地上は物質の世界、霊界は思念の世界と言われます。
もう少し具体的に言うのなら、地上は思念が物質(肉体)を介して表現される世界であり、霊界は思念がそのまま表現される世界です。
例えば、地上では心の中にある想いや概念を、文字や言葉などに置き換えて、五感を介して相手に伝えます。
一方、霊界では思念は、直接相手の魂に伝わります。
思念(想い)は波動です。
地上の人にも波動を受信する霊的な感覚が備わっていますが、五感から入る情報量に圧倒され、伝わって来ている思念に気付くのは困難です。
それでも、伝わって来た想いを感じ取り、共感する時があります。
地上と霊界の違いは、肉体の有無です。
地上では肉体があるために、活動するには食物を摂らなければいけません。
食物を摂るためには、お金が必要になります。
お金を得るためには、働かなければいけません。
働くとは、人や社会のために精神や肉体を使って奉仕することです。
地上は生きて行くために、何かしらの奉仕をしなければいけない仕組みになっています。
肉体がない霊界は、食べて行くために働く必要はありません。
束縛するものは何もなく、好きなことを自由にすることができます。
毎日が休日のようなものであり、地上にいる私たちには羨ましく思えます。
地上も霊界も、生きる目的は同じです。
自分(魂)を成長させるためです。
困難や障害を乗り越えて行くこと、愛を表現することで人は成長して行きます。
けれども、肉体のない霊界では、地上のような困難や障害は存在しません。
争いや病気もなく、生きて行く上での不安や心配もありません。
好きなことが自由にできても、魂を成長させることができなければ、生きている目的を果たしているとは言えません。
いくら楽しくても、それだけでは虚しさを感じます。
そこで、霊界では起こり得ない出来事を経験するために、地上に生まれることを志願します。
自分を成長させるための人生が計画され、それを承知して母体に宿ります。
成長させるのに相応しい出来事が、最適のタイミングで起こります。
その出来事は往々にして苦しみや痛みを伴うものなので、そのことをすっかり忘れている私たちには、不幸な出来事としか思えません。
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
「困難こそ魂の肥やしです。むろん困難の最中にある時はそれをありがたいと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかしあとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。」
そして、こうも書かれています。
「あなた方にとって悲劇に思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸運と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることがあるのです。」
魂の成長という観点から判断している霊界では、起きた出来事の捉え方が地上とは真逆になります。
愛を表現することによっても成長して行きますが、何も難しく考える必要はありません。
人に親切にしたり、動物に優しくしたり、困っている人を助けたりするのは、愛を表現していることになります。
励ましたり、慰めたり、寄り添うことも、愛を表現していることになります。
許すこともそうです。
他者の幸せを願うこともそうです。
誰かが喜び、笑顔になれば、それで愛を表現していることになります。
霊界では、愛は実在として認識されています。
地上では五感により認識されないので、言葉や行動に置き換えて表現することになります。
表現の中に込められた想いを察することになります。
霊的な感受性が高ければ、(霊界と同じように)想いを直接感じ取れるでしょう。
地上的なものを手に入れた時の喜びは束の間です。
けれども、愛を表現した時、表現された時に得られる霊的な悦びには永続性があります。
霊的な悦びを得た地上での経験は、好きなことだけをして生きて行ける霊界において、全体のために何かをしようとする原動力になります。
霊界で自律的に成長して行くために必要な経験を地上でしています。
霊界では「愛」をどのように捉えているのでしょうか。
シルバーバーチは、このように表現しています。
「愛あればこそ全宇宙が存在するのです。宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。」
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NASA公開画像より |
霊界に行くと、想いは直ちに具現化されます。
それと同じです。
神の心(想い)が具現化されたものが宇宙です。
神の心は無限の愛です。
無限の愛が、宇宙に表現されています。
宇宙の一部である私たちにも、神の心が表現されていて、無限の愛を内在しています。
魂の成長とは、より高い愛を、より強く表現するようになることだと考えています。
別の言い方をすれば、神に近づくことです。
それによって、全体に調和が生まれ、霊的に1つになって行きます。
より強い愛を表現するためには、より強い意志が必要になります。
自分を表現するために肉体的、精神的な労力が必要とされ、困難や障害が存在する地上を生きることで、表現するための意志が培われていると考えられます。
今生の労苦は、霊界で活かされます。
愛は最も強い(波長の短い)波動です。
神を内在している私たちは高い波動を放っていますが、幾層にも重なった媒体によって、最終的に放たれる波動(表現)は低いものになっています。
幾層にも重なった媒体が、自然法則に働きによって、1つ1つ脱ぎ捨てられて行きます。
肉体の死もその一環です。
媒体がより精妙になるのに伴って、より高い愛が表現されるようになります。
霊界に行くと、地上とは比べものにならないほどの一体感が感じられるようになります。
全ての存在が霊的につながっていることが、はっきりと分かるようになるからです。
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