2015年8月30日日曜日

向こうにいる人を愛する


亡くなった人は、今、どこにいるのでしょうか?

どこを見渡してみても、その姿はありません。

耳を澄ましても、わずかな声すらしません。



何も感じられないのであれば、存在自体が消えてなくなってしまったと、思う人もいるでしょう。

肉体は確かに消えてなくなってしまいました。

しかし、亡くなった人を確立させていた本質的な存在は、荼毘の炎に焼かれて消えてなくなるものではありません。

本質的な存在は、次の世界で生きています。

意識も記憶もあり、性格も生前と変わりありません。

肉体以外は、何一つ失われずにいます。

本質的な存在を、多くの人は魂と呼んでいます。

物質的なものではないので、説明する妥当な言葉は見つかりませんが、生命そのものであるのは確かです。



死とは肉体と魂の永続的な分離であり、この世から次の世界へ移行する現象です。

次の世界に移行した瞬間、肉体ではなく霊的な媒体により、自分を表現し始めます。

ただ、霊的な媒体は物質ではないので、この世の人の目には映りません。

この世に残された人にとって、完全に見えなくなってしまうのは、途轍もない大きな変化です。

当たり前のように見えていた存在が、急に視界からいなくなってしまうのは、とても寂しく、これ以上悲しい出来事はありません。



死んだ後も、魂となって生きていると言われても、何か証拠がなければ信じられないと思う人も多いでしょう。

あなたと故人しか知らないことを、第三者から言い当てられたならば、それは確かな証拠となるでしょう。

そんな霊的な能力を持った人は、人知れずいるのですが、巡り合う機会はなかなか訪れません。

どうしても生きている確証が欲しい、今、何を思っているのか知りたいと、心の底から願うのならば、導かれ、願いが叶う日が来るかもしれません。



でも、そんな必要はありません。

確証なんてなくても、間違いなく生きています。

そして、何を想っているのか、知ることも可能です。

もし、亡くなった人とあなたが、この世で心から愛し合っていて、今も忘れることがないのであれば、死とは関係なく、魂と魂は同調しています。

魂と魂が同調していれば、ラジオと同じように、向こうからの想いは自然に伝わってきます。

向こうに行った愛する人は、どれだけあなたに、今の自分の想いを伝えたいのか分りません。



思い出してみて下さい。

亡くなった人から受けた愛を。

あまりにもたくさんあり過ぎて、思い出せないかもしれません。

共に過ごした日々が、愛そのものであり、魂はいつも同じ想いで、同調していたはずです。



愛が生まれるところが魂です。

無機質な頭脳から生まれるはずはありません。

この世では、目に見えるもの、耳に聴こえるもの、肌に触れるものを頼りにして、私たちは生きています。

愛は確かに存在していると、心では分っていても、五感に触れるものではないので、幻影に思えてしまうこともあるでしょう。

幻影ではないことが、はっきり判っているのは、向こうにいる愛する人です。

とても理解しがたいのですが、この世の人とは真逆で、向こうにいる人にとって、物質は霞のよう見え、愛には実体があります。

愛することは、魂のごく自然な発露です。

次の世界では、愛することは生きることに限りなく近いものです。

愛の意味に目覚めています。



愛は、お粗末な言葉では、とても表現できないほど、深遠なものです。

愛の想いのすべてを、行動で示して伝えることは、不可能です。

言葉や行動は、想いを伝える手段であり、すべてを完全に表現できません。

この世では、身体を使って、ぎこちない行動や不十分な言葉で、想いを表現して相手に伝えなければいけない、とても煩わしく、曖昧な世界と言えます。

言葉や行動は、想いが反映されたものに過ぎませんが、この世の人はそれが確かなものであると思っています。

想いが実体であり、想いが伴わない言葉や行動は幻影です。



愛する人が生きているのは、肉体という媒体を介して間接的に想いを伝える、私たちが生きている世界とは全く異なり、直接相手に想いを伝えることのできる思念の世界です。

隠すもの(肉体)はありませんので、想いしか見えません。

この世よりも、ずっと深く分かり合える世界で生きています。



そんな、この世に生きていても、想いが伝わることがあると思います。

目と目を合わすだけで、相手の思うことが、言葉を超えて一瞬にして伝わり、分かり合える瞬間があると思います。

お互いの想いを知ろうとする者同士、同じ想いにより同調している者同士であれば、行動や言葉などを介さないで、相手の魂から自分の魂に、想いは伝わります。

もし、その想いが愛であれば、心地良い悦びが生まれます。

物質を媒体とする、言葉や行動による表現よりも、直接、魂に伝わる想いは鮮明であり、強烈です。

魂が想いに共鳴して、相手と同じ想いが生じます。

それは、何の虚飾もない真実の想いです。



愛する人のために、気付いて下さい。

想いは伝え合うことができることを。

地上での会話のようにはいきませんが、習熟すれば、愛する人の今の想いを知り、この世に生きる人を導いてもらうこともできます。



あなたと愛する人の認知している世界は、それぞれ違います。

この世は、(肉体を使って表現する)物質的な世界です。

どこを、どう見渡しても、物質しか見えません。

この世の人が認知できない世界に、愛する人は生きています。

臨死体験をした人が、わずかに垣間見て、その様子を伝えることがあります。

この世に戻って来たくなかったと言うほど、幸福感に満ちた世界だったと、異口同音に語っています。

そんな世界に愛する人がいるならば、すぐに行って、逢いたいと思う衝動にかられる人がいるかもしれません。

しかし、その行為は明らかに自然の摂理に反しています。

愛する人との再会は許されないどころか、闇に閉じ込められて、とても苦しい思いをしなければなりません。

そんな悲劇的な間違いを犯さないために、愛する人がいる世界は、こちらからは見えなくなっていると思われます。



自然の摂理を創造した偉大な存在は、向こうの世界にいる人との間に、想いを伝え合える、つながりを残してくれたと思います。

偉大な存在は、やはり愛であると感じます。

愛する人とつながるには、魂の存在を否定するような、固定観念から解放されなければいけません。

「人は死んだらお終い」、「魂は宗教が作り出した産物」、「あらゆる現象は大脳の働きで説明がつく」等、無知に基づく、いかにも常識と言わんばかりの言動に惑わされてはいけません。

魂は存在し、愛する人が次の世界で生きているのは真実です。

そんな重要な真実が、これから少しずつ、世界中に浸透していくと考えられます。



あなたの本質も魂です。

あなたの魂と愛する人の魂は、同次元の存在です。

従って、向こうにいる人の魂から生じる想いを、受け取ることができます。

愛する人は傍にいて、良い方向に導こうと、こちらに想いを伝えようとしています。

その想いは、インスピレーション(ひらめき、思いつき)、イメージ、バイブレーションとなって、こちらの魂に伝わります。

こちらの人が、伝えた想いに気付いてくれたら、愛する人にとって、これ以上うれしいことはありません。

しかし、伝わってきた想いを、気のせいだと片付けてしまえば、落胆してしまいます。

日常の喧騒から離れて、頭を空っぽにして、愛する人の想いが降ってくるのを待って下さい。



伝わってくるのは一瞬であり、日常生活をしていて、突然くるかもしれません。

自分の頭脳から生まれた「考え」と、愛する人から伝わってきた「想い」の鑑別がつかない時があるかもしれません。

表現しにくいのですが、伝わってきた想いには、愛する人らしさ、もしくは香りがあり、自分の考えには、それは感じません。

頭脳から生まれる無機的な考えとは違い、想いには温もりや親しみを感じると思います。

愛する人を、想起させるようなものであれば、それは向こうから伝わってきた想いであると思います。



人の本質は魂ですが、この世の人は、魂から生じる想いを、肉体という媒体で表現しなければならないので、どうしても想いは不完全に伝わります。

次の世界の人は肉体という媒体はないため、想いが完全に表現されて、すべてを伝えることができます。

ありのままの想いが表現され、完全に分かり合える、すばらしい世界にいますが、肉体という媒体はありませんので、この世に生きている人に、想いを伝えるのは、極めて困難な状況にあります。

けれども、どうしても伝えたいことがあれば、愛が原動力となり、気付くまで魂に伝えてくるでしょう。

大切なことは、向こうから伝えようとしている想いを、こちらでしっかりと受け止めることです。



それぞれが異なる次元に生きていても、想いは伝わります。

愛により同調した魂同士であれば、想いを伝え合うのは可能です。

しかし、五感からの情報や、悲しみや後悔の念は、想いを受け取る障壁となります。

頭脳は鎮まり返り、あらゆる感情から解放され、魂が前面に出てきた時に、想いを受け取る準備は整います。

心を穏やかにして、その時が来るのを待って下さい。

愛する者同士は、すべてを乗り越えて、つながる時が必ず来ます。



この世に残された多くの人は、大きな愛を受けながらも、十分に返しきれていなかったと、悔やんでいます。

もっと、やさしくしてやれば良かったと、悔やむ必要はありません。

想いを表せなかっただけであり、愛の想いが自分に向けられていたことが、痛いほど判るからです。

想いを伝えておけば良かったと、悔やむ必要もありません。

あなたの想いは、愛する人にはっきりと伝わっています。

言葉や行為を通す必要がない分、この世にいた時よりも、正確に伝わっています。

今の想いで、十分幸せだよと、きっと伝えたいのだと思います。



愛の本質は、言葉や行動ではなく、想いです。

向こうの世界は、想い(思念)の世界です。

こちらの想いは、向こうにいる魂に、直接伝わっています。

従って、この世から、愛することはいくらでも出来ます。

愛する想いを、この世から投げかけてもらうのは、とても幸せなことです。



もっと、具体的に愛することはできないのでしょうか?

人を喜ばせるのは、とてもうれしい愛の表現です。

傍で見ている愛する人が、喜ぶような生き方をしてみてはどうでしょうか。

愛する人が、周囲の人にやさしい人であれば、あなたが人にやさしくしてやれば、とても喜ぶと思います。

前向きに、力強く生きた人であれば、あなたが前向きに、力強く生きれば、その姿を見てきっと喜ぶと思います。

愛する人が心がけていたことを、あなたがすれば、それはきっと喜びにつながると思います。



それよりも喜ぶのは、あなたらしく、生きることだと思います。

あなたらしい振る舞いや、あなたらしく生きる姿を傍で見ているのは、微笑ましく感じ、とても好きだからです。

愛する人が褒めてくれたこと、好きだったことを、少しやってみてはどうでしょうか。

あなたの歌を聴くのが好きだったのであれば、気持ちを込めて唄ってみましょう。

肩を揉むのが上手だと褒めてくれたなら、誰かの肩をやさしく揉んでやりましょう。

一所懸命に働いている姿を見るのが好きだったのなら、一所懸命に働いている姿を見せてやりましょう。

料理をおいしいと食べてくれたのなら、気持ちを込めて料理を作ってみましょう。
作った料理は、もちろん食べてもらえませんが、その想いはしっかりと噛みしめているでしょう。

あなたらしくと言っても、無理をしてではなく、前のように、ごく自然な気持ちでするだけです。

自然なあなた、普通のあなたが好きなのであり、そんな姿を傍で見ていたいのだと思います。

以前と何も変わっていません。

自然な想いは、亡くなった人にやすらぎを与え、そのやすらぎは、同調している、あなたの魂に返ってきます。

喜ばそうとするあなたの想いに喜び、その喜びは、あなたの魂に返ってきます。

愛する人を喜ばすことは、この世にいてもいくらでも出来ます。



向こうにいる愛する人は、あなたの想いが手に取るように判っています。

そして、ここぞと言う時に、想いを投げかけて、成長する方向に導こうとしています。

それは、より大きな困難が待ち受ける方向かもしれません。

孤独な時を、耐え忍ばなければならない方向なのかもしれません。

この世の人生の意味が見えています。

大事なのは、人生で出会うさまざまな出来事を、あなたらしく乗り越えて行くことだと知っています。


その時は、きっと力を与えてくれると思います。

生前の様に、言葉や行動により、助けてもらえるわけではありません。

あなたの魂に働きかけて、励まして、勇気付けて、支えてくれる、想いという力の素を与えてくれます。

受け取った想いは、あなたを突き動かし、立ち向かって行く力となります。

想いに素直に従えば、最善の方向に導かれます。

自分の魂に生じた想いに、素直になって生きることを望んでいます。

この世を、あなたらしく生きて、成長していく姿を、傍で見ていたいのです。



この世にいるのか、向こうの世界にいるのかは、問題ではありません。

お互いに同じ想いでいるか、魂が通じ合っているかです。

愛する人は、見えなくても傍にいます。

目に見えなくても、支え合い、心を温め合い、励まし合うことは出来ます。

想いを通じて、愛し合うことは出来ます。

愛の想いは、行為や言葉を超えたものであり、そこには何の障壁もありません。

想いは、魂を表すものであり、お互いの実体です。



向こうにいる人に、あなたらしく生きているのを見せて、やすらぎを与えて下さい。

それは、向こうにいる人を愛することだと思います。



















8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんばんは。
いつも、イクミ様のブログに癒されています。
ありがとうございます。

以前、亡くなった娘のメッセージを受け取りたい、受け取れますか?というコメントを書かせていただいた者です。
その節は、丁寧なご返信をいただきありがとうございました。

あれから、2回ほど、娘からのメッセージではないかと思われる想いを感じました。
もしかしたら、私の勘違いかも知れません。
私がその時思っていたことへの返事のようなメッセージだったので、私の思考?とも思ったのですが、
ふっと何か湧き上がるようなものを感じたんです。
私が、「~~~~~だよね…」と言い終らないうちに、その想いは降ってきました(降ってきたという表現が一番合いそうです)
「ん?もしかして、あなたからのメッセージ?」と尋ねましたが、その返事はありませんでした。
でも、そのあとは、何かわくわくするような気持ちになり、自然と顔がほころんでいました。

こんな小さなことでも(私にとっては大きな一歩なのですが)、これからの生きていく糧になります。
娘の姿形は見えないけれど、魂はいつもばに居てくれてる!
そう思えるだけで、幸せを感じます。

前回の返信の中に、
「心の底から、魂として娘さんは生きていると、お母さんは信じているでしょうか?」
という言葉がありました。
それを読んでドキッとしました。
実は、魂の存在は信じたいけど、私の中ではどちらかと言えば、まだ半信半疑の状態でした。

しかし、娘の想いを感じることができてからは、魂の存在を信じることが出来るようになり、ふと気が付けば娘にいろいろと話しかけています。もちろん心の中でですが。
娘は、私の想いをたくさん受け止めてくれていますよね。きっと。
私も、もっと娘の想いに気付けるようになれたらいいなと思います。
『愛』があれば、私たちは離れることはないんですよね。

今回の記事を拝見して、娘のメッセージと思われる想いを感じることができたことをお伝えしたいと思い、コメントさせていただきました。

長々と申し訳ありません。

これからも、記事の更新を楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。


イクミ さんのコメント...

こんにちは。
ご報告ありがとうございます。
娘さんからの想いを感じることができたと聞き、とてもうれしく、安心しました。
このような現象が、実際に起こるのは、多くの人にとって理解しがたいことだと思います。
私も理系の人間であり、10年前は極めて懐疑的でした。
しかし、ヒーリングの力が突如出現し、シルバーバーチの霊訓を繰り返し読みながら、見えない世界は確かに実在していることを得心していきました。
この世とあの世がつながっていることを確信したのは、5年前に交通事故で亡くなった、幼いお子さんからのメッセージを受け取った時です。お子さんが亡くなった土地に、仕事の関係でたまたま訪れていたのですが、ふと立ち寄った神社で突然、文章が降ってきました。
自分で考えではないと思ったのは、その文章を私が受け取った時に、とめどもなく涙が流れてきたからです。
それは数分間続きました。メッセージの本質は文章ではなく、向こうにいる子供の、残された親に向けた親愛の想いだと、その時実感しました。純粋で強烈な想いに、私の魂が共鳴して、感極まったのだと思います。もちろん、そのメッセージはすぐに御両親にお渡ししました。
ブログにも書きましたが、こちらの想いは、向こうにいる人には手に取るように分かります。向こうの人の想いをこちらの人が受け取るのは、お互いの努力と、ある種の慣れが必要と思われます。
心の中で話しかけて、たとえ反応がなくても、想いは向こうに届いています。
向こうの人が、メッセージとなる言葉やイメージを、この世の人の魂に植えつけるのは、修練が必要のようであり、こちらでも送られたメッセージを逃さないようにしなければいけません。
向こうから投げかけられた想いは、こちらでは降ってきたように感じるのだと思いますが、電話のようなやり取りは出来ないと考えて下さい。
お母さんに伝えたいことは、きっとたくさんあると思いますので、お互いに上手くいくまで、焦らずに、気長に待つようにして下さい。

娘さんは、ようやくお母さんの考え方が変わってきて、傍にいることがやっと分ってくれるようになり、とても安堵していると思います。その安堵の想いが、お母さんの魂にも伝わって来て、心が安らぐと思います。
見えない、触れられない、しゃべれないのは、とても寂しく、悲しい現実ですが、娘さんの本質は傍にいて、触れ合いを求めています。これからも話しかければ、自分の想いをすぐに返してれると思います。いつも、お母さんと一緒にいられるという安心感ほど、娘さんにとって、うれしく、ありがたいものはありません。

今から、数十年前に、このような文章のやり取りをしていたならば、おかしな考えを持った人たちと、怪訝な目で見られたかもしれません。しかし、時代は変わり、物質的なものから、本質(霊)的なものに目覚めていく、大きな変換点に来ていると思います。
深い悲しみの中で、シルバーバーチの霊訓に出会えたのは、きわめて幸運だと思います。
死後の世界のようすをはじめ、そこに書いてあることは、全て真実と思っていただいて差し支えありません。これ以上、価値のある真実は、他を探しても見つけられません。
もし、この先お母さんがその真実(霊的真理)を受け入れられたのなら、同じ境遇で悲しみ、苦しむ人に分けてやって下さい。
そうすれば、娘さんの死は、別の意味を持ったことになります。

霊的真理がお母さんの魂に届くことを、心から祈っています。

匿名 さんのコメント...

ご返信ありがとうございました。
私も理系出身で、この世で起きる全ての現象は、科学で証明することができるもののみであると信じ込んでいました。
だから、このようなやり取りを、もしも娘を亡くす前の私が読んだのなら、恐らく、この人たちってちょっと変な世界に入ってしまっているな…と感じたであろうと思います。
そんな私でしたから、娘を亡くした時のあの絶望感は、どう表現したらいいのかわからないくらい衝撃的なものでした。

しかし、そうです。
私は『真理』に救われました。
それまでの私なら絶対に信じなかったであろう真実がそこにあり、それによって私は生きていく力をもらいました。

でも、まだまだ、辛く悲しく寂しい想いは続きます。せめてあの子を想う時、思い出す時、寂しくなるのではなく、こんなことあったよねーって懐かしく感じるようになりたいと思っています。まだ、そのような心境はほど遠いのかも知れませんが…
とにかく、
シルバーバーチの霊訓を、これからも読み進めていきたいと思います。

話は飛びますが、メッセージを受け取るには、頭ををからっぽにすることが大事と言われますが、雑念が次々と頭の中を飛び交い、なかなかからっぽの状態になりません。
また、瞑想…といっても、すぐに眠くなり…
なかなかうまくいきません。

まず、霊訓を学びながら、焦らず気長に待ちたいと思います。

いつもありがとうございます。
これからも、ブログを拝見させていただきます。
よろしくお願いいたします。

寛子之恵 さんのコメント...

イクミ様。
こんばんは。お久しぶりです。
いつもブログを読ませてもらっております。
本当に色々な方達がいるのですね。
そして、つながっているのをしっかり感じ、分かり合えている方達を大変羨ましく思っています。
私はちゃんとつながっているのかなぁ?最近は不思議な事もあまり多くなくなってきたし。でも彼の事を大好きですし、毎日ちゃんといっぱい思い出しているし、声をかけて、想いが込み上げ涙ぐんだりしたりと相変わらずです。だいぶ穏やかにはなったと思います。
それもイクミ様にたくさん、教えてもらい、聞いてもらったおかげだと思います。本当にありがとうございます。

もしかしたら眠っている時に会っていたのかなと思う時があります。全く覚えてはいないのですが、目を覚ました時にほんわかする事があります。
でも、今朝は彼の夢を見ました。
彼が私を家の前で抱きしめてくれていました。人の目を気にせずに強く抱きしめてくれていました。
多分、私は彼が亡くなる前のかなと。私は彼に
「体調大丈夫?もうすぐ死んでしまうんでしょう。」って言うのです。そしたら彼は
「俺は大丈夫。俺は死なない。俺は生きている。」って言ってました。その後はよく覚えていません。目を覚ました時に私は、彼は私の事を久しぶりに抱きしめたくなったのかなと思いました。
きっと彼も寂しくなったのかな?私もこの世ではもう、彼に触れることも、声を聞くことも、見ることもできないから寂しさがいっぱいで。
だから夢を見させてくれたのでしょうかね?
彼は何か伝えたかったのでしょうかね?
不思議な夢でした。

私は見えなくても、彼はちゃんと生きていて、そばにいてくれると信じています。

イクミ様。
読んでいただきましてありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

寛子之恵 様

こんばんは。お久しぶりです。
そうなのです。
私の想像を超える出来事が、実際に起きて驚いています。
最愛の人の存在を強く信じる人に、奇跡のようなことが起きるのです。
あなたも、その人たちに負けない位、信じていると思いますが、彼が少し恥ずかしがりで、派手な演出は好まないのかもしれません。

穏やかさを取り戻して来たので、彼も安心しているでしょう。
きっと、あなたの想いをしっかりと感じながら、気持ち良く奉仕の生活をしていると思います。
あなたへの想いは変わることはありません。
しっかりとつながっているから、不思議なことを起こす必要がないのだと思います。

夢で会って、お互いの愛を確認して、朝になるとあなたが戻るのですが、ほんわかするのはその時の余韻が残っているためです。
あなたが彼に抱きしめられたいように、彼もあなたを抱きしめたいのでしょう。
彼と会っている時に、あなたはこの世だと錯覚しているので、死んでしまうとあなたは言ったのでしょうが、そこは彼が今生きている世界なので、俺は死ないと言ったのであり、それは事実です。
もし、あの世で死に相当するものがあるとしたら、それはこの世に生まれる時です。
別次元で、生きることになるからです。
しかし、愛が続いている限り待っていて、あなたが行った時に、この世に生まれていないことはありませんので心配しないで下さい。

神様は、信じる者を祝福してくれます。
信じ合わなければ、次元を超えて、愛し合えないからです。
あなたの気持ちは、神様の心に適っていると思いますので、きっとさりげない形で、素敵な出来事があると思います。

寛子之恵 さんのコメント...

イクミ様。
いつもありがとうございます。
彼がまだこの世で生きていた時に、私は夜、一人で散歩をしていたら、流れ星を2回ほど見たことがあり、咄嗟に願い事は「彼とずーっと続いていられますように」でした。今も私の願い事です。きっとこういうことだったのかもしれませんね。見えなくなったけれど想いはずーっと続いている。それから最近よく思うのは、私は本当にドジでおっちょこちょいで、全然しっかりなんてしていなくて。こんな私と彼はよくお付き合いしてくれたなぁ。いつも温かく受け入れてくれて。彼には本当に大事にしてもらっていたのだなぁって。
こんな私だけれど、これからもどうぞよろしくお願いします。一緒にいてね。って言ってます。
イクミ様にも以前言われた彼の言葉で、気持ちはいつも届いているからっていうのも、よく思い出しています。
本当にありがたいです。彼はすごい人ですよね。
感謝、感謝です。

イクミ様、読んでいただきましてありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

寛子之惠様

こんにちは。
愛も魂も、存在を証明することは出来ません。
証明できないものなので、信じるしかないのです。
信じない自由も、神は与えていますが、そちらに進んで行くと、苦しみや悲しみが待っています。
信じない過ちは、摂理の働きより、正されます。

あなたと共にいることを、私から改めて強調して欲しいようです。
繰り返しになりますが、事実なのでもう1度言います。
あなたが想う時、あなたのすぐそばにいます。

彼の存在と愛する想いを信じることが、最も喜ぶ愛の表現だと思います。
彼の愛により、ここまで来れたことに感謝して下さい。

寛子之恵 さんのコメント...

イクミ様。
こんばんは。
いつもありがとうございます。

今日もまた、イクミ様のコメントを読んでいたら彼の想いが伝わって来て、涙が溢れ出て来ました。
ありがたいです。
そうですよね、本当に。
彼が去年突然亡くなって、私はもう悲しくて寂しくて。仕事中も悲しくなり、トイレや台所に行って泣いて、仕事終わってからもまた一気に車の中で泣いて。とにかく毎日毎日悲しくて泣いてばかりいましたね。去年の今頃も泣いてばかりでした。きっと彼もそんな私を見て悲しんでいたのでしょうね。
そんな中で彼は私に一生懸命に自分はいるから、生きているからとわかってもらおうと不思議な事を沢山おこしてアピールをしてくれていたのですね。
それだってもしかしなくても簡単な事ではないかもしれないのに。しかもそう働きかけても私が全く気付かずわからないで、ただただ悲しんでいるだけかもしれなかったのに。
今、思い出しても本当にいっぱい不思議な事があったのだと。
イクミ様に出会わせてもらったのも、彼の働きかけですよね。
そして、私はちゃんと気づかせてもらいました。
彼がいてくれているのも信じる事ができました。
彼がいっぱい働きかけてくれたのですね。
彼にまた改まって「いつもありがとう。」って思います。あなたに出会わせてもらって私は本当に幸せです。あなたとこうして今もつながって通じて感じることができて本当に嬉しく思っています。
私はこれからもずっとずっとあなたと一緒にいます。いさせてくださいね。
私はあなたの事が大好きです。
ずっとこれからも。

私はそう思っています。これからも彼を信じながら生きていきます。

イクミ様、長文におつきあい下さいましてありがとうございます。いつもすみません。