2017年1月8日日曜日

許しとは怒りや憎しみを手放すこと



私たちは、1日中、頭を使った生活をしています。

精神的な活動は、全て脳の働きによってなされているものと考えられています。

事務的な会話や計算は、大脳により処理されているのは確かであり、数時間、作業を続けていると、身体と同じ様に脳も疲弊して、ミスが多くなってきます。

同じ精神活動でも、怒りや悲しみ、うれしさや悔しさなどの「感情」は、どうなのでしょうか?

怒りが治まらなかったり、うれしさが続いたとしても、脳が疲れてしまうことはないと思います。

感情は、脳の働きにより作り出されているものではなく、どこからか湧き上がっているように感じられます。



ところで、人間にとって、感情は必要なのでしょうか?

怒りは正常な判断を狂わせ、悲しみは活動を停滞させてしまい、効率よく、快適に生きるために、必要ないように思えます。

憎しみや恨みの感情がなければ、世の中はもっと平穏になり、全くもって、無駄なものに思えます。

長年に渡って、科学的に感情の研究がされていますが、どこから生まれるのか、何のためにあるのか、ほとんど判っていません。



人には、個性があります。

怒る、笑う、涙を流すなど、いろいろな感情表現によって、個性が発揮されていると思います。

もし、感情が失われたならば、ロボットのようになり、個性はなくなってしまうと考えられます。



この世の人は五感を頼りに生きているので、目に見える肉体が自分と思ってしまうのは、無理ありません。

しかし、人は魂(霊)、精神、肉体の複合体です。

それぞれは密接不可分な関係にあります。

そのうちのどれが本当の自分かと言えば、最上位にある魂です。



肉体は、魂から生じた想い(思念)を表現する媒体に過ぎません。

死とは肉体と魂が完全に分離する現象であり、魂との連絡が絶たれた脳は活動を停止し、肉体は存在意義を失い崩壊します。

しかし、生命そのものである魂は、肉体に代わる新しい媒体を得て、変わりなく存続しています。



魂からは想い(思念)が生まれています。

それが、感情(意思)となって表出し、脳により指令となって、肉体が動いて外に表現されています。

その連鎖が繰り返されながら、人生は紡がれて行きます。

科学で感情を解明できないのは、魂の存在を否定し、全て脳の働きで説明しようとしているからです。

頑なに否定している限り、科学では生命も感情も説明することはできません。



感情とは、この世の出来事により生み出される、魂の回答と言えるのかもしれません。

同じ出来事に遭遇しても、どのような反応を示すのか人によって違いますが、それは人には個性があるからです。

肉体(大脳)を超えた魂によって、個性が形作られて、そこで感情が生まれていると考えられます。



肉体は、食物から摂るエネルギーによって活動しています。

目に見えない魂(霊)は、目に見えない生命力によって活動しています。

生命力とは神(霊)的なエネルギーであり、それを受け取っている器が、魂と言っても良いのかもしれません。

その力により、魂で想いが生まれ、精神で感情に変換され、脳で指令となり、肉体で表現され外に出される形で、完結しています。

その一連の流れがスムーズに行かなくなると、内部にエネルギーが滞って、精神や肉体に顕著な変化が現れる時があります。



生命力は神的なエネルギーであるため、人(生命)は本来、愛を表現するために存在しています。

しかし、魂には限りない発達段階があり、向上した魂は愛の想いが、未発達な魂は愛に反する想いが生じやすくなります。

怒りや憎しみの感情が生まれるのは、魂が未発達であることの証左であり、生命力が誤って表現されています。

シルバーバーチの霊訓には、光(神的な力)は完全であるけれども、鏡(魂)が不完全であれば、反射される光も不完全なものになってしまうと表現されています。

そんな不完全な魂から生じた、不完全な想いを外に向かって表現してしまうと、周囲との調和が失われ、争いが生じることがあります。

内に溜めてしまうと、内部の調和が失われて、病気になってしまうことがあります。

生命力が自然法則に適った想いとなって表現されないと、因果律の働きにより、苦痛となって自らに返って来ます。

誰しも苦痛を味わいたくないので、適った表現をするように、変わって行かざるを得ません。



もし、他人の過ちにより大きな苦痛を味わったならば、怒ったり、憎んだり、恨んだりしてしまうのは、当然のようにも思えます。

しかし、自分に非がなくても、怒りや憎しみの想いを返してしまうと、自然法則の働きにより、また苦痛を味わなければなりません。

苦痛を与えた人が、この世で裁かれることなく、平然としていても、その罪は魂(オーラ)に印記され、後で過不足のない償いをすることになります。

自然法則の働きによって、完全な公正が保たれているので、憎んだり、恨んだりする必要は全くありません。

佳きに計られていますが、多くの人はその事実を知りません。

そのために、怒りや憎しみの想いに支配され、長い間、自らが苦しんでしまうことになります。



怒りや憎しみは、言葉や行為そのものよりも、そこに込められた想いによって生まれます。

電車で足を踏まれても、故意でなければ、ちょっと腹立たしく思っても長続きはしません。

しかし、怒りを込めて足を踏まれたなら、相手に対して強い怒りが生まれ、いつまでも残ってしまうかもしれません。



相手の言葉や行為に込められた想いに、自らが同調してしまうと、同じ想いが生じてしまいます。

人を傷つけるような摂理に反した想いに、同調しないのが肝心なのですが、影響を受けずにこの世を生きるのは、きわめて困難です。

同調が成立して想いが生じると、今度はそれを外に向かって表現しようとします。

世の中から戦争がなくならないのは、受け取った怒りや憎しみの想いを相手に返そうとする、因果律が働いて、それが繰り返されているからです。

もし、相手に返そうとする衝動を抑えたのなら、想いは内に滞ってしまいます。

内に滞った怒りや憎しみの想いは、常に表現を求めているので、訳もなくイライラしたり、怒りやすくなり、その後の人生に悪い影響を与えてしまいます。



滞った想いがあるといけないのは、あるがままの自分から生じている想いを、素直に表現するのを妨げてしまうからです。

生命力という神的なエネルギーは、人や動物や社会に奉仕するためにありますが、内に滞った想いは、その想いを屈折させてしまいます。

成長の機会を逃し、生まれて来た意味を、少なからず失ってしまうことになります。



この世界は、さまざまな発達段階の人間(魂)が、地上という同一平面に生きています。

それゆえに、許すことが困難な出来事が、そこかしこで生じています。

怒りや憎しみが生まれると、精神の自由を奪い、魂に内在する良心とぶつかり合って、苦痛となります。

この苦痛は対象のせいだと思い込んでしまうと、怒りや憎しみが強くなり、それに伴い苦痛が増してしまい、悪循環に陥ります。

苦痛は、内に怒りや憎しみがあるためなのですが、そのことに気付くのは難しいと考えられます。



許しとは、内に滞っている想いを手放すことです。

許さなければ、怒りや憎しみの想いは解放されずに、苦しみ続けます。

許しには、対象へ向けた無条件の愛が必要となります。

謝ったら許す、改心したら許す、対象に求めるものが何かあれば、無条件ではありません。

無条件の愛は、一朝一夕に手に入るものではなく、魂の成長が伴わなければいけません。



怒りや憎しみによって生じる苦痛は、一体、何のためにあるのでしょうか?

苦痛には、魂を目覚めさせるという、霊的に大切な意味があります。

魂が目覚めるとは、本当の自分が目覚めることです。

本当の自分が目覚めると、怒りや憎しみに縛られ、人生を損失していた自分に気付くことになるかもしれません。

魂が目覚めると、自分の中にある神性(愛)が目覚め、より高く、強い愛が表現されるようになります。

対象への、自己犠牲という愛により、内にある想いが解放された瞬間、許しとなります。



神の摂理は、以下のプロセスで、私たちを許す方向に導いています。

許せないと、神の摂理に反した想いが生じ、内に滞ります。

その想いは、因果律の働きで苦痛となります。

苦痛は、魂に響き、目覚めさせて行きます。

魂が目覚めると、自分の中の神性が目覚めます。

神性が目覚めると、より高い愛が発揮されるようになります。

自己犠牲により、内にある想いが解放され、対象は許されます。

対象を許すと、苦痛から解放されます。



許せるか許せないかは、魂の成長度合いにより決まります。

たとえ今、許せなかったとしても、結局は許せるようになります。

絶対に許せないことはないのは、常に魂は成長しているからです。



この世界にちりばめられた1つ1つの魂が、認め合い、許し合いながら、1つになって行きます。

愛という、魂を引き付け合う力で、1つになって行きます。



神の摂理は完全であり、無駄なものは何1つありません。

精神と肉体の苦痛を通して、愛を表現させる方向に、私たちを導いています。











3 件のコメント:

かずねこ さんのコメント...

イクミ様、あけましておめでとうございます◡̈今年もよろしくお願いします


私は毎日仕事で煩悩と言うか苦しみが来ます。。
仕事が肉体労働で3勤1休で3交代勤務してますが、身体的にもきますが精神的なものが多いです。上からは言われますし下からは生意気な事言われたりしてて忙しい時は頭にきてしまう時も時々あります。シルバーバーチを思い出しながら許す努力をして毎日が葛藤の日々ですが頑張ります。

イクミ さんのコメント...

かずねこ様

今年もよろしくお願いします。
仕事で苦しい思いをされているのですね。
もし、仕事が楽であったら、駅前にある酒場は軒並みつぶれてしまうでしょうから、誰もが大なり小なり職場で抱えているものがあると思いますが、毎日のことなのでおつらいでしょう。
思うように行かなかったり、人間関係で悩んでしまうのは、この世界で仕事をする限り、避けられないと思います。
特に、忙しかったりすると、冷静さを失い、頭に来てしまうこともあると思います。

でも、今まで、自分を抑え、我慢してきた分、魂は成長しているはずです。
昔と比べて、許せるようになっていて、これからも少しずつ寛容になって行くと思います。
何事に対しても、寛容になっていくのは、この世に生まれた目的の一つであり、仕事は大きな役割を果していると思います。
怒りがこみあげて来そうになったら、とても難しいのですが発想を転換して、かずねこ様の魂を成長させてくれている、かけがえのない人たちと思われてはどうでしょうか。
あの世に行って、振り返ると、実際にそう思うはずです。

かずねこ さんのコメント...

お返事ありがとうございます。そうですよねこの世に生きている限り苦しみからは避けれないし、この世に生まれたのは魂の成長の為ですもんね。お返事を励みに今日も頑張ります。ありがとうございました