2017年4月2日日曜日

2つの自分



イタリアの天文学者であるガリレオ・ガリレイは、手作りの望遠鏡で星を観測していました。

木星をのぞいてみると、周りを回っている衛星の位置が、日によって変わっていました。

今度は、金星をのぞいてみると、季節によって見かけ上の大きさが、変化しているのに気付きました。

それまでは、地球を中心にして、天の星が回っていると、当たり前のように信じられていましたが、この2つの発見は、天の星ではなく、地球が動いていることを示す有力な証拠となり、ガリレオ・ガリレイは「地動説」を主張します。

しかし、その事実を見ていない人たちは、頑なに認めようとせずに、彼を異端者として扱い、宗教裁判にかけて終身刑を言い渡します。

かの有名な言葉である「それでも地球は回っている」を遺して、この世を去りましたが、真実が認められずに、どれほど悔しい思いをしたのか想像も出来ません。



魂が存在するか、しないのかは、長い間、論争されていますが、地動説に似ているような気がします。

目の前で証明して見せないと、人はなかなか信じようとしません。

証明されないものを疑うのは理解できますが、証明されないものを存在しないと結論付けのるは、あまりにも強引で、愚かであると思います。

それでは、天の星が地球を回っていると主張した、望遠鏡がない時代の人たちと同じような気がします。



生命が永遠かどうかは、残念ながら私には判りません。

けれども、魂は存在し、死の後にも生命が続いているは、確かなことだと思っています。

死後の世界や魂の存在が明確にならないのは、今生を精一杯、生きるためだと考えています。



この世の人は、肉体と精神と魂(霊)から構成されています。

誕生とは地上に出る瞬間ではなく、受胎時に魂が宿った瞬間であり、死とは肉体から魂が完全に分離した瞬間です。

どちらも、自然法則の働きにより起こり、偶発的なものではありません。

世の中には、死んで無になるのを怖がる人がいますが、全く心配する必要はありません。

人は死にたくても、死ねないのです。



なぜ、この世とあの世が存在するのか?

それには、生きている目的について知らなければいけません。

生きている目的は、自分(魂)を成長させるためです。

すごく簡単に言ってしまえば、より強く、より美しくなるためです。

どんな人でも、自分を成長させようという欲求があるので、成長できない状況になると苦痛として感じ、成長を促されます。

人は1ヶ所に留まらず、あの世とこの世を行き来しながら、常に成長して行くことが義務付けられているようです。



人生には、およそのシナリオがあります。

その目的は、効率良く、その人に合わせた成長をさせるためと考えています。

11年前、私の身に大きな出来事が起きました。

それ以前は、問題が起きると、頭を働かせて解決して来ましたが、その出来事はいくら頭で考えても解決できませんでした。

次第に絶望的な状況に追い込まれて行く中で、それまで眠っていた本当の自分(魂)が目覚めたようです。



それまでの私は、本当の自分(魂)に忠実に生きていなかったようです。

赤ちゃんの時は、魂がむき出しの状態ですが、神の摂理により、親などの他者により守られていたと思います。

大人になるのに従い、周りに順応して、自分(魂)を守るために、自分の中にもう1つの自分を作り上げて行ったと思います。

幼少の時に、他者により守られていた人は、守られているという安心感があるので、あえて自分を守ろうとはしませんが、守られていなかった人は、安心感が少ないので、もう1つの自分を強固に作り上げて、守ろうとしていると思います。

もう1つの自分が発達して来るのに従い、この世を上手く生きようとして、他人と迎合したり、本音と違うことを言ったりしてたと思います。

それを大人になったと勘違いしていたのかもしれません。

より安全で無難な方向を選んだり、社会的な地位や財産を求めているのも、もう一つの自分だと思います。

知らず知らずの内に、本当の自分は、もう1つの自分の影に隠れて行ったと思います。



出来事をきっかにして目覚めた本当の自分は、進むべき方向を指し示しました。

指し示した方向は、良心に従い、正直に生きようとするものでしたが、それは自分を窮地に追い込むものでした。

その先に、今まで経験のない苦難が待ち受けているのは明らかでした。



一方、前面に出ていたもう1つの自分は、本当の自分が指し示した方向とは真逆でした。

自尊心を守ろうとするものであり、苦難を避けようとするものでした。



その時、自分の中に2つの自分が確かにいました。

正直に生きようとする自分と、偽ってでも守ろうとしている自分がいて、せめぎ合っていたように思えました。

苦しい方向に進んで行くのは、もちろん抵抗がありましたが、それでも正直に生きたいと思い、そちらに進んで行きました。

自分に正直に生きるためには、もう1つの自分が追い求めていたものを捨てる勇気がなければいけないと思いました。

本当の自分は、正直に生きなければ後悔することを、知っていると思います。



良く考えてみると、過去に経験した出来事においても、いつも2つの自分がいて、せめぎ合っていたように思えます。

本当の自分が勝った時は、苦しい方向に進むことが多く、大変な思いもしましたが、相応の成長が得られていたと思います。

もう1つの自分が勝つと、楽で安全な方向に進み、一瞬の安堵を感じたかもしれませんが、成長させる機会を1つ失っていたと思います。



正直に生きようとする自分が、本当の自分であることに気付きました。

本当の自分は、留まることなく、成長しようとしています。

追い風の中ではなく、向かい風の中で生きることが、成長につながることも知っていると思います。

自分に正直に生きると、どうしても苦しく、つらい状況に追い込まれてしまうことが多いのは、神の摂理により成長する場が与えられていると考えた方が良いのかもしれません。

今まで知らなかった大切な真実と、苦難を乗り越え成長した悦びを、手に入れることが出来るのは、本当の自分の声に従って生きた時なのかもしれません。



もし私が、もう一つの自分の声に従っていたのならば、自分を守ることが出来て、失うものはなかったのかもしれません。

しかし、自分を偽ってまで、この世のものに捉われていたのを恥じることになると思います。

さらに、その出来事を通じて、もたらされる予定だった真実を掴み損ねたこと、成長の機会を失ったことに、強い後悔の念が生じるのは間違いありません。



この世の先に、あの世があります。

あの世は偽りのない、あるがままの自分が表現される世界です。

この世で作り上げた自分は、はぎ取られてしまい、本当の自分(魂)がむき出しになります。

オーラには、この世の想いや行いの全てが刻み込まれていて、光となって周囲に知れ渡ります。

そして、死んでしばらくすると、この世を振り返る時が訪れます。

自分に正直になり、勇気を出して進んで、それが成長につながっていたのを知って、悦びを味わうこともあれば、せっかくの成長の機会を逃してしまったのを知り、悔やむこともあると思います。



この世で、私たちはさまざまな出来事を経験しますが、その中には予定されていたものがあり、試されているのかもしれません。

あの世での後悔の念を消し去るために、この世にもう1度生まれて、同じような選択を迫られる出来事を経験している可能性があります。

今度こそは、自分に正直になり、苦難を甘受して、乗り越えて行くことを決意して、生まれて来たのかもしれません。



もし、自分の中に2つの存在がいることに気付いて、どちらに進もうか決断に迷った時には、覚悟を決めて、正直に生きる方向、自分を成長させる方向に進んで行った方が後悔しないと思われます。




6 件のコメント:

サラ さんのコメント...

イクミ様、
ご無沙汰しております。旦那に私の浮気を知られてから一ヶ月が経ちました。旦那にはとても辛い心境に追い込んでしまいました。
何度も何度も霊的真理を元に、自分なりに冷静に受け入れて前進しようとしています。
旦那や子供達、不倫相手の家族の事を考えると、きれいさっぱり忘れて家族の為に愛を持って生きていくべきだとは承知です。
相手も強い方なので私との関係を忘れて前へ進まれていると事と思います。しかし、私にとって相手に対して深い愛を感じていました。
生き別れになった今、相手を想う気持ちは今も変わりません。恋愛という自己愛なのは承知ですが、私にとって魂に素直になる想いは、摂理に反しているような気がします。このまま他の相手を想い続けても旦那と一緒に生きていっても罪はないのでしょうか?それで家族が幸せになれば私も真の幸せを感じる事ができるのでしょうか?自己愛を超えて利他愛、無償の愛で家族に接する事は今無理かもしれません。未熟者の私がこれから成長するにはその相手への愛を忘れ、家族を愛する事なのでしょうか?やはり愛という法則が私の中で矛盾しています。摂理にそった生き方だと、私は自分の素直な気持ちを押し殺して生きていかなければいけないのでしょうか?忙しいところ大変申し訳ないです。少しでもアドバイスいただけると光栄です。

イクミ さんのコメント...

サラ 様

お久しぶりです。
どうなるのか心配していましたが、家族がバラバラになってしまわず、安心しました。
同じ男性として、ご主人の心境を察すると、同情を禁じえません。
はらわたが煮えくり返る思いだったでしょうが、あなたと子供たちを愛しているので、必死に耐えたと思います。
あなたの彼への想いは、魂に正直になっているように思えますが、あなたが彼と上司という関係を超えてしまう直前に、良心の声が止めるようにささやいていたはずです。
それを、無視してしまったので、この様な結果を招いたと思います。
本当の自分(魂)に正直に従って生きることは大切ですが、他者に悲しみや苦しみを与えてしまうのであれば、摂理に反していて、罪なことです。
本当の自分ではなく、このブログに書いたもう1つの自分(エゴ)と考えられます。
魂は成長する方向に進もうとしているのに、摂理に反した方向に進もうとはしないはずです。
他者の想いを無視した、利己的な愛であると思います。
利己的で、摂理に反した愛には、償いが生じてしまいます。
このまま相手を想い続けてご主人と一緒に生きて行っても罪はないのでしょうか?
罪なことだと思います。神の摂理は、言動だけでなく想いにも働いています。
あなたの想いは、ご主人を常に裏切っていることになり、相応の償いが生じると考えられます。
裏切ったままで、真の幸せを感じることはできないと思います。
あなたが真の幸せを感じるためには、家族を心から愛さなければいけないと思います。
とても大変であったとしても。
家族の幸せの中に、あなたの幸せがあると思います。
彼は同じ日本人で親近感があり、成功者であり魅力的な人だと思います。
けれども、彼を忘れるように努めなければいけません。
苦しいのは、摂理に反した償いと考えて下さい。
大切なものを失わなかったことに感謝して、同じ過ちは決して犯さないようにして下さい。
あなたを成長させるのは、魅力的な人を愛するのではなく、ご家族を愛することです。
特別なことではなく、家族を持った者の、義務と考えて下さい。

ひまわり さんのコメント...

はじめまして。
1年と9ヶ月前に、最愛の息子が病気で他界しました。
まだ中学2年生でした。

我が子を見送る事は、本当に大きな試練ですね。毎日毎日あの子に会いたくて、触れたくて、声が聞きたくて、愛おしくてたまりません。

すこし大人になりかけていて、自分の世界が広がり始めて、夢や希望でいっぱいの歳頃。
悔しかっただろうな、色々な経験を積み重ねていくお友達を羨ましく思ってないかな…、親も祖父母もいないところで寂しくしてないかな…。ずっと気がかりです。

どうして子供のうちに旅立ってしまう命があるのでしょうか?
とても優しく、穏やかで素直な、親バカかもしれませんが天使のような子供でした。

病気になるずっとずっと前から、我が子なのに何となく儚げな感じがして、ふっと消えてしまわないかと不安に襲われることがありました。

現実になってしまうなんて…。

まだ幼い子供達は、向こうで寂しくないですか?経験出来なかった事がたくさんありすぎて、悔しく思ってないですか?
ちゃんと、行き先わかってるのでしょうか。

幸せに暮らしている事だけを祈っています。

読んでくださりありがとうございました。


イクミ さんのコメント...

ひまわり 様

はじめまして。イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

1年9ヶ月前に、最愛の息子さんを亡くされたのですね。
この世の中には、子供を亡くすより過酷な試練は存在しないと思います。
月日が経っても、悲しみやつらさは続き、逢いたい気持ち、声がききたい気持ちは増すばかりだとお察しします。

このブログで何回も書いているのですが、息子さんの魂は生きています。
ご家族が思い出せば、目に見えなくても、息子さんの魂は直ぐ寄り添います。
意識も心も記憶もあり、息子さんの本質は全く失われていません。
見えなくても、しっかりと生きています。

中学生の頃は、言われるように、夢や希望でいっぱいの年頃です。
何で自分の子供が、こんな若さで逝かなければいけないのか、考えれば考えるほど、答えが見つからないと思います。
悔しかったのだろうか、友達を羨ましく思っていないか、縁者がいないので寂しくないか、とても気がかりだと思います。

どうして、天使のような息子さんが、こんなに早く旅立ってしまうのか、あなたに怒られてしまうかもしれませんが、天使のような息子さんだからこそ早く旅立ってしまったと、私は思います。
年齢は成長を計る重要な指標です。
子供よりも大人の方が、精神的に成長をしているのが一般的です。
しかし、魂の成長度は、年齢には関係ありません。
老人でも成長していない人もいれば、幼い子供でもとても成長している人もいます。
この世に生まれ変わりながら成長をしているので、例えばですが、この世が初めてだった老人よりも、10回経験している赤ちゃんの方が、ずっと成長をしていることになります。
見た目や年齢で判断が出来ないのですが、優しさや思いやりや素直さは、人の魂の成長度を計る、大きな指標になると思われます。

もし、優しく、思いやりに溢れれ、素直な息子さんであったのならば、生まれながらにして成長していた魂であり、この世で生きた年月は短くても、予定された成長を十分に果たしていたと考えられます。
家族の魂の成長を促し、大切なものを学んでもらうめに、子供として生まれ、早く旅立ったのかもしれません。
不運でも、不幸でもなく、予め決められていたと言うことになります。
フッと消えてしまわないかと不安に襲われることがあったそうですが、この世への執着や欲が少なく、自分よりも早く旅立ってしまうことを、病気になる前からお母さんの魂は察知していたのかもしれません。

私が知り得たことから判断すると、息子さんは悔しがっていることも、羨ましく思っていることも、寂しい思いをしていることもありません。
なぜなら、早くしてこの世を去った理由を今は判っていて、生きている意味を見出し、あの世で自分の役割を果たしていると思うからです。
中学時代の仲の良い友達よりも、はるかに分かり合えて、親和性がある人(魂)と一緒に生活をしていますので、寂しいどころか、とても満たされた、幸せな心境にあると思います。
もっと幼い子供であれば、母親のような愛情深い人たちが付いて、同じ年頃の子供がいて遊んだりするので、孤独とは無縁です。
この世の人たちが考えるよりも、ずっと幸せに暮らしています。

息子さんは霊的に高いと考えられますので、あの世からこの世のご家族を、見守る役割を与えられているのかもしれません。

サラ さんのコメント...

イクミ様、

イクミ様のお言葉、厳しいですがよく理解しております。一生償っても償いきれない罪を犯してしまい罪悪感で自分を失いかけています。
実はカウンセリングを受け始めました。このまま行けば私だけ引っ越しを考えないといけません。
少し鬱病になりつつあります。
子供達の笑顔だけは絶やさずにと思っていますが私には今のところ自分のからに閉じこもってしまっている状態です。
経済的にも苦しくて今は仕事を探しております。
まだまだ甘いですよね。もっと強くならなければと思うのですが...。
これも私の宿命で必然の出来事なのですよね。乗り越えられるのか不安です。

イクミ さんのコメント...

サラ 様

こんにちは。つらい日々を過ごされているのですね。
今の罪悪感は、今まで彼と付き合っている時に、あなたの魂から生じていて、押し殺していたものと考えています。
もう1つの自分(自我)が弱まって、表に出て来ていると思います。
その苦しみは、良心に従わずに、摂理に反した想いや行為に対する、償いとなっていると思います。
相応の償いが終われば、解放されると思いますが、薬に頼ったりするのではなく、心を切り替えて、家族に愛情を注げば、きっと時期は早まり、楽になると思います。
経済的なものはもちろん重要ですが、社会の役に立つような職場を見つけて、そこで一所懸命働けば、苦しみも和らいでくると思います。
今の苦しみは必然ですが、苦しみを生み出すような想いや行いをしたのは、あなたの自由意志によるものと思います。
苦しみから抜け出すためには、摂理に適った行い、人や動物や社会への奉仕や、家族へ心からの愛を表現するのが、一番の近道だと思います。