ある若い騎手が落馬事故で亡くなったと、ニュースで報じていました。
誰からも好かれていたようで、葬式の席では、皆、涙を流していました。
在りし日の写真を見て、若くして亡くなる人は、明るく清らかな輝きを放っている人が多いと改めて感じました。
「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。
そして「地上人生の期間、つまり寿命が切れる時期は、たいていの場合あらかじめ分かっています。」とも書かれています。
およその人生は予め決まっていて、承知していることになります。
偶発的としか思えない事故であっても、その人の寿命が来ていたのだと思います。
地上の人は亡くなった年齢を気にします。
若くして亡くなれば、これからだったのにと嘆き悲しむ人が多いでしょう。
死んで無になってしまうのであれば、そう思っても仕方ありません。
現実は全く違います。
新しい環境で、生命は変わりなく続いています。
さまざまな経験をして、霊的に成長するために、私たちは地上に生まれて来ています。
内在する資質を開発するため、言い方を変えると、より多くの神性を発揮できるようになるためです。
神性とは、親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。
一言で言えば「愛」です。
地上の年齢は、霊的な成長度の尺度とはなりません。
若くても、十分に神性が発揮されている人はいます。
一方、年を取っていても、それほど発揮されていない人もいます。
思い出せませんが、過去にも地上を生きています。
過去の地上での経験が、魂に反映されています。
神性がそれほど発揮されていない人は、地上に生まれて来た回数が少なく、経験が乏しいと思われます。
十分に発揮されている人は、これまでに何度も地上に生まれ、さまざまな経験をしていると思われます。
年齢で判断しようとするのは間違っています。
生まれて来た目的を果たすと、摂理に従って寿命が来ます。
肉体から完全に離れて、本来の住処に戻ることができます。
霊的に成長した人ほど、地上で開発すべき魂の資質が少なくなるので、早く戻れると考えられます。
優しく、思いやりがあり、「何でこんな良い人が」と言われるような人が、早く逝ってしまうのはそのためと考えられます。
生まれて間もなく、お母さんの胸の中で亡くなる子がいます。
ご両親は深い悲しみの中で、こんな問いを突き付けられます。
「何のために生まれて来たの」
学び成長するために、相応しい環境(親)を選んで生まれて来ます。
けれども、早くして亡くなる子供は少し違います。
親が子供を亡くすほど苛酷な試練はありません。
身を引き裂かれるような悲しみ苦しみの中で、霊的に目覚める人がいます。
目覚めた魂が、生命の真実を見つけます。
「視えなくても生きている」
「また会える」
無知から生じていた苦しみから解放されます。
親として選ばれるのには、いくつかの条件があります。
別れに耐えられる魂であること。
深く愛してくれる魂であること。
今生で大きく成長することを求めている魂であること。
選ばれたのであれば、耐えることができ、生き抜くことができます。
深く愛してくれる魂ほど、別れの悲しみが深くなるのは当然です。
この経験を通してでしか決して得られない、貴重な魂の資質を手にするために、生まれて来てくれたと考えられます。
自分のためではありません。
周りの人たちを成長させるために生まれ、そして逝ったと考えられます。
そのような人生を選択するのは、地上を生きる必要のない進化した魂のような気がしてなりません。
過去生から関わりがあって、今生で親子になることを決めてた来た人もいるでしょう。
そうであれば、霊的に親しい間柄(類魂)なのかもしれません。
本来の住処で、愛し合う悦びを、より深く感じながら共に生きるために、地上での別れを経験しています。
先に逝った子が何よりつらく感じているのは、目の前の現実に隠された真実が分からずに、自分を責めている親の姿を見る時です。
「そうじゃない」と必死に訴えているでしょう。
地上の子は、親の愛を一身に受けながら成長して行きます。
先に逝った子と残された親は、地上とは真逆の関係になっていると思われます。
子の愛や導きを受けながら、親が成長して行きます。
進化成長するために、神の計画として起きています。
そのことに、早く気付いて欲しいのです。
真実に気付くことで、先に逝った目的が成就されて行きます。