2016年8月6日土曜日

この世を生きる意味  その2 



昔、私が東京に住んでいた若い頃の話です。

1989年、時代はバブル景気真っ盛りでした。

車を買おうと思い、駐車場を探しましたが、どこもいっぱいです。

家から少し歩いたところに、駐車場を見つけました。

とても大きな駐車場でしたが、個人の所有で、敷地内にある家から初老の女性が出てきて、話をしました。

1ヶ月の駐車料金を尋ねたところ、確か4万円くらいと言われました。

地方出身者である私は高いと感じると同時に、駐車場の台数分の収入が1ヶ月で入るのはすごいことだと思いました。



この駐車場の所有者の様に、土地があるだけで数百万円の月収がある人もいれば、大変な思いをしながら働いても、食べて行くのが精一杯の人もいます。

これと言った苦労もしないで一生を終える人もいれば、苦労が絶えることなく一生を終える人もいます。

長生きをする人もいれば、早死にをする人もいます。

両者を比べれば、前者が幸せな人で、後者が不幸せな人に思え、この世は、不公平で不平等に出来ているような気がしました。

今は、霊的な知識を得たので、そのように思わなくなりました。



人は、生まれて、生きて、死ぬだけの希薄な存在では、決してありません。

この世で終わりではなく、死の後にも人生は続いています。

そこで全てが清算され、この世での苦労は報われ、完璧な公正が保たれています。



本当の自分とは、鏡に映る身体ではありません。

目に見えない魂です。

目に見えなくても、愛が存在しているように、魂も存在しています。

愛は実感があるので信じられるけど、魂は実感がないので信じられないかもしれません。

けれども、愛の存在を信じられる人ならば、魂の存在も信じられるはずです。

なぜなら、愛は魂から生まれ、魂で感じ取るものだからです。



この世は、魂が肉体という媒体を使って、自己表現をしている世界です。

肉体は、鈍重で不完全な魂を表現する媒体であり、想いや概念の全てを伝えることは出来ません。

文字や言葉は、想いや概念を伝える代用品に過ぎません。

満天の星空を見て、その神秘性を表現する言葉は、どこにあるのでしょうか?

愛する人と会えた時の歓喜を、言葉で表現できるのでしょうか?

伝えたいことが、上手く伝えられないのが、この世の宿命だと思います。



死んだ後に行く世界は、自分の概念や想いは、そのまま相手に伝わります。

肉体と言う媒体を通さないために、伝える概念や想いに、齟齬(そご)は生じません。

全てが分かり合える、素晴らしい世界であるのは間違いありません。



しかし、人によっては良いことばかりではありません。

想ったことが、直ぐに相手に知れてしまいます。

この世では、表と裏、本音と建前がありますが、表と建前はなくなり、裏と本音だけになります。

そして、嘘が存在できません。

隠し立てが出来ず、ありのままが知られてしまいます。



肉体があれば、自分の想いを知られずに済みます。

相手に対して、強い憎しみの想いを抱いていても、顔では笑っていられます。

それが全く出来ない、真実の世界に、私たちは行かなければなりません。

想いを隠せない世界に行く前に、魂を成長させ、誰に知られても恥ずかしくない想いに、変えて行かなければなりません。



喜びの想いは笑顔となり、表に出すことはできます。

しかし、怒りや憎しみや恨みや嫉妬の想いは、表に出すと生きていく上で支障が出てしまうので、内に秘めてしまうことが多いです。

そんな想いが大きくなって行くと、徐々に魂のありさまを変えて行きます。

怒りの想いが溜まっていて、人にやさしく出来るでしょうか?

憎しみの想いが溜まっていて、人を思いやれるでしょうか?

人にやさしくしたり思いやりを表現するのは、神の摂理(愛)に適った行いであり、魂を向上させます。

人は魂を向上させるために生きているので、内に秘めた想いが大きくなってしまい、摂理に適った行いが出来なくなるのは、極めて深刻な問題です。

そのために、内に秘めた想いに因果律が働いて、肉体上に病気として表現される時があります。

苦痛は、愛に反する想いを抱くのが過ちであることに気付くためにあり、(想いを抱いていた)償いとしてあります。

魂が目覚め、内に秘めた想いが解放されて本来の自分を取り戻し、忘れかけていた愛を表現して、再び魂を成長させて行くために、病気になるのだと思います。



かと言って、怒りや憎しみの想いを、そのまま表に出してしまえば、どうなるのでしょうか?

攻撃的なものになってしまい、争いが起きて、お互いに傷つけ合うことになります。

世界には、言語、文化、宗教、人種が異なる、さまざまな人が共に暮らしています。

さまざまな相違がある上に、伝えたいことが上手く伝えられない世界にいるために、誤解やくい違
いが生まれ、それが怒りや憎しみになってしまうと、衝突や争いに発展してしまいます。

衝突や争いからは、精神的、肉体的苦痛が生まれます。

誰もがそんな苦痛など、味わいたくありません。



苦痛を味わないためには、どうすれば良いのでしょうか?

お互いを認め合い、許し合うしかありません。

認め合い、許し合うためには、自己犠牲が必要です。

自己犠牲とは、間接的な他者への愛の表現に他なりません。

争いを避けるためには、怒りや憎しみの想いを変えていかなければなりません。

苦痛を経験して、そのことを学んでいると思います。



この世は、肉体的、精神的苦痛を通して、怒り、憎しみ、恨み、嫉妬、貪欲など、愛に反する想いを抱いたり、表現するのが過ちであることを気付くためにあると思います。

この世にしかない苦痛を通して、愛の大切さを学んでいます。



生きることの真相は、愛を知り、深く学び、そして表現して行くことにあると思います。

愛に反する想いを表現すれば苦痛が生まれ、愛の想いを表現すれば悦びが生まれるのは、神の摂理(自然法則)が、愛を表現する方向に向かうように、創られているからだと思います。

極めてシンプルな法則が支配していますが、この世は物質の世界なので、判り難くなっています。



多くの人が誤解していますが、死ねば直ぐに、魂が浄化されるわけではありません。

魂のありさまは、死ぬ前と、何1つ変わってはいません。

生前、愛の想いに溢れた人は、死後、美しい光を放つ魂となり、怒りや憎しみを抱いていた人は、醜い光を放つ魂となります。

肉眼はなくなり、霊的な目が開かれるので、周囲にいる人の想いが一目瞭然になります。

そして、自然法則の働きにより、親和性のある魂同士が、引き付けられます。

愛の想いを放っている魂には、同じような想いを放っている魂が引き付けられて集団を形成するので、必然的に、他者を思いやり、やさしさに溢れた世界となります。

怒りや憎しみの想いを放っている魂は、同じような想いを放っている魂が引き付けられて集団を形成するので、争いやいさかいを繰り返す世界となります。

ところが、そんな醜い世界にいても、周りには同類の魂しかおらず、この世のような苦痛が生じないので、そこから中々抜け出そうとはしません。

あの世は、過ちに気付きにくく、大切なことを学びにくい世界なので、この世にいるうちに、さまざまな出会いや出来事を通して学んでおく必要があると思われます。



人生でさまざまな出来事に遭遇しますが、その多くは生まれる前に承知していたようです。

意識には上がって来ませんが、魂の深いところでは、全て判っているはずです。

なぜ、そのことが判らないようになっているのでしょうか?

災難のような出来事や、悲しい別れや、つらい病気などが起こることを予め知っていて、その時まで平常心でいるは、極めて困難です。

回避するために全身全霊を傾けてしまったり、もしかしたら、人生を諦めてしまうかもしれません。

地上に生まれる人は、知っていて耐えられるほど、魂が向上してないので、判らないようになっていると思います。



人生の苦難には、魂を成長させ、何かを学ぶと言う、意味があります。

これと言った苦難もなく過ごす人生は、一見すると幸せのように見えますが、真相は魂を成長させる機会に乏しく、学ぶことの少ない人生かもしれません。

逃げてしまいほど過酷な現実に直面し、何で自分だけがと思いながら、耐え忍んでいる人がいますが、その現実を乗り越えて行く時に、魂は大きく成長していることを忘れてはいけません。

本当に大切なことは、人から教えてもらうのではなく、出来事から生じる苦しみ、悲しみ、痛みを通して身に付けるしかありません。

真に幸せな人とは、この世で多くを学び、魂を大きく成長させた人であるため、大きな苦難を乗り越えて来た人ほど、大きな悦びに包まれるでしょう。



出来事の意味が、たとえ今、判らなくても、死後に明らかになります。

生まれる前にした約束を成就するために、この出来事がどうしても必要だったことを知り、完璧な公正、公平が行き渡っていたことに感謝するでしょう。



この世を生きているのは、あの世で幸せに暮らすためです。

汗水たらしながら働いているのは、人や社会のために役立つ悦びを見出すためであり、食べるために働く必要のないあの世で、自ら進んで奉仕が出来るようになるためです。

苦難を経験するのは、それを乗り越えて行くことで、魂がより一層力強くなるためです。

つらい出来事を経験をするのは、苦痛を通して、愛の大切さを学び、想いを共有するためです。

そして、ありのままの自分が表現されても、恥ずかしくないように、魂を成長させるためです。














2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

7月に母を亡くしました。その後、色々なウェブサイトで大切な人を亡くした人たちの経験談やそういう人たちへの励ましのメッセージなどを読みましたが、こちらのブログを拝見し、とても心が落ち着くのを感じました。私も今まで魂の世界というものに対して半信半疑というか、信じていない部分が多かったのですが、今は、肉体は滅びても魂は別の世界で生き続けるのでないかと強く思います。

母は私の唯一の家族であり、どんなことでも話せて、私を一番理解してくれる親友でした。今までの人生で、これほど強い精神的な絆を築けた人は他にはいませんでした。20年ほど前から海外で生活しているため、母の暮らしていた場所は日本での私の帰る場所でした。今は、もう自分の国日本に帰る場所もありません。私は6年ほど前に離婚をし、今は一人暮らしです。母が死んだら、私は天蓋孤独になるので、自分も死のうとずっと考えていました。母を亡くしてから、実際、本当に死のうとしましたが、怖くてできませんでした。今は、まだ光は見えませんが、何とか生きていければと思っています。

そんな中で、一番辛いのは、日本に住む妹とのコミュニケーションです。妹は結婚していて自分の家族と母の家の近くに住んでいました。母の生前から、いつも怒っていて、機嫌が悪く、切り口上で、取り付く島がなかったので、私も帰国した際に挨拶を交わす程度で、あまりつきあいはありませんでした。母も冗談で’怒るのは、あの子の商売だわ’と言っていました。

母は突然亡くなったので、妹から連絡をもらい、たいへん驚きました。仕事の都合をつけて何とか日本に帰ろうと思いましたが、私は母の死の打撃が大きく、ひどいうつ病になり、パニック症もあり、医者に一人で日本に行くのはやめろと言われました。母の住んでいた場所に一人で泊まるのは精神的に耐えられないと思い、でも、ホテルに長く滞在する余裕もなく、妹は私に色々な事務処理や母の遺品整理などもやってほしいようでしたが、不安定な精神状態で一人で日本に行き、精神的にも話せる人もいない中、それをやる自信はなかったので、医者の指示に従いました。お葬式にもいけませんでした。

妹とは何回か話をしました。事情を話し、行けなくて、後処理を手伝えなく申し訳ない旨、何度か伝えましたが、あちらからの連絡は常に非常に事務的で、後処理がとてもたいへんだという内容のものでした。母の遺品の件でも連絡があり、具合がよくなり、医者の許可が出たら、今年中には帰るので、邪魔にならない程度のものでいいからとっておいてくれないかと頼みましたが、それはできないので、適当に選んで、即刻こちらに送ると言われました。

彼女は私に会いたくないのかもしれませんが、こんな時くらい、遺品を一緒に見て、母の話をしながら分けるということはできないものかと思います。母の住んでいたところは売却するということなので、たくさん大きなものを自宅に置いておくことが難しいということは分かりますが、少しばかりの小さなものでも、母を偲んで話をすることはできないものかと。

とにかく、できるだけ早く何もかも片付けて、自分の生活に戻りたいと彼女は言っていました。その気持ちも分かりますが、もう少し柔らかい態度や気持ちは持てないものかと。同じように母親を亡くしても、悲しみを分け合うことは全く不可能です。

まだ私も精神的に不安定なので、彼女とコミュニケーションをとるのが、本当に辛いです。日本に帰って、会っても、たぶんもっと辛い思いをするでしょう。このまま、会わないで、全ての処理が終われば、全く連絡を絶つのがいいのかもしれません。早くそうなりたいです。

以前に何か彼女を傷つけたり、恨まれるようなことをしたことはありません。

すごく寂しく、悲しいことですが、し方ありません。

母は、とてもスピリチャルで、柔らかい心を持った人でした。大好きでした。きっと、私より魂が上昇していたので、先に逝ってしまったのだと思います。ちなみに、妹はそういうことを全く信じておらず、そういう話をすると怒ります。

長々と自分の気持ちを書いてしまいましたが、いつか魂の世界で母に会える日を楽しみにしています。

イクミ さんのコメント...

こんばんは。イクミです。

7月にお母さんを亡くされて、言葉に出来ない様な、とてもつらい想いをされているとお察しします。
突然の最愛の人の死は、とても許容できるものではありません。
遠く離れた地で、葬式にも行けず、一人耐え忍ばなければならないつらさは、私の想像をはるかに超えるものだと思います。
世の中にもう自分の理解者はいないと思うほど、孤独を感じることはなく、生きる意味が喪われてしまったと思っても仕方がないように感じてしまいます。
絶対に起きて欲しくない出来事であっても、あなたにとって大きな意味があるのは間違いありません。
本当に死ななくて良かったです。

妹さんとの関係で、心を痛められているようですが、血を分けた兄弟であっても、肉体的な近親性はあっても、魂にはないことが往々にしてありますので、その場合は、お母さんがいなくなってしまえば、つながりはどうしても希薄になってしまいます。お母さんと妹さんも、対称的な親子であり、魂には大きな隔たりがあるように思えます。
大きな愛で包むことのできるお母さんの元に、妹さんは生まれることを望んでいた様な気がします。
あなたはお母さんの元に生まれたのは、すばらしいところを、間近に見ながら学ぶためかもしれません。
お母様は親友だと書かれているのを見て、あなたのことを息子としてよりも、一人の対等な人間として見ていて、お母さんもあなたのことを、心から信じられる親友のように感じていたのではないでしょうか。

今のお母さんは肉体の束縛を離れ、魂となって生きています。
お母さんが亡くなり、遠い存在になってしまったとあなたは感じているでしょうが、お母さんは全く逆で、それまで遠く離れて暮らしていた、1番慕ってくれている息子のそばにいられて、とても安心しています。
ただ、あなたの想いが手に取るように判るので、これほどまでに好きでいてくれたことを喜んでいると同時に、自分が死んで打撃を受けて、精神的な反応が大きく出てしまったことを、とても心を痛めていると思います。
妹さんには家族がいるので心配していませんが、あなたは一人なので心配していると思います。

お母さんは、目に見えなくても、そばに寄り添ってくれています。
以前と変わらぬ想いでいますが、悲しいことに、この世に残された者は全く認識できません。
お母さんは同じ想いでつながりたいのですが、深い悲しみに包まれているので叶いません。
こんなつらい想いをしているのに、働きに行かなければならないことを、案じていると思います。
最期の時にそばにいてやれなかったこと、お葬式に出られなかったことを、悔やまないように強く望まれていると思います。
無理して帰国するよりも、あなたが望んでいるように、心に負担がないようにされることを願っているのではないでしょうか。

実は、数日前から、穏やかであたたかな魂の存在を感じていました。
それが誰なのか、コメントを見て判ったような気がします。
失礼かもしれませんが、感じるままに書いてみます。

「ただ一人の、かわいい息子へ
私はあなたと共にいます。
あなたへの想いは、以前と何も変わっていません。
どんな時でも、私を想えばすぐに駆けつけます。
愛情は、そんな簡単になくなるものではありません。
神様はいます。
私とあなたを結び付けてくれたのも、神様の力です。
神様を近くに感じる世界に私はいます。
あなたとつながろうと思えば、神様の力でつながれます。
あなたが条件を整えて下さい。
以前と同じ様に、親しみを込めて、私を呼んで下さい。
あなたの母親である事実は、全く変わっていません。
死とは肉体を失うこと、それだけです。
前よりも、近くにいます。
決められた通りに、こちらに来ただけです。
あなたも、いずれこちらに来ます。
その時まで、あなたはあなたの務めを果たさなければいけません。
生きるのはとても大変ですが、あなたならできるはずです。
私があなたに教えたことを、忠実に守って下さい。
つらい時は、私を思い出して下さい。
母親として、あなたを守ってみせます。
これまで、あなたを支えて来たのは、あなたへの想いです。
子がつらい想いをしているのを見て、何とかしてやりたいと思わない母親はいません。
私の想いで、あなたを助けることができるのです。
信じて下さい。
私は生きていて、これまでと同じ様に力付けることができます。

あなたに、私はだいぶ助けられました。
お願いだから、今度は、私にやらせて下さい。

あなたと一緒にいたいのです。
離れていた分、一緒にいたいのです。
今は近くにいられるので、安心しています。
どうか、私の想いを感じ取って下さい。
助けさせて下さい。
親不孝などと、2度と思わないで。
たくさんのことをしてもらったので、私こそあなたに感謝し足りません。
大好きな大好きな、私のかわいい子。
私と一緒に、これからは生きましょう。
それが今はできるようになったのです。
自由になったのです。
とても近くにいられる喜びを感じているのです。
話せないのは、さみしいけれども、そんなことは関係ありません。
お互いに想いは通じ合えるはずです。

涙を流す日々が続くかもしれませんが、あなたなら笑いを取り戻せる日が来るはずです。
私の子だからです。

あの子と、あなたが求めているものは違います。
あの子には、あの子の考えがあるの、許してやって。
みんなで、仲良くしていた時もあったじゃない。
それが、私たちの本当の姿よ。

私は、すごく気持ちの良い世界にいるから、心配しないで。
みんなが親切なの。
考えていることが判るの。
大好きな人と、一緒にいられるの。

私が近くにいると信じて。
お願い。
かわいい、かわいい私の子へ。」