ずいぶん前の話です。
入院していた祖母の容態が悪くなったとの知らせがあり、仕事が終わると急いでそちらに向かいました。
新幹線を乗り継いで5時間かけて病室に到着すると、直ぐに心電図のアラームが鳴り出し、数分後に亡くなりました。
待っていてくれたんだと思いました。
けれども、何の言葉もかけられませんでした。
かけるとしたら「ありがとう」だったでしょうが、別れを告げるような気がするので、やはりできなかったと思います。
永遠の別れなど存在しません。
葬式で、お別れの挨拶をしているのは、故人が入っていた肉体です。
荼毘に付されてその姿は見えなくなりますが、故人そのものである「魂」は、変わりなく生きています。
20年前から、同じようなことを書いていますが、少しずつこの事実を受け入れてもらえるようになって来たと思います。
魂の存在の有無を論じる時代から、霊界にいる魂とのつながりを深めて、その恩恵を享受する時代に変わって来ていると感じています。
同じく20年前、2006年8月25日に福岡で悲惨な交通事故が起こりました。
家族5人の乗った車が、飲酒運転の車に追突されて、その衝撃で車は橋の上から河に転落して、3人の幼い兄弟(紘彬くん、倫彬くん、紗彬ちゃん)が亡くなり、大きなニュースになりました。
理不尽な事故で突然子供を失う、その心境は想像を絶しています。
追い打ちをかけるように、被害者を誹謗中傷する信じられない人たちがいて、ご両親は心を病んでしまい、身を隠すように福岡を離れて生活をされていました。
事故の後に、4人のお子さんが生まれたそうです。
最近、お子さんたちと海に行き、楽しそうに夏休みを過ごしているお母さんの姿を、ニュースの映像で見掛けました。
子供たちと遊んでいる笑顔の中に、忘れることない3人への想いが感じられました。
お母さんは、こう語っていました。
「私にとって7人は、誰ひとり欠けることのできない大切な子どもたちである。だから私は、これからも7人の名前を同じだけ呼び続けたい。紘彬、倫彬、紗彬、愛子、真寛、ひかり、寛彬。名前を呼ぶたびに、一人ひとりの笑顔が浮かび、私の中で生き続ける。」
そして、こうも言っていました。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんなんだよっていう話はしてるけど、もう、紘彬、倫彬、紗彬よりもずっとずっと大きくなって、自分より早く生まれて大きな年齢であっただろうっていうことは、多分、その実感はないと思うんですけど、私がずっと、兄弟なんだっていうのを伝え続けてるので、自分たちのお兄ちゃん、お姉ちゃんっていうのは、心で感じるようになっているんじゃないかなあって思います。」
「笑った時の目は、紘彬くんにそっくりでとか、シルエットは紗彬ちゃんにそっくりだよとか、ほんと、こう、今まで、紘彬くん、倫彬君、紗彬ちゃんが事故に遭う前と変わらない感じで、ずっと私は名前を、こう、ほんと日常生活の中に7人の子の名前をって感じの生活をつとめてっていう感じです。」
これを聞いて、死んだ子供にいつまでも未練を持っている可哀想な母親だと思う人もいるでしょう。
そんなことは全然ありません。
愛情で結ばれた者同士は、死によって引き裂かれることはありません。
愛は魂を引き付ける力です。
お互いの愛によって、両者は引き付けられて、側に寄り添っています。
向こうにいる3人は、生前よりもお母さんのことを理解しています。
お母さんの想いは光となって放たれていて、その色彩(オーラ)から何を想っているのか、子供たちには判るからです。
遠くに行ってしまったのではなく、より身近になり、誰よりも理解している存在となっています。
お母さんは、向こうにいる3人に自分の子供として平等に想いを向けています。
その想いはしっかりと伝わっていて、愛されている悦びを感じているでしょう。
その様子を見ているこの世にいる子供たちは、目に見えないお兄さんお姉さんたちに親しみを感じているようです。
向こうにいる3人は、この世にいる弟、妹たちをあたたかく見守っているでしょう。
生きている世界が違っても、7人家族なのです。
これ以上ない悲しみ苦しみの果てに、一緒に生きていることを、お母さんは悟られたと思います。
そして、どうして自分が生かされているのかを問い続けました。
「1日1日会えなくなる日が増えていくのがすごく苦しんでいたんですけど、多分、年齢も積み重なって、もう今は1日1日会える日が近づいているなあって思うんですよね。そこで会えるその時まで、精一杯頑張るよってことは、ずっと思っていることで、紘彬くん、倫彬くん、紗彬ちゃんのことを、この地上に誕生したことを私が生きている限りは、お母さんが生きている限り、頑張って伝え続けるよ。」とお母さんは言っています。
その想いが、1つの形となりました。
福岡に戻って、飲酒運転撲滅のために、3人の子供たちがこの世を生きていたことを伝えるために、これから社会に出る若い人たちに向けて講演活動を始められました。
多くの人の前で話せるようになった理由をこう語っています。
「この悲しみ苦しみが変容して人々の助けになったり、困ったり苦しんでいる人たちのこれからの生きる道筋になるんじゃないかなって。これが私の使命だとしたらそれを全うしたいと思っている。」
少し話は逸れますが、「変容」という言葉で、シルバーバーチの霊訓に書いてあった「ゲッセマネの園を通らずして、変容の丘へ辿り着くことはできません。」という一節を思い出しました。
ゲッセマネの園とは、捕らえられ処刑される運命にあることを悟ったイエスが、怖れや苦悩の中で過ごした場所とされています。
そこでイエスは「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」、そして「わが父よ、もしできることなら、この杯(運命)をわたしから過ぎ去らせてください」と願ったそうです。(マタイによる福音書より)
イエスでさえも、苦しみや痛みや別れを避けたかったと思われます。
そして、次にこう書かれています。
「しかし、わたしの願いのようにではなく、御心のままに。」
極限の怖れや苦しみの中で、運命を受け入れて、全てを神に委ねたと思われます。
(3人の子供を失うという)あまりに過酷な「ゲッセマネの園」ですが、お母さんの悲しみや苦しみは、人々の助けになったり、困ったり苦しんでいる人たちの生きる道筋となる想いへと「変容」して行ったと思われます。
その想いが、神の御心であったと思います。
これ以上ない悲しみを経験したお母さんの瞳から、慈悲の光のようなものが感じられました。
寿命が来て、あの世に戻った時に、3人の子供たちとの再会が待っています。
この世にいる時に、自分の想いは伝えていたので、ただ強く抱きしめるだけかもしれません。
3人の子供たちは、この世を生き抜いたお母さんの労をねぎらうでしょう。
そして、自分たちがこの世を生きた証を示してくれたこと、極限まで追い詰められて、そこから変わって行くお母さんの姿から、大切なことをたくさん学んだと、感謝の想いを伝えるかもしれません。
また、この世にいる4人の弟、妹たちは、傷つき、病んでいるお母さんの心を癒すため、そして生きる力を与えるために、志願して子供として生まれたと伝えるのかもしれません。
悲しい想いをさせるだけさせて終わりになるのなら、神などいません。
全てが報われています。
この世で一緒に暮らしていたよりも、別れの悲しみと苦しみを経験したことにより、他者の想いを共有することができ、より深く強い愛(慈悲の想い)が表現できるようになっていることに気付くかもしれません。
不幸や凶事としか思えなかったあの出来事は、望ましい方向に自分を変えていたことに気付くかもしれません。
全てを包み込んでいる、限りなく大きな愛が存在しています。
その愛によって創られた法則の働きにより、公正が完全に保たれています。
そのことを一瞬に理解して、深く感謝するでしょう。
この世の悲しみを通して育んでいた愛(慈悲の想い)が、向こうの世界をより美しく、悦びに満ちたものにするために、遺憾なく発揮されることになります。


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