私は神の存在を信じていませんでした。
神のことなど話題に上らない環境で生まれ育ったせいでしょうが、信じていないというより、関心がありませんでした。
そんな私が40代半ばの頃、ヒーリングの力がある日突然出現しました。
ほどなくして、シルバーバーチの霊訓に出会いました。
科学では証明できない力が存在し、その源泉は神であることを知りました。
シルバーバーチの霊訓には、こう書かれていました。
「神は法則です」(以下『 』内はシルバーバーチの霊訓より引用)
多くの人と同じように、神は第三者的な存在だと漠然と考えていたので、少し戸惑いました。
もっと戸惑ったのが『人間は神の一部です』という一節です。
自分が神であるという実感は、どこにもなかったからです。
そんな私でも、悪いことをしようとすると、止めさせようとする「自分」がいるのが分かります。
小学校低学年の時に道端で鳴いている子猫を家に連れて帰ったことがあります。
それも放っておけない「自分」がいたからです。
その自分こそ、本当の自分です。
本当の自分を、「霊的な自分(自我)」と呼ぶことにします。
霊的な自我は、核心にある「魂」を表現するためにある媒体です。
地上に生まれて肉体を持つと、もう1つの媒体として、「地上の自我」が生まれます。
霊的な自我は、地上の自我を通して、肉体により自己表現するようになります。
ところで、悪いことをするのを止めたり、可哀想だと思う気持ちは、どこから生まれるのでしょうか?
神が良心となって顕現していて、霊的な自我を通して生まれていると考えられます。
自分を成長させたいという言葉を、多くの人から聞きます。
その気持ちも、霊的な自我から生まれていると考えられます。
他者に愛を表現する(人や動物や社会のために奉仕をする)こと、困難や障害を乗り越えようとすることで、人は成長して行きます。
それを実行しようとする時、神性を帯びた力が魂から生まれます。
その力によって、霊的な自我に活力が与えられ、地上の自我を働かせることによって、肉体で具現化されます。
人生の多くの局面で、神性が発揮されています。
何かに挑戦する時もそうです。
挑戦する時に、(地上の自我から)不安や怖れが生まれることがあります。
そんな時、自分を信じて臨んだという話を良く聞きます。
自分を信じるとは、内在する神を信じることにつながります。
自分を信じることで、神性を帯びた力が魂から生まれて、不安や怖れなどのネガティブな感情が払拭されて、前向きな気持ちになれると考えられます。
困難や障害は必ず乗り越えられると、霊的真理にあります。
それは、私たちには神性があるからです。
無限の力を秘めているからです。
「いかにすれば潜在的神性を発現させることができるのか?」との問いかけに『物的混沌から抜け出て、霊的静寂の中に自分を置くようにする、最後に各自が自分なりの方法を自分で見出していくべき』と回答しています。
地上の自我の働きを鎮め、霊的な自我を優位にする、いわゆる瞑想状態の中で神性が発現しやすくなります。
自分なりの方法ということですが、霊的な自我がまだ優位になっている朝起きる前に、「今日1日、多くの神性を発揮する」と唱えるようにしています。
「発揮できますように」と祈るよりも「発揮する」という意志の方が具現化しやすいと考えています。
例えば、難しい仕事をする前に、再度「神性を発揮する」と唱えるようにしています。
それにより、不安や緊張が少なくなったのなら、神性が発揮されたと考えています。
無事に終えられた時には、「ありがとうございます」と心の中で唱えています。
『神性は、あらゆる種類の美徳と善行、つまり親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって表現されます。』
悲しむ人を慰めたり、困っている人を助けたりする時は、もちろん神性が発揮されています。
他者から怒りが生まれるような言動を受けて、平穏な心でいられた時も、神性が発揮されたと考えています。
病気になっても治るのは、神性が発揮された結果です。
生きていられるのは、私たちに神性があるからです。
『地上に生まれたのは、内部の神性を少しでも多く発現させるためです。』
神性を発揮(現)させるために、神の法則の働きによって出来事は起きていると言えるのかもしれません。
起きた出来事を前にして、怯んだり、嘆いたり、諦めたりするのではなく、自分の中にある神性を意識して、それを発揮して乗り越えると意志表示をすることはとても大切です。


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