2018年9月16日日曜日

怖れや不安から解放させるもの 



数年前のことですが、赤城山麓を車で走っている時に、道路の端に首輪のない大きな犬が2匹いるのを見つけました。

その場で車を停めて、降りて近づきましたが逃げてしまいます。

雄と雌のラブラドールレトリバーで、以前はブリーダーに飼われていて、繁殖の用が済んだのか、飼い切れなくなったのか判りませんが、山の中に捨てられたと推察されます。

そこでコンビニでドッグフードを買ってきて与えると、お腹が空いていたのかムシャムシャと食べましたが、体を触ろうとすると、こちらを威嚇しながら逃げてしまいます。

人を信用していませんでしたが、元々人懐っこい犬種のためか、たちには興味があるように見えました。

数週間、そこに妻が通って食べ物を与えて慣らして、どうにか2匹を捕まえることが出来ました。

そのうちの雄の1匹をジョン君と名付け、家の居間に大きなゲージを設けてその中で飼って、迎え入れてくれる家族を探すことにしました。

家に来たジョン君
私の家には、当時5匹の犬がいました。

ゲージの中からジョン君は、飼い犬たちが私たちに話しかけられたり、一緒に遊んでいるのを、不思議そうに見ていました。

ジョン君の体重は35キロを超え、堂々たる体格です。

私が飼っている犬は20キロにも満たないので、もしケンカになれば勝負は目に見えています。



ある日、庭に全部の犬を放した時のことです。

飼っている雌犬の1匹が、二回り以上大きいジョン君の首根っこに噛みつこう(ケンカではありません)としていました。

体の大きなジョン君が必死に逃げ回っていて、とても不思議な光景に映りました。



先住犬の強みもあったのでしょうが、ジョン君は寂しそうで、どこか自信がなさそうに見えました。

何故、自信がないのか考えてみると、ジョン君には決定的に不足していたものがあるような気がしました。

それは、人から受けた愛情です。

繁殖犬として飼われていたので、金儲けの道具として扱われ、人から愛情を受けていなかったのでしょう。

捨てられて保護された犬は、怯えたり不安なそぶりを見せることが多いのですが、それは絶対的な愛情が不足している上に、人に裏切られたためと考えられます。



地上で最も進化している動物は人間です。

次に進化している動物はではなく犬と、シルバーバーチは言っています。

進化とは知性ではなく霊性が発達することであり、愛情を受けることによって動物は進化し、人間のそばでより多くの愛情を受けた犬が猿を抜き去ったようです。

動物の魂に(個的)意識を芽生えさせるのも、霊界に戻った時に類魂全体の進化させるのも地上で受けた愛と言われています。



あらゆる生物を生かしている力、それは目に見えない生命力です。

生命力とは霊的な力であり、神を始源として魂に流れ込んでいます

そして、愛も霊的な力です。

愛を受けることにより魂は賦活化され、より多くの生命力が流れ込んで来ると考えています。

人から受ける愛によって動物のオーラは輝いて、それが自信のようなものに見えるのかもしれません。

体は大きくても、普段から愛情を受けている自分より小さな犬のオーラに、ジョン君は圧倒されてしまったのかもしれません。



人間の子供たちも、全く同じだと思います。

輝いて自信のあるように見える子供と、何となく暗くて自信のなさそうな子供がいます。

当然のことながら、性格や生活環境、それまでの個人的な経験にも左右されるでしょうが、受けている愛情が強く反映されているように思えてなりません。

輝いている子供は、親たちから愛と言う霊力を十分に受け取っているように思います。

暗そうな子供は、絶対的な愛情が不足していたり、心に傷があるために、オーラ(生命力)の輝きが損なわれているように見えます。



ジョン君の話に戻ります。

来た時は人を信用していませんでしたが、十分な食べ物を与え、声かけをしている内に、他の犬と同じ様に散歩をしたり、ボール遊びもしたがるようになりました。

山で捨てられて、守ってもらう存在がいなかったジョン君は、自分の身は自分でを守るしかなく、周りを警戒しながら生きていました。

人と一緒に暮らして、愛情を受けることで、次第に恐怖心や不安感から解放されて行き、心を開いてくれたと思いました。



人間も同じだと思います。

親たちから愛情を受けることで、子供たちは守られていると言う安心感を抱きながら、自信を持って生きることが出来ると考えられます。

愛情が不足すると、どうしても怖れや不安が生じて、周りを警戒するようになってしまいます。

そんな子供は、自分を無意識に守ろうとして、心に高い壁をめぐらし外部と交流を断ったり、つい攻撃的な態度を取ってしまうことがあります。

不良と呼ばれるような子供たちの多くは、愛情が不足しているために、守られていない怖れや不安から、自分を守ろうとして虚勢を張っていることが少なくないと思います。



そんな子供たちに必要なのは、外部の人間は安心できる存在で、自分にとって有益であるのを知ってもらうことです。

親でなくても、そばに愛情を注いでくれる人が、たった一人でもいたのならば、それだけで安心できるはずです。

信じられる人が一人でもいれば、この世界は違って見えるはずです。



まず、信じてもらえなければ、どんなに愛情があっても伝わりません。

なぜなら、信じることによって両者の魂はつながり、初めて愛情が伝わるからです。

信じてもらうには、まず相手が周囲に張り巡らしている自我と言う壁を崩さなければいけません。

その壁を崩すのも、やはり愛の力しかありません。

人を信じられない子供が、本気で叱ってくれる人に心を開くことがありますが、それはその人から愛を感じ取り、壁の一部が崩されたからだと思います。



植物にとって必要なものは太陽の光であり、光がなくなれば枯れてしまいます。

人は水と食べ物があれば生きて行けるような気がしますが、それは肉体の話であり、魂には愛が必要です。

魂にとって、植物の光に相当するものが愛です。

植物は枝を伸ばし葉を広げることで、より多くの光を受け取れるようになりますが、人も魂が成長するのに従って、神からの愛を受け取れるようになると考えられます。



全ての生物を生かしている生命力は、その始源が神であるために、愛を帯びていると考えられます。

そのことに気付かないのは、地上の人は神の愛を感じるまで進化していないからであり、進化の階段を上がって行けば、生命力そのものが愛であることに気付くようになると考えられます。

生命力を通して愛が表現され、宇宙の隅々まで愛が行き渡るようになるのが、神の意図だと思います。



生命力により魂で思念(想い)が生まれ、地上の人はそれを肉体で表現しています。

生命力は愛を帯びているので、生じる想いも愛のはずですが、人は進化の過程にあるため、それ以外の想いも生じてしまいます。

神の心に反した怒りや憎しみの想いが生まれ、それを表現したのならば、自然法則(因果律)の働きにより、苦痛を伴う結果が生じてしまいます。

もし愛が表現されたなら、悦びが生じます。

苦痛ではなく悦びを、誰しも味わいたいのに決まっています。

自然法則の働きにより、私たちは愛を表現するように導かれていると考えられます。



愛情を受けていない子供は、大きなハンディを背負って生きているようであり、それでは不公平に思えます。

誰からも愛されていなかったとしても、人は生命力を通して神とつながり、神の愛を受けています。

また、地上の人を守り導いている存在がいて、その存在を通して愛を受けています。

少なくても、その両者から私たちは愛されていますが、その実感は極めて乏しいために、この世にいる人から愛されていないと孤独や寂しさを感じてしまいます。



人から愛されていない経験は、その孤独や寂しさの中で、安心させてくれるもの、心を癒してくれるもの、生きる力を与えてくれるものが、最も価値のあるものであることに気付くことにつながるので、決して無駄にはなっていません。

初めから享受している人たちが気付いていない、本当に大切なものを、対極的な経験を通して身に付けていると考えられます。

大切なものを身に付け、魂を成長させることにより、神の公平は完全に保たれていると考えられます。



以前のブログに、愛することによって怒りから解放されると書きました。

怖れや不安の想いから解放させるのも、やはり愛の力です。

人を苦しめている、成長を妨げている、さまざまな想いは、愛すること、愛されることによって解放されます。



この世のさまざまな経験を通して、目に見えない愛を魂で感じ取っています。

私たちは何度も生まれ変わりながら愛を深く学び、それを表現するようになって行き、神に少しずつ近づいていると考えられます。






その後のジョン君ですが、若いご夫婦が家族として迎え入れてくれました。

お2人の愛情をたっぷりと受けて、怖れや不安は完全に取り除かれて、これまでが嘘のように安心して暮らしています。

今のジョン君









10 件のコメント:

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

大変ご無沙汰しております。ラッパ吹きです。
私もNOBさんほかと同じくしばらくコメントが届かず懸念しておりました。回復してよかったです。

私の鬱はまだ回復せず、リストラ以降ほとんど何もしていなくても地獄のようなくるしに苛まれています。耐えねばならない、意味があるはずだと探り続けていました。
それか、この苦しみの種の一つは、間違いなく、ここでイクミさんが書いてくださったことだと思い至りました。

こんなことを書けば、親の恩を踏みにじるのかと声が聞こえてきます。しかし、私は安心して生きたことがない。安らいでいたことがない。それは、否定はしようがない。

これも、両極を思い知ったように、私にとって必要な学びなのだと思います。心が破壊されるほどの苦しみを私自身が選んできた。その意味を探しています。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

おはようございます。
コメントを送っていただいたにもかかわらず、こちらの不具合で受け取れず、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

鬱が回復せずに、大変苦しい思いをされているのですね。
得体の知れない、怖れが不安が襲ってくるのであれば、過去に生じていた想いが今になって表出しているのかもしれません。

育ててもらった恩を忘れてはいけませんが、愛情が深い親もいれば、そうではない親もいるのも事実です。
抱きしめられながら育った子供は、絶対的な安心感に包まれながら生きていけると思います。
それとは反対の多くの子供は、自分を守ろうとして自我と言う城壁を高く張り巡らし、不安を感じながら生きて行かなければならないと思います。
そんな親を選んで生まれて来たのは自分なので、何かしらの目的があったと考えるべきです。
人にとって何が1番大切なのか、人は何を求めているのかを、学んでいるような気がします。

人生で生じる苦しみは、魂の成長にとって必要なものであり、次の世界に行って活かされるはずです。
その意味を探り、そして得心して行くのが、この世に生まれて来た目的の1つになっていると思います。
全て、愛に関わっているような気がしてなりません。

お役に立てるのか判りませんが、少しでも苦しみが癒されればと思いますので、ヒーリングを行ってみましょうか?

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ありがとうございます。
コメントが届いて安心いたしました。ふと思ったのですが、私たちのコメントへの暖かいご対応が、かなりの分量になっていたので、この活動を続けて行くためにしばらく休みを取れるように霊界からの働きかけがあったのではないでしょうか。どうか、どうか、ご無理されませんように。ご自愛ください。

今日はなぜかいつもより気分が爽やかです。しばらく気力が無くてできなかったラッパの練習に行ってみようと思います。
不思議にラッパを吹くと心も軽くなるんです。私にとっては瞑想や祈りのひとつなのかもしれません。
この私自身のセルフヒーリングでどれだけ私自身を癒せるのか、それを知りたい気持ちもあるんです。
また経過をお知らせいたします。
本当に辛くて動けなくなるようになってしまったら、イクミさんに助けを求めさせてください。
それまで、自分の中の無限の宝庫から霊力を得られるように努力してみます。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

了解しました。
コメントの件ですが、私も霊界の意図があったと感じています。

今日はいつもより気分が爽やかなのですね。
トランペットでしょうか、ラッパを吹くと自分の内にある想いを外に出すことが出来るので楽になるのかもしれません。
もちろん、無心になったり、想いを込めて吹いているのでしょうから、瞑想や祈りにもなっていると思います。

セルフヒーリングでどれだけ癒せるのか知りたいのですね。
基本的に、自分が作った病気は、自分で治すことができると考えています。
私たちは神の分霊であり、つながりを深めて行けば、生命力により癒されると思います。

苦しくなったら、いつでも連絡して下さい。

匿名 さんのコメント...

イクミさん、初めまして。匿名でのコメントで失礼します。

4月に父が急逝し、色々と救いを求めている中でこちらのブログに辿り着きました。
全ての記事やコメントを拝見させていただいて、イクミさんのお人柄や真摯に向き
あっていらっしゃるお姿に感銘を受けました。

本日は父の誕生日という事もあったので、お邪魔させていただきました。
6月末頃に投稿させていただいたのですが、ご回答がなかったので、本業やご回答
などでご多忙だから仕方ないかなと思っておりましたが、実は届いていなかったの
ですね。

投稿させていただきました事は父の事でした。幸いな事に、7月半ばに霊能者の
方から父の最期の様子や、その後の状況を知る事ができました。
お父様の状態によっては会話も可能との事でしたが、実際につないでみたところ、
普段から寡黙だった父でしたので、心配している事や、気がかりな事など質問を
通してわかりった事もありましたが、残念ながら会話は叶いませんでした。

父がどんな想いを持っているのか、大変気になっております。図々しいお願いで
恐縮ですがイクミさんのお力をお借りする事ができたら幸いに存じます。

シルバーバーチの霊訓もブログに後押しされるように、少しずつ読み進めていま
すが、深い内容なだけに時間がかかりますね。まだ半分にも到達していませんが、
いずれは教えが奥まで染み渡る程に読み込めたらと思っております。

どうぞ宜しくお願いいたします。

イクミ さんのコメント...

匿名様

はじめまして、イクミです。
ブログを丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。
コメントが送っていただいても、こちらに届かない期間があり、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

お父様が4月の亡くなったのですね。
昨日が誕生日だったそうですが、まだまだ一緒にいられる年齢であったとお察しします。
霊能者の方に、お父様の最期の状況や、その後の様子を伝えてもらって良かったですね。
お判りかとは思いますが、お父様は肉体を失っただけで生きています。
この世の記憶もあり、性格もそのままであり、以前と同じ情愛で結ばれています。

今のお父様の想いを知りたいそうですが、お力になれればと考えています。
ただ、メッセージを受け取るのはとても繊細な作業であり、私の心の状態、あなたの心の状態、周囲の状況、お父様のメッセージを送る熟達度等に大きく左右されます。
また、心に浮かび上がったものを言葉にしていますので、私の潜在意識の影響も避けられません。

仕事の合間に、お父様に焦点を合わせて、心の中に生まれて来るものを少し待ちましたが、反応はありませんでした。
その後、海、達、彦などの文字が浮かんできましたが、これは関係がないのかもしれません。
寡黙だと言われていましたが、こちらから話しかけないと、ご自分からは話をしない方なのでしょうか。

しばらくしたら、わずかですがこんな想いが心の中に生まれました。
積極的に伝えて来る方ではないので、上手く受け取れているのか判りませんが書いてみます。
失礼に当たることもあるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。

「どこにも行っていない
お前が良く視えている
あまりに急過ぎて気持ちが追い付いていかなかったが、今は落ち着いている
清々しい気持ちだ
人は簡単に逝ってしまうけど、死ぬのはそんな大層なことじゃない」

これ以上はなかったので、過去に2度ほど行ったことですが、こちらから想いを投げかけて、返答を待ってみました。

(あなたに)何か言うことはありますか?
「何も心配しなくて良い
お前が心配するようなことは何もない」

どう思っているのでしょうか?
「もっと長く一緒にいたかった」

(あなたに)どうして欲しいのでしょうか?
「何事にも縛られずに、自由にのびのびと生きて欲しい
大切なことだ
好きなことをすれば良い。応援する」

その後、こんな想いが伝わって来ました。
「いつまでも子供だと思っていたが、ずいぶん大人になったので少し驚いている
お父さんの代わりになるものを見つけて欲しい
いつまでもお前のお父さんだ、見守っている」

まとまりがなくなってしまい、申し訳ありません。
わだかまりや、憤りの感情などなく、淡々として穏やかな心境に感じられました。

匿名 さんのコメント...

イクミさま

ありがとうございます。メッセージの確認が遅くなりましたが、
先程拝見させていただきました。とても嬉しく心に響きました。

お仕事の合間にもコンタクトを試みていただいたとのこと。
大変にお手数をおかけしましたが、イクミさんのお蔭でようやく
父の気持ちと直に向き合えた、そんな気がしてなりません。

家庭では父は男性一人だったという事もあるのでしょうか。
お友達との会合ではかなり饒舌だったそうです。家にいる時は、
読書やサイクリング、趣味の畑作業、音楽鑑賞など自分の世界を
好んで思い思いに過ごしていました。家族への愛情がない訳では
なく、単に好きな事をして寛いでいたのでしょうね。

死は終わりではないとは言え、存在が失われてしまう喪失感や、
この世でもう会えないという現実は、容赦なく打ちのめします。
イクミさんは面識のない父から僅かな手がかりを繋ぎ、想いを
聴き届けてくださいました。イクミさんの優しさと温かさにも
力を分けていただいた様に思えます。

哀惜の念は依然としてあるものの、イクミさんのお蔭で私も
メソメソしてしまう時はまだあるけれど、立ち上がらなくては
という勇気が湧いてきました。

この度はお力添えをいただきまして、本当にありがとうござい
ました。心から御礼申し上げます。
今後もイクミさんのブログの更新、楽しみにしていますね。

イクミ さんのコメント...

匿名様

お父様はまだ言い足りないことがあるのかもしれません。
あなたからいただいたコメントを読みながら、お父様の存在を強く感じています。
真面目に生きていれば、必ず良いことが待っているそうです。
あなたのことは本当に大切に思っているようです。
要するに、愛していると伝えたいようなのですが、自分らしくないと思っているようです。
思いはあるのに、上手く伝えられない、不器用なところがあるようです。
あなたの気持ちを知り、とてもうれしく思っているようです。
あなたたちがいたからこそ、楽しく、自由に過ごせたと、感謝しているようです。

お二人は似ているところがあり、会話は少なくても、判り合えるところがあったのではないでしょうか。
姿は見えなくなっても、その関係は変わりなく続いています。
お父様の温かな想いを、あなたの魂で直接、感じられるようになって下さい。

匿名 さんのコメント...

イクミさま

コメントをありがとうございます。
嬉しくて涙がさらにあふれました。

父は何でもこなす割には照れ屋で、想いを表現するのは不器用な人です。
イクミさんはそんな些細なところまでよく見抜いていらっしゃいますね。

私は双子でして、幼少の頃は手のかかる妹に母の目が向いていました。
幼心にも手を焼く妹の我が儘ぶりはわかりましたので、母の関心が私に
向く事はないと納得していましたが、父は不憫に思ったのでしょう。
休みの日はよく構ってくれました。本当は長時間の通勤や仕事の疲れを
癒したかったと思います。
長じては母に性格もよく似た、人とぶつかりやすい妹を案じていました
が、私の事は安心して見守ってくれていた様に思います。

昨年、私が初期の癌を患っている事が判明し、心配をかけていました。
心配は伝わってくるのに、どうしてお見舞いに来てくれないのかな?
婦人科系の癌だから、なんとなく遠慮しているのかな?
と思っていましたが、実は母が禁足令を出していたからだったという事を
父の他界後に知りました。母は軽い気持ちで言った様ですが、その内容は
棘がありました。私が快方に向かう事を願って父はその「禁足令」を律儀に
守っていたのでしょう。
私は父と2年近く会っていませんでした。父はなぜか会いに来てくれない
みたいだから、検査で心配しなくてもいい結果が出たら真っ先に、私から
父に会いに行こう!と、願掛けをする様な感覚で治療(民間療法)に励んで
おりました。変に意地を張らず、素直に会いに行けばよかったと思います。

祖母は74歳で急逝しましたが、祖父は92歳で他界するまで健康そのもの
でした。父も持病はなく元気に過ごしていましたので、まだまだ時間は
あると父を含む誰もがそう考えていたと思います。
父は4人姉兄弟の3番目なのですが、全員元気で誰も欠けていない、健康
優良な一族なのです。

私にとって父は大きな安心感を与えてくれる存在で、そそっかしい母も
父と一緒なら安心。といった具合に、何も心配しなくていい状態を保ち
続けてくれていました。
まさかこんな急に旅立ってしまうとは夢にも思わず、あと、10年か15年
したら一緒に住まないといけないだろうな~。
だけどもし、私の方が持病で先に旅立ってしまったら、申し訳ないな・・・
と考えるくらい、父の死は私にとって未来の出来事でした。
心配をかけさせたまま逝かせてしまったという現実は、私を打ちのめし
ました。いつまでも癒えない心の傷に、慟哭するばかりでした。

父の想いをイクミさんから教えていただき、何度も読み返す事でようやく
心の傷も癒やされていきそうな兆しを感じます。
まだ父が夢枕に立ってくれた事はありませんが、イクミさんのお言葉通り、
「父の温かな思いを私の魂で直接感じられるようになる事」を目標にこの
悲しみを乗り越えていきたいと思います。

長々と書き綴ってしまいました。何と言ってお礼を申し上げたら良いか
わからないほど、イクミさんに救っていただきました。
感謝の思いでいっぱいです。本当にありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

匿名様

こんばんは。
ご自身も病気をされて、色々な事情から長く会えずに、お父様が急に逝ってしまったのですね。
素直に会いに行けば良かったと後悔してしまうのは無理もありません。
伝えたいこと、話したいこともたくさんあったでしょう。

亡くなる前は、あなたとお父様の間には物理的な距離がありましたが、今はありません。
好きな時にあなたの様子を見に行くことができます。
あなたが伝えられなかった想いは、全てお父様に届いています。
あなたがお父様の想いを知りたい時は、お父様があなたに想いを伝えたい時だと思います。
想いをいくら伝えようとしても、あなたは一向に反応しないので、このブログに導いたと考えられます。
どうにか伝わったようなので、お父様は大喜びしていると思います。

今のお父様は、あなたにとって一番身近な存在と言えます。
困った時には、以前と同じ様に助けてくれるでしょう。
お父様の想いを受け取るためにあなたに求められるのは、傍にいてくれるのを信じること、お父様に想いを(出来れば言葉で)伝えること、雑念や感情のない空っぽの心にすることです。
空っぽの心に浮かんできた言葉やイメージを逃さないようにして下さい。
そして、浮かんできたものを、気のせいや自分の考えだと思わないで下さい。
お互いに判り合えていたようなので、同調しやすく、受け取りやすいと考えています。

お母様が禁足しなければ、亡くなる前に会えたのにと思うかもしれませんが、そこに何か意味を見出すとすれば、霊的真理との出会いかもしれません。
この世で霊的真理との出会うのは、あなたが考えている以上に意義深いものです。
死をもってあなたに届けられたものであり、霊的な感受性を高めてお父様とつながるためにも、シルバーバーチの霊訓を読んで下さい。(入手困難ですが全12巻読むことをお勧めします)

お父様の想いは言葉にならなくても、あなたの中心(魂)に何か温かいものを感じられるかもしれません。
自分の想いに早く気付けるようになって欲しいと思っているでしょう。

最後に、愛は死と共になくなってしまうものではありません。
昔よりも強く、情愛で結ばれていると思います。