2022年11月13日日曜日

人生は続いている


人は死後も生き続けます。

残念ながら、そのことを客観的に証明する手段はありません。

今は、それで良いと思っています。



人は成長するために生きています。

楽しいだけの人生では成長は叶いません。

困難や障害を乗り越える中、他者への奉仕をする中で、人は成長して行きます。



地上の人生には、学び成長するためのシナリオがあります。

シナリオに沿って、さまざまな出来事が起きます。

あまりのつらさに、現実から逃げたくなるような出来事も起こります。



そんな時に、あの世があることが証明されていたらどうでしょう?

現実から逃れて、そちらに行ってしまう人が続出してしまうような気がします。



人の寿命は予め決められています。

その時が来るまで、生き続けなければいけません。

自分の行為には、法則が働いています。

自らの意思で地上の人生を中断してしまう行為は、法則に反しているので許されません。



私たちは、肉体を携えた魂(霊)です。

肉体が有する五感以外に、霊的な感覚も持ち合わせています。

けれども、五感から入る情報が圧倒的に多いために、霊的な感覚から入る情報に気付きにくくなっています。



霊的な感覚が弱くなっている地上の人の多くは、視えている世界が全てだと思っています。

それは事実誤認です。

肉体を失った後に待ち受けている世界が、私たちの本来の住処です。



本来の住処を離れて、この地上に生まれて来たのは偶然ではありません。

明確な目的があってのことです。

しかし、生まれる前のことは、意図があって思い出せないようになっています。



この世が全てと思い、感情に捉われて苦しい思いをしている人がいます。

(出来事が起きて)自分はもう終わったと嘆く人もいるでしょう。

理不尽さに憤りを覚える人もいるでしょう。

運命を呪う人もいるでしょう。

人を妬んでしまう人もいるでしょう。

それらの感情は、適切な知識がないために生じています。

この人生で終わりではありません。

計画された通りに出来事が起きています。



お金や地位や名誉と言った地上的なものに捉われ、大切なものを見失っている人は少なくありません。

捉われたまま、あの世に行く人もいます。

死んだ後に、この世の人生を振り返る時が来ますが、そんな人は、成長に乏しい意味のない人生だったことに気付いて愕然とします。



今度は成長すると誓って、再び地上に生まれて来ることになるでしょう。

成長するためには、大切なものを自分で見い出さなければいけません。

見い出すための出来事が組み込まれた人生のシナリオが立案され、相応しい環境に生まれることになります。



当初は、前生と何も変わっていません。

再び地上的なものを追い求めることになりますが、多くを手に入れ有頂天になっている時に因果律が作動して、予定されていた出来事が起こります。

その出来事は病気かもしれません。

生命を脅かすような病気になれば、これまで必死に追い求めていたものは何の役にも立たず、意味がないことに気付きます。

不安や孤独に襲われている時に、勇気付けられたり、励まされたら、生きる力が湧いて来るでしょう。

心身が弱っている時に、優しく介抱してもらえれば心が安らぎます。

経験を通して、大切なものに気付くことになります。



病気になり、生き方が大きく変わった人がいます。

そんな人は、魂が目覚めて、目に視えない大切なものに気付いたと思います。

病気になって大切なものに気付いたのではなく、大切なものに気付くために病気になったと考えられます。

最悪のタイミングで最悪の出来事が起きたように見えて、霊的には最善のタイミングで最善の出来事が起きています。



物語の1つの章を読んだだけでは、内容を理解することはできません。

前の章から通して読んで、初めて内容を理解することができます。

私たちが認識しているのは、物心がついてから現在までの自分です。

このわずかな期間で全てを判断しようとするのは、1つの章だけを読んで物語全体を理解しようとするのと同じです。




偶然としか思えない出来事は、生まれる前に原因(目的)があったのかもしれません。

原因が判った方が納得しますが、死後の生が証明されないのと同じで、成長にとって有益でないために、知らされないと考えられます。

たとえ知らされたとしても、自尊心が傷つけられるのを嫌い、都合の良いことしか信じないのであれば、受け入れるのは困難です。



霊的に大切なことは、頭で理解するものではありません。

魂にまで響く出来事を経験して、魂が得心するものであり、そこから新たな成長が始まります。

そして、この世の先に待ち受けている世界で活かされることになります。







13 件のコメント:

紀子。 さんのコメント...

イクミ様。

夜分遅くに申し訳ありません。

生きている事の罪悪感、例えば美味しいものを食べたとき。
懐かしい曲を聴いたとき。

どれもこれも、解っていても辛いです。

彼と過ごした日々。
とても幸せでしたし、毎日が嬉しかった事、改めて感じる一方で、最近思う事は 彼と過ごした日々が夢の出来事の様な、そもそもあの時間が本当だったのか、彼自体存在していたのか。
なんだか良く分からなくなり、どう気持ちを落ち着かせれば良いのか、分からずただ時間が過ぎるのを待つ。

そんな事が増えました。

とても辛いです。
何故、こんなにも寂しいのに逢えないのか。

これも自分が課した人生なのでしょうか。

もう随分と疲れた気がします。

すみません。

紀子。

イクミ さんのコメント...

紀子様

おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

眠れずに、おつらい思いをされていたとお察しします。
まず、生きていることに罪悪感を持つのは止めましょう。
その想いが彼に伝わると、死んでしまった罪悪感になってしまうからです。
難しいでしょうが、今、生じている感情を、彼がいないことと結びつけないように努めましょう。

時間が経過すると記憶が薄れて行くのは、自然の摂理です。
それも神の愛ではないでしょうか。

何回も言っていることですが、ここまで悲しい思いをされるのは、お二人は魂のレベルでのつながりだからと思われます。
本来の住処も同じで、1番大切なもの(愛)を深く理解し、さらに強く結ばれるために、この別れを選択したと考えられます。

つらいことですが、悲しければ悲しいほど、つらければつらいほど、深い学びが得られるようになっています。
こんな思いをするのならば、学ばなくても良いと思われるかもしれませんが、学び成長することが、生命の宿命です。
誰もがどこかの地上の人生で経験することになっていて、紀子様は今生だったと思われます。

今の寂しさ、悲しみ、つらさは、次の世界で全て報われます。
強い愛で結ばれるようになります。
悲しい別れは、もうありません。

神の姿は視えません。
法則として顕現しています。
法則に従って、私たちは神の望む方向に導かれています。
出来事は計画に従って起きています。
今、自分に必要な経験をしていて、必ず悦びの結末を迎えてると強く強く信じて下さい。
この経験は、次の世界で他者のために活かされます。

あさよ さんのコメント...

いくみ様
ブログ読ませて頂きました。
正にこのお言葉通りだと私は実感しています

病気になり、生き方が大きく変わった事
魂が目覚めて、目に視えない大切なものに気付いたと事。

主人が癌になり、私自身も癌を経験し変われた事に今更なが感謝しています…
人様からの思い遣り決してお金では手に入らないものを知りました。

いくみ様
人は死後も生き続けます
本当だと思えます
先日、母の3回忌の法要をしました、家族8人で、
少しお寺さんにはご迷惑とは思ったのですが
祖母と実弟の27回忌も一緒にさせて頂きました。

御住職様から
供養ができる幸せを感じ、霊界に逝かれたご家族はあなた方の幸せをと思っていますょ。
そばに居ますから
お話をして下さいねと。
90歳の御住職ですがお話が現実的で素晴らしいです。
いくみ様
私、寿命まで頑張ります。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

おはようございます。
病気になったり、大切な人を亡くされて、目の前が真っ暗になった時、真理は光り輝きます。
残念ですが、明るい日差しを浴びながらの人生では、見つけられないようになっています。

死後に生き続けるのも真理です。
何もなければ、そんなことは考えもしなかったでしょう。
大切な真理を自分のものにするために、この世を生き、さまざまな経験をしています。

そうですね。
供養ができるのは幸せなことです。
ずっと想っていられるような人と、この世で巡り会えたのですから。

こちらの想いは向こうの人に届いています。
向こうの人は、その想いに応えて、見守り続けています。

匿名 さんのコメント...

イクミ様

【人生は続いている】素敵なメッセージを毎週更新ありがとうございます。
地上で生きていると忘れがちになりますが、イクミ様のブログに来て考える時間を設けさせていただいております。毎回、心に響くメッセージに感謝いたします。

 
『人は死後も生き続けます。』『人は成長するために生きています。楽しいだけの人生では成長は叶いません。困難や障害を乗り越える中、他者への奉仕をする中で、人は成長して行きます。』『経験を通して、大切なものに気付くことになります。』…安定的な生活を送りたいと思いますが、光の世界にいたときに自分のシナリオを決めて地上に生まれてきたわけで。課題を終了するまでは戻れない。なんだかわからないけど涙がこぼれ落ちます。魂に響いてるからでしょうね。人生は今生限りではないのも存じておりますが、人生はなんでなんでの連続。ま、自分の魂を輝かせるために必要なのだから仕方ないですね。みんな課題が違うけれども、みんな自分約束してきたことに取り組んで、順調に魂成長中なんですよね。


『霊的に大切なことは、頭で理解するものではありません。魂にまで響く出来事を経験して、魂が得心するものであり、そこから新たな成長が始まります。そして、この世の先に待ち受けている世界で活かされることになります。』真理を知って間もないですが、頭では理解できないんですよね。理解したつもりでも。お預かりしている体に入るからこそわかることたくさんあるんですよね。私は、母を病気で亡くしましたが、死は痛みからの解放であり、地上の卒業とは知っていても、体は耐えきれないストレスを抱えてました(涙)これが、地上で学ぶっていうことだと思っております。なんでも叶う世界からわざわざ肉体を携えて地上に体験しに来る。肉体に宿って体験。。。理解しているつもりでも、感じていることは真逆で(涙)日々いろんなことを感じながら生きていることでいろんなことを学ばせていただいていると思っております。実際に体験しないとわからないことだらけですね。


誠にありがとうございます。
また、紀子様のメッセージにも言葉を添えさせてください。
自分のこともままならない私が言うのもおこがましいと思いましたが…。




紀子さま


すごい課題に挑戦されていますね。魂の叫びですね。叫んでください。
何も知らない私が言うのもへんなお話なのですが。
紀子様は、今、自分が光の世界で作った課題を順調に味わって、味わって、感じて、感じていらっしゃるんだと思います。とてもお辛いかもしれませんが、順調です(涙)
大丈夫です。そんなに強い人はいないと思います。私も強い魂ではありません。
真理を知っていながらもいまだに母の死には涙します。
時間というお薬が一番効果的だと私も思います。
時間をかけて、おひとつ、おひとつ、自分の感情をノートに書き留めて、たくさん泣かれてもよいと思います。自分の感情に気づけば、ちょっとずつちょっとずつ前に進めるような気もいたします。
光の世界に旅立たれたことは、地上にいる私たちには計り知れないものがありますが、ちゃんと存在しています。そばで紀子様のご様子をご覧になっていると思います。


逆のことを考えてみてください。もし、自分が光の世界へ行ったとします。彼が地上で紀子様のように寂しくお辛い状態だとしたらどうされますか???彼にどうなっていただきたいですか???たぶん、幸せに生きていってほしいってお声がけされると思うんです。落ち込まないでって、おっしゃると思います。絶対、近くでご覧になられていますよ。視えたらどんなにいいことかとも私も思います(涙)


私もそうですが、自分のことって気づかないものです。なので、立場を変えてみたらよいと思うのです。なかなか気持ちを変えるのは難しいことではありますが、彼のために自分のために光の世界で喜び合って会えるのを心待ちに地上を無事に生き抜く。。。


生きているのは、やることがあるんです。紀子様にしかできないことが。
お迎えが来るまで生きないといけないんです。(私もこれ、自分によく言い聞かせます。)
自分で決めたんだもの。私も約束したこと忘れちゃってますが。
『生きている事の罪悪感、例えば美味しいものを食べたとき。懐かしい曲を聴いたとき。』神様は修行のなかにもちゃんと魅力的なことも準備してくださっていますから、ぜんぜん罪なんかじゃないですよ。残されたものとして、地上人生しっかり生きましょう。私も紀子様のこと応援しております。

言葉でいうほど簡単じゃないんです。よくわかっています。
気に障る文面がありましたら、申し訳ございませんが、生きるしかないんです。
地上を生き抜いて彼に会うしかないんです。私も母に喜んでもらいたいから、頑張って生き抜きます(涙)おかしいこと言って、すみません。



えり


イクミ さんのコメント...

えり様

こんばんは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

私たちの人生はおよそのシナリオがあります。
シナリオがあるのは、効率よく自分に足りない部分を補うためと考えられます。
乗り越えられない困難は起きないと言われているのは、神の叡智により法則が創られていて、出来事は法則の働きによって起きているからです。
挫折させるのではなく、成長させるのが神の意図です。
ぎりぎりまで追い詰められるようなことがあったとしても、絶対に大丈夫と信じていれば良いのです。
霊的真理は極めてロジカルであり、知れば知るほど納得が行きます。

そうですね、肉体に宿った途端、五感が絶対的なものになり、この世が全てだと錯覚してしまいます。
霊界にいる時の記憶が少しでも蘇れば良いのですが、そうは行かないようです。
日常生活に追われていると霊的意識が薄らいでしまうのは、私も同じです。
毎日、少しの時間を見つけては、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に触れるようにしています。

さくら さんのコメント...

イクミ様

ご無沙汰しております。
私は今月に入り、めまいや耳鳴り、そして突然腰を痛めてしまったことで思うように日常生活が送れず、こちらにも暫く伺えずにいました。
座る時や立ち上がる時、寝る時にさえも激痛が走り、大きく声をあげてしまうほどでした。
また酷いめまいのためスマホやPCからも少し離れていました。

お陰さまで今は回復し普通の生活を送ることができ、座ることや立つことなど当たり前になっている動きを痛みなくできるのは、本当にありがたいと心から思っています。

思えば体の不調が起きる前の私は、疲れや睡眠不足が続いても休むことをしないで、忙しさを理由に自分自身を労ることをしていませんでした。

この肉体は地上にいる間の魂の乗り物であり、この身体があるからこそ、この世での様々な体験ができるのですから、大切に大切に扱っていかねばならないと痛感いたしました。

心身共に整っていましたので、またヒーリングのお手伝いをさせていただきます。
宜しくお願いいたします。


紀子様

さくらです。
紀子様の『そもそもあの時間が本当だったのか、彼自体存在していたのか。』という言葉…。
私も全く同じように感じていました。

家族でも恋人でもなかった彼と私でしたので、物質的なものが沢山残っているわけでもなく、あるのはただ、私の中にある、彼がずっと支えて寄り添ってくれたことやいただいた沢山の言葉、そして彼への感謝と愛だけです。
どれも形がありませんし目に見えないので、彼が存在していたことも夢だったのではないかと随分思いました。

でも目には見えず手に取ることはできませんが、彼からいただいたものは溢れんばかりに私の中にしっかりあります。

紀子様も同じではないでしょうか。
紀子様の中にも、大切な愛しい方からいただいたもので溢れていると思います。

そんなにも紀子様の心の中を、沢山の愛情で埋め尽くしている彼が、地上で肉体を持って存在していたことも、そして肉体を離れて今は魂で存在していることも、紛れもない事実です。

紀子様が、彼に逢いたくて涙を流していることも、寂しくて仕方がないことも、全て、大切な方はご存知です。
なぜなら、しっかりと存在していらっしゃるからです。

紀子様が大切な方を想う時は、地上のように言葉や距離など遮るものはありませんから、紀子様のお気持ちは今の方が強く大きく純粋に届いています。
ですから、紀子様の大切な方は、より一層愛しい想いを紀子様に向けていると思います。

霊界にいらっしゃっても、大切な方の性格などはお変わりありません。
紀子様との関係性や愛情の深さも決して消えませんから、どうぞ、愛する彼との愛をこれからも深めて下さいませ。
大切な方と紀子様は離れていませんし途切れてもいません。
しっかりと大きく深い愛情で繋がっていますからご安心下さい。

紀子様の愛する方と私の大切な人とが肉体を離れた時期が近いこと、そしてさらには月命日までも近いことに、私は紀子様を自分にいつも重ねております。
イクミ様のブログではありますが、寂しい時はいつでもお話をお聞かせ下さい。

さくら

イクミ さんのコメント...

さくら様

こんばんは。
連絡がなかったので、どうされているのかと思っていましたが、お身体の具合が悪かったのですね。
言って下されば、同志の方とヒーリングを行ったのですが、今は回復されたそうで良かったです。
おつらかったでしょうが、この経験もこれからの奉仕にきっと活かされると思います。

そうですね。
肉体は魂の表現媒体で、精密に造られた機械のようなものです。
これ以上酷使しないよう、もっと労わるように、苦痛を通して教えてくれたのだと思います。
ヒーリングをすると眠くなる方が多いですが、肉体を健やかに保つために睡眠が何よりも大切であることを物語っています。

ヒーリングが必要な方がいましたら、また参加の方よろしくお願いいたします。

ユーリ さんのコメント...

いくみ様

おはようございます。

何故神様はわざわざあの世とこの世に分けて、最大の苦しみである死別を味わせるのでしょうか?

あの世が証明されないのは、なにか霊界側の意図があるのでしょうか?

霊能者(霊感が強い人)はみな一様に、他人の霊視はできても自分の会いたい人には会えないといいます。
でも、私は亡き母と一言だけでもいいから言葉をかわしたいです。謝りたいです。

私の場合は、あの世が証明されたら、あの世に行きたくなるわけではなく逆にこの世を最後まで行ききる力が出ると思います。そういう人も、きっといっぱいいると思います。
だから、あの世があるのかないのかわからない状態にされていることをいつも悲しく思っています。

私は今、毎日を一生懸命、前向きに生きるようにしています。あの世に行きたいなんて決して思わないようにしています。
だから、母と一度だけでも会話することができますか?

イクミ さんのコメント...

ユーリ様

おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

ご質問の件ですが、あの世では存在しない苦しみや悲しみがこの世にあり、それを経験することで、学び成長するためと考えています。

まずお伝えしたいのは、ブログにも何回も書きましたが、会わなくてもお母様にユーリ様の想いは届いていると言うことです。
それでも、会って、直接想いを伝えたいと思うのは、ユーリ様だけではないと思います。

それが、どうしてもできないのは、証明されない神や魂の存在を信じることに、大切な意味があるからと思います。

神はお互いに愛し合うことを望んでいます。
人の心は視えません。
心の中が判らないからと疑っていては、世の中は殺伐としたものになり、争いに発展するかもしれません。
心を開くため、お互いにつながるためには、信じることが必要です。
信じることで、初めて愛し合うことができます。

お腹にいる赤ちゃんと共に、毎日を前向きに生きていらっしゃると思います。
お母様と会ったからといって、あの世に行きたいとも思わないでしょう。
今のユーリ様に必要なのは、視えないもの、証明されないものを信じることのような気がしています。
それが、今生で多くの人と関わりながら成長をして行くために、どうしても必要なのかもしれません。
目に視えないものを信じることが試されているように感じられます。

想いを受け取れないから信じないのではなく、信じることで想いが受け取れるようになると考えています。

ユーリ さんのコメント...

いくみ様

母が霊界に生きていると信じようとしてもしばらくすると現実に引き戻されてしまうことがあります。

仕事を辞めて暇な時間ができたから、変なことを考えてしまうのかもしれません。。

また、母の存在を信じて前向きになれるように心がけます。
いつも大切なことを思い出させていただきありがとうございます。

紀子。 さんのコメント...

えりさま。

紀子です。

私へのコメント。
暖かく優しく、本当にありがとうございます。

ここへ来てたくさんの方に支えていただき、どれだけ助けていただいているか。
嬉しいです。

以前どこかで、旅立った人との出来事は、全部綺麗な記憶となり残った人の心に思い出となり残る。
そう聴いた事があります。
彼との出来事、ほんの些細な事さえどれもとても幸せ過ぎた記憶として私の心に残っています。
これも神様からの贈り物なのですね。

ただ、とても幸せだったと感じる分、逢いたい。そう思う気持ちも強くなり生きることが辛い。
それでも生きなければならない。
それは自分への修行。

生きます。

大丈夫。大丈夫。
いつも自分に言い聞かせている言葉です。

えりさま。
ご自身も辛い思いのあられる中、私への優しい思いを伝えてくださりありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いします。

紀子。

紀子。 さんのコメント...

さくら様。

紀子です。

さくら様の大切な方と私の彼とのこと。
この事も、神様や彼からの導きと私は思っています。

お前だけじゃないぞ。
そう伝えてくれているのかも知れません。

彼が旅立ち、もうすぐ四年。
ほんの少し前の出来事なのかも良く分かりません。
また、私自身夢の中で生きている様なこの瞬間さえどこか違う人の時間の様な。
不思議な感覚です。

彼に少しでも早く逢える様に、日々一所懸命過ごしていますがその事も違う人の様な時間です。

突然の出来事で、理解しようとしたつもりがまだ整理しきれていないのかも知れません。

さくら様も同じ、大切な方の旅立ちを後に知らされたとのこと。
私と重なります。

時間が経ち、何か変わるかと信じて生きて来ましたが前にも増し辛い悲しい。
そう思っているせいか、彼からの想いもぼんやりとしたものになり、こちらにコメントをさせていただきました。

そしてまた、助けていただいています。

辛い悲しい気持ちを乗り越える努力。
頑張ってみます。

だけどきっと挫けます。

その際はまたこちらで聴いていただけたらと思います。

さくら様。
お身体大切にされて下さい。

きっと大切な方も一番近くで、頑張り過ぎない様にと心配されています。

これからもどうぞよろしくお願いします。

紀子。