2016年6月12日日曜日

自分を救うのは自分



何気なくテレビを見ていたら、一人の車いすに乗った男性が映っていました。

その男性は、ある進行性の難病を患っていました。

病名はALS(筋萎縮性側索硬化症)と言い、全身の筋力が徐々に弱まっていく原因不明の病気です。

彼は藤田正裕さんと言い、将来を大いに期待される広告プランナーですが、30歳を目前にして、ALSと診断され、余命3年と告げられました。

命の期限が切られてしまうのは、耐え難いことです。

それ以上に、この病気の恐ろしいところは、動かなくなっていく身体とは裏腹に、意識や五感は最後まで残り、多大な精神的ストレスを患者に強いることです。

こんなに容赦のない非情な病気は、他には見当たりません。



現在、彼は「END ALS」と言う組織を立ち上げて、日本だけでなく世界中にALSの認知・関心を高めるとともに、厚生労働省や医療研究機関などに対し、迅速な治療法の確立やALS患者の生活向上を働きかけています。

彼は、ホームページの中でこう訴えかけています。

「私は藤田ヒロ ALS患者。
ALSは 2年かけて、何があっても戦って生きる勇気をくれた。
ALSは 人や社会の 理由なきやさしさ 疑うほどの 残酷さを 同時に見せてくれた。
ALSに 自分の 隠されていた 強さ 同時に 自分の器の 小ささを見せられた。
ALSは オレから全てを 1つ1つ ゆっくりと奪った。
あれ? 腕が何故か上がんない...ん?ヤバイ、痒いのにかけないところが増えてきた...
私にも 「動くこと」は 昔あたり前だった...
ALSは 3年かけて ゆっくりと体の動きを すべて奪った
ALSのお蔭で 本当の意味で 生きることや 仲間の 大切さを知った
ALSに 声を取り上げられる前に 何を口にする?感謝? 憎しみ?
ALSに逆らって 延命するのは 力強い? それとも迷惑?
どちらにしても 私はまだ生きている。
I still alive
早く解放して下さい。」



広告マンとして、誰もが認める才能に恵まれ、人生を謳歌していた時に襲ったALSという病魔。

治ることはおろか、進行さえ止められず、その先に待ち受けている考えたくもない事態。

自らの運命を恨み、不条理を嘆き、そして絶望の淵に突き落とされるのは、避けられないと思います。

夢と希望に溢れた生活から、徐々に身体の自由を奪われ、呼吸さえ止まってしまう恐怖に襲われて、平静でいられるような人は、果たしてこの世にいるのでしょうか?

恐怖から逃れたくて、死にたいと思っても、何ら不思議ではありません。



この文章の中で、ALSは2年かけて生きる勇気を与えてくれたと書いてあります。

その2年間は、恐らく、この病気になった人しか判らない、言葉では言い尽くせない精神的な苦しみがあったと考えられます。

もし、私が同じ年代でALSになったとしたらどうでしょう?

おそらく、こう心の中で大声で叫ぶでしょう。
「うそだ、信じられない」

たとえ病気を受け入れたとしても、こう叫んでしまうでしょう。
「何で自分が、これからと言う時に」

そして
「ふざけるな!何で死ななければいけないんだ」と憤慨し、

最後には、
「怖い。誰か助けて」と怯えてしまうかもしれません。

医者は助ける手段を持ち合わせていません。

周囲の人も、ただ見守るだけです。

頭脳をいくら駆使しても、解決策はどこにも見つかりません。

絶体絶命の窮地に、追い込まれてしまいます。

頼れるものは何も存在せず、この状況から脱出する手立てはありません。

万事休すとしか思えません。



ただ、精神的にもがき苦しんで生きるだけなのでしょうか?

そんなはずはありません。

藤田さんは、生きる勇気をもらったと言っていました。

もがき苦しんだ後に、何かがあったからこそ、そう言えたのだと思います。



心境の変化は、魂の存在を抜きにしては、理解できないと思います。



普段の生活をしている時に、自分だと意識しているものは、実は真の自分ではないと考えられます。

この世を生きている人は、今までの人生で無意識のうちに作り上げてきた「自分」を持っています。

自我やエゴと言うのかもしれませんが、「この世を生きる自分」と私は表現しています。

多くの人は、この世を生きる自分を前面に出して生きています。

この世を生きる自分は、より良く生きるため、失敗しないために、常に思考しています。

また、周りに影響されたり、人からの評価を気にしたり、地位や財産を欲したりしています。

嘘をついたり、ごまかしたり、本音を隠している自分です。

この世だけの、考え方や価値観に捉われて、あれこれと考えている自分です。



もし、深刻な出来事が起きたなら、事態は一変します。

さまざまな思いや考えが錯綜して、心が休まる暇はありません。

解決策を見出せなければ、恐怖、不安、怒り、悲嘆などの感情が生み出され続けます。

生み出された感情により、自分が苦しめられてしまいます。

自分を苦しめているものは、出来事そのものよりも、自分の感情と言えるのかもしれません。

自分が大きい人ほど、生み出される感情は大きくなるので、苦しみも大きくなってしまいます。

恐怖や不安そして悲嘆や怒りに押しつぶされてしまいそうな人は、この世を生きる自分が、とても大きくなっている人と考えられます。

今までの自分を、捨て去らないと、苦しくて生きていけません。

自らが生み出した感情により、苦痛が限界に達した時に、その人の中で何かが変わるようです。

今まで自分は自壊して行き、それまで隠れていた、本当の自分が姿を現します。



どうすることも出来なくなって、今までの自分を捨て去った時に、本当の自分は目覚めます。

頭でいくら考えても解決できず、感情に押しつぶされそうになり、(この世を生きる)自分が白旗を挙げた時に、代わって本当の自分が表舞台に登場し、主導権を握ります。

本当の自分とは、魂です。

長い眠りから、魂がようやく目覚める時が来たのです。



 本当の自分(魂)は頭で思考するのではなく、この世的な考えに捉われず、高い次元から物事を洞察し、直感を生み出しています。

思考では解決できず、直観に従って生きることが必要になったのです。

痛み、苦しみ、悲しみが触媒となり、本当の自分(魂)が目覚め、困難に立ち向かって行く体制が整います。

進むべき方向が判らない時には、考えるのを止めて、魂に身を委ねればいいだけです。

心を鎮め、魂の声に耳を傾けます。

そこからは、たえず直観が生まれて、導いています。

しかし、現実に捉われてしまい、身を委ねるのが難しいのも事実です。

直観が生まれても、頭で考えたことが優先されてしまいます。

たとえば、学校で、同級生がいじめられていたとします。

本当の自分には良心が内在されているので、何とかして助けてやりたいと直観として思います。

しかし、頭で考えてしまうと後のことを予測し、自分に危害が加わることを恐れて、目をつむってしまいます。

自分には、本当の自分(魂)と、頭で考えようとする(この世を生きる)自分がいて、そのせめぎ合いの中で生きています。

本当の自分の想いを表現できなくて、後悔してしまうのは、誰でも経験することではないでしょうか。



藤田さんは、運命を恨んだり、現実を嘆いたり、恐怖に苛まれて、苦しくて生きて行けなくなったのかもしれません。

苦しみ抜いた末に、今までの自分を手放して、魂が目覚めたのかもしれません。

彼の、澄んだ瞳からそれが窺えます。



乗り越えられない困難はないと、霊的真理にはあります。

頭で考えると、ALSを治す手段はなく、5年以内に、自力では生きられなくなる現実を、どうやって乗り越えて行くんだと思ってしまいます。

この世を生きる目的は、肉体を維持することではなく、魂を向上させることです。

病気を治すのが乗り越えることではなく、困難から生まれる苦しみを乗り越えて行くことを言っていると思います。



苦しみを乗り越えるためには、本当の自分に目覚め、真実を見つけなければなりません。

真実は、本に書いてあることでも、人から聞くのでもありません。

真実の所在は魂にあり、魂の中に見出して、窮地から救ってくれると思います。

困難が大きい人ほど、見付け出す真実に価値があり、一度手にいれたら永遠の財産となります。

そして、この世を生きる、絶対的指針となります。

聖書には「求めよ、さらば与えられん」と書いてあります。

苦しみの中にあって、生きていくための真実を求めていれば、魂から回答が返って来ると思います。



藤田さんは、「勇気」という真実を見出して、何が何でも生きることを選択したと思います。

生きる苦しみから救い出してくれるのは、自分(魂)です。

自分(魂)には、神がいるからです。

救ってくれるのは、他者ではなく、自分の中にいる神です。



ALSのお蔭で 本当の意味で 生きることや 仲間の大切さを知ったと、藤田さんは言っていました。

魂に目覚めると、一番大切なものが見えてきます。

人は支えられて生きている、そして人を支えるのが生きる目的であることを、藤田さんにははっきりと見えていると思います。

辣腕の広告プランナーとして、世界中のALSに苦しむ人たちの切実な願いを、残されたわずかな身体的機能で、精一杯、表現しています。



ハッピィーデー・プロジェクトというブログに、藤田さんからの応援メッセージを見つけました。

「しあわせとは、感じるもの。
私は藤田正裕。三十四歳。
意識や感覚は正常なまま、ゆっくり全身の運動神経が麻痺してゆく難病、ALS患者です。
ちなみに平均寿命は三~五年。
発病し四年半、今や、動かせるのは顔の筋肉と左手の人差し指だけ。口から食べることも
飲むこともできず、人工呼吸器がなければ息を することもできません。
でも、気づきが多い今、今までの人生で一番しあわせについて学んでいます。
今まで「当たり前」に「普通」にしてきたことが どれだけしあわせなことだったのか。
しあわせな人ほど、自分がどれくらいしあわせ なのかに気づくことが難しいのです。
本当のしあわせは、何気ない日常にこそあり ます。家族がいる。友達がいる。学べる。働ける。
食べられる。飲める。話せる。息が吸える。
なにより、生きていられる。
しあわせとは何か。
それは、選択肢です。
すぐそばにあるしあわせを感じるか、感じないか。
すべての人が平等に与えられている、
選択肢の一つです。 」



深刻な出来事に出会うと、人は変わります。

今までの自分では、生きて行けなくなるからです。

苦しくて仕方がなくなると、人は今までの自分を脱ぎ捨てて、裸の自分、本当の自分(魂)になります。

本当の自分になると、大切なものが見えてきます。

目に見えない魂が、目に見えない大切なものを見つけます。

大切なものを見つけながら、成長していくのが、生まれてきた目的です。

そのために、この世では深刻な出来事に、どうしても出会うようになっています。

もし、大切なものを見つけているのなら、その出来事をすでに乗り越えています。

見つけたものにより、自分が救われます。







4 件のコメント:

はな さんのコメント...

イクミさま、久しぶりにコメントさせて頂きます。
こちらのブログはとても素晴らしい内容で、読む度に涙が流れ、
亡くなった夫への愛と、夫からの愛をひしひしと感じます。

でも、どうしてももやもやした部分があるのです。
それは何度かお書きになっている、癌の記事です。

過去のものを抜粋させて頂きますね。


>つまり、ガンは人との間の差異を容認しなかったために生じた想いが、肉体上の病変として表現されたものと言えます。
ステージⅠでも、ガンが再発するのは、想いと言う本体が解放されていなためであり、ステージⅣでもガンが治癒するのは、想いが解放されたためと思われます。


ガンは、異質な細胞が際限なく増殖し、肉体を死に至らしめる病と思われていますが、ごく小数ですが、医学的な治療を受けないで、自然治癒する人たちがいます。
そんな人たちは、偶然、治ったのではなく、自然法則の働きにより治ったと考えられます。
身体から病巣を消滅させるのではなく、本当の自分(魂)に目覚め、内にある想いが解放され、
自然法則に適った生き方や考え方に変わることでガンが癒されると、霊界では考えているようです。

しかし、病気の苦痛による償いが終わり、生命力という自然治癒力により癒される時が来ても、
抗ガン剤により骨髄細胞が深刻なダメージを受けていれば、免疫系は機能せず、身体から排除は出来ません。
やはり、神から与えられた治癒機能を、人間が壊してしまうのは許されない行為だと、改めて感じました。


こういった内容からですと、癌になって治らなかった、亡くなってしまった人は、結局想いが解放されなかったということになります。
でも、私の夫もそうですし、他の癌で亡くなった方がそんな風だとは思えないし、思いたくありません。
確かにストレスはすごかったでしょうが、完璧なほど現実を受け入れ、周りに感謝や心配、愛情を伝えて逝ってしまいました。
抗がん剤も、使っていません。癌の治療はしませんでした。

逆に私の周囲にいる、癌が治った方の方が自己中心的な欲望を持っていたりします。(それが見えます)


一足先に「課題」を終えて、のびのびとあちらの世界で幸せに過ごしている、というのは理解できるんです。


ただ癌に関しては、あまり良くない?想いを手放した方は治癒すると書かれているので、
その辺が矛盾を感じてしまいます。

想いを開放→魂の成長に繋がるならば、そういう人ほど早くこの世を卒業できると思うのですが。


決して記事の内容を非難しているのではありません。
理解したいのですが理解できない私に、ご教示頂ければと思います。

イクミ さんのコメント...

こんにちは、はなさん。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
ご主人との魂の結びつきが、少しずつ強くなっているみたいで良かったです。

ご質問の件ですが、私の説明が足りず、誤解を招いてしまって申し訳ありません。
ブログに書いたことも、未知の領域であるため、間違っているかもしれません。

ガンに関するブログの多くは、ある患者さんへ向けてのものでした。
その患者さんは、子供の時に親からの言動により、表現できなかった強い想いが滞っていたと思われ、何とか良くなってもらいたいと願い、内にある想いに気付いて、解放してもらいたい一心で書いてきました。
現在、ガンの進行は完全に止まり、どうやらうまく行ったようです。

ブログに書きましたように、これまでの人生の出来事で、想いが溜まっていき、その溜まった想いが人生を変えてしまうほどになり、因果律が働き、ガンが生じた人は多くいると思います。
そんな人は、内にある想いに気付き、想いを生じさせた出来事や人を許すことで、解放させることができると思われます。
もし想いが解放され、自分本来の生き方や考え方に戻ったのであれば、ガンは役割を終えて、消滅して行くと考えられます。
しかし、実際は、想いを溜めたまま、肉体の病変を身体から取り除くことだけに終始して、亡くなってしまう人が多いと思われます。
ガンの死亡者数が一向に減らないのは、根本原因が取り除かれていないためと、私は考えています。

私の職場で働く女性のお父さんが、ガンになり、手術の直前にヒーリングをしました。
手術の結果、術前に認められた2つのリンパ節転移は消滅し、病巣も小さくなっていたそうです。
病気を経験し、生き方や考え方もがらり変わり、とても朗らかになり、自然に親しむようになったそうで、今朝も家庭菜園で採れた野菜をいただきました。
魂が目覚め、本来の自分を取り戻したと思われ、病気は役割を終えたので、再発の心配はないと思われます。
また、ブログや書籍なので、ガンが奇跡的に治癒した人たちを拝見しますが、その人たちに共通しているのは、病気になり、自らを内省し、なぜガンになったのかを考え、過ちに気付くと共に、捉われていた想いを解放した人だと思います。
皆、活き活きとした生活をされていて、病気になったことに感謝している人も、多く見受けられます。
ガンになって生き方や考え方が変わると言うよりも、魂を成長させるような生き方や考え方に変えるために、ガンという病気が存在していると思います。

私の職場で働いていた別の女性のお母さんが、再発の卵巣ガンで、抗ガン剤治療を受けても改善が認められず、ヒーリングをすることになりました。
ヒーリングを毎週しているにもかかわらず、ガンは増大していき、残念ながら亡くなってしまいました。
私の力不足のせいかもしれません。
ガンが、大きくなりすぎていたせいかもしれません。
もしかしたら、排除するシステムが抗ガン剤で損傷し、機能していなかったのではないとも考えました。

それ以外にも、理由がありました。
ブログに書き加えるべきだったのですが、何かを学び、魂を成長させるために、人生のシナリオに従ってガンになる人もいると思います。
そんな人たちには、溜まった想いなどはありません。
子供たちのガンは、その典型だと思います。
大人でも、原因が全く見当たらず、降って沸いたような人は、そうなのかもしれません。

シナリオに沿って亡くなくなったと思われる人に共通しているのは、周りの人よりも、やさしさや思いやりに溢れ、人に好かれている点かもしれません。
この世で学ぶべきものは、愛です。
学ぶべきものを、すでに多く学んでいて、一足早く向こうに行くことが許されていたのかもしれません。
もしそうであれば、いかなる治療を受けようとも、決められた通りに、シナリオは展開して行くと思います。
病気で亡くなったように見えますが、その人にとっての寿命と考えられます。

亡くなったお母さんは、全てを受け入れ、愛情深く、清らかな想いしかないように思えました。
いつも、自分のことより他の人のことを考えていたようであり、霊的に成熟していて、向こうに行く準備が整っていたのかもしれません。
まだ若かったのですが、シナリオ沿って死が訪れたのであり、お母さんにとって寿命であったかのかもしれません。
そのシナリオは、周りにいる人たちの魂を向上させるという意味もあると考えられます。

ガンが治った人で自己中心的な人は、幸運な人ではなく、今生でもう少しさまざまな経験をして、魂を向上させて、人を思いやる気持ちを持たなければ、向こうに行くことが許されない人なのかもしれません。
ガンで亡くなった人は、不運な人ではなく、向こうに行くことを許された、今生で十分に成長を果たせた魂なのかもしれません。

同じガンであっても、原因はさまざまです。
原因は、肉体的次元(環境や遺伝)と、霊的次元(表現されない想い)にあるとブログに書いてきましたが、シナリオに従ってガンが生じた人もいると考えられます。
はなさんの言われるように、ご主人が課題を終えてのびのびしているのであれば、シナリオに従って亡くなったのではないかと、私は思います。
自分の人生で思い残すことは何もなく、生前と同じ愛で、あの世からはなさんを導く役目を果たされていると思います。

はな さんのコメント...

イクミさま
ご丁寧なお返事を下さいまして、誠にありがとうございます。
癌の記事は、特定の方を想定して書かれたものだったのですね・・・
治ってほしいというイクミさまの想いが込められた文章だったのですね。
ご事情を知らなくて、つい自分のことだけに置き換えてしまってすみませんでした。

闘病のことが絡むと、つい視野が狭くなってしまいます。
あの苦しい日々、崖っぷちにずっと立たされていて、足元が崩れかけているような・・・
辛い地獄の日々でした。
医療関係者に対する怒りの感情もまだあります。
自分をも責めてしまいます。
ミディアムセッションで「誰のせいでもないよ。自分のことも責めないでな。俺が悪かったんだ」
と言ってくれたのですが・・・

シナリオ通りだったんでしょうか。
また、私に学びと気づきを与えるためだったのでしょうか。

まだまだいろいろと考えてしまう部分はありますが、こちらのブログでの「癌記事」に対するもやもやは
大体解消されました。ありがとうございます。
これからも拝読して、疑問点などありましたら、またコメントさせて頂くと思います。
宜しくお願い致します。
また今後の記事も楽しみにしております。お忙しい中、ありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

ご主人が闘病中の日々は、さぞ苦しかっただろうとお察しします。
最愛の人に、死が忍び寄ってくるのを感じるほど、つらいことはないと思います。
それでも隠して、支えなければいけなかったのは、地獄の日々のようだったのに違いありません。

もっと早く気付いて、医者に診せていれば、手術が出来て、今頃二人でいられたかもしれないと後悔されているのでしょうか。
この様な展開になったのも、シナリオに沿ったことなのかと思われているのですね。
人の死ぬ時期は、予め決まっていると言われています。
納得できないかもしれませんが、ご主人がガンになること、早く別れることは、決められていたと思います。
早くガンを見つけても、遅かったとしても、手術をしても、しなくても、大きな差はなかったと考えられます。
誰かに怒りの感情を抱いたり、自分を責めたりするのは、自分が苦しくなるだけであり、ご主人も望まないことなので、やめましょう。

ご主人は、向こうに行く資質を備えていて、この世の生を終えるためにガンになり、向こうの世界に移行したと思います。

こんな悲しい、苦しいシナリオを選ぶはずはないと思われるかもしれませんが、この世は、楽しく過ごすだけのところではなく、魂を成長させる場です。
あって欲しくない出来事ほど、魂を大きく成長させます。
怒られるかもしれませんが、この様な形で魂をさせることを、はな様自身が選んでいると思われます。
ご主人も、向こうからこの世にいる愛する人を、見守り、導くという、困難な道を選んだと思います。
残酷なシナリオの様に感じますが、お互いの魂を格段に成長させるために最適なシナリオであり、覚悟を決めてこの世に生まれてきたと思われます。
世の中は不平等に見えますが、喪ったものが大きい人ほど、後でより大切なものを手に入れることが出来るので、実は平等になっていると思います。

はな様はご主人のことを想い続け、ご主人もはな様を想い続け、お互いの想いが次元を超えても途切れないという確信があったからこそ、このシナリオを選んだと思います。

はな様の、悲しみ、寂しさも知らないのに、勝手なことを書いてしまって申し訳ありません。