2026年6月28日日曜日

自分を責めてしまう人へ

 

一昔前ですが、あるオリンピック選手がメダルを取った時に「自分で自分のことを褒めてあげたい」と言っていました。

妥協せずに、精一杯頑張って来たのを1番知っているのは自分なので、そんな言葉が出て来たのだと思います。



褒めるのとは逆に、失敗やミスをした時に、自分を責めてしまうことがあります。

心の中で自分を叱責する言葉を発していることがあり、それによりつらくなってしまうことがあります。



地上を生きている私たちは、「地上の自我」により自己表現をしています。

地上の自我からは、さまざま感情が生まれています。

怒りを伴った「許せない」という思いも、そこから生まれています。

自分を許せなくなり、自分を責めてしまうことがあります。



地上の自我とは別に、霊的な自我が存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

魂には神が宿っていて、そこから寛容心が発揮されると、霊的な自我に「許そう」とする想いが生まれます。

「許そう」とする自分と「許せない」自分の間で、せめぎ合いが起きることがあります。



地上の自我の働きが強い人と弱い人がいます。

地上の自我は肉体と密接に関係しているために、意識は「自分」に向かいやすくなります。

地上の自我の弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

霊的な感受性が高くなり、人の想いを感じやすくなるために、意識は「周り」に向かいやすくなります。



地上の自我の弱い人は、周りに迷惑をかけたり損害を与えたりすると、罪の意識が生まれて、自分を責めてしまう傾向があります。

一方、(地上の自我の働きの)強い人は、同じ状況になったとしても、自分を責めてしまうことは少なくなります。

自分を守ろうとする意識が働いて、自分以外のせいにしたのなら、罪の意識を感じることはありません。



自分を責めることに慣れてしまっている人がいます。

他人を責めるのと同じで、霊的に好ましいことではありません。

その中には、自分のことが嫌いで、自分のことを信じていない人がいます。



裏切られたり、嘘を付かれたら、その人のことが信じられなくなります。

同じように、自分を裏切ったり、自分に嘘を付いていると、自分のことが信じられなくなります。

慣れてしまっている人は、自分の想いに正直になるように努め、良心の声に従うことによって、少しずつ自分が信じられるようになって行くと考えられます。

信じられるようになったら、嫌いでなくなって来るはずです。



ある出来事が起きて、自分を責めてしまう人がいます。

その前に、考慮しなければいけないことがいくつかあります。



人生にはブループリントがあります。

もしかしたら、その出来事が起きるのは、予め決まっていたのかもしれません。



不完全な私たちは、過ちを犯す可能性があります。

それによって苦しみや痛みを味わい、悔い改めることによって償われます。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「これからもあなたは過ちを犯します。それに対して償いをします。その中で叡智を学ぶべきです。過ちを犯すために地上にきたようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間なら、今この地上にいないはずです



悔い改める必要はあります。

けれども、自分を責める必要はありません。

自分が行ったことに対して、神の法則が働いています。

それによって、相応の結果がをもたらされます。

自分自身で裁いて苦しむ必要はなく、全てを神(法則)に委ねれば良いのです。



この地上に生まれて来たのは、学び成長するためです。

自分を責めるのではなく、その出来事から何かを学ぶように努めなければいけません。



2026年6月21日日曜日

神の創ったこの世界を信じる

 

この車を見て、ある日突然ここに現れたと思う人はいないでしょう。

人間が設計して、人間の手によって作られ、人間が運転してこの場所に置かれたと、誰もが思います。



生命は偶発的に誕生したと言う人がいます。

細胞1つをとってみても、車よりもはるかに精緻で複雑であり、その考えには無理があります。

何者かが設計して、何者かにより創られたと考えた方が、はるかに自然です。

その何者かを、「神」と呼ぶことにします。



車は迅速に移動するための手段として作られました。

人間も何か目的があって、創られたと考えるのが妥当です。



目的もなく存在しているものは、何1つありません。

人体を観察すれば、全ての組織が全身のために存在していることが良く分かります。

たとえ目的が分からなかったとしても、個々は全体のために何らかの役割りを果たすために存在しています。


宇宙は神の心が具現化したものです。

神の心は無限の愛です。



そうであるならば、この世界はもっと愛に溢れていても良さそうです。

実際には、戦争、差別、貧困、人や動物を虐げる行いなど、神の心とかけ離れたことが頻繁に起きています。



宇宙には、無限の界層(世界)があります。

界層は、その場に放たれている波長によって決まります。

波長の高い(短い)世界ほど、神の心が忠実に表現されていると考えられます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「地上は宇宙の惑星の中で、最も進化の程度の低い部類に属します」

ショックを受けた一文ですが、神の心があまり表現されていない鈍重な世界に、私たちは生きています。



私たちは神によって創られた、宇宙(神)の一部です。

生命の本質である魂に神が宿っています。



けれども、私たちには肉体があります。

地上だけに存在する自我(以下地上の自我)が、肉体を使って自己表現をしています。

地上の自我は肉体と密接な関係にあるために、意識はどうしても自分(肉体)に向いてしまいます。

自分が空腹なのに、人に食べ物を分け与えるのは難しいのはそのためです。



私たちには、肉体とは別に霊体があります。

霊体を使って自己表現するために、霊的な自我も存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

そのために、魂に宿る神の心を表現しようとします。



日常生活では地上の自我を前面に出して活動しています。

ところが、火事で助けを求めている人がいるのを見たら、その奥にある魂が目覚めて、神の心を表現しようとします。

それにより、霊的な自我には「助けてあげたい」という衝動が生まれます。

けれども、地上の自我は「自分まで死んでしまう」と考えます。

さまざまな危険を伴う地上を安全に生きるために、霊的な自我の想いに対して、地上の自我は抑制的に働いていると考えられます。



地上には、さまざまな人がいます。

生まれる前にいた世界が違うのであれば、生まれて来る人間が違って来るのは当然です。

より多くの神の心を表現している人もいれば、ほとんど表現できていない人もいます。

その人の霊性の高低と、地上の自我の強弱によって決まると考えられます。



私たちは、神の心を表現するために存在している、神の媒体です。

そして、神の創った自然法則の働きによって、神の心をより表現できるように、成長進化して行く存在です。



神は存在しないのではありません。

地上では、神を感じられなくなるだけです。



霊界にいる時は、霊的な感覚が前面に出ているので、自分と神(宇宙)との間に一体感があります。

ところが、地上に生まれ肉体を持つと、五感が前面に出るために、霊的な感覚は後退してしまうために、神との一体感はなくなります。



神を感じられなくなる地上では、信じる必要があります。

かつての私も、神の存在など信じていませんでした。

信じていなくても、何の不都合も感じませんでした。



思い出してみると、恐くなった時や大きな不安に駆られた時に、何か絶対的な存在に無意識に頼ろうとしていました。

窮地に追い込まれた時、「神様助けて下さい」と、心の中で叫んだこともあります。

頭では神を信じていなくても、魂は神の存在をはっきりと認識しているためだと思っています。



神の存在が感じられなくなる地上では、霊界にいた時にあった安心感や一体感に代わって、不安感や孤独感が生まれます。

神の存在を信じる必要があるのですが、神の存在を明示して、信じるように促す役目を担っている宗教が、肝心の真理がドグマに塗り固められてしまっています。

現代を生きる私たちに、受け入れられないものが多々あります。

これからは、宗教に頼るのではなく、自分自身で神を見出す時代になって行くと考えられます。



今、私たちが生きているこの世界も、神によって創られました。

さまざまな人が生きていますが、それぞれがこの世界の中で役割りを果たしています。

さまざまな出来事も、全て神の法則の働きの枠内で起きていて、最終的に霊的な成長につながっています。



霊界にいては出会えない人に出会い、経験できないことを経験することによって、改めて神を見出すことは、この世界に生まれて来た1つの目的と考えられます。

自らの意志でこの世界を信じることは、神を信じることにつながり、一体感が取り戻されて、安心して生きて行けるようになるはずです。








2026年6月14日日曜日

今を生きるために


私の家には2匹の犬がいます。

犬たちを見ていて、自分もこうありたいなと思うことがあります。

それは「今を全力で生きる」ことです。



犬はどうして、今を全力で生きられるのでしょうか?

その理由の1つとして、過去や未来に捉われていないことが挙げられます。



人間は過去を思い出しては、悔やんだり、怒ったりします。

未来を想像しては、心配したり、不安を抱いたりします。

人間だから仕方がないと言えばそれまでですが、今の自分が未来の自分を作って行くと思うと、何とかしたいものです。



なぜ、過去に捉われてしまうのか?

過去の記憶は消そうにも消せません。

その記憶の多くは、特定の感情と紐付けされています。



私は幼少期に大きな犬に手を噛まれた経験があります。

そのために、しばらくの間、怖くて犬の傍に行けなくなりました。

過去の出来事によって生じた、怖れ、怒り、悲しみなどの感情が、今の自分に大きな影響を及ぼしていることは少なくありません。

けれども、それらの感情を自分の意志で消すことはできません。



十数年前ですが、山の中を放浪していたラブラドール犬のJ君を保護しました。

J君は立派な体格をしていて、ブリーダーの元で繁殖犬として飼われていて、身勝手な理由で山の中に捨てられたと推察されます。

ひどい仕打ちを受けて来たのでしょう、体には大きな傷があり、人間に対して強い不信感と怒りや怖れを抱いていて、威嚇しながら逃げ回っていました。

妻が1ヶ月くらい通って餌を与えて馴らして、どうにか捕まえることができました。



自宅の居間の片隅にJ君の居場所を作りました。

J君は、そこから飼い犬が私たちと遊んだり、甘えたりする様子をじっと眺めていました。

飼い犬のしろ

保護したJ君

「人間は怖くないんだ」と思ってくれたのでしょうか、徐々に距離が小さくなり、触れることができるようになり、散歩にも連れて行けるようになりました。

その先に、素晴らしい出会いが待っていました。

これ以上ないと思われる若いご夫婦が現れて、家族に入れてもらいました。(ご主人はJリーグチームのキャプテンでした)

怖れや怒りに支配されていたJ君ですが、奥様の深い愛情と、ご主人の強いリーダーシップによって、下の写真のように安心して今を生きられるようになりました。

劇的に変わったJ君(奥様のブログから引用)


人間も同じです。

心の中にそのような感情が占めていたら、今を安心して生きることはできません。

それらの感情を打ち消すことのできるのは、「愛」と考えています。



愛は魂から生まれています。

魂には神が宿っています。

けれども、魂や神は霊的なものであり、存在を証明することはできません。


動物を見て、「かわいい」とか「守ってやりたい」という気持ちが自然に生まれます。

それは、私たちに神が宿っているからです。

そこから愛が生まれているからです。




愛を証明することはできませんが、ほとんどの人は実感したことがあります。

愛は五感を超えたものであり、実感しているのは魂です。

目に見えない愛の存在を信じられるのであれば、目に見えない魂、そして愛の源泉である神の存在も信じられるはずです。




神は全宇宙です。

神の創った法則によって、全宇宙は進化成長を続けています。




全てが神です。

私たちは神の創った神の一部です。




神と自分は別個の存在ではありません。

神と自分の間に隔てるものは何も存在しません。



ところが、多くの宗教が神と人間は別個のものと説いています。

その理由は、神との間に入って、取り次ぎたかったからと考えられます。

真実が広まって行くことで、宗教を通して神とつながる時代は終わりを告げると考えられます。




神を信じることによって、霊的なつながりが強くなります。

神のエネルギー(愛)は無尽蔵です。

つながりを通して、内からエネルギー(愛)が湧き出します。




神が全宇宙であるならば、この世界を心から信じることができれば、負の感情は打ち消されて、今を生きられるようになると考えられます。




霊界に行くと、肉体も(地上の)自我もなくなります。

過去や未来と結びついている感情からも解放されます。

怒りや悲しみが生じるような出来事が起きることはなく、未来を憂いたり、心配したりすることもなくなり、永遠の今を生きるようになります。



地上に生きている限り、感情をなくすことはできません。

なくす必要もありません。

感情があるからこそ、人生が豊かになり、さまざまなことを学ぶこともできます。

けれども、今を生きられなくなるような感情に支配され続けてしまうと、本来の自分を表現できなくなり、地上で予定されていた成長が得られなくなる可能性があります。





「自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

自分を信じることは、自分に宿る神を信じることにつながります。

自分を強く信じられるようになれば、神とのつながりが深まり、内から湧き出すエネルギー(愛)によって、負の感情から解放されて、今を生きられるようになると考えられます。

地上では、その強い意志が求められているのかもしれません。



神とのつながりを深めるのは、一朝一夕には行きません。

若い時に、混み合った電車の中で、初めてお年寄りに席を譲った時、心がほんの少し温かくなるのを感じました。

その時は気恥ずかしさからと思っていましたが、今は神の心に適った表現をしたことにより、つながりが深まり、エネルギーを受け取ったためと考えています。



日常生活において、親切にしたり、思いやりをもって接したり、優しくしたり、励ましたり、慰めたり、労わったり、協力したり、助けたり、認めたり、許したり、感謝する、そんなささやかな行いによって、少しずつ神とのつながりが深まって行きます。

そのような機会に溢れているのが地上です。

今を有意義に生きていることになります。






2026年6月7日日曜日

愛は魂を引き付け合う力


なぜ、物が落ちるのか?

昔の人は、物には下に落ちる性質があると考えていました。

万有引力の法則の発見によって、物に地面に引き付けられる力が働いていて、落ちることが分かっています。



生まれるのも、死ぬのも同じかもしれません。

人は偶然生まれて、老いれば死ぬと、漠然と考えられていました。

生まれるのも、死ぬのも、自然法則(以下法則)が働いた結果であることが、霊的真理によって明らかにされています。



生命の本質は、肉体ではなく魂です。

生まれる前も、死んだ後も、魂に意識は存在しています。

地上に生まれて来たのは、この人生を経験しようとする意志があって、その意志に法則が働いた結果と考えられます。



意志があるところに、何かしらの目的が存在しています。

例えば、イエス・キリストは堕落した宗教から民衆を救い出すという目的(使命)があって、生まれて来たと考えられます。

それぞれの人に目的がありますが、自覚している人はわずかです。



全ての人に共通する目的は、霊的な成長です。

それなくして、生まれて来ることはありません。


緑の葉が、黄色から紅くなり、そして枯葉となって枝から落ちるのは自然現象です。

水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのも自然現象です。

全ての自然現象は、その現象を支配している自然法則の働きによって起きています。



死も自然現象です。

自然法則の働きによって、肉体から魂の完全な分離が行われます。



枯葉が枝から落ちるのは、目的を果たしたからです。

地面に落ちて、その後、土に還ります。



この世の目的を果たした人には寿命が訪れます。

死によって、肉体は土に、魂は霊界に還ります。



年を取って死ぬのならともかく、生まれて直ぐに亡くなった子供も、目的を果たしたと言えるのか?

そんな疑問を持つ人もいると思います。



自然法則の働きは完全です。

偶然が入り込む余地も、手違いも全くありません。

生まれて直ぐに亡くなった子供は、両親や家族の学びや成長を促すことを目的として、生まれて来たのかもしれません。



「無になった」「もう会えない」と思い、身悶えるような苦しみを感じている人がいます。

苦しみは、真実を受け入れるための触媒であり、法則の働きによって生じています。

「生命は永遠である」という真実を受け入れた時、事実誤認による苦しみから解放されます。




悲しみにより魂が目覚めるのも、法則の働きによるものです。

目覚めた人の中には「この世界に愛より大切なものは存在しない」ことを悟る人もいるでしょう。

このように、一緒にいたら学ぶことができなかったことを学んでいると考えられます。



「愛する者同士は離れることはない」これも法則です。

物と物の間に引力が働いているように、魂と魂の間には愛という引き付け合う力が働いています。



地上にいる人と霊界にいる人が愛し合うことは可能です。

愛し合うために必要なのは、霊界にいる人の存在と想いを、心から信じることです。

信じることで障壁が取り払われ、両者の間にリンクができます。

リンクを通して、霊界の人は地上の人の魂に想い(愛)を伝えることができます。



何もしていないのに、急に心が明るくなったり、温かくなるのを感じたのであれば、それは霊界からの想いが届いたせいかもしれません。

ある考えが急に頭に浮かんだのであれば、霊界からの想いがインスピレーションとなって伝わって来たのかもしれません。

何かをしようとする衝動が生まれたのであれば、そうするように促されていたのかもしれません。



霊界にいる人は肉体がありません。

地上にいた時のように、愛を表現することはできません。

想いを伝えて、地上の人を励ましたり、勇気付けたり、導いたりすることで、表現しています。



地上の人の想いは、ダイレクトに霊界の人に伝わっています。

信じることさえできれば、愛する想いを伝えることができます。

信じることさえできれば、愛せない苦しみから解放されます。



次元を超えて愛し合うとは、五感で感じられなくても霊界の人の想いを信じること、五感で伝えられなくても想いで地上の人を導くことです。

同次元で愛し合うよりもはるかに困難な選択を、お互いの成長のためにしたと考えられます。




生きている目的は、霊的な成長にあります。

霊的な成長を促すために、法則は働いています。



霊的な成長とは、神の心を体現できるようになることです。

神の創った法則によって、神の心を体現できるように導かれています。



神の心は、全てを愛する心です。

愛することによって、全体が強く結ばれて、最終的に1つになります。