2021年2月28日日曜日

生まれ変わりの目的


人は死んだら生まれ変わるのか?

遠い昔から、世界中の人たちの間で関心があったようです。

輪廻転生」と言う言葉を、時々聞きます。

「輪廻」は車輪がぐるぐると回転し続ける、「転生」は生まれ変わること、人が何度も生死を繰り返しながら生まれ変わることを意味しています。



仏教では、天界、人間界、阿修羅界、畜生界、飢餓界、地獄界があり、そのどこかの界に生まれ変わるとされています。

畜生界に行けば、人間ではなく動物や昆虫などに生まれ変わるようです。

もし、鳥に生まれ変わるとすればどうでしょう?

鷹であれば、外敵に襲われることもなく、自由に空を飛べるので、それほど悪くはないような気もしますが、同じ鳥でも養鶏場のヒヨコに生まれれば、過酷な運命が待ち受けています。

              


何度か生まれ変わって、今、この世界に生きているのは事実です。

しかし、人間は人間にしか生まれ変わりません。

それには理由があります。



この世に生まれて来たのは、決して偶然ではありません。

過去に生きて来た(過去生の)結果として、この世に生まれて来ました。

これまで生きて来た結果が、現在の自分です。

原因と結果の連鎖で、全てが1つにつながっています。



あの世に行くと肉体がなくなります。

肩書など見せかけの自分は消滅し、本当の自分(魂)が露わになります。

霊的に目覚め、新しい世界に順応して行きます。



しばらくすると、この世では意識しなかった、完全な存在(神)をありありと感じるようになるようです。

それに伴って、自分(魂)の足りない部分、不完全な側面が意識されます。

完全に近づきたい、より上に昇りたい、そんな衝動に駆られるようです。



あの世は、厳格な界層社会です。

その人の魂の成長度(霊性)によって、どの界層に赴くのか決まります。

上の界層には行きたくても行けず、下の界層には行く気にならないようです。



この世でも多くの人が、自分をより成長させたいと願っています。

あの世に行くと、その欲求がさらに強くなるようです。

上に昇るためには、叡智を学びながら、自らが成長しなければいけないからです。



私たちは、たくさんのことを学校で学んで来ました。

卒業した後も、仕事の知識や技術、家事の仕方、社会のルールなど、たくさんのことを学んでいます。

そして、教科書やマニュアルが存在しない霊的に大切なことを、経験を通して学びながら生きています。



小学校に入ると、まず数字を覚えて、足し算、次に引き算を習います。

次の学年になると、掛け算を習います。

数字を覚えなければ、足し算は出来ず、足し算が出来なければ、掛け算は難しくなります。



霊的に大切なことも、学ぶ順番があるようです。

幼い時は、得てして自己中心的です。

自分勝手な行動をして、仲間外れにされて、寂しい思いをしたりします。

そんな経験を通して、「自分勝手なことをしてはいけない」「周りと協調しなければいけない」など、霊的なことを学んでいます。

親や先生からも聞かされましたが、口で教えてもらうよりも、実際に経験して、それなりの代償を払った方が良く身に付くようです。



年を追うごとに、自分以外の存在にも関心が向いて行きます。

仲の良い友達が出来て、一緒に遊んだりして想いを共有します。

助け合ったり、励まし合ったり、慰め合ったりして、「友好」を温めて行きます。



学校を卒業して社会に出ると、組織の中に身を置くことになります。

金銭をもらう代わりに、会社やお客様のために、労働という形で「奉仕」をするようになります。

人や社会に喜んでもらうと、自分の喜びになることを知るかもしれません。



結婚すると自分だけではなく、配偶者のことも考えて生活するようになります。

子供が生まれると、子育てを優先した生活を送るようになります。

自分よりも大切に思える存在があることを知るかもしれません。



大きくなるのに従って、自分だけではなく、他者のことを意識して生きるようになります。

自分のためから、他者のために生きるようになって行きますが、それが本当の意味での人間の成長と言えます。

誰もが同じような過程を辿るのは、学んで行く順番があるからです。

生まれてからこれまでに起きた出来事は、自然法則の働きを学び、成長するためのかけがえのない機会となっているはずです。

私たちは段階を踏みながら、他者への奉仕が無理なく出来るように、無限の叡智によって導かれています。



そうは言っても、地上に生きる私たちには肉体があります。

そのために、どうしても自分に意識が向いてしまいます。

世界中で、新型コロナウイルスが流行しています。

既に治っているにも関わらず、感染した人を避けたり、差別的な言動を取ってしまう人がいると聞きます。

自分が移されたくない気持ちの表れだと思います。

肉体があるために、自分を守りたい気持ちは生まれながらに備わっていますが、それに打ち克って、思いやりや優しさを表現することで、魂は成長して行くと思います。

そのために、この世に生まれて来たと言えます。



人間(魂)は多面的です。

誰でも、(神の摂理に適っていない)不完全な側面を持っています。

いくつかの不完全な側面を表に出して生まれて、その側面が表現されると、苦痛を伴う出来事が生じます。

肉体的、精神的苦痛を味わうことにより、不完全な面が正されて行きます。

魂が完全に近づくために、苦痛のある地上に生まれるのが早道と考えられます。

過去生と今生のパーソナリティが同じでないのは、表に出ている側面が異なるためと考えています。

生まれ変わりを繰り返す度に、不完全な側面が正されて行き、地上で正すことがないほどの魂になったら、生まれて来る必要はなくなります。



不完全な側面は、その人の欠点として認識されます。

そこを正すために敢えて前面に出して生まれて来たのであり、自分自身にも不完全な側面はいくつもあるので、咎めてはいけないと思います。

不完全さ(欠点)を認め合い、許し合うことで争いはなくなり、魂も成長して行くと考えられます。



時に、地上的な欲望が強くなり、自分のことしか考えなくなってしまうと、神の摂理に反した行いをしてしまいます。

摂理に反した行いをする前に、内在する良心(神)がやめるように訴えていますが、その声を無視して行動に移すと、カルマ(業)が生じます。

カルマが生じたことなど知らなくても、因果律は厳格に作動します。

最適のタイミングで出来事が起きて、そこから生じる苦痛によって、罪を償うことになります。

蒔いた種の結果を刈り取らされているのですが、因果律の働きによるものと判らなければ、何で自分がこんな目に遭わなければいけないのかと、憤慨してしまうかもしれません。

死んだ後に、出来事の意味(原因)がはっきりと判ると、不平不満を言う人はいなくなるようです。



重大な摂理に反する行いをしたら、来生で償うことになるでしょう。

もし、身勝手な理由から、人を傷つけたり、その人の成長を妨げるようなことをしてしまったら、自らの成長を犠牲にして、その罪を償わなければなりません。

より上に昇ることを希求する魂にとって成長が許されないのは、自由を奪われるよりも苦痛に感じるのかもしれません。



もし、罪を償うために、動物に生まれ変わったとしたらどうでしょう?

他者のために生きられないので、成長は望めないでしょう。

動物の肉体に閉じ込められるだけであり、学ぶものもありません。

冒頭に書いたヒヨコや、食用となる動物に生まれたとしたらどうでしょう?

もし、学ぶことがあるとすれば、人間の怖さや残酷さだけのような気がします。

人間の意識を持ったまま、そんな動物たちに生まれ変わるとすれば、償いではなく、ただ拷問です。

そんな計画を、神が用意するはずはありません。



もし、人間として生まれ変わるとしたらどうでしょう?

身体を全く動かせない状況で生まれたのなら、他者のために生きることが出来なくなります。

それどころか、人の助けがなければ、生きて行くことが出来ません。

一生涯に渡って、助けを受けていれば、否が応でも人のために何かをする意味、その有難さを身を持って学ぶことになると思います。

全ての出来事は、神の法則の働きによって起きています。

従って、償いであると同時に、魂の学びにもなっていると、私は信じています。



何の前触れもなく出来事が起きたのならば、それは生まれ変わる前に決まっていたことかもしれません。

その出来事により、どれほどの苦しみや痛みが生じたとしても、目的が成長するためなので、耐えられないことはありません。

誰かのせいにしたり、不平不満を言ったり、運命を呪ったりすると、その分だけ苦しみや痛みが大きく感じられるかもしれません。

例え原因が判らなかったとしても、成長のために起きているのは確かであり、生まれ変わる前の自分は承知していたはずです。



生まれ変わりは、何の目的もないまま、機械的に繰り返されるのではありません。

目的の全ては、魂の成長のためです。

人間が人間に生まれ変わるのは、人間の中で生きることでしか、不完全さが正されず、罪も償えず、教訓も学べないからだと思います。





12 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんばんはイクミ様、先日コメントさせていただいたニモです。
イクミ様に教えていただいたように、今のところ毎朝シルバーバーチの霊訓を読み(朝読めなかったときは時間のあるときに)、良くない感情に呑まれそうになったときは敢えて募金をしたり少しでも何かの役に立つ行動をとるようにしてみています。
まだまだ善意からの行動とは言い難いですが、今はまだ自分はその段階なのだと思って地道に積み重ねていこうと思っています。
少しでも心に響いたシルバーバーチの言葉は今の自分に必要なのだと思ってメモ帳に残し、ちょこちょこ目を通すようにしていたら、ちょっとずつですがまた霊的に成長できるように頑張ろうと思えるようになってきました。
守護霊とのつながりを意識するといいというアドバイスもいただきましたが、今の自分が情けなく、申し訳なく感じて避けてしまっていました。「きっと呆れているだろう。こんな自分に付き合うのにうんざりしているだろう」とこちらから壁を作ってしまっていました。
でもそんな状態のほうが守護霊を苦しめてしまうんですよね。これまでの無礼を謝って、見守ってくださっていることに感謝して、人を喜ばせたいと心から思って行動できる人間になれるよう導いて頂けるようにお祈りしてみようと思います。
これからもブログに通って勉強させていただきますのでどうかよろしくお願いします。

イクミ さんのコメント...

ニモ様

こんばんは。
近況を報告していただき、ありがとうございます。
霊的に成長できるように頑張ろうと思えるようになったと聞き、うれしいです。

地上的なことに捉われていると、守護霊の存在を忘れてしまいます。
守護霊は地上の人を、守り導き、成長を促すのが与えられた役割です。
あなたのことは、あなた自身よりも良く判っています。
いらぬ心配などせずに、強く信じてつながりを深めるようにして、言われるように、感謝して、導いてもらうように祈って下さい。
そして、ちょっとしたことでも良いので、愛を表現していれば、神とのつながりが深まります。
神とのつながりが深まるほど、(あなたは何も感じなかったとしても)魂に霊力が流れ込み、生命力で満たされて、霊的な意識が高まります。
霊力は間違いなく存在しています。
誰かのために頑張っている人が輝いて、活き活きして見えるのは、そのためです。

お互いに、いろいろなことを勉強して行きましょう。

ルナ さんのコメント...

イクミ 様

こんにちは、その節はありがとうございました。
あれから資格を取るための勉強をしており、明後日試験です。
かつて主人が持っていた資格の試験を受けるのですが、母国語ではありませんので苦戦しています。
なんとか今まで頑張ってきましたが、緊張し寝付けません。
不安で押しつぶされそうになっています。
もし可能であれば明日ヒーリングを行って頂くことは可能でしょうか。
厚かましくてすみません。ちなみにこちらは日本よりも8時間遅れています。

ルナ

イクミ さんのコメント...

ルナ様

こんにちは。
資格試験が明後日なのですね。
母国語でないので大変でしょうが、ご主人のためにも合格することを願っています。

試験前は誰でも緊張をします。
ヒーリングの件、了解しました。
8時間遅れの時差であれば、こちらの時間で明日午前7時、そちらの時間で午後11時ではどうでしょうか?
尚、ヒーリングには栗男さまとMiki様も参加していただくことになると思いますので、ご了承下さい。

ルナ さんのコメント...

イクミ 様
ありがとうございます。
それではお言葉に甘えてお世話になります。
日本時間の明日午前7時ですね。
承知致しました。
栗男さまとMiki様にもよろしくお伝えください、
お世話になります。

イクミ さんのコメント...

ルナ様

おはようございます。
少しは眠れたでしょうか?

それではそちらの時間の午後11時にヒーリングを行います。
尚、Miki様は都合により、1時間早めて、午後10時より行うそうです。
Miki様のヒーリングで眠くなったら、そのまま眠ってしまって結構です。

イクミ さんのコメント...

ルナ様

ヒーリングの件ですが、Miki様も午後11時から一緒に行うことになりましたので、ご承知下さい。

ルナ さんのコメント...

イクミ 様

ありがとうございます。
昨夜は少し休む事ができました。
ただ大変緊張しています。
今晩はよろしくお願いします。
ミキ様も同じ時間に行なっていただけるのですね。
承知致しました。
ありがとうございます。

ナオヤ さんのコメント...

お久しぶりです。 医師国家試験が終わりました。発表は10日後ですが、余程のことが無ければ合格だと思います。因みにですが、歯科医師国家試験はここ数十年で一番難しかったそうです^^;


“霊能者に未来を教えてもらった”という話をしたことがあったので、自分が活躍するような明るい未来を教えてもらったのだろうと思っておられるかもしれませんが、いえいえ決してそのようなことは無いです。(それから、東大に行くような人の見ている景色を見てみたかったと以前メッセージしましたが、私は東大医学部では無いです^^; 不快にしてしまいすみません。。説明するのも野暮かなと思っていましたが、どうにもこんがらがってしまったので伝えておきます)

と言うわけで、本当に自分が大したことないってことくらいは嫌と言うほど分かっているわけでして。。
どんなに努力をしても、才能のある人間には到底敵いません。
どんなに足掻いてみても、人間、与えられた才能というものがどうしてもあると思います。

努力しても到底敵いませんが、自分の人生に責任を持って前を向いて生きていくことは出来ます。それに才能ある方達が社会の中で光るのは、多くの平凡な人間がいるからではないでしょうか。

アドラー心理学においても、”どうしてあなたはそんなに特別であろうとするのか?平凡である勇気を持て”というメッセージがあります。

自分が活躍することを考えるよりも、”全体が上手く行くにはどうしたら良いだろうか?”ということを考えながら、自分に出来ることに全力を尽くしていこう。そんな風に思っています。

もちろん、人それぞれ何かしら才能を持っていますから、それを見つけ、社会に還元できたらいいなと思います。

とにかく、絶望せず諦めないで欲しいです。自分の不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、歯を食いしばって前を向いて生きましょう。そして成長できたらいいなと思います。

“確かに結果的にみればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そういう事態に至るまでの経過を正直に反省してみると、やはりそのスタートの時点において私がさきほどから言っている〝責任からの逃避〟の心理が働いていたのです。

もしもその人が何かにつまずいた時点で〝自分は間違っていた。やり直そう。そのためにどんな責めを受けても最後まで責任を全うしよう〟と覚悟を決めていたら、不幸をつぼみのうちに摘み取ることが出来ていたはずです。

 ところが人間というのは、窮地に陥るとつい姑息な手段に出ようとするものです。それが事態を大きくしてしまうのです。そこで神経的に参ってしまって正常な判断力が失われていきます。ついにはノイローゼ気味となり、自分で自分が分からなくなります。問題はスタートの時点の心構えにあったのです”

躓いた時に、言葉や思考で自分を誤魔化してみても、本当の自分はそれを分かっていて、長い間苦しむことになると思います。だからいつでも後悔のないように自分を省みることを忘れず、逃げずに闘っていこうと思います。

それを人にも求めることは違うんだよなぁと身にしみて思い知らされたけれど、でもそうであって欲しいなぁとも思うんですよね。

それが最終的にはその人だけでなく、周りの幸せにも繋がっていくんじゃないかなと思います。強く前を向いて、楽しく生きて欲しいし、自分もそうありたいですね。

だから、”第一人者を目指す”というのは全然違います。第一人者になるかならないかは正直どうでも良いことです。それよりも、

”大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。”

これを頑張ります。

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

こんばんは。
お久しぶりです。
国家試験が終わり、ホッとしているところですね。
余程のことがない限り合格と聞き安心しました。
歯科医師の方は難しかったそうですが、私の時代は90%近くでしたので、今の学生が可哀想です。

あなたが言うように、人はそれぞれ才能を与えられて生まれてきたと思います。
自由意思により、その才能を磨けなかったり、辿り着けなかっただけかもしれません。
また、才能は生まれ変わりながら、育んで行くものなのかもしれません。
前生で身に付けたものを、さらに磨きをかけるのを目的に、生まれて来る人もいて、その過程で魂も成長していると思います。

そうですね。
人は特別であろうとしますが、それは往々にして自尊心を満たすためです。
特別な人が平凡な人に優っているのは、人間のほんの一部分に過ぎません。
この世では、特別な人が目を引き、もてはやされますが、あなたの様に全体を考えながら出来ることに全力を尽くして行こうとするのが霊的に見て好ましい姿です。
特別なものでない部分の方が、人間として大切なような気がします。

窮地に陥ると、姑息な手段に出て、その結果さらに窮地に陥って、その連鎖で身動きが取れなくなってしまうこともあります。
それでも、解決の道はいつでも開かれているはずであり、ノイローゼになるのはその道をどうしても受け入れられないからだと思います。
どんなにつらくても良心が訴える方向に進んで行けば、必ずや良い結果が出て、窮地から抜け出せるはずです。

前回のコメントで第一人者を目指して下さいと言いましたが、医学も真理を探究する分野であり、第一人者になることはその道でより真理に近づいていることになり、そして社会に貢献できる立場になると思ったからです。
けれども、良く考えると、私のエゴ的な願望も含まれているのかもしれません。
あなたが最後に書いた言葉以上に正しい指針はありません。
地上的なものではなく、霊的に価値のあるものが得られるように頑張って下さい。

失敗を恐れずに、いろいろなことに挑戦する中で、あなたに与えられた才能を見つけられると思います。

ナオヤ さんのコメント...

イクミ様

> 前回のコメントで第一人者を目指して下さいと言いましたが、医学も真理を探究する分野であり、第一人者になることはその道でより真理に近づいていることになり、そして社会に貢献できる立場になると思ったからです。

私のことを考えて、おっしゃってくださっているんだろうなと思いました。
真理を忘れずにとにかく頑張ってねって言ってくださったんですよね。
ありがとうございますm(_ _)m

私自身、すぐに特別になりたがるので^^;、自戒も込め、そして皆それぞれ持っているものは違うけれど一緒に頑張りましょう!という意味も込めて、コメントを書いてみました。
思いがすれ違わないよう、しつこめに笑、思いを書かせていただきました。

シルバーバーチやそれを翻訳された近藤先生も仰っていましたが、エゴは必ずしも悪いものではないとのことでした。

動機には少なからずエゴが存在する。そのエゴにも低いものと高いものがあるから、なるべく高いものを目指しましょうというようなことが書かれていたと思います。

それこそ、私の家庭を持ちたいという夢はエゴですね^^;
人の幸せのために自分を捧げる気概は無いのかと情けなくもなりますが、やっぱり自分を満たしつつでないとキツイなぁと言うのが正直な気持ちです。

人の幸せを心から祝福したいと思うけれど、ぶっちゃけ色々な人間的感情が出てきます。とても切ないです。

だからこそ皆さんにも自分をちゃんと満たしてあげて欲しいと思います。
自罰的にならずに、幸せになりたいなぁという気持ちを大切にしてあげて欲しいです。私は幸せになっていいんだって、素直に幸せを受け止められる人でいて欲しいです。(これが中々難しいと実感しています)
そもそも自分と他者の幸せは不可分なものだと思うので、自分の幸せを突き詰めていけば他者の幸せに繋がっていくと思います。

自分をきちんと満たして、人の幸せを心から願えるような人間になりたいと願っています。

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

おはようございます。
そうですね。
地上に生きている限り、エゴはどうしても持ってしまいます。
エゴを持つのはいけないと思ってしまうと、自分を責めたり、卑下したりしてしまいますので、受け止めて、霊的な意識を高めて、もう1度見つめ直してみると、なくなっている場合があります。
あなたの自分の家庭を持ちたいと言う願望はエゴではなく、地上の人に組み込まれた神の計画だと思っています。
家庭を持つことでも、魂の成長につながるからです。

人生のシナリオは、1人1人違います。
自分は自分の人生を歩んでいるので、他者と比べないようにすることが、心穏やかに過ごすために大切と考えられます。
人の幸せを心から願っている時は、神とのつながりが深まっているので、自分の心も満たされていると思います。
難しいのですが、心が満たされない時、何かをして喜ばれると、苦しさが和らぐような気がします。