2021年9月5日日曜日

目的を果たした人が逝く


去年の3月、私の母親が亡くなりました。

脳梗塞で倒れて右半身が完全に麻痺し、言葉もしゃべれず、ベッドの上での生活を強いられました。

それまで病気もせず、元気に動き回っていたので、つらかっただろうと思います。



コロナが流行し始めた頃であり、危篤状態にならない限り面会は許されませんでした。

病院から連絡があり、家族が集まりました。

極めて親しい人の死を、目の当たりにしました。

意識がなくなり、呼吸が荒くなって来ると、こちらまで苦しい気持ちになりました。

同時に、死がすぐそこまで迫っているのを感じました。

徐々に呼吸が小さくなり、ついに止まりました。

全ての動きがなくなり、医師により死亡が宣告されました。

霊的真理を知る前の私でしたら、この瞬間、母と言う存在が消えてなくなってしまったと思ったでしょう。

「魂となって生きている」と言われたとしても、根拠のない慰めと聞き流したでしょう。

今の私は、不自由な身体から解放され、どこでも好きなところに行けるようになっているのが判っています。

先に次の世界に行っただけなので、また会えることも判っています。

霊的真理により無用な悲しみや苦しみを感じずに済んだのですが、そんな自分が薄情のようにも思えました。



ツクツクボウシの鳴き声も聴こえなくなり、夏が終わろうとしています。

セミが地上で生きている時間はせいぜい1、2週間です。

それまで何年もの間、地中で暮らしていますが、その生態は良く判っていません。

中には、17年間も地中にいるセミもいるそうです。

地中のアブラゼミ

セミは、地中の生き物だと思います。

捕食される可能性のある地上にわざわざ出て来るのは、地中にいたのでは繁殖できないためと考えられます。

短い時間で子孫を残すために、自由に飛べる羽を持ったと思います。

もしそうであれば、私たちが知っているセミは「特殊な姿」と言えます。

けたたましく鳴き続けるセミですが、最後の生命の叫びを聴いているような気がします。

目的を果たしたセミは、死んで行きます。



人も同じです。

地上での目的を果たした人は、自然法則に従って死んで行きます。

人の寿命は予め決まっています。

100歳を超えて生きる人もいれば、生まれて直ぐに死んでしまう赤ちゃんもいます。

生まれて来た目的は、それぞれ違います。

生まれる前に立てた人生の計画は、誰一人として同じではありません。

エンドポイントも当然のことながら違って来ます。



ところで、早く亡くなる人は、優しく、思いやりがあり、誰からも好かれる人が多いと感じているのは私だけでしょうか?

何でこんな良い人がと惜しまれるような人です。

「憎まれっ子、世にはばかる」ということわざがありますが、逆も真なりと思えてしまいます。

長く地上にいて、さまざまな経験をする必要のなかった、欠点や片寄りの少ない、霊的に成長した人のような気がしてなりません。



生きている時間が、あまりにも短い子もいます。

そんな子を知ると多くの人は哀れみます。

家族をはじめ、関わる人たちの悲しみ苦しみはより深いものとなります。

「命とは何だろう」「何のために生まれて来たのだろう」そんな問いが突き付けられます。



深い悲しみは、心の奥に眠っていた魂を目覚めさせます。

目覚めた魂が、問いに対する答えを見つけます。



生命とは魂です。

肉体を超えたものです。

視えなくなっても、変わりなく生命の営みは続いています。



もし、命がこの世限りのものであるならば、生まれて来た目的、生きている意味は、どこにも見つけられません。

無になってしまうのであれば、人生はうたかたの夢幻です。

人が生きている間を人生と言うのならば、生まれる前も、死んだ後も、人生は続いています。

一生懸命に生きよう、良心に恥じないように生きようとするのは、心の奥底ではそのことが判っているからです。



地上でしか経験できないことがあります。

果たすべきこと、借りを返すことがあったはずです。

そうでなければ、地上に生まれて来る必要はありません。



目的を果たした人は、地上にいる必要がなくなります。

本来の住処に戻ることができます。

そこで待っているのは、全てを分かち合っている人たちです。

地上での経験により、さらに想いが共有され、学んだことが全体のために活かされます。



地上にいるセミと同じです。

肉体を纏った地上の人は、実は「特殊な姿」なのです。

特殊な姿から、本来の姿に戻る現象が死です。



生きている時間が短くても、哀れむ必要はありません。

早く地上での目的を果たしたので、早く本来の姿に戻ったのです。

そう思えないのは、死んだ後の世界、そこでの生活が判らないようになっているからです。

この世界、この人生が全てと、間違った認識をしているからです。



死んだ後の世界が判らないようになっているのには理由があります。

地上に生まれた人は、未熟です。

未熟であるために、苦しみ、悲しみから逃れようとします。

自然法則の働きによって、苦しみや悲しみを乗り越えて行くことで人は成長します。

苦難を乗り越えて成長することが、地上に生まれて来た目的なのに、死んだ後にも生きる世界があることが判ったのならば、そちらに逃れようとする人もいるでしょう。

自らが決めていた人生を、自らが放棄するのは許されません。

先に待っているのは、苦から解放された世界ではなく、暗闇と深い後悔です。

その罪を償うために、さらに過酷な人生を歩まなければならなくなります。

そんな過ちが起こらないように、判らないようになっていると考えられます。



間違った認識をしていると、苦しむことになります。

その苦しみが魂を成長させて、真理を受け入れる土壌を整えて行きます。

死後にも生があるという真理を受け入れることによって、存在は息を吹き返し、愛せない苦しみから解放されます。

苦しみを通して、間違いは正されて行きます。



真理は光です。

太陽の光の中にいる時には目に入りません。

暗闇の中にいる時に、光り輝いています。

真理を手に入れるためには、どうしても暗闇の経験が必要なのです。



関わる人たちの成長を促すために生まれて来た人もいます。

死によって、真理を手に入れさせようとする成長した魂です。

そんな人が目的を果たして戻るのは、素晴らしい境涯に違いありません。

判ってもらえたのなら、地上に思い残すことはありません。





31 件のコメント:

さくら さんのコメント...

イクミ様

ご無沙汰しております。
さくらです。
いつも温かなブログを大変ありがとうございます。

お母様が肉体を離れたということ…。
霊的真理を受け入れていらっしゃるイクミ様であっても大切なお母様のこと、とても悲しく流れる涙もたくさんあったことだと思います。
しかしながら、繋がりは途切れないことやお互いの深い愛情は何も変わらないことなど、霊的真理を受け入れていらっしゃるイクミ様のお心は、変わらぬお母様の愛情に満たされ穏やかでいらっしゃったのですね。

本当に、この世でどのくらいの期間生きたかは、さほど重要ではないと思います。
皆それぞれにこの世で学ぶことも異なりますから、長い時間をかけて学びを得る人もいらっしゃるでしょうし、幼くして肉体を離れたお子さんは困難を体験するよりも愛を受けとることだけを体験しに、この世に来たのかもしれません。

私の大切な方も目指していたことの途中で肉体を離れたため、この世の見方で語る人は「志半ばで残念でした。」と言います。
でも私が受け取る彼からの想いは、『残念』という暗さはなく、自身の向上のために学び続けることができた喜び
しかありません。

物質にまみれ欲を満たしながら競うように歳を重ねるよりも、この世の滞在時間は短くても愛や光を大切に感じながら、決めてきたこの世での時間を精一杯過ごしたいものです。

私は、ミディアムになる学びを本格的に始めて、もうすぐ一年になります。
まだまだ思うように霊界との通信をとることは難しく、道のりは長いと思います。
時には、早く霊界のお役に立ちたいという気持ちで焦りが出てしまうこともあります。

でもいつも学びの中で感じることは、霊界の大きな愛です。
肉体を離れた霊界の方々はいつも、本当にいつも、優しい想いを持ちながらこの世の愛する人のそばにいらっしゃるのです。

私の大切な方が生前に言っていた「目には見えない大きな後ろ楯があるから、何があっても前へ進んでいける。」という言葉どおり、霊界の方々を信頼しながら学びを深めていこうと思っています。

イクミ さんのコメント...

さくら様

こんばんは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

あなたの言われる通りです。
この世の人は、この世の見方しかしません。
目に視える地上的な成果は、それほど大切ではありません。
そのことを通して得られた霊的な成長が最も大切です。
大切な人は、十分な学びや成長が得られたので悔いはなく、喜びを感じているのだと思います。
精進しようとする、動機も正しかったのだと思います。

ミディアムになる学びを始めて1年になるのですね。
役に立ちたいと言う思いを持ち続けていれば、目的が成就する時が来るでしょう。
この様なことは霊界主導なので、焦る必要はありません。

守護霊をはじめとする、霊界の人たちの想いを地上の人が感じながら生きることができたのなら、世の中はもっと穏やかで平和になると思います。
ところが、自我が強くなり、つながりが弱められてしまっています。
幼な子のように生きられれば良いのですが、自我が強くなることを要求するような世の中になっていると思います。
霊的にではなく、地上的に大人になることが求められているような気がします。

霊界の援助は、地上の人が想像している以上に強力です。
動機が正しく、意思を持ち続けていれば、壁を乗り越えさせてくれます。

霊的な奉仕をされる機会に恵まれましたら、また連絡して下さい。
その時が、早く来ることを祈っています。

ユーリ さんのコメント...

イクミ様、さくら様

いくみ様が去年お母様を亡くされたこと全く知りませんでした。
今年どこかのコメントで、人生を変えるような別れをまだ経験したことがないとおっしゃっていたので・・・。
一方的に私の母の話ばかりして本当に申し訳なかったです。

ところで、霊的真理を受け入れられたら、亡き人の愛に包まれて穏やかでいられるのでしょうか?
また、いまだに毎日母に対する後悔が夢に出てきてしまい苦しんでいる私は、霊的に未熟なのでしょうか?

年齢は関係ないと言われても、やっぱり人並みの年齢まであと何十年も生きてほしかった。
死に目にも会いたかった。

そう思ってしまうのは、霊的に未熟なのでしょうか。

霊的に未熟だと思い知らされるたびに私はますます苦しみます。

イクミ さんのコメント...

ユーリ様

おはようございます。
人並みの年齢まで生きていて欲しかった、死に目にも会いたかったと思うのは、生身の人間として当然だと思います。
別れの涙は、亡き人がこの世に生きていた確かな証です。

私たちは肉体を纏っているために、霊的な感覚が極端に鈍くなっています。
もし、肉体がなくなって、霊的な感覚が本来の状態に戻ったのならば、さまざまな愛に包まれていることを実感できるでしょう。
実感ができなければ、信じることが必要になって来ます。
視えない愛を信じることは、この世に生まれて来た、大きな目的の1つだと思います。
心から信じることで、視えない存在に愛されていることを、ご自身の魂が実感する時が来ると思います。

お母様は、自分のことで後悔して苦しんでいるあなたの姿を見たくありません。
あなたが知っている、お母様が喜ぶ生き方をするように努めて下さい。
それが、母子になって、早く別れた目的かもしれません。
あなたの成長につながると思います。

苦しみは、自分を変えるためにあります。
ご自分の生き方や考え方が変わって行くことで、苦しみが生じなくなって行くと思います。

ユーリ さんのコメント...

イクミ様

私が苦しくなる理由は分かってきました。

一つは前に話しました、私の後悔心に付け込んで嫌がらせをしてきた知人へのトラウマ。
あと一つは、聖人君子になれない自分自身に対しての苦しみです。

シルバーバーチの言葉は、グリーフケアと相反する部分がたくさんあります。
だから、どちらも体験している私は混乱してしまうのだと思います。

イクミ様のおっしゃるように、怒り苦しみを引き起こす自分を変えたいのです。でも、変えようとすればするほど上手く変えられず苦しみます。

母との別れのことは衝撃的なトラウマになっていて、悪夢をよく見るので、どうしようもないのです。

グリーフケアでは、負の感情が起きる自分を受け入れるように言われるのですが。。。

自分をどのように変えるために、このような辛い別れの体験があったのでしょうか。

あさよ さんのコメント...

いくみ様

お母様、心からお悔やみ申し上げます。

ブログ拝見しました
目的を果たした人が逝く…

私…解ります
勿論亡くした当時は弟、主人何故何故…とあらゆるもの全てを恨み悲しみました。

まだまだしたい事、欲しかったもの、愛したかった事が有ったのに…と。

早く地上での目的を果たしたので、早く本来の姿に戻ったといくみ様の言葉に
涙しましたがそうだと思えます。

こうしてまだ…地上に居る私は目的を果たさねばと心しています
こんなご時世ですが
真面目に清く生きたいと思っています。
いつも、ありがとうございます。

紀子さん
彼を感じ生きて下さいね
私も主人と共に生きます。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
このコメントも届かないかもしれませんが、送らせてください。

読んで驚きました。イクミさんのお気持ちを考えると、言葉になりません。イクミさんのブログの言葉が何かしら深遠になったと感じたのは、その頃だったように思います。

今日、ふと頭に浮かんできたことがあり、ユーリさんのコメントを読んで、それに通じるものがあると感じました。

私はこれまで自分を責め、神の一部である自分自身愛し慈しむことをしてきませんでした。これが我が子に対してだったら、とんでもないことです。
同じなんだと気づいてハッとしました。

だから、守護霊の言葉は「己を許し、慈しめよ。」だったんです。
それがわからなかった。

いくら助けを求めても守護霊が答えてくれなかったのは、苦しめているのは私自身だったからだと思います。私自身がそれに気づいて自分を苦しめることをやめなければ、どうしようもなかったのだと、それに気付けと見守ってくれていたのだと思います。

赤ちゃんや幼い子どもたちを未熟だと言って責める親はいません。

未熟だからこそ、慈しみ大切にしてあげる必要がある。その愛の中で幼い子どもたちは成長して行く。
その愛が無かったら、あの残酷な実験のように赤ちゃんたちは死んでしまいます。
私も私を殺してしまうところでした。。

シルバーバーチ霊が語りかけたのは、個人主義が成熟した国であるイギリスの、その中でもさらに成熟した大人の霊の方々です。
儒教の価値観が支配的で自分を責める空気が強い日本とではそこが違うのだと思います。

自分を愛し大切にすること。
人を愛し大切にすること。
どちらも同じだと思うのです。

Mikiさんが教えてくださった言葉「自分を愛せない者が人を愛することなどできぬ。」
身に染みます。

私も、自分を許し、愛し、慈しむことを学んでいるのだと思います。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ユーリ様

ずっと苦しい思いをされて来ているのですね。
以前も書きましたが、お知り合いの嫌がらせの時の想いが、苦しみの原因なのでしょう。
その想いは、急になくなるわけではありませんが、ご自身の成長と共に解放されて行くと思います。

聖人君子になれない自分に対して苦しんでいるそうですが、この世に聖人君子などいるのでしょうか?
欠点のある人間が生まれて来るのが地上です。
それぞれが違う美点と欠点を持っていますので、お気持ちは判りますが、そのことで苦しむ必要はありません。

嫌がらせをしたお知り合いではありませんが、人の欠点が自分に向かって表現されると、怒りが生じることがあります。
そんな時は、自分にも欠点があること、その人は痛い思いをして正されると思えば、いくらかは和らぐと思います。
怒りが生じないような、考え方、捉え方をするのも大切だと思います。
怒りを引き起こす自分を変えたいのは、私も同じです。
無縁の人などいません。

私の文章がいけなかったのかもしれませんが、シルバーバーチは負の感情を持ってはいけないとは言っていません。
怒りがなればもはや人間ではないとも言っていますので、負の感情が起きること、受け入れることも否定はしていません。
従って、グリーフケアで教えてもらったことと相反することはないと考えられます。
シルバーバーチの霊訓を読み返して、確認していただければ、納得すると思います。
それでも、くい違っていると感じるならば、ご自身が正しいと思う方を選択して下さい。

自分の意思で、自分を変えるのは難しいです。
それなので、地上の経験を通して、半ば強制的に変わることを、自らが志願している場合も多くあると思います。
どのように変えるためなのかは判りませんが、生まれる前の自分が欠点と認識していた部分を、摂理に適ったように変えるのだと思います。

ユーリ さんのコメント...

イクミ様

実は、嫌がらせを言ってきた知人は、一人ではなく二人なのです。もちろん縁は切ったのですが。
彼女たちは酒癖が悪く、その時も酔っ払っていたので、元来の無神経さが更に増していたようです。
私は言われた数々の言葉を、忘れようとしても忘れられず、相変わらず母への後悔で苦しむ毎日です。
いくみ様がおっしゃる通り、私が成長するしか解決方法はありませんね。

シルバーバーチの本をもう一度読み返してみます。

イクミ様もお母様のことで大変だった中、相談にのっていただき、本当にありがとうございました。

PS.ワクチン副反応でひどい腕の痛みがありましたが、2日我慢したら、3日目からほぼ治りました。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

こんばんは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

あなたのような最愛の人を失った人に、どうしても判ってもらいたく、この文章を書きました。
死に偶然はなく、全て自然法則の働きによるものです。
霊的真理では、大体の寿命は決まっていると言われています。
目的があって生まれ、目的を果たした時に寿命が来て、元いた世界に戻る、実に単純で自然なことです。

ご主人にお会いしたことはありませんが、全て包み込んでしまうような大きな魂の人であったと想像しています。
そんな人は、あれこれと経験する必要はないので、早く戻ってしまうことが多いと実感しています。
あなたは、包み込んでくれていたものがなくなってしまったと嘆き悲しみ、本当に長い間、暗闇の中をさまよって来られました。
今は、生前と全く変わりなく、包み込んでくれていることが判っています。
ご主人はあなたの魂に安住の場を見つけています。
霊的に強く結ばれていると言うより、一体です。

霊的な真実を知った人は、かつての自分と同じ想いをしている人に伝えたくなります。
紀子様も、今のあなたと同じ心境になる時が来ると思います。

あさよ さんのコメント...

いくみ様
ありがとうございます。

主人は若い頃は無茶をしていました
17歳の頃好きな女性と心中未遂をしています。
幸い彼女も死ぬ事はなく
でもまだ子供だった事もあり、二人は離れ離れにさせられました
主人はそんな暗闇の生活をしている時、私はと出会いました…
私は一生懸命主人を愛しました…私の家族も主人を愛してくれました、亡き母亡き弟も

主人は私と私の家族に出会え本当の自分に戻れたといつも笑っていました。

それからの主人は私を家族を亡くなった弟の子供たちを愛してくれました。

これは自慢ではありませんが、いくみ様が言ってくださったように
心から優しく大きな心の持ち主でした。

私は主人と共に生きている
そう思えたのはいくみ様に出会えたからです

多分あの日あの時
いくみ様にコメントを書き込まなければ死んでいたかもしれません
そしていくみ様からのお返事を頂け無ければ確実に死んでいました。

ありがとうございます。


イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんばんは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

大切なことに気付かれたようですね。
自分を責めると苦しくなるのは、人を責めるのと同じで、摂理に反したことだからと思います。
自分を愛するとは、理解しにくいことです。
自分が気に入った人を愛するのは簡単ですが、気に入らない人を愛するのは難しいです。
次元が高い愛は後者であり、神が求めているのもそちらです。

これを自分に当てはめてみるとどうでしょう。
自分の気に入らない、欠点とも言える部分を愛することを、神は求めているのかもしれません。
実際に、自分の欠点を思い浮かべ、それを愛そう、慈しもうと思った瞬間、心が何とも言えず楽になるのを感じます。
とても不思議です。
自分を愛すると言うのは、自分の嫌いな部分、欠点、至らないところ、未熟なところを、慈しむことの様な気がします。
自分を認めるという意味以上のものがあると思います。

赤ちゃんの実験はあまりに残酷でしたが、生きるために一番必要なものは何かの答えがあると思います。
他者からの愛がもらえなくても、自分を愛することができれば生きて行ける、自我が未発達の赤ちゃんはそれができなかったと考えられます。

自分の気に入らないなところが、正すべきところとは限らないと思います。
神にとっては、愛すべきところなのかもしれません。

いただいたコメントを通して、私も大切なことに気付けたような気がします。
ありがとうございます。

さくら さんのコメント...

イクミ様

お辛いご様子のユーリ様に少しでも言葉が届いたらと思い、この場をお借りしますことお許し下さい。

ユーリ様

さくらと申します。
愛するお母様への後悔の念で苦しまれているご様子。
本当にお辛いことと思いますが、お母様は柔らかい笑みを浮かべながら常にユーリ様の側にいらっしゃいます。
ユーリ様がお母様を想われるように、お母様もいつもいつもユーリ様を想っています。

そして、今はとても穏やかになられているお母様は、ユーリ様の苦しまれている様子を見ては何度も「もうそんなに自分を責めないでね。」とおっしゃっています。
お母様のお顔には悲しみはありません。
ユーリ様をすっぽり包むような優しい笑みを浮かべながらおっしゃっています。

ユーリ様はお母様と離れ離れにはなっていません。
本当に離れてはいません。

どうぞ毎日を、お母様と一緒にお過ごし下さいませ。
お母様と一緒にお茶を飲んだりお花を見たり、たくさんお話しもなさって下さい。
お母様も喜んで、ユーリ様との時間を過ごされますから。
お母様は存在していらっしゃるので、どうぞ安心なさって下さい。

ユーリ様のお心が少しでも晴れますことをお祈りいたします。

イクミ さんのコメント...

ユーリ様

おはようございます。
お母様との関係は失われていません。
繰り返しになりますが、喜ぶ生き方をされて下さい。
本を読むのに良い季節になって来ましたので、シルバーバーチの霊訓を読み返して下さい。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

おはようございます。
ご主人が若い時に心中未遂をしたと聞き、少し驚いています。
彼女を思う余りのことなのでしょう。
あなたと出逢えて、ご主人は救われたのですね。

霊的真理に出会えたのは、守護霊とご主人の導きによるものです。
今生で成長するために、これからも導き続けてくれます。

ユーリ さんのコメント...

さくら様

「さくら」という文字を見ると、母と毎年桜を見に行き、ランチをしたのを思い出します。
母の誕生日や母の日や命日には、今でも生前と同じようにお花を買って母に贈っています。

温かいお言葉ありがとうございます。涙が滝のように溢れました。

毎日のように見る、母を助けられず死なせてしまう夢、
もう見なくなるようになりたいです。


私のような人間に、お優しい言葉をいただき感謝します。本当にありがとうございます。

てる さんのコメント...

イクミさま  ユーリさま

おはようございます。

読ませて頂きながら伝わって来たことを、忘れないうちに書かせてください。

娘にこれ程までに愛され想われる私は、なんて幸せな母親なんだろうと、とても嬉しく幸せに思います。
愛おしく大切な愛する貴女が、私の事でこれ程までに辛く悲しい想いを持ち続けていることが申し訳なく、何も現実的にはしてあげられないことがもどかしくて。

でも、貴女の乗り越える力と生きる力を信じています。もう私にはそれしかしてあげられることがないけれど、貴女が泣くときはその背中をさすり、抱きしめています。

あなたの毎日に笑顔が戻るように、安心して眠りにつけるように、愛のエネルギーを送り続けます。
貴女が笑うときには一緒に笑い、貴女が泣くときには一緒にないているから、どうか安心してね。


余計なお世話になってしまわないか迷いましたが、受け取ったまま書かせていただきました。

さくらさんも書かれているいたように、穏やかな笑みで両手を広げてユーリさんを
包んでいらっしゃいました。

ユーリ さんのコメント...

てる様

てる様にも、いつもお世話になっております。
言おうか迷っていたのですが、「てる」というお名前は、私と母にとって大切な人の名前なんです。
偶然なのか必然なのか。。。

前にも慰めていただいたのに、本当に未熟でごめんなさい。

お言葉に心が洗われるようです。ありがとうございます。

イクミ様のブログに感謝です。

イクミ さんのコメント...

さくら様

おはようございます。
ユーリ様に、お母様のメッセージを届けていただいて、ありがとうございます。
ミディアムとしての能力は、もう開花されている様に感じました。
これからも、活かす機会に恵まれると思います。

イクミ さんのコメント...

てる様

おはようございます。
今のお母様の様子を伝えていただき、ありがとうございます。
ユーリ様への想いが良く判りました。

これからもお力添えいただければ、うれしいです。
あなたの能力が、求めている多くの人に活かされることを祈っています。

イクミ さんのコメント...

ユーリ様

さくら様もてる様も、言葉は違いますが、伝えたいことは同じです。
今も愛されているのです。
そのことを信じなければいけません。

お母様が想いを伝えたかったので、ここにコメントを書かせたと考えています。

紀子。 さんのコメント...

イクミ様。

人生の目的をそれぞれの人がそれぞれの人生を歩み成長しそしてこの世を去る。

イクミ様に教えていただき、これからの私の歩む道も意味のある様に過ごそうと日々思っています。

彼と過ごした一年半、彼そして私にとって必ず何かの意味がある。
そう思っています。
突然この世を去った事もきっと何か意味がある様な気がしています。

最近、少しずつですが彼の今いる世界のことをぼんやりと考えられるようになりました。

いつも笑っていてくれています。
この世にいるときは、しんどかったであろう事も今は笑顔で居てくれている姿を想うとこれで良かったのかも知れない。
そう思えるようにもなりました。

今までは1日でも早く、何が何でも早く死にたい。
そう思っていましたが、残りの時間を私らしく生きて行こう。
でもやっぱり早く逢いたいから、なるべく人の役に立とう。
良い人であろう。
そう思っています。

そう気づかせて下さったのもイクミ様をはじめ、こちらに来ておられる沢山の方のお陰だと思います。

私はお墓の場所知りません。
位牌も何もありません。

なので、自分の手のひらに、私が呼んでいた彼の呼び名を指で書いて寂しくなったらいつもグーをして彼を感じるようにしています。

優しかった彼を感じる事が出来ます。

沢山のことを考えていただき、時間はどれだけかかるか分かりませんが自分のペースで生きる意味を考えられるようになりたいと思っています。


あさよさん。

あさよさんのご主人のお若い頃のお話し。
彼も二十歳の頃、好きな女性と結婚をしたくて女性のご両親にお願いに行ったそうです。
結局、断固として許してもらえずそのまま彼は違う土地へ暫くの間行っていた。
そんな話を聞いた事を思い出しました。

きっとあさよさんのご主人と彼とが、相談してこの話を思い出させてくれたのかも知れません。

少しずつですが前を向こう。
そう思っています。
直ぐに挫けますが、笑顔で居られる様、過ごして行こうと思っています。

いつも私の事、気にかけてくださりありがとうございます。

紀子

イクミ さんのコメント...

紀子様

こんにちは。
観ていただいていたのですね。
ありがとうございます。

彼と過ごした日々、この世を去ったことにも意味があります。
もし意味がないのであれば、ここまで深く悲しみ、苦しむことはないでしょう。
以前も書いたかもしれませんが、少なくてもあなたの今生での学びや成長に関わっているのは確かです。
親(ちか)しい魂ほど、悲しみ苦しみは深くなるものです。

彼のいる世界のことを、ぼんやりと考えられるようになって来たのですね。
今、認識している世界とは違い、思念の世界なので、心に浮かんで来たイメージ、想いを大切にして下さい。
彼が笑っているそうですが、ご自分の想像だと思ってしまうと悲しみます。
浮かんで来たものを信じましょう。
信じれば信じるほど、魂のつながりは強くなり、彼も伝えやすくなります。

彼のいないこの世界を、もがき苦しみながらも生きていることで、成長しています。
今の苦しみは、次の世界で、成長した悦びに変わります。
深い悦びを感じながら、1つになって生きるために、今生の出会い、別れが必要だったと思います。

お2人の関係、別れの意味を、彼はすでに知っているので、笑顔でいるのではないでしょうか。

ナオヤ さんのコメント...

苦しい中でも、前を向いて強く生きている方々が沢山いらっしゃり、とても嬉しいです。
私も負けないように、やるべきこと、果たすべきことを全うできるように頑張っていきたいと思いました。

最近学んだこと。
"簡単に見えるものこそ、実は難しい"

風邪(すなわち、ウイルス性上気道炎)と診断するには、鼻水、咽頭痛(つばを飲み込んだときに喉が痛めば、はじめてそれは確かに咽頭痛であると言える)、咳の3つの症状が同時期にあり、5日程度で軽快するという経過を辿っていないければならないこと。

長引いている場合は細菌感染を考えなければならないこと。成人で38℃以上の発熱と悪寒戦慄を伴う場合には肺炎を考えること。高齢者の場合、免疫力が低下しているため風邪を引いていても3つの症状が揃わないことがあること。また、すでに色々なウイルスに暴露しているため若者に比べて風邪を引く可能性は下がること。

風邪1つとっても、自信を持って、"風邪ですね"ということはきちんと勉強しなければ難しいのだと感じました。

そういった基本的なことを丁寧に詰められるようになることを目指していきたいと考えています。

一方で、"俗世を生きつつ、俗人となることなかれ"とシルバー・バーチは言っていたように思います。

中高生の時、"全てを捨てて、山にでも引き籠もって自由に生きたい"と思っていた時期がありました。

あのときの気持ちを思い出して、あくまで精神世界に心の比重を置いておきたいです。

とにかく、"何も考えず、眼の前の人によい医療を提供する。いずれは精神世界に携わる人間になる" 以上です。

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

こんばんは。
そうですね。簡単に見えるものこそ難しいと思います。
話が少しそれるかもしれませんが、画数の少ない簡単に見える字ほど、書くのは難しいです。
シルバーバーチの霊訓も平易な言葉で構成されていますが、意味深長です。
単純なもの、基本的なものほど、理解が難しく、奥が深いと思います。

俗世を生きつつ、俗人になることなかれ、これはなかなか難しいことです。
イエス・キリストではありませんが、実践すると、浮いてしまったり、反発を買ったりする可能性があります。
難しいことだけに、学びや成長にとって有益なのでしょう。

今は、医療でたくさの人を救うための努力をして下さい。
両立して行くことで、バイアスがかからずに済みます。
しかるべき時期が来たら、次の扉が開かれると思います。

ナオヤ さんのコメント...

>話が少しそれるかもしれませんが、画数の少ない簡単に見える字ほど、書くのは難しいです。

おっしゃるとおりと思います。習字で"一"は本当に苦手でした。

>シルバーバーチの霊訓も平易な言葉で構成されていますが、意味深長です。
単純なもの、基本的なものほど、理解が難しく、奥が深いと思います。

本当にそうなんですよね。素朴な内容を"きちんと理解する"ということは本当に奥が深いです。
でも、それを突き詰めていくことこそ楽しいことなのだと思います。

反発を買うことは結構ありますね。特にかなり上の先生方から買うことが多いです。
でも、そういった先生はだいたい他の先生ともぶつかっているので、私とだけというわけではないです。
なので、ぶつかったとしても周りの先生方も味方してくださいます。
ただ、味方してくれる先生も、"人として正しいことをしているだけでは社会で生きていけない。正しいことを振りかざすと時に相手を傷つけることもある。TPOをわきまえることも社会で生きていくには大切なことだ"とおっしゃっていました。

(麻酔科をまわっていた時、先生方が輸液量を計算せずに適当に入れていました。計算することを科長に提案するも拒否されました。そのことを病院長ホットラインで指摘したのですが、私がまだ研修医だったこともあり、私が職場への不満をぶつけているだけという話になって特に対応がなされませんでした。逆に私の勤務態度が問題なのではないかと調査が入りました。しかし、私が麻酔科から他の科に移ってしばらく経った時に、患者さんに過剰輸液がなされ肺水腫になってしまうという事例が起こりました。そのことを踏まえてと思われます)

その先生のことは尊敬していますが、申し訳ないけれど、自分が正しいと思うことをしていくつもりです。ただ、相手を傷つけることもあるというのは心当たりが沢山あるので耳が痛いです。

幸い、一番現場で働いている方々(直属の上の先生や看護師さん)は応援してくれる人が多いので、何とか楽しく働くことが出来ています。

負の感情に対して負の感情で返さないことが大切かなと思います。

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

あなたが言っていることが、患者さんのためになっているのであれば、それは摂理に適っているので、たとえ反発を買ったとしても、最終的には通ります。
患者さんのためになっていない人(組織)は、痛い思いをして、正されることになります。

匿名 さんのコメント...

イクミ 様

はじめまして。Masaと申します。
「シルバーバーチの霊訓」繋がりで辿り着き、ブログを読ませていただいております。

今回の「目的を果たした人が逝く」を拝読し、その内容にとても共感したところなの
ですが、一つお尋ねしたいことがあり、コメント欄に記載させていただきます。

私は職業柄(医療関係)、人の死に遭遇する機会が多いためか、亡くなった方に対し
て涙を流して悲しむということがほとんどありませんでした。

もちろん故人に対してそれなりの思いはあり、残念だなあとか、さみしくなるなあ、
などとは多少思いますが、それよりもむしろ、辛い病気からこれで解放されて楽にな
れましたね、とか、これまでの人生大変お疲れ様でした、色々とお世話になりありが
とうございました、などといった気持ちの方がどうしても優位となってしまうのです。

そのため、親族や父の葬儀に際しても、涙を流していないのは私くらいなものであり、
とても肩身の狭い思いをしますし、泣けない自分を薄情だと自身で責めてしまいます。

死者に対してそのような思いを持つ自分はやはりおかしいのでしょうか。

もちろん感情の成長において未熟なことは否定しませんが、死後の世界を信じるから
こそという気持ちもあります。

霊的真理の面から何かご意見をいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。




イクミ さんのコメント...

Masa様

初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

仕事で携わった人が亡くなった時に、涙を流して悲しむことがほとんどなかったのですね。
故人に対して、あなたが抱く気持ちは、霊的真理を知っている人ならば、納得するでしょう。
また、仕事で感情に流されるのも、どうかとも思います。

真理を知っていても、愛情で結ばれていた人や動物との別れは、どうしても悲しくなります。
棺の中にいる母の姿を見て涙せずにはいられまんでした。
未熟なのでしょう。

ご存知でしょうが、シルバーバーチの霊訓にはこんな文章があります。
「(愛する家族を失う悲しみは)一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する者を失ったことを嘆いているのです。苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。」
判ってはいますが、地上の人間には難しいと感じています。

それとは別に、真理を知らなくても、感情に流されない人であれば、涙を流さないと思います。
元々感情の起伏が少ない人が真理を知れば、さらに悲しみを感じにくくなくなると思います。

肩身が狭い思いをしたり、薄情だと自分を責める必要は全くありません。
あるがままの自分でいて、恥ずかしいことは何もありません。

匿名 さんのコメント...

イクミ 様

おはようございます。Masaです。

この度は私のつまらない質問に対してご丁寧にご回答くださり、どうもありがとうございます。

ご指摘の様に、私はもともと感情に起伏が乏しいのかもしれませんね。

霊的真理の面からも、あるがままの状態で良いということをお教えくださり、安心いたしました。

しかし、イクミ様と同様に、せめて自分の母がこの世を去るときには、涙を流すことができれば、とも思ったりします。

今後もブログを通じて真理と生き方を教示していただきますよう、よろしくお願いいたします。



イクミ さんのコメント...

Masa様

おはようございます。
死別の悲しみの深さは、魂の親和性の高さにも関係していると思います。
肉親であっても低い場合もあります。
この先、親和性の極めて高い人が現れて、一体感を感じながら過ごし、先に逝かれるようなことがあれば、同じような心境ではいられないと思います。