2014年2月27日木曜日

摂理(自然法則)は想いにも働いている



私は、日本という国に生まれ良かったと思います。なぜなら、当たり前の自由があるからです。世界中には、その当たり前の自由がなく、窮屈な思いをしたり、肉体的、精神的に束縛を受けている人たちが、まだたくさんいます。

私は、いつ、どこで、何をしようと自由です。かと言って、何をしても良いわけではありません。法治国家であるため、法律を破ることをすれば、罰せられます。また、社会にはモラルというものがあり、それを逸脱した行為に対しては、咎められたり、非難を受けたりします。自分の取る行動は、他の人から見られていることもあり、多くの人は法律やモラルを守りながら、生活しています。

ところで、自分の思いや考えはどうでしょうか。どう思おうと勝手であり、何を考えても自由であり、咎められることはありません。また、自分から言わない限り、他人には知られることもありません。たとえ、悪い考えや、良くない想いを抱いたとしても、それを罰するものは何1つなく、心で思っているだけならば問題はないと、ほとんどの人は考えています。

仮に、他人から、ひどい仕打ちを受けたとします。抑えきれない怒りの感情が生まれ、ある人は相手に殴りかかるかもしれません。また、暴力ではなく、言葉で相手に怒りをぶつける人もいるでしょう。行動や言葉で表さなくても、心の中で相手を憎んだり、恨んだりする人もいると思います。感情にまかせて殴りかかれば、警察に捕まり、罪を問われ罰せられます。言葉で怒りをぶつけても、相手の心を傷つけてしまえば、罪となり罰を受けることがあります。心の中で、相手を憎んだり、恨んだりするのはどうでしょう。行動に移さなければ、法律的に罪に問われることはありません。

人間が作った法律では不問となりますが、霊的な摂理では、そういう訳にはいきません。摂理は、自由意志により自らが取った言動はもちろん、心の中で考えたことや、思ったことに対しても、働いています。心の中は、他人には覗けなくても、神には知られることになります。なぜなら、さまざまな想いは魂が作り出すものであり、魂は神の一部であり、つながっているため、すべての想いは神の知るところとなります。自分(の魂)を欺けないように、神に対して繕ったり、ごまかしたりすることは、絶対にできないのです。神を信じようと、信じまいと、神の摂理を知ろうと、知るまいとに関係なく、人が抱いた想いのすべてに働いて、正確に結果をもたらします。

神の摂理(心)は「愛」であり、怒り、憎しみ、恨み、妬みなどの想いは、「愛」とは対極にあるため、摂理に反しています。もし、摂理に反した、怒り、憎しみ。恨み、妬み、貪欲などの感情を抱き続けたなら、それは霊的な罪となり、苦痛を経験して償わなければいけません。

地上の物質に万有引力という法則が働き、支配しているように、魂には霊的法則(摂理)が働き、支配しています。石を真上に投げれば、真下に落ちてくるように、自らの想いも、自らに戻ってきます。もし相手に怒りをぶつけたなら、その怒りを相手からぶつけ返されます。それがなかったとしても、相手に苦痛を与えていたならば、相応の苦痛の経験として、戻ってきます。また、怒りや憎しみの感情を抱き続けると、魂のありさまが変わってしまい、やさしさや思いやりの心、平和な心が失われ、些細なことで怒りやすくなったり、人の過ちが許せなくなったりして、いさかいが多くなってしまいます。次第に周りから人が遠ざかり、孤独を味わったり、制裁を受けて、苦痛を経験することもあるでしょう。また、魂のありさまの変化が、肉体上の変化として現れ、病気として苦痛を経験することになるかもしれません。

しかし、その苦痛も人を不幸にさせるためにあるのではなく、摂理に気付かせ、摂理に反した想いを抱かないようにするためにあります。子供が悪いことをしたら、親に叱られます。悪いことだと教えるためには必要であり、子供にとっては叱られるのは苦痛であるために、その後、同じことを繰り返さなくなります。神の摂理(心)も、子を思う親の気持ちと同じであり、間違っている(摂理に反している)ことを、苦痛を通して教えているのです。誰しも、つらいことが重なったり、思うようにいかなかったりすると、穏やかな心を失い、怒りの感情が生まれやすくなります。私も以前は、どちらかと言うと感情的な人間であり、瞬間的に怒りの感情がわき上がりやすかった方だと思います。しかし、怒りをぶつけても、解決するどころか、返って事態が深刻になったり、後悔することがほとんどでした。今は、いくつかの神の摂理を知っているため、嫌なことや、つらいことがあっても、なるべく穏やかな心を保つように努めています。

憎しみを表せば、憎しみが返ってきますが、愛を表せば、愛が返ってきます。実に単純なことなのです。それが真実であることを、歴史が証明しています。インドのマハトマ・ガンジーは他国の支配に、非暴力で臨みました。もし、彼が暴力(武力)で対抗したのなら、暴力(武力)で返されて、独立はとても出来なかったでしょう。非暴力であったからこそ、相手も非暴力にならざるを得ませんでした。彼は「人類が自由になるために、非暴力は、もっとも強い武器である。それは人間の英知によって作られたあらゆる武器よりも、強いものである。」と言っています。また「敵と相対するときには、愛で征服しなさい」とも言っています。たとえ理不尽なこと、道理に適っていないことであっても、神の摂理に背いた怒りや憎しみの感情にまかせて、暴力で解決するのではなく、神の摂理に適った平和や共存の想いで解決しようとしたため、神の力が得られ、自由と独立を勝ち取ったと考えられます。ガンジーは政治的指導者と言うより、神の摂理を知る偉大な霊覚者でした。

この世の中を生きていると、さまざまな人との出会いがあり、さまざまなことが起こります。楽しく、うれしいこともあれば、つらいこと、嫌なこともたくさんあります。そんな時に、感情に流され、怒りや憎しみ、妬みの想いを持ってしまうのは、賢明ではありません。なぜなら、想いや考えも目には見えませんが自分の一部であり、神の摂理が働くからです。怒りや憎しみ、恨みや妬み、貪欲の想いは、自分の魂を汚す上に、苦痛として自らに返ってきますので、何一つ良いことはありません。けれども、怒りや憎しみの想いを抱かずにいるのは、口で言うほど簡単ではありません。ガンジーやイエス・キリストが言うように、憎しみを愛に変えていくのは、きわめて難しく感じられます。もし、それが簡単にできるようであれば、この世に生まれてくる必要はないのかもしれません。

未熟な私は、良くない感情が芽生える前に、こう思うようにしています。「この世に生まれてきた目的は、魂を向上させるためであり、つらいこと、悲しいこと、困難なことを乗り越えていくことで、魂は向上する。この世に生まれてきた限り、つらいこと、悲しいこと、困難なことに出会うのは避けられない。与えられた試練として、乗り越えなければいけない」そして「許すことで、怒りや、憎しみや恨みの想いを抱かず済む」と。許すことなど断じてできないと思うこともあるかもしれません。しかし、許さなければ、憎しみや恨みの想いから、いつまでも解放されません。それは、自分の魂にとって、決して良いことではありません。許すことは自己犠牲であり、愛の表現です。

自身に降りかかる出来事に対して、怒りや憎しみなどの想いを抱くか、それとも許すか、どちらを選択するのも自由です。ただ、自分の想いにも、神の摂理が働いていることは、紛れも無い事実なのです。

6 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

こんばんは^ ^私もシルバーバーチに出会って菜食主義になり、1日1食になり、酒タバコも辞めて、禁欲ももうじき1年になります。
でも、やはり怒りの感情は性欲より強くて、仕事が肉体労働で休憩もできない状態でいて機械がトラブったりすると心が穏やかな気持ちをキープするのが難しいですが、そんな時はこのブログ見て気持ちを落ち着かせるようにしています。
このブログが救いになりました。本当にありがとうございました^ ^

イクミ さんのコメント...

Kazu neko チャンネル様

ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
シルバーバーチの霊訓に出会ってベジタリアンになられたそうですね。
とても節制された生活をされていて、すばらしいと思います。

怒りの感情は根強いものがありますね。
私も仕事で、自分の思っていることをスタッフがしてくれなかったりすると、怒りに近いような感情がどうしても生まれてしまいます。
そんな時は、相手のことよりも自分はどうなのか、と思うようにしています。
許せない自分がいるから、怒りが生まれてしまいます。
同じ状況でも、穏やかな心のままでいられる人もいます。
結局、相手ではなく自分の問題であり、魂がまだ未熟なだけと言うことになります。
そう考えると、怒りのような感情は治まって来ます。
怒りの感情が生まれないような、考え方をすれば良いのであり、それが真実であったりします。

私のブログを見て救いになったのであれば、これ以上うれしいことはありません。
Kazu neko チャンネル様のようなコメントが、ブログを書く励みになっています。
本当にありがとうございました。


イクミ

Unknown さんのコメント...

お返事ありがとうございます( *ˊᵕˋ)✩︎‧₊
感情のコントロールは凄く難しいですね(。•́ωก̀。)…グスン
でも、継続は力なりみたいな感じで日々葛藤はあるけど前よりはコントロールできるようになった気がします。常にこの世をみないであの世の事を意識できるようになりました^ ^
目標は地球圏霊界卒業で宇宙圏霊界へ行く事です( *ˊᵕˋ)✩︎‧₊
後、最近思うのが自分が住んでる所は平和で銃弾に怯える生活してなくて、恵まれてて本当に申し訳ない気持ちが強くなってきて、毎月ユニセフやWFPに寄付してますが、それでも安全な所から寄付だから、なんかやりきれない思いで。。。いつか、現地に行きたいと思う気持ちが強くなりました。シリアとか内戦起きてる所に一度は行かなければと思えるようになりました。シルバーバーチと出会えてこの世の恐れや物資的な執着心がなくなって本当に幸せです。

イクミ さんのコメント...

kazu neko チャンネル 様

こんばんは。
ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。
感情のコントロールはとても難しいです。特に怒りは、人の言動によって起こりやすいのですが、この世に生まれた自分も至らないところだらけであり、お互い様と思うと許せるような気がします。
kazu neko チャンネル 様が言われているように、日本はとても平和ですが、世界には争いの絶えない場所がたくさんあります。飢餓で亡くなってしまう人もたくさんいます。
まだ、お若いのですね。現地に行きたくなるお気持ちは、とても大切です。しかし、慈善団体などに所属していない限り、そこで何かの奉仕活動をするのは困難と思われます。
報道目的で行った人も、事件に巻き込まれて生命を脅かされる状況ですので、お気持ちだけで留めておいた方が良いと考えられます。
毎月、寄付をされているのは、現地の人を助けていることになり、立派な貢献だと思います。

戦争は苦痛しか生み出しません。
とても愚かな行為であることを、多くの人は知っていますが、武力には武力で返ってくると言う因果律の働きは、あまり知られていないようです。
もし、軍事費の全てを、恵まれない国へ回したなら、地上で飢えて死ぬ人は一遍にいなくなってしまうのにと思ってしまいます。

Unknown さんのコメント...

お返事ありがとうございます。確かに僕が行った所で何もできないし、状況が変わるわけではありませんが、現地の人と触れ合い同じ苦しみを受けて気持ちを理解したいと心の中で湧き出ています。
イクミさんかおっしゃるように今は日本にいて支援していきたいと思います。
いつか血が流れない世の中、すべての動物や人類が仲良く共存できる世の中が来ますように祈ります

イクミ さんのコメント...

ネプテューヌ Goddess 様

どうぞ、その想いを持ち続けて下さい。
一人の想いは小さくとも、想いを共有する人が集まってくれば、具現化して行くと思います。
私も、人と動物の血が流れない世界が早く来ることを、願っています。

イクミ