2014年10月19日日曜日

病気の意味 



夏の暑い季節が過ぎると、さわやかな秋になり、そして寒い冬になりますが、地球温暖化が進んだため、1番好きな創造的な季節である秋が、とても短くなったと実感しています。

西アフリカで猛威を振るう、エボラ出血熱は致死率の高い、恐るべき病です。感染者は増加の一途をたどり、今となっては、拡大を止める手段はないようにも思えます。

もし、最貧国である西アフリカの国々に、欧米や日本などの富める国々が、医療施設、そして知識や技術を提供していたなら、水際で感染拡大は防げたかもしれません。

自己の利益や利便性を追求するあまりに、地球環境への配慮や、人類の同胞意識を忘れてしまった結果を見ているような気がしてなりません。

人、国家、地球、スケールは違いますが、神の摂理である「因果律」はすべてに働き、正確無比に結果をもたらしていると感じます。



忌まわしい病気も、因果律の働きにより生じています。

すべての病気に、何らかの原因があるはずです。

残念なことに、医学の進歩にもかかわらず、原因不明の病気は数多く存在します。



膠原病(自己免疫疾患)は、免疫機能に何らかの異常が生じて、正常組織を攻撃してしまう病気です。

ガンは、遺伝子に変異が生じ、細胞が無秩序な増殖を繰り返していく病気です。

どちらも、多くの人を苦しめている難病であり、未だ原因不明は明らかにされておらず、治療は対症療法となります。

従来の科学的手法では見つけ出せない、未知の領域に原因が存在していると考えています。



人は心身の調和が損なわれると、病気になります。

心身の調和を損なわせる、大きな要因としてストレスがあります。

ストレスは、仕事や、日々の出来事、人間関係などから生じる、心の重圧であり、負担であり、軋轢です。

ストレスを感じると、人は発散しようとします。

うまく発散できないと、ストレスが溜まり病気になることもあります。

ストレスが溜まると発散しようとしますが、発散させているのはストレスによって生じた「想い」であると考えられます。

想いが発散されることなく溜まっていくと、病気になると思われます。

その想いとは、怒りであり、悲しみであり、言葉では言い表せないものもあります。

怒りが高じて、憎しみや恨みの想いに変化してしまうと、発散するのは難しくなるのかもしれません。



肉体は魂の表現媒体です。

魂から生まれる想い(思念)が、肉体により具現化されます。

怒りの想いが生まれれば、顔は紅潮し、心臓の鼓動は高ぶり、大声を出したりして、怒りの想いをぶつけることもあります。

悲しみの想いが生まれれば、目から涙が流れ、嗚咽の声を出すこともあるでしょう。

唄うのも、楽器を演奏するのも、絵を描くのも、自らの想いの表現に他ならないと思います。

もし、肉体が魂を表現する媒体であるならば、魂のありさまの変化が、肉体が変化する病気として表現されていると、考えてもおかしくはありません。

肉体上の病気のありさま(病態)から、魂のありさまをうかがい知ることができると思われます。



膠原病は、自分を守る機能が、自分を攻撃している病気と考えられます。

言い換えると、肉体を守る機能が、肉体を攻撃しています。

肉体が魂の表現媒体であると考えると、魂(心)を守るものが、魂(心)を攻撃していることになります。

「魂(心)を攻撃している」とは、何を指すのでしょうか?

それは、自分で自分を責めたり、傷つけてしまったりすることと思われます。

強い後悔の念もそうでしょうし、好ましくない感情を抱いたことに対して強い自責の念を持つこともそうだと思われます。

何かにつけ、自分を責めてしまうのを、やめなければいけません。

高い目標を掲げて、それが達成できないと、過度に自分を責めてしまうような人が、この病にかかりやすいのではないかと思います。

こうしなければいけない、そうすべきだ、そうした方がもっと良いなど、自分により高いもの、完璧さを求めている人ではないかと思います。

慢性関節リウマチの知人は、とても活力に溢れているにもかかわらず、それを活かせていない生活を強いられて、大きな不満を抱いていたように、私には見えました。

他の膠原病の人は、どうなのでしょうか?知りたいところです。

肉体を通して表現できなかった想いが、自分の肉体を攻撃してしまうという、誤った表現がされてしまった結果なのかもしれません。

想いを適切な方法で表現できないと、肉体上に誤った形で表現されてしまうのだと思います。



ガンは、変異した自分(細胞)が、増殖していく病気だと考えられます。

表現されない変異した想いが、際限なく増殖していく様が、肉体上に表現されているのだと思います。

変異した想いとは、摂理(愛)に反する想いであり、怒り、憎しみ、恨み、妬み、貪欲などです。

摂理に反した想いが蓄積して、魂のありさまを変えてしまい、さらに摂理に反した想いを抱いてしまうという悪循環が生まれていると思われます。

摂理に反した想いが際限なく増殖して、自分では歯止めが効かなくなってしまっている状態と考えられます。



つまり、医学的に難病と言われる原因不明の病の多くは、魂から生まれる想いを適切に表現できていなかったり、摂理(愛)に反した想いが魂に滞ってしまっていることが、根本原因と考えられます。

自分の想い(思念)にも、そして表現(行動)にも、因果律が働いていて、摂理に反しているならば、その償いをしなければいけません。



膠原病に対しては、自分を責めずに、想いを適切に表現する、自分にふさわしい表現をすることが、大切だと思われます。

自分を活かせていると、心から思える環境に、身を置く必要があると考えられます。

ガンに対しては、本体は(摂理に反した)想いであるため、感情に敏感に反応して、肉体上のガンに反映されてしまうため、平穏な心を保つことが何より大切だと思われます。

しかし、ガンで多くの人が亡くなっている現実を前にすると、死の恐怖や不安に襲われて、平穏な心を保つのは、決して容易ではありません。

また、日々の出来事で、ちょっとした感情の起伏がすぐ生まれ、心は波立ってしまいます。

ガンを勢いづかせる想いを封じ込めるのは、愛の想いしかありません。



ガンと闘うことは、自らを傷つけることであり、愛の想いに反していると思います。

ガンと闘おうとすると、因果律が働き、ガンも闘おうとするのかもしれません。

自らのからだを傷つけてしまう方法の中には、正解はないような気がします。

病気と闘うのではなく、病気になった意味を知り、考え方や生き方を変えていくのが、正解だと信じています。

ガンのような生命を脅かすような病気が存在するのは、最も大切なのは「生命」そして「愛」であることに気付くためと信じています。



「愛」とは、人を愛することだけではありません。

感謝も、ささやかな愛の表現だと思います。

相手の欠点を認め、言動を許すことも、愛の表現だと思います。

もちろん、人や動物にやさしくしたり、思いやりを持ったり、親切にしたり、社会に奉仕をするのも、愛の表現に他なりません。

素直に、愛の表現ができるように、魂のありさまを変えていくものとして、神は病気を用意したのだと思います。

病気を克服した人たちの中には、生き方や考え方が大きく変わった人が少なくありません。

魂のありさまが、病気を克服していく中で、本来の姿を取り戻したのだと思います。

魂が癒されて、肉体が癒されたのだと思います。



「生命」とは、活動するものであり、変化するものであり、常に何かを表現しているものです。

生命の正体は魂であり、肉体は魂を表現する媒体に過ぎません。

人(魂)は神により創造された、神の一部です。

神の心は愛です。

よって、神の一部である人は、神の心を表現しようとします。

本来、この世の人は、肉体で愛を表現するために、生きていると言うことになります。

人は魂を向上(成長)させるために生きていて、愛を表現することで成就されます。

魂を、さらに向上させるために、より高い、より強い愛を表現しようとすると思われます。



肉体的に病気をとらえると、苦痛や障害を伴い、時に命(肉体)を奪うものであり、恐怖や不安をもたらす、不幸以外の何者でもありません。

霊的に病気をとらえると、苦痛により肉体に埋もれて眠っていた魂を覚醒させ、滞っていた(摂理に反した)想いを、解放させるものです。

愛の大切さに目覚めさせて、想いを変えていくものです。

その人にとって、ふさわしい愛の表現ができるように、導くものです。

魂が本来の姿を取り戻して、愛を素直に表現できるようになり、この世を生きている意味が成就されていきます。



病気が生じるのは、偶然ではありません。

神の意図があり、その人にふさわしい愛の表現を、素直にさせるためにあると思います。

従って、ふさわしい愛の表現を、素直にしていけるようになれば、病気の役割は終わると考えられます。



自分にふさわしい愛の表現とは何かを、考えてみてはどうでしょうか。

それは、生きる目的を考えることでもあり、病気を癒やすことにも、きっとつながると思います。





参考ページ: 「霊的な病気の意味」



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