2014年11月30日日曜日

ガンの正体は表現されなかった想いである


無知と言う暗闇は、人に恐怖を与えます。

先になにがあるのか何も見えず、自分の置かれている状況が分からないからです。

手探りでは、足がすくんでしまい、どこに行っていいのかもわからなければ、一歩前に進むことはできません。



知識は、周囲を明るく照らす光です。

自分が進むべき方向を、指し示してくれます。

周りが照らされ、進むべき方向が分かれば、迷いや怖れはなくなります。



すべての病気に原因があります。

難治性の病気の多くは、未だ原因が解明されていません。

ガンという人々に恐怖を与える病も、何らかの原因があってが生じているはずですが、全容は残念ながら解明されていません。



原因があって、結果が生じるのは、病気に限ったことではありません。

交通事故は、不注意が原因となって、起きることがあります。

私が、7年前に行政処分を受け、今まで味わったことのない思いをしたのは、良心の声に耳を傾けずに、不正請求という過ちをしてしまったためです。



人に親切にして、動物にやさしくして、社会のために奉仕すれば、人生に実りがもたらされます。

人や動物を傷つけたり、社会に迷惑をかけてしまうと、償いをしなければいけません。

実に単純明快なルール(神の摂理)が、人が生きている地球のみならず、宇宙の隅々まで支配しています。



人に親切して、喜んでもらうと、ちょっと恥ずかしくもなりますが、うれしくなり、気持ちが良いものです。

気持ちが良く、あたたかくなるような気がするのは、神の心である「愛」を表現することで、神からの愛を自分が受け取っているからだと思います。

人に冷たくしたり、傷つけてしまうと、後悔をしたり、とても嫌な気持ちになってしまいます。

神の心に反した想いを抱いて、それを表してしてしまったために、因果律が働き、心苦しさを感じてしまうのだと思います。



原因があって結果が生じる「因果律」は、神の摂理の根本原理であり、万物を支配していています。

社会の法律は、人の行為または言葉に対し適用され、犯せば罰せられるために、ほとんどの人は守って生活をしています。

しかし、神の摂理は言動のみならず、自らの「想い」にまで働いていて、表に出さず、人に知られなくても、厳格に結果をもたらします。



痛みや苦しさを感じさせる出来事は、偶然や不運ではなく、摂理に反した想いを抱いたり、行い(表現)をしてしまったために、生じています。

何かしら、愛に反する行いをしていたり、愛に反する想いを抱き続けていたために、それが過ちであることを知らせるために、痛みや苦しさを感じさせる出来事は生じます。

時に、耐えがたいほどの苦痛により、心身がぎりぎりのところまで追い詰められることもありますが、崖から突き落とされて、再起不能となってしまうようなことはありません。

苦痛の経験は、愛に反する行いや想いの償いであるとともに、大切なことに気付いて、生き方や考え方を変えるためにあるからです。



人それぞれに、この世で学ぶべき、大切なことがあります。

最適な時期に、最適な形で、苦難や悲劇と言われる出来事が生じています。

降って湧いたような、悲惨な出来事であっても、目的があって生じています。

その目的とは、償いであったり、何かを学び取ることだと思います。

苦難や悲劇が身に起きれば、何とかして乗り越えようと必死になり、余計なことは考えなくなります。

必要のないものは、ことごとく削ぎ落とされていきます。

そして、最後に残ったものが、本当に大切なものであり、この世で学び取るものだと思われます。



苦しみ、痛み、悲しみを十分すぎるほど味わい、崖っぷちまで追い詰められて、初めて大切なことに気付きます。

眠っていた魂がようやく目覚めて、大切なことに気付きます。

苦しみ、痛み、悲しみは償いであるとともに、魂に目覚めさせる触媒であるため、大切なことに気付いたのならば、終わる時は近づいていると思われます。

償いが終わったならば、今までの苦しみや痛みがうそのように引いていき、つらい出来事から解放されると思われます。

生き方や考え方が変わり、新しい人生、本当の人生が始まり、前の自分に戻ることはありません。



世の中には、病気により、つらい生活をされている人がたくさんいます。

苦痛が償いとしてあるのならば、苦痛から解放される時が、必ず来るはずです。

しかし、現実には病気が進行して、亡くなってしまう人も多くいます。



大切なことに気付くとともに、病気が癒やされ、生まれ変わったように、この世で新たな人生を歩んで行く人もいれば、さあこれからが始まりだと思っていたのに、亡くなってしまうが人がいます。

死は敗北を意味するのではありません。

生が幸運で、死は不運と考えるのは、間違いです。

亡くなった人にとって、死は新たな始まりであり、前世で身を持って学んだことを活かすような人生を歩むために、この世にまた生まれてくるでしょう。



しかし、この世で新たな人生を歩むべき人が、間違った方向に進んでいき、亡くなってしまうことが、少なからずあるように思えます。

病気の本質を良く知らないために、ガンは死に至る病という、大きな誤解が生まれています。

死に対する怖れが生まれて、それを解消するために、ほとんどの人は医者にすべてを託します。

医者は、病気の一側面を深く知ってますが、全体像を把握しているわけではありません。

ガンの根本原因は、未だ解明されていないにもかかわらず、大きな侵襲を伴う対症療法が一般的になっています。

外科手術はガンの根治療法だと言われますが、原因不明の病気に、果たして根治療法は存在するのでしょか。

根本治療は、根本原因が分かって、初めて確立されます。

悪いところがあれば取り除くという治療は、根治療法とは程遠いと感じるとともに、時として、悲劇をもたらしていると思います。



自然科学に基づく西洋医学は、検証可能な物質次元を対象としているため、魂(霊)の存在を認めていません。

人類の叡智を結集しても、未だにガンの根本原因を突き止められないのは、科学の対象となる物質次元ではなく、霊的次元に原因が存在すると、考えてはいけないのでしょうか。

もし、証明できないものを、否定するのであれば、「生命」も存在しないことになってしまいます。

どんなに否定されようとも、真実は1つであり、魂は間違いなく存在します。

魂の存在と、霊的法則を認めれば、ガンと言う病気について、合理的解釈が可能です。



人は肉体だけでなく、目に見えない精神(心)があり、そして精神(心)を生み出している源に、魂があります。

一人の人間は、肉体と精神、そして魂から成り立っています。



病気は、肉体次元、精神的次元、霊的次元のどこかに原因が存在して、心身に発症します。

ガンは、肉体次元(放射線、遺伝子、発ガン物質等)に要因も存在しますが、主因は霊的次元にあると考えられます。

霊的次元の原因とは、「表現されなかった想い」であり、それは摂理に反した、怒り、憎しみ、恨み、妬み、貪欲などの想いです。



魂から生じた想いは、肉体で表現されています。

人生で出会う、人や出来事により、さまざまな想いが生じています。

喜びの想いであれば笑顔となり、悲しみの想いであれば涙となり、肉体で表現されています。

しかし、まだ幼かったり、あまりに衝撃的な出来事であったりすると、生じた想いを、肉体で表現し切れなくなります。

表現できなかった想いは、魂に滞ることになります。

滞った想いがあると、魂の様相は変わり、摂理に反した、怒り、憎しみ、恨み、妬みなどの想いが生じ易くなります。

魂の向上を目的として、この世に生まれてきたはずなのに、滞った想いがあるために、向上を妨げる想いが、次々と生じています。

そして、想いが徐々に大きくなり、魂の様相がさらに変わってしまうと、因果律の働きにより、病変(ガン)が出現します。

魂に滞っている、表現されなかった想いがガンの正体であり、肉体上に見える形になって表現されています。

そうでもしなければ、目に見えない、自分の想いに気付くことはありません。

想いが、神の摂理に反したものであるので、相応の償いが生じます。

病気の痛みや苦しさ、つらい日々は、その償いとしてありますが、同時に、魂が目覚め、大切なことに気付くための触媒となっています。



大切なことを、一言に集約すると「愛」です。

最も大切なのは愛であることに気付いたのならば、神の心と同調し、つながりは深まり、生命力はふんだんに魂に流れ込みます。

病気になる前の自分とは違い、魂から生じる想いは大きく変わり、哀れみや同情など「愛」を帯びたものになります。

愛の想いにより、魂の様相は変わっていき、滞っていた怒りや、憎しみや、恨みなどなどの(摂理に反した)想いは“異物”となり、解放され、本来の姿を取り戻します。

肉体は魂の表現媒体であるため、追従し、本来の健康な姿を取り戻していきます。

肉体にふんだんに流れ込む生命力により、免疫機能は高まり、肉体上にあるガンは、異物として認識され、排除されていきます。



十分すぎるほどの苦痛と、生きているつらさを味わい、周囲の支えや思いやりに深く感謝し、病気が治ったら必ず恩返しをしようと強く思っている人は、たくさんいます。

しかし、ガンの増殖が止められずに、無念にも亡くなってしまう人がいるのが現実です。

もし、病気が大切なことに気付き、生き方や考え方が変えるためにあるのならば、癒される時が来てもいいはずです。



ガンは、「想い」あるいは「感情」の病と言っていいのかもしれません。

そのため、肉体上のガンは、今の自分の想いや感情に、敏感に反応してしまうと考えられます。

心穏やかにしていれば、ガンも穏やかにしていると思われます。

ガンの正体は、怒り、憎しみ、恨み、妬み、貪欲などの摂理に反した想いの塊だと思われますので、日々の出来事から、このような想いが生じてしまうと、肉体上のガンに反映してしまうと思われます。

ガンに対し、敵意を抱き、攻撃的な想いを抱くと、結果としてガンは攻撃的になり、増殖し、肉体を蝕んでいくと思われます。

ガンを消滅させようとすれば、自分を傷つけることになり、因果律の働きで、苦しみを味わうことになります。

抗ガン剤は、自然治癒力を肉体上で発現させるためにある免疫機能に大きなダメージを与えてしまうために、魂に目覚めて、より多くの生命力が流れ込んできても、十分な機能を発揮できなくなり、身体からガン細胞の排除は困難になってしまいます。



もし、ガンの治療法を説明され、迷ってしまったら、「自分や家族が同じ病気になった時に、私に勧めている治療を施しますか?」と、医者に問いかけみるのが賢明だと思います。

患者に勧め、自分達は受けないのであれば、それは偽善の治療ではないかと思います。

そんな治療は、決して受けるべきではないと思います。



ほとんどの医者は、次の世界に行き、生命の姿、病気の本質に、初めて気付くことになると思われます。

ガンの原因が、思いもよらぬところに存在し、自らが施した行為が、人を助けるどころか、苦痛を与え、自然の摂理が働くのを妨げていたのを知り、大きな後悔をしているのかもしれません。

この世で、ガンの治療に苦しむ人たちに、次の世界からこう語りかけているのかもしれません。

「抗ガン剤は、自らを傷つける薬であり、その行為自体が摂理に反するため、苦痛を味わうことになる。」

「薬では、ガンは治せないことを、十分に理解しなければいけない。」

「多くの医者が、この世を去り、患者に行ってきた治療を後悔をしている。」

「何も益を成さない。苦しめるだけの治療だった。」

「神の摂理に背く治療であり、神の摂理が働くのを妨げてしまう。」

「ガンを含め病気の意味を知らないために、間違った治療が行われている。」

「肉体を治すことにこだわりすぎて、大切なことを忘れてしまっている。」

「病気は人間を治すものであり、人間が病気を治すのではない。」

「医者のおごりが、患者を不幸にさせている。」

「即刻、このような人道に反する治療は、なくすべきである。」

「学ぶべきものを学べば、病気は自然に治る。」

どうしても伝えたいことが、たくさんあるのだと、私は感じます。



医学の父と呼ばれた、かの有名なヒポクラテスは、興味深い言葉を残しています。

「まず何よりも、害をなすなかれ」

「病気は人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである。」

現代医学に対する、警鐘に思えてなりません。



肉体上に表れたガンは、自分の想いの反映であり、その想いを生じさせたのは自分です。

ガンを生じさせたのは自分であるにもかかわらず、ガンと敵対し消滅させようとする行為は、明らかに間違っています。

自分の過ちは、自分で償わなければいけません。

誰かに頼って、過ちを帳消しにすることは、許されません。

逃げ場がなくなるほど追い詰められて、眠っていた魂が目を覚まして、そこから本当の人生が始まります。

それが神の摂理であり、痛みと苦しみの日々は、そのためにあります。



ガンは肉体を死に至らせる病ではなく、本当の自分の想いに気付くためにある病です。

近道は許されませんが、痛みや苦しみを味わい、見合った償いをしたのならば、癒される時は必ず来るはずです。

大切なことに気付き、本当の自分の想いを、素直に表現できるようになったのならば、ガンの存在する理由はどこにもありません。

病気になり、学んだことを忘れない限り、ぶり返す心配は全くありません。













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