2022年3月27日日曜日

戦争で亡くなった人たち Ті, хто загинув на війні

 

無用な涙が戦争によって流されています。

どれ位の人たちが、次元を異にして生きなければならなくなったのでしょうか。

この現実は到底受け入れられないでしょう。

生命の尊厳を踏みにじり、未来までも破壊してしまう、こんな愚かな行為はありません。



敵の攻撃を受けて、一瞬のうちに肉体から離れて(死んで)しまった人の多くは、そのことに気付いていません。

逃げ惑っていた人は逃げ惑い、戦っていた人は戦おうとしています。

しばらくして見慣れた人間が横たわっているのを見つけるかもしれません。

良く見ると自分です。

なぜ、ここで寝ているのだろうと思います。



駆けつけて来た家族が、「自分」を見つけて号泣します。

自分はここにいるのに、動かなくなった自分がそこにいて、家族が泣いている、状況が理解できません。

家族に呼びかけても、聴こえていません。

体に触れようとしても、手が素通りしてしまいます。

今までと、全く様子が違います。



周囲を見渡すと、生前親しくしていた、既に他界した人たちの姿があります。

皆、微笑んでいて、自分を歓迎しているようです。



ようやく、その時のことを思い出します。

あそこの場所で、撃たれて死んでしまったのかもしれない。

客観的な状況と記憶から、自分はもうこの世にいないことを徐々に自覚して行きます。



肉体はもうありません。

けれども、弾を受けた時の衝撃が幽体にも及んでいるのでしょうか、痛みのようなものを感じます。

予期せずに、肉体から引き離された魂は、少なからずショックを受けています。

次の世界には、そんな人たちを看護する施設のようなものがあり、連れて行かれます。

そこで手厚い看護(愛)を受けながら、少しずつ魂は癒されて行きます。



次の世界は、地上とは比較にならないほど、全てに渡って配慮が行き届いています。

忘れられたり、いい加減に扱われる人はいません。

親が生き残り、1人で逝った子がいたとしても、不安や寂しさを感じさせないような最善の配慮がなされます。

直ぐに最適な人がかけつけて、その子を慈しみながら面倒をみます。

1人ぼっちになることはありません。



肉体がないだけで、何も変わっていません。

意識が向くところに瞬時に移動します。

1番大事な人のところに赴くのは、ごく自然な成り行きです。



しかし、地上の人の悲しみのオーラが、近寄ろうとする人の障壁になります。

生きていて、傍にいることを何度も伝えますが、無反応です。

肉体を失うことで、地上の人に想いが伝えられなくなったことに愕然とします。



死によって、地上の生活は終わります。

次の世界に移行し、新たな生活が始まります。

地上に接した幽界にしばらくいた後に、生まれる前にいた霊界に戻ります。



しかし、戦争によって無理やり次の世界に移った人は、しばらくの間は戻りたいとは思わないでしょう。

地上にいる人が気になり、やり残したこともあるからです。

そのために、どうしても意識が地上に向きます。

地上の人が深く悲しんでいたり、自分を必要としているのを感じたのなら、放っておいて行く気にはなれません。



全ての現象は、自然法則の働きによって起きています。

戦争で死んだとしても、そこには自然法則の働きがあります。

起きること全てが、神の管理下にあると言うことになります。



神は完全なる叡智であり愛です。

完全な公正が行き渡っています。



予定されていたよりも早く地上を去ったとしても、それに対して「埋め合わせ」があります。

この世で経験できなかったことを、霊的に親しい人が代わりに経験することによって、学びが共有され、成長が得られると考えています。

その人は、先に逝った人の分まで生きていることになります。



傷ついた魂が癒された後に待っているのは、苦から解放された世界です。

そこにいるのは、霊的に類似した、想いを共有する人たちばかりです。

この世よりはるかに平和で快適な世界です。

この世にいたかったと思うことは、まずありません。

いたかったと思うのは、残して来た人のことを想う時です。



※感受性の強い人は、影響を受ける可能性があるので、画像を見ないようにして下さい。


写真の男性はキエフに住むセレヒー・ペリビネスさんです。

奥さんと子供2人を、ロシア軍の攻撃で失いました。

セレヒー・ペリビネスさん(New York Times)

ご家族の死を、twitterに投稿されていた下の写真を観て、初めて知ったそうです。

言葉がありません。

「ここで何が起きているのか知るべきです」と訴えていますので、載せることにしました。

亡くなったセレヒー・ペリビネスさんの家族

インタビューでは冷静に対応をされていましたが、心の中で何を思っているのか窺い知れません。

何の罪もない自分の家族が、このような形で死んでしまうはずはない、醒めない悪夢を見続けていると思っているのかもしれません。

戦争が起きると、このような惨劇が、いつ自分の身に降りかかってもおかしくありません。

いとも簡単に、人が死んでしまいます。




大切な人を亡くした人たちに伝えたいことがあります。

この文章を読んでいるのであれば、きっと霊界の導きによるものです。

Мені є що розповісти людям, які втратили своїх близьких.

Якщо ви читаєте цей текст, то це завдяки керівництву світу духов.




どうか、怒りや憎しみに燃えて生きるようなことはしないで下さい。

誰も望んでいません。

生きる目的にはなりません。

あなたが苦しむだけです。

苦しむためではなく、愛し合うためにご家族と出会ったのです。

罪を犯した人間は、神の法則により、厳格に裁かれます。

Будь ласка, не живіть з гнівом чи ненавистю.

Ніхто не хоче.

Це не мета життя.

Просто скуштуйте страждання.

Ми зустрілися не для того, щоб страждати, а щоб любити один одного.

Людина, яка грішить, суворо судиться за законом Божим.



今、死の意味を見つけるのは困難でしょう。

いかに大きな存在だったのかを知り、茫然とするばかりかもしれません、

これから悲しみや苦しみは続くでしょう。

それに対して霊的な報いが与えられることだけは覚えておいて下さい。

そうでなければ、神の公正は保たれません。

Знайти сенс смерті зараз буде важко.

Я вражений розмірами існування.

Смуток і страждання триватимуть і надалі.

Пам’ятайте, що ви можете бути духовно винагороджені за це.

Інакше справедливість Божа не буде дотримана.



人間の本質は魂です。

姿は視えなくなっても、ご家族は存在しています。

記憶も性格も愛情もそのままです。

Суть людини - це душа.

Навіть якщо ви цього не бачите, ваша сім’я все одно існує.

Спогади, особистості та почуття залишаються тими ж.



魂を引き付け合う力が愛です。

愛で結ばれているご家族に別れはありません。

今も一緒です。

どうぞ信じて下さい。

Любов - це сила притягувати душі.

Немає прощання з родинами, пов’язаними любов’ю

я поруч з тобою.

Будь ласка, повір мені.




数十年後に死が訪れます。

その時、ご家族と再会します。

怒りや憎しみは人間を変えてしまいます。

変わってしまったあなたには会いたくないでしょう。

生きる意味を見失い、ボロボロになりながらも、生きて来たあなたと会いたいはずです。

全て失ったとしても、死なないで下さい。

Смерть прийде через десятиліття.

Возз’єднався з родиною.

Гнів і ненависть змінюють людей.

Я не хочу, щоб ти змінився.

Ви захочете зустрітися з вами, які жили, навіть якщо ви втратили з поля зору сенс життя і стали пошарпаними.

Не вмирай, навіть якщо втратиш їх усіх


2022年3月20日日曜日

戦争がいけない理由


今から30数年前、レンタカーを借りて冬の福島県の山村を旅行していた時のことです。

道路には雪が積もっていましたが、車にはチェーンの備えがありませんでした。

慣れない雪道を恐る恐る走っていましたが、案の定タイヤが滑り出し、車を制御できなくなりました。

センターラインをはみ出して、そのまま対向車に向かって行きました。

ぶつかると思った瞬間、対向車の人が急ハンドルを切って、ご自分の車を路肩の雪の中に突っ込ませました。

それにより衝突が避けられました。

車から降りて駆け寄ったところ、幸いなことにケガもなく、車も壊れていませんでした。

運転していたのは初老の男性でした。

良くあることだよみたいな感じで、咎められることもなく、笑みを浮かべながらその場を立ち去って行きました。

寛大さと言うか、心の余裕みたいなものをその時に感じました。



同じ時期の東京でのことです。

大きな駅の階段の端で、うずくまっている人がいました。

その人をよけながら、たくさんの人が通り過ぎて行きます。

気にはなりましたが、私も通り過ぎました。

予定があるので、関わっていられません。

他にたくさん人がいるので、誰か助けるだろうと、考えていたのかもしれません。

声をかける心の余裕がなかったと思います。



数日前の深夜に、大きな地震がありました。

携帯から警報音がけたたましく鳴り、思わず身構えました。

経験がない私には良く判りませんが、近くで銃声や爆発音が聞こえる中で、平静を保っているのは困難と思われます。

張状態に陥ってしまうでしょう



戦争は、心の余裕をことごとく奪ってしまうと考えられます。

負傷して倒れている人がいても、自分の身が危なければ、放って逃げるしかありません。

攻撃を受ければ、逃げるのに必死で、周りが見えなくなります。



銃を手にして、戦わなければならなくなったとしたら・・・。

敵と出くわしたら、早く引き金を引かないとやられてしまいます。

倒したとしても、その後に何を思うのでしょうか。

正当防衛だったとしても、人を殺したことに変わりありません。

その時の光景が頭から離れず、私自身はトラウマになる気がします。



人間には、2つの自分がいると考えています。

潜在している自分と、顕在している自分です。

前者は、本当の自分(魂)であり、霊的な自我と呼ぶことにします。

後者は、パーソナリティーであり、地上的な自我と呼ぶことにします。

さまざまな局面で、両者の間で葛藤が起きて、勝った方の行動を取ることになります。



恐れや不安があると、自分を護るために、地上的な自我の働きがどうしても強くなります。

それに伴って、霊的な自我の働きが弱くなります。

霊的な自我には神が内在し、それが良心となって顕現しています。

しかし、良心の声は恐れによって搔き消されてしまいます。

1度止めかけた引き金を引くことになります。



侵略して来る人間も同じく、良心があります。

本当は、人など撃ちたくないはずです。

本当は、街など壊したくないはずです。

止めさせようとする良心の声を聴いているはずですが、命令に背くことは許されません。

その声を無視して、ミサイルのボタンを押すことになります。


戦争が終わった後に待っているのは、怒りや憎しみや悲しみを通り越し、虚無感かもしれません。

喪ったもの、壊されたものの大きさに、茫然とするでしょう。

もし家族が死んでしまったらどうでしょう。

助けてやれず、自分だけが生き残ってしまったと、罪悪感を抱いてしまうかもしれません。

侵略して来た人間も、命令に従ったとは言え、自分がした行為が正しくなかったことに気付けば、相当な罪の意識を感じることになるでしょう。

良心に背いた行いをしてしまうために、消し難い後悔や罪悪感が生じてしまいます。

予定されていない不用な感情で、多くの人が苦しむことになります。



爆破された建物や街並みを見れば、受けた被害の状況が判ります。

体に包帯を巻いていれば、傷を負っていることが判ります。

しかし、心の傷を負っていても、誰にも判りません。

戦争に関わった人は、目に視えない傷を負っていると思って間違いないと思います。



さまざまな経験を通して、自分に足りないものを学び、成長するためにこの世に生まれて来ています。

その目的を果たすために、予定されているシナリオがあります。

守護霊の導きを受けながら、シナリオに沿うように人生を歩んでいます。

寿命が来たら霊界に戻り、学び得たものを活かす生活が始まります。



そのシナリオをことごとく破壊してしまうのが戦争です。

予定されていた通りに行かなくなり、地上生活が中断されてしまう人もいます。



他者に奉仕をしたり、困難や障害を乗り越えることで魂は成長します。

しかし、戦争によってその機会が奪われます。

後悔の念や罪の意識に苛まれてしまうと、自由闊達な魂の表現が妨げられ、本来の生き方ができなくなります。

絶望感や虚無感からは、成長しようとする気持ちは生まれません。

怒りや憎しみや恨みを抱いていれば、人のために何かをする気持ちにはなれません。

地上の人の成長を著しく阻害してしまうことになります。

子供を殺害されて入隊した女性(ウクライナ)


急死した人の多くは、自分の置かれている状況が判っていません。

意識があるために、まだ地上にいると思っている人も少なくないと考えられます。

もう地上の人間ではないのに戦闘状態が続いている霊や、無理やり肉体から引き離されてショックを受けている霊で溢れています。

その霊を説得したり、癒すために、数多くの霊が自分のいる境涯を離れて、幽界に赴いていると考えられます。

地上だけでなく、霊界も大混乱に陥れるのが戦争です。



戦争は自然災害とは、全く違います。

自由意志により引き起こされます。

止めることもできたはずです。

良心の声が負けてしまったのです。

その代償は大きすぎると言わざるを得ません。



目に視えないけれども、生命はつながっています。

この事実はヒーリングをしていると納得できます。

面識のない人でも、世界の裏側にいる人でも、人間でなく動物でも、ヒーリングは成立します。

つながりを通して、生命力(霊力)が届けられます。



身体のどこかに、激しい炎症が起きていればどうでしょう。

一部で起きているので、自分には関係ないと言う人はいません。

遠い国で起きている出来事であれば、自分には関係ないように思えるかもしれません。

全ての人は霊的につながっていて1つです。

従って、人類全体がこの結果を享受しなければいけません。



戦争ほど、多くの人の人生を狂わせてしまうものはありません。

成長のために立てられた計画を、台無しにさせてしまいます。

人類全体の進化を妨げてしまう、最も愚かな行為と考えられます。


2022年3月13日日曜日

霊的につながっている


人間には何個の細胞があるのかご存じでしょうか?

およそ37兆個もの細胞があります。



極めて小さな細胞の中には、下記の図に示すように、いくつもの器官があります。

それぞれの器官には、それぞれの役割りがあります。

たった1つの器官が欠けたとしても、細胞は正常に機能して行けません。

細胞(動物)の模式図


その細胞が寄り集まって、脳、心臓、肺、筋肉、血管などの組織が造られ、人体を構成しています。

それぞれの組織は、それぞれの役割りがあります。

目的があって存在していて、1つとして無駄なものはありません。



地球も全く同じです。

多種多様な生命がいますが、それぞれの役割りがあります。

全体にとって必要であり、無駄なものは1つもありません。

ミクロからマクロに至るまで、全ての創造物は目的を持って存在しています。



無限ともいえる宇宙において、地球は最小の単位です。

1つの星の中で完結しています。

そこに生きている全ての生命は、運命共同体です。

生きている地球


それぞれの生命が、自らの役割を果たすことによって、全体に調和がもたらされています。

お互いが、お互いのために存在していると言えます。

従って、生命に優劣などありません。



けれども、人間は生命の中で、1番優れていると思っています。

高度な文明を手に入れているので、知性は優れているでしょう。

一方、周りのことを考えず、身勝手な振る舞いをしているのも人間です。

そのために、地球環境が大きく変わりつつあります。

何の落ち度もない数多くの生命が、人間のせいで大きな被害を受けています。


他の生命にとって人間は、全体の調和を乱しているガン細胞のような存在かもしれません。

何がそうさせているのかと言えば、人間(自分)さえ良ければという利己的な考えです。

そして、物質に捉われて、生命の本質やつながりが視えなくなっているためです。



地球上の生命は、それぞれが独立して存在しているように見えます。

しかし、霊的につながっています。



例えば、動物と植物です。

動物は酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、植物は二酸化炭素を吸収し酸素を放出していて、補完関係にあります。

自然界には、植物→草食動物→肉食動物→微生物が分解→養分を植物が吸収→草食動物というような食物連鎖があります。

どれ1つが欠けても、生命を存続させることは不可能です。



犬を飼っています。

私は犬に住むところと食べ物を与えています。

その代わりに、犬は私を守ろうとし、癒してくれます。



お互いに、何かを受け取り、何かを与えています。

生命は他の生命とつながりながら生きています。

霊的なつながりとは、生命のつながりです。

切っても切れません。

お互いがお互いのために生きる、それが神の意志です。



ほとんどの生命は、自然法則に従いながら生きています。

しかし、人間には自由意志が与えられているので、法則に背くこともできます。

人間が法則に背いたために生じる代償を、運命共同体である他の生命たちも享受しています。


間違っていると気付いていながら、ずるずると流されています。

自分たちの生活を優先してしまうために、現実に目を瞑っています。



全生命が調和をしながら生きて行く方向に進んでいます。

それなのに、今、人間同士の間で激しい争いが起きています。

30年前に逆戻りしてしまったような気がします。


キエフのアパート(ユニセフより)
最も進化しているはずの人間が、他の生命が決してしない、残酷な行為を平然としています。

無用な痛み、無用な傷、無用な死、無用な破壊、無用な怒り、無用な憎しみ、無用な別れ、無用な悲しみが生まれています。

これほどの悲劇が、今の時代に起きるとは思ってもいませんでした。

全て無知から来ています。

霊的な責任が問われることを知っていたのなら、こんな愚かな行為はできないでしょう。

待ち受けている償いがどんなものになるのか、想像も付きません。


キエフの親子(Wo.koriaより)

苦しみや痛みや悲しみを感じている人を見ると胸が痛みます。

私たちには、良心と言う神がいるからです。

そして、霊的につながっているからです。



破壊された建物は、人間の力で建て直すことは可能です。

しかし、人間が負った傷は、元通りにはなりません。

肉体の傷も、心の傷も、癒すことができるのは神の力だけです。



神の力である愛を、私たちを通して与えることはできます。

けれども、できることは限られています。

国を逃れて来た人に、温かい食べ物や寝具を提供する団体を援助するくらいかもしれません。

生き延びるのに精一杯で、何も言えない人たちに代わって、この侵略は絶対に許されないと声を上げることもできそうです。

世界から見放されていない、自分たちの思いを判ってくれていると感じてもらえたなら、ほんの少しでしょうが不安や怒りは和らぎ、この苦境を生きて行く力になると思います。(在日ウクライナ大使館にアクセスし、翻訳サイトを利用することで、ウクライナ語のメッセージを送ることができました。)

ささやかであっても、世界中の人が行動することで、良い方向に向かって行くと信じています。



戦争が起きている時、人間の進化は止まっているような気がします。

人間同士が信頼関係でつながった時に、初めて次の段階へと進んで行けると思います。




2022年3月6日日曜日

信じることによって恐れを克服する


ウクライナの首都キエフ(APより)

戦争(侵略)が起きてしまいました。

どれほどの血や涙が流されるのでしょうか。

一刻も早い終結を強く望みます。

原因はいろいろ考えられますが、根本に「恐れ」があるのではないかと思います。



人は、自分の精神や肉体に危害を加えようとするものに対して恐れを感じます。

恐れは本能とも言えるものであり、地上を生きて行く上で、なくてはならない情動の1つと考えられます。



しかし、恐れが過剰に生じてしまうと、健全に生きて行くことができなくなります。

心に余裕がなくなってしまい、自分を護ることで頭が一杯になります。

高じてしまうと、周りが信じられなくなり、被害妄想的になってしまうこともあります。



過去に強い恐れを抱いた体験があるとトラウマとなり、後で現れることもあるでしょう。

あるいは、過去生での体験が現生で呼び覚まされ、得体の知れない恐ろしさを感じることもあるでしょう。

いずれにせよ、過去の体験が今の恐れと結びついているのは間違いありません。



シルバーバーチの霊訓には「あなた方には恐れるものは何1つありません。」と書かれています。

イエス・キリストは「からだを殺しても、たましいを殺せない人など恐れてはなりません」と言っています。

しかしながら、その境地まで至るのは、並大抵のことではありません。



賢人が恐れを戒めているのは、霊的な通路を塞いで、生きる力を奪ってしまうからです。

精神の活動が妨げられ、硬直化してしまうからです。

地上を生きて行く上で、恐れは必要なものですが、過剰にならないようにコントロールしなければいけません。


暗闇が恐い人がいます。

何かが潜んでいて、襲われるのではと想像をしてしまう人もいます。

何も見えなければ、人は恐れを抱いてしまいます。


昔の人は、雷を恐れていたようです。

天上で神様が怒っているように感じた人もいたようです。

今の人は、放電と言う自然現象が起きていると知っています。

何が起きているか判らないと、恐れを抱いてしまいます。



さまざまな人が、同じ平面で生きているのが地上です。

自分と違う人と交わり、判り合えないと、恐れを抱くことがあります。



また、地上では人の本質(魂)が、肉体により視えなくなっています。

どんな人なのか、何を考えているのか判らないと、恐れを抱いてしまいます。



地上ではさまざまな出来事が起こります。

いくら考えても、原因が全く判らない時もあります。

物質を介しているので、結果が直ぐに現れないのも、その一因として考えられます。

また、生まれる前に予め決めていたことが、何の前触れもなく起きることもあります。

因果関係が判らなければ、偶然として片付けるしかありません。

いつ、何が起きるのか判らないこの世界に、恐れを抱いてしまうこともあるでしょう。



このように、地上は判らないことだらけです。

そのために、どうしても恐れが生じてしまいます。



そんな世界に生きている私たちが、恐れをなくすためにはどうすれば良いのでしょう?

信じることが必要になって来ます。



何を信じれば良いのでしょうか?

人を信じることが必要です。



他の人が何を考えているのか判りません。

歪んだ心の人がいるのも確かです。

そのため、不用意に傷つけられたり、騙されたり、裏切られたりします。



そんな人の中にも神がいます。

神は良心として顕現していますが、エゴ(地上的な自我)に負けてしまうと、過ちを犯すことになります。

良心とエゴのせめぎ合いの中で私たちは生きていて、そのどちらかを選ぶかで行動が決まります。

良心が負け続けると、次第に心が歪んで行きます。

けれども、結局は神の法則である因果律によって、痛い思いをしながら心の歪みは正されて行きます。

どんな人の中にも、神がいると信じて下さい。



すべての人は同胞であり、霊的につながっています。

学び成長することを目的に、地上に生まれて来た仲間なのです。

エゴに負けて、目的が果たせなくなっている人がいるだけです。



そして、この世界を信じることです。

全ての出来事は、自然法則の働きによって起きています。

自然法則を創ったのは神です。

私たちを悦びの世界に導くためです。

たとえ谷底に突き落とされるような出来事であっても、霊的には上へと引き上げられています。

這い上がって行く過程で、相応の成長が得られています。

出来事を経験することで、何かを学んでいます。



困難な問題が起きても、因果律の働きによって、いずれ解決されて行きます。

全てに渡って、神の意志が働いているからです。

良きに計らわれていると信じて下さい。



そして、自分を信じて下さい。

この世界も人間も、神が創った、神を構成する一部です。

私たちの魂には、神が宿っています。

自分を信じるとは、自分の中にいる神を信じることです。

困難や障害を乗り超えて行く力が秘められています。

自分を信じると、自分の中にいる神とのつながりが深まり、生命力が流れ込み、恐れや不安はどこかへ行ってしまいます。

乗り越えられない出来事は、決して起きないと信じて下さい。



人、世界、自分を信じるのは、口で言うほど簡単ではありません。

けれども、物質に覆われて本質が視えなくなっている地上で生きて行くために、どうしても必要です。

生まれて来た目的の1つは、霊的なものが全く視えなくなるこの地上で、信じることの意味と大切さを学ぶためと思われます。

信じることで恐れに打ち克ち、前に進んで行かなければいけません。

神は、慈しみ合い1つになることを望んでいます。

信じることなしにはつながらず、それは叶いません。



「信じる者は救われる」という言葉が聖書にあります。

意味を調べてみると、イエス・キリストを信じる者は天国に行けると書かれていました。

それは間違いであり、死後の生は全ての人に与えられたものであり、天国のような境涯に行けるのかどうかは、その人の魂で決まります。

信じることで、恐れから来る苦しみから救われると言いたかったのではないでしょうか。



この戦争(侵略)は、主謀者が人や世界が信じられなくなり、恐れが生じたために起きたのではないかと考えています。

自分しか信じられないために、相手を力によって屈服させ、恐れから逃れようとしているように見えます。

その行為は、明らかに神の摂理に反しています。

地上にいる人の良心(神)が許すはずはありません。

思うように行かなくなり、自分さえも信じられなくなった時、耐え難い恐れや不安に襲われるでしょう。

そこから逃れようとして、自らを破滅させようとする行動を取る可能性があります。



信じることで、全てが解決されるはずなのに、残念でたまりません。

こんな平和で美しい国を破壊している代償は、あまりに大き過ぎます。

ウクライナのリウネにある「愛のトンネル」(朝日新聞GLOBEより)