2020年12月13日日曜日

ある双子の兄弟を通して感じたこと


世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっています。

感染した人は7150万人を超え、160万人が亡くなっています。(2020年12月13日現在)

一刻も早い収束を願うばかりです。



この感染症は、原因がはっきりしています。

ウィルスの侵入さえ防げれば、病気になることはありません。

しかしながら、世の中にはこれと言った原因も見当たらずに、病気になる人がいます。

「何で私が?」と、戸惑いや憤りを感じている人もいます。



人は、肉体と精神と魂(霊)の3者から成り立っています。

3者はそれぞれ次元が異なり、そのどこかに病気の原因が存在しています。

感染症は、物的なウィルスや細菌の増殖が原因なので、肉体(物質)的次元の病気と言えます。

胃潰瘍は、主にストレスが原因なので、精神的次元の病気と考えられます。

精神と肉体は密接に関係していますが、物質を超えた精神的次元は医学の対象外であり、踏み込んだ研究はされていません。



原因不明の病気は数多くあります。

多くの人を苦しめているガンや膠原病も、残念ながら根本的な原因は解明されていません。

悪いところがあれば切り取ったり、薬で症状や痛みを抑えたりするしか方法はありません。



肉体、精神の上位にあるのが魂(霊)です。

魂から指令が出され、精神を介して、肉体で表現されています。

しかし、魂(霊)の存在は医学的に認められていません。

そのために、霊的次元に原因が存在する病気は、医学的に原因不明とされます。



解明されてない病気の1つに、遺伝性疾患があります。

遺伝性疾患は、生まれつきの病気です。

親の遺伝子に異常がなければ、突然変異とされてしまいます。



発病は、精子と卵子が結合した瞬間です。

病気は結果であり、必ず原因が存在します。

発病が結果ならば、原因は受精時以前にあることになります。

身体(受精卵)が誕生するより前に、私たちは存在していなければなりません。



記憶には昇って来ませんが、ほとんどの人は過去に地上を生きた経験があります。

そこで、何らかの原因が生じていたと考えれば、突然変異として片付けられることはありません。



数年前になりますが、ある障がい者施設にボランティアに行っていました。

そこに重度の身体障がいを持つ20代の一卵性の双子の兄弟がいました。

この兄弟と接して、病気や障がいの意味について、思いを巡らすことになりました。



2人には脊椎に遺伝性疾患(奇形)があり、手足の自由が利きません。

背骨が曲がったままであり、食事も排せつも入浴も着替えも介助が必要です。

知性は正常であり、普通に会話が出来ます。

幸いにも、わずかに指を動かせるので、電動車いすに乗っての移動が可能でした。



2人の性格は対称的でした。

お兄さんと話をする機会が多かったのですが、今の自分の境遇に大きな不満を抱いているようでした。

集まりにも参加しないで、部屋でテレビを観ていました。

いつも不機嫌そうで、愚痴や不満ばかり言っているので、周りにいる人が少なくなり、ベッドの上で一人ぼっちで過ごしていることが多かったです。



一方、弟さんは明るく快活です。

車椅子スポーツにも参加していて、不平不満を言っているのを聞いたことがありません。

時々、お兄さんの所に顔を見せては、励ましていました。

お兄さん思いの、心優しい青年です。



同じ遺伝子を持ち、同じ障がいを持ち、同じ環境で育ち、顔もそっくりなのに、これほどまで性格が違うのには驚きました。

性格は大脳を超えたものによって形作られている、そんな思いを強くしました。



人間の本質は魂です。

一卵性で肉体は同じ作りであっても、別々の魂が宿っています。

性格の違いは、宿っている魂が違うことに起因していると思いました。



因果律の働きによって、全宇宙は経綸されています。

従って、世の中に偶然起きる出来事はありません。

病気を抱えて生まれて来たのも、何かしらの原因が存在していたはずです。



私たちの人生には、計画があります。

オリジナルな計画であり、目的は自分(魂)を成長させるためですが、地上にいる私たちは窺い知ることは出来ません。



前々回のブログで、計画された出来事には「償い」と「挑戦」があると書きました。

お兄さんは、ため息をつき、嘆いて、いつも精神的に苦しそうです。

憶測になりますが、自分の運命を呪い、周囲を手こずらせ、辛そうに生きている姿を見ていて、ついこんなことを思ってしまいました。

過去生で何かしらの過ちを犯して、その償いのために、この身体を選ばざるを得なかったのではないかと。



弟さんは、ため息をつくことも、嘆くこともありません。

自分に起きていることを受け入れていて、精神的に苦しくなさそうです。

その前向きな姿から、償いのためではなく、より大きな成長を促すために、この身体で生きることに挑戦しているように感じました。

同じ病気(障がい)を持っているにも関わらず、生き方が違うのは、そのためだと思いました。

双子として生まれて来たのは、お互いの成長のために必要だったと考えられます。



ところで、お兄さんの苦しみは、死ぬまで続くのでしょうか?

そうとは限らないと思います。



肉体の病気(障がい)は不変であり、生涯付き合わなければ行けません。

けれども、苦しみを感じているのは、肉体ではなく精神です。

自分の病気(障がい)をどう捉えるのかで、苦しみの感じ方は大きく違って来ます。

そのことが、2人を見ていてはっきりと判りました。



不幸、不運として捉えれば、苦しみは付いて回ります。

自分の運命を呪っている限り、苦しみから逃れられません。

人を妬んだり、怒りを覚えれば、余計苦しくなってしまいます。

それらの想いは、自然法則(神の摂理)に反しているからです。

成長を妨げてしまう、それらの想いに対して因果律が働いて、苦しみが生じてしまいます。



もし、過去生で何らかの過ちを犯していたのならば、怒りや憎しみや恨みや嫉妬など自然法則に反する想いが生じやすい性分が原因になっている可能性が高いと考えられます。

苦痛は、過ちに対する償いの一環であると同時に、自然法則に反した性分を改めるために存在すると思います。

生まれる前、今生の計画が立案される時、身体的な病気(障がい)を抱えて生きることが、性分を改めるために最善と判断されたと思いました。



苦痛を感じなくなるには、結局は自分が変わるしかありません。

自分の意思で変えるのが難しいのであれば、自然法則の働きによって、強制的に変えられて行くと考えられます。

変わったのならば、苦痛が存在する理由がなくなり、解放されるはずです。

解放された時点で、償いは終わっていると思います。

たとえ肉体上に病気や障がいは残ったとしても、霊的な負債が返済されたならば、精神的な苦しみはなくなると考えられます。

妨げているものがなくなり、それからは伸びやかに成長して行くでしょう。



自分を苦しめているのは、自分なのかもしれません。

原因を作っていたのは、自分だったのかもしれません。

自分に必要なことが、起きているだけなのかもしれません。

地上に生きていると、そんなことが全く判らなくなってしまいます。



お兄さんの償いが終わったらどうなるでしょうか?

周りで自由に動いている人を見て、妬ましく思うことはなくなるはずです。

支えてくれている人と思えるようになり、感謝の気持ちが湧いて来るはずです。

出来ないことを嘆くのではなく、今の自分に出来ることを見つけて、挑戦するようになると思います。

その時のために、弟さんがいるような気がしました。



苦しみを少しでも和らげるために必要なのは、やはり霊的真理です。

「この世で終わりなんかじゃないよ。」

「今の体から解放されて自由になる時が来るんだよ」等々、ベッドサイドで伝えました。

神妙に聞いていた横顔が、今も印象に残っています。



ウェザーニュース(weathernews.jp)より

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