2021年5月23日日曜日

明日どんなことが起きるのか判らない


明日、どんなことが身に起きるのか、誰にも判りません。

十数年前に、ある日突然、ヒーリングの力が現れました。

そんな力の存在など知らず、望んでもいないことでした。

ほどなく、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

直後に、それまで経験したことのない出来事が起きました。



人生は運命に支配されているのではなく、自分次第でどうにでもなると思っていました。

ところが、人生を変える3つのイベントが、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きて、その考えが変わりました。

人生には、抗えない計画のようなものが存在していると実感しました。



私たちは、それぞれ目的があって生まれて来ています。

持ち合わせていない資質を身に付けるためであり、地上で作った過去の借りを返すためです。

相応の出来事を経験することによって、その目的は成就されます。



学校の勉強は、計画的に行われています。

小学1年生の時に足し算、2年生で掛け算、3年生で割り算、4年生で分数を教わった記憶があります。

1年生に、いきなり分数の足し算を教えても理解できるはずはありません。

1つ1つのステップを踏んで、初めて理解することができます。



生まれる前の記憶は表に出ませんが、私たちは何度か地上に生まれて来ています。

地上で学ぶことがなくなるまで、霊界との行き来が繰り返されます。



地上が初めての人もいれば、もう何十回も経験している人もいます。

初めての人は人間として1年生であり、学ぶことばかりでしょう。

何十回も経験している人であれば高学年になっていて、学ぶことはだいぶ少なくなっているはずです。

魂の成長度は、地上の年齢では計れるものではありません。

地上を多く経験している幼い子供の方が、経験の少ない老人よりも霊的に成長していることは、往々にしてあります。



数学者に、簡単な足し算をテストしても意味はありません。

ヒマラヤに登るような人が、なだらかな山に登っても技術は向上しないでしょう。

今まで経験して来たものよりも、難しいものに挑戦して、初めて自分の能力を高めることができます。



人生も同じです。

お金も時間もたっぷりとあって、好きなことだけをしていられる、苦のない人生に憧れる人は多いでしょう。

しかしながら、そんな安楽な人生では、自分を成長させることはできません。

人生で起きる出来事に、時に翻弄され、追いつめられ、しごかれる中で、成長して行くようになっています。

安楽と成長は両立しないと考えられます。



地上で生きている人の、魂の成長度はそれぞれ違います。

そのため、ある人にとって簡単に乗り越えられることが、ある人には難しい場合があります。

学習が進むほど難易度の高い問題が与えられるように、魂の成長度が高くなるほど、難易度の高い人生になるのは当然です。

困難や障害が大きかったり、果たすべき役割が重くなる人生になると考えられます。


JFAのHPより

「乗り越えられない困難は与えられない」と、霊的真理では言われています。

どうしてなんだろうと思いました。



誰もが、平穏無事に生きて行くことを望んでいます。

残念ながらそうはならず、さまざまな苦難が生じます。



地上の人生には、おおまかな計画(シナリオ)があります。

人生にシナリオがあるのは、自分に足りないものを効率良く学び、成長するためと考えられます。



ある日突然、何の前触れもなく、想像もしなかった出来事が起きることがあります。

それは偶然ではなく、因果律の働きによって、シナリオに従って起きている可能性があります。




シナリオがどのようにして決められるのかは判りません。

しかし、完全なる叡智によって計られているのは確かです。

完全なる叡智は、完全なる愛です。

従って、シナリオに従って起きた出来事が、人を挫折させたり、打ちのめすためであるはずがありません。

私たちを霊的に向上進化させて、より高みに導くためと考えられます。



大切なことを学ぶために、個々に相応しい出来事が起きて、乗り越えて行くことで、霊的に成長して行きます。

難しく感じ、かろうじて解けるくらいの問題の方が、その人にとって有益です。

最大限に成長させるために、徹底的に追いつめて、ギリギリのところで乗り越えられるような出来事が、完全なる叡智の働きによって設定されている時もあるでしょう。

地上的に見れば、それは悪夢のような出来事かもしれません。



命あるものが、一か所に留まっていることは許されません。

絶え間なく、進化(変化)するように定められています。

留まっていると、苦しみのようなものを感じるようになっています。

苦しみを感じたくないので、否が応でも変わって行かざるを得ません。

生まれる前の自分は、それがどんな出来事であったとしても、変わることを望んでいたのかもしれません。

その結果が、今の人生かもしれません。



この世の出来事の意味は、次の世界で明らかになります。

因果律(神の法則)の働きによって、自分を望ましい方向に変えるために起きていたことを知ります。

地上では不運な人と思われたり、苦難ばかりの人生と言われても、霊的に見れば全く不幸でなかったことが判ります。



成長する人生を、自らが選択していただけです。

生きるのがつらいほどの経験が、生きる意味を成就させていたことを知ります。

人生が変わるような出来事は、人間を変えるために起きていたことを知ります。

生き抜いた先に待っているものは、予定していた通りに成長することができた悦びです。



今日、何もなかったとしても、明日、人生を変えるような出来事が起きるかもしれません。

計画されていた出来事は、霊的に最善のタイミングで起こります。

どんなことが起きようとも大丈夫なのは、全ては自然法則の働きによるものだからです。

乗り越えられることが、神によって保障されているからです。







11 件のコメント:

紀子。 さんのコメント...

イクミ様。

新しい投稿ありがとうございます。

人生のシナリオ。
私が決めてこの世に産まれて来たのかと、彼を亡くした後、生きることが辛くて色々と考えました。
生きる意味があるのかと思う事もありました。

今でも、考える事が多いです。

でも私は今此方の世界で生きています。

彼に出会い、彼が先に逝った事。
そこから色々な事を学べた事も事実です。

今迄の考え方も変わりました。

彼を想い、彼を感じ生きること。

不安になる事もありますが、イクミ様やこちらに来られている沢山の方々に助けていただき、彼に会える日まで、笑っている私を好きで居てくれた彼の為にも、頑張ってみようと思います。

いつも心の支えになっていただきありがとうございます。

紀子。

イクミ さんのコメント...

紀子様

おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

この世に生まれて来た人は、学ぶことを決めています。
それに最適な出来事が、人生のどこかで起きるようになっています。

生きるのが辛いほどの出来事から、大切なことを学んでいるのです。
一言で言うと、愛するより大切なものはこの世界に存在しないことです。
最愛の人を亡くした人たちからいただいたコメントにより、私の中ではそれが確信に変わっています。

もう1つ学ぶ大切なことは、生命は永遠であり、死によって愛し合う者同士は引き裂かれないと言うことです。

今までのように愛することができなくなると、どうしても悲しみや苦しみが生まれてしまいます。
愛するエネルギーが、悲しみや苦しみに変わっているのです。
従って、姿が視えなくても、再び、彼を想う(愛する)ことが出来れば、悲しみや苦しみは和らぐはずです。

想われた彼は幸せを感じ、今度は自分の想いを返して、あなたを幸せな気持ちにさせたいのです。
焦る必要はありません。
少しずつ、返って来る彼の想いを感じ取れるようになって下さい。

今でもあなたの笑顔で、彼を励ますこと、勇気付けること、生きる力を与えることが出来るのを忘れないで下さい。

あさよ さんのコメント...

いくみ様
ブログ 拝見しました
私がいくみ様のブログをなんとなく…拝見すると
現在、現実私の思いとかさなります(不思議です…)

明日、どんなことが身に起きるのか、誰にも判りません

いくみ様
私…この人生をもう一度生きたいと思っています
主人と出逢、結ばれ、先に逝かれてしまったけれど…

生き抜いた先に待っている喜びを経験したいです。

いくみ様
私は特別な宗教など持っていませんが幼い頃から祖母が南無妙法蓮華経と仏壇に手を合わせていたのを想い出て
母が逝ってからそうしています。

不思議に心が落ち着いてきます…

明日、どんなことが身に起きるのか、誰にも判らない
私もたくさん経験してきましたが…
でもそれが今の私の人生なんだと
いくみ様のブログを拝見し改めて思いました。

ありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

明日、自分の身にどんなことが起こるのか判りません、
最愛のご主人が病気になるまで、ずっとこのまま一緒に暮らして行けると、信じて疑わなかったとお察しします。

人は何回も生まれ変わります。
その中の、どこかの人生で、誰もが最愛の人を早く亡くすという出来事を経験し、大切なことを学ばなければならないような気がしています。
あさよ様にとって、それが今生だったと考えられます。
来生の人もいるでしょうし、明日、出来事が起きる人もいるでしょう。

神様は、喜びと悲しみの、どちらか一方だけ与えるようなことはしません。
人よりも、悲しく、苦しい思いをした分、向こうに行った時の喜びは一際大きなものになると思います。
その先の喜びのために、今の悲しみ、苦しみがあると思って下さい。

念仏を唱えることで、霊界に意識が向かっているのかもしれません。
心が落ち着くのであれば、あさよ様に合っていると思います。
シルバーバーチの霊訓を読んでも、心が落ち着きますよ。

明日何か起きるのか判りませんが、どんなことが起きたとしても、必ず乗り越えることができます。
神様の摂理の働きで、乗り越えられることしか、起きないようになっているからです。

やっとやっと、あさよ様の中で生き返ったご主人を、これからも愛し続けて下さい。

紀子。 さんのコメント...

イクミ様。
あさよさん。

紀子です。

イクミ様から教えていただいた、
愛するより大切なものはこの世に存在しない。
愛する者同士は決して引き裂かれない。

その言葉、とても勇気をいただきます。


彼がこの世を去った歳と同じ歳になりました。

私も彼と同じ歳で彼の今居る世界に行きたいです。

彼に逢えたら何を話そうか、何て声をかけようか。
彼を想うとあの日、過ごした日のことが夢の様な、不思議な感覚になり、自分の出来事だったのかも分からなくなる事があり、彼に直接会いたい。

そう思う日が増えました。

見えなくても、声が聞こえなくても傍に居てくれている。

そう思い過ごして居ますが本当は彼に会いたいです。

すみません。
また弱音を言ってしまっています。

紀子。


イクミ さんのコメント...

紀子様

おはようございます。
「愛するより大切なものはこの世に存在しない。」
「愛する者同士は決して引き裂かれない。」
これは紛れもない真実です。
この世で証明が出来ないのが、残念でなりません。

彼がこの世を去った年になったのですね。
直ぐにでも彼の元に行きたいのですね。
いつになるのかは判りませんが、その日が少しずつ近づいているのは確かです。

彼は傍にいるでしょうが、それがあなたには分かりません。
お二人の愛が真実であることを試されているのであり、感じられない障壁を克服して行くことに、霊的な意味があります。

あなたが会いたい時には、彼は傍にいることを伝えたいと思って下さい。
想いはいつも同じなのです。

弥生 さんのコメント...

おはようございます。
ご無沙汰しております。
イクミさん、お元気でいらっしゃいますか?

主人が亡くなって4ケ月がたちました。
早かったのか長かったのか良くわからない日々を過ごしています。
こんなに主人の顔を見ない、声を聞けないことは初めてでいまだにこの世では二度と逢えないことが信じられません。
一人で家にいる時に涙が溢れ出る時はその感情のまま過ごしています。
私は生まれつき左の股関節が悪かったようですが10年くらい前から痛みが出るまで全くわかりませんでした。
いずれ人工股関節の手術をと医師に言われていましたが何とか生活出来ていたので騙し騙し今まできました。
でも主人の闘病中、どんどん痛みが酷くなりました。
無理をしすぎたんだと思います。
主人も本当に心配してくれて早く自分が元気になって手術を受けて欲しいと看護師さんにも話していたほどでした。
足が治ったら一緒に色々な所に行こうと二人で楽しみにしていました。
その夢は残念ながら叶いませんでしたが、手術を決心してからはあれよあれよと入院、手術が決まりました。
入院日が主人の誕生日になりました。
あぁ、主人が導いてくれたんだなと強く思いました。
亡くなってもなお主人の愛情を感じています。
イクミさん、こういうことも偶然ではないですよね。
早く元気になって主人を安心させたいです。
イクミさんに聞いていただきたくコメント致しました。
読んでいただきありがとうございました。

どうぞご自愛ください。



イクミ さんのコメント...

弥生様

こんにちは。
ご主人が亡くなってから4ヶ月が経つのですね。
時間の経過がいつもとは違うとお察しします。
長い年月共に過ごしてきた人がいなくなったのは、容易に受け入られることではありません。

あなたの股関節が悲鳴をあげていたのですね。
ご主人のことで無我夢中で、無理に無理を重ねたのだと思います。
自分の病気で大変な時に、あなたのことを気遣っていたのですね。
優しいご主人ですね。

そんなご主人ですから、あなたが手術を受けるのを後押しして、日が決まったと思うのが自然だと思います。
実は、今から10年位前に、末期のガンの私の義母と友人の奥さん(30代)のヒーリングを同時に数ヶ月行っていました。
残念ながら、お2人とも亡くなりましたが、義母が義父との結婚記念日、友人の奥さんは友人の誕生日に亡くなりました。
残して来た人への、強い想いが込められているように感じました。
しばらくして、2人からメッセージも受け取りましたが、感じていたことと一致するものでした。

あなたの手術の日がご主人の誕生日と一致したのは、偶然ではありません。
ご主人が見守っていることを、何かの形で証明したかったのだと思います。
そして、早く自由に動けるようになって、1人になったけれど、行きたかったところに行って欲しいのだと思います。

視えないけれども、ご主人は一緒に生きています。

弥生 さんのコメント...

返信いただきありがとうございます。
イクミさんがヒーリングをされていたお二人の話を聞いてやはり偶然ではない、主人の想いが込められてると強く感じました。
手術は怖いのですがきっと入院中も側についていてくれるんだろうなと思います。
イクミさんのお話を聞いて更に勇気がでました。
本当にありがとうございました。

あさよ さんのコメント...

紀子さん
こんばんは☆彡

逢いたい、触れたい、言葉が欲しい…
とてもとても良く解ります
私だって時にその思いから大泣きして死んでしまおうと思う事が多々あります…現在でも

でも主人はそんな事は望んでないと!!
紀子さん

彼は貴女のそばに居ることは間違いないのですょ
彼も逢いたい、触れたいと思っていますし、きっと行動してます❣️

悲しくきつく辛いのは私
解ります
でも紀子さんも私も生きねばならない意味があるのです
だって…こうして紀子さんと出逢えて私は心分かち合える友ができたんですもの!!

きっと彼と主人の心配が紀子さんと私を繋いでくれたと
いくみ様に出逢わせてくれたと
紀子さん
いつもありがとう、ありがとう。

紀子。 さんのコメント...

あさよさん。

いつも弱音を吐いたばかりの私に、ありがとう。
そう言ってくれて、分かち合える友と言ってくれて嬉しいです。

生きる意味。
どれだけ泣いてもどれだけ後悔しても一日一日、過ごす事。
それだけでも意味があるのかも知れませんね。

もし逆の立場で私が彼を置いて逝ってしまっていたなら、私はもっと辛い想いをしていたと思います。
ただ、あまりも早くて突然で今でも心の整理がついていません。
きっとこれからもずっとその想いは変わらない。
そう思っています。

彼に出逢えて本当に幸せでその気持ちは今でも変わりません。
あさよさんもご主人との出逢い。
きっとそうですよね。
だからこそ、どれだけの時間が経っても悲しい。苦しい。
その想いで今も生きている。
それだけ大切な人に出逢えた。
その気持ちに気づくことが、イクミ様との出逢いで教えていただきました。

あさよさん。
彼は、不器用で人見知りな人です。
ご主人と仲良くしてくださって、喜んでいる気がします。
今も笑って私を見てくれています。

必ず逢える。
そう信じて頑張ってみます。

こちらの方こそ、いつもいつもありがとうございます。

紀子。