ALSと言う病気を聞いたことがある人も多いかもしれません。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、運動神経細胞が徐々に障害され、筋肉が衰えていく進行性の神経疾患です。
根本的な治療法はなく、呼吸に関わる筋肉が動かせなくなり、最終的に死に至ります。
ALSの患者さんは大きな決断をしなければいけません。
呼吸が困難になって来たら、気管切開をして人工呼吸器を取り付けて延命を計るのか、または自然に任せる(死を待つ)のか、どちらかを選択しなければいけません。
死後の生があるのが分かっていて死ぬのは恐くなくても、息ができない苦しみは避けたいです。
少しでも長く生きて欲しいと家族に懇願されたのなら、心が動かされてしまうかもしれません。
極めて難しい選択を迫られるのは間違いありません。
霊的真理には「乗り越えられない困難や障害は起きない」と書いてあります。
この病気には、治療法がなく死に至ります。
どう乗り越えて行けば良いんだと思われる人もいるでしょう。
病気が進行すると、全身の筋肉は麻痺し(眼球を除いて)動かせなくなりますが、意識は最後まで清明です。
意志の疎通が全くできなくなるのを「Totally Rocked Syndrome(完全閉じ込め症候群)」と言いますが、人工呼吸器を付けて生き長らえたとしても、この状態が死ぬまで続きます。
逃れられない苛酷な現実を前にして、多くの患者さんは絶望と恐怖を感じるようです。
精神的に追い詰められて、それまで眠っていた魂が目覚めて、霊的真理に辿り着く人もいるでしょう。
地上の人間は、肉体を携えた魂です。
本質は魂です。
従って、肉体がいかなる状況に追い込まれたとしても、魂から生まれる意志によって思い通りの自分でいることができるはずです。
けれども、人間には(地上の)自我が存在しています。
肉体や外部の環境から影響を受けて、精神(自我)からはさまざまな感情が生まれます。
精神(自我)よりも魂が上位にあります。
精神から生まれる感情よりも、魂から生まれる意志の方が強いのです。
意志を持つことによって、好ましくない感情は抑えられるはずです。
ALS患者に藤田正裕さんと言う方がいます。
彼は広告プランナーとして第一線で活躍していましたが、30歳の時にALSと診断されました。
次第に呼吸が困難になり、生きるか死ぬかの決断をしなければいけない時が来ました。
肉体に閉じ込められる恐怖はもちろんのこと、家族に金銭的、精神的、身体的な負担や迷惑をかけたくないという理由から、約70%は人工呼吸器を付けない方(死)を選ぶそうです。
1度人工呼吸器を装着したら、倫理的、法律的な問題から外すことは難しくなります。
そんな中で、藤田さんは生きる方を選びました。
藤田さんの魂は目覚めていると思います。
命の終わりを意識することで、生きる意味に気付き、絶望ではなく希望を持って人生を全うしようと決めたそうです。
「END ALS」という組織を立ち上げて、治療法の確立と患者の生活向上支援のための活動を始めました。
絶望や恐怖を感じていたい人はいません。
何かをしようとする「意志」が生まれている時には、絶望や恐怖などの「感情」から解放されています。
逆境の時ほど、感情に翻弄されないために、意志を持つことが必要です。
「死にたくない」と思うのは意志ではなく、自我から生じている願望です。
願望なので叶えられないかもしれないと思うと、そこから負の感情が生まれてしまいます。
「生きる」と決めてしまえば良いのです。
生きて、ALSを終わらせると心に決めた藤田さんは、無用な感情に悩まされにくくなっていると考えられます。
意志は全てに優先されるからです。
以前も書きましたが、戦時下のアウシュビッツ強制収容所である出来事が起こりました。
囚人が脱走して、同じ棟にいた10人が無作為に選ばれ、連帯責任として飲まず食わずで死に至る飢餓刑を科せられました。
選ばれた人の中に、妻子がいることを知ったゴルベと言う神父は、自分が身代わりになることを申し出ました。
身代わりとなり飢餓刑に処せられた神父は、牢内で最期まで周りの人たちを励まし続けたそうです。
「全き愛は恐れを知らず」
このイエス・キリストの言葉をゴルベ神父は証明していたと思います。(神父は1982年に聖人に列せられました。)
聖人でなくても、全ての人は神の愛を持っています。
泣いている子供がいると声をかけたくなるのも、悲しんでいる人を慰めるのも、落ち込んでいる人がいると励ますのも、私たちは神の愛を持っているからです。
駅のホームで転落した人を助けようとして亡くなった人がいますが、死の恐怖より助けようとする意志(愛)の方が優っていたからです。
置かれている状況から生み出される、絶望や恐怖を完全に抑えることのできる最高の意志は愛です。
霊界にいる存在からも、地上の私たちは愛を受けています。
将来のことで怖れや不安が生まれそうな時は、霊界にいる存在とつながっていると強く信じましょう。
霊界から届く愛(想い)により、怖れや不安が和らぎ、あたたかいもので満たされるのを感じることができるかもしれません。
「万策尽き、これにて万事休すとあきらめかけた、その最後の一瞬に救いの手が差しのべられることがある」とシルバーバーチの霊訓に書かれています。
1人ではなく、霊界にいる存在と共に地上の人生を歩んでいることを忘れてはいけません。
ALSによってたくさんのものを奪われたが、「感謝、希望、人とのつながり」は奪われなかったと藤田さんは言っています。
病気により奪われることなく、最後まで残ったものが、藤田さんにとって最も価値のあるものと思われます。
自らの成長のため、周りに示唆を与えるために、この病気に立ち向かうことを、決めていたと考えられます。
多くの人に支えながら生きている、大きな意味での愛を学んでいます。
自分を表現することの大切さ、勇気や希望を持ち続けることの意味を訴えています。
病気により培われた生きようとする意志は、霊界に行くと誰かのために何かをしようとする強い意志に変わるでしょう。
最後に、シルバーバーチの霊訓のこの一節を、病気に苦しむ人に捧げます。
「時として厳しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。『自分は神の一部だ。不滅なのだ。永遠の存在なのだ。無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界でくじけるものか』と。そう言えるようになれば、決してくじけることはありません。」
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