人間は喜びを感じていたい生き物です。
服を買ったり、おいしいものを食べたりすると、ちょっとした喜びを感じます。
けれども、その喜びは時間の経過と共に薄れて行きます。
しばらくすると、また新しい服が欲しくなり、おいしいものを食べたくなります。
人に喜ばれた時や、物事をやり遂げた時にも喜びを感じます。
その喜びは、もっと深いところから生まれていて、時を経ても思い出すことができます。
地上の人は2つの自我が存在しています。
肉体を使って表現するための自我(以下地上的自我)と、霊体を使って表現するための自我(霊的自我)です。
起きている時は地上的自我、眠っている時は霊的自我を前面に出して自己表現しています。
真の自分とは、もちろん霊的自我です。
物的な欲求が満たされた時の喜びは、地上的自我から生まれています。
人に喜ばれた時の喜びは、霊的自我から生まれています。
同じ喜びであっても、次元が違う自我から生まれています。
あの世に行くと、地上的自我はなくなり、霊的自我だけになります。
お金や地位など物(地上)的なものに喜びを感じていた人は、喜びが感じられなくなります。
喜ばれることに喜びを感じていた人は、より深い喜びが感じられるようになります。
喜ばれた時、物事をやり遂げた時に喜びを感じるのは、どうしてでしょうか?
他者に奉仕すること、困難や障害を乗り越えようとすると、法則の働きによって人は成長します。
反対に、人を貶めたり傷つけたりすると、同じ法則の働きによって成長は妨げられ、苦痛による償いが生じます。
喜びと苦痛を通して、私たちは成長する方向へと導かれていると考えられます。
「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるのかあらかじめ承知しております。あなた方は自分がどんな人生を生きるのか覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発してより大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」
シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。
人生には計画があります。
計画に沿って人生は展開して行き、予定されていた出来事が因果律の働きによって、絶妙のタイミングで起こります。
出来事が起きた時、どう想い、どう行動するのかは、その人の自由意志に任されています。
そのため、予定されていた方向に進んで行くとは限りません。
死んだ後に、地上の人生を振り返る時が訪れます。
出来事が起きた時、どう想い、どう行動したのかを、思い出します。
追い詰められて、どうにもならなくなった時、奥深くにいる自分が目覚めて、そこから予定されていた人生を歩み始める人がいます。
生まれて来た目的を果たすために、その出来事がどうしても必要だったことが分かります。
感情に捉われないで、奥深くにいる自分(霊的自我)の想いに従って進んで行かなければいけません。
想いが分からないのであれば、より自分を成長させると思われる方向に進んで行きましょう。
その方向は往々にして困難が伴いますが、予定されていた人生から大きく外れることはありません。
その時、地上的自我はこのように考えるかもしれません。
「無理だからやめておこう」
「このままでもいいじゃないか」
そんな考えは無視して、自分の想いに正直になりましょう。
決して後悔することはありません。
出来事は法則の働きによって起きています。
法則は無限の愛によって創られているので、克服できない出来事は起きないようになっています。
挫折させたり、絶望させるためではありません。
学び成長させるために起きています。
いつまでも受け入れなかったり、運命を呪ったり、人生を嘆いたり、誰かのせいにしてしまうと、予定されていたのとは違う方向に進んでいることになります。
そんな自分の姿を見たとしたら、後悔は避けられません。
自分の意志で、自分の責任で、自分の未来を決めていたことが、死んだ後にはっきりと分かるからです。
苦しくても前に進んで行こうとするのは、試練は完全に報われることを、奥深くにいる自分(霊的自我)は知っているからです。
この人生の後にも、人生は続いています。
無駄な経験はなく、後の人生で活かされることを知っているからです。
霊界に持って行けるのは、さまざまな経験を通して得た学びです。
成長することができた喜びです。
2 件のコメント:
イクミ様。
ブログの更新ありがとうございます。
少し前から本当に珍しく体調を壊し、なかなか治らずにおりまして、やっとましになったかなぁ。
と思った頃、本当に久しぶりに彼が夢に出てきてくれました。
最後に彼の顔を見たあの場所で少しの時間彼と話した夢でした。
何年か振りに、ようやく夢で逢えました。
とても鮮明に覚えています。
彼がこの世を去り6年と5ヶ月。
早く逢いたいのに会えない。
まだまだこの世での修業が残っている。
そう思い、人の役に立とうと思って過ごしておりますが、やはり少し疲れました。
なかなか彼に逢えない日々が続き、どのすれば早く逢えるのかと考える日々です。
紀子。
紀子様
おはようございます。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
体調を崩されたそうですが、今は大丈夫でしょうか。
彼が亡くなって6年5か月ですか。
長いような短いような月日だったとお察しします。
久しぶりに夢に出て来たそうですが、会えて良かったですね。
紀子様の場合は、多く会ってしまうと、同じ次元でずっと一緒にいたくなる衝動に駆らてれてしまう可能性があるので、控えているのかもしれません。
そうですね。
この世での時間が残っているので、今地上にいるのですが、生きること自体が修行なので大変です。
寿命は決まっていて、早めることはできません。
苦しい分だけ、寂しい分だけ、大きな喜びが待っていると思って下さい。
紀子様を励まし、勇気づけてくれる彼の想いを信じて、その時が来る時まで今を大切にして生きるしかありません。
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