私たちの本来の住処は霊界です。
霊界のことを知れば知るほど、素晴らしい世界だと思うようになりました。
死は喜びであると言われますが、そんな世界に戻れるのだとしたら、その通りです。
霊界では肉体がありません。
食べるために働く必要はなく、病気をしたり事故に遭うことはなく、老いることもありません。
生きるのに苦労することも、心配することもありません。
霊界は思念(想い)の世界です。
想ったことは、言葉を介さずに、電光石火に相手に伝わります。
思念は直ちに具現化します。
想いを伝えたり、形にするのに、苦労することもありません。
霊界で周りにいるのは、魂の似通った人ばかりです。
お互いに分かり合えているので、対人関係で苦労することもありません。
そんな快適で安全な霊界を離れて、何故、苦労の多い地上に生まれて来たのでしょうか?
シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。
「苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。」
居心地の良い霊界にいるよりも、困難や障害があり、危険を伴う地上を生きる方が、多くを学び、自分を大きく成長させることができると思われます。
学び成長することを期待して、自らの意志で地上に生まれて来ています。
私たちは、神によって創られた神の一部です。
生命そのものである魂には、神性が内在しています。
神性は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって発揮されています。
人間の進化成長とは、より多くの神性が発揮されるようになることです。
地上は神性が発揮される機会に溢れています。
例えば、車で走っている時に道を譲るのも、ささやかですが神性が発揮されたことになります。
動物を可愛がるのもそうです。
困っている人を助けるのもそうです。
悩みを抱えている人の相談に乗るのもそうです。
悲しんでいる人を慰めるのもそうです。
誰かのために何かをしようとする時、そこに神性が発揮されています。
自分とは違う人を認めようとするのもそうです。
他者の過ちを許そうとするのもそうです。
神性が発揮されると、周囲との間に調和がもたらされ、いさかいを避けることができます。
無心になって仕事をしている時も、神性が発揮されていると考えています。
神性が発揮されるのを妨げているのも、自分自身です。
肉体がある地上だけに存在する自我によって、私たちは自己表現しています。
その自我には、自分の身を守ろうとしたり、快適に生きようとする働きがあります。
そのため、助けを求めている人がいても、無視してしまう時があります。
自我の働きが強くなると、神性が発揮されにくくなります。
シルバーバーチの霊訓にはこうあります。
「運命全体としての枠組みはできております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するのかは、あなたの努力次第だということです。」
計画の一環として、大きな壁のように感じられる出来事が立ちはだかったり、リスクを冒して挑戦しなければいけない時があります。
「自分には無理だ」という自我の声がした時には、こう宣言するようにシルバーバーチは勧めています。
「私には神性が宿っており、どのような状況も私を揺るがすことはできない。私の魂にはあらゆる困難に打ち勝つ無限の力があるのだ」
自我に打ち勝って、神性を発揮して乗り越えて行くことは、地上に生まれた大きな目的の1つです。
地上の人生は、生きているだけで知らずに負荷がかかっています。
登り坂をずっと歩いているようなものかもしれません。
坂が急になり、疲れ果てて、これ以上登れないという時もあるでしょう。
そんな時に、神性が発揮されると、一歩を踏み出す力が内から湧き出して来ます。
霊界では、何もしなくても生きて行けます。
けれども、それでは生きる悦びは感じられません。
全体のために、何らかの役割りを果たすことで人は悦びを感じ、成長することができます。
自分に望まれている、あるいは自分が望んでいる役割りが、霊界で待ち受けているかもしれません。
その役割を果たすために、どうしても身に付けなければならない資質があったのかもしれません。
その資質を身に付けるのに相応しい経験をするために、地上に生まれて来たのかもしれません。
その経験は、困難や障害、挑戦を伴うことがほとんどです。
自分を強く信じましょう。
自分を信じれば、自分の中にいる神を信じることにつながります。
それによって神性が発揮されて、内から湧き出す力によって、必ず克服することができます。
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