2021年4月11日日曜日

真実は内に隠されている


「自分とは一体何だろう?」と、漠然と思う時がありました。

そんな時は、目に視える自分とは違うと、何となく感じていたのかもしれません。



「自分とはいったい何だろう」と思う意識そのものが自分です。

そんな意識は、どこで生まれているのでしょうか?

多くの人は、脳で生まれていると考えています。



ところで、人の性格はどこで生まれているのでしょうか?

世の中には、怒りっぽい人もいれば、泣き虫な人もいます。

脳内伝達物質の働き方によって、性格が決まると考えている人がいます。

アドレナリンが出やすい人が怒りっぽいのでしょうか?

そんな単純なものではありません。



意識がどこで生まれるのか、性格がどのようにして決まるのか、現代科学で解明されていません。

それは当然です。

意識や性格は、脳から生じているものではないからです。



意識は魂から生じています。

魂の様相の一部が、精神に投影されたものが、地上の人の性格となります。



地上の人間は、魂、精神、肉体の3者から成り立っています。

肉体を動かしているのは脳です。

脳に指令を与えているのが、精神です。

精神の上位に魂が存在しています。

精神は魂と肉体(脳)の間にあり、両者の橋渡しをしています。

肉体を動かす元となる思念は魂から生じています。

それが精神により具体化され、肉体で具現化されています。



ほとんどの人は、物質的な次元に生きていると思っています。

肉体は物質的な次元の存在ですが、魂は霊的な次元の存在です。

つまり、私たちは物質的な次元に生きていると同時に、霊的な次元に生きていると言えます。

死によって肉体から魂が分離すると、物質的な次元と関りがなくなり、完全に霊的な存在となります。



鏡に映っている肉体を見て、これが自分だと思っている人は多いです。

けれども、本当の自分とは鏡には映らない、意識的な存在です。

肉体は、自分(魂)を表現するための媒体に過ぎません。



地上の人間は、肉体、精神、魂から成る多元的な存在です。

私たちが発している言葉も、実は多元的です。

言葉は文字として見え、声として聞こえるので、物質的な次元の存在です。

その言葉に、次元の違う想い(思念)が込められています。



私たちが良く口にする「ありがとう」を例に挙げてみます。

「ありがとう」は感謝の意味を表す言葉です。

言葉は、地上だけに存在する、他者に意味を伝える一種の記号です。

肉体によって発せられて、五感を通して相手に伝えられます。



もし、コンピューターにより合成された音声で「ありがとう」と言われたらどうでしょう?

言葉そのものしか伝わって来ません。

人から心を込めてありがとうと言われたらどうでしょう?

言葉以上のものが伝わって来ます。

言葉の中に、想い(思念)が込められているからです。



人が発した「ありがとう」と、コンピューター音声の「ありがとう」の決定的な違いは、想い(思念)を含んでいるかいないかです。

想いは、魂から発せられています。

当たり前ですが、生命でない機械は言葉に想いを込めることは出来ません。

人間が発した言葉には、物質的な記号としての意味の他に、霊的な次元の想い(思念)が含まれています。

記号と思念が組み合わさった、多元的なものです。



発せられた言葉は、耳と言う感覚器官で受け取っています。

受け取った情報は脳で処理され、その意味を理解します。

けれども、言葉に込められた想いは、五感で感じ取ることは出来ません。

魂が感じ取っています。



人間が発した言葉でも、感謝の気持ちが込められた「ありがとう」と、社交辞令の「ありがとう」があります。

その微妙な違いを感じ取れるのは、私たちは霊的な存在であり、霊的な感覚があるからです。



もし、人間が肉体だけの存在だったらどうでしょう?

個と個の間で交わされるのは、機械的な情報の伝達のみです。

感情は無意味であり不要です。

ありがとうと言う、感謝の概念自体も存在しないでしょう。

魂が存在しているからこそ、私たちは喜んだり、悲しんだり、感謝したりするのです。



地上がやっかいなのは、発する言葉と、想いが一致しないところです。

思いもしていないことを口にされたり、口にしたりします。

相手に騙されたり、騙したりすることが可能です。



言葉はお粗末な思念の代用品です。

自分の想いを、完全に相手に伝えることは不可能です。

そのため、発した側と受け取った側の間に、どうしても齟齬が生じてしまいます。

地上にいる人たちが、お互いに分かり合えないのは、生き方や考え方が違う以外に、意思伝達が上手く行かないことも原因になっていると考えられます。



死んで、霊界に行くと肉体はなくなります。

言葉はなくなり、思念だけとなります。

思念が魂から魂へと、直接伝わります。

想いもしていないことを伝えることは不可能になり、意思伝達の齟齬も全くなくなります。



良く霊界は「真実の世界」と言われます。

それは、地上では嘘が存在し得るのですが、霊界では真実がそのまま表現されてしまうからです。

魂が剥き出しになり、想いが露わになるので、裏表や虚構が存在し得ないのです。



人はなぜ歌を歌うのでしょうか?

言葉や音楽という媒体を介して、自分の想いを伝えるためです。

優れた歌手は、たくさんの想いを歌に込められます。

込められた想いは、聴く人の心(魂)に響いて、共鳴させることが出来ます。



絵画はどうでしょう?

画家は、自分の想いを込めながら描きます。

込められた想いを、観る人は作品から感じ取ります。

芸術鑑賞とは、物的表現から作者の思念を読み取る、一種のサイコメトリーな作業です。

偽物はどんなに上手に描かれていても、観て感動しないのは、作者の想いが込められていないからです。



地上の人間も、霊的な存在です。

霊的な感覚は誰にでも備わっています。

しかし、肉体があるために、思念は直接伝わり難くなっています。

そのために、五感で判る言葉に変換して、肉体を介して伝えるしかありません。

別の言い方をすれば、人間はあまりにも言葉に頼ってしまったために、想いを感じ取る霊的な感覚が廃用退化したと考えられます。



目に視えるものが全てと思いがちです。

けれども、起きている現象や人が行っていることも、目に視えない意味や目的が存在しています。

私たちは、物質によって隠されている真実を探る作業を、日常的に行っています。

真実を隠すことの出来ない霊界では、その必要はありません。

地上でのその作業は、お互いが深く判り合えることにつながり、霊界において調和が促進されると考えられます。



今朝、小鳥の鳴き声を聴きながら起きました。

目覚まし時計のアラーム音は時に不愉快な気分にさせられますが、朝の小鳥の鳴き声からは、生きている歓びのようなものが感じられ、元気付けられます。





12 件のコメント:

ぜんまい仕掛の公家 さんのコメント...

生きるのが辛い。自殺は許されないんでしょうか?

イクミ さんのコメント...

ぜんまい仕掛の公家様

初めまして、イクミです。
あなたがどの様な状況に置かれているのか判りませんが、自殺は絶対に許されません。
今の死の誘惑に駆られる状況に耐えて生き抜くことを、生まれる前のあなたは承知していた可能性があります。
もしそうであれば、自分にした約束を破ってしまうことになります。
その先に待っているのは、苦しみから解放された、安らぎではありません。
より大きな苦しみと深い後悔と暗闇です。

人は経験を通して、学び成長するために、この世に生まれて来ています。
苦しみを乗り越えて行くことで成長は得られます。
この世では、辛く苦しいことが起きるようになっているのです。

ご存知だと思いますが、大切な真理があります。
それは、乗り越えられる出来事しか自分に起きないと言うことです。
どんなことが起きたとしても、そのことに例外はありません。

今が人生の正念場です。
試されていると思って下さい。
真理にしがみついて、生き抜いて下さい。

匿名 さんのコメント...


イクミさま

お世話になっております。
毎週、更新楽しみにしております。
ありがとうございます。
わたしも霊的真理をちょっとかじっているものとして、
ぜんまい仕掛の公家さまに…。ごめんなさい。



ぜんまい仕掛の公家さま

見ず知らずの私が言うのはものすごくおせっかいですが、
生きていればだれでもそのように思うと思います。
私も、何度も何度も思います。

私たちの本来の住処は地上ではなく霊界なので、是非是非ここで踏ん張っていただきたいです。
何かあればイクミ様やここで相談すればちょっとは気持ちが軽くなると思います。
ここに集まる方々は、やさしい方々ばかりです。

最近よく思うのは、みんながみんな自分以外の人に手を差し伸べれる、
やさしくしく対応できる世の中になれば、居心地がよくて、地上でのできごとも頑張ろうと思う
世の中になるのにな~とつくづく思います。

自分もよく悩みどうしようと思います。

この世では目に見える存在は自分だけとおもいがちですが、あの世に返れば、ぜんまい仕掛の公家さまのことを思っていらっしゃっる方々もたくさんいらっしゃるはずです。
ぜんまい仕掛の公家さまが地上の人生をしっかり生きられたあかつきには、
「つらかったね。よく頑張ったね。お疲れ様。」と喜んでくれる方々が待っていますよ。
一人ではないこと、乗り越えられると信じて、生きてほしいです。

イクミ さんのコメント...

匿名様

こんにちは。
ぜんまい仕掛の公家様へのコメント、ありがとうございます。

ラッパ吹き さんのコメント...

ゼンマイ仕掛けの公家さん、

今朝からとても迷いましたが、私もコメントさせてください。

何を言われても、どんな慰めも救いに思えない、そんな途轍もない大きな苦しみがあります。私にもそれがありました。今も、そうかもしれません。

私の弟は自殺しました。

誰かと比べても、たとえ三重苦のヘレン・ケラーや、憎まれ殺されたナザレのイエスや、アウシュビッツで殺されたたくさんの人たちと比べられても、それは自分ではないのですから、苦しみに悶え苦しんでいる今の自分を救ってはくれない。。

もし、知りたいと思われるなら、自殺した霊が送ってきたメッセージがあります。
フランスのアラン・カルデックという人が受け通信です。
出版元がどこであれ、信頼できる古典です。

自殺した人たちがどれほど苦しんでいるか、それは現世の苦しみより遥かに遥かにひどい苦しみです。

おどすつもりではありません。わかってください。
どうか、先人のアドバイスに耳を傾けてください。

アラン・カルデック著
「霊との対話」
(この前編にあたる書籍がありますが、日本語タイトルが刺激的なので伏せます。)

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き

適切な書籍をご紹介していただき、ありがとうございます。

ナオヤ さんのコメント...

>おはようございます。
今日、ルートの確保の練習をするのですね。
個人的には、血管選びで9割は決まると思っています。
末梢から見て二股に分かれているところが、血管が動きにくく、ねらい目です。
老人は血管が動きやすく、硬化を起こしている時もあるので、気を付けて下さい。
指導する先生の話を良く聞いて、思い切ってトライしてみて下さい。

アドバイスありがとうございます!全く同じことを先生もおっしゃっていました笑
ただ、頭で分かっているのと、実際に出来るのはぜんぜん違うなぁと実感しています^^;
本買って勉強します。

あ、この時間にコメントしているのは当直明けだからです笑 当直と言ってもほとんど無力でしたが^^;
でも、ルート確保は出来ました。。不安定ながら。。
頑張りすぎずにがんばります。

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

こんにちは。
初めてのことは何でも緊張しますが、ルート確保出来て良かったです。

当直明けなのですね。
ゆっくりと休んで下さい。

ミカン さんのコメント...

イクミ様

こんばんは。
今日は、というか、今日も…愚痴っぽい内容になりますが、色々参っている事があり、こちらに吐き出させて下さい…。
身近に心の内を吐き出せる人があまりいなくて、申し訳ありません…。

実はこの春に小2になった長女の事ですが、学校で前の席の子と、後ろの席の子に色々言われたり、やられたりして困っています。一年の時からの持ち上がりなので、クラスメイトや席順は三学期から変わってなくて、これまでにも、長女はこの二人に色々やられて泣いてしまったり、辛い思いをしていて、心配はしていました。

それが、昨日はいよいよ、それは酷いでしょ!と言う事があり、我慢ならず、今朝、担任の先生に連絡帳で報告しました。
持ち帰った返事には、『二人に長女の気持ちを分かってもらう様、話をします』と書かれていましたが、実際は何もしてくれていない様です。
というのも、今日もまた二人から同じ様に言われり、されたりした、と言っていて、悲しくて泣いてしまったらしいです。先生は長女が泣いてる事に気付いているのに、声かけもせず、放置、だったらしく、もうその話を聞いて私も参ってしまって。
こんな事は言いたくありませんが、正直、担任の先生にも不信感で一杯です。担任も一年からの持ち上がりで、一年の頃からこの先生にはずっと不信感を持っていましたが、ここまでなんだな、と感じて、絶望感で一杯です。
この先生は個人的な好き嫌いで生徒への対応を変えている節があり、長女はあまり気に入られてない様で、日々、冷たい対応の様です。
先生が怖いと、長女はいつも言っています。
私はもうこの先生を全く信じてません。子供を預けるのが毎日、心配です。
ひとまず、今日あった事や泣いていた理由を再び連絡帳に書きましたが、何も期待できず、困ってしまいます。

あまり事を大きくはしたくないし、本当に、どうしたものか。
席替えがその内あるでしょうから、そこで席を離してくれる事を祈るのみです…。

長女には、『お母さんはあなたの味方だからね』と話しました。しかし、状況を変えてあげられなくて、無力な母です。

守護霊には毎日、祈っています。どうか、長女を助けて下さいと。正しい結果になります様に、乗り越えていけます様にと。

また、これは私自身の事になりますが、対人関係が非常に厳しい中で、次女の通う幼稚園の役員が今年は当たっていて、そちらでも気を揉む事ばかりで、もうあちこちに火種があって気が休まる暇がありません。
あまりに辛くて、主人に、もうお願いだから転勤になって!!と泣きついてしまいました…。
主人も仕事では色々苦労してるのに勝手な嫁ですよね…。

イクミさんにコメントを書く時は毎回、愚痴ばかりでごめんなさい。


イクミ さんのコメント...

ミカン様

お久しぶりです。
お子さんのことで心配したり悩むのは、自分のことよりもつらいですね。

小さい子供とは言え、それぞれ個性を持った人間ですから、集まればいろいろなことが起きます。
それが学校と言う場であれば、先生が間に入り、諫めなければなりません。
お話をお伺いすると、担任の先生はその能力にどうも欠けているようですね。

小さな子供は、一言で言うとまだ成長しておらず、他の子の気持ちを察することが出来ません。
自分たちが面白ければ、気が済むのであれば、それで良いと思っています。
そんな時に先生が「あなたたちがやっていることで、○○さんが嫌な思いをしているでやめなさい」とはっきりと言うべきです。
善いこと、悪いことを子供たちに教えることができないのであれば、教師としての資質を問われます。
もし、個人的な好き嫌いで、対応が変わるのであれば、なおさらです。

先生にもう1度伝えて、しっかりと指導してもらうのが良いのでしょうが、それが期待できないのであれば、娘さんに「嫌だから止めて欲しい」と、前後の子に伝えるように言ってみてはどうでしょうか?
この世では、自分の気持ちを言葉で伝えなければ、相手に分かってもらえません。
相手に気持ちをしっかりと伝えることの大切さが分かる、良い機会になるかもしれません。
私自身も伝えるのが上手くなかったので、小さい時に親から「しっかりと自分の気持ちを言いなさい」と言われていれば、少しは違っていたのかもしれないと思う時があります。
もちろん、性格的に言えないお子さんもいます。
それでも、これから先お子さんが生きて行く上で、意思表示は必要なスキルになるのは間違いないと思います。
いろいろな人がいるから、頑張って自分の気持ちを伝えないと分かってもらえないよと、話をされてみてはいかがでしょうか。

お子さんのことを1番知っているのは、お母さんであるあなたです。
これはあくまでも、事情を良く知らない私の意見ですので、読み流していただいて結構です。

ミカン さんのコメント...

イクミ様

昨夜は返信ありがとうございました。いつも親身になって答えて頂いて、本当に感謝しています。

今朝、連絡帳で再び対応をお願いしたところ、先生が二人に話をしてくれた様です。
今日、帰ってきた長女から一通り話を聞きいて、少し安心しました。
長女もホッとしている様です。

長女には常々、思っている事はハッキリ相手に伝えなさいと、言っていましたが、中々、言い出せなかったり、言っても相手が聞いてなかったり、色々みたいでした。
長女の心の中には、『もし、自分が言い返して、クラスの子とトラブルになったら先生はきっと私一人を悪者にする。私の話はきっと先生は信じてくれない。だから怖くて強く言えない』そうです…。

幼稚園の頃は先生と信頼関係ができていたから、伸び伸びと自分を表現してましたが、今はなかなか…。

長女には、『もし、先生が信じなくても、お母さんはあなたを信じてるから。だから、心配しないで、嫌な時はハッキリ、イヤって言っていいよ』と改めて伝えました。

この先生との出会いもきっと霊的には意味があるのかもしれないし、成長の糧にしていける様に見守っていきたいです。

愚痴を聞いて頂いてありがとうございました。また、アドバイスも嬉しかったです。

イクミ さんのコメント...

ミカン様

こんにちは。
先生が二人に話してくれたそうで、良かったです。
すぐ想いを巡らしてしまうお子さんで、先生のことが信じられないのは可哀想ですね。

私も自己主張したくないタイプであり、お子さんの気持ちが判るのですが、正当なことであれば、余程のことがない限り、悪い結果は生じません。
性格的に難しいのかもしれませんが、嫌なことをしないでと強いオーラを出しながら言うのも、鈍感な人(子)に対しては、必要だと思います。

また何かあれば連絡して下さい。