前回は「クマの駆除」について思うところを書きましたが、それでは片手落ちではないかと感じましたので、このテーマで書くことにしました。
子供の頃、たくさんの牛が貨物トラックに載せられて、走って行くのを見ました。
今にも涙を流しそうな潤んだ悲しい目をしているように見えて、何とも言えない気持ちになりました。
小学6年生くらいの時に、その牛たちの行く末を知ることになります。
実家の近くに、規模の大きい食肉工場がありました。
ある日、近所の友達とその工場に隣接した公園で遊んでいました。
ふと工場の中がどうなっているのかが気になり、中を覗いて見ようという話になりました。
友達とともに背丈よりも高いブロック壁をよじ登ると、目の前に工場のくもりガラスの窓がありました。
半分位割れてなくなっていたので、建物の中の様子を覗くことができました。(※ここからは凄惨な描写になりますのでご注意ください)
そこに数人の男性が見えました。
しばらくすると一頭の黒白模様の大きな牛が、男性たちの中に牽かれてやって来ました。
牛は観念しているのか、身動きも、抵抗もせず、鳴き声ひとつも上げていません。
一人の男性が、つるはしの両刃が10センチ位に短くなったような道具を持っていました。
何に使うのか考えている暇もなく、男性はその道具を振り上げて、力いっぱい、牛の眉間の少し上の部分に、振り下ろしました。
刃先が頭蓋骨を打ち破る、鈍い音が響き渡りました。
直後に、大きな牛はコンクリートの地面に倒れて、頭蓋骨の穿孔部から、どくどくと真っ赤な血が溢れ出てきました。
男性の一人が、倒れた牛の額の穿孔部に針金のようなものを入れて行くと牛の後ろ足がピクピクと痙れんしていました。
他の男性たちは、刃物で皮を引き裂いて、はがしていき、あっという間に、皮膚のない牛が、フックみたいな金属につるされました。
今まで元気に生きていた牛が、人間の手で殺されて、ものの5分もかからないうちに肉の塊になりました。
あまりに衝撃的な光景を目の当たりにして、言葉をなくしたまま家に帰りました。
今も変わらず、たくさんの牛や豚やニワトリが食肉工場へと運ばれて行きます。
あるドキュメンタリー映画で、豚を乗せたベルトコンベアが、小さなスペースの前で止まり、プレス機により一瞬のうちに圧死させて屠殺するシーンがありました。
苦痛や恐怖を軽減するためでしょうか、今は機械により行われていることを知り、より一層の非情さを感じました。
比較的安い値段でハンバーガーを提供している会社があります。
生産コストを下げるために、動物たちは密集度の高く、自由を奪われた環境で育てられていることが多いようです。
動物は商品に過ぎないので、ストレスなど全く関係ありません。
そして、容赦無用に肉にさせられます。
同じ魂を持つ生き物に対する尊厳は微塵も感じられません。
絶対的強者である人間による、弱者への究極的な虐待のように思えてなりません。
口にしている肉が、どのような行程で造られているのかを知れば、食べる気が失せてしまうでしょう。
いいえ、知らないふりをしているだけかもしれません。
ところで、人間は肉を食べなければ生きて行けないのでしょうか?
むしろ、健康的に生きて行けると私は思っています。
疫学的研究からも、摂取する肉食の量が多くなるほど、病気になるリスクが高くなることが示されています。(下図)
![]() |
| 「Nature Madicine」10 October 2022 より |
それでは、人間はどんなものを食べるように創られているのでしょうか?
人間の奥歯の形態は、嚙み合わさる面が平らになっていて、穀物や豆類などを砕いて食べるのに適しています。
同じ霊長類であるゴリラやオラウータンは人間と似たような歯の形態をしており、果実などの植物しか口にしません。
| 人間の下の歯 |
| ライオンの下あごの標本 |
人間は肉を食べるように創られていないのです。
牛や豚やニワトリは、何らかの役割りがあって、地球に存在しています。
例えば牛ですが、草を食べて過度の繁茂を防いだり、背の高い植物の競争力を抑えて多様な草花が生える環境を作り、草原の更新を促し光が地表に届くようにさせるなど、草原生態系の維持に貢献しています。
豚もニワトリも同じように、大自然の中での役割りがあります。
傍にいたならば、犬や猫のように人を癒すことができるのかもしれません。
人間に食べられるために存在していないのは確かです。
食肉工場で屠殺された動物たちはどうなるのでしょうか?
霊界を探訪して来た人によると、人間によって肉体を奪われた動物たちの絶叫が聴こえるエリアがあるようです。
極めて大きな恐怖を感じながら命を奪われ、その意識のまま霊界に行くので、当然のことながらそうなります。
そのエリアには、神からの癒しの力が降り注がれていると共に、動物を慈しむ霊界の人たちによって介抱されて、興奮状態は鎮められて行くと思われます。
良心に反して、利己的な目的のために動物に苦痛や恐怖を与えた人たちは、死んで大いに後悔することになります。
その後悔を晴らすため、罪を償うために、地上からひっきりなしに送られてくる動物たちの管理や世話をしているのではないかと想像しています。
愛により本来の姿を取り戻した動物たちは、自分が属している類魂へと戻って行くと考えられます。
人間から愛を受けることによって、動物は霊的に進化します。
肉を食べるという行為は愛とは真逆であり、動物たちの進化は妨げられます。
摂理に反したその行いは、自らの進化を妨げるという結果となって、人間に返って来ます。
動物たちの苦痛や恐怖を想像する力の欠如、そして霊的な知識の不足から、肉を食べる習慣が続いています。
それを急に止めさせることはできません。
けれども、人類の霊的成長に伴い、毛皮のコートを着る人が少なくなったように、肉を食べる人も少なくなって行くでしょう。
数百年後には、肉を食べる人は少数派になります。
そして千年後には、食べていた時代があったのかと、驚かれる時が来るでしょう。
動物を食べてはいけないのは、人間と霊的に近しく、豊かな感情を持っているからです。
人間に食べられるために創られていないからです。




0 件のコメント:
コメントを投稿