東日本大震災から10年の月日が経ちました。
先日のニュース番組で、津波で小学生6年生のお子さんを失ったご両親へのインタビューが流れていました。
その中で「あれから時間が止まったまま」と、お父さんは言っていました。
当時、小学校6年生であれば、生きていればもう成人しています。
しかし、ご両親の心の中でお子さんの姿は10年前のままです。
成長が止まっているお子さんと共に、ご両親の時間も止まっていると思いました。
亡くなった人は、跡形もなく消えていなくなりました。
存在を感じることは、もう出来ません。
それにもかかわらず、残された人の中に「見守ってくれている」、「また会える」と口にする人がいます。
いなくなってしまった、もう会えないと思うと、いたたまれなくなるので、希望を持つためにそう考えるようにしているのでしょうか?
直感的にそう感じていると、私は思っています。
これ以上ない悲しみの中で、魂が目覚める人がいます。
目覚めた魂が、霊的な事実を見い出すことがあります。
それでは、魂が目覚めるとは、どんな状態のことを指すのでしょうか?
魂は生命そのものであり、永遠の存在です。
偶然ではなく、それぞれに目的があって、私たちは地上に生まれて来ました。
生まれたばかりの赤ちゃんは肉体をまとっていますが、少し前まで霊的な世界にいて、魂(霊的な自我)が剥き出しになっているように見えます。
しばらくすると、「地上的な自我」が形成されて行きます。
地上的な自我は、その人のパーソナリティとも言っても良い存在です。
魂(霊的な自我)から生じた思念を、パーソナリティである地上的な自我を通して、肉体を使って表現しています。
表現が適切か判りませんが、魂が外界と接触するためにある、地上だけの「顔」と考えられます。
地上的な自我は「顔」であると同時に、環境から自分を守ったり、より快適に過ごすために、重要な役割を果たしていると考えられます。
自己防衛本能と地上的な欲望を併せ持った存在と言えます。
危険を察知して逃避するのも、地位やお金を得ようとするのも、地上的な自我の働きと考えられます。
俗に「エゴ」と呼ばれているものは、地上的な自我のことを指していると思います。
日常生活のほとんどは、地上的な自我の働きにより営まれています。
仕事や作業をしたり、頭を使って考えている時は、地上的な自我が優位になっています。
そのために、多くの人は普段、表に出ている地上的な自我を自分自身だと思っています。
本当の自分とは、その奥に控えている霊的な自我(魂)です。
表には出て来ませんが、霊的な自我には生まれる前の記憶がしまわれています。
そして、生まれて来た目的、予定されている人生、寿命を自覚しています。
死ぬと、地上的な自我は消えてなくなり、霊的な自我が直接表現されるようになります。
普段の自分(地上的な自我)に取って代わり、霊的な自我が表に出て来る時があります。
目の前で溺れている人を見て、助けようとする時がそうです。
また、良くないことをしようとして、ためらっている時もそうです。
霊的な自我には良心(神)が内在されていて、そんな局面において呼び覚まされます。
私たちには、生まれる前に決めていた、およそのシナリオがあります。
決めていた人との出会いや、成長を促すような機会が巡って来た時に、何かひらめくものを感じるかもしれません。
予定された人生を歩むために、重要な局面が訪れた時に、霊的な自我が表に出て来て、道を指し示すと考えられます。
そんな時は、頭で考えないで、直感で行動しています。
他にもあります。
深刻な出来事が起きた時です。
日常生活のちょっとした出来事が起きたら、普段の自分(地上的な自我)で対処しています。
しかし、普段の自分で解決不能な出来事が起きた時に、霊的な自我が表に出て来て主導権を握ると考えられます。
朝、元気だった人が、物言わぬ姿となって帰って来る、これほど信じがたく、過酷な現実は見当たりません。
目の前にある現実は、寸毫たりとも変えることは出来ません。
役に立たない地上的な自我に代わり、霊的な自我が表に出て来た人も、多いはずです。
大切な人を失った人は、津波が悪魔の様に思えるかもしれません。
全ての現象は、自然法則の働きにより起きています。
津波は自然現象の一部であり、自然法則の働きによって起きています。
自然法則を創造したのは神です。
従って、神は津波によって作り出された現実の、全ての責任を負っていると考えられます。
神は、完全なる愛であり、完全なる叡智です。
神が完全なる愛であり、宇宙の隅々まで行き渡っているのであれば、大切な人を津波で奪い、絶望の淵に陥れる、こんな惨い現実を作り出すとは考えられません。
神の叡智が完全であるならば、ある人は津波を逃れ、ある人は巻き込まれて亡くなってしまう、こんな不公正な現実が作り出されるはずはありません。
もし、命が地上だけに限られているのならば、神などいないと思っても仕方がありません。
希望でも、慰めでもなく、亡くなった人たちは、生まれる前にいた境涯に戻り、元気に暮らしています。
自然法則の働きによって、地上を去ると生まれる前にいた境涯に戻ります。
最初は、何が起きたのか判らずに、戸惑ったかもしれません。
しばらくして、起きたことを理解し、その境涯で思う存分に自分を表現しながら、満ち足りた生活を送っていると考えられます。
生まれる前にいた境涯は、地上よりはるかに自由で快適な世界です。
神の公正は完全に保たれているのです。
もし、地上に戻りたいと思う時があるとすれば、それは未来が奪われてしまったと、嘆き悲しんでいる愛する人の姿を見ている時です。
願いは1つです。
元気でいて、未来は全く奪われていないと言う事実を、知ってもらうことです。
地上に残された人たちにも、自然法則は働いています。
突き付けられた解決不可能な現実により思考が停止し、それに伴って地上的自我の働きが弱くなります。
代わって霊的な自我の働きが強くなります。
深い悲しみは、心の奥深くに働きかけて、魂を目覚めさせます。
魂が目覚めると、地上的な自我が求めていた、地位やお金などはどうでも良くなります。
生命や愛など、霊的なものに意識が向くようになります。
自分を守るために、バリアのような役目を果たしていた地上的な自我の働きが弱くなると、相対的に霊的な感受性が高くなります。
目に視えないものを感じたり、霊界からインスピレーション(メッセージ)を受け取りやすくなります。
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「見守ってくれている」、「また会える」と言っているのは、その人の希望ではありません。
変わることのない現実、そこから生まれる悲しみにより、魂が目覚めて、意識の焦点が変わり、直感的洞察力により霊的な真実を感じ取っていると考えられます。
理屈ではありません。
その人のオーラを感じたり、無意識の内に想い(インスピレーション)を受け取っていることもあるでしょう。
そこはかとなく存在を感じている人は、決して少なくないと思います。
いくら頭で考えても、分からないことがあります。
向こうにいる人たちの切実な願いは、地上の人の魂が目覚めて、霊的な真実を分かってもらうことです。
参考ページ:「魂(生命)に目覚める意味」


































