昔は、神など信じていませんでした。
神は宗教の産物であり、弱い人間が頼るものと思っていたからです。
40代半ばに霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会い、神の存在を信じるようになりました。
ただ、そこにあった神は宗教が説いていたものとは違っていました。
神は自分と離れたところに存在しているのではありません。
全てのものに存在しています。
私自身も神です。
けれども、自分が神であるという実感は全くありません。
他の人を見ても神とは思えません。
そのため、その真理を受け入れるまでに、少し時間がかかりました。
自分の中に自分とは違う「何か」がいるのは、子供の時から感じていました。
その「何か」は、やってはいけないことをしようとする時に、声なき声で引き留めていました。
それこそが、自分の中にいる神です。
神が良心となって顕現しています。
人の行いの中にも、神を見る時があります。
第2次世界大戦中、リトアニアの日本領事であった杉浦千畝は、ナチスドイツの手から逃れて来たユダヤ人にビザを発給して、国外に脱出させました。
この行為は国の方針に背いたものでしたが(後に失職)、リトアニアの地を去る最後の一瞬まで続けられたと言われています。
国外に脱出できた六千人以上にのぼるユダヤ人たちは、彼の行いの中に「神」を見たと思います。
大きな行いだけではありません。
転んだ人の手を取って起こそうとする人の中にも、神を見ることができます。
出来事を許そうとしている人の中にも見ることができます。
神は遍く存在しているのです。
神を見るのは、人の行いの中だけではありません。
ファシリティドッグというのをご存じでしょうか?
入院している病気の子供たちのためにいる病院専属の犬です。
彼らは、子供たちが嫌いな注射をする時や手術室に向かう時に寄り添って、立ち向かう勇気を与えています。
つらい思いをしている子供たちを癒そうとしている犬の姿にも、神を見ることができます。
人間が訓練したので、そのような振る舞いができるようになっただけと考える人もいるでしょう。
それ以上のものが存在していなければ、子供たちに勇気や元気や笑顔は生まれません。
訓練したわけでもないのに、溺れかけている猫を救っている犬の姿を見ても、それ以上のものが存在していることが分かります。
種に関係なく、生命(魂)に神が存在しているからこそ、このような行いができるのだと思います。
それ以外に合理的な説明はできません。
神が存在しているのですが、地上では自我によって、その発現が妨げられています。
「自分の身が危ない」「自分が不利益を被る」と自我(エゴ)が出てしまえば、神が発現することはありません。
何かをきっかけにして、自我の束縛から解放された時、初めて発現します。
無限大の宇宙の中で、地球という限られた空間の中で生きている全ての生命は運命共同体です。
全体のために、何らかの役割りを果たすため、能力を発揮するために、地上に生まれて来ています。
前述のファシリティドッグも、医者や看護師にできない、自分に与えられた能力を発揮しています。
しかしながら、多くの人はその役割りや能力に気付いていません。
生命とは神そのものです。
そのことが分かったのなら、傷つけたり苦しめたりすることはできないはずです。
他者の中に神の存在を認めたのならば、戦争や差別はなくなるはずです。
最も尊いもの、聖なるものを、蔑んだり、憎んだり、壊そうとすることは、誰にもできないからです。
神の意図を実現させるために、この世界は存在しています。
私たちの中に神がいること、神性でつながっていることに、多くの人が気付くことによって、神が意図した愛と喜びに満ちた世界へと変わって行きます。
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