2025年3月30日日曜日

内在する愛によって許すことができる



死んだ後にも、生きる世界(霊界)があります。

あるのは確かですが、残念ながら客観的に証明することはできません。


眠っている間は、魂は肉体を離れて、霊界に行っています。

爽やかで、新鮮な気持ちで目が覚める時があります。

そんな時は、霊界でリフレッシュされ、余韻を残しながら肉体に戻って来たのではないかと考えています。



小さい時は悩みや心配などなく、日が暮れるまで無中になって友達と遊んでいました。

霊界も同じで、生きて行く上での悩みや心配はなくなり、友達よりもさらに親しい人たちと、やりたいことを思う存分することができるようになります。



霊界のことを知るほど、早く行きたくなります。

地上に戻ることなく、できるなら霊界で成長したいと思うのは、私だけでしょうか。



若い時、社会で成功することはとても大切であり、自分の価値の多くはそれで決まると考えていました。

少しでも高い地位、たくさんのお金を求めて、努力している人は少なくありません。

けれども、霊界に持って行けるのは自分(魂)だけです。



霊界に行ってしばらくすると、地上の人生を振り返る時が来ます。

想ったこと、言ったこと、行ったことの全てが、オーラに刻み込まれています。

自分の言動が、周りにどのような結果をもたらしたのかを知ることになります。



因果律の働きは、正確無比です。

人や動物に喜びを与えれば、相応の喜びとなり自分に返って来ます。

苦しみを与えれば、相応の苦しみとなって自分に返って来ます。

与えた喜びは自らの成長を促し、与えた苦しみは成長を妨げます。



成長したいと言う根源的な欲求が私たちにあります。

成長を妨げる原因(カルマ)を取り除かない限り、欲求を満たすことはできません。

原因(カルマ)を取り除くために、生まれて来た人も少なくないようです。



霊界で経験できないことを、地上では経験できます。

経験を通して大切なことを学び、自分に足りない霊的な資質を手に入れるために、生まれて来ている人も多くいます。



思念が直接伝わる霊界と違い、地上では自分の想いや概念を言葉に変えて、五感を通して伝えなければいけません。

けれども、自分の想いや概念を正確に言葉に変えられるわけではありません。

住んでいる場所によって、言語も違います。

言語が違えば、自分の想いを正確に伝えるのは、さらに難しくなります。



心が似通っている人たちだけと接している霊界と違い、地上では心が似通っていない人たちとも接して生きなければなりません。

たとえ自分の想いを正確に伝えられたとしても、考え方や価値観が違う人と、同じ想いを共有できるとは限りません。

お互いを理解し合うのが困難な世界に生きていると言えます。



肉体を持つことにより、意識は自分に向かいます。

自分が大切になるほど、他者の想いはどうでも良くなります。



これら地上ならではの要因によって、いさかいが起きやすくなります。

高じると戦争になります。

肉体を持たない霊界では、戦争は起こり得ないのです。



考え方や価値観が違う人間と共に生きているのが地上です。

そのことを、まず認識しなければいけません。

自分の考えの方が正しい、あるいは優っていると主張し合うのではなく、相違があるのは当然として受け止め、相手の考えを認めなければいけません。



肉体を介して自己表現しなければならないのが地上です。

思った通りに表現できるとは限りません。

表現できたとしても、意図した通りに相手に伝わらない時もあります。



不完全な人間が、完全に近づくために生まれて来るのが地上です。

不完全であるがゆえに、時に過ちを犯してしまいます。

自分は完全だと言う人がいますが、それ自体が不完全さを証明しています。



お互いが不完全な存在であることが認められたのなら、相手の過ちを許すことができるはずです。

侵害しようとする相手から自分の身を守ることは許されますが、相手の過ちを許せずに、感情に任せて報復したのなら、自然法則の働きに背いたことになり、好ましくない結果が返って来ます。

難しいことですが、感情を抑えて、因果律の働き(神)に委ねなければいけません。



地上は、認め合い、許し合うことの大切さを学ぶ場です。

寛容さが求められています。

それらが欠けていると、因果律の働きによって苦痛を伴う事象が起きて、経験的に学ぶことになります。



自然法則を貫いているのは愛です。

寛容であるためには、自己犠牲が求められ、大きな意味の愛を表現しなければなりません。

自然法則に叶っているので、好ましい結果が生まれます。



認められない、許せないのは、地上の表現媒体である自我(エゴ)の働きによるものです。

魂には神が宿っています。

エゴから生じた怒りや憎しみの感情は、内在している神の愛によって、完全に鎮めることができます。



自分にも神が内在していると強く信じましょう。

何が起きたとしても、そこから愛を引き出すことができたのならば、許すことができるはずです。



地上にいる私たちは、魂に内在する愛とエゴから生まれる感情の間で、日々揺れ動いています。

エゴに打ち克って、内在している愛を表現することで、霊性は発達して行きます。

それこそが、地上に生まれて来た目的です。



地上で身に付けた寛容の精神は、魂の財産として持って行けます。

博愛の精神となって、霊界で花開くと思います。




 

2025年3月23日日曜日

意志は感情よりも強い


ALSと言う病気を聞いたことがある人も多いかもしれません。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、運動神経細胞が徐々に障害され、筋肉が衰えていく進行性の神経疾患です。

根本的な治療法はなく、呼吸に関わる筋肉が動かせなくなり、最終的に死に至ります。



ALSの患者さんは大きな決断をしなければいけません。

呼吸が困難になって来たら、気管切開をして人工呼吸器を取り付けて延命を計るのか、または自然に任せる(死を待つ)のか、どちらかを選択しなければいけません。



死後の生があるのが分かっていて死ぬのは恐くなくても、息ができない苦しみは避けたいです。

少しでも長く生きて欲しいと家族に懇願されたのなら、心が動かされてしまうかもしれません。

極めて難しい選択を迫られるのは間違いありません。



霊的真理には「乗り越えられない困難や障害は起きない」と書いてあります。

この病気には、治療法がなく死に至ります。

どう乗り越えて行けば良いんだと思われる人もいるでしょう。



病気が進行すると、全身の筋肉は麻痺し(眼球を除いて)動かせなくなりますが、意識は最後まで清明です。

意志の疎通が全くできなくなるのを「Totally Rocked Syndrome(完全閉じ込め症候群)」と言いますが、人工呼吸器を付けて生き長らえたとしても、この状態が死ぬまで続きます。

逃れられない苛酷な現実を前にして、多くの患者さんは絶望と恐怖を感じるようです。

精神的に追い詰められて、それまで眠っていた魂が目覚めて、霊的真理に辿り着く人もいるでしょう。



地上の人間は、肉体を携えた魂です。

本質は魂です。

従って、肉体がいかなる状況に追い込まれたとしても、魂から生まれる意志によって思い通りの自分でいることができるはずです。



けれども、人間には(地上の)自我が存在しています。

肉体や外部の環境から影響を受けて、精神(自我)からはさまざまな感情が生まれます。



精神(自我)よりも魂が上位にあります。

精神から生まれる感情よりも、魂から生まれる意志の方が強いのです。

意志を持つことによって、好ましくない感情は抑えられるはずです。



ALS患者に藤田正裕さんと言う方がいます。

彼は広告プランナーとして第一線で活躍していましたが、30歳の時にALSと診断されました。

次第に呼吸が困難になり、生きるか死ぬかの決断をしなければいけない時が来ました。

肉体に閉じ込められる恐怖はもちろんのこと、家族に金銭的、精神的、身体的な負担や迷惑をかけたくないという理由から、約70%は人工呼吸器を付けない方(死)を選ぶそうです。

1度人工呼吸器を装着したら、倫理的、法律的な問題から外すことは難しくなります。

そんな中で、藤田さんは生きる方を選びました。



藤田さんの魂は目覚めていると思います。

命の終わりを意識することで、生きる意味に気付き、絶望ではなく希望を持って人生を全うしようと決めたそうです。

「END ALS」という組織を立ち上げて、治療法の確立と患者の生活向上支援のための活動を始めました。



絶望や恐怖を感じていたい人はいません。

何かをしようとする「意志」が生まれている時には、絶望や恐怖などの「感情」から解放されています。

逆境の時ほど、感情に翻弄されないために、意志を持つことが必要です。



「死にたくない」と思うのは意志ではなく、自我から生じている願望です。

願望なので叶えられないかもしれないと思うと、そこから負の感情が生まれてしまいます。



「生きる」と決めてしまえば良いのです。

生きて、ALSを終わらせると心に決めた藤田さんは、無用な感情に悩まされにくくなっていると考えられます。

意志は全てに優先されるからです。



以前も書きましたが、戦時下のアウシュビッツ強制収容所である出来事が起こりました。

囚人が脱走して、同じ棟にいた10人が無作為に選ばれ、連帯責任として飲まず食わずで死に至る飢餓刑を科せられました。

選ばれた人の中に、妻子がいることを知ったゴルベと言う神父は、自分が身代わりになることを申し出ました。

身代わりとなり飢餓刑に処せられた神父は、牢内で最期まで周りの人たちを励まし続けたそうです。

「全き愛は恐れを知らず」

このイエス・キリストの言葉をゴルベ神父は証明していたと思います。(神父は1982年に聖人に列せられました。)



聖人でなくても、全ての人は神の愛を持っています。

泣いている子供がいると声をかけたくなるのも、悲しんでいる人を慰めるのも、落ち込んでいる人がいると励ますのも、私たちは神の愛を持っているからです。

駅のホームで転落した人を助けようとして亡くなった人がいますが、死の恐怖より助けようとする意志(愛)の方が優っていたからです。

置かれている状況から生み出される、絶望や恐怖を完全に抑えることのできる最高の意志は愛です。



霊界にいる存在からも、地上の私たちは愛を受けています。

将来のことで怖れや不安が生まれそうな時は、霊界にいる存在とつながっていると強く信じましょう。

霊界から届く愛(想い)により、怖れや不安が和らぎ、あたたかいもので満たされるのを感じることができるかもしれません。

「万策尽き、これにて万事休すとあきらめかけた、その最後の一瞬に救いの手が差しのべられることがある」とシルバーバーチの霊訓に書かれています。

1人ではなく、霊界にいる存在と共に地上の人生を歩んでいることを忘れてはいけません。



ALSによってたくさんのものを奪われたが、「感謝、希望、人とのつながり」は奪われなかったと藤田さんは言っています。

病気により奪われることなく、最後まで残ったものが、藤田さんにとって最も価値のあるものと思われます。



自らの成長のため、周りに示唆を与えるために、この病気に立ち向かうことを、決めていたと考えられます。

多くの人に支えながら生きている、大きな意味での愛を学んでいます。

自分を表現することの大切さ、勇気や希望を持ち続けることの意味を訴えています。

病気により培われた生きようとする意志は、霊界に行くと誰かのために何かをしようとする強い意志に変わるでしょう。



最後に、シルバーバーチの霊訓のこの一節を、病気に苦しむ人に捧げます。

「時として厳しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。『自分は神の一部だ。不滅なのだ。永遠の存在なのだ。無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界でくじけるものか』と。そう言えるようになれば、決してくじけることはありません。」





2025年3月16日日曜日

お役に立つ


今は亡き義母のお見舞いに行った時のことです。

衰弱してベッドから起き上がれなくなった義母が、天井を見つめながらしみじみとこう言ったのを覚えています。

「お役に立てなくなった」

地上を去る前、本当に大切なものが見えて来ます。

シルバーバーチの霊訓には「役に立つ」ことが大切だと繰り返し書かれていますが、義母のその一言で再確認しました。



十年位前になりますが、友人から連絡がありました。

知り合いの家族が、ヒーリングを希望しているとのことでした。

ご家族には2人のお子さんがいましたが、上の女の子には自閉症と精神発達遅滞の障がいがありました。

10才位でしたが3才位の知的レベルで会話は成立せず、お母さんにべったりくっついていました。



ヒーリングをする前に、お母さんと少し話をしました。

お母さんはある看護師さんから「(そのお子さんは)あなたを選んで生まれて来たのよ」と言われたそうです。

その言葉に反発して「生まれて来なくて良かった」と思ってしまったそうです。

それを聞いて私は驚きましたが、同時にこれまでいかに大変な思いをして育てて来たのかが少し分かったような気がしました。



NASA公開画像

私たちは、地上の環境を選んで生まれて来ています。

どのような人生を辿るのかも、予め分っています。

過去生において関わり合いがあり、今生で親子になる必要があったのかもしれません。

詳しいことは分かりませんが、学びと成長のために、今のお二人の関係があるのは確かです。



死んだ後に行く霊界こそ、本来の住処です。

肉体がなくなると、意識は自分から周りへと向かいます。

周りのために何か役に立てないかと、自然に思うようになります。




会社に入ると、プロジェクトを任されることがあります。

任されるプロジェクトは、個人のスキルに応じたものになります。

スキルが増すのに従い、難易度の高いプロジェクトを任されるようになります。

難易度が高くなるほど、成し遂げた時の喜びは大きくなります。

その喜びは、会社や社会のために役に立てたことに起因していると思います。



霊界では、役に立ちたいと想えば、その想いは叶えられます。

資質に見合った奉仕に携わることができ、それに喜びを感じます。

人間には、より深い喜びを味わいたいと言う欲求があります。

そのために、より次元の高い奉仕をしたいのですが、会社のプロジェクトと同じで、資質が伴っていなければ携わることはできません。



そこで地上に生まれることを志願します。

逃れられない運命と思っていた事象は、必要な資質を身に付けるために、因果律の働きによって起きているのかもしれません。

外からは苦難や凶事に見えるかもしれません。

誰もが避けたいような出来事を経験する人生を、承知して生まれて来ている可能性があります。



自分の時間を持つことを許さないお子さんに対し、生まれて来なければと思う時もあったかもしれません。

けれども、子供として生まれて来るべき存在だったことに気付く時が来るでしょう。

「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、自分が立派になります。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。

大変な苦労をして、自分を犠牲にして育てるのは、ご自身の魂を向上させることで完全に報われています。



一方、女の子は思うように自己表現できないハンディを背負って生きています。

そのため、苦しい思い、もどかしい思い、悔しい思いをすることも多いでしょう。

誰かに助けてもらわなければ、生活して行くのは困難です。



先になりますが、死によって肉体から解放され、自由に表現できる喜びを噛みしめる時が来ます。

苛酷な人生ですが、その分、魂は大きく向上しているでしょう。

人に助けてもらう経験が生涯に渡って積み重なることで、感謝の気持ちは極めて大きなものとなり、今度は誰かのために役に立ちたいという強い意志に変わると思います。

地上で不幸と言われる事象は、霊界でより高い次元の奉仕をして、喜びを感じるために起きていることがあります。

お二人はお互いのために役に立ちながら、経験しなければ決して得ることのできない大切な教訓を学んでいると思います。



女の子には妹さんがいますが、とてもしっかりとしていました。

お姉ちゃんに特別な愛着を感じているようで、妹になるのを決めて来たことが窺われました。

ご両親が亡くなった後も、寂しい思いをさせないように、寄り添って生きて行くと思います。(そんな兄弟姉妹が多いように感じられます。)



その日、女の子にヒーリングをすると穏やかな表情になりました。

お母さんにいくつかの霊的真理を話して、最後に「シルバーバーチの霊訓(1)」を渡して別れました。



しばらくして友人から連絡があり、お母さんの人柄が変わったように感じられたとのことでした。

癒しを必要としていたのは、お母さんだったのです。

霊的真理を受け入れる時期が来ていたのかもしれないと思うと、無性にうれしくなりました。



お役に立てることの中でも、必要としている人に霊的真理を伝えることは別格です。

人生を好転させることができるからです。

生まれて来た目的を成就させる方向に導くことができるからです。




2025年3月9日日曜日

自分の愛で癒す


人間が生きて行く上で「愛」は必要か?

答えは人それぞれです。



神聖ローマ帝国である実験が行われました。

時の権力者であったフリードリヒ2世は、「生まれつきの言語は何なのか?」という疑問を持ちました。

その答えを出すために、家来に生まれたばかりの50人の赤ちゃんを集めさせ、乳母たちに以下の条件で育てるように命じたそうです。

赤ちゃんの目を見てはいけない、笑いかけてはいけない、話しかけてはいけない、接するのはミルクを与える時、お風呂に入れる時、オムツを取り替える時のみとする。

出典は定かではありませんが、3才までに49人の赤ちゃんが、残りの1人も6才までに亡くなったと伝えられています。



ルーマニアのチャウチェスク政権(1965~1989年)下でも同じようなことが起こりました。

誤った国策によって、多くの赤ちゃんが捨てられました。

捨てられた赤ちゃんは孤児院に引き取られましたが、職員の数が極端に不足していたため、食事やおむつの交換などの最低限のことしかできなかったそうです。

そんな環境で育った多くの子供たちに、知能低下や情緒障害、自閉症に似た症状が見られました。



先日、市が主催する3歳時歯科検診に行って来ました。

多くの子供は虫歯のない綺麗な歯並びをしていますが、中にはほとんどの歯が虫歯になっている子供がいます。

親が子供のことに関心がない、いわゆるネグレクトが疑われます。

そんな子供たちは他の子供たちに比べて、感情表現に乏しいように感じられます。

現代社会においても、十分な愛情を受けられない子供たちは少なからずいると思われます。



生まれてしばらくの間は、自分で生きることができません。

誰かに守り育ててもらわなければ死んでしまいます。(そのために赤ちゃんは愛くるしく創られていると思います)

守り育てるという行為は、愛情表現に他なりません。



0才から3才までの間に十分な愛情を受けていないと、愛着障害を起こす可能性が高くなると言われています。

将来、愛情を求め過ぎたり、依存したり、人を信じることができなくなったり、愛情表現が上手くできなくなることもあるようです。

また、感情のコントロールが難しくなったり、自己肯定感が低い傾向もあるようです。



それらの症状を改善するために、いくつかの心理学的アプローチがあります。

愛着療法は、過去の愛着パターンを理解して、現在の人間関係にどう影響しているのかを探り、セラピストとの安定した関係を通して、新たな愛着の関係を得るものです。

認知行動療法は、過去の愛情不足によって生じた否定的な自己認識や不安を修正するものです。

いづれも専門家の指導が必要となります。



チャウチェスク政権下で孤児院に入れられた子供たちの中で、早期に里親の元で暮らせるようになった子供たちには症状の明らかな改善が認められました。

適切な愛情を受けられるようになったからと考えられます。



食事と水さえあれば、肉体は生きて行けます。

けれども、精神的に健やかに成長して行くためには、愛が必要と考えられます。



理由もなく、怖れや不安が生じる人がいます。

そんな人は、記憶の空白期間である乳幼児期に十分な愛情を受けていないために、世の中に対する安心感が獲得されていない可能性があります。

もし、いたたまれなくなるほどの恐怖が生じているのであれば、虐待などを受けてトラウマになっている可能性があります。



今までに自分に起きた事象と、その時にどう想って、どう行動(表現)したかが、時系列的に魂(オーラ)に刻まれています。(死後に全人生を回想します)

乳幼児期に起きていた事象と、それにより生じていた想いが紐付けされています。

何かをきっかけにして顕在意識に上って来ると、得体の知れない怖れや不安として感じられることがあります。




愛されなかったことによって生じていた怖れや不安を解放できるのも「愛」です。

以前、トラウマに苦しんでいる人を癒す方法はないかと思っていたところ、「今の自分がその時の自分に愛を与えることで想いを解放させる(癒す)ことができる」と伝わって来ました。

当時インナーチャイルドの概念を知りませんでしたが、ほぼ一致していたことに驚いた覚えがあります。



具体的なやり方です。

まず、心の中にその時の自分を思い浮かべます。

写真があれば、その写真に写っている自分の瞳を見つめます。

その時の自分に向かって「つらかったね」「さみしかったね」「怖かったね」など、共感する言葉をかけます。

「私がいるから大丈夫だよ」「もう何も怖くないよ」など、安心させる言葉をかけて下さい。

そして「大好きだよ」「愛しているよ」と言いながら心の中で抱きしめてやって下さい。

何よりも大切なのは、愛おしむ想いを伝えることです。



学びのために、愛情を与えない親を選んでいる時もあるでしょう。

苦痛を味わうことで、過ちを償っている時もあるでしょう。

そのどちらでもなく、親の自由意志によって愛情が与えられなかった時もあります。



自分に非がないのに、苦しむ必要はありません。

神の公正は完全です。

閉じ込められた想いは、涙となって表現されて、解放できるはずです。

根気よく、少しずつ、傷ついている魂をご自分の愛で癒して下さい。







2025年3月2日日曜日

神の愛


何のために生きているのだろう?

子供の頃、漠然と考えていました。

やがて大人になり、慌ただしく生活する中で、そんな疑問もどこかへ行ってしまいました。

40代になり、人生を変えるような出来事が立て続けに起こり、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会います。

その中に答えが書いてありました。



この世を生きる目的は、自分を成長させるためです。

生まれる前にいた世界では経験できないことを経験して、大切なことを学ぶためです。



学ぶべき最も大切なものは「愛」です。

愛は五感に触れません。

五感に触れない愛を、地上での経験を通して魂が感じ取り、その意味を深く学んでいます。



なぜ、そこまでして愛を学ばなければならないのか?

「愛があればこそ全宇宙が存在する」

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれていましたが、当初はその意味が判りませんでした。

今も学びの途中ですが、こんなことを考えています。


NASA公開画像

宇宙はバイブレーションでできています。

物質も生命も、固有のバイブレーションを放っています。

人間から放たれている思念もバイブレーションです。

その中で最も振動数の高い(波長の短い)ものが「愛」と考えられます。



「神は無限の愛」と言われます。

ただ、地上の人間が考える愛とは、全く次元の異なるものと考えられます。

限りなく高いバイブレーション(愛)を放つ無限のエネルギーと考えていますが、どんなに言葉を尽くしても神を表現することはできません。



神からバイブレーション(エネルギー)を受け取っているのが魂と考えています。

魂は神とつながった神の一部です。



魂が受け取ったバイブレーションは、自我により思念というバイブレーションに変換されて、地上ではそれが肉体で表現されて完結していると考えられます。

神からのバイブレーションは、媒体である自我を経由するごとに、低いものへと変わって行くと考えられます。



地上は最も低い物質的バイブレーションの世界です。

それに相応して、低いバイブレーションの思念も放たれています。

怒りや憎しみは、魂が受け取ったバイブレーションが、地上の自我の働きにより変化したものと言えます。

シルバーバーチは「憎しみの中にも神が宿っている」と言っていますが、元は神のバイブレーションだからと考えています。


物質と物質を引き付ける物理的な力が「引力」です。

魂と魂を引き付ける霊的な力が「愛」です。

肉体に閉じ込められた魂が、愛を表現することによってつながって行きます。

ばらばらに存在している人間(生命)が、愛によって霊的に1つになって行く計画が立てられていると考えています。



怒りや憎しみや恨みや嫉妬などの愛に反する想いは真逆の作用を示し、反発し合います。

お互いを遠ざける力と言えます。



世界の多くの場所で、苦しみ痛みや悲しみや怖れが生じています。

最たるものが戦争であり、愛に反する行いによってもたらされる悲惨な結果を目の当りにしています。

被害を受けた弱者が泣き寝入りをし、飢えて死んで行く人もいます。

傍観している私も、神から見れば、愛に反する行いをしているのかもしれません。



あらゆる行いに対して、神の法則が働いています。

愛を表現すれば喜びが生まれ、愛に反する想いを表現すれば苦しみや痛みが生まれるのも、法則の働きによるものです。

苦痛を与えたら、その償いとして苦痛が与えられるのもそうです。

法則の働きを知らずに、大きな罪を犯している人たちを見ていると哀れになります。


私たちは神からのバイブレーション(エネルギー)を受け取りながら生きていますが、未熟な自我でも自由意志が与えられているので、愛に反する行いをしてしまいます。

人は誰でも苦痛を感じたくはありません。

喜びと苦痛を与える法則を通して、愛を学び、表現する方向へと導かれています。



「愛は摂理の成就なり」

イエス・キリストはこう語っています。

摂理(法則)の中に、神の心が顕現しています。

神の心を表現させるものが「愛」と言えます。



宇宙は神のエネルギーで創られています。

宇宙を経綸している法則に、神の心が顕現しています。

神が愛であるならば「愛があればこそ全宇宙が存在する」という言葉の通りです。



大げさな表現ではなく、愛が全てであり、全てが愛です。

五感が前面に出ている地上では、そのことが極めて分かりにくくなっています。

次の世界に移行して、五感が取り払われて霊的な感覚が前面に出ると、自然に感じられるようになるでしょう。



怖れや不安を感じながら生きる必要はありません。

神の愛の中で生きているからです。

神のバイブレーション(愛)が感じられなくなる地上において、そのことを強く信じることができれば、喜びを感じながら生きて行けるはずです。