2026年5月31日日曜日

エゴと神性


記憶には上って来ませんが、生まれる前、私たちは霊界にいました。

周りにいたのは、霊的に似通った人たちばかりです。

同じことを感じ、お互いの想いが分り合えていました。




地上に生まれると、環境が激変します。

周りにいるのは、性格、考え方、価値観が違う人たちばかりです。

他にも、国、言葉、文化、宗教、肌の色など、さまざまな違いが存在しています。

何を想っているのかも、全く分かりません。

それが当たり前のように思えますが、特殊な世界に生きているのです。




地上では、違いを感じさせられる出来事が頻繁に起きます。

少し前ですが、散歩に行った時のことです。

連れて行った飼い犬が、ある家の前の路上でフンをしました。

汚さないように気を付けて処理をしましたが、家の人が出て来て、自分の家の前でフンをさせるなと怒られてしまいました。

動物の生理現象なので、そこまで言わなくても良いのではと、一瞬思いました。




動物が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。

その人にとって見苦しいものであり、気分を害されたのかもしれません。

些細な出来事ですが、感じ方や受け止め方が人によって違うことを改めて意識しました。




話は大きく変わります。

第二次世界大戦末期のことです。

連合国からポツダム宣言を突き付けられた時、当時の首相は(ポツダム宣言を)「黙殺」すると発言したそうです。

「ノーコメント」に近い意味合いで言ったのですが、アメリカ側に「軽蔑して拒絶する」と受け取られ(訳され)て、広島、長崎の原爆投下へとつながったと言われています。

想いや考えが正確に伝わらない地上では、このような事態が起きることは珍しくありません。




内面も外面も違う人たちと共に暮らし、他者の想いも分からず、正確に伝えられない地上では、軋轢や誤解が生じやすくなります。

軋轢や誤解から、怒りや怖れなどの感情が生まれて、争いになることもあります。



それらの感情や行動は、地上の自我(以下自我)の働きによるものです。

自我は肉体との結びつきが強く、自分を守るためにそのような感情が生まれ、行動していると思われます。




そんな世界を、平和に心穏やかに暮らして行くためには、どうすれば良いのでしょうか?

周りの人と自分が違うのが当たり前であることを、まず自覚する必要があります。

そして、他の人の違いを認めなければいけません。

他の人から見れば、自分自身も違っているのです。




肉体があるがゆえに、地上では過ちを犯します。

物質を介して表現しているので、行き違いが生まれます。

そのために、苦痛を感じたり、不利益を被る出来事が起きます。

自分に非がないのなら、相手を許せなくなっても、おかしくはありません。




許せなくなるのは、自我(エゴ)の働きによるものです。

怒りや憎しみの感情に捉われているうちは、自らを成長させることができなくなり、この世に生まれた目的を果たせなくなります。




許そうとしている自分もいます。

内なる神の働きかけを、常に受けているからです。

内なる神が、対象への憐れみ、寛容の精神となって顕現し、怒りや憎しみの感情から解放された時、許しが成立します。

自我(エゴ)から生まれるいかなる感情も、内なる神から生まれる愛には敵わないのです。





霊界では、初めからお互いを認め合っています。

許すような対象も存在せず、許すような出来事も起こりません。

想いが分かるので、信じる必要もありません。

想ったことは、リスクや労苦を伴わずに具現化するので、地上のように勇気を出して挑戦することもありません。




認めること、許すこと、信じること、勇気を出すことは、地上でしかできない経験です。

より多くの神性を発揮する機会が、地上では与えられています。




「明日は潜在する神性を開発し、人生を物質的、精神的、霊的に存分に楽しみ、周りに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。

困難や障害を伴う出来事が起きたとしたら、あるいは怒りや怖れを感じる出来事が起きたとしたら、それは神性を発揮する絶好の機会が訪れたと思えば良いのです。

どんな出来事であっても乗り越えて行けるのは、私たちには神が宿っていて、無限の力が秘められているからです。





エゴと神性はコインの両面のようなものかもしれません。

地上では、どちらかが必ず表になります。




エゴに打ち克ち、神性を発揮することは、生まれて来た大きな目的の1つです。

霊的な進化が促され、より高く強い愛が表現できるようになります。



2026年5月24日日曜日

神からのエネルギー


人間は食べ物を食べなければ生きて行けません。

当たり前だろうと言われそうですが、それは肉体に限った話です。



人間は、「肉体」と「精神」そして「魂(霊)」から構成されています。

脳は肉体の一部ですが、そこに精神は存在していません。

目に見えない精神は、目に見える肉体とは違う次元に存在し、次元の違うエネルギーによって活動しています。



生きる力の源は、魂から生じている「生命エネルギー」にあります。

生命エネルギーは次元変換されて、精神が活動するエネルギーとなっています。



生命エネルギーの供給源は、「神」と呼ばれる存在です。

神とは、全宇宙を創ったエネルギーであり、全宇宙を活動させているエネルギーです。



私たちは、神のエネルギーによって創られた、宇宙を構成している極小の一部です。

そして、神の創った法則の働きによって、宇宙の秩序は保たれ、進化を続けています。



身体と宇宙の仕組みは同じです。

1つ1つの細胞は、全身の一部として、全身とつながっています。

全身から細胞が切り離されると死滅するのは、全身を流れている血液を介して、酸素や栄養など生きるために必要な要素が供給されているからです。



1つ1つの生命は、全体(神)の一部として、全体とつながっています。

全体(神)から供給されている生命エネルギーによって、私たちは生かされています。

細胞を身体から切り離すように、生命(魂)を全体から切り離すことはできません。

霊的なつながりは断たれることはなく、生命エネルギーによって、魂は永遠に生き続けます。



残念ながら、生命エネルギーの存在を証明することはできません。

証明できなくても、生命エネルギーの働きを実感することはできます。

怪我をして傷口がパックリと開いてしまったとします。

医者に行き縫合してもらっても、それだけでは傷口は治りません。

そこに自然治癒力という生命エネルギーが働くことによって、切り離された組織がピッタリと付いて治って行きます。

ウィルスに感染したとします。

ウィルスの増殖を抑制し、病気が治って行くのは、免疫機能の働きによるものです。

その機能を発揮させているのが生命エネルギーです。



ヒーリングをしている時、生命エネルギーの流れを実感しています。

ピリピリとした感覚が指先に伝わって行くのが感じられますが、エネルギーを多く必要としている人はその流れが強くなり、ビリビリとしたものになります。

エネルギーを受ける人も、温みを感じたり、患部がピリピリとすることがあります。



歯科治療で来院された患者さんが乳がんであることを聞き、承諾を得て遠隔ヒーリングを行いました。

しばらくして、患者さんが驚いた表情である資料を持って来られました。

その資料は、免疫療法のクリニックで血液検査をしてもらった結果でした。(下のグラフ)

NK(ナチュラルキラー)細胞はがんを攻撃する免疫細胞です。

その数に変化はありませんでしたが、NK活性(赤丸)が特異的に上昇しているのが認められます。(何かあったのですか?と医師に不思議がられたそうです。)

ヒーリングによって、NK細胞が活性化されたと推察されます。

それにより、がんが縮小したり、消滅したりします。

生命エネルギーの働きが、客観的に示された一例と考えられます。




仕事をしていると、歯ぐきが腫れて、痛みを訴えて来る人がいます。

そんな人に「最近ストレスを感じていませんか?」と質問すると、多くの人が「はい」と答えます。



ストレスが免疫力を低下させるのは周知の事実です。

ストレスによって、生命エネルギーが精神的次元の活動に消耗されると、その下流にある肉体的次元に行き渡るエネルギーが不足します。

そのために免疫力が低下して、歯周病菌が増殖し、炎症症状が出ると考えられます。





供給される生命エネルギーは、精神状態(感情)によって左右されます。

喜びを感じている時や自信に満ちている時は、魂の窓が開かれ、供給される生命エネルギーは多くなります。

逆に、怖れや不安を感じている時や自信を失っている時は、少なくなります。

強い恐怖を感じると、頭が真っ白になり、体が動かなくなるのは、魂の窓が閉ざされて、生命エネルギーの供給が急激に少なくなるためと考えられます。



地上では肉体があります。

そのために、怖れや不安などの感情が生まれます。

それ自体はやむを得ないことですが、自由闊達な自己表現が妨げられてしまいます。



自分を信じることで、内在する神とのつながりは深まります。

神とのつながりが深まれば、より多くの生命エネルギーが流れ込むようになり、負の感情から解放されます。



それができない時には、こう自分に言い聞かせて下さい。

「自分は神によって創られた神の一部である。自分には限りない神の力が秘められているので絶対に克服できる。」

心からこう宣言できたのなら、内から生命エネルギーが湧き出して、負の感情に打ち克つことができます。



それもできない時には、霊界で守り導いている存在に、「勇気をお与え下さい」と想いを向けて下さい。

霊界から励ましの想いというエネルギーを受け取ることで、心が奮い立って、前に進んで行くことができるかもしれません。



想い(願い)は、何でも叶うものではありません。

誰かのために何かをしようとする想い、試練を乗り越えて成長する方向へ進もうとする想いは、神の心に合致しているので、因果律の働きによって、具現化するためのエネルギーが与えられると考えられます。








2026年5月17日日曜日

良心の声に従う


私たちの中にある心は1つです。

その心は、2つの自我(意識)が統合されたものと考えています。



地上の人は、魂(霊)、精神(自我)、肉体から構成されています。

正確に言うと、肉体の他に霊体も存在しています。

魂(霊)から生じた想いが、精神の働きにより、肉体を使って表現されています。

それが繰り返されることで、地上の人生は紡がれて行きます。



霊界にいる時は、魂から生じた想いは、魂と霊体との間に存在する精神の働きにより、霊体を使って表現されています。

その精神のことを、「霊的な自我」と呼ぶことにします。



魂が肉体と結合した瞬間、新たな精神が生まれます。

その精神のことを「地上的な自我」と呼ぶことにします。



地上の人は「魂」「霊的な自我」「霊体」「地上的な自我」「肉体」によって構成されていると考えられます。

「精神」と呼ばれているのは、霊的な自我と地上的な自我の総称と考えられます。

         

日常生活のほとんどが、この自我の働きによって、営まれています。

自分を守ろうとするのは、地上的な自我の重要な働きの1つです。

成長に伴って地上的な自我が発達して行きますが、子供は大人に比べてその働きが弱いため、自分を守ろうとする意識が低いと考えられます。

生まれたばかりの赤ちゃんは、極めて弱いために、無防備な状態と言えます。


世の中には、地上的な自我の働きが強い人がいます。

そんな人は、「自分」という意識が強いために、自分を誇示しようとしたり、自分を中心に物事を考える傾向があります。

「私が」とか「俺が」という言葉を頻繁に使う人や、他者の意見に耳を傾けない人は、地上的な自我の働きが強いと考えられます。



反対に、地上的な自我の働きの弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

そのため、「自分」ではなく「周囲」に意識が向きやすくなります。

周囲のことが気になったり、周囲からの影響を受けやすくなります。

(バリアのような役目を果たしている自我の働きが強くないために)思念に対する感受性が強くなり、心が傷つきやすいと考えられます。



霊的な自我は、魂から生じる想いを表現するための媒体です。

地上的な自我は、霊的な自我の想いを表現するための媒体です。

霊的な自我は、地上的な自我より、魂に近い媒体です。

魂から生じた想いを忠実に表現しようとしますが、地上的な自我の働きによって、表現が歪められたり、妨げられたりしてしまうことがあります。



私たちは神の心を表現するために創られた、神の一部です。

地上では、神の心は「良心」となって顕現しています。



神の心に反した行動をしようとする時に、止めようとする気持ちが生まれるのは、良心が存在しているからです。

神の心に従って行動をしようとする時に、それを妨げるような考えが生まれるのは、地上的な自我の働きによるものです。

良心と地上的な自我から生まれた考えとの間で、しばしば葛藤が生まれます。

自我から生まれた考えが、自分にとって都合が良く、利己性が見られたのなら、そちらに従ってしまうと、好ましくない結果が生まれます。



例えば、真夜中に車を運転していて、道路にいた人を撥ねてしまったとします。

「助けなければいけない」という良心の声に従い、救急車を呼ぼうとします。

けれども、「警察に捕まると会社をクビになる」とか「誰も見ていない」など、良心に反する行動を正当化する理由を、地上的な自我が考えてしまうことがあります。

助けるか、逃げるかで、葛藤が起きる人もいるでしょう。

自我に負けて逃げてしまうと、社会的な罪は大きくなり、長い間刑務所に入ることになるかもしれません。

捕まらなかったとしても、霊的な罪は魂に印記されて、その先で償わなければいけません。



話は変わります。

1890年、トルコの軍艦が日本を訪ねて帰国の途中、和歌山県串本沖で台風に遭い遭難しました。

地元の人たちは、自らの良心に従って、暴風雨の中で懸命に救助活動を行いました。

救助した人たちを手厚く看護して、回復後に帰国させたそうです。

この出来事はトルコで広く知れ渡り、日本人に対して強い親近感を覚えたと言われています。

日本とトルコの関係が良好なのは、この勇気ある行動が、今も「友好」という報いをもたらし続けているせいかもしれません。



これは極端な例かもしれませんが、良心に従うか、自我の考えに従うか、決断に迫られることは日常的に起きています。

良心が指し示す方向は、労苦や困難が待ち受けていることが、とても多いです。



良心に従って行動しようとする時、神の心と同調しています。

ラジオを同調させると電波が伝わって来るように、神の心と同調すると神から力が伝わって来ます。



勇気を出して進んで行こうとする人には、内から湧き出る力と、霊界からの惜しみない援助の力が与えられ、その行動が全うされるようになっています。

そして、霊的な成長という実りがもたらされます。

進んで行って、後悔することは決してありません。





2026年5月10日日曜日

地上に生まれて来た目的


留学して学位を取った、仲の良い大学の先輩がいます。

アメリカで学位を取るのは難しく、言葉の壁を克服しなければならないのはもちろんのこと、膨大な数の論文を読みながら知識とスキルを身に付けなければならず、審査も日本に比べて厳しいです。

その後、日本に戻りましたが、異国の地で学んだ経験は、今の仕事に十分に活かされています。



ふと、こんなことを考えました。

私たちは、地上という異次元の場所に留学しているようなものかもしれない。

目的は同じで、元いた場所では学べないことを学ぶためです。

けれども、その期間は数年ではなく一生です。

1度肉体に宿ったら、死ぬまで戻れないので、並々ならぬ決意で、地上に生まれて来たと思います。



本来の住処は霊界です。

そこでは肉体はありません。

食べて行くために働く必要はなく、病気や障がいも老化もありません。



周りにいるのは、自分と似通った人たちばかりです。

嫌いな人と会うことはなく、煩わしい人間関係もありません。



霊界では、肉体という障壁が取り払われています。

それにより、周りとの間に、霊的な一体感が感じられるようになります。

地上で自分に向いていた意識は、周りに向かうようになります



ミクロからマクロの世界まで、同じ神の摂理(自然法則)が働いています。

それぞれの細胞が、それぞれの役割りを果たすことによって調和が生まれ、全身が正常に機能することができます。

それぞれの生命が、それぞれの役割りを果たすことによって調和が生まれ、全体が健やかに生きて行くことができます。



もう1つ、大切な摂理があります。

与えられた役割りを果たし、誰かのために役に立つことで、人は悦びを感じるようになっています。



霊界では(低い界層を除いて)、お互いがお互いのために役に立つ悦びを感じながら生きていると思われます。

けれども、しばらくすると現状に満足できなくなります。

自分をもっと高めたいという欲求があるからです。

さらに次元の高い役割りを果たし、全体のために役に立ちたいと想うようになります。



いくら役に立ちたくても、自分にその資質がなければ、想いが叶えられることはありません。

役に立つために必要な資質が自分に足りないことを自覚した魂は、その資質を身に付けるために、地上に生まれようとします。

その意志に、因果律が働くことによって、最適な環境に生まれます。



いざ地上に生まれると、霊界では当たり前のように感じられていたことが、感じられなくなります。

五感が絶対的なものとなるので、それぞれの人は独立して存在しているように見えます。

それに伴い、一体感が感じられなくなります。

霊的な感覚は、五感に埋もれてしまいます。

そのために、実体として感じられた愛は、存在すら分からなくなります。



地上に生まれた瞬間、肉体と魂との間に自我が生まれます。

自分を守ろうとしたり、自分を優先しようとするのは、自我の働きによるものです。

助けを求めていたり、困っている人がいても、見て見ぬふりをしてしまうのも、自我があるためです。



普段、私たちは自我を前面に出して生きています。

ところが、いくら考えても解決できない、深刻な出来事に直面すると状況は一変します。

追い詰められた自我に代わって、その奥に隠れていた魂(霊的な自我)が前面に出て来ます。



前面に出た来た魂は、それまで意識することが少なかった、生命や愛など霊的なものを強く意識するようになります。

そして、霊的な真実を見つける人もいるでしょう。

見つけた人は、内部に変容が起こります。

霊的なつながりが深まり、克服する力が与えられる人もいるでしょう。



そんな出来事は、生まれる前に立てられた計画に従って起きているのかもしれません。

目覚めた魂が、霊的な真実を見つけることも、予定されていたのかもしれません。

もしそうであれば、見つけた真実を大切にし、守りながら生きることによって、必要だった霊的な資質が身に付けられているのかもしれません。



例えば、「勇気」という資質が足りなかった人がいたとします。

その人は重い病気を抱えて生まれて、人生のある時期に手術を受けなければいけなくなるかもしれません。

成功する確率が低い手術であれば、臨むのに相当な勇気が必要になります。

もし、無事に手術が終わり、生きながらえることができたのなら、勇気を出すことの意味を学び、それからの人生に活かして行くでしょう。

地上で培った勇気は、役に立つための強い意志に転化されて、霊界で活かされることになります。



「信じる」という資質を手に入れたかった人がいたとします。

その人は、全く動かすことのできない肉体に宿って、ベッドの上で過ごすことになるかもしれません。

周りの人からの援助がなければ、数日も生きられないことを、魂は知っています。

死の不安や怖れに押しつぶされずに生きるためには、人を信じるしかありません。

一生涯に渡って信じ続ければ、それは自分の資質となるでしょう。

信じられるようになった魂は、周りの魂との結びつきも強くなります。

地上で受け続けた援助によって、周りの人に愛を表現したくなるでしょう。



神の叡智は完全です。

さまざまな人の目的(原因)が絡み合い、全てが完璧に計算された上で、それぞれの魂の成長にとって、最善の結果が生まれるように、人生の計画が立てられていると考えられます。



何故、霊界ではなく地上の経験により、資質を身に付けなければならないのでしょうか?

安全で快適でリスクを冒す必要のない霊界よりも、肉体があり不完全な地上の方が、「勇気」を出さなければならない局面に恵まれています。

お互いが分り合えている霊界より、肉体があり相手の想いが分らなくなる地上の方が、「信じる」ことが求められます。



ロウソクの光は、明るい陽ざしの中では、その存在は分かりません。

暗闇の中で、はっきりと分ります。

霊的な暗闇が広がる地上だからこそ、霊的に大切なものが光り輝き出し、目覚めた魂が見つけることができます。






2026年5月3日日曜日

自分で決めて来た人生を歩みながら学んでいる


人生には計画(ブループリント)がある。

そう思ったのは、約20年前に起きた3つの出来事からです。

6月のある朝、ヒーリングの力が手から出ているのに気付きました。

そして、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

しばらくして、今までに経験したことのない苦難が起こりました。

人生を変える大きな出来事が、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きたので、鈍感だった私も偶然ではないと思いました。



望んでもいなかったヒーリングの力がこの時に発現することは、生まれる前に決まっていたと思います。

力が出た直後に霊的真理に出会えたのは、霊界の導きによるものです。

降りかかった苦難は、霊的真理を受け入れるために必要でした。

3つの出来事が密接に関わりながら起きていて、どれ1つが欠けたとしても、今の自分はなかったと思います。



「計画された人生を歩んでいる」

この真理を確信を持って伝えるために、自らがこのような経験をする必要があったと考えています。


人間には、成長したいという根源的な欲求があります。

もしなければ、苦労の多い地上に生まれる必要はなく、居心地の良い霊界でずっと過ごしているでしょう。

地上しかできない経験を通して、自分に足りない霊的な資質を手に入れて、魂を成長させるために生まれて来たと考えられます。

もし(霊的な資質の1つである)寛容さが足りないと自覚した人がいれば、それを手に入れるために、自分とは違う人と暮らさなければいけない環境に生まれ、許すことを強いられる出来事が起きる人生になるかもしれません。



人生の計画が立てられた時に、その環境に生まれて、その出来事が起きることを、自分の意志で決めていたはずです。

思念(意志)は具現化します。

その意志に因果律が働いた結果として、出来事が具現化すると考えられます。



もし、人生が偶然に支配されていたらどうでしょう?

自分の成長にとって必要な出来事が起きるのは、運任せになります。

何回地上に生まれたとしても、経験できるとは限りません。

既に経験した出来事が、重複して起きるかもしれません。



無限の愛、無限の叡智によって、人生の計画が立てられます。

そこに成長に必要な出来事が、組み込まれると考えられます。

最善のタイミングで、最善の出来事が起きることで、効率良く、短い期間で、霊的な学びが得られ、足りなかった資質を手に入れることができると考えています。

ただ、地上に生まれると、そんな計画があったことなど忘れてしまいます。

最悪のタイミングで、最悪の出来事が起きたと思うかもしれません。



人間には自由意志が与えられています。

計画に従って起きた出来事を、どのように捉えて、どのような行動をするのかは、本人に任されています。

運命や人生を嘆き続けてしまったのなら、そこから大切なことを学び取り、成長することはできません。

感情に支配された、何も残らない人生となってしまいます。



霊界に行くと、人生を振り返る時が訪れます。

あの出来事には、こんな意味が隠されていたのかと知って、驚く人もいるでしょう。

生まれる前に決めていたのと、違う生き方をしてしまい、予定されていた学びや成長ができなかったことを知ったのなら、後悔することになります。



どう捉えるのかは自由です。

ですが、自由には責任を伴うことを忘れてはいけません。

後悔が大きければ、もう一度地上に生まれて、同じような出来事を経験して、学び直すことになるかもしれません。



偶然はありません。

自分にとってどんな意味があるのかを、自分自身に問い質してみる必要があります。

おぼろげながら、その意味が見えて来る時もあるでしょう。



全く分からないのであれば、過去生に原因があるのかもしれません。

出来事の意味が分からずに、苦しんだり痛みを感じる日々がその人にとって必要であり、計画されていることがあります。

そうであれば、苦しみや痛みを享受し終わったのなら、その出来事から解放されるはずです。



学んでいない(知らない)ことから生れる苦しみがあります。

もし私が霊的真理に出会わず、因果律の働きを学んでいなかったのなら、20年前に出来事が起きた時も、何で自分だけがと不満や怒りが生まれ、苦しんでいたでしょう。

つらい日々に耐えられたのも、乗り越えられない苦難は決して起きないことを学んでいたからです。



大切な人を失って、もう2度と会えないと思うと苦しみが生じます。

魂(生命)は不滅であり、また会えるという事実を知ることで、その苦しみは和らぐでしょう。



傷つけられたり、貶められたりして、その人が何の罪にも問われなければ、理不尽さや怒りから苦しみが生じます。

霊的な罪が問われ、同等の苦しみや痛みによる償いをすることで、完全な公正が保たれていることを知れば、苦しみは和らぐでしょう。



シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「ある段階以上に進化すると、憎しみを抱かなくなります。苦しみを感じず、幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが真実です。」

多くを学んでいる魂ほど、憎しみに代わって哀れみを抱くようになります。

神性が発揮されることで流れ込む愛によって、苦しみではなく幸せが感じられるようになると考えられます。




どんな出来事が起きたとしても、苦しみとして感じられなくなった人は、地上に生まれて学ぶ必要がなくなり、霊界で成長して行くことになると思われます。