なぜ、物が落ちるのか?
昔の人は、物には下に落ちる性質があると考えられていました。
万有引力の法則の発見によって、物に地面に引き付けられる力が働いていて、落ちることが分かっています。
生まれるのも、死ぬのも同じかもしれません。
人は偶然生まれて、老いれば死ぬと、漠然と考えられていました。
生まれるのも、死ぬのも、自然法則(以下法則)が働いた結果であることが、霊的真理によって明らかにされています。
生命の本質は、肉体ではなく魂です。
生まれる前も、死んだ後も、魂に意識は存在しています。
地上に生まれて来たのは、この人生を経験しようとする意志があって、その意志に法則が働いた結果と考えられます。
意志があるところに、何かしらの目的が存在しています。
例えば、イエス・キリストは堕落した宗教から民衆を救い出すという目的(使命)があって、生まれて来たと考えられます。
それぞれの人に目的がありますが、自覚している人はわずかです。
全ての人に共通する目的は、霊的な成長です。
それなくして、生まれて来ることはありません。
緑の葉が、黄色から紅くなり、そして枯葉となって枝から落ちるのは自然現象です。
水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのも自然現象です。
全ての自然現象は、その現象を支配している自然法則の働きによって起きています。
死も自然現象です。
自然法則の働きによって、肉体から魂の完全な分離が行われます。
枯葉が枝から落ちるのは、目的を果たしたからです。
地面に落ちて、その後、土に還ります。
この世の目的を果たした人には寿命が訪れます。
死によって、肉体は土に、魂は霊界に還ります。
年を取って死ぬのならともかく、生まれて直ぐに亡くなった子供も、目的を果たしたと言えるのか?
そんな疑問を持つ人もいると思います。
自然法則の働きは完全です。
偶然が入り込む余地も、手違いも全くありません。
生まれて直ぐに亡くなった子供は、両親や家族の学びや成長を促すことを目的として、生まれて来たのかもしれません。
「無になった」「もう会えない」と思い、身悶えるような苦しみを感じている人がいます。
苦しみは、真実を受け入れるための触媒であり、法則の働きによって生じています。
「生命は永遠である」という真実を受け入れた時、事実誤認による苦しみから解放されます。
このように、一緒にいたら学ぶことができなかったことを学んでいると考えられます。
「愛する者同士は離れることはない」これも法則です。
物と物の間に引力が働いているように、魂と魂の間には愛という引き付け合う力が働いているからです。
地上にいる人と霊界にいる人が愛し合うことは可能です。
愛し合うために必要なのは、霊界にいる人の存在と想いを、心から信じることです。
信じることで障壁が取り払われ、両者の間にリンクができます。
リンクを通して、霊界の人は地上の人の魂に想い(愛)を伝えることができます。
何もしていないのに、急に心が明るくなったり、温かくなるのを感じたのであれば、それは霊界から想いが届いたせいかもしれません。
ある考えが急に頭に浮かんだのであれば、霊界からインスピレーションを伝えていたのかもしれません。
何かをしようとする衝動が生まれたのは、そうするように促していたのかもしれません。
霊界にいる人は肉体がありません。
地上にいた時のように、愛を表現することはできません。
想いを伝えて、地上の人を励ましたり、勇気付けたり、導いたりすることで、表現しています。
信じることさえできれば、愛する想いを伝えることができます。
信じることさえできれば、愛せない苦しみから解放されます。
次元を超えて愛し合うとは、五感で感じられなくても霊界の人の想いを信じること、五感で伝えられなくても想いで地上の人を導くことです。
同次元で愛し合うよりもはるかに困難な選択を、お互いの成長のためにした人もいます。
生きている目的は、霊的な成長にあります。
霊的な成長を促すために、法則は働いています。
霊的な成長とは、神の心を体現できるようになることです。
神の創った法則によって、神の心を体現できるように導かれています。
神の心は、全てを愛する心です。
愛することによって、全体が強く結ばれて、最終的に1つになります。
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