2015年12月6日日曜日

人生のシナリオは自分を成長させるためにある



人生には、予め決まっているシナリオ(青写真)があると言われています。

そんなのあるわけがないだろうと言われたとしても、私はあると思います。



もし私が「あなたの人生で、大きな出来事は何ですか?」と、問われたならば、次の3つを答えるでしょう。

病気を癒す力の出現。

人生に革命をもたらした、シルバーバーチの霊訓と出会い。

人生で最も屈辱的で、つらい思いをした、仕事上の不祥事。



その3つが、わずか1ヶ月の間に、立て続けに起こりました。

偶然重なったとは、とても考えられません。

いくら鈍感な私でも、計画的に起きているとしか、思わざるを得ませんでした。



仕事上の不祥事により、追い詰められて行く中で、シルバーバーチの霊訓と出会い、貪るように読み進んで、慰められ、この世には見えない法則が働いていることを知りました。

そして、突然、出現した治癒力により、病が癒されるのを目の当たりにし、そこに秘められた意味について知りました。

3つのことは、密接に関連していて、どれ1つが欠けたとしても、今の私はないと思うと、シナリオがあるとしか思えないのです。



生まれて来た目的を果たすために、自分だけのシナリオが全ての人にあります。

今、書いているような、霊的な事実を広めるのが、私の主要なシナリオのようです。



若い頃、何のために生きているのか思い悩む時がありました。

死んで無になる存在であれば、虚無感に襲われます。

無にならないのであれば安堵しますが、肉体を超えた何かが存在していなければいけません。

もし、無になるのであれば、人生に永続的な目的などありませんが、生まれる前も、そして肉体が無くなった後も、何かが存在し活動しているのならば、生きている目的について、答えが見つけられそうです。



肉体を超えた何かが、真の自分であり、生命の本質です。

多くの人は、それを魂と呼んでいます。

目に見える肉体は、自分(魂)を表現する媒体に過ぎません。

肉体は年とともに老いて、やがて朽ちますが、魂は老いることも、朽ちることもなく、成長し続けます。


私たちは、成長するために生きています。

魂が成長するためには、何らかの体験が必要になります。

人生には、楽しいこと、うれしいこともありますが、つらいこと、悲しいこともあります。

誰もが、人生は楽しく生きたいと思っています。

どちらかを選べるのならば、ほとんどの人は楽しいことを選ぶでしょう。

つらいことはなるべく避けて、楽しい人生にして行くでしょう。

楽しいことは、良い思い出になります。

しかし、そこから学ぶものは、あまりないのかもしれません。



子供の頃ですが、自転車に乗って、友達と良く遊びに行きました。

自転車には、初めから乗れるはずもなく、何回も転んでひざをすりむきながら、乗れるようになりました。

何かを身に付けるのには、多少のつらさを伴うものですが、将来、活かせると思うので、人は苦しい思いや痛い思いをしながらも、身に付けようとします。

時に、絶対に起きて欲しくない、不幸や不運と言われるような出来事が起きます。

その苦しみや痛みが大きいのであれば、それだけ価値のあるものを身に付けようとしているのであり、今はとてもつらくても、大いに活かせる機会が待っていると思われます。

そして、何かを身に付けたり、学んだりするのが、魂が成長することであり、生きている目的だと思います。



もし、人生が何も決まっていなければ、ほとんどの人はつらい方ではなく、楽しい方を選んで進んで行ってしまうでしょう。

けれども、心の奥では、楽しいだけの人生では、自分が成長しないことも判っています。

魂は、自分の足りないところ、弱いところを自覚していて、克服し、成長することを希求していますが、この世では肉体があり、誘惑もあるため、そちらの欲求が勝ってしまうと、かき消されてしまいます。

人間は弱い存在であるがために、この世で確実に成長するため、弱点を克服して行くためには、ある程度、人生が決められている必要があり、そのために、最善のシナリオが自然の摂理の働きにより用意されることになります。

生まれる前に、全てを承知した上で、魂は母体に宿ります。

この世に誕生し、シナリオに沿って人生が展開されて行きます。



シナリオに沿った出来事が、人生のどこで、どのような形で生じるのか判りません。

事前に判っていれば、心の準備が出来て良かったと思うかもしれません。

しかし、判っていて平静に迎えられる人が、果たしてどれ位いるでしょうか?

大きな病気になると判っていたら、それを回避しようと必死になるような気がします。

もし、早く死ぬことが判っていたなら、勉強や仕事や結婚もしないかもしれませんし、あの人は長生きできるのに、どうして私は早く死んでしまうのと、強い不満を抱いたまま生きてしまうかもしれません。

人生を真剣に生きるために、シナリオは記憶から消去されていると考えられます。



そのような理由から、シナリオで決められていた出来事は、何の前触れもなく起きると考えられます。

人生を変えてしまうような出来事が、突然、身に降りかかってくれば、何が悪かったのだろうと、過去を振り返ったり、周囲を見回して原因を探します。

もし、原因が見つけられなければ、何も悪いことをしていないのに、何故、自分だけがこんな目に遭わなければいけないのかと嘆いたり、運命を恨んでしまうかもしれません。

理不尽さをぶつけるところはなく、神を呪ってしまう人もいます。

しかし、人を不幸にさせるためではなく、何かを学び、自分を成長させるために起きているのであり、自分自身で決めていたことを自覚しなければいけません。



この世の出来事には、シナリオではなく、今生での自分の想いや行いが原因となり、その結果として生じたものも多くあります。

また、他者の自由意志により引き起こされたものや、周囲に因果律が働いて生じたものもあると思います。

もし、はっきりとした原因が見つけられなかったら、シナリオに従って起きた可能性があると思われます。

子供の重い病気や、身近な人の不意の死は、本人のシナリオであると同時に、周りにいる人にとっても、予定されていたシナリオであるかもしれません。

シナリオは過去世に基づいて、魂を成長させるのに最も有効な手段が選ばれ、それが生じる環境が用意されると思われます。

シナリオにある出来事は、その人の魂を成長させる最適のタイミングで起こると考えられます。



過去の過ちを清算する償いとしてのシナリオもあります。

そして、周囲の人を啓発する使命を帯びたシナリオもあります。

偉人として有名なヘレン・ケラーがいます。

彼女は、3重苦という重い障害を乗り越えて行きました。

そして、弱者の視点に立って、社会福祉の推進と啓蒙に生涯を捧げました。

きわめて成長した魂が、さらなる成長を求めるのならば、彼女のような過酷で壮大なシナリオが用意されると思います。



乙武洋匡さんは「五体不満足」という本を書いて、それがベストセラーになりました。

身体障害を1つの特徴と捉えて、普通の人よりも明るく生きているように見えます。

社会的弱者ばかりでなく、生き方に悩む人が、彼の生き様や考え方を見聞きして、励まされていると思います。

自らが重い障害にも負けない強さや明るさを見せて、出会う人たちに困難に立ち向かって行く力を与えているように思えてなりません。

人一倍、力強く、明るく生きて行けるのは、周囲の人の魂を鼓舞させるというシナリオがあり、心の奥底で自覚しているからだと思います。



外面の内側に本当の意味が隠されています。

しかし、多くの人は外面だけを見て判断していると思われます。

身体的特徴や障害、地位や肩書きなどは、その人の外面を表しているだけであり、その人の本質ではありません。

不幸にしか見えない出来事の内側に意味があり、そこに学ぶべき大切なことが隠されています。

もし、学ぶものが何もなければ、病気はいたずらに人に苦痛を与えたり、死に追いやるだけのものになります。

別れの悲しみには、何の意味もありません。

そもそも、悲しみなどなくて良いはずです。

学ぶものがなければ、戦争は果てしなく続くことになるでしょう。

怒りや憎しみが世界を支配して、憎しみ合うために生まれて来たことになってしまうかもしれません。

不可解極まりない、矛盾に満ちた世界となり、人が生きていく価値など、どこにも見出せないでしょう。

しかし、現実は違います。

(肉体的な)命にかかわる病を患ったのであれば、生きていることに感謝して、以前より人生を大切にしている人が多いようです。

愛する人を喪い、深い悲しみに中で、大切なものは見えるものの中にないことに、気付く人もいます。

戦争で街が破壊され、人が死に傷ついていくのを経験したならば、怒りや憎しみの表現がいかに愚かな行為であり、悲しみや憎しみしか生み出さないことに気付く人がいます。



いくら考えてみても、解決方法が見つからない出来事であれば、今まで働いていた頭(脳)は鳴りを潜め、それまで眠っていた魂が目を覚まします。

本当の自分が目覚め、進むべき方向を指し示します。

その方向がシナリオに沿ったものであり、魂の成長を促すことになります。

迷うことなく、そちらに進むべきです。

無我夢中で、その方向に進んで行くと、やがて道が開け、その先に学ぶべき真実を見つけた瞬間、明るい光が差し込んできます。

起きて欲しくはなかったと思うような出来事は、奥底にある魂にまで響いて、目覚めさせ、大切なものに気付かさせますが、真相は、この世で大切なものに気付くために、魂に響くようなが出来事が、シナリオに沿って生じていると思われます。



世の中には、不幸(と言われるよう)な出来事の只中にいる人もいれば、幸せを感じながら生きている人もいます。

この世だけの人生であれば、それでは不公平であり、不平等です。

しかし、人生はこの世だけでなく、過去もあり、未来もあります。

幸せを感じながら生きている人の中には、過去(世)に同じ様な出来事を経験し、すでに学んでいて、今があるのかもしれません。

そして、これからも別の経験して、学び、成長していくことになると思います。

まだ、学んでいない人には、この先、いくつもの出来事が待っているでしょう。

この世は、さまざまな過程の人が混在し、人生の一断面を見ているに過ぎません。

他の人の姿は、過去の自分の姿であり、未来の自分の姿なのかもしれません。

足りないものを学び取り、自分(魂)を強くするために、その人にとって必要な人生を、今、生きています。

学び取ることが違えば、それぞれ人生は違っていて当然であり、自分と他人を比較すること自体が誤りです。



病気、不意の別れ、争いなど、決して経験したくありませんが、シナリオには、そんな出来事が多く含まれています。

それは、この世にしか病気、不意の別れ、戦争は存在せず、あの世では学べないからです。

あの世にないものが、この世に存在しています。

暗闇の中で、光が輝くように、この世は比較対照となるものが存在することにより、大切なことが際立ちます。

比較対照となるものがない、あの世では学びにくいのです。

喪うものがないから、学びにくいのです。

この世にしかない苦痛を通して、学んでいるのです。



本当に大切なものは、見えません。

人に教えてもらうものではなく、魂が目覚め、内から得心するものです。

何もないような人生では、魂は目覚めず、この世で大切なものが何も学べないことになります。



ブログを書いていて、私はいつも驚いていることがあります。

苦痛を与える病気も、悲しい別れも、悲惨な戦争も、そこから学ぶものは、いつも1点に集約されてしまうのです。

それは「愛」です。

目に見えない「愛」の大切さを、この世でしか出来ない体験を通して学び取っているとしか思えません。

一見すると、愛とは関係ないように見える出来事もありますが、愛を表現するためには、より強くならなければならず、勇気と、強い意志が試される時もあると考えられます。



どのような出来事も、愛により、乗り越えていくことができるはずです。

全ての苦しみは、愛により終わりにすることができるはずです。

なぜなら、愛を学ぶために、出来事が生じていると考えられるからです。



人は、いつの日か死にますが、この世でつらい思いをして学んだ人は、その時にきっと胸をなでおろすと思います。

あの世は、魂の世界です。

肉体がないために、隠し立てができません。

目に見えていた肉体(物質)が見えなくなり、目に見えなかった魂と、そこから生まれる想いが露わになります。

美しいものは美しく、醜いものは醜い、ありのままの世界であり、それは自分(魂)から生まれる想いにより決まります。

さまざま想いが光となり、魂から放たれていますが、最も美しい輝きを放っているのは愛の想いであり、醜い想いに光輝はありません。

魂は成長して行くと、高い愛を表現できるようになって行きます。

この世の出来事がシナリオに従って生じるのは、有為転変を経験して、魂が浄化され、濁りのない美しく強い光輝を放ちながら、愛を表現するためです。



愛とは1つになろうとする力であり、調和を生み出す力です。

この世では、想いが全く見えません。

苦しみ、悲しんでいる人の見えない想いを、自分のことにように感じて、共有することにより、世の中が1つになっていくと信じています。

人の想いを、自分のことのように感じるようになるには、それぞれの人が苦しみや悲しみの経験をしなければいけないのかもしれません。

楽しいことだけでなく、苦しみや悲しみを、お互いが共有する中で、強く1つにまとまって行くと思います。

この世の中で起こる出来事は、それぞれの魂を成長させ、魂と魂を愛という力で強く結び付かせ、1つになるためにあると言えます。

個だけでは調和は生まれず、全体の中で調和が生まれます。

個々の魂が、この世の出来事により磨かれて、全体に調和が生まれて行きます。

調和が生まれ、全体の美しさを増していくためには、より高い愛が求められ、そのためにシナリオが用意され、個々の魂は出来事を経験しなければいけません。



多くのことを学びながら、魂を完成させていきます。

この世は、自分に足りない魂のパーツを見つけに来ているようなものかもしれません。

少しずつ見つけながら、完成させて行きます。

誰かにありかを教えてもらうのではなく、経験をしながら見つけ出します。

何のパーツを見つけるのかは、自分でも判りません。

けれども、生まれる前の自分は、はっきりと判っています。

当てもなく探しても見つけられないため、人生の大まかなシナリオが用意されます。

シナリオには、パーツを見つけるための出会いや出来事が、散りばめられています。

不慣れな場所で、見当はずれの方向に行かないために、あの世からの導きも受けます。

出来事には、楽しいこと、うれしいこと、つらいこと、悲しいことなど、さまざまです。

楽しい出来事の時は、周囲は明るくなり、この世のものがはっきりと見えます。

つらく、悲しい出来事の時は、周囲は暗くなり、この世のものは何も見えなくなります。

暗闇に包まれ、立ち止まってしまった時に、ふと上を見上げると、美しい星空が目に留まります。

夜空にひと際輝いている星が、探していたパーツであり、宇宙の真理です。

宇宙の真理は、明るい時には見えず、真っ暗闇の時に光り輝いています。



起きた出来事により、どちらに向かうのかは、本人に任されています。

向かう方向によって、出来事の意味は、大きく変わってきます。

迷わず、自分を成長させる方向に、向かって行きましょう。

なぜなら、自分が承知していた出来事であり、覚悟を決めて、乗り越えて行く約束をしているからです。





参考ページ: 「この世の出来事の意味を知る時」





5 件のコメント:

阿南勝広 さんのコメント...

イクミさま
いつも拝読させていただいております。
内容の素晴らしさに毎回感服申し上げております。
ありがとうございます。

本日はコメントではなくお聞きしたいことがあり筆をとりました。
私は加齢黄斑変性症という眼病を患っている68歳男性ですが、二ヶ月ほど前東京かつしかのシルバーバーチ読書会の主催者様に遠隔ヒーリングをお願いしたところ「霊医の反応がない、これはカルマ清算のための症状では」と伝えられました。
カルマの清算であれば辛いけど受け容れていこうと過ごしているのですが、以下お聞きしたい点です。

・遠隔ヒーリングの成果は霊医の霊格や霊医の管となっておられる霊能者の方の霊格によって左右されるもになのでしょうか。

実は10日前に黄斑付近にかなりの出血があり緞帳がかかったような状態で視野中心がほぼ見えなくなりました、医大に行きましたら来る18日にルセンティスという注射を眼球にすることになりました。

そこで、もしイクミさまのご見解が左右されるというものであれば、是非共一度イクミさまに遠隔ヒーリングをしていただきたいとお願いする次第です。

どうぞよろしくお願い申し上げます。
2015年12月8日(火)
大分市 阿南勝広 アナミカツヒロ
npana0538530@hotmail.com

イクミ さんのコメント...

阿南勝広様

初めまして。イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
加齢黄斑変性症で不自由な思いをされている上に、10日前にも出血をされて視界がさらに悪くなり、不安な日々を過ごされているとお察しします。

ご質問の件ですが、ヒーリングの成果は、霊能者(ヒーラー)によって左右されると思われます。
ヒーラーの霊格により治療に携わる霊医が決まり、患者さんに伝わる霊力も、ヒーラーを通過する際に質が落ちることが考えられるからです。
ただ、カルマがまだ残っていれば、どんなに霊格が高いヒーラーでも、病気を癒すことは出来ないのも確かです。
ヒーリングにより病気が改善しない時に、ヒーラーが原因なのか、カルマによるものなのかを知るすべは、残念ながらありません。
また、地上の医者と同じく、霊医にも専門性があるようであり、ヒーラーに付いている霊医がその病気に詳しくないのであれば、思ったような成果が期待できないことも考えられます。
最も偉大なヒーラーの一人と言われるハリーエドワーズは、あらゆる種類の病気を癒しましたが、幅広く対応できたのは、数多くの霊医が携わっていたためと考えられます。
地上の人間が、事前にヒーリングの成否について断定するのは難しく、私も霊界に波長を合わせて、霊力を受け入れ、患者さんに伝えるだけです。
結果を見て判断するしかなく、もし改善が認められなければ、患者さんに要因があるのかもしれませんし、自分の力不足のせいかもしれません。
治癒力は間違いなく存在しますが、未知のことだらけであり、不確定な要素がたくさんあることを承知して下さい。

阿南様の眼底出血がヒーリングにより引いて、視力が直ちに元通りになる可能性は、もしかしたら高くはないのかもしれません。
どのような経過を辿るのか全く予測はできませんが、私でよろしければ、喜んでヒーリングをさせていただきます。
今晩10時に行いますので、ベッドやソファーの上で、リラックスしてお待ち下さい。
時間は10分~30分程度で、もし眠くなったら、眠ってしまっても構いません。
患部に少し痛みを感じるかも知れませんが、心配なさらないで下さい。

ご存知かもしれませんが、ヒーリングの目的は霊的覚醒にあります。
病気の治療を通して、見えない力が存在していること、肉体を超えた魂の存在を実感していただけたなら、たとえ肉体的に明らかな改善が認められなくても、深いレベルで大きな成果があったと考えられます。
もちろん、病気が治るのに越したことはありませんので、全快することを祈念しつつ、ヒーリングを行いたいと思います。

阿南勝広 さんのコメント...

イクミさま
ご丁寧なお返事ありがとうございます。
昨日遠隔ヒーリングしていただいていたんですね、ありがとうございました。

実は、お返事はアドレス(npana0538530@hotmail.com)にいただけるとばかり思ってしまっていましたので、昨日このブログを開くことなく見損なってしまいました、誠に申し訳ありませんでした。

イクミさまのおっしゃる通りでして、遠隔ヒーリングをしていただく目的はもちろん眼病の治癒ですが、真の目的は治癒を経験することで魂の存在を確信したいの思いからです。

今回私の落ち度で結果がわからないのですが、イクミさまの言われるように自分自身に実感がなくとも、魂の深いレベルで何らかの気付きが生まれていることを期待している次第です。

またイクミさまに教えていただくことがあるやもしれませんが、そに折には何とぞよろしくお願い申し上げます。
二十数年前からシルバーバーチに親しんでまいりましたが、イクミさまのような方に巡り会えたことに心から感謝しています。

ありがとうございました。
阿南勝広

イクミ さんのコメント...

阿南勝広様

こんにちは。
こちらこそ配慮が足りなく、申し訳ありませんでした。
実は、一昨日に続き、昨晩も行ってみましたが、私の感触としては、両日共に、明らかに霊力は送られて行きました。
個人差により、霊力が届くのが判る人もいれば、何も感じない人もいますが、どちらにしても届いていると思います。
もしよろしければ、今晩10時にもう1度、ヒーリングを行いたいと思いますが、いかがでしょうか?

阿南様はシルバーバーチの霊訓を20年以上も親しまれていると知り、私のブログで何か間違いやご意見があれば教えていただければ幸いです。

PS:いただいたコメントは原則的に公開するようにしていますが、差し支えはありませんでしょうか? イクミ

阿南勝広 さんのコメント...

イクミさま
そうでしたか、昨夜もしていただいたんですね、ありがとうございます。

いま、「なるほど、そうだったのか」の思いの中にいます。

私はガラケイ(携帯)の下書き欄に日々感じたことをその場で日記にします、つけ始めておよそ8年ですが、今日の午前中につけた日記の内容が以下です。

「前の道でフジコさんと話していて昨日より右目が良くなったような気がしている、イクミさんの遠隔ヒ-リングの結果であればありがたい、大霊様ありがとうございます。」

一字一句つけた通りの内容です。

大分地方は昨夜からかなりの雨があり、7年前氾濫した家の前の祓川の水量がどうだろうかと午前中見に行きました、すぐ近所のフジコさんが来られて水量のお話していたとき右目の暗さが少し薄れているのに気づいたのですぐそのあと日記につけました。

今夜10時の遠隔ヒーリングどうぞよろしくお願い申し上げます。

イクミさまのブログはとても素晴らしく拝読させていただく度に感銘を受けています。
私も残る人生の中で「凡人のシルバーバーチ」なる本を書きたいなあと思っています。煩悩にまみれた人間(自分)がいかにしてシルバーバーチにたどり着いたのかを赤裸々な失敗談を交えて書くつもりですがさてどうなりますやら。

公開まったく差し支えありません、どなたかのお役に立ってくれればと思います。

重ね重ねありがとうございました。
anami
npana0538530@hotmail.com