地球には多種多様の生命が住んでいます。
それぞれの生命は全体のために、何らかの役割りを果たしています。
動物は酸素を吸って、二酸化炭素を出しています。
植物は二酸化炭素を吸って、酸素を出しています。
それぞれが役割りを果たすことで、全体に調和が生まれて、健全な生命の営みが可能となります。
今年の夏は記録的な暑さでしたが、原因が地球温暖化にあるのは明らかです。
地球温暖化は、空気中の二酸化炭素の増加によって起きていますが、その原因を作ったのは人間です。
数日前、庭の雑草を取りました。
昔に比べて、雑草の成長は早く、たくさん生えるようになったと感じています。
人間が過剰に作り出した二酸化炭素を、植物たちが繁茂することで吸収して、地球環境を維持しているように見えます。
車に乗り、電気を使い、二酸化炭素を作り出している私が、地球環境を維持している植物を摘み取ることに、罪悪感を覚えました。
気象の変化(温暖化)の影響で、ドングリ等の木の実が少なくなったために、お腹が空いて里に下りて来るクマが多くいます。
作物を荒らしたり、危害を加えるのはもちろんいけませんが、人間が原因を作っておいて、クマが駆除されるのは間違っていないでしょうか。
どうして人間は身勝手なのでしょうか?
地上の人間は、魂(霊)、精神、肉体の複合体です。
魂と肉体の間に精神(地上的な自我)が介在して、自己表現をしています。
地上的な自我は、肉体と密接に結びついています。
肉体を守り、快適に生きようとするのは、地上的な自我の重要な役割りの1つであり、そのために自分を優先するようになります。
また地上的な自我は五感を通して世界を感識しているので、目に見えない霊的なつながりが分かりません。
そんな理由から、身勝手な行いをしてしまうのだと思います。
地上の人間には、もう1つの自我が存在しています。
それは、魂と霊体の間に介在する霊的な自我です。(ハイヤーセルフと言われるのがこれに当たるのかもしれません)
あの世に行った時、あるいは眠っている時に、自己表現している自我です。
こちらが真の自分です。
霊的な自我から何らかの意志が生まれると、地上的な自我により具体化され、肉体に指令が出されて具現化されます。
地上の人生は、その連続により紡がれています。
地上的な自我が行ったことの責任を、霊的な自我が負っていると思われます。
地上的な自我からは、感情が生まれています。
生まれた感情によって、意志が肉体により具現化されるのが妨げられてしまう時があります。
例えば、新しいことに挑戦しようとして、失敗するのが怖くなると、ためらってしまいます。
自分の意志を具現化するためには、怖れを克服しなければいけません。
克服するために必要なのは「勇気」です。
怖れは霊界では存在しません。
従って、勇気を出さなければいけない経験は、地上でしかできません。
勇気が試されている時、地上に生まれた目的の1つ果たしていると考えて良いのかもしれません。
勇気はどこから生まれるのでしょうか?
愛と同じく、内在する神から生まれていると考えられます。
そして、愛と同じく、あらゆる感情を打ち消す力を秘めています。
勇気は怖れよりも強いのです。
地上の人を守り導いている霊界の存在からも、勇気を増幅させる想い(力)が伝わって来ています。
地上の人は自分の意志を具現化させるために、内(魂)と外(霊界)から力が与えられています。
勇気を出して、前に進んで行くことで、魂は成長します。
どうすれば、勇気が出るのでしょうか?
自分を信じるしかありません。
自分を信じるとは、内在する神を信じることになります。
自分を信じることによって、神とのつながりが強くなり、内(魂)から勇気が湧き出します。
勇気が出ないのは、自分を信じられないからです。
自分を信じられないのは、過去(過去生を含む)に起きた出来事のせいかもしれません。
他者から愛されているのを実感すると安心し、自信につながります。
その逆に、愛に反する言動を受けると不安になり、自信が失われます。
否定する言葉、傷つける言葉、身体への暴力などを受けていなかったでしょうか?
もし心当たりがあるのならば、受けたその行為は過ちであることを認識して下さい。
私たちは、神から届く生命力により生かされています。
その力により、傷ついた体や心が癒されています。
私たちは、神の法則の働きにより、悦びが感じられる方向へと導かれています。
そのことだけでも、いかに神に愛されているのが分かります。
そして、この世界のどこかで必要とされています。
必要とされていなければ、生まれて来ることは、決してありません。
「愛され、必要とされている存在」であることを、自分自身に強く言い聞かせて下さい。
この真実を受け入れることは、自分を信じることにつながります。
裏切られると、その人のことが信じられなくなります。
同じように、自分を裏切ってしまうと、自分のことが信じられなくなります。
自我が適当な理由を付けて、自分の意志(想い)を表現できなくしていることがあります。
それは自分で自分を裏切っていることにつながります。
特に、魂から発せられている良心の声に背くと、神を裏切っていることになります。
良心に背いた行動をしてしまうと、自分が信じられなくなるという報いを受けます。
この世界には、神を裏切り続けて、人だけでなく自分も信じられなくなり、孤独と不安と怖れの中で生きている人たちがいます。
勇気を出すために、自分を信じて下さい。
信じられない時には、自分を肯定するために、自分に向けた想いが必要です。
そして、自分を裏切らないように努めなければいけません。
勇気を出して前に進む地上での経験は、死んで霊界に行き、そこで待ち受けている新たな奉仕に取り組むための原動力となります。
全ては魂を成長させるためにあります。
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