地上では、さまざまな感情が生まれます。
怒り、悲しみ、怖れなど、肉体を持つ人間として、避けられない感情です。
怒りが生じると、顔が紅潮して、眉間にしわが寄るなどして、肉体によって表現されます。
悲しみが生じると、泣いて、目から涙が流れます。
すごくうれしい時にも、人は泣いて涙を流します。
悲しくて泣いているのか、うれしくて泣いているのか、見分けがつかない時があります。
人間は不可思議な生き物です。
別れの時に、多くの人は涙を流します。
愛しいほど、悲しみは深くなり、たくさんの涙を流します。
シルバーバーチの霊訓によると、霊界から地上に誕生(再生)する人を見送る時にも、涙を流す人がいるようです。
ただ、目的があって地上に生まれ、目的を果たしたら帰って来るのを知っているので、地上のような悲しみの涙ではありません。
また、霊界にいる人は、地上にいる人に会いたくなったら、自分の意志によって会いに行くこともできます。
けれども、肉体はなく五感もないので、地上の人のように外部を感識しているわけではありません。
肉体などの物質は影のように見えます。
霊的な感覚によって、人間の本質である魂(霊)がはっきりと分り、そこから発せられた想いを感じ取ることができます。
霊界の人が残念に思うのは、傍にいるのに地上の人が気付いてくれないことです。
仕方がないとは言え、「いなくなってしまった」と勘違いして、嘆き悲しんでいるのを見ると、いたたまれない気持ちになります。
地上の人に求められるのは、正しい霊的な知識を持つことです。
そして「守り導いてくれている」と強く信じることです。
信じようとする地上の人の想いは、霊界にいる人にとって愛されているように感じられます。
両者のつながりは強くなり、霊界にいる人は安心して導くことができます。
信じるのも、信じないのも個人の自由です。
けれども、信じないのならば「もう会えない」と言う事実誤認から生じる無用の苦しみを味わうことになります。
信じることができれば、次元を超えて愛することができます。
次元を超えて愛するのは、同じ次元にいた時よりもはるかに困難です。
困難を克服して愛することができれば、愛せない苦しみから解放されます。
霊界にいる人は、地上の人を守り導くことで、愛を表現しています。
次元を超えて守り導くことは、同じ次元にいた時よりもはるかに困難です。
困難を克服して守り導くことで、自らも学び成長しています。
導きは、はっきりと分る形で示されるわけではありません。
こんなことはないでしょうか?
特別な理由もないのに、どうしても行かねばならない、どうしても行く気になれない気持ちになる。
心に浮かんだ場所に行ってみると、探しているもの(答え)が見つかった。
特定の人と、どうしても関りを持ちたくなる。
それらは思考の産物ではなく、霊界からのインスピレーションが伝わって来て、衝動に駆られたのかもしれません。
地上の人にも霊的な感覚があり、想像している以上に霊界からのインスピレーションを受け取っています。
そのことを知っていた方が、ずっと導きを受けやすくなります。
心が沈んでいる時、霊界にいる人とのつながりを意識すれば、励ましの想いを受け取れるかもしれません。
受け取った瞬間、心の中がパッと明るくなったり、温かいものを感じたり、前向きな気持ちになるのが感じられるかもしれません。
生きている次元は違っても、本質である魂は同じ次元に存在しています。
本来は自由に思念のやり取りができます。
しかしながら、地上の人には五感があり、そこから入る情報に圧倒されて、霊界から届いている想いやインスピレーションに気付きにくくなっています。
もし、気付いてもらえたならば、霊界にいる人はうれしくなるでしょう。
眠っている時は、肉体から解放されています。
霊界にいる人と同じ次元で会い、想いを交わしているのですが、起きてしまうと思い出せません。
想いは言葉を超越したものです。
従って、言葉として思い出すことはできません。
けれども、想いを受け取った時の余韻は残っているかもしれません。
親愛の想いを交わし合っていたのならば、うれしさや悦びに包まれながら目覚めるかもしれません。
ところで、自分がいなくなり悲しんでいる地上の人を見て、どう感じているのでしょうか?
愛されていると感じているのではないでしょうか。
その理由は、愛しさがなければ、悲しみは生まれないからです。
行き場を失った愛が、悲しみとなります。
悲しみを抱き続けるのは、愛し続けるのと同義なのかもしれません。
生きていたとしたら、そこまで愛し続けることができたのでしょうか。
半ば強制的に、愛し続けるようになるのが、地上の別れの本質と考えられます。
人は愛することで成長します。
片時も忘れずに、愛し続けるのであれば、同じ次元で生きているよりも、成長しているはずです。
出会うことは、生まれる前に決まっています。
死ぬ時も決まっています。
従って、出会い、別れることは、予定されていたと考えられます。
何故、別れが予定されていたのでしょうか?
一生涯をかけて、学び成長してもらうためかもしれません。
相手への想いがなければ、そのような人生を選択することはありません。
「何故、逝ってしまったの?」という地上からの問いかけに、「心から愛しているから」と答えているのかもしれません。
正確な答えは、再会の時に分かります。
悲しみの涙は、うれし涙に変わります。
どちらの涙も、同じ愛から生まれていたことに気付くでしょう。
信じて生き抜いたこと、守り導き通したことによって、魂と魂はより強く結ばれています。
約束が無事果たされたことを知り、深く安堵するでしょう。


2 件のコメント:
メッセージ有難う御座います。この世は仮初めのステージ。霊界こそが和多志たちの故郷ですよね。あの世は永遠、この世は刹那。だからこそ耀く✨先に還った愛する霊とも必ずや再会は果たされます。その時まで悔いなく力の限りを尽くして生き少しでも沢山、この世界において
愛と調和の奉仕をしていくことが望まれます🌏✨
fS369様
こんばんは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
言われるように、私たちの本来の住処は霊界です。
そこで愛する悦びを感じながら生きるために、この世でさまざまな出来事を経験しています。
何度も地上に生まれる中で、身を切られるような別れを、どこかで経験することになると考えています。
今生でしている人の参考になればと思い書きました。
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