私たちは地上に、何らかの目的があって生まれて来ました。
自分には目的など見当たらないと言う人もいるでしょう。
それでも、なければ生まれて来ないので、あったと言わざるを得ません。
死んで無にならないと、霊的真理によって知りました。
肉体から魂が分離する現象が死であり、肉体から離れた魂は霊界に赴きます。
そこが本来の住処です。
想像するのが難しいのですが、霊界では想ったことが直ちに具現化します。
食べる必要がなく、働く必要もありません。
煩わしい人間関係もありません。
病気や怪我の心配もありません。
自由にやりたいことができます。
何の悩みもなく、夢中に遊んでいた子供の頃に、少し似ているような気がします。
高い界層から地上圏に戻って来た目的を、シルバーバーチはこう語っています。
「宇宙には神の愛が行きわたっております。その愛が天体を運行せしめ、その愛が進化を規制し、その愛が恵みを与え、その愛が高級霊の魂を鼓舞し、それまでに成就したもの全部をお預けにして、この冷たく、薄暗い、魅力に乏しい地上へ戻って人類の救済に当たらせているのです。」
何の目的もないのに、快適で住み慣れた世界を離れて、好き好んで地上に生まれようとする人はまずいません。
それぞれに目的がありますが、地上に生まれると分からなくなってしまいます。
特別な使命がある人もいるでしょうが、多くの人は学び成長するためと考えられます。
地上に生まれなくても、学び成長することができるのではないかと思う人がいるかもしれません。
出来るならば霊界で成長して行きたいと私も思う時がありますが、そうは行かないようです。
私たちが学んでいる叡智で最も重要なものは「愛」です。
そして、霊的に成長するために必要なものも同じく「愛」です。
思念の世界である霊界では、愛に実体があります。
愛は光輝であり、霊的な感覚によって認識されます。
例えて言うならば、太陽の光のような存在かもしれません。
生きる上で、必要不可欠なものです。
けれども、在って当たり前のように思うと、ありがたさは感じられなくなります。
ありふれたものになるほど、その存在意義が分からなくなってしまいます。
そこで地上に生まれます。
地上では、肉体に付随する五感に依存するようになります。
相対的に霊的な感覚は極めて弱くなります。
霊的に盲目な状態で生きています。
五感で愛は感じられません。
地上では肉体を介した表現を通して、魂が感じ取るようになります。
道を譲ってもらうと、うれしくなります。
失敗して慰めてもらうと、気持ちが落ち付きます。
助けてもらうと、助けてくれた人に感謝したくなります。
このような心の変化は、魂が愛を感じ取った時に起こります。
太陽の光の下では、ロウソクの光は分かりにくいです。
闇の中で、浮かび上がります。
それと同じで、愛が実感できる霊界では、返って愛は分かりにくくなります。
地上という霊的な闇の中で、愛は光り輝きます。
そのために必要な出来事を経験しています。
その出来事は、往々にして苦しみや痛みや悲しみを伴います。
精神的に追い詰められた末に、魂が目覚めます。
真っ暗闇の中で、霊的な目が見開かれて、本当に大切なものを見つけます。
地上では肉体があるために、怒りや憎しみなどの感情が生まれます。
それらの感情が渦巻く中で、より一層、愛は存在を際立たせます。
何故、そこまでして愛を学ばなければいけないのでしょうか?
生命が愛によって1つになって行く計画が立てられ、この宇宙は創造されたと考えています。
愛は魂を引き付ける力です。
お互いが愛を発揮することで、調和が生まれ、霊的に1つになって行きます。
愛は宇宙を進化させている根本原理なのです。
魂と魂が愛によって強く結ばれ、霊的に1つになった時に感じる悦びに優るものはありません。
霊的なものが見えなくなる地上に生まれ、さまざまな出来事を経験することにより、霊界に戻ってより高く強い愛が発揮され、深い悦びが感じられるようになります。
限りなく先になりますが、全ての人が神の愛を表現するようになった時、全体は1つとなり、至高の悦びの世界となります。



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